私の度し難い想いとケジメ。

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構成3時間と1日で執筆した勢い作品


すのうどろっぷ

 

 冬が好きだ。  

 雪が降れば、学校は短縮日課になるから。

 冬が好きだ。

 厚底ブーツを履いても周りからは奇怪な目で見られないから。

 冬が好きだ。

 マフラーを巻けば、自分の顔が覆い隠されるから。

 

 冬は好きだ。

 けれど、今この瞬間、この季節が最悪な風景として私の記憶に残り続けると思うと、嫌いにりそうだ。

 

「ごめんね、有咲」

 

 拒絶の言葉は短くてあっという間だった。

 人とは、こんなにも短い時間で絶望できるものなのだろうと、私は知らなかった。

 初めての絶望の痛みに打ちひしがれていて、私は言葉を返すのに時間を食った。必死に脳を回転させて言葉を探しているのに、体感時間はいつも通り。いや、いつもよりも長い気がしてきた。この時間の感触は、数年後に夢で出てきては私を再び絶望に陥れるのだろう。

 

「そっか。そりゃそうだよな」

 

 精一杯の強がりを込めた返事を早口で返した。

 山吹沙綾は頭が良いから、きっと私の強がりなんかお見通しで、私の独りよがりな勘違いをそっと抱き抱えて、優しい笑みを浮かべて宙に舞う埃のように柔らかな言葉を私に与えてくれる。これがクリスマスプレゼントだよとでも言うように。

 そこから先の問答は、正直に言って思い出したくはなかった。ビデオテープの早送りのような音の聞こえないコミカルな動きで脳裏で再生される。

 

 そりゃ女同士だもんな、無理に決まってるよな。

 

 忘れてくれねーか?

 

 みんなには言わないでほしいわ、はずいから!

 

 そうそうこのフレーズ考えたんだけどよくねーか?

 

 今度沙綾のドラムと合わしたいんだ!スタジオにはいつ行く???

 

 こんな面の皮の厚い世迷言をぺちゃくちゃと吹いていた気がする。

 頭の良い沙綾でも、日常に沈んで帰ろうとする私の手を掴むことはできなかったらしい。だって愛想の良いパン屋の娘が相槌は打ってないし、ずっと指の一本も動かさないし、私は道化になっちまうし。

 

 拒絶されたなら、私も拒絶するしかねーよな。

 相槌なんて打ってほしくなかった。相槌を打てば打つほどに、私の心臓に釘が深く深く刺さるのがわかっているから。

 指の一本も動かなさないでほしかった。ただ立ち尽くして、拒絶する私をさらに拒絶で上書きしてほしかったから。

 

 道化になんてなりたくはない。

 私の中の私が叫んだのが聞こえた。拒絶してほしいくせに、抱きしめてほしかった。山吹沙綾ならそうしてくれると傲慢な高を括っていたから。

 痛くて苦しいエンディングの方が、私の想いを間違っていると断罪してくれるから、そっちの方がよかった。なのに、抱擁で、ごめんと連呼するエンディングを望んでしまっている。

 

 でも山吹沙綾は、動かなかった。

 そして相槌よりも先に、「ありがとう」って言いやがった。

 

 有咲の気持ち、嬉しいよ。

 私は有咲のことが大好き。でも有咲が持ってる愛とは、意味が違うみたい。

 でも大好きだよ。

 今までも、これからも。

 拒絶なんて、そんなことしないから。

 

––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––

 

 1枚のハガキの存在に気がついたのは、家のポストから1ヶ月溜まりに溜まったチラシの束を引っこ抜いた時のことだ。ポストカードサイズのハガキがヒラヒラとドクターマーチンのブーツの上に落っこちた。

 雪みてーに落っこちやがる。

 労働明け、コンビニで買ったホットコーヒーの感触がまだ口に残っている。鞄に突っ込んであるポーチから電子タバコを取り出して、スティックを差し込んでからハガキを拾う。

 電気会社か?ガス会社か?水道局か?あー、保険の振り込みか?

 けれど、そこに書いてあったのは、よく見知った、忘却の彼方で微笑む人間の名前だった。

 正確には、名前だけ。

 

 沙綾。

 

 ドクターマーチンのブーツの上に、膝から崩れ落ちた。

 沙綾。沙綾。さあや。

 噛み締めるように心の中で唱える。

 もう顔も思い出せない存在。

 もう声も思い出せない存在。

 もう匂いも思い出せない存在。

 

 そうか、沙綾って名前だったか。

 電子タバコの準備完了の合図で立ち上がる。厨房の壁に立てかけられている折りたたみ式の椅子を広げて、換気扇の電源を付ける。換気扇が回り始めたのを確認して、電子タバコを咥えて水蒸気を吸う。

 

 私たちは11月25日に結婚しました。

 ふたりで新たな道を歩き始めます。

 未熟なふたりでありますが、互いに支え合い、温かい家庭を築いていきたいと思っております。

 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 

 水蒸気を吐き出す。鼻腔には電子タバコ特有の不味い匂いが残っていて、それを逃すように2、3回息を吐く。

 

 みじけー文。

 いや、昔よくわからない告り方をして立ち去った私にわざわざ送ってきてくれるんだ、短かろうが、定型文だろうが、その事実は少し嬉しかった。

 私のこと、覚えてんだ。

 私はおまえのこと忘れてたっていうのに。

 

 10年以上経っても、沙綾は何も変わっていないように見えた。身の色も、見た目も、優しさも。変わったのは苗字の、たった1つだけ。

 そう、たった1つ。

 たった1つだっていうのに。

 

 なんでこんなにも、目が熱いんだろう。

 遠く離れたことなんてとうの昔なのに。その距離にも慣れて、沙綾のことを忘れることができたのに。

 まだ、悲しくて悔しいなんて感情が残っているのか。

 

 ハンガーにかかっていたモッズコートを乱暴に引っ張り出して、潰されたままのドクターマーチンのブーツを靴紐も結ばずに履いて、ハガキとスマホと電子タバコを手に家から飛び出した。

 

「市ヶ谷さん?傘を持ってた方がいいわよ?」

 

 私と同い年の隣人に、がなりの効いた適当な返事を吐き捨てて、階段を一段飛ばしで駆け降りる。

 住所をスマホのマップアプリに打ち込んで、私の位置との距離を確認する。

 電車なら、10分。

 まだ硬いブーツの感触に苛立ちながら、私はひとりで駅まで走り続けた。

 

 走ってる間、まるで過去に戻っているかのように山吹沙綾の表情の色々を思い出した。電車に乗って座席に座れば、窓の向こうには少女のアイツがいて。

 沙綾はいても、山吹沙綾はもういない。

 振り払うようにグチャグチャに絡まったイヤホンをスマホに繋いで、スウィング・アウト・シスターのNow You're Not Hereを聴いてみるけど、却ってありし日の沙綾の笑顔に似合っていて。

 

 いつまで経っても、沙綾は私を離してくれない。

 いつまで経っても、私は沙綾に抵抗をしない。

 

 電車は私を乗せて未来へと進んでいるはずなのに不思議だ、私は過去に戻っている気分になる。見えてくるのは、学生時代によく通い詰めていた大きなデパート。その隣には大きすぎるバスターミナル。子どもの頃、東京タワーだと思っていた真っ赤な20mぐらいの電波塔。丘の上に建つ我が母校。

 なんだ。全然変わってねぇじゃん。

 

 電車に乗る前とは打って変わって、落ち着いた足取りで向かうことができた。花咲川女子学園高校の制服のデザインは相変わらず変わってなくて、違いといえば鞄は指定品から自由になっていたことぐらいか。

 目的地に向かう道中、山吹ベーカリーの前を通りかかった。店はもう閉店していて、仕込みをしているのだろうか、閉められたシャッターの底から光が漏れていた。

 用があるのはここじゃない。

 そんなイキったモノローグを決めてみても、沙綾の家の玄関前に立ったら、頭の中が真っ白になってしまう自分の小心者具合には、苛立ちを通り越してため息を吐いてしまう。

 沙綾の家はアパートの一室で、外観を見る限り、私が住んでいるところよりは新築のアパートなのだろう。塗装が剥がれている様子はないし、ゴミなどが落ちているわけでもない。

 人生の門出としては、素晴らしいステージだな。

 

 帰ろう。この清掃したての、ヤニシミ1つない壁を見ていたら、私の眼球が発火して溶ける。

 インターホンなんて鳴らせない。鳴らす勇気なんてない。

 だって、沙綾はあまりにも高くて眩しい台の上で踊っている。私はといえば、家に帰ってすぐ台所の換気扇の真下で電子タバコを吸うことに最上の幸せを見出している月の影。沙綾の半径5m以内に近づくだけで、塵になって消えてしまいそうになるだろう。

 そうなる前に、帰らなくては。

 玄関扉に背を向けて、階段下に視線を向ける。

 

 彼女の姿を実際に目にするのは、何年振りのことだろうか。

 呆気に取られたように半口開けて私を見つめ返す栗色の髪の女性…沙綾は、戸惑いを隠せてないぎこちのない様子で手を振った。

 私の目を見て。

 手を振った。

 たったそれだけのことなのに、ここまで来た私の行動が救われたかのようだった。まるで、あの頃の朝イチに見るその日初めての山吹沙綾のようで。

 

「有咲…だよね?久しぶりだね」

 

 あの頃より少し声が低くなったようだ。そりゃそうだ、沙綾はもう山吹沙綾ではないんだから。

 

「ああ、うん、久しぶり」

 

 彼女に届いててのかわからない声で、ぶっきらぼうに取り繕った声で返す。私は私のままなのだと、髪を靡かせる冷たい風と共に実感しながら。

 しかし私の声が聞こえていたらしい沙綾は、私の下に歩み寄って、玄関扉に指差す。

 

「とりあえず上がってく?ここじゃ寒いし、久しぶりにゆっくり話したいし」

 

 沙綾らしい、気遣いに満ちた温かい誘いを、しかし私は首を横に振って断った。

 

「いやいいよ。その、旦那さんに迷惑だろ?」

 

 こういう時、「夫婦水入らずの空間に入りたかなんかない」って戯けた様子で答えれるぐらいの小粋さを持っておきたいものだ。

 沙綾は少し考え込むように顎を浮かせると、「ちょっと待ってて」と玄関扉の鍵を開けて家の中に入っていく。

 

「ただいまー」

「おかえりー」

「ごめんね、ちょっとだけ出かけるよ」

「忘れ物?」

「……そうだね、忘れ物かな」

「ん?誰かいるの?お客さん?」

「んー、お客さんといえばお客さんだけど……うん、友達かな」

「へー」

「じゃあごめんね、ちょっと出るね」

「気をつけてね」

「うん、あ、お風呂は温めておいてね」

「はいはーい」

 

 再び玄関扉から出てきた沙綾は、玄関扉の鍵を閉めて、私の手を掴む。冷たくて、大きい手だ。

 

「寒いけど、いい?」

 

 声はさっきよりも、少しだけ、年頃の少女のように高かった。

 

 アパートから徒歩3分ほどのところにある、私は遊んだことのない公園で、2人でブランコに座って、自動販売機で買ったホットコーヒーを飲む。

 

「びっくりしたよ。会うの何年振りになる?大学の卒業式以来?」

 

 私の顔を覗き込もうとする沙綾の顔は、心なしか、山吹沙綾のようだった。

 

「かもなー。全然、連絡しないからな」

「ホントだよー。香澄たちに有咲のこと聞いても、何もわからないからさ」

「仕事で忙しくてな」

「大変なの?もー身体には気をつけなよ?有咲は本当に働き者なんだから」

「そんなことねーって」

 

 つまんねー返答してんな私。

 表情と声は山吹沙綾に近いのに、気遣いがあって、冗談も少し混じった、綺麗で誰からも好かれる面白い言葉を紡いでくれる。

 それに対して、私は溺れて沈んでいくように、つまらない、独りよがりな市ヶ谷有咲のまま。沙綾の隣にいるのが恥ずかしくなってくる。

 

「……結婚、したんだってな」

 

 沙綾は少し照れ臭そうに笑って穏やかに頷いた。

 

「うん、おかげさまで」

「……旦那さんは、いい人?」

「うん。素敵な人だよ。実家の常連さんで、私が開発したパンをいつも最初に買ってくれる人なんだ」

「そりゃ、強烈なファンだな」

 

 ああ確かに、素敵な人だ。

 いい人だなんて曖昧な言葉で捉えるのは大間違いなぐらいの、素敵な人だ。

 

「有咲はどう?出会いとか」

 

 その質問に、あの時の山吹沙綾の姿がフラッシュバックする。

 出会いなんて、おまえと出会ってから、全く、これぽっちも。

 

「…ねーな」

「えー本当に?有咲綺麗だし、世話焼きだからすっごく素敵に映ると思うんだけど」

 

 綺麗?

 素敵に映る?

 

「そんなことないから今も独り身なんだよ」

 

 ならなんで、あの時拒絶したんだよ。

 

「私も、早く見つけないといけないのかね」

 

 私の心にいつまでも棲みついているのは、山吹沙綾なのだから。

 そんなもの、あるはずがない。

 

「沙綾みたいな人をさ」

 

 言ってしまった。と同時に言ってやったというヤケな勝ち誇りが浮かび上がる。

 いつまで経っても、脆くて情けのない、間違った想いであることはわかっている。それでも私は吸い殻のように軽々しく捨てることなんてできないし、次に進む勇気なんてものも無かった。

 今、沙綾はどんな顔をしているだろう。

 あの時のことを思い出して苦い顔をしているだろうか。それとも何も気づかないで、冗談だと受け取って笑っているだろうか。できれば前者であってほしい。私の気持ち悪さを知って、鳥肌を立てて、目一杯の拒絶をしてほしい。そうすれば、私は先に進める気がする

 あの時のような優しい言葉をかけてくれるな。

 私のこの間違った想いを、どうか刺し殺してくれ。

 

「有咲」

 

 声だけでは沙綾の感情はわからなかった。

 顔を上げて、隣で座る沙綾を見る。

 

「ありがとう。こんな私を、ずっと想っていてくれて」

 

 なんて、優しい笑顔を浮かべているんだ。

 なんで、温かい言葉を与えてくれるんだ。

 

「なんでおまえは、突き放してくれないんだよ。なんでまた、優しくしてくるんだよ」

 

 これじゃあ、私は先に進めないではないか。

 恥ずかしくて、悔しくて熱い涙が溢れる。あの日流し忘れた涙が頬を伝う。

 

「そうだね。こんな人間だから、私は有咲のことを拒絶できないんだ。拒絶する勇気もないし」

「大嫌いだって言えよ。二度と会いたくないって」

「そうすれば有咲は心安らげれるんだろうけど…ごめんね、できないよ」

 

 山吹沙綾と同じ声。

 でも表情は、大人の女性。

 

「私、あの頃と同じで、有咲のこと大好きだからさ」

 

 いつまで経っても小さい私の頭を、背が伸びた沙綾はそっと撫でる。

 聞き分けの悪い子供をあやすかのように。

 過去の思い出に、さよならと手を振るように。

 

 頬を伝う涙の勢いは増すばかり。

 目鼻が熱くなって、指先もチリチリと感覚が敏感になる。

 

「……これじゃぁ…私が馬鹿みたいじゃんかよ…」

「……そんなことないよ。有咲はいつまでも素敵な人だよ」

 

 沙綾は、私のことを拒絶しなかった。だって沙綾は、いつまでも優しくて温かい人なのだ。みんなに愛を持っていて、みんなに愛を振る舞う。そして沙綾は拒絶とか拒否とか罵りとか、そういう類の愛は持たないし振る舞わない人間なのだ。こればかりは、誰がなんと言おうと変えない、沙綾の変わらない頑固さ。

 そんなこと、あの日の答えでわかりきっていたじゃないか。

 どうして、気がつかなかったんだろうな。

 

 子供のように涙を流し続ける私を、沙綾はずっとずっと、肯定し続けた。私の肯定するところなんて片手で数えるほども無いのに、沙綾はスラスラと答えてみせた。

 真面目。

 世話焼き。

 優しい。

 律儀。

 仕事が早い。

 匙を投げない。

 涙脆い。

 最後の一つは今の状況を揶揄っているようにも見えたけど、その揶揄ですら、愛おしく感じれた。そして最後の一撫での時、沙綾は私の耳元で囁いた。

 

「もっと自分を愛して」

 

 ああきっと、私は沙綾に諭されたかったんだ。

 上手に生きていくコツを。満足のいく恋の仕方を。思い出を持続させる方法を。

 私のブーツのつま先に、白い結晶の塊が落ちる。こんな時に、雪かよ。

 雪が降ったことによってより一層冷え込んだ空気に、2人して震える。冷めてしまったコーヒーを一気飲みした私は、沙綾の手を取って、彼女を立ち上がらせる。

 

「家まで送ってくよ」

「…さっきまで泣いてたのに」

「うっせー……行くぞ」

 

 わずか3分の帰路は無言の空気が支配していた。お互いに声をかけることもなく、けれど私は1秒も無駄にはしたくないと、沙綾の手を強く握った。ホットコーヒーを持っていたからだろうか、温かくなっていた手を冷やさないように、身体中の熱を沙綾の手に送る。

 

「熱いよ、有咲」

「受け取っておけ」

 

 3分間の帰路の間に交わした言葉は、その2つだけ。

 沙綾の新築の家にたどり着いた私たちは、お互いに手を離さなかった。これ、旦那さんに見られたらまずいよな。

 そう危機を察知しながらも、あわよくば刮目しろ!と家の中にいるであろう旦那に念じて、沙綾を抱きしめた。

 確かに今の沙綾には人生を共にする人がいる。

 そして沙綾を心の底から思って尽くしてくれる人がいる。

 けれどそのどの2つの要素も、私が沙綾に抱いていた想いの熱さには勝てないのだ。……私の尺度ではあるけれど。

 

「おめでとう、沙綾。幸せに」

 

 こんな短い言葉を伝えるのに、ここまで時間をかけるなんて。

 つくづく私という人間は、小心者で臆病者だ。

 

「ありがとう、有咲。またね」

「うん。またな」

 

 冬が好きだ。

 肺から吐き出される白い息は、今も生きてるという事実を突きつけてくれるから。

 冬が好きだ。

 熱を持った私の身体を、冷やそうと尽力してくれるから。

 冬が好きだ。

 雪は私の想いの正しさを証明してくれるように、私の鼻に落ちて溶けてくれるから。






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