RONとの激しい戦いを生き延びた少女クロエは、共に戦った青年イフに会うため、親友のフィルと共にふたたびネクサスを訪れる。クロエの手には贈り物が携えてあった――
(この短編は過去作「ネクサス アンコール」のネタバレを含んでいます)
おみやげ・記念品・思い出
空はとても澄んでいて、そのせいで頬が痛むくらいの寒さにつつまれている。あれだけきれいに太陽が出ているのに、風が吹いているせいで暖かさはかけらもない。黒いコートの内側にカイロなんかを仕込まないとダメかもしれない。
「さむいねクロ。近くの建物にはいろうか?」
隣を歩くクリーム色のコートを着たフィル・メーベルの提案に、クロエ・ブルームは頷く。このまま目的の場所までいってもいいが、すこし休んでもいいかもしれない。大切な荷物をいれた鞄も少し負担になっていた。
やや崩れた外観の城を見上げ、開かれている出入り口の門をくぐる。
巨大遊園地「ネクサス」のランドマーク、セントラル城。修復途中のそれはいくつかの工事足場に囲まれていて、いまでも修復作業が行われている。RONにつけられた爪痕を癒すにはまだ時間が足りない。
セントラルの中は以前来たときと比べると印象がガラリと変わっていた。十何階まで見上げられる巨大な吹き抜けのホールに立つと、清掃が行き届いていないのか、ほこりが目立つところもある。
いや、そういった次元の話ではない。あたりにはなんらかの破片が飛び散ったままだし、照明が一階部分しかまともに照らせていない。まるで閉園してしまって明日への準備をするお店のような印象だ。
だからここだけ写真に撮って誰かに見せれば夜中の光景だと勘違いするかもしれない。間違いなく、客を迎え入れて楽しませる場所の雰囲気ではない。
そもそもネクサスは閉園している。だから客の姿も形も影も、どこを眺めても見つからない。
何千人もの客を迎えてもまだ余裕があったはずのホールは、いまはクロエとフィルのふたりしかいない。暖房だって最小限につけられていて、ふたりが吐く息は少し白くなってしまっている。
「中も寒いけど、外よりは全然いいね。あそこのベンチでちょっと休憩しようか」
フィルの提案にうなずいて彼が指さすほうに駆け足。ベンチの並びはどこか乱暴で、誰かが争いあった巻き添えをくったのを放置されたような、そんな印象だった。
近くには雑誌入れがあって、テレビも置いてある。テレビの電源はつけられていないが、試しに電源ボタンを押してみると画面が光った。チャンネルだって変えられるし、平日だからかどこもニュース番組を放送している。
〈RONによるネクサスの襲撃から、今日でちょうど一週間が経ちました。現在の映像はヘリによる三日前のネクサスの映像です。まだ多くの施設が大きく破損し、その修復に時間がかかることがうかがえます〉
〈特に悲惨だったのはティーン向けライドを多く用意していた『西の島』です。地下に用意されていた演出用の機材が暴走し、あちこちで爆発や暴風が発生したとのことでした〉
〈現地のアナウンサーに中継をつなぎましょう。ミナさん! ミナさん、聞こえていますか?〉
映像はネクサスの正門と、その前に立つ灰色のコートの女性に変わった。女性はマイクを持ち、映像には字幕で「ミナ・シスイ」と紹介されている。
〈はい。こちら現地の様子です。現在は閉園中となっており、取材も拒否されています。かつての賑わいはまるで嘘だったかのようです。あたりにがれきがまだあちこち落ちていて、遊園地ではなくもはや廃墟のような…しかしネクサスのスタッフは現在でも復旧作業に携わっています〉
〈はい〉
〈特にランドマークのセントラル城の外観を優先して修復しているようです。他は危険があるためか、外部の修理業者なども立ち入れないようです。現場からは以上です〉
ニュース番組の映像はスタジオを映しなおし、コメンテーターやらタレントやらがネクサスを襲ったあの事件のことを口々に語っていく。
彼らの口から語られるのは表向きのネクサス襲撃事件の話だった。誰もがあの日に起きた真実を知らない。いや、知られていても大いに困るのだが。そして困るのは大勢の一般人だ。
クロエはほっとしたように息をつき、そして隣のフィルの横顔を見る。彼もテレビのニュース番組に集中しているようで、中性的な容貌は真剣な印象をたたえていた。
「ねえクロ。みんなは真実を知らないで話している。RONは誰もが知らなかった空中戦艦から現れて、人々を傷つけ、殺し、そして反撃にあってほとんど壊滅したって思っている」
「うん」
「これはほとんど事実のことだから、間違ってるとかそういうことが言いたいんじゃないんだ。RONがお客さんの解放をかけた鬼ごっこをさせたことも事実で、僕とクリス義兄さんが協力してRONをやっつけたことも事実になってる」
「そうだね」
「あの人たちも、世間の人たちも、あの時に起きた真実や八百年前の過去を知らない。うん、本当に知らないんだなって思って、安心していたんだ」
フィルの言うとおり、テレビに映るコメンテーターたちは表向きに広められたことをもとに喋っている。カバーストーリーの流布や隠蔽工作はすべてうまくいったことを意味していた。
巨大遊園地「ネクサス」は国際テロ組織「ルールオブネイチャーズ」の襲撃を一週間前に受けたばかりだった。クロエとフィルはその日ネクサスにいて、想像できないほどの困難と苦悩に直面させられた。
ルールオブネイチャーズ、RONと呼ばれる彼らのリーダーはネクサスを襲撃し、フィルとは離れ離れになり、そうしてクロエはRONが催す悪趣味なゲームに巻き込まれてしまった。
鬼ごっこだ。クロエともう一人を逃げ子に指定し、生死を問わず捕まえることが出来れば来園客を解放するというものだった。
どう聞いても嘘でしかないそのゲームは客の不安と希望をあおり、クロエは協力者とともに逃げのび、そして…他人には絶対知られてはいけない、世界の真実を知り、それらを力にしてRONと戦った。
真実を知るものはクロエとフィル、そしてふたりと共に戦った仲間たちくらいしかいない。彼らは決して真実を口外しないことを約束し、それぞれの日常へと戻っていった。
クロエがここにいるのも、フィルが共にいるのも、ふたりの日常の延長線上だった。今日はスーベニール祭だ。ネクサスには共に戦った仲間のひとりがいる。だからクロエはフィルについていったのだった。
「そういえばガーデナーはついていないのね。誰も都合がつかなかったのかな」
「いや、いるよ」
「どこ?」
「見えないだけでいるんだ。試作の光学迷彩の試験も兼ねているんだよ」
光学迷彩。だから自分たちの護衛の姿は見えないのだ。納得したクロエはうなずいて、あたりをぐるりと見まわしてみる。やはり、どこにも誰もいない。
「簡単には見つからないと思うよ」
「うーん…誰がついてるか知ってる?」
「ルピナスが来てくれているって聞いたけど。でも、めったなことがないと姿を見せないとは思うよ」
「そっか。ありがとねルピナス」
返事はない。だが近くにいるなら聞こえてはいるはずだった。足音がかつかつと響いて、しかしそれはルピナスのものではないとクロエは直感した。光学迷彩のテストをしているのに足音なんてわざと立てるわけがない。
「お待たせしましたフィルさん、そしてクロエさん。ネクサスの英雄! 今日はこちらに来ていただいてありがとうございます」
男の大声だった。乱暴な調子ではなく紳士然とした、陽気さも感じ取れる声がするほうにクロエは視線を向ける。黒に金の刺繍がはいった派手なスーツを着た男が歩いて向かってきている。
「クロ、彼がミュゼオさんだよ。ネクサスの園長さん」
フィルの言葉に頷き、クロエは近づいてくる黒スーツの男、ミュゼオに会釈する。
彼の顔立ちはテレビで見たことがあった。陽気な男性といった印象で、ふわふわなセミロングの茶髪が記憶に残っている。テレビ番組では出演者からミュー園長なんて呼ばれて親しまれていたはずだ。
「はじめまして。わたしはミュゼオ・ホームズと申します。この遊園地、ネクサスの園長を務めています。今回はフィルさんと先の事件のことについて報告や相談をすることになっていましたが…クロエさんもいらっしゃったのですね」
「はい。でも彼女は今回の会議には参加する予定ではないんです。別の用事があって、途中まで一緒に」
「なるほどそうだったのですね。別件となると、イフさんに会いにいくのですかな」
ええそうです。クロエはミュゼオの目を見てはっきりと口にした。ミュゼオはネクサスの園長として、あの真実を知る者のひとりだ。
だからイフのことも、そして自分のことも、知識としては知っているはずだ。それでもミュゼオの顔色に怯えや不安はうかがえない。クロエは自分が笑みを浮かべられていることに気がついて、それからゆっくり頷いた。
「イフさんから聞いていますよ。クロエさんはとてもいい人で、これまでずっと助けられてきたと」
「そんな、おおげさな…ありがとうございます」
「助けられたのは私たちのほうでございますのに。命がけで奴らと戦い、そして勝ってくれた。だからネクサスはまだここにある。私たちも全力で立て直そうと頑張れている。これが出来ているのは、クロエさんがたのおかげなのです」
ミュゼオは深く頭をさげる。驚いてクロエは少し跳んでしまったが、すぐにおじぎをした。
「頭をあげてください園長。事後処理をうまくやってくれた園長も、従ってくれたスタッフも、同じくらい感謝されるべきです。でしょう?」
「私たちはやって当然のことをしたまでです。それで…フィルさん、会議室まで案内しましょう。クロエさんもどうですか?」
クロエは首を横に振った。ふたりの話には興味があるが、自分の用事はそれを聞くことではない。それに自分がいればなにかしらの邪魔になってしまいそうだった。
「私はイフさんのところに行ってきます。フィー、あとでイフさんの家で合流するでしょ。場所は覚えてる?」
「もちろん。それに忘れたとしてもパンフにメモしてきた。こっちは大丈夫だよ。またあとでね」
フィルの笑顔に見送られながらクロエは立ち上がってお辞儀をしてから離れる。鞄はしっかり持った。忘れ物はない。
イフの家。それはネクサスの従業員が住む「北の島」の北寄りの区画にあったはずだ。
彼の特殊な出自は帰るべき家を喪失させていた。風化して消えてしまった、の方が正しいのかもしれない。
新しく与えられた居場所が彼にとってあたたかなものであればいいのだけど。クロエはそんなことを考えながらセントラル城を北側の出入り口から抜けて、再び頬を刺すような寒さに包まれる。
クロエは頭の中にネクサスの地図を思い出し、大雑把にルートを設定してそのまま北に歩いていく。セントラル城のある半島の北には「北の島」と接続している大きな橋がある。渡ればその先には北の島と、従業員向けに作られた住宅街が広がっている。
腕時計を見れば午後1時になるところだった。この時間ならイフは家にいるはずだ。きっと自分たちの到着を待っているにちがいない。
いや、もしかすると、イフはフィルが来ることを知らないかもしれない。ネクサスに来る前の打ち合わせの電話をした時点では、フィルの都合がつくかが不透明だった。
「だあーっ マジでしんどいな」
「おつかれさま! これどうぞ。そこの自販機で買ってきたの」
進もうとする道の先からそんな声が聞こえて視線を向ける。
犬の特徴――茶色の獣耳と頭髪と尻尾――をもった人間と、猫の特徴――オレンジの猫耳と頭髪と尻尾――をした、白いコートの人物がベンチに座っているのが見えた。アニマの従業員なのだ、とクロエはすぐに理解した。
アニマたちはなにかを楽しそうに話しながら、そんな彼らに暗い緑色の上着を着た普通の人間が近づき、会話に加わっていくのを、クロエは見守りながら歩みをとめない。
フィルやミュゼオのような普通の人類と、動物や植物の要素を持つ「アニマ」と呼ばれる人類。明確な区別がつくふたつの人類は、ベンチで談笑している彼らのように共存して暮らしている。
ベンチで話をしている3人はネクサスの復旧作業に携わっていたらしい。復旧のための資材ならとんでもなく重いものもあるだろう。きっとイフも強靭な体をいかして働いていたに違いない。
「だよな! …って、あんた、なんでここにいるんだ! ここは立ち入り禁止だ」
犬のアニマの男がクロエに気づいて立ち上がり、身振りを交えながら声をはった。
「ここに用があってきたの。イフさんに会おうと思って」
「イフ? なんだってあいつに…いや、あんた、もしかして」
クロエさんでしょう! 猫のアニマの女が嬉しそうに手を合わせて目を合わせようとする。あのクロエか、と他の二人も驚きを隠そうともしない。
知らない人のほうが少ないか。クロエは頷きながら3人の元へと近づく。
「すげえ!本物だ。イフに会いにいくって言ったよな。案内するよさせてくれ」
「おいおい困ってるだろそんなグイグイいったらよ。でもどうやってここに? しばらく閉園しているからネクサスには入れないはずですが」
犬のアニマを抑える緑の上着の男の疑問は当然のことだった。クロエは手短に、園長からの特別措置を受けて地下にある従業員専用駐車場からやってきたのだと答えることにした。
「なるほど、あそこからなら人目につかずに来られますね」
「イフには何の用事があるの? あ、もしかして、スーベニール祭のことで来たの?」
そうなんです。イフを待たせても悪いから失礼します、ごめんね! そんなことをクロエは残し、お辞儀しながらこの場を去っていく。3人の従業員は手を振ってクロエを見送ってくれていた。
クロエとイフはRONが催した、客の解放をかけた命がけの「鬼ごっこ」から生還した人物として広く知られてしまっていた。
逃げ子はたったの2で、追いかけるのは3万以上の来園客。圧倒的な不利をおしつけられたクロエとイフは、しかし協力者の力を借り、最終的にはフィルと彼の義兄のクリスが武装してRONと対決したことでRONの壊滅という結末を迎えたのだった。
しかしそれは表向きに流布されたシナリオ、カバーストーリーだった。あの事件が本当はどういう終わり方をしたのか、具体的にはなにがあったのか、そうした真実は混乱の渦の中に飲み込まれて消え去るべきだ。
しばらく歩くと赤い屋根の家が見えた。雪が積もって赤色はまばらに見えるくらいだが、以前に写真で見たのとそっくりの家だ。間違いない。
クロエは玄関前にあるインターホンのボタンを押して返事を待つ。2階建てのそこまで大きくない家はしっかりしたつくりで外の寒さをしっかりと締め出せているように思えた。
〈もしも――クロエ! 来てくれたんだな〉
「遊びに来たよ、イフさん」
〈来てくれてありがとう。鍵をあけにいく。ちょっと待っててくれ〉
嬉しそうな声が途切れてしばらくするとかちゃりと音がして、すぐにドアが開く。燃えるような赤いオールバックの大男が、黒いセーターとジーンズで笑顔で出迎えてくれた。
「直接会うのは久しぶりだな。さあ、入ってくれ」
おじゃまします。玄関を通り抜けてブーツを脱ぐクロエはダイニングルームに通される。ふわふわしたソファやあたたかな絨毯はきっと一級品のものに違いない。自分が暮らすメーベルの屋敷にあるものと違いがそんなに無いような気がした。
小さい家ながら、一級品の家具が目立っている。それはきっとイフがRONのリーダーを倒したからだ。公にできない真実に少しでも報いようとした結果がこれなのかもしれない。クロエの頭に陽気な園長の顔が浮かんだ。
「いいソファだろう。くつろいでいってくれ」
「うん!」
「いまお茶をだすよ。お湯が沸くまで少し話でもしよう」
「そうだね。ネクサスでの暮らしはもう慣れた?」
「まあな…ここで働くようになってもう一週間が経つ。一応は警備員として。だが警備なんてやってる場合じゃないからな。勤務時間はいつも復旧作業の資材運びばかりやってる」
「イフさんなら楽勝でしょ?」
「楽勝ってことはないが、つらくはないな。でもこいつは隠さないといけない」
笑いながらイフは両手で指パッチン。同時に彼の両手が炎に包まれた。
なにも知らない人は魔法のような光景にきっと驚くだろう。あるいはトリックがあると疑うのかもしれない。そしてクロエは知っている。イフは自分と同じで「魔法が使える」存在なのだ。
「イフさん」
「だいじょうぶだ。人前で魔法は見せてない」
「ほんとうに?」
「やけに疑うな。これを見られたらどうなるかくらいわかっているさ。世界中が混乱するだろうな。そしてきっと、800年前にはあたりまえのように存在した魔法が発掘されて、世界中でふたたび争いがおこる…」
「最悪の場合はそうなってしまう。でも、大昔に忘れ去れた魔法という概念が現代で知られてしまったら、悪い方向に転がってしまうだろうなってやっぱり思っちゃう」
そうだよな。イフは手を振って火を消すとやや沈んだ表情でクロエを見つめた。
彼も自分も、ふつうの人間ではない。だから魔法が使える。魔法というものが世間に知られれば、その後の歴史は醜い色で彩色されてしまうだろう。クロエは目をつむる。それだけは避けなければならない。
あの事件の日、協力者から聞かされた真実の一片。異世界から持ち込まれた魔法という存在が社会に影響を与え、人々の分断を生み、大戦争を巻き起こした。
クロエもイフも、大戦争があった頃の時代を生きていた。記憶はないが、ふたりはお互いに対立する立場にあったリーダー同士だった。
科学は魔法を取り入れて魔科学として過去の時代のインフラや文化を築きあげ、人々の生活になくてはならないものとなっていた。
そんな魔科学は動物や植物の要素を併せもった新人類「アニマ」を生み出し、その発展形として概念に生命を与える「アニマ・ファンタズム」をも発明した。
四大精霊のファンタズム「エレメンタル」も創造され、その中に火の精霊サラマンダーのファンタズムも存在したが、サラマンダーは人類の滅亡を願う人物に利用され、人類に不満を抱くアニマたちのリーダーとなってしまった。
サラマンダーは人類に反旗を翻したが、彼らに立ち向かい平和を目指した組織もあった。その組織のリーダーはシロという少女。彼女は自らを「人類のアニマ」に作り替え、サラマンダーに対して封印魔法を仕掛け、封印維持のためにコールドスリープにはいったのだった。
それから800年。コールドスリープから目覚めたシロは記憶を失い、クロエとして生きている。サラマンダーも記憶を失い、イフとして生きている。かつて対立し、命の奪い合いまでしていたふたりは、こうして平穏に暮らせている。
隠された真実の一片に思いをはせながら、クロエはイフの顔を見上げた。自然にほほえめている。はずだ。
「それよりイフさん。やかん、わいているみたいだよ」
ぴーと蒸気が噴き出る音が聞こえる。そうだな、とイフはキッチンに引っ込むと、しばらくして湯呑をふたつもってテーブルに置いた。
白い湯気を立ちのぼらせて熱いお茶が波うっている。静かに口をつけてみれば、やけどしそうなほどに熱かった。
「だいじょうぶか?」
「うん、へいき。それよりイフさん。今日は渡したいものがあったんだ」
なんだ? 視線を受けながらクロエは鞄から紙袋を取り出してイフに手渡した。
「私が選んでみたんだ。どうかな、気に入ってくれると嬉しいんだけど」
「どれどれなんだ…これはマフラーか? とても肌触りがいいし、軽いし、暖かそうだ。これは高かったろう」
イフは鮮やかな赤のマフラーを手に取って試しに首に巻いていく。嬉しそうなその所作に、クロエはつられて口元をゆるめていた。
「今日はスーベニール祭だからね。ちょっと背伸びしちゃった」
「こんなにいいものをもらえるなんて思ってなかったよ。ありがとう。ところで、その、申し訳ないんだが」
「え?」
「スーベニール祭? って、なんだ?」
「知らないの?」
「ああ。そういう文化とか、祝日なのか? そういうのも忘れてしまったらしいな。ネクサスの人たちもみんな復旧作業で忙しくて、ああ、そういう話も聞いてないから、まったくわからなくて」
なるほど。自分と同じでイフも記憶喪失なのだから、きっかけがなければ知りようがない。クロエは簡単に説明してみようと頭を働かせる。
「えっと…親しい人同士がお互いにプレゼントを贈る日、かな。起源とかはわからないけど、昔からこの時期になるとやっていたみたいで」
「この時期? というと、12月25日が?」
「うん」
「なんだって…しまったな。すまない、俺はなんの準備もしていなかったよ。もらってばかりで悪いな」
「気にしないで。ネクサスの復旧作業が落ちついたら、こんどご飯でも食べにいこう」
「ああ、ああ…そうだな。スーベニール祭か。もっと早く知っていればな」
それなら! クロエの声でもイフの声でもなかった。フィルの声が聞こえてクロエは目を丸くしてしまった。
「フィー? もう会議は終わったの?」
「思っていたより早くね。これからのカバーストーリーの展開や、情報共有とか、そのあたりの話だけだったから。鍵があいてたから、勝手に入ってきちゃった。お邪魔します、イフさん」
軽くお辞儀をするフィルにぽかんとした表情でイフは視線を向けていた。それならってどういう意味だ? と少し間があいてから、イフはとまどいながら話しかける。
「思い出の一枚をここで撮りましょうよって言いたかったんです。ほら、インスタントカメラ。撮った写真がその場で出てくるんです。すごいでしょこれ」
コートのポケットから小さなカメラを取り出してひらひらさせるのを見て、イフは感心したように頷いていた。いつからそれを持ち歩いていたのかクロエにはわからなかったが、フィルのアイデアは良く思えた。
「じゃあここに集まって。イフさんが真ん中で、クロがそっち。僕がこっちで…いいですか、撮りますよ! はいチーズ!」
自撮りの要領でフィルが腕を伸ばし、フラッシュに目を細めないように気をつけてクロエは笑ってみせた。
シャッター音に続いてビーっと駆動音がして、するとカメラの横から写真が印刷されて出てくる。フィルがイフに手渡すと、イフは苦笑していた。
横から見れば、イフだけがどこかぎこちない笑顔をしていたのがわかった。思わずクロエも笑ってしまう。
「なんだよ、そんなに笑うなって」
「だっておかしくって!」
イフとクロエはお互いの背中を軽く叩いて笑いあった。さっきまでの少し暗い話や印象なんて吹っ飛んでしまって、いい気持ちだった。
「ね? いいアイデアだったでしょ」
「なにがだ。俺だけ変な顔で映ったんだぞ」
「スーベニール祭はお互いにプレゼントを贈るけど、こうしてお互いに良い思い出をわかちあうのもいいんじゃないかなって。どうでした?」
「まあ…そうだな、ありがとう。フィル君」
自然に笑えているイフを見ると嬉しくなってきた。インスタントカメラというアイデアを持ち込んでくれたフィルにも心から感謝して、クロエは声を出して笑った。
今日はとてもいい日だ。クロエとして生きてきてはじめてのスーベニール祭はとても暖かくて、いい思い出になると確信できる。
きっと、これからも、こうして穏やかで楽しい日常が続くだろう。そうなるはずだ。