01 『枯草』
Happy April Fools' Day.
私は、どうしようもない小娘でした。
魔法師の名家にて、名家たる優秀な魔法資質を持って生まれた才女でした。
(自分で『才女』と言うのはどうかと思うけど、それは他人からの評価もそうであるから、公然の事実よ)
私は、魔法師として確かな素質を、しっかり持っていました。魔法師として学べる環境も、しっかり整っていました。
ただ、私は自身の生い立ちに、境遇に、不満を抱えていました。
(『
私は不満を抱えていました。でも、それをあまり口にせず、態度で表すのも小さなものです。父が勝手に組んだ縁談に熱意を持たない、という程度の小さいものです。
それでも、父は眉間にしわを寄せていました。
(狸親父のあの顔を見られて、心底清々したわ。娘を道具としか思っていないのだから、あんなしっぺ返しを食らうのよ)
娘に内心で貶されている事も知らず、父は娘の相手を見繕い続けました。
一度、我が家と並ぶ名家の長男を宛がったところで、私が相変わらず熱意を見せなかったから、父は一旦私の縁談を諦めました。
ですが、それはまさしく一旦で、私が国立魔法大学付属第一高へ入学した年に、また縁談の話を持ち出したのです。
しかも、その縁談の相手は13歳だと言うのです。
(その前の縁談の相手、
子を成す事が重要な仕事であるという認識は、私にもありました。けど、こんな子供同士で婚約させる世間の風潮には、疑問を抱いていました。
だから、当時の私は見合い写真も見ず、今回の相手を盛大に袖にしてやろうと企んでいたのです。
その相手を目にする直前までは。
―初めまして、
私の目に飛び込んできたのは、顔立ちの整った、とても礼儀正しく、とても大人びた男の子。でも、何処か不思議な雰囲気のある、ともすれば孤独感を漂わせる人でした。
私は、その雰囲気に奇妙な程惹かれたのです。
―お時間を取ってしまって、申し訳ありません。そして、こんな俺にお付き合いいただいて、本当にありがとうございます。
私にはその言葉が良く耳に残っていました。それは、彼の実力と自己評価が不釣り合いだったからです。
―俺は、魔法の資質を東道に見初められ、引き取られただけの孤児なので……。
彼の実力と自己評価の不釣り合いには、そういう理由がありました。
彼は元々、名家、魔法師界・政界の裏で暗躍する東道家の人間ではなかったのです。それどころか、彼は沖縄海戦で家族を失った一般家庭の子供であると、その時は語っていました。
彼のその態度に、私はとても淡い思いを抱いていきました。
その思いは果たして庇護欲だったのか、同情心だったのか。私の気持ちなのに、結局そのどちらなのか、それともそのどちらでもないのか、分かりませんでした。
でも、あの時から彼に恋していたのだけは分かっています。当時の私は分かっていませんでしたが。
ただ、積極的に交流を図りました。
―真由美さん。俺は
彼の言葉はとても甘美でした。とても心くすぐられました。私の不満を嗅ぎ取って、そうしてくすぐってくる彼の言葉に、彼自身に、私はどんどん心惹かれていきました。
だから私は彼との婚約に小言を漏らしつつも、強く拒絶する事はありませんでした。
(……今考えると、とても卑しいわね。……内心は婚約に喜びつつも、親同士が決めた事にして彼を束縛するなんて)
私は、きっと彼を逃したくなかったのでしょう。そうして両家当主による決定で、私から彼を逃げられないようにしたのですから。
でも、彼も嫌がっておりませんでした。
―ありがとうございます、真由美さん。こんな俺を受け入れてくれて。貴女に相応しい夫となれますよう、精進します。
そのいじらしい彼の態度に、私はまた心惹かれました。
そして、彼はその言葉を実行してみせるのです。
私が第一高三年生となるのに合わせ、彼は一年生の次席として入学してきました。惜しくも主席は逃し、司波深雪さんにその席を譲ってしまいましたが、彼と彼女はそれ以外の一年生と比べて頭一つ抜けている印象を受けました。
それに、彼は特殊な固有魔法を複数持っていたのです。
―『分子分解』と『分子再構築』、そして『
彼には、そんな誇るべき力があったのです。
―でも、欠陥品です。『分子分解』も『分子再構築』も、手で触れなければ使えません。『マテリアル・アナライズ』だって、分子構成がすぐ分かるからって何だって話でしょう?
それでも彼は誇りませんでした。私も知らない上を見て、自分を見下すばかりです。
後になって、彼が見ていた『上』はもしかしたら
しかし、彼は達也くんや深雪さんをよく気にかけていたので、少し聞いてみた事はあります。
―司波兄妹ですか?会うのは入学式の時が初めてでしたよ。しかし、何と言うか。知らない相手な気はしませんでした。おかげで、すぐに仲良くなれましたよ。司波君には多少警戒されていましたが。……『東道』というのは、嫌な名前ですね。
彼は達也くんたちの良き友であろうとしていました、少し警戒されている事を気にしながら。
『東道』という名がそうさせていると分かっていた彼は、小さく嘆いていました。
(……あの時、『慰めて気を引くチャンス』って頭に過ったのよね。……やっぱり、私は卑しい女だったのかしら。……いいえ、きっと彼の魔性のせいね)
私は彼を婚約という形で縛っておきながら、さらに心まで私へと縛り付けようとしていました。だから、私は彼を慰めたのです。『私だけは、絶対に貴方を嫌いにならない』と。
(……『嫌いにならない』じゃなくて、『ずっと好きでいる』とか言えなかったのは、私ちょっとヘタレだったかしら)
私は自身の恋愛下手を再認識しました。それに比べ、彼はとても恋愛が上手だったと思います。
―……ええ、お願いします。真由美さんは俺の事、ずっと好きでいてくださいね?
そう言いながら一筋だけ涙を流す彼の姿が、私の目に映りました。
(……今思い出しても胸が締め付けられるわ)
酷い言い方かもしれませんが、その時の彼はとてもあざとかったです。
(……次の話に移りましょう)
とかく。彼は様々な風聞をその身に受けながらも、学園生活を謳歌しようと頑張っていました。
―『一科生』を代表したいなら、せめてもっと誇りある姿を示してください。『一科生』を笠に着るような尊大な貴方の物言いは、同じ一科生として聞くに堪えない。
時には、新入生同士の争い事、一科生と二科生の対立に割って入り、態度が目に余る一科生を一喝したり。
―風紀委員への勧誘ですか?喜んで、と言いたかったのですが。生徒会選任枠には司波君を推します。代わりと言っては何ですが、特別選任枠で風紀委員に加入したいのですが……。
友人を槍玉に挙げる茶目っ気と、第一高の悪しき風習を改革しようとする野心を表したり。
―第一高を狙ってくる賊など、断じて許せない相手です。この際ですから徹底的にやってしまいましょう。
第一高で暴れた犯罪者の拠点に乗り込む事を提案し、率先してその者たちを懲らしめたり。
(……学園生活からかけ離れている気がするわね)
異常な学園生活ですが、とりあえず、彼が第一高の平穏を守るべく動いていたのは間違いないでしょう。
―真由美さんの母校なんです。その平穏は守って当然でしょう。
そうして動いていた理由は私にあると、彼は語っていました。
酷く献身的で、時には滅私奉公とすら感じる程、彼は私に尽くしていました。
―何故って、真由美さんに俺の事を好きでいてほしいからです。俺は、好きでいてもらう方法なんて、相手に尽くす以外知りませんから。
彼は、酷く献身的でした。ともすれば、自分の存在理由を他人に預けているかのように。
しかし、もっと酷いのは私の方だったかもしれません。彼が自分の存在理由を私に預けている。そんな状況を、とても甘美に感じていたのですから。
(で、でも、私はちゃんと彼の行動を評価していたし、その報酬というか……。彼が私に尽くして良かったと思えるよう、色々お返ししたわよ?彼が行きたがっていたカフェとか、1人じゃ入りづらいって言うから一緒に付いて行ったし、よく我が家でご馳走を振る舞ったし、お勧めのレストランにだって連れて行ったわ)
私は彼の厚意を受け取るだけでなく、しっかり厚意を返していました。
ただ、そこでふと思いました。
(……
そう。厚意を返しているフリして、これまた彼を独り占めしようとしていたのではないかと、私は思ってしまいました。
(ひ、独り占めの何が悪いのかしら!彼は私の婚約者!私が独り占めして良い、いや、すべき存在よ!)
私は自身の正当性を保つべく、理論立てて自己弁護します。
(それに、彼だって喜んでいたじゃない!)
私は思い出します、食事中はとても幸せそうな彼の顔を。
―ああ、来てよかった……。ここのパフェは評判通り絶品でした……。
―上品ですが、家庭の味が感じられてとても美味しいです!
―舌の上で融けるような、上質なステーキでした……。
彼は美味しい物に目がないのか、食事の際だけ、とても溌溂としていました。見ているこちらも嬉しくなるくらい、とても喜んでいたのです。
(……余計な事を思い出してしまったわ。誰が誰に餌付けをしているのよ)
よく食事を提供する私の姿を、妹たちは『餌付け』と揶揄っていました。泉美の方には推奨されましたが、香澄の方には呆れられていました。
(そういえば、泉美は彼と会ったその日から『お
妹たちは彼に両極端な態度を取っていました。でも、それもほんのわずかな間です。
―これで、実力を認めてもらえるかな?
彼は香澄に実力を認めさせるため、九校戦の競技であるスピード・シューティングができる設備をわざわざ貸し切りにして、その妹と勝負したのです。
彼も香澄も『ドライ・ブリザード』を用いて的を破壊していました。
香澄がまだ習熟していない魔法で勝負へ挑んだのもあって、結果は彼の圧勝でした。
この結果に香澄は悔しそうですが、認めざるを得ないという様子でした。その後の彼に対する態度は、ダメ出しはするけど、邪険にはしないといったモノに変わりました。まさに、姉の夫へ対するような態度です。彼との交流を進んで図ろうとする泉美よりは健全な関係性でしょう。
(泉美も狙ってるんじゃないかって疑ったら、『お義兄さまは私の義兄としてあるべきお方です』って言われたのよね……。今まで見た事ない表情、というか無表情で……。あの子、兄さんたちに対してそんなに不満を持っていたのかしら……)
泉美が知らぬところでストレスを溜めているのではないかと、少し不安になる私でした。
(……彼は本当に妹たちにも良くしてくれているから、比較して兄さんたちに不満を持つのも仕方がないかしら)
実の兄たちとは年が違い過ぎるし腹違いでもあるので、上手く交流を図れないという点がありました。当然、私も妹たちも分別は付いているので、それで兄たちといがみ合ったりはしていません。
でもやはり、良く構ってくれる義兄が現れた事で、思うところが出てきてしまったのでしょう。まぁ、結局それで家族間に不和を起こす事は兄たちも妹たちも、もちろん私もありませんが。
ただ、私の婚約者と妹たちが仲良くやってくれるのは喜ばしい事です。結婚後は家族として関わり続けるのですから。そのはず、だったのですから。
(そう……。私は……、彼と、家族になるはずで……)
思考が、闇へと沈んで―――
近くで何かが崩れる音がしました。私はその音で一瞬前の思考を遮られます。
(……何を考えていたのだったかしら。……そう、彼との思い出だったわね)
私はまた彼との思い出に思考を戻します。
次に思い出すべきは、九校戦での活躍でしょう。
定期試験、筆記・実技・総合、全てで2位の成績を収めた彼は、もちろん九校戦の新人戦メンバーに選出されました。
―如何なる障害も排除し、必ずや勝利を貴女の手に。
選出された事を知った彼は、何かを決心したような顔をしていました。
その数日後の事です。朝のニュースで、香港系国際犯罪シンジケート『
あまり詳細は公にされなかったのですが、珍しく同じ卓で食事をしていた父がそのニュースを見て、小さく呟いていました。
『……なるほど、彼にはそこまでの権限が与えられていたか。……『妖怪』は彼をさぞ気に入っているようだな』と。
父の言う『彼』とは誰か。『妖怪』とは誰か。私は悩みませんでした。東道十六夜を引き取った人物・東道青波を『妖怪』と父が呼んでいた事があるのを、私は耳にした事があるのですから。
そう。そのニュースで報じられている事は、彼が、東道十六夜がやった事だったのです。
そう悟った私は、父が手早く食事を済ませていたのが、急いでいるように映りました。何をそんな急いでいるのか分かりませんでしたが、私はそんな父が妙に気になったのです。
だから私は、父が席を立ったすぐ後、お手洗いに立つフリをして、父をこっそり追いました。
父は書斎に引っ込みましたので、何をするのか確かめようと、『マルチスコープ』を使って中を覗きました。
そうすると、父は彼に電話をかけていたのです。何故父が彼に電話をかけたのか、とても興味を抱いた私は、父と彼の口の動きを読み取りました。
父は『あれは君の仕業だな』と問い、彼は『はい。九校戦で賭け事をしていた上に八百長しようとしていたので、排除しておきました。真由美さんに被害が及ぶ可能性は充分あると思いまして』と答えていたのです。
それで、私は不思議な気持ちが込み上げてきました。
(恋は盲目と言うか、単純と言うか……。明らかに行き過ぎている彼の行動を、私は彼の愛だと喜んでしまったのよね……)
その込み上げてきた気持ちは、歓喜と呼べるものでした。私を守るためだけに、彼は犯罪組織を排除してくれたのだと、喜んだのです。
当時を改めて振り返ってみると、私も彼も異常だったなと思います。
ともかく、彼のおかげで九校戦は正常化され、代表選手たちは健全に競い合いました。もちろん、彼も健全に競い合った1人です。
彼は、アイス・ピラーズ・ブレイク新人戦と、モノリス・コード新人戦、その2つに出場します。
その2つは、彼自身が出場する事を強く願った競技でした。
―九校戦で優勝争いを毎年している第三高には今年、十師族・一条家の直系、
彼は、強敵の打倒を目指していました。偏に、私へ九校戦総合優勝を捧げるために。
(この頃からだったかしら……、私たちの関係が
私に勝利を捧げるという彼の意気込みが、第一高全体に知れ渡ってしまいました。今までは学年が違う事もあって、熱愛を学内で披露する事はなかったのです。ですが、彼のその意気込みに恥じらっていた私の様子が満更でもないような様子と周りには映ってしまい、『熱愛発覚』などと口伝されていきました。
結果が、第一高でもバカップルと名高い婚約者コンビ、千代田
(泣いていた人がいたわね、男女問わず……)
私の事をアイドルとして見ていた生徒たちがいたのですが、その人たちにとって、私と彼の熱愛ぶりは予想外だったのでしょう。親友である
(というか、摩利はむしろ祝福していたわね。『ようやくお前にも春が来たか』って。春はずっと来てたわよ、私が乗り気じゃなかっただけで。……摩利が作った祝福ムードで、周りも嫉妬とかより先に祝福しだしたのよね。泣きながらがほとんどだったけど)
当時の拍手で溢れかえった光景が詳細に想起され、私は苦笑を浮かべました。
ただ、彼への八つ当たりが起こらなかったのは、摩利がそういう方向に雰囲気を持って行ってくれたおかげかもしれません。その点だけは摩利に感謝しています。あの拍手喝采は恥ずかしかったので、根に持ってもいますが。
(まぁ、もう仕返しは済んでいるから、水に流しましょう。……それより、彼の活躍、凄かったわね)
恥ずかしかった思い出を塗りつぶすように、私は九校戦における彼の活躍を想起します。
アイス・ピラーズ・ブレイク新人戦にて、彼はオリジナル魔法とそれ専用の法機を持ちだしました。
―このグローブ自体と、組み込まれているたった1つの魔法を、俺は『フレイム・アルケミスト』と呼んでいます。これは、魔法『フレイム・アルケミスト』の発動に特化させた刻印魔法法機なんです。グローブは通常より高い摩擦熱を発する合成繊維と、刻印型術式に使われる合金で作られています。合金の方は言わずもがなでしょうが、魔法『フレイム・アルケミスト』の魔法式が幾何学模様化されて刻印されています。それで、なんで高い摩擦熱を発する繊維が必要だったかと言うと、『フレイム・アルケミスト』という名前通り、炎を扱う魔法だからです。詳細を話しますと、振動系によってこのグローブが発した熱を空気中の水素や酸素に引火させる第一工程、収束系によって目標を爆破するための爆薬及び目標までの導火線として水素や酸素を収束させる第二工程、そして最後に振動系によってそれらに引火させる第三工程、それら3つの工程でなる魔法です。言うまでもないでしょうが、『工程』というのは便宜上の表現で、全部の工程がほぼ同時進行で行われています。ちょっと洒落た仕掛けとして、この魔法はフィンガースナップをトリガーに設定されています。この魔法の利点、というか工夫されている点は、水素・酸素の収束具合で威力を調整できる点にあります。つまり、フィンガースナップ1つで単純な物体の燃焼から爆破までできるんです。
彼は熱心かつ饒舌に自作魔法・法機を語っていました。
(あそこまで饒舌になる事は滅多になかったから、可愛かったというか、いえ、可愛かったで正しいわね)
私は当時を思い出す度に頬を緩めてしまいます。
―……あ、その。……ごめんなさい、急に長々と語ってしまって。
自身を省みてどんどん縮こまっていった彼に、私は得も言われぬ歓喜を抱いてしまいます。
(……あざとかったわね、あの時の彼。……って、いけないいけない)
私も自身を省み、だらしなくなっていた表情を引き締め直しました。
ともかく、彼はその『フレイム・アルケミスト』を使って、アイス・ピラーズ・ブレイク新人戦の決勝まで駆け上がっていったのです。
そうして対峙したのが、彼の予想通り、一条将輝でした。
彼と同様に決勝まで駆け上がってきた十師族・一条家の直系。下馬評ではわずかに一条が優勢とする決勝が始まり、熱戦の電撃決戦を演じました。
一条家の秘技である『爆裂』により、CADの引き金を引く度に氷柱が爆ぜました。
彼自作の魔法『フレイム・アルケミスト』により、指を打ち鳴らす度に氷柱を砕きました。
発動から氷柱破壊までが早かったのは『爆裂』の方です。しかし、彼は自身の『フレイム・アルケミスト』がそれと比べて氷柱破壊が遅い事は織り込み済みだったようです。法機2つを用いる事で魔法発動のインターバルを大きく短縮していました。
そうして、彼は破壊の早い『爆裂』に追い縋り、氷柱全破壊のタイムを一条と競っていました。
結果はなんと、引き分けです。審判の目視では当然、機械判定でもコンマ1桁の差異もありません。彼と一条将輝は、ほぼ同時に氷柱を全て破壊したのでした。
―すみません、勝てませんでした。
あの一条に引き分けておいて、第一高選手陣本部に帰ってきた彼の第一声はそれでした。
彼は打倒すると宣っておいてのこの結果に納得できていなかったようです。当然ですが、納得できていないのは彼だけです。皆、アイス・ピラーズ・ブレイクであの『爆裂』に競り、なおかつ引き分けに持っていった事を褒め称えました。
それでも彼は、自身の功績に納得せず、何処か形式的に賛辞を受け取るのでした。
彼だけが己の実力を認めない中、九校戦は進んでいきます。当たり前の事ですが、大きな事故もなく、まして妨害もなく。
それらを正しく当たり前として受け止めていた周りは何も思っていませんでしたが、私だけはそう受け止めていませんでした。
何せ、この何事もない九校戦は、彼によってもたらされていたのですから。
だから、私はふと、彼に感謝を告げたのです。競技での結果に納得できない彼を、少しでも慰められるように。
―……知っていたんですか?
私の感謝に、彼は純粋な驚きを露にしていました。
そんな彼に、私は彼と父の密談を盗み聞き、いえ、盗み見ていた事を明かします。もちろん彼は私の『マルチスコープ』を知っていたので、明かされた真実に対しては驚きませんでした。
―そう、ですか。……その、少し恥ずかしいですね。真由美さんにはバレないようにと、していましたので。
言葉通り、恥ずかしそうに頬をかく彼。その頬に朱が差している様は珍しく、私は見届けました。同時に、改めて感謝を告げます。貴方のおかげで九校戦は健全に運営されていると。それは貴方の功績なんだと。
―……ええ。確かにそれは俺の功績なんでしょう。でも、だからと言って、それが競技の結果に加点される訳ではありません。
そうでも彼は、頑なな程アイス・ピラーズ・ブレイク新人戦の引き分けに話を持っていきました。私が慰めのためにこの感謝を告げていると、彼は見抜いてしまったのかもしれません。
―ご安心を、真由美さん。モノリス・コード新人戦の優勝は必ず持って帰ります。そして、総合優勝を必ず捧げます。
彼はそう意気込み、私に背を向けました。
私は総合優勝なんかより、彼の笑顔が欲しかったのに。
そんな私の思いは知らず、ただ有言実行するために、彼はモノリス・コード新人戦に臨みました。
モノリス・コード新人戦にて。一回戦・対第六高戦は彼が『フレイム・アルケミスト』を用いて圧倒し、難なく勝ったのですが。次の二回戦・対第四高戦で問題が起こりました。
市街地ステージで行われる予定だったその試合で、試合開始の合図が出される前に、彼含む第一高選手が布陣した廃ビルが崩れたのです。
崩れた瓦礫が第一高選手へ襲い掛かり、あわや全員重傷といった大事故で、しかし彼は自身含めた第一高選手を救って見せました。
彼は、瓦礫で生き埋めになる前に『分子分解』で自身らの足場を分解し、自身らを大穴へと落としました。さらに、落ちる瞬間、彼は『分子分解』によって分解された元足場である分子を『分子再構築』で一部復元。大穴に蓋をし、降り注ぐ瓦礫の盾としたのです。
そうして、彼は崩れる廃ビルから選手たちを救いました。
試合は当然中断。九校戦運営委員会はこの事故の原因究明に動き、程なくして事故の被害者である彼、それに第一高代表者として私と
それで、運営が指定した場所に赴けば、九校戦運営委員会の委員長と、日本魔法師界の権威・
私や十文字くんは九島閣下の居室に驚いて固まってしまったのですが、彼は閣下の居室を気にせず、真っすぐ運営委員長に詰め寄ります。
そして、彼はその運営委員長の胸倉を掴み上げたのです。
―話が違うではありませんか。貴方は委員長として責任を果たしたいと、運営に紛れ込んでいる工作員の排除を買って出たのです。それで、この体たらくはいったい何でしょうか。詳細の開示をお願いします。
口調こそ丁寧な彼でしたが、凍えるような冷たさを持つ怒りが滲み出ていました。九島閣下が制さねば、委員長を殺してしまうのではと疑ってしまう程のモノでした。
結局、恐怖で震える委員長に代わり、九島閣下が事件の原因を語ります。
その原因とは、賊の報復でした。
『ノー・ヘッド・ドラゴン』の幹部数名を捕まえた報復として、その手先だった工作員、運営に紛れ込んでいた者が今回の事故を手引きしたのです。
彼はそれら工作員の情報を運営委員長に渡していたそうだが、残念ながら運営委員長は工作員全員を捕まえる事ができず、そうして逃れた工作員が一部の運営委員と第四高選手を脅し、あの事件を起こさせたのでした。
幸いな事に、その賊は九島閣下の手によって、既に捕縛済みという事です。
それで、試合の処分についてですが。第四高はモノリス・コード新人戦を失格となり、本日行う予定だった第一高の三回戦と四回戦は翌日に行う、という事でした。
聞かせるべき事は聞かせたと言うように、私たち3人は退室を促され、第一高選手陣本部に戻ろうと足を進めていました。
ですが、その途中で彼は足を止めてしまいます。何事かと、私も十文字くんも彼を窺いました。
彼は悔やむように、俯いて拳を強く握りしめ、そして震えていたのです。私はすぐに駆け寄り、その拳に私の手を添えました。十文字くんは私に彼を任せると、アイコンタクト1つしてから静かに離れました。
そうして、私と彼だけになったところで、彼は悔やむ思いを口にします。
―……すみませんでした、真由美さん。……俺が、もっとちゃんとやっていれば。
彼は背負う必要のない責任を背負い、悔やんでいました。事故に巻き込まれた選手たちは無傷なのに。
今にも泣きそうな顔で、彼は悔やんでいました。
私は彼をあやすように、彼に抱擁をし、背中を撫でます。彼の震えが治まるまで何度も、何度でも。
私は衣服越しの肌で彼の震えが治まった事を感じてから、少し惜しみながらも抱擁を解きました。それから、彼の目を真っすぐ見て、『もう大丈夫よ』と伝えたのです。
―……はい。……すみません、真由美さん。それと、ありがとうございます。
まだ気落ちしたようでありながらも、彼は確かに平常心を取り戻していました。
その後は涙を拭うかのように顔を擦り、表情を変えます。
―優勝だけは、必ず持ち帰ってみせます。
平常心を通り越し、冷徹さすら感じるその真顔に、私は後退ってしまいました。だから、私の横を通り過ぎて行く彼に声を掛ける事はできず、ただその背に手を伸ばすしかできませんでした。
後日、彼はまずモノリス・コード新人戦の優勝を引っ提げて帰ってきました。当然、予選リーグも決勝トーナメントも全勝。決勝までの道中、『フレイム・アルケミスト』でルールギリギリを攻めるような威力を出して他を圧倒したのです。と言っても、重傷者を出すような事はありませんでしたが。
決勝でも、一番厄介だったでしょう一条将輝を炎で囲い込み、動きを封じました。そうして一条将輝が動けない間に他を蹴散らし、さっさとモノリスにコードを打ち込んで勝利を決めたのです。
そのあまりに合理的で冷淡な戦い方に、人々は彼を『
結果として、新人戦は優勝。後輩たちの善戦に続くようにして本戦の方も好成績を収め、第一高は呆気ない程に総合優勝を勝ち取ったのでした。
(思えば、あの時からだったのかしら。彼が、より危険に飛び込むようになったのは……)
私は九校戦の事件から始まった、彼の苛烈な行動を思い返します。
それは、九校戦が終わって2カ月後の事でした。
彼は、彼の友人である達也くんをストーキングしていた女学生を捕まえたのです。その女学生は
そんな彼女を捕まえたのですから、ただ友人をストーキング被害から助けようとしただけだと思っていました。
でも、違ったのです。
―答えろ、平河千秋。お前を唆した奴は何処にいる。ハッキングツールやスタングレネードをお前に渡した奴は何処にいる。次に接触するのはいつ、何処でだ。
彼は平河千秋を組み伏せ、脅すように尋問していたのです。ストーカーに対するモノとはいえ、あまりに度が過ぎた尋問だったので、その場に居合わせた千代田さんが止めました。彼女がその場に居合わせなかったら。そんな『もしも』を考えると、私は少し怖くなりました。
結局、彼は平河千秋に精神誘導されている疑いがあると訴え、また、一般人が手に入れられない道具を彼女が持っていた事から、彼女を唆した存在がいる可能性を提示しました。
そうであっても過剰な行為だったとして、彼は校内での奉仕活動を言い渡されました。
その処分によって、彼は、女学生に対しての尋問についてだけは、反省したようです。
だからなのか、次は女学生ではない人間を取り押さえていました。
大
―大亜連は特殊工作員すら出兵させています。これは、例年のスパイ行為で済ますつもりがない示唆です。破壊工作、あるいは侵攻すら考えられます。七草家当主様、十文字家当主様におきましては、どうか有事への備えを。
大亜連が密かに攻め込んできている現状を白日の下に曝した彼は、大亜連が大規模な攻撃を仕掛けてくるかもしれないと、私の父や十文字くんの父、十師族2つへ進言していました。
そう進言する彼自身にとっては、可能性ではなく、絶対に起こる未来だったのでしょう。その未来に対して備えるべく、七草家や十文字家以外にも進言しようと奔走していました。
そうして日々疲労していく彼の袖を、私はある日掴み、彼を引き留めました。でも、彼は止まりません。
―真由美さん、申し訳ありません。事が事だけに、未然に防ぐ事は不可能のようです。でも、一条やいくつかの
言うだけ言って、彼は私の手を振り解きました。私は振り解かれてしまいました。
(……もっと強く掴んでいれば。……振り解かれても、彼に付いて行けば)
私は、彼を支えるべきでした。でも、できませんでした。
私には、疲労をおして奔走し続ける彼の背を見つめる事しかできませんでした。
だから、彼は不幸に見舞われたのです。
彼が魔法師の名家や国防軍に大亜連の侵攻を訴えたのにも拘わらず、後に『横浜事変』と呼ばれる大亜連の侵攻が起きました。
彼の訴えを聞いて動いてくれた人は確かに居たのですが、しかし、やはりと言うべきか、備えは最低限でした。
彼は初めから期待していなかったのか、各所への訴えで疲れた体を引き摺り、戦場を駆けずり回ります。
だから彼は、私を守るため盾となったその時、敵の攻撃を防ぎきれませんでした。腹部や右腕から、衣服を血で滴らせていきます。その光景を目にし、私は嗚咽を堪える事しかできませんでした。
―深雪、さん……。大黒、特尉を……達也を……。後で、対価は、払う、と……。
しかし、そんな重傷を負っても、彼は止まりませんでした。彼は深雪さん、そして達也くんに頼み込み、重傷を『再成』してもらいました。
そうしてから彼はまた、戦場へと向かうのです。
幸いと言って良いのか、この侵攻は1日で終息しました。続くと思われた侵攻は、敵揚陸艦に対するモノと、敵軍港に対するモノ、計2回の戦略級魔法『グレート・ボム』の使用で終わらせたのです。
父から伝え聞いた『グレート・ボム』の性質。物質をエネルギーにまで分解し、そのエネルギーで以って大爆発を起こす魔法。
その行使者が彼だったのではないかと、一瞬疑いました。でも、本当に一瞬です。彼の持つ『分子分解』は分子レベルまでしか分解できないという言葉を、また、手で触れた物しか分解できないという言葉を、私は信じていたのです。
それと同時に、彼が見ていた『上』、『分子分解』を見下す理由となっている人物が、『グレート・ボム』行使者なのだと察しました。当時もまだ、その人物が達也くんだったとは知りませんでしたが。
―結局、この体たらくでしたね……。
彼はベッドの上でそう自嘲していました。彼は、『横浜事変』終息直後に過労で倒れていたのです。
相変わらず、彼は自身の功績を認めませんでした。如何に私の口から彼の功績を語ったところで、『それは俺の功績じゃありません』と、聞く耳を一切持ちませんでした。
過労から回復してしばらくは、彼は大人しくしていました。私との外出にも付き合ってくれていましたし、風紀委員として精力的に活動しているようでした。
ただ、それでも私には彼が何かに気を張っているような、何かを考えあぐねているような様子に見えました。それこそ、来るべき次の災いに備えようと足掻いているような……。
そう見えていた私の目は正しかったかもしれません。
年が明けてから、彼は奔走し始めました。海外からの留学生を気に留めず、いえ、逆に強く警戒しながら、その留学生であるリーナさんに一切交流しませんでした。
おまけに、どうやら何かを調べるため、渋谷を夜な夜な彷徨っていたのです。
彼が何を調べようとしているのか。私がその何かに見当が付いたのは、『吸血鬼事件』という怪奇事件の報道を目にした時でした。
彼は『吸血鬼事件』について調べ、その犯人を探していたのです。誰に頼る事もなく、たった1人で。
(……思えば、もう彼は誰も信用できなくなっていたのかもしれないわね)
『横浜事変』で自身の訴えがあまり意味を成さなかったと判断していた彼。そんな彼はもう誰も頼れなくなってしまった故の、独断行動だったのかもしれません。
もちろん、そうして疲弊していく彼を、私は見過ごせませんでした。休むようにと、彼を私の実家に無理矢理泊まらせ、監視も立てました。
でも彼は結局、監視の目もかいくぐって、『吸血鬼事件』の犯人を追おうとしていたのです。
彼は屋敷を抜け出そうとしていました。
その瞬間に私が居合わせたのは、奇跡か、あるいは運命か。いえ、むしろ凶運と呼ぶべきかもしれません。
私は、必死に彼を引き留めました。貴方が1人で危険を冒す必要はないと、貴方に倒れてほしくないと、貴方が無事なら他がどうなっても構わないと、我がままを吐き連ねました。
その我がままに、彼はこう返したのです。
―同じ気持ちです、真由美さん。俺は貴女さえ無事なら、他はどうなろうが知った事ではありません。他人への被害も、そして俺の命も。貴女が無事でいてくれさえすれば良い。だから、貴女の無事のため、この有事を看過できない。
そう告げる彼は、月明かりに照らされて浮かび上がったその顔は、どこまでも優し気でした。
でもやはり、その優しさに甘えるべきではなかったと思います。彼の思いなど気にせず、私の想いを通すべきだったと思います。
何せ、そうして夜闇に消えていった彼が、私の下に帰ってくる事はなかったのですから。
次の朝、私は彼が倒れたと聞かされました。外傷がほとんどない状態での昏睡だと、聞かされました。
私は、全ての用事を振り切って、彼の下に向かいます。何かの間違いだと。きっと元気な姿を見せてくれると。
ですが、そんな自分でも信じきれない希望は、静かに眠る彼の姿で崩れ去りました。
それでも私は、彼がすぐにでも目を覚ます事を信じ続けました。もしかしたら、縋り続けた、と言う方が正しいかもしれません。
ただ、その妄信だけは叶いました。
彼を見舞い続けて3日目となる日、彼は起きた姿を私に見せてくれたのです。今にも窓から病院を抜け出そうとしている形で。
私は、呆然としながら、彼に尋ねたのです。何処へ行くつもりなのかと、緩慢に口にしたのです。
―……忌まわしい運命を断ちに。貴女を世界の滅びから救うために。
彼は真摯に、真剣に、そう答えました。
何の答えにもなっていませんでしたが、その答えで私は悟りました。
また、彼が人知れず危険に飛び込んでしまう、と。そうして、帰ってこなくなる、と。
『行かないで!もう何処に行かないでっ、私の傍にいて……っ!世界の滅びなんてどうでも良い!貴方が傍に居てくれさえすれば良い!仮に貴方が世界の滅びから救ってくれたのだとしても、貴方が居ない世界なんて―――!』
思いの全てを吐き出すように、思いの丈を告白するように、私は言葉を紡ごうとしました。
でも、最後まで彼は言わせてくれませんでした。彼は、言葉の途中で、私の唇を塞いだのです。自らの唇で蓋をするように、私から言葉を奪ったのです。
―……帰ってきます、貴女の下へ。そういう運命が、きっと何処かにあるはずですから。
彼はそう、大嘘を吐きました。
(……『大嘘』、とは言い切れないのかしら。確かに、『
彼は何とでも取れるような言い回しをして、窓から飛び立っていったのです。ただ言える事は、前述の通り、彼が
彼は、数年間行方不明となりました。七草家の長女として使える権力を使って、父の協力を得て、それでも彼を見つけられませんでした。
ただ、大亜連国土で新たに生まれたテロ集団『
結局、私が最後に彼の姿を見られたのは、彼の最期の瞬間だけとなります。
それは、『阿頼耶』の首魁が日本に密入国したという情報を手に入れた次の日の事です。
彼は、表向きは環境保護団体である『魔物使い』たちの拠点で、戦闘していました。
恐竜やUMAを模した『魔物』を薙ぎ倒していました。誰かと危険な魔法の撃ち合いをしていました。
私はその戦闘が繰り広げられる場所の近くまで辿り着いていましたが、その場所に乗り込む事はできませんでした。
私が乗り込めたのは、戦闘音が止んでからです。ただ、止んだ瞬間に乗り込みました。彼の姿を探しました。
そうして、彼を見つけ出したのです。複数個所が食いちぎられて、倒れ伏している彼を、私は見つけたのです。
―……ごめんな、さい、真由美、さん。……この世界線、でも、帰れるように、頑張って、は、みたんですけど。……やっぱり、俺には、無理でした。
最期まで己を卑下する彼の姿に、私は涙が堪えられませんでした。
何か、彼を救う方法はないか、彼を私の傍に居続けられるようにする方法はないか、私は考えました。
考え続けたおかげか、その方法がふと、
『
彼の下まで駆けてくる少女が、そう彼へ叫ぶように報告しました。もう気力も体力のないだろうに、彼はその報告に目を剥き、そうしてから私の顔を見て察し、歯を食いしばるのです。
そう。私が『聖女』になったのだと。
私には、『聖女』の記憶が流れ込んでいました。人類が積み上げてきた罪業を、脳に焼き付けられました。
でも、知った事ではありません。人類の罪を知るより、私には重要な事がありました。
彼を『魔物』にするという、重要な事が。
でも、それは叶いませんでした。彼との命の繋がりを探しても、それは何処にもないのです。
『どうして』と、私は声を荒げました。
―ああ、真由美、さん……。ごめん、なさい……。貴女を、巻き込んで、しまって……。貴女を、『聖女』にしてしまって……。貴女の、傍に居る事が、叶わなくて……。
彼の謝罪を、私は聞き入れる事ができませんでした。私は『どうして』と声を絞り出し、彼を問い詰めたのです。
―俺は、アナタたちと、違うんだ……。俺は、この世界の、人間、では、なかったんだ……。
彼の言っている意味が、私には分かりませんでした。いえ、分かりたくありませんでした。彼が世界から与えられた使命を熟したら捨てられる、そんな使い捨ての道具であるなんて、理解したくありませんでした。
でも、彼はどんどん砂と化していきます。
―真由美、さん……。ごめん、なさい……。ごめん、なさい……。どうか……、どうか俺を……、■して―――
彼は大粒の涙を流し、そう言い残しました。
『……『許して』、だったの?……それとも、『愛して』?……でも、ごめんなさい。何にせよ、私にはその望みは叶えられないわ。だって私には、貴方が居ない世界なんて――』
「どうでも良いのだもの」
回想は、これで終わりです。
私は現実に戻り、世界を見下ろします。彼のいない、どうでも良い世界を、私は見下します。
崩れ行く、その世界を。
「ごめんね、十六夜くん。いいえ、名前も知らぬ貴方。私には、貴方を許す事も愛す事もできないわ。だって、その前に憎しみが勝ってしまったのですもの」
私は、彼を使い捨てたこの世界が心底憎くて仕方ありません。
だから、壊す事にしたのです。『聖女』の知識を使って、『鍵』を使って。
おかげで、氾濫する大自然に、突然変異を起こした生物に、地殻変動する大地に、人類は絶賛滅ぼされています。
そんなもうすぐ壊れる人類世界を、私は高いビルの屋上から眺めていました。
「こんな私に、貴方を許す権利も愛す権利もないわ」
不意に、私の視界が滲みます。『聖女』に押しつぶされたはずだった『七草真由美』の善性がまだ残っていたかと私は自嘲しました。
「何にせよ、おさらばよ」
涙を拭い、全てとおさらばします。善性とも、悪性とも、希望とも、絶望とも。
この世界線とも。
氾濫する大自然に負け、私が立っていたビルも崩れます。抗う気は、私にはありません。
私の体は、遥か下にある大地へ向かって落ちていきます。
「ああ、神様……。どうか……、どうか……」
私は、薄く浮かぶ月へ手を伸ばしました。
「次は、どうか……」
この私では届かぬと知って、手を伸ばしました。
だって、なんだかんだ言って私は――
「彼が、幸せでありますように……」
――彼を愛した、1人の少女だったのですから。