―異質― 日本国の有事防衛組織、その異世界を巡る叙事詩《邂逅の編》 作:えぴっくにごつ
「……攻撃が、止んだ」
場所は再び長沼等の第1攻撃壕へ。
塹壕内で身を潜めていた長沼が上空を見上げる。そして塹壕の周辺に視線を降ろせば、周辺には鉱石のツララが無数に突き刺さっていた。
「終わったのか?」
香故が訝しむ声で零す。
塹壕めがけて降り注いでいた鋼鉄の雨はつい先程弱まりを見せ、そして今、完全に止んだ。
「そのようだ――スナップ11、こちらはジャンカーL1!鋼鉄の雨が止んだぞ!」
それを確認した長沼は、無線機のマイクを手に取って叫ぶ。しかしすぐに返答が返ってこない。数秒待った後に、長沼は再度無線に向けて声を発しかけたが、その直前で応答があった。
《ジャンカーL1、こちらスナップ11!不測事態が発生。敵の攻撃により威末士長が負傷!》
飛び込んで来た隊員負傷の報告に長沼は顔をこわばらせるが、報告はさらに続く。
《こちらでは敵の無力化を確認できていない、敵オペレーターが残存している可能性は未だ否定できず。こちらは敵攻撃により重機関銃が大破し攻撃の継続は困難。至急、別手段での再攻撃及び制圧を願う!》
「了解スナップ11、こちらでただちに対応する」
捲し立てられ聞こえ来た報告と要請。通信に対して、他にも聞きたい事のあった長沼だが、今は端的に了解の旨だけを返した。
「峨奈三曹、聞いたな。この隙に崖の死角にいる敵勢力を制圧する。制圧のための銃手を何名か選抜する、その指揮を取れ」
「了解!」
「版婆、四耶、香故、易之、柚稲!峨奈三曹の指揮下に入り、崖下の敵を攻撃しろ!」
長沼は数名の隊員を選び出し、命令を伝える。
(チッ、マジか)
「やれやれだなッ」
内心で悪態を吐く版婆や、遠慮せずに直接口に出す香故。ピックアップを受けた各員は、各々の心境の元に武器の確認を行う。
「よぉし、香故、易之、手榴弾ッ!」
峨奈は香故、易之の両名に手榴弾の指示を出す。そして自身も手榴弾をサスペンダーから掴み取り、ピンを引き抜いた。
「投擲ッ!」
合図と共に、塹壕から再びに三つの手榴弾が放り出された。放り出された手榴弾は崖下に消え、数秒後に炸裂音が聞こえる。炸裂音を聞いた瞬間に、峨奈は手にした信号銃を上空に向け、照明弾を打ち上げた。
「行くぞォッ!」
そして峨奈以下、6名の隊員は塹壕を飛び出した。崖の縁に足を着き、峨奈等は崖下に視線を向ける。
彼らの目に、死角に身を隠す傭兵達の姿が飛び込んで来た――
トイチナの放った矢は対岸の光の発生源へと吸い込まれると、敵の鏃は鳴りを潜めた。
「止んだ……攻撃が止んだぞ、今だ行け!」
トイチナの合図で、わずかに残った負傷者と生存者が脱出を開始。傭兵達は崖際を伝って後方へと走った。
皮肉にも、生存者の数が少なかった事が脱出を円滑にし、僅かな時間で生存者の半数以上がその場から脱出することに成功していた。
崖下に残るは殿を務める数名、そして動かすことのできない程の重傷者。重傷者の中で意識のあるものは、脱出を少しでも手助けするために、クロスボウを脇に抱えていた。
「間に合うか……メナ、お前も引け」
「嫌です!僕も最後まで残ります!」
トイチナは隣でクロスボウを構えている側近の少年に命じる。
十代半ばにもいっていない彼を優先して脱出させたいトイチナだったが、少年はそれを拒んだ。
「メナ、気持ち話わかるが言う事を聞け。敵はいつ立て直してまた攻撃してくるか分からないんだ」
「そんな事わかってます!それでも……!」
「聞かないことを言うな、メナ!脱出の機会は今しか――」
その時、ドンっと背後に何かが落ちる鈍い音を聞いた。
「!」
振り返ると、手の平サイズの不可解な塊が跳ね上がって地面に落ちるのが見えた。
それには見覚えがあった。
つい先ほど、まだこちらが崖の上の敵を釘付けにしている時に、見当違いの場所で上がった爆煙攻撃。それの仕掛けの元と思われる物体。
だが、今その物体はトイチナ達のすぐ目の前にあった。
「ッ!」
「わッ!?」
トイチナはとっさに、側近の少年に覆いかぶさる。
――その次の瞬間、爆発が彼らの背後で上がった。
「ぐッ!?」
トイチナの背に激痛が走る。
まるで焼いた刃物を無数に突き刺されたかのような激しい痛み。今すぐ叫びながら暴れまわりたい程の苦しさだったが、今それは許されなかった。
(来る……!)
トイチナは、崖の上から迫りくる者の気配を感じた。
激痛に耐えながら、側近の少年が落としたクロスボウを掴み、片手で構えて崖の上へと向ける。
次の瞬間、頭上で再び閃光が瞬き、周囲が急激に明るくなる。そしてほぼ同時に、崖の縁から複数の人影が現れた。
「!」
光を背に現れた彼ら。その中の一人とトイチナの目が合った。それを合図とするかのように、トイチナはクロスボウの矢を解き放った。
「ヅッ!?」
矢が解き放たれた瞬間、入れ違うようにトイチナの全身にいくつもの衝撃と激痛が襲いかかった。先ほどの痛みとは別種の、杭でも打ち付けられるかのような激痛。それが雨粒のような注ぎ方でトイチナの全身を襲った。
「……ッ」
側近少年を庇うために、トイチナは体を丸めて顔を下げる。
「あ……あ……隊長……」
顔を下げると、ちょうど側近の少年の顔が見えた。
少年の体は震え、恐怖と悲しみの入り混じった瞳に涙を浮かべて、トイチナの顔を見つめている。
「……ごめんな」
腕の中で震えるメナという少年に、トイチナは静かにそう言った。
そしてその言葉を最後に、トイチナと言う名の彼が動く事はなくなった。
誰が最初に引き金を絞ったのかは不明だった。
崖の下に潜んでいた多数の敵。彼らと相対した次の瞬間には最初の一発が撃ち出され、それを皮切りに殺人の雨が始まった。
小銃を持つ各員は、単射もしくは三点制限点射に設定された小銃の引き金を、眼下に向けてひたすらに引き絞った。MINIMI軽機を持つ隊員は、崖下を端から縫い付けるように軽機を撃ち続ける。加えて、時折放り出される手榴弾が、傭兵達の体を傷つけ、引き裂く。それぞれの発する暴力は、まるで作業のように傭兵達の命を奪ってゆく。無数の発砲音と炸裂音は、崖下で動く者が居なくなるまで鳴り響き続けた。
「撃ち方やめーッ!撃ち方やめだッ!それ以上撃つなーッ!」
峨奈が怒号と手振りによって命令を下す。
合図によって、十数秒間続いた殺人の雨は止んだ。発砲音にかき消されていた本物の雨音が、再び周囲に戻ってきた。
「ッ――まったく……」
香故三曹が頬を銃床から放して、少し荒くなった呼吸を整えながら悪態を吐いた。ほんの十数秒間の出来事だったが、彼らは何時間も戦っていたような錯覚を覚えていた。
その時、そんな彼らの耳に、鳴り止んだはずの発砲音が再び飛び込んだ。
「ッ!」
「なんだ?」
各員が見れば、射撃中止の命令が出たにもかかわらず、躍起になって撃ちつづける隊員が一人いる。
「ハァッ……次は……!」
武器科の柚稲であった。彼は不安定な呼吸をしながら、中性的で端麗な物であるその顔立ちを必死の形相に変え、照準を覗き続けていた。
「おい柚稲……」
「……次……次の敵……ッ!」
「柚稲!撃ち方やめだ、それ以上はいい」
「ッ!?……ハァ……ハァ」
版婆がそんな柚稲に近づき、崖下に向けていた小銃を腕で強引に跳ね上げる。それにより柚稲は我に返り、ようやく射撃を止めた。
「やれやれ……」
様子を見守っていた峨奈は、ため息を吐きながら自分の左腕に目を向ける。
彼の腕には矢が突き刺さっていた。
眼下の傭兵達と相対した瞬間に受けた物で、幸いにも鏃は骨で止まっており、刺さりも浅い。しかし、もう少し軌道がずれていれば、矢は彼の喉を貫いていたかもしれなかった。
「ぞっとしないな……各員警戒!動くものがいないかよく確認しろ」
峨奈は矢を強引に引き抜き、止血をしながら指示を飛ばす。
「……動くものなんて……」
峨奈の指示に、青ざめた顔の易之が歯切れの悪い口調で反応する。呼吸が落ち着き、冷静さを取り戻した各々の目に映る眼下の光景。
「ひどい……」
50名は超えると思われる傭兵の亡骸の数々が、照明弾の光に照らされている。彼らが流した血によって、元々明るい砂色だった地面は、各所が赤黒く染まっていた。
「………」
対戦車火器射手の四耶が、額に皺を寄せ、片手で顔面を覆っている。
「………これでは虐殺だ」
彼はしばらくの沈黙ののち、静かにそう呟いた。
「余裕そうだな、ウラジア?」
そんな彼に突如、何か皮肉の色のこもった台詞が投げかけられた。
「何?」
ウラジアというのは、四耶のファーストネームである。四耶は、祖父にロシア人を持つ、ロシアの血の流れるクォーターなのであった。
声に振り向いた四耶の視線の先には、香故の姿があった。嘲笑うような今の言葉に反して、彼は冷たく険しい表情を作っている。
「どういう意味だ?」
「こんな状況で、よく敵を憐れむ余裕などあるなと思ってな。味方よりも似た顔立ちの奴等のほうが心配か?なぁ、ロシア人さん」
「お前ッ」
投げかけられたその言葉に。四耶は香故に詰め寄ろうとする。
「香故、私と一緒に来い!崖の下を調べるぞ。二名はここに残り警戒続行、二名は塹壕へ戻れ、いいな!」
だがそこへ、峨奈の指示が周囲に響き、二人のやり取りは中断された。
「フン。だそうだ」
あからさまな煽る口調で言い放ち、香故は峨奈を追い、崖縁より飛び降り崖下へと降りて行く。
「……視野の狭い差別主義者が……!」
それを視線で追いながら、四耶は忌々し気に零した。
濡れた地面に、トイチナの体が横たわっている。
一切の活動を停止した彼の体。それが次の瞬間、もそりと持ち上がった。
「うぐ……」
トイチナの体の下から、側近の少年が這い出て来た。少年は出て来るやいなや、トイチナの体へと向き直り、彼の体を仰向けに起こす。
「あ、隊長………」
そして露わになったのは、口から血を流し、瞳は虚空を見つめるトイチナの顔。くしくも敵が空に上げた光源によって、メナはそれをまざまざと見せつけられる事となった。
「嘘だ……隊長ぉ」
涙腺が緩み、少年は今にも泣きじゃくりそうになる。
「生き残りだ」
「!」
しかし背後から近寄る気配と声が、彼の嘆きの邪魔をした。
「フン。厄介な奴等だった」
悪態を吐きながら崖の下へ降り立った香故。彼は傭兵達に対する憎々しげな顔を隠そうともせず、周囲を見渡していた。
「ッ」
そんな彼の視界の端に、動くものが映った。視線をそちらへ移すと、仲間の体へとすがりよっている、一人の傭兵の姿が飛び込んできた。
「まったく、しつこい――生き残りだ」
香故はその存在を周囲に知らせるべく発し、同時に傭兵に銃を向ける。そして傭兵を拘束するため、接近しようとした。
「おいお前ッ。そこでじっとして――ッ!?」
しかし突如、彼の肩に浅い痛みが走った。
「来るな!隊長に近づくなぁッ!」
香故を襲ったのは投石だった。傭兵の少年が近くに落ちている石を掴み、必死に香故へと投げつけていた。
「ッ、こいつ――ヅッ!」
うちの一つが香故のこめかみに命中、軽くない痛みが香故を襲い、彼のこめかみから血が流れる。
「……ッ、野郎がッ」
それが彼の頭に血を登らせた。
そして香故は構えた小銃の引き金を引き、立て続けに数発発砲した。
「ひぅッ!?」
少年の足元に数発が着弾し、怯んだ彼は目をつむる。少年自身に被弾は一発も無かったが、それはまったくの偶然だった。
怯んだ少年に香故はヅカヅカと歩み寄る。
「う……あッ!」
香故の接近に気付き、少年はとっさに胸元の短剣を掴み、引き抜こうとした。
「――ぐぅッ!?」
だが、間合へ入った香故が、蹴りを繰り出すほうが早かった。
戦闘靴のつま先が少年の横腹に叩き込まれ、少年はわずかに宙を舞い、地面へと叩き付けられた。悶え苦しむ少年を尻目に、香故は目の前に横たわるトイチナへと銃を向けた。銃の先端をトイチナの体に突き付け、生死を確認する。
「……こいつは死んでる」
その場の脅威を排除したことを確信し、香故は小さく息を吐く。
しかしそんな彼を小さな衝撃が襲った。
「やめろぉッ!隊長から離れろ!」
「ッ」
傭兵の少年が、香故に体当たりを仕掛けてきたのだ。
少年は蹴とばされた痛みも治まらない体で、泣きじゃくりながら必死に香故にしがみついた。それはお世辞にも力強い攻撃とはいえず、まるでじゃれついているかのような強さだった。
「ッ、このガキ――」
忌々し気な冷たい目で少年を見下ろし、零す香故。
そして、果敢な突進も空しく、少年は香故に引きはがされ、逆に羽交い絞めにされてしまった。
「うぐッ……!チクショウ!放せ、放せよぉッ!」
しかし、なお少年は腕の中でもがき、腕に噛みついたり爪を立てたりして抵抗を試みた。
「痛ッ!――いい加減にしろッ!」
「ぐぅッ!?」
その行為に頭に来た香故は、少年の首を手で掴む。そして五指の力を込め、少年の首を締め上げだした。
「ぁ……ぁ……」
「今更お涙頂戴か?お前等など――」
苦し気な掠れた音を、口から零す少年。そんな少年に、香故は腹にため込んだ罵声を吐き、浴びせようとする。
「――やめろ馬鹿野郎ッ!」
しかし香故のそれが吐き出される前に、響いた声を共に香故は突き飛ばされ、地面に倒れた。見れば、その傍らには四耶の姿。
崖を駆けずり降りて来た四耶が、彼を突き飛ばしたのだ。
「ごほ、けほっ……隊長!」
解放された少年はトイチナの亡骸に駆け寄る。それを一瞬だけ見届けてから、四耶は香故を睨みつけた。
「お前、おかしいんじゃないのか!? 自分が何しているか分かっているのか!?」
「ぺッ、俺は正常だ――どうかしているのはお前だッ。さっきから奴等を庇い建てしやがって。このクズ共のせいで宇桐は死んだんだぞッ!」
起き上がった香故は、周囲に散乱する死体を指し示しながら怒りの声を上げた。
「そんな事は……分かってる!だからって……見ろ!彼らだって仲間を失ってる!ましてや今の相手は子供だぞ!?」
「それがどうしたッ?敵のガキを憐れむのは、味方の仇を取るより優先する事かッ!?」
香故は血走った眼を見開いて発し上げ、訴える四耶の胸倉を掴み上げた。
「そこまでだ、たわけ共ォッ!」
殴り合いに発展しかねない二人の間に、別の怒号が割って入った。
二人が崖の上に目を向けると、そこに長沼の姿があった。先の怒号は彼の発したものだったが、声色に反して長沼の表情は冷静そのものだった。
「――気持ちは分かる。だが、今感情をぶつけ合う時間は無いぞ。ここは収まったが、全域はまだ戦闘中だ」
打って変わった落ち着いた声色で、四耶と香故を解く長沼。
「悲劇を広げたくなければ、それこそ冷静になるんだ。香故、君は上がって来てこちらを手伝え」
「……チッ、了解。そちらへ戻ります」
若干落ち着きを取り戻した香故は、不服そうな声で命令を反復。四耶を一瞥してから、崖を登って行った。
「四耶、易之を下へおろす。二人でその少年を保護しろ」
「了解……」
四耶も命令を受諾。複雑な心境だったが、ともかく少年を保護するべく、彼の元へ歩み寄ろうとした。
「ッ……!」
しかし、四耶の足は一歩を踏み出す前に止まる。
亡骸にすがりよる少年が、四耶の接近に気付き、彼を睨みつけて来たからだ。
涙の浮かぶその目で、〝近寄るな〟と必死に威嚇していた。まるで親の亡骸を守る子獅子のように。
「………どうかしている」