かのちさはいいぞぉ〜
十二月から年末年始にかけての期間、芸能関係のお仕事に就く人が最も忙しくなる期間だと思う。クリスマスや年末に行われるライブ、番組、そこに出演する演者はもちろん、裏方の人たちもその準備のために多く駆り出される。
私──白鷺千聖もその例に漏れず、多忙過ぎる日々を送っていた。年末に行うパスパレのワンマンライブやメインキャストに抜擢された映画等々──尋常ではないスケジュールに、私は忙殺されていた。
私は大学生になってから以前より芸能活動に専念し、たくさん仕事を貰えるようになったのはありがたいことなのだが……いかんせん疲労が半端では無い。
それに……高校卒業とともに晴れて恋人同士になった、私と花音の二人で過ごす時間が減ってきているのも最近の悩みだ。少しでも花音と一緒にいるために同棲をしているというのに、これでは本末転倒なように思えてしまう。
それでも、やはり花音がいる家に帰るというのは私にとって特別で……体に鞭を打ってでも、頑張ろうという気持ちが湧き出てくる。
しかし、体に嘘はつけないようで、自分でも分かるくらいの疲労が溜まっていた。体は鉛のように重いし、徹夜明けみたいに頭が痛い。
そんな満身創痍の体を引きずりながら、なんとか私達の家にたどり着く。ドアを開けて、帰ってきたということを意識すると、少しほっとする──が、しかし、安心して気が抜けてしまい、体から力までもが抜けていく感覚に陥る。足に力が入らなくなるのと同時に、意識が朦朧とし始める。そんな状態で立っていられるはずがなく……自分が倒れてしまった音を聞いたと同時に、私の意識は完全に闇へと堕ちてしまった。
────
随分と時間が経った気がする。段々と意識が覚醒し、ゆっくりと目を開けてみる。そうすると、真っ白い清潔感のある天井が目に映る──私はそこで、自分が病室で眠っていたということを認識した。
「千聖ちゃん!」
聞き慣れた声でそう呼ばれた方を見ると、今にも泣き出してしまいそうな目をしている花音がいた。
「目が覚めてよかった……体調はどう?」
「え、ええ……長い間眠っていたようだし、平気よ……」
そう言葉を発した時、何か強い焦燥感に襲われる。まるで、大事な事が頭から抜け落ちてしまっているような……。思考を巡らせていると、はっとして気づく。
今、
「花音! 私、どのくらい眠っていたの!?」
「え? えっと……ちょうど丸一日くらいかな?」
私はその言葉を聞いて、鼓動を早くしながら青ざめる。丸一日ということは、今日の仕事を丸ごとすっとばしてしまったということだ。思考にもやがかかるような感覚に陥りながらも、なんとか頭を回す。
まずは迷惑をかけた各方面に謝らなければならない。埋め合わせはどうする? もう一回スケジュールを確認して……
「千聖ちゃん」
「え……?」
花音はそのように短く言葉を落とすと、まるで年下の子どもを落ち着かせるかのように、優しく手を握ってくれる。私の好きな、暖かくて柔らかい手だ。
「千聖ちゃんの事務所とパスパレの皆にはわたしから連絡しておいたよ。無理があるスケジュールだっていうのは事務所の人も分かってたみたいでね。少しは余裕ができるように調整してもらったから」
花音は握っている手の力を少しだけ強める。それだけで、花音の気持ちが私に流れ込んでくるような感覚になる。花音は、私のことを想ってくれているのだ。
「わたしは千聖ちゃんのことが好き……だから、千聖ちゃんの居場所になりたい。千聖ちゃんの帰ってくる場所になりたい。恋人として……なんでもしてあげたいの」
「花音……」
「だから、もっと千聖ちゃんの話を聞きたい。仕事で良かったことだけじゃなくて……辛かったこととか、だめだったところとか」
花音の甘くて、優しすぎる言葉に体がとろけてしまいそうになる。私を唯一甘やかしてくれる花音に、全てを委ねた。
みっともなく涙を流すと共に、仕事に対しての愚痴や鬱憤が溢れ出る。
誰かに愚痴を言うなんてことは今まで一回も無かったと思う。愚痴というのは悪感情そのものみたいな物で、誰だってそんなものは聞きたくないだろう。
愚痴を言うことで嫌われるくらいなら、全て自分の中に閉まっておくべきだと、私は今まで思っていた。
だけれど、今、この瞬間は違う。
私がどれだけ乱れた口調で言葉を発したとしても、花音だけは私の味方でいてくれるのだと確信している。
花音が本当に私を心配して、力になりたいと思ってくれていることや……私のことを、好きだという気持ちが伝わってくる。
心のダムが決壊して、溢れ出る私の気持ちを花音は優しく受け止めてくれる。
静かに、相槌を打ちながら聞いてくれる。
久方ぶりの、私の安らげる時間だった。
「話してくれてありがとう。今までよく頑張ったね。千聖ちゃん」
「花音……ごめんなさいね。聞いていて気持ちのいいことでもなかったでしょうに」
「そんなことないよ。わたしは千聖ちゃんのかっこよくて、堂々としたところも好きだけど……千聖ちゃんの弱いところを見ると、信用されてるって実感できて、嬉しいんだ」
私の一番欲しかった言葉だ。私のことを全て肯定して、理解してくれる。
「でも……本当に辛くて、何もかも嫌になっちゃったら、やめちゃってもいいんだよ?」
「やめるって……何を?」
「
全部……というのは、仕事や大学のことだろうか。
花音の優しい言い方に、全て委ねてしまいたいような気持ちになる。
「やめるまではいかなくても、少し休憩してみるのも良いと思わない? ちょっぴりお休みをもらって……そうしたら、わたしと一緒にいれる時間も……」
花音はそこまで言いかけた途端、涙を流す。
なぜ泣いているのか分からず、私は困惑してしまう。
「……ごめんね、千聖ちゃん。こんな、重くて、自分勝手で……千聖ちゃんを、困らせるようなことを言っちゃって……」
「大丈夫よ」
私は花音を安心させるために、自分ができるだけの笑顔を作って言葉を紡ぐ。
「嬉しいわ。花音。私もあなたと一緒にいたいし……あなたが自分勝手だと言うなら、私もそうよ」
「……千聖ちゃん」
「でも……女優のお仕事も、パスパレでの活動も、大学の勉強だって、全部自分で選んだことで……私がやりたいことだから」
それは紛れもなく私の本心だった。花音と一緒にいたいのは事実だけれど、それ以上に、花音の隣に立てるような人物になりたかった。ここで努力をやめてしまえば、私は堂々と花音の傍にいられないし、それはもはや
「……千聖ちゃんは、本当に強いね」
「そんなことないわよ……まぁ、キャパオーバーなのは事実だから、少しスケジュールを見直してみるわね」
私がそう言うと花音は明らかに表情を明るくする。私のことで花音が喜んでくれているのだと実感すると、また心が暖かくなる。
花音の温もりはいつだって私の心を溶かしてくれる……かけがえのない存在だ。
「うん! それが良いと思う! ……あっ、もしわたしに何かできることがあったら、何でも言ってね? 千聖ちゃんの力になりたいから」
「そう? じゃあ……」
可愛らしい花音をからかいたいという邪な気持ちから、私は笑みを浮かべる。
「私のかわいい恋人さんに、めいいっぱい癒してもらおうかしら」
私の言葉に、花音は耳を赤くして分かりやすく恥ずかしがる。
ふふ、本当に可愛らしいんだから。
私が余裕そうに微笑んでいると、花音はもにょもにょと口を動かしながら言葉を吐く。
「じゃあ……するね?」
「えっ?」
「千聖ちゃん……」
花音のその言葉と共に、控えめな吐息がかかる。急すぎる状況に私は困惑しながら、思わず目を瞑ってしまう。
そして次の瞬間、私の唇に花音の優しい口づけが落とされる。
花音らしい繊細で柔らかい感触ながら、確かに伝わってくる花音の欲望。
それは私の心を狂わせるのに十分で、花音に丸ごと支配されるような感覚に陥る。
花音のキスにふやけさせられて恍惚としているのもつかの間、花音の唇が私のものから離され、花音の表情がくっきりと見える距離に戻る。
花音は顔を赤らめて恥ずかしがりながらも、女を悦ばせた後のうっとりとした表情にも見えて、いつもとは違った花音の印象に私は狂わされてしまう。
「どう? 千聖ちゃん。気持ちよかったかな……?」
「え、ええ。よかったわ……」
花音に骨抜きにされた結果、そんな気の抜けた返事しかできなかった。
これでも私は、最近ヒット中の女優だというのに……花音の末恐ろしさを感じた瞬間だった。
「癒してもらうとは言ったけれど……そんなすぐにするとは思ってなくて……花音に驚かされてしまったわね」
「ええっ!? そうだったの!? ふ、ふえぇ……いやらしい子だって思わないでね……?」
「……ちょっとそれは無理があるわね」
「そ、そんな〜……」
……花音の新たな顔を見れたということで、これはこれでよかったのかもしれないわね。
それに……新しい一面をさらけ出すということは、つい先程私もやった事だ。これでおあいこにしておこう。
こんな風に、私達は日々を積み重ねてより良い恋人同士になっていくのだ。
意地を張ることや、弱みをさらけ出すこと、恋人の新たな一面を知ることなど、無駄なことは一つも無い。
少しくらい寄り道をするのも一興だ。そうして私は自分の選択したことに真正面から向き合いながら生きる。
それが私、白鷺千聖というものだ。