第十五話 彼と彼女の夏
私に、彼氏が出来た。
なんとも不思議な気分。137年も生きて来て、世の中の恋する男女を大勢見て来て、それは自分には縁のない、物語の世界のことのように思とったのに。
まるで小説のような劇的な出会いをして、彼のひたむきで道を外さない、少年らしからぬ正道を行く態度が心に響いた。ほなのにほんのちょっと笑顔を見せたり手をつないだりするだけで、耳までまっかっかになるほど純情な少年。
まるで私のために用意されとったような、私の憧れる『恋心』を自然にくすぐってくれる存在。
でも私は呪われた体、そうでなくてもお婆さんなのだ。もう結婚もして子供も産んで、ひ孫の顔まで見た私なんかより、もっと彼に相応しい女の子がおるんでないか、そんな思いが常に心に引っかかっとった。
それにこの体は時と共に若返る。彼ともいつかはすれ違う時が来る。未来君が20歳になる時、私は小学生まで若返ってしまう。彼が30歳になった時、私は・・・・・・赤ん坊になってしまうのや。このまま彼と恋仲になるなんてどう考えても許される事や無かった。
だから私は話した。私にかつて愛した人が、肌を合わせた
彼は真面目で誠実だ。だから私が他の男と性交したと知ればさぞ軽蔑するやろう。彼の恋心は冷め、私のことなど忘れるやろう、それでええ・・・・・・辛いけど、それでええんよ。
「僕じゃ役不足かもしれないけど、神ノ山さんがいつか、他の誰かを好きになってもいいと思う」
帰ってきた答えはそれやった。
もう耐えられんかった。自分の想いに嘘をつくのも限界やった。
私は彼が好き、大好きや。だから
そして未来君は、こんな私を過去ごと受け入れてくれた。
もういい、もう自分に言い訳をするのは止めよう。例え呪いの事を話したって、彼なら「なら僕が直して見せる!」とか言って、医者を目指すか呪術師になるなんて言い出しかねへん。それはそれで嬉しいけど、そうなったら困る、特に後者は。
ならせめて、今一時だけでも彼と一緒にいよう、同じ時間を過ごそう。いつか別れの時に、その暖かな思い出を抱いて、笑顔で去れる時まで。
「で、コレかぁ」
私は自室で交換日記を抱いてそう呟いた。いい雰囲気になった所で私は彼にキスをせがんだが、その彼はこの本を私に差し出そうとしていた所やった。その時は彼の真面目さを少し恨んだものやったが・・・・・・
今は夏休み、登校する必要はない。でも、交換日記を続けているなら、それを受け渡す為に、想いを伝えるために、とりとめのない日常を語るために、なんと『毎日会える』のだ。
なんてすばらしいアイテムなのやろ、これがあれば毎日がデートなんや!
夏休み最初の日曜日、私は彼を市民プールに誘った。この日の為に気合を入れて選んだ紫のフリル付きビキニは大正解で、未来君はずっと私を直視できない状態で顔を赤らめ、それでもナンパ男が寄り付いてくるたびに私をかばう男らしい姿を見る事が出来た。感激して腕を絡めると、上気した彼の体温を直に感じて、私までくらくらと眩暈がした。ほてった体をプールで冷やし、また彼との触れ合いを楽しんだ。うん、プロポーション良くて助かった、今日だけは若返る呪いに感謝やな。
彼のバイト先の資料館の子供向けイベント日、大勢の子供たちを楽しませるために、私も一日ボランティアで参加した。彼は子供が好きらしく、はしゃぐ子供に大袈裟なリアクションを取って楽しませていて、私も混ざって思いっきり楽しんでしまった。
この日はひとつ、新しく彼の事を知る事が出来た。意外にも動物が苦手なようで、保護者の人たちが抱いている犬や猫にも少し怖そうに距離を置いとった。出会ったときは犬を助けようと道路に飛び出したのに、まさか苦手やったとは。
その日の日記にそれを書くと、翌日にはその答えが記してあった。なんでも幼い時に猫に引っかかれて、そのせいで熱を出して寝込んだ経験があったみたい。こう言う事を知る事が出来るのも交換日記の凄い所やなぁ。
また別の日には、彼の
まぁ、お父さんは到着後「邪魔者は退散するよ」と言ってどこかに行ってしもたんやけど、帰る頃に迎えに来てくれた時はどこかしょんぼりしていた。
後日の日記で、お父さんはボートレースが大好きなんやそうで、あの日も私たちを渦潮観潮船まで運んだ後、速攻で鳴門競艇場に飛んで行ったらしい。結果は不機嫌だったのが何よりの回答やろな、思わす笑ってしまった。
懸賞に当たった、と嘘をついて、日帰りの
旅行先の小豆島は本当にきれいやった、『東洋の地中海』の二つ名の通り、海も山も夏の日差しに輝きを受け、世界そのものが絵画の世界のように美しかった。一緒に
お盆の初め、またお墓参りに行った。かつての夫、晴樹さんの眠るそのお墓に私は報告する、私は今もまだ幸せでよ、と。その時お墓にかすかに晴樹さんの笑顔が浮かんだような気がした。未来君と一緒にお墓を隅々まで清め、お線香とお米を備えた。立ち上る煙がどうか亡き夫に届きますように、とふたりで願った。
そして今日、8月15日。私たちは徳島県最大のイベント『阿波踊り』を見に行くべく、天野家にお邪魔していた。
お母さんが昔使っていた浴衣を貸してくれ、着付けまで手伝ってくれ、また送迎までしてくれるそうでもう本当に至れり尽くせりで感謝しかない。
「ほらほら、男どもは外に出る!」
お母さんが未来君とお父さんを追い出し、用意してくれた浴衣の着付けを始める。鮮やかな赤の下地に水色の花が舞うそれは本当に綺麗で、私じゃ服に負けるかなと思ったが、お母さんは任せて!と笑顔でガッツポーズして、下着姿になった私を鏡の前に立たせた。
「本当に、未来を好きになってくれてありがとうね、登紀さん」
浴衣を肩にかけ、後ろから髪をとかしながらお母さんはしみじみそう言うた。うわぁ、なんか話が濃くなりそう、このまま結婚話まで行ったらどないしょとか思い、少し話題を反らしてみる事にした。
「そういや未来君って動物苦手なんですってね。少し意外に思ったけど、昔ネコに引っかかれて寝込んだって聞いて、無理ないって思いました」
そう言った時、お母さんの手がぴた、と止まった。
「それ、嘘なのよ」
「え?」
「あの子ね、4歳の時に一度、行方不明になったことがあったのよ」
その語りに、私は思わず固まった。
お母さんは話す。その日は託児所の遠足日だったのだが、現地に着いた時、彼の姿は消えていたとそうだ。
「警察には?」
「もちろん飛んで行ったわ。でもその時は警察も人員操作の手が全然足りなくて、取り合ってもらえなくて・・・・・・」
当時は東日本大震災から2年が経った時で、全国の警察があの震災から未だにずっと行方不明者の捜索に駆り出されていたため、別件の行方不明者を追いかける余裕が全く無かったそうだ。
「3か月、ずっと探し回った。でも何の手がかりも無くて、私たちが絶望しかけた時、連絡が入ったの。宮城県の避難施設にそれらしい子供が居る、って」
後でわかった事なのだが、どうやら途中のトイレ休憩の際、彼だけは係員が目を離した隙に違うバスに乗り込んでしまったらしい。それで巡り巡って遠い東北の地まで辿り着いてしまったのだ。
即、飛んで行ったそこに息子は居た。自分たちを見ると、彼は大泣きしながら飛び付いて来て、ひたすらこう繰り返した。
「ごめんなさい、ごめんなさい、いいこにするから、いいこになるから、もうどこにもいかないで、うわあぁぁーん!」
その施設も震災から疲労続きで、ついつい子供にきつく当たっていたのだろう。いい子にしないと迎えが来ないよ!などと言われれば、それがそのまま心にすりい込まれてしまう事もある。
「だから・・・・・・未来君は、あんなに?」
そう、彼の真面目さはちょっと異常だった。まるで子供が親に気に入られるためにするような、頑なに真面目なその態度は恐らく、その時のことを引きずっているのやろうか。
「ええ、あの子が動物を怖がるのもそのせいなの」
お母さん曰く、あの震災の後、周囲では生き延びた飼い犬、飼い猫や、山から下りてくる猪、飼い主を失った家畜の牛などがよく徘徊しており、施設の人たちはそんな動物を見る度、ケガや病気を恐れて神経質に子供を引きはがしたらしい。そんな大人たちの態度が彼に『動物は怖い物』という意識を植え付けてしまったのやろ。
「もうあの子はそれを覚えてないの、だから私たちは『猫に引っかかれて寝込んだ』という事にして、そう教えたのよ」
私はその話を聞いて、心が締め付けられるような思いがした。彼は単なる真面目君や無かった、ほうなる原因が、辛い経験として、心の棘としてずっと突き刺さっとったんや。
動物を怖がる彼を私は、あろうことか『可愛い』などと軽んでしもた、けどそれは両親とははぐれ、不安と焦燥に押しつぶされそうなときに味わった、心の芯まで冷え込むような恐怖やったんや。
「ありがとね。でも泣かないの、浴衣が台無しになるから」
いつの間にか私は泣いていた。自分自身の愚かさが悲しかった。呪いを受けた身だなどと悲劇のヒロインを気取っていた。
でも、過去に呪われているのは、彼も同じやったんや。
「だからすごく嬉しかった、未来を好きになってくれる子が出来たことに」
お母さんはそう言って、私の顔にタオルを当てがった。ああ、そうだ。私は未来君の彼女なんや。彼がもし私の呪いを知ったら、きっとそれを解くために自分の全てをかけるやろ。なら、私も、彼の呪いを癒してあげるべきや。
なにしろ私は人生経験豊富な、大お婆さんなんや。たとえ一緒に居られる時間はわずかでも、彼女として出来る事はきっとあるはず。
まず、最初は。
「どう、かな?」
庭に出て、浴衣を彼にお疲労目する。鮮やかな赤の浴衣にオレンジ色の帯には花と花びらが美しく舞い踊り、長い黒髪は後ろでお団子に纏められ、そこに白金のかんざしが煌めきを称えて輝いている。
「・・・・・・きれい」
彼は私をじっと見つめて、こぼすようにそう言ってくれた。そこにはお世辞の入る余地は全くなく、ただただ心からそう思ってくれたことを受け止める。
よかった。でももっともっと、未来君には喜んで欲しい、私と一緒に楽しい思いをしてほしい。辛い過去なんて笑い飛ばせるほどに。
そして私たちは向かう。徳島夏の最大のイベント、阿波踊りの会場に。