思い切りがないあの夜に   作:ptagoon

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桃色に変わる薄い日々

 幻想郷には多くの妖怪がいる。鬼のような各々が歴史に残るような強靭な妖怪から、人間より弱い木っ端妖怪まで多種多様だ。が、その中には弱小妖怪であるにもかかわらず、有名で、なおかつ鬼に似ている奴もいる。まあ似ているとはいっても表層だけで、中身も強さも全然違うのだが。何が悲しいのか、彼女の種族には確かに鬼という文字が入っている。

 

「それで、何の用だ天邪鬼」

 

 妖怪の山の中腹。漂う白い雲と霧に覆われた川辺で星熊勇義は笑いながら声を発した。低く、ひりつくような声だが、女性らしい艶やかさも含まれている。

 

 草原の中にぽつんと佇む大岩の上にあぐらを掻き、金色の長い髪を乱雑に搔きむしった彼女は豪快にあっはっは、と笑う。その額には大きな赤い角があった。鬼の象徴だ。天邪鬼にも二本の小さな角があるが、そんなちんけな角とは比較にならないほど大きい。

 

 大きいのは角だけではない。力も態度もすべてが大きい。なぜなら彼女は偉大なる、そして伝説的な種族。「鬼」なのである。しかも、その鬼の中でも最強で傑出している存在。人呼んで鬼の四天王。その一人こそが星熊勇義であった。

 

「下剋上に失敗したお尋ね者のお前がここに来るなんて、どうかしてるとしか思えないけど」

「お尋ね者というが」と返事をしたのは天邪鬼だった。普段は妖怪の山なんて絶対に来ない弱小妖怪だ。生意気で傲慢で貧弱。いつの日か下剋上なんて馬鹿げたことを企み、案の定失敗して指名手配された愚か者だ。

 

「つい最近まで地底に封印されていた嫌われ者には言われたくねえな」

「人聞きが悪いな。そもそも、鬼である私が本気を出せば、地底から脱出することなんて訳ないんだよ。つまり自分の意志で地底にいたんだ。封印ってのはおまけだよ」

「自分の意志? 地上に行きたがってたって聞いたが。じゃあなんで地底にとどまってたんだよ」

「さあな」勇儀は苦笑を浮かべながら首を振る。「私だって分かんないけどよ」

「何だよはっきりしねえな。鬼は馬鹿単純でずばずば言う妖怪だって聞いたぞ」

「その噂を言ったやつを教えろよ。あとで絞めてやる」

「射命丸だ」

「仲間を簡単に売るなよなあ」自分で教えろと言ったくせに、勇儀は眉間に皺を寄せる。「仲間を大切にしないから下剋上も失敗するんだ」

「私に仲間なんかいる訳ねえだろうが」

「おいおい、嘘はよくないぜ」

 

 勇儀の圧力が強まった。それはもちろん比喩的な意味ではあるが、実際の天邪鬼は足を震わせ、その場にへたり込みそうになっている。顔だけは得意げに笑ってはいるが、怯えているは明らかだった。「いいか。鬼は嘘を吐かないし、吐いている奴も許さない。口には気を付けろ。次はないからな」

 

「優しいんだな。てっきり会った瞬間殺されるとでも思ったんだが、失敗しても許されるとは」

「私は無意味に殺しはしないよ。懐が大きいんだ」

「ヤクザみたいなこと言いやがって。それに、意味ならあるだろ」

「なんだ」

「私は指名手配犯だぞ」

 

 鬼人正邪は忌々しそうに、そしてどこか清々しそうに笑う。「幻想郷に真っ向から喧嘩を売った輝針城異変の首謀者だ。殺すに十分な理由じゃねえのかよ」

 

「とはいってもなあ」

 

 勇儀は、はっと鼻で笑う。金色の髪が棚引き、白色の世界によく映えていた。が、彼女が面倒そうに足を地面につけるだけで、轟音が響き、地面が揺れる。妖怪の山全体が恐怖で縮み上がっているのだが、彼女に気づいた様子はなかった。

 

「あれだろ? 一寸法師をだまして、木っ端妖怪を引き連れて幻想郷に喧嘩売っただけだろ? 大したことじゃない。噂の鬼人正邪も思ったより大人しそうだしな。別に、怪しい物も持ってないんだろ?」

「まあな」と天邪鬼は頷いた後で「花火ならあるが」と懐からそこそこの大きさの火薬玉を取り出した。え、と勇儀が声を漏らす。「なんで花火持ってんだよ」

「護身用だ」

「殺意、高すぎるだろ」

 

 見たところ、その花火はただの打ち上げ花火ではなく、攻撃用に調整されているようだった。食らえば、鬼だろうと一溜まりもないだろう。「それ、地雷みたいなもんだろう? どうやって護身するんだ」

 

「そりゃ、地面に埋めるんだろう」

「まあでも、持っているだけなら問題ない。大したことないよ」それでも勇儀はあっけらかんと言った。

「お前の大したことの基準が分からねえよ」

「鬼の四天王である私にタメ口で話すこととかだな」

「大きな懐はどこに行ったんだ」

 

 とにかく、とその場から立ち上がった勇儀は天邪鬼へと近づく。天邪鬼はそれはもう怯えていたが、逃げ去ることはしなかった。普通、彼女のような木っ端妖怪が勇儀を前にしたら、即座に逃げ出すというのに。肝が据わっているようにも見えない天邪鬼が、どうしてここまで彼女に固執するのか。鬼人正邪の名は伊達ではない。そういうことなのか。

 

「なんだよ。聞いてた話と違うじゃねえか。てっきり、お前は弱者を甚振って楽しむような奴だと思っていたが」天邪鬼は軽い口調で言う。「拍子抜けだ」

「酷い言い草だな。弱者を甚振るなんて鬼の誇りに反するだろ。そんな卑怯な真似はしない」

「本当か?」天邪鬼はしつこかった。「もしその弱者が生意気で傲慢なクソガキで、しかも喧嘩をふっかけてきたとしてもか?」

「お前を殺していない時点で、その証明になるだろうが」

「嘘くさいなあ」

 

 鬼は嘘を吐かない。吐けないと言ってもいい。だから、勇儀が弱者を甚振らないというのはこの時点で確定はしていた。そもそも、彼女のことを知っている人からすれば、星熊勇儀が義理に厚く、弱い者いじめを嫌うことは誰もが知っていることであったが、天邪鬼は知らないらしく「食べたりしないか?」としつこく確認していた。

 

「しない。そんなに心配なのか」だったらよ、と勇儀は不本意そうに口を尖らせる。

「約束してやるよ」

「約束?」

「私は絶対に無意味に弱者を攻撃しない。そう約束してやるよ。もし破ったらお前の配下になってやる」

「嬉しくねえなあ」

 

 まあ、鬼は嘘を吐かないのか、とようやく納得した彼女は「なあ鬼。お前に一つ聞きたいことがあるんだが」とまだ自分も質問に答えてもいないのに、彼女は鬼に問いかけた。

 

「なんでお前はこんな所にいるんだよ」

「どういう意味だ」

「鬼の四天王って偉いんだろ? こんな何もねえ草原に一人でいるなんておかしいだろ」

「別におかしくはないが」

 

 勇儀はため息を吐き、こちらを見る。彼女は豪胆で、まさに鬼らしい性格をしているが、だからこそ分かりやすかった。

 

「理由は、そうだな。二つあるよ」

 勇儀はケラケラと楽しそうに笑う。「一つは異変の解決だよ」

「異変?」

「まあ、そんな大それた異変じゃない。最近妖怪の山で不審なことが多く起きてるんだ」

「不審なことねえ」

 

 弱小妖怪である天邪鬼にとっては妖怪の山そのものが不審で怪しく写るのだろう。彼女ははっと乾いた笑い声をあげた。

 

「あれだ。お前、かまいたちって知ってるか?」

「人間の肌を気づかぬ内に浅く切りつける妖怪だっけか」

「あれに近い現象が妖怪の山で多発しているんだ」

 

 はあ、と天邪鬼は気の抜けた声を出す。そんなことか、と安心している様子だった。

 

「だったら、かまいたちを捕まえればいいだろ。というか、捕まえる必要もねえだろうが。幻想郷の日常だ。私なんて毎日怪我だらけだぜ」

「まあ、そうなんだが」と勇儀はどこか面倒そうに自らの長い髪を撫でた。「この前の会議で話題になってな」

「会議って何だよ。偉そうだな」

「守屋神社で会議があったんだよ。私もそこにいたんだが、そこで話題になったんだ。妖怪の山で不自然なことが起きている。気持ち悪いから何とかしようってな」

「ああ」とようやく天邪鬼は合点がいったような顔になった。「射命丸の新聞に書いてあった奴か」

 

 昨日、早苗の企みにより射命丸は守屋神社で盗み聞きをすることは叶わなかった。が、結局は当然のように情報は漏れ、射命丸どころか山中の鴉天狗が会合の内容を記事にしていた。曰く『誰もいないはずなのに後ろから殴られる』であるとか『声をかけられて、水をぶっかけられたと思ったのに犯人がいない』であるとか『気づいていたら地面に頭から埋められていた』であるとか。そういった不可思議なことが妖怪の山で起きているらしい。彼女達の記事はそのような事が書かれていた。

 

「ちなみに犯人はかまいたちではない」勇儀はぽつりと付け加える。

「なんで分かるんだよ」

「私が直接かまいたちに聞いたからだ」

 

 ああ、と天邪鬼は途端に微妙な顔になる。悲しそうな顔にも、嘲るような顔にも見えた。「そいつは可哀想だな」結局天邪鬼は嘲笑することに決めたらしい。

 

「お前と話すなんて拷問と同じじゃねえか」

「酷い言い草だな。光栄だと思えよ」

「お前と会う時にゃ胃痛薬が必須だろうが。何ならお前がもってこいよ。エチケットだ」

「何でだよ」勇儀は鬼らしく豪快に笑う。「鬼が施しをするのは相手を認めた時だけだ」

「認めた相手に胃痛薬を渡す鬼ってのも笑えるな」笑えない、といった癖に彼女は大笑いした。「それと、もう一つ。もう一つここにいた理由はある」

「何だよ」

「友人の気まぐれだよ」

「本当に何だよそれは」

 

 口を三日月のように広げた彼女は「具体的には、お前に会うためだ」と天邪鬼を指差した。

 

「は?」

「射命丸に聞いたんだよ。お前が私を探してるってな。だからここで待ってたんだ」

「あいつ」天邪鬼の顔が苦々しく緩む。「今度会ったら絞めてやる」

「お前には無理だ」あっはっは、と勇儀は豪快に笑う。「まあ。私も天邪鬼に聞きたいことがあったしな」

「嘘の吐き方か?」

「そんなもの聞くはずないだろう」私は鬼だぞ、と勇儀はけらけらと笑う。

「お前、嫌われているんだって?」

 勇儀はまっすぐに訊ねる。そこに悪意や嘲笑はなかった。単純な疑問だ。「聞いたぜ。今幻想郷で一番嫌われている奴はお前だってな」

「鬼も嫌われてるだろうが」

「畏怖されてんだよ」

 

 天邪鬼は怪訝そうに眉を顰めた。おそらく、彼女はここに来るにあたりかなり勇気を振り絞ったに違いない。彼女のような弱小妖怪にとって、鬼とは強大で恐ろしい相手だ。正気であれば、一人で会いに行ったりしない。が、まさか自分自身に用があり、質問をぶつけてくるとは思わなかったのだろう。面白い顔になっている。

 

「で、どうなんだ。みんなに嫌われるというのはやっぱ辛いもんなのか」勇儀はまるで居酒屋での世間話のような、軽い口調で訊ねた。「お前でも大変なのか」

「ああ、辛すぎて毎晩泣いてるぜ」けらけらと軽薄に笑った天邪鬼は「嘘だ」とすぐに否定した。「そんなの、最高に決まってるじゃねえか」

「最高?」

「私は天邪鬼だぞ。誰かに嫌われるために存在してるつっても過言じゃねえからな。むしろ、人に嫌われるために生きてるまである」

「まあ、妖怪は恐れられてなんぼだが」

 

 勇儀はその太い腕を天邪鬼の肩に回した。薄暗い妖怪の山がさらに鬱屈とした雰囲気となる。

 

「お前はそういうタイプじゃないだろう」

「は?」

「いるんだよ。妖怪でも、人間や他の妖怪に嫌われたら割と凹む奴が。お前はどちらかといえば、そういうタイプだ」

「決めつけんなよ」

 

 天邪鬼は首を振る。彼女の肩口まで乱雑に伸びた髪がばさりと揺れる。顔も体も震えていたが、口は動いていた。文字通り口から生まれたのだろう。健気だ。

 

「私は嫌われたいんだよ。誰のためでもねえ。私のために色々やってきたんだ。さも当然にお前のことを知っています、みたいな顔されると腹が立つ。何も知らねえくせによ。勝手に同情して、勝手に憐れんで。そういうのが一番タチが悪い。死ねばいいのに」

 

 普通、鬼にそんなことを言えばただでは済まない。天邪鬼もそれは分かっているのだろう。ひどい汗を搔いている。が、言わずにはいられなかったに違いない。彼女自身の命をかけてでも、彼女は自分の歩んできた道のりを捻じ曲げなかった。こういうのは好まれそうだ。

 

 誰に? 勇儀に。

 

「お前、面白いな」案の定勇儀は天邪鬼に好意の目を向けていた。同時になぜか悲しそうな顔にもなっている。「なら、どうしたらいいんだ」

「どうしたらって何がだよ」

「嫌われ者の友人がいたとするなら、どう接するのがいいんだよ」

「その質問を、友人もいない私にするのが笑える」

 

 天邪鬼はくすりともせずに続けた。「そうだな。まあ、お前みたいなのに絡まれた時点で辟易とするからな。そもそも接するのが間違いなんじゃねえか?」

「それ以外の答えを教えろ」

「贅沢だな。これだから強者は嫌いなんだよ」

 

 天邪鬼はじりじりと体を寄せてくる勇儀から何とか逃れようともがいていた。が、さすがに鬼の手から逃れられるほど彼女の力は強くないようで、観念したのか体をそのまま預けた。「まあ、普通に食い物とか貰ったら嬉しいんじゃねえのか? てことで私にも寄越せ」

「意外と普通なんだな」

「文句あるのか」

「ない。けどなあ」勇儀はどこか遠い目で空を見上げる。地底では見ることができなかった白い雲であるはずなのに、感慨は微塵も見せていない。それどころか、地底にいた時よりもつまらなそうでもあった。「それはもうやったんだよなあ」

「何あげたんだよ」

「団子だよ。そいつ、甘味が大好きだったんだ」

 

 たまたまなのか、それとも常に持ち歩いているのか、勇儀は懐から団子の入った袋を取り出した。一つしか入っていないが、買ったばかりなのか香ばしい匂いが辺りに漂っている。「いつも持ってんのか。大阪のおばちゃんかよ」

 

 言いながら天邪鬼は手を勇儀に向かい突き出した。さも当然のように手を差し出したせいで、勇儀ですら一瞬きょとんとして。

 

「なんだよ、この手は。まさか団子を寄こせってことか?」

「人聞きが悪いな」天邪鬼は心底不本意だと言わんばかりに、眉間に皺を寄せる。「毒見をしてやるって言ってんだよ」

「いらない。毒なんて入っていない」

「分かんねえだろ。万一ってのはある」天邪鬼は頑なだった。そんなに腹が減っているのか、と勇儀は呆れていたが、天邪鬼に気付いた様子はない。「こういうのは私に任せておけって。得意なんだ」

「得意って何がだ」

「人柱になるのが、だよ」天邪鬼は心底得意げだった。「自分の体を犠牲に、安全を確認するんだ。格好いいだろう」

「ただ団子が食いたいだけだろ」

「ゆくゆくはリトマス紙になれるって有名なんだぜ。危険を感知したら赤くなるんだ」

「リトマス紙はそういうものじゃない」

 

 それどころか、よくよく考えなくともリトマス紙に将来なることは不可能だ。私の知識が正しければ、リトマス紙は生物ではない。

 

 勇儀は露骨に肩をすくめていたが、それでも「団子じゃプレゼントにならなかったんだ」とどこか悲痛な声を出した。あれだけ茶化されたというのに怒りもしない。「なんでか分かるか」

「しょぼいからだろ。もっといい物あげろよ」

「いい物ってなんだよ」

 

 そうだなあ、と天邪鬼は間延びした声を出す。何も考えていなかったのだろう。その吊り上がり気味の鋭い目には焦りが浮かんでいた。

 

「蕎麦とかどうだ」

「は? 何言ってんだよ」

「おい、お前蕎麦を馬鹿にしてんのか。いいか。蕎麦は人生なんだ」

「蕎麦を馬鹿にしたんじゃない。お前を馬鹿にしたんだ」

 

 いいか、と天邪鬼は先ほどまでの怯えはどこへやら、途端に強気になり勇儀に向き合った。その時だけ、彼女が本当の鬼になったかのような気さえした。

 

「蕎麦ってのは食うだけで胸が暖かくなるだろうが。私は天邪鬼だから胸なんて暖かくなる必要はねえが、強靭な精神力を持ってない奴らにとったら大きな意味があるんだ。そうだろ? それで、蕎麦を渡す時にこう言ってやるんだよ」

「こうって」

「いつもあなたの傍にいたいってな」

「痛々しいなー」

 

 勇儀は腹を抱え、がははと笑う。「よくもまあ、そんな恥ずかしい事が言えるもんだ。天邪鬼も意外と乙女なんだな」

「私が考えたんじゃねえよ。だがまあ、嫌われてる奴は、そこまで口で言わないと好意を信じられねえんじゃねえの? 知らねえけどよ」

「お前は実際に蕎麦を誰かに渡したことがあるのか。例えば、あの一寸法師とかに」

「なんであいつが出てくるんだよ」

 

 天邪鬼は露骨にむっとする。むっとし、舌打ちをした。「あいつは馬鹿だからな」

「一度神社で会ったことあるが、あの純粋そうな彼女なら何でも喜ぶんじゃないか?」

「いや」と天邪鬼は半笑いで首を振る。「あいつ、意外と変な物ばっか頼むんだってよ」

「へえ。意外だ」

「紅魔館に行ってみたいだとか、有名人に会いたいだとか、無理難題ばっか言ってきやがるらしいんだ。あれだ。一時期姫だなんていわれていたせいで、かぐや姫になったつもりなのかもしれねえな」

 

 一寸法師。少名針妙丸。鬼人正邪に騙され、下剋上に巻き込まれた小人。現在は博麗神社で霊夢と共に寝泊まりしている妖怪だ。その性格はまさに「子供」といった調子で、純粋無垢で幼く元気だ。一緒にいるだけで、世界が明るくなったような気がするほど素直ないいやつだ。

 

「この前だって、紅魔館に行ったら行ったで、鶏ガラに酷い目に遭ったんだ」

「鶏ガラ? 誰だそれ」

「魔女だよ。魔女。うっとうしい紫色のパチュリーだ」

「酷い言い草だ」

 

 あと、あいつがいくら痩せているからといって鶏がらは失礼だ、と似合わないほどまともな指摘をした勇儀に、べえっと舌を出した天邪鬼は「とにかく、あいつもそれなりに我がままなんだよ」と鬱陶しそうに鼻を撫でた。

 

「特にあいつ、最近一寸法師の絵本を読んだらしくてな。いつだって。あ」

 

 天邪鬼は急に口を止めた。首を回し、辺りを窺う。かと思えば、「ちょっと用事ができた」と言い残し、慌ててその場を飛び出していった。川の上流へとすっころびそうになりながら慌てて去っていく。一瞬、というにはもたついていたが、それでも勇儀が止める間もなく天邪鬼は去っていった。何だったんだ、と勇儀が嘆く。結局彼女は何をしに来たのか。最後まで確かめることはできなかった。

 

 南から聞き覚えのある声が聞こえてきたのは、勇儀がその場を去ろうとした時だった。妖怪の山には恐ろしい妖怪がいるはずなのだが、そいつは警戒心を実家に置いてきたのか、平然と歩いている。背丈はあんなに小さいのに、大物のような登場をするのが彼女の。そう。少名針妙丸の凄いところだった。

 

「あ! 本当に鬼がいる!」

 

 針妙丸の無邪気な声を聞き、勇儀は目を丸くし、針妙丸を見た。さすがの彼女も鬼を見るのは初めてのようで、驚きを隠せていない。自分の膝丈ほどしかない彼女は、特注であろう和服を着て、茶碗を頭にかぶっていた。まごうことなき小人の姿だ。

 

「お前、一寸法師か」

「違うよ! 私は針妙丸っていうの!」勇儀を前にしても彼女は怯まなかった。それどころか目を輝かせてもいる。「あなたに会いに来たのさ!」

「私に? 何でだよ」

「博麗神社でね、萃香に聞いたの! 妖怪の山には、一寸法師の絵本に出てくるような強くて格好いい鬼がいるって! 私も小人だからさ。一回会ってみたかったんだ」

 

 勇儀は怪訝な顔をしていたが、すぐに合点がいったのか、にやりと笑った。先ほどまでの天邪鬼との会話を思い出しているのだろう。小人である彼女が、昔からの伝承で描かれている鬼。その代表格である勇儀に興味を持ってもおかしくはない。紅魔館に行きたがるような無鉄砲者なら尚更だ。

 

「お前、たしか博麗の巫女と一緒に住んでるんだよな」勇儀は訊ねる。と、針妙丸は嬉しそうにはにかんだ。「そうだよ!」

「なのに今日は一人なのか。巫女はどうした」

「霊夢には内緒で来たの」にしし、と悪戯っぽい笑みを浮かべ針妙丸は勇儀を見やる。「危ないから嫌だって断られちゃって。だから、目を盗んで一人で来たんだ」

「見た目によらず大胆なんだな」

 

 たしかに、守屋神社ができてから正規ルートを通れば比較的安全に妖怪の山を行き来できる。が、さすがに子供一人では心もとないだろうに。まあ、一番の問題はそこではなく、勇儀そのものだろう。鬼に会えば生きて帰ってこられない。そんな噂が広まっているらしい。強ち間違いでもないのが悲しいところだ。

 

 だが、霊夢の心配は杞憂だった。勇儀が針妙丸をどうこうするつもりはない。が、彼女の判断は懸命だ。こんな子供を最近まで地底に封印されていた暴れん坊に会わせる必要はない。

 

「なあ針妙丸」

 

 自分の恐ろしさを知ってか知らずか、勇儀は妙に楽しそうに言った。「お前、私に会いに行くって話は誰かにしたか?」

「ううん」針妙丸はぶんぶんと首を振る。「誰にも言っていないよ」

「あ、でも」

「どうかしたか?」

「霊夢が誰かに相談してた気がする。夜中、外で話してたのが聞こえただけだけど」

 

 誰だったんだろう、と針妙丸は小首を傾げる。彼女の被った茶碗が大きくずれる。雲が落ち、薄白くなっている妖怪の山の中でも、彼女だけ陽だまりの中にいるような、そんな気さえする。

 

「多分だが」

 

 勇儀はそんな彼女の頭を撫でた。彼女の大きな手は針妙丸の頭よりも大きかったが、力は入っていない。柔らかく、優しい手だった。「そいつ、誰だか私には分かるぞ」

「え、誰」

「さあな」と一度勇儀はらしくもなくとぼけた後で「そいつはゆくゆく、リトマス紙になるらしいぞ」と笑った。

「え?」

「あいつ、本当に素直じゃないな」

 

 私の特技は人柱なんだよ。そう嘯いていた天邪鬼を思い出す。「自分の体を犠牲に、安全を確認するんだ。格好いいだろう」と彼女は笑っていた。もしかして、と思わずにはいられない。天邪鬼は針妙丸が勇儀に会いたがっていることを、霊夢から聞いていたのではないか。あの鬼の四天王の脅威を聞いていた彼女は恐れたのではないか。針妙丸が勇儀に甚振られることを恐れて、事前に勇儀と接触を図ったのではないか。だからあんなにもしつこく、弱者を甚振るかどうか確認していたのではないか。

 

「次そいつに会ったら言っといてくれよ」

 勇儀は面倒そうに、けれども心底楽しそうに言った。

「今度は胃痛薬持ってくるってな」

 

 鬼のお薬便だ、と勇儀は笑う。彼女の笑いが薄白い景色をゆらゆらと揺らす。それでもまだ世界は曇ったままだった。

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