BOCCHI THE ROCK!   作:豊饒 ゆう

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第三章 人為淘汰-Disaster of the Melody-

 早苗の月を間近に望む、放課後の黄昏に染まる音楽室。

 窓の向こうで響く運動部の喧騒を意識の外へやり、郁代は必死に目の前の少女が描く水面(みなも)の軌跡を追い続けていた。

 桜の少女が初めて鉄面皮をほころばせ、おそらくは自慢気に、何よりも愛おしそうに、一言「ブラック・ビューティー」と紹介した水面(ギター)で描かれてゆく軌跡を我武者羅に、追う。

 それそのものが意思を持つようにして動く少女の白魚の指先は、比喩を体現するかのごとく漆黒の水面(フィンガーボード)を自在に泳ぐ。

 時に激しく、獲物を狩り殺す獰猛な鮫のように。

 時に優しく、母なる海を舞い浮く水母のように。

 時に奇抜に、境界を越えて空ゆく飛魚のように。

 泳ぎ────。

 舞い────。

 飛び────。

 着水────。

 気づけば美麗な白魚はふた度、塗り潰された夜闇のごとき水面(ネック)を優雅に気ままに奔放に。

 目にした者の心を魅了しながら美しく泳ぎ始めるのだ。

 まるで、拙く追いすがる稚魚を振り払うかのようにして。

 それは暗に邪魔だと、そう物語っているようにも思えた。

 少なくともいまの郁代には、そうとしか思えない。

 唇を噛みしめて、痛む指先を酷使して、白魚だけを見つめて追い続ける彼女には、それしか思い浮かばないのだ。

 

「────────、──────────」

「……っ! …………ッ! ………………~ッ!」

 

 目と鼻の先で実演される少女の完璧な手本を前に、ギター歴三週間(、、、)の素人が見たままに指を真似ることなどできず。

 ついには止まってしまった郁代のことなどお構いなく、楽しげにハミングを交じえて少女は旋律を奏で続けた。

 かき鳴らすのは元々が歌詞の付いた楽曲であり、タイミングからして歌詞を乗せていることは容易に想像がつく。

 それは本来であれば、否。

 本番(、、)では、郁代のやるべきことであった。

 赤い前髪で隠した少女の瞳に、涙が満ちてゆく。

 悔しくて堪らずに、郁代は嗚咽を噛み殺していた。

 彼女は許せなかったのだ。

 軽々しく「ギターできます!」と嘘を吐き、憧れへ近づくためだけにバンドへ加入した己の愚かさが許せなかった。

 ギターは「弦をジャカジャカやるだけだから簡単」などと考えていた、過去の自分の浅はかさが許せなかった。

 何よりも、自身の行動や発言のすべてが────。

 目の前で真摯にギターへと打ち込む、『ギターが好きで堪らない』と全身で訴えかけてくる少女に対しての、あってはならぬ侮辱としか思えずに許せなくなっていた。

 

「────────、弾く」

「………………、え……?」

「────、────手、止めるな」

 

 歪みなく、綺麗に通るハミングの最中。

 陰鬱に沈みゆく心で「捨て置かれて当然だ」と思った矢先に、端的で冷たい少女の言葉が郁代の意識を拾い上げた。

 紡ぎ続ける弦の旋律には幽かな狂い一つみせぬまま。

 優雅に泳ぐ自身の白魚(ゆび)へ一切の視線を向けることなく。

 俯いていた郁代がゆっくりと顔を上げれば、据わり込む凪いだ海のような碧眼と視線が絡み合う。

 少女は静かに、ただ静かに、郁代だけを視据えて、漆黒の旋律をかき鳴らし続けていた────。

 

「あ」

「────、弾け。喜多。何度でもみせる。何度でも」

「っヴン! ありがどうびどりざん! わだじがんばる!」

 

 喜多郁代が後藤ひとりに教えを請い二週間(、、、)────。

 秀華高校の軽音楽部が「場所、機材、貸せ」と現れた、後藤ひとりに怯えて音楽室を明け渡してから二週間────。

 口ならぬ目と指だけで語る、後藤ひとり式の教えは続く。

 残された時間は、少なかった────。

 

 

第四節/そして

 

 

 ひとりは嬉しくて、嬉しくて、堪らなかった。

 楽器店で出会った赤髪の少女に、喜多郁代に翌日の放課後「友達になって下さい!」と言われて嬉しかったのだ。

 ギターが無事に買えたと感謝されて嬉しかった。

 ギターのアドバイスを求められて嬉しかった。

 自前の(、、、)ブラック・ビューティーを褒められて嬉しかった。

 手本(、、)を見せて欲しいとせがまれて嬉しかった。

 演奏準備にタトゥーを刻む腕を出せば、鼻息荒く興奮しつつ「カッコいい!」と絶賛してくれて嬉しかった。

 勢いのままに腕を組まれて嬉しかった。

 人生初のツーショット写真を撮れて嬉しかった。

 アドレス帳とロインの一覧へ、家族と仕事関係者(、、、、、)以外の名前が登録されて嬉しかった。

 家族以外は口にしない名前を呼んでくれて嬉しかった。

 たった一週間の間に、数え切れないほどの初めてを経験させてくれた郁代の存在が嬉しかった。

 嬉しくて、嬉しくて、ひとりは堪らなかった。

 結局のところ、ひとりも孤独(ひとり)は寂しかったのだ。

 生涯を『一人孤独』の覚悟はあれど、手にできるのであれば、可能であるのならば、心の奥に『友達』を望んでいた。

 

 ゆえに、それはひとりにとって当然の帰結だ。

 結末を知りながらも、すぐに断る勇気は出なかった。

 真実を伝える機会は十分あったにもかかわらず。

 目先の、そして目の前の、初めての友達を失う『可能性の未来』に怯えて、僅かに先延ばしにしてしまったのだ。

 ギター初心者の郁代が(、、、、、、、、、、)約三週間後に箱ライブへ立つ(、、、、、、、、、、、、、)

 

『だから私にギターを教えて下さい! ひとりさん!』

 

 それは土台無理な話で(、、、、、、、、、、)、また無理な相談でもあった。

 3つの意味合いで(、、、、、、、、)、これは元より無理な話であったのだ。

 

 中学時代────。

 魔王と呼ばれた後藤ひとりは、未来ある若者のギター生命を、バンドマンの自信を、ことごとく奪い尽くしていた。

 彼女は何かをしたわけではない。

 ただ、弾いた。

 郁代がそうしたように。

 請われて、求められて、弾いたのだ。

 初めこそ問題はないように思われた。

 軽音楽部の生徒。個人的にギターを趣味とする生徒。生徒たちの噂を耳に訪ねてきたその兄弟姉妹。音楽を奏でる彼ら彼女らの前で、ひとりは求められるがままに弾いていた。

 ひとりは生粋のギタリストだ。

 己のギターを褒めそやされることや、技術や音色を聴かせることに快感すら覚えてしまう質であった。

 なれば当然、機会があれば魅せつけるために弾く。

 

 見ろ、視ろ、観ろ、私を、私だけを魅ろ────。

 他はいらない、私の音だけを聴いていろ────。

 もう誰も、誰一人、私は絶対に離さない────。

 

 その演奏は、ひとりの音は────魔的であった。

 見た者の心、聴く者の魂を犯す魔性の旋律だ。

 魅入られた者は否応なく求めてしまう悪魔の音色。

 その音に一度でも魅入られてしまえば、音の(ともがら)が一度でも同じステージで旋律を重ねてしまえば、すべてを奪われる。

 気づけばひとりの周囲には、数え切れないファンがいた。

 気づけばひとりの足元には、楽器の残骸が積まれていた。

 

『後藤ひとりの演奏を聴くのは良い。尊敬するのも良い。だが、絶対に一緒に演奏してはいけない。自信(おと)を奪われる』

 

 ひとりの耳にそんな噂が入った頃。

 すでに、彼女の周りから音の(ともがら)は消えていた。

 加減すれば良いとは、ひとりも少なからず思う。

 しかしひとりは己の音に、ギターに究極の自負を持つ。

 ギターだけは絶対に、死んでも誰にも負けないという自負。何があろうと譲らない、譲ることのできない一線なのだ。

 たとえ、誰を潰す結果になろうとも。

 

 それは、つまり────。

 魔王と呼ばれ尊敬と畏怖の念を一身に集め続けた少女には、土台無理な話であったのだ。

 喜多郁代(ともだち)にギターを教えれば、喜多郁代(ともだち)は潰れてしまう。

 喜多郁代(ともだち)が人生初ライブという大舞台を前にして、ただ唯一の頼りとした後藤ひとり(ともだち)がその信頼を裏切れば、どうなるかなど考えるまでもなく終わってしまう。

 つまり、これは、最初から、土台無理な話であったのだ。

 

さよなら私のお友達…………、

あなたのことは一生忘れません────。

 

 友達とギター。

 選び取るのは一つ。

 そこに選択肢はなく。そもそもひとりには、目の前の友達である郁代へ「否」を口にする勇気もない。

 つまりは友達となった郁代に「ギターのお願い」をされた時点で、結末は決まっていたのであろう。

 ひとりは、郁代へギターを教えることを了承した。

 そこにある、僅かな可能性に懸けて。

 ほんの僅かな、いつからかひとりが抱くようになった、「私と演奏できる本物の音の輩(ともだち)」であることを半ば諦めつつも祈りつつ。その日、郁代に本気の音色を叩きつけた。

 そして────。

 

 ひとりはようやく、本物の友達を見つけたのだ────。

 

 魔王の奏でる魔的な音色に魅入られながらも、喜多郁代は自らの自信(おと)を失うことはなかった。

 初心者で無知だからとは、ひとりには思えない。

 かつて、彼女が潰した中には初心者も多くいた。

 むしろ初心者だからこそ、魔王の超越的な技巧を前に「こんなの練習したってできっこない」と早々に消え逝くのだ。

 しかし、郁代は違った。

 彼女は消えるどころか、演奏後に言ったのだ。

 

『ねえ、ひとりさん。私が上手くなったらでいいの。だからいつか、いつか私と一緒のステージで演奏(、、、、、、、、、、、、)してくれる?』

『……………………────────絶対』

 

 ゆえに魔王、後藤ひとりは────。

 喜多郁代を、全力で育てること(、、、、、、、、)を心に誓った────。

 

(でもどうしよう……、三週間で箱とか絶対無理だよぉぉぉぉ……あ、最悪喜多さんはヴォーカルのみで私がギターに入ればいいんだ。友達のためだもんしょうがないよね。バンドメンバーがあれだけど友達のためだもん。うん、仕方ない。でもそれはそれとして喜多さんのレッスンどうしようかな……一応三週間で叩き込めるだけ叩き────)

 

 

終わり/おまけ

 

 

 赤と桜の髪を流す、道行く通行人の目を惹く女子二人組。

 前者は秀華高校の制服を。

 後者はサイズ違いの黒色パーカーに全身を包んでいた。

 どちらも背中にはギターケースを背負い、下北沢の街に溶け込んでいるように思えて、その実溶け込んでいない。

 まるで彼女らの歩く場所だけが、浮いていた。

 漫画であれば、彼女たちだけ絵柄が違う。

 それほどまでに、二人の容姿は優れていた。

 

「ここよ!」

 

 大股一歩。秀華高校の制服を着た少女が、スカートを遠心力に広げつつ振り返って言った。

 

「…………────STARRY」

 

 呟くように返したのは、黒色パーカーの少女だ。

 パーカーのハイネック部に乗せる、据わった瞳を向けるのは雑居ビルらしき外観をした建物の地下階段であった。

 

「もう中で先輩方が待ってるの! 今日のライブよろしくね! ひとりさん!」

「……ん」

あなたは「ぼっち・ざ・ろっく!」の……

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