https://syosetu.org/novel/278806/
ウマ娘に生まれ変わって数々の困難を乗り越え、黄金世代と走り始めたクロスクロウ。
温もりに満ちた平和な時間が流れる――はずもなく、始まったのは新たな喧噪だった。
まあ、命に別状がないだけ良いことなのでしょう。
別のあれこれが掛かってしまっているようですが。冷静さを取り戻せるでしょうか?
最近あまりにお辛くて、気づけばこんな幻覚を見てしまったのじゃ(謎の村民ムーブ)
さあ、寛大にも投稿許可をくださった本家様へ感謝しつつ。
全力で腹筋を殴りに行こうと思います(恩知らずムーブ)
「「ちゅ……中期遠征ー!?」」
この世の終わりのようなトーンの悲鳴が2つ木霊する。しかし叫ばれた内容といえば、東へ西へレース場を巡るウマ娘ならごくごくありふれた行為だった。
「洋芝に慣れたいなら札幌が良いって聞いてさ、それで」
出かける本人、クロスクロウもあっけらかんと言ってのける。海外で走ってみたい、がいきなり渡欧して一から新たな走りを作り上げるなどハードルが非常に高い。うんうん悩んでいた彼女にとって、国内で試す手段を紹介されたのは僥倖と言えよう。
青褪めている両隣にとっては不幸なことに、離れる期間も延びることが決定したわけだが。一発勝負で帰ってくる当初の予定でも辛かったというのに、眩暈に苦しむ様は何かアブナイものの禁断症状に近い……寮生活による中毒と診て良いだろう。
「わかりました、グランプリ出場はまたの機会に」
「なんでだよ!?」
ショックのあまりファンの清き一票を投げ出し、地方遠征へ帯同しようとするグラスワンダー。ちなみに付いていこうとしている相手が選ばれていないのは、早々にBCターフ*1への挑戦を優先して出走しないことを表明していたためである。
「グラスちゃん、そういうの良くないよ。たくさんの人が見たいって言ってくれたんだから」
それを諫めたのはスペシャルウィーク。さすがはいずれ日の丸を背負う総大将。自分たちの背を押してくれる皆の夢に応えたい、その想いは日本一のウマ娘に相応し――
「すみません、私としたことが……ところで、どうしてスぺちゃんは実家へ電話を?」
「北海道の案内役は必要だよね?」
「貴女も選出されましたよね?」
…………。
「返せよ……感心を返してあげろよ、スぺ……」*2
***
まとめて叱責で撫で切ったキングヘイローと運悪く通りすがったセイウンスカイに担がれて、URAの誇る優駿2人は、仲良くジ・エイペックスの部室に打ち上げられた。
「もう。釣った魚の方が、しばらくはもっと元気だよー」
荷運びから解放されるなり全体重をソファへ投げ込んだ釣り人にまでこう言われては、ダービーウマ娘も怪物2世も形無しである。
疲れた。プロレスで鍛えているエルコンドルパサーがその場にいてくれたなら、グラスの運搬を任せられたのに。なお部室にいた当の本人は、同室の水揚げ姿を見るなり爆笑した報いを受けて、壁へ垂直に突き刺さっている。
壁へ垂直に突き刺さっている。
「それで、2人とも魂が抜けちゃってるんだ?」
幸運だったのは、運んだ先にはチームメイトがもう一人いたことだ。走力こそ6人のエースには大きく水を開けられているものの、さっと人数分のクッションを用意する手際の光る控えちゃん。空いているもう一つを待つ横転犬神家を引っこ抜きに行く者がいないのは、許してあげてほしい。誰だって命は惜しいのだ。
「あんまりデェス!?」
さて、この娘なら海水を頭からかけるより良い案があるだろうか。問えば、頷きが返ってくる。
「じゃあスぺちゃんとグラスちゃんでさ、クロちゃんを労う準備でもしたら?」
「はい……」
「ですね……」
くっついていけないなら、帰ってきてからできることを探れば良い。正論で再起動を図る控えちゃんだったが、反応は最低限といったところだ。人もウマ娘も、正論だけでは中々動けないものなのだ。
「出張帰りの旦那さんを迎えるみたいにさ、なーんて」
「ねえ、このおかず*3の煮込み方についてなんだけど」
「帰宅時間きっかりにお風呂を沸かしてあげたい*4のですが」
チームメイトのモチベーションを上げる手際も光る控えちゃん……正論よりも強く同期を動かすものが何なのか、彼女はよく心得ていた。
「キングちゃん、ため息が倍になったけど大丈夫? はちみーレモン食べる?」
「大丈夫だからあなたは、もう少し自分のことも労わってあげて」
「気にしないで、慣れてるから……それで、料理にするの? お風呂にするの?」
「私に――」
「ごめんグラスちゃん、慣れが足りてなかった」
クロスクロウのことになると賢さがG-まで急落する2人をどうどうと宥め、控え娘は思案する。この掛かり具合では両名共に業火*5なディナーを作ると言って聞かなくなりそうだ。もう一つに至っては互いが互いの位置取りを押し上げあった挙句に、もつれるようにヒートインしかねない。
健康的な良バ場に留まる控えちゃんとしては、目の前で始まろうとしている泥たんぼステークス自体を否定するつもりはない。ないものの、労わろうとしているチームメイトを余計に疲れさせる展開は避けてあげたいものだ。
何かもっと、過ぎたるは及ばざるが如しと見ればわかるようなものはないか。遠征から疲れて帰ってきたクロスクロウを出迎える手順を脳内でシミュレートし、レース中盤の走行速度よろしくリミッターのかかりそうな要素を抜き出してみる。
「洗濯とか、あとはアイロンがけの練習でもしてみる?」
「おー、意外なとこ来たね」
クッションへ顔を突っ込んだまま、耳だけ生かしていたセイウンスカイがくぐもった声を出す。流石は稀代の逃げウマ娘。厄介な展開になったら飛び出す地固めに、抜かりはないようだ。
「北海道に行くならって、お偉いさんにも会うよう頼まれてるんでしょ?」
「そうなんですよ、ワイシャツなんて着たことないのにとぼやいていて」
「扱い慣れてないものって大変だよね、まして服は」
「うん、そこで持て余したワイシャツをぱぱっと洗ってアイロンがけしてあげるの」
パス上手からの押し切り準備。ジ・エイペックスのチームランニングがここで光る。約一名壁に突き刺さったままなのはご愛敬。
「それじゃ済まない事態デスよ!?」
さすがに居た堪れなくなったキングヘイローと控え娘の二人が、救出へ向かう。もう命の危機は去ったはずだ。なにせこの愉快なオブジェを制作した当人はといえば。
「クロのシャツを、アイロンがけ……」
「そのまま、差し出す……」
見事に、掛かりまくって先行していた同類共々術中に嵌っている。今頃脳内では、皺一つなくなったシャツを差し出されたクロが万歳をしている頃だろうか。
「そんな、クロ。夫婦みたいだなんて」
「確かにもう姉妹みたいなものだけど~」
「うんごめん、2人の瞬発力舐めてた」
講師役を前に惚ける2人の非礼を、キングヘイローは再び叱責しようとした。したが、ここでチーム随一の策士から待ったがかかる。
「帰ってくるまでの時間稼ぎなんだから、再起動している間は放っといてもいいんじゃない?」
「なるほど、ならこっちの世界に戻って来た時だけ教えればいいんだね!」
「あなたはそれでいいの……?」
ぽんと手を叩いて感心する控え娘VS決して下げないと決めた首で項垂れそうになるキングVSダークライ。突如現れた謎生物と無邪気に戯れるエルコンドルパサーVS妬ましそうなマンボVSダークライ。全くまとまらないというまとまり方をみせたジ・エイペックスは、練習を再開した。
妄想の世界に浸りながら疾走するダービーウマ娘とグランプリウマ娘。この危険物が衝突事故を起こさないよう張られたロープと部室の間で、しばし往復運動が続く。
*****
「あれ、クロ……一体どこに……」
「スぺちゃん、ワイシャツの下洗い教えるね! いきなり洗濯機に入れちゃだめだよ!」
「わ、本当?」
「何汚れか聞いてこの表の通りやってみて、どう過ごしていたかも一緒に聞けちゃうよ」
「つまり、クロの生活を追いかけられるってこと……ふふ、ふふふふ」
*****
「クロの足音がしません……」
「グラスちゃん、ワイシャツの洗い方教えるね! 下洗いとポケット確認の後だよ!」
「まあ」
「裏返して洗濯ネットに入れるといいよ、その方が皮脂汚れを落としやすいから」
「そんな、クロの一部に触れるなんて……嗚呼……」
*****
「心頭滅却心頭滅却心頭滅却」
「グラスちゃん、脱水のコツ教えるから水分戻して??」
「おねがいします」
「ワイシャツの場合は30秒までに抑えてね、皴を避けて綺麗なまま渡せるよ」
「き、綺麗なのはシャツですよ……そんな私もだなんて……」
*****
「く、クロニウムが……クロニウムが……」
「スぺちゃん、干し方教えるから干からびないで!?」
「ありがとう」
「表返したら軽く叩いて、幅の広いハンガーにかけてね。こうやって手を回してー」
「えへへー、クロと肩組んでるみたい……」
*****
「かゆ……」「ウマ……」
「2人とも、アイロンがけを教えるからウマ娘に留まって!!」
「「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」」
「襟は外から真ん中に、肩も両端から中央にプレスだよ」
「「ア゛ア゛ア゛......」」
「そうそう、そこがパリッとしてるとクロちゃんの見栄えがさらに良くなるからっ」
「「ああ、クロ……」」
「え、待って。今さらっと奇跡起きてなかった?」
「デェス……」
*****
「すっかりお世話になっちゃったね」
「ご面倒をおかけしました……」
幻覚とのシャトルランを繰り返すこと実に10往復。ようやく中毒患者2名は、
「それにしても、素晴らしい手際でした」
「ほんと、慣れてるなって感じだよね」
評価といえば、改めて家事上手を再認識された控え娘ちゃんである。チームの雑用も先頭で行う姿に、エースたちは改めて敬意を表した。
「数をこなしただけだよ、みんなもそのうち上手くなるんじゃないかな」
「いつもありがとね……ほら、エルちゃんも何か言わないと」
「エッヘン!」
スペシャルウィークに促され、たところで何故だか胸を張るエルコンドルパサー。オリジナルホットソースによる赤い染みを作っては落としてもらっている日常風景が、もはやコンビ芸のようと評されたことがあるため、何やら勘違いしたらしいが――
「エ~ル~?」
「ヒィィィィィィィ!」
当然、本来は厳格な同室の大和撫子に許されるはずもなく。くいっと無言で向けた彼女の親指が示しているのは、穴を埋められた跡の残る壁だ。
「
「おーよしよし、よしよし」
ガタガタと震え上がり、別の時空ではもっとシリアスだったはずの謝罪を繰り返す犯人と、膝枕で慰める被害者の図。いい子いい子とマスクの留め具を外さないよう髪を撫でつつ、控え娘は何か原因を落ち着かせる言葉はないかと考える。
「気にしないでグラスちゃん、ワイシャツに関してはトレーナーさんので慣れたんだ……し……」
「「「「あ」」」」
が、洗濯の解説と膝枕とフォローの同時進行は脳のリソースを思った以上に食っていたらしい。うっかりと明かした新事実は、別のメンバーを突き刺すものだった。
「あのねセイちゃん、違うの」
「べべべ別にぃ、セイちゃん何も言ってないよぉ?」
「ちょっと疲れてる時に洗濯を代わってあげてるだけで」
「そそそっかぁ、これからもよろしくしてあげ、あげ……」
横になって急速に発達する積乱雲に弁明したいが、別の雨に未だ打たれてトモに顔を埋めている仲間も放り出せない。狼狽える控え娘を落ち着かせたのは、肩へ置かれたもう一人の友人の手だった。
「キングちゃん……」
「心が3つもあるスカイさんが悪いわ」
「キングちゃん!?」
*****
「――この」
「足音は!」
誰かが立ち上がると、別の誰かが倒れる。字面だけなら悲劇に見えなくもない喜劇が一段落したのは、結局のところ大本の原因が帰還してからだった。クロ中毒が治ったように見えたスペシャルウィークとグラスワンダーは、足音を――他のメンバーは音にすら気づいていない距離で――聞きつけるなり跳ね上がり、位置取り争いを始める。
さすがは、G1を制した傑物たち。ベストポジションへの嗅覚は並外れている。しかし、実力を発揮するきっかけがこんな場で良いのか……王の嘆きは、掛かった2人には届かない。
「スぺちゃん、私が荷物を受け取りますからゆっくりしていて良いんですよ?」
「グラスちゃんこそ、さっきのトレーニングで疲れてるんじゃない?」
「そうデスよ、『何が不退転か』って崩れ落ちた時なんか面白――」
人体が壁に突き刺さる音ってすごいんだなあ。
人あるいはウマ娘は、あまりに凄惨な事態が起きると脳を守りに入って、単純な感想のみを出力するものである。優駿2人の争いに首を突っ込むのは危険極まりないと、学習……は既に全員しているはずなのだが、尊い犠牲により復習にはなっただろう。
なお、無駄に上手な声真似を披露した代償として再び垂直に埋められた本人は、復讐のふの字も考えられないほど脳が揺れていた。
「ともかく、クロの隣はあげません!」
「むう……」
バチバチと散る火花。パラパラと零れる壁材。パタリと脱力して動かないメリコンドルパサー。このままでは千日手になるのが明白なので、グラスワンダーも必死に状況を動かそうとする。懸命に愉快なオブジェを引き抜こうとしている控え娘ちゃんの姿すら、目に映っていないようだ。
「代わりにスぺちゃんのお洗濯をしてあげる……なんてダメですよね」
「ぐ、グラスちゃんが"ボク"の服を洗濯?」
苦し紛れの一言、だったはずだ。ダメに決まってるだろうと言った本人も諦めていたその一手はしかしながら、目の前のライバルにとってはクリティカルなものだった。
駆け巡る存在しない記憶。大和撫子の手がしたこともないネクタイを解き、シャツを受け取り、そして――
「はうっ」
「スぺちゃん!?」
清楚系鎌倉武士は、倒れ伏した競争相手を放っておくような性分ではない。抱き起された相手は頬を染めたまま幸せそうに微笑んでいるが、何故相手を倒してしまったか理解できていない側にとっては恐怖そのものだろう。
これもまた一つの友情の形。争いはこうして終結――
「たっだいまー!」
「クロ、待っていましたよ」
「ぐえっ」
するわけもなく一瞬で向き直った腕から放り出された日本総大将は、女の子が出しちゃいけない悲鳴を漏らす。入れ替わりに駆け寄ろうとした控え娘ちゃんには、「心の2つある方が悪い」と、これまた残念ながら当然な戒めの言葉がかけられた。
「スぺ!? ……と、あっちはエル? え、何? どうなってんの!?」
「そちらは任せてください。あなたは遠征で疲れているでしょう?」
元凶の言い分がこれである。恋愛とはここまでの妄執を生み出すのか。戦慄する残りのメンバーだったが、直後にさらなる爆弾が飛び出すとは誰も予想していなかった。
「そうなんだよ、初日は手違いでトレーナーと同じ部屋だったしさぁ」
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」
「スカイいいいいいい!?」
「詳しく……説明して下さい。今、私は冷静さを欠こうとしています」
3つある心の過半数が正面衝突して痙攣が止まらなくなったセキランウンスカイもまた、意識に入ってこない。爆発物を受け取ったグラスワンダーの目は、もはや数ヶ月ぶりに会えた贈り主以外を向こうとはしなかった。
ここで贈り主が引き絞られた耳に気づいていたら、さらなる混乱があっただろうか……いいや、気づかないような能天気だからこそ、これほどの荒天を呼んでいるのだろう。
「詳しくってもなあ。気疲れしただけだよ。ベッド譲られて床で寝られたから申し訳なくて」
「なんだ、そうだったのですね。引き回しの刑で手打ちとしましょう」
「なんでさ!?」
「それより……その、ずっと荷物を持ったままでは重いでしょう?」
物騒なことを言い出す鎌倉武士だったが、次の瞬間には乙女顔。恋の生み出す落差に悪酔いしたキングヘイローも離脱する中、本人はもじつきながら上目遣いで続く提案を言いかけ、口を閉じてを繰り返す。
「私が持ちますよ。洗濯もしますから、ゆっくり休んでください」
「ええ、そこまでしてもらうなんて」
可憐な姿にクロスクロウはすっかり見惚れてしまった。おかげで、束の間の少女漫画空間が2人の間だけに形成される。周囲の死屍累々が思い出されるのは、しばらく後だろう。
「実はワイシャツに慣れていないだろうと教わって、練習していたんです」
「そ、そんなことまでしてくれたのか!?」
第三者から教えてもらったことは隠さないあたり芯は残っている、もののそれ以外の部分で乙女モードは留まる所を知らない。あまりのふやけぶりに、彼女の防御力はゼロまで堕ちていた。
「いやあ、グラスはすごく良いお嫁さんになりそうだよな!」
「はうっ」
「グラスうううううう!?」
「ぐえっ」
「スペえええええええ!?」
「もう、好きにして頂戴……」
「キングうううううう!?」
想い人の発言に、意識自体を落としたグラスワンダー。落下した先でクッションにされて、再び物理的に落とされるスペシャルウィーク。ライバルたちの醜態が止まらず、気力のゲージが0まで落ちたキングヘイロー。
とうとう自分以外のエースが全滅する災厄に、さしものクロスクロウも青褪める。まあ、未だに原因を思い至らない以上彼女が救うことも救われることも当分ないだろうが――
「クロちゃん……いつか刺されちゃうよ?」
「え、差される!? そうだな、そうならないように練習を……!」
渾身の肩ポンも不発に終わった今、控え娘ちゃんにできることは、服の内側に鉄板を縫い付けてあげる方法がないか検索することくらいだった。