大海を割るように、美麗な桜が凛と流れた。
脱兎のごとくにあらずして、牛歩のごとくにもあらず。
覇道を征く覇王のごとくに。
地獄を征く魔王のごとくに。
後藤ひとりは風を切って歩んだ。
左肩にはアロンの杖ならぬ黒のギターケースを。
他の物は不要とばかりに、独り人海を割って往く。
サイズ違いのためにワンピースとも見紛う、XLの無地黒ジップアップパーカーに抜群のスタイルをすっぽり隠しつつ。ギタリストの命たる両手は、死守するようにしてパーカーの前ポケットの奥底へと仕舞い込んで進み続ける。
ときおりに、
鼻元まで埋めたハイネックへ鎮座する据わり目。年中無休の最低8時間オーバーからなるギター練習により、休日を除けば常に寝不足の不機嫌オーラを放つ地獄の
「ひっ!? ご、ごめんなさい! ごめんなさい! 許してください! 殺さないで────」
「あ、は…………────」
「ば、ばか! 行くわよ! この子たちがごめ────」
「は、はは……う、うちのが邪魔してご、ごめんなさい。ゆ、許して、ね? なんて、はは────」
誰も、何人も、後藤ひとりと言葉は交わせなかった。
意を決して踏み出した勇敢なる者も、命を捨てる覚悟で言葉を発した者も等しく平等に。乾き冷え切り凍えた碧眼と視線を絡めれば、
人海を織り成す人々は、従順に彼女へ道を譲る外ない。
譲って、去り行く小さなはずの巨大な背中に恐怖した。
時は卯月の初め頃────、
秀華高校部活動勧誘期間中────。
後藤ひとりは知らぬ間に、軽音楽部の勧誘を眼光一蹴。密かに望んでいたバンド結成の機を、自らの目で潰した。
(うううああああ人混み緊張したぁぁぁ……! そういえばあの先輩たちなんだったんだろう……勧誘、とか? なんて、私なんかに来るはず無いよね……うん。それより、高校でも「ごとーの席ねぇからぁー!」を回避すべく頑張ろう。ナメられないように、弱みを見せないように生きるんだ! 大丈夫、中学でも上手くいったし今の私ならイケるはず!)
第二節/それは
偶然であった。
放課後2時間を要する不慣れな帰宅路に、学校近くの楽器店へひとりが足を踏み入れたのは嘘偽りなく
店の看板が視界に入ったからでも、前々から都内の楽器店に興味があったからでも、学校の最寄り駅へと向かう途中に店があったからでも、理由なんてものは何でも構わず。
あえて理由をこじつけるのであれば。
なんとなく、興が乗ったから────。
他者に対しての言い訳などではない。
己の無計画な行動へ対する
常か稀か、人影は少ない。
落ち着いたシックな雰囲気はひとり好みだ。
ジャズ調のBGMが耳心地よく響き渡り、奥からは誰かしらの試奏と思しきギターやピアノの旋律が聴こえていた。
規模もそれなりに大きく、品揃えは一見した限り豊富だ。
エフェクターのショーケースは最新のモデルと旧式を分けて置かれ、店員自作の可愛いポップがやたらと目を引く。
『最新モデル! 生産数限定早い者勝ち! 私が欲しい!』
『プロも絶賛! 店長のオススメ品! 安くして店長!』
『この棚全品新古割引き! お買い得!』
『ワケ有り商品! 値引きは応相談デスヨ!』
『試奏できます! お近くの店員まで!』
普段ネットで買い揃えてしまうひとりは、物珍しいセールスポップの吹き並ぶ光景に据わった瞳を白黒。しばし目につく丸文字を追いかけていると、不意に背後の扉が開いた。
同時に、示し合わせたかのように届く店員陣の常套句。
そこでようやく我に返ったひとりは、自身の立つ場所を『入り口』だと思い出すと一歩横へと退いた。
「ギッタあ~ギッタあ~、これでずっと一緒~! リョウ先輩~リョウ先輩~、リョウ先輩と一ッ緒ォ~! きゃー!」
入店したのは、黄色い奇声を器用に小声で上げる少女。
秀華高校の真新しいセーラー服に身を包み、頻りに「リョウ先輩」なる人物の名に身悶える変わった人物であった。
隣で絶対零度さながらの視線を向けるひとりにも気づかず、ご機嫌な即興歌を口遊む赤髪の少女は店の奥へ進んでゆく。
「私はリョウ先輩のギタリスト~! 先輩だけのギタリスト~! 今日から私はリョウ先輩の~娘ぇ~! や~ん!」
「…………────、」
ショーケースの向こう側へ消える小さく愉快な背中。
制服は見たまま。スクールバッグやローファーの状態を鑑みても、少女が同級生である可能性は非常に高く思えた。
同い歳で、同じ学校の、ギタリスト────。
脳裏へ過った『友達』の単語に、ひとりは
一瞬「あの子がいま同級生として声をかけてさえくれれば」とは考えたものの。ひとりを一見して『彼女は秀華高校の生徒だ』と見抜くことは、ほぼ不可能に近い芸当であった。
「…………────、」
自動扉の硝子へ反射する、自身の鏡像をひとりは視た。
上着は黒無地の、ハイネックのジップアップパーカー。
学校指定のスカートはだぼつくパーカーの裾で完全に隠されており、靴はローファーを嫌い黒のハイカット。
学生を示すスクールバッグは中学時代から持ち歩かず。
代わりに肩へ提げるのは使い古した黒のギターケース。
髪をかけた両耳には多数のシルバーピアスが煌めく。
果たして、秀華高校の学生とはなんぞや────。
どうみてもパンクファッション────。
ひとりは深く思った。
(そもそも私、いま学生にすら見えていないのでは……?)
袖を捲くり上げれば、雪肌の細腕を『桜』『ギター』『音符』をモチーフとしたトライバルタトゥーが彩っていた。
少なくとも、ソレは学生には見えない特徴であろう。
タトゥー文化がマイナーとされる日の本において、十代半ばにして両腕へ黒紋をしっかりと刻み込んだ少女なぞ。
そして「あなたが望むなら……」と、
(うん、
鏡代わりにしていた扉硝子を挟んだ通行人の、驚愕の視線がひとりの剥き出された彩腕を撫でてゆく。
それが、それこそが、普通の反応であった。
女子高校生にはほど遠く、一般人からも乖離した乙女。
(あ、でも私、生まれてこの方ずっと普通じゃなかったや)
自嘲気味に咲って。
だぼつくパーカの袖へそそくさと手を包む少女は。
後藤ひとり────、
十五歳────、
桜の吹雪く穏やかな午後────。
ようやく今日この日、己自身を客観的に把握した。
把握して、ひとりに思うことは────特にない。
友達を欲しいとは思いつつも、裏切られる『可能性の未来』を恐れているがゆえに、自分からの行動が選択肢にはなく。
客観視できたからこそ、自身の未来に友達像が見えず。
(まぁいいや。最初から孤独は覚悟の上だしビバヒトリ!)
赤髪眩しい少女の存在は、儚き夢と消えてゆく。
気分を改に、ひとりは店内の物色を始めた。
最新のエフェクターにギター。
張替え用の弦や気分転換用のピック。
メンテナンスの道具に調律用のチューナー。
最後にアンプなどの大型機材類をチェックしてゆく。
時間にすれば三十分前後。久方ぶりにギター演奏以外で充実感を堪能したひとりは、惜しみつつも会計へ足を運んだ。
結果。笑顔の女性店員による一言で、ひとりの口座からは諭吉が数人失踪することが決定された。
(今月は使いすぎたかな……?
店員へ支払い用のカードを渡す傍らに、ひとりは袖の内へ隠した指先で折々今月分の支払額を確認してゆく。
老後は安泰だ。
「ではこちらでお会計をお願いします。終わりましたらあちらの方で、最後に調整を行ないますのでお越しくださいね」
「はい! わかりました!」
不意に、ひとりの背後で交わされた二人分の会話。
一人は店員の慣れた定例句で、もう一人は。
「お待たせいたしました~。こちらカードとご利用明細、領収書になります。保証書は袋の方へ入れてありますので」
「…………────、はい」
無事にギターを決めたらしい背後の会話で、ひとりの身が幽かに疼く。一ギタリストとして。他人とは言えども何を使うのかが気になるのは、もはや性とも言えるであろう。
ちょうど、ひとりの会計は終わった。
後ろには未だ、少女と店員の気配がある。
振り向きざまに、さり気なく観ることは可能だ。
「ありがとうございました~。またのお越しをお待ちしておりま~す!」
「…………────、」
「お次の方どうぞ~!」
「っはーい!」
元気溌剌な声を耳に、一歩。
ひとりは踵を返す。
後ろにいたのは案の定、赤髪の少女だ。
彼女はひとりの左手側を軽快に、楽しげにすれ違う。
真横を過った赤い少女からの、一瞬の横目を感じつつ。
ひとりは据わった瞳をミリ単位で動かすと、背後にいた店員の手に有る楽器を認めた。
黒塗りの、杢目の際立つ魅惑的なボディ。
その中に残された材質本来の色が魅せるコントラスト。
クールに。
鮮烈に。
目にした者へ刻み込まれる、それは────。
「…………────、…………あ? ○banezの……6弦、多弦ベース? は? ギターは…………?」
『え……?』
予想外の光景を前にして、思わず零れたひとりの素頓狂な疑問句。彼女自身をして驚くべき大きさで放たれた言葉は、当然のごとくに居合わせた全員の耳へと届いていた。
「あ、…………────、ん(やっちゃったああああ!?)」
元よりハイネックに隠れていた口元を、慌てて袖越しに抑えようとも後の祭りである。
立ち止まり、棒立つひとりに六眸が向く。
沈黙の中、店内のBGMがヤケに大きく響き続けた。
「…………────、ちっ(違うんですごめんなさい!)」
「へ!? え、いや、あの、ベースって? ちょっ」
会話を苦手とする孤独少女に、言い繕えるはずもなく。
背後の少女からの制止を無視して。
颯爽と、風を切ってひとりは店を後にした。
第三節/分水嶺
偶然であった。
貴重な放課後の時間を。
入学早々にできた友達からの誘いを少女が断り、学校からほど近い楽器店へ訪れたのは嘘偽りなく
本来であれば下北沢の、意中の山田リョウが利用する楽器店へ赴いて購入するつもりでいたバンドのためのギター。
次の休みにでも買いに行こうとしていたその予定を、少女が急遽変更したのは魅入られてしまったからであろう。
桜のように人目を惹いて止まない美しき髪に。
刀のように
噂は少女も知っていた。
『入試会場にとんでもなく怖い、でも凄く綺麗な子がいた』
『ピアスだらけの、目だけで人を殺せそうな美少女だった』
『まるで真冬に狂い咲く、季節外れの桜のような人だった』
同じ中学出身で、目にした全員がしていた噂。
同性ですら黄色い悲鳴を上げるほどの、瞬く間に広がり入学時点で全校生徒が認知していたほどの噂だ。
そこまで言われて、気にならないはずもなく。
そうして────。
噂の『目だけで人を殺せそうな美少女』は、一睨みで上級生たちを半泣きにしてしまえる程度には。
「かっこ、いい…………!」
立ち居振る舞いが様になっていた。
どうしてバッグを持っていないのか────。
制服の片鱗がどこにも窺えないんだけど────。
耳の頭に少し見えるピアスがえげつない────。
噂通りの、目を惹く容姿をした美少女を遠目に。
少女の脳裏へ思い浮かぶ初見の感想は数あれど。
彼女は端的に。
「はぁ、…………すてき」
人垣を割って進む圧倒的存在感を放つ桜色の美少女の、ギターを背負って突き進む姿に惚れ込んでしまったのだ。
気づけば、少女は最寄りの楽器店へ足を運んでいた。
本命である山田リョウと、あわよくば件の美少女────後藤ひとりと一日でも早く親しくなるために。
ゆえに────。
後藤ひとりの後ろ姿を見つけて、少女は心臓を跳ねた。
店員の手前、緊張に強張る身体を必死で動かす。
声が震えないように、細心の注意を払った。
桜髪の真後ろへ立てば、少女の緊張はピークへ。
店員の言葉は右から左へ抜けてゆく。
身長は同じくらい────。
香水つけてるんだ────。
このパーカーブランド品かな───。
ギターケース同じのがよかった────。
これスカートはいてるのかな、見えないや────。
少女の頭の中を様々な思いが駆け抜けていった。
変に思われていませんように────。
少女はいつも通りの自分を装うのに必死であった。
「お次の方どうぞ~!」
カウンター越しの呼びかけに、少女は笑顔で応えた。
いつも通りだ。
そのはずだと、少女は自身へ言い聞かせた。
そうして、すれ違いざまに。
無意識に少女の目が、後藤ひとりの顔ばせを追う。
下半分を隠された、白雪の美貌に偽りはなく。
据わった碧眼は、どこまでも透き通っていた。
吸い込まれてしまいそう────。
靡く桜の髪に、後ろ髪を引かれつつ。
絶対に学校で声をかけようと。
少女が決意を胸にした瞬間であった。
「あぁ? ○banezの……6弦、多弦ベース? はぁ? ギターは?」
凛と涼し気な、それでいて威圧的な女声が響いた。
振り返れば、少女の視界には立ち止まる桜髪の後ろ姿。
『え……?』
カウンター越しの女性店員の声が。
後藤ひとりの前に立つ女性店員の声が。
理解の及ばなかった少女の声が────重なった。
「あ? …………ん?」
後藤ひとりは○banezの多弦ベースと口にした。
少女の視点で見た限りは、彼女自身が時間をかけて厳選したギターを見て、そう言ったのだ。
多弦ベースなる物を、少女は知らない。
ただ、ベース────それは知っていた。
憧れの山田リョウの愛用する楽器だ。
ギターは弦が6本。
ベースは弦が4本。
ならば多弦ベースは、
少女の中で、何かが繋がった。
「……チッ」
「へ!? え、いや、あの、ベースって? ちょっ」
舌打ち一つ。
後藤ひとりは最後まで少女へ振り返ることなく。
言うだけ言って、颯爽と店を後にした。
「か、か、カッコいいー! きゃー!」
「あの~お客様~? こちらの商品は~」
「ギター下さいっ!」
終わり
あなたは「ぼっち・ざ・ろっく!」の……
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原作、アニメ共に把握。
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二次小説のみ把握。
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当作品のみ把握。