―異質― 日本国の有事防衛組織、その異世界を巡る叙事詩《邂逅の編》 作:えぴっくにごつ
「あぁぁッ!」
「うふふ~、かっこいいわぁニニマちゃん」
村長邸の一室で、ニニマとイロニスは戦いを続けていた。
ニニマは短剣を振りかざして幾度もイロニスに切りかかるが、イロニスは負傷している身でありながらも、ニニマから放たれる攻撃を軽やかに回避していた。
「でもでもぉ、そんな迷ってるようじゃ、いつまでたっても――」
ニニマに対して意識してか無意識かは分からないが、回避行動を行いながら挑発の言葉を掛けようとするイロニス。しかし――
「――捕まえたッ!」
「え――きゃッ!」
次の瞬間だった。短剣を回避したイロニスのローブの裾をニニマが踏みつけ、それに引っ張られたイロニスは、仰向けに転倒した。
そしてニニマはそのままイロニスの体に伸し掛かり、体を押さえつける。
「痛た……なかなか強引になったわねぇ、村娘ちゃん?」
「……」
形勢不利に陥ってなお、イロニスは余裕の表情を崩さない。
「あらぁ?」
その時、イロニスの視線がニニマの胸元に向く。
「あらぁ、そのペンダント、ニニマちゃんがみつけてくれたのねぇ」
「え……?」
イロニスが指摘したのは、ニニマの首から下がっていた二つのペンダントの内の片方だ。それは先程発見した、アインプの斧に絡まっていた物だ。
「良かったわぁ。懐かしくてつい家から持ちだしちゃったけど、あの戦士様を捕まえるときに無くしちゃって困ってたのよねぇ」
「……」
「ふふ、覚えてるかしらニニマちゃん。ニニマちゃんが小っちゃい頃、私のそのペンダントを欲しがって泣いちゃった事があったわよねぇ。そしてママがお揃いの物を作ってくれたの。ホント懐かしいわぁ」
「ぁ……」
イロニスの言葉により、ニニマとイロニスの過去の情景が、ニニマの脳裏にフラッシュバックする。
「ッ……」
ニニマは自身の頭を振ってその記憶を振り払い、イロニスに短剣を突き立てようとする。
「あら、どうしたのニニマちゃん。絶好のチャンスよぉ?」
突き立てようとした。しかし――
「………できない」
ニニマは短剣を握ったその右腕を力なく降ろし、そしてイロニスの体の上にへたり込む。そして静かに泣き出した。
「――うふふ、やっぱりニニマちゃんねぇ」
対するイロニスは上半身を起こすと、自身の体の上で泣くニニマの体を抱き寄せた。
「いい子いい子」
イロニスは片手でニニマの頭を撫でながら、もう片方の手でニニマの手から短剣を再び取り上げる。
「大丈夫、お姉ちゃんが大切にしてあげる」
「ぅ……ぇぅ……」
イロニスのその言葉の意味を理解していながら、しかしニニマは抵抗せず、静かに涙だけを流し続ける。
そしてイロニスは、ニニマの首元に静かに短剣の刃を当てる――
ドスッ――と、刃物が肉に突き刺さる音がした。
〝イロニス〟の首から。
「……ぇ?」
「――ぇ?……ぁ、が……」
ニニマとイロニス、両者から疑問の色の含まれた、声にならない声が上がる。
イロニスの首には、銃剣が突き刺さっていた。そして彼女の背後には、その銃剣の主である新好地の姿があった。
「さっきの嬢ちゃんの言葉を聞いてなかったのか。嬢ちゃんの姉貴は死んだ」
イロニスに向けて言い放つと同時に、彼女の首から銃剣を引き抜く新好地。イロニスの首から鮮血が噴き出し、彼女は床に崩れるように倒れ、動かなくなった。
新好地はイロニスの亡骸の傍で屈み、開いたままの彼女の両目を手で閉じる。
「だが、嬢ちゃん……あんたが手を下さなかったのは……多分それでいい」
そしてニニマの瞳を見つめて言った。
「ぅ……は……い……、う……うぁぁぁぁぁぁぁぁんッ!」
ニニマは新好地に返事を返し、そして今度は大声で泣き始めた――。
「ケリはついたみてぇだな」
新好地に向けて声が掛かる。
新好地が顔を上げると、家屋内に制刻と策頼、ハシアとアインプの姿があった。アインプは策頼に支えられ、ハシアは制刻の小脇に抱えられている。
「あぁ……」
新好地は静かな声で返す。
「ジ、ジユウ……もう大丈夫だから降ろしてくれないか……?」
そこへ小脇に抱えられてるハシアから、困惑混じりの要望の声が上がる。
「ん?あぁ」
ハシアの言葉を受け、制刻はハシアの体を床に降ろしてやる。
「すまない……」
降ろされたハシアは、新好地とニニマの足元に倒れているイロニスの体に視線を向ける。策頼に支えられているアインプも同様に視線を落としている。
そして二人の視線は、目元を泣き腫らしたニニマに移り、それらを目にした二人は状況を理解する。
この村で巻き起こった事態の元凶である、イロニスが倒された事は喜ぶべきことだったが、同時に姉を失ったニニマの事を考えれば、状況を素直に喜ぶ事はできなかった。
「感傷に浸るのは後だ。まだ、外の奴等が残ってる」
「あぁ、だね……」
制刻が言い、ハシアが返す。
「新好地。俺等は外の河義三曹等と合流する。お前等は、落ち着くまで休んでろ」
「すまん、頼む……」
新好地にニニマを任せ、制刻等は河義三曹等の戻るべく、村長邸を出た。
「こっちは撒き終わった」
「こっち側もOKです」
河義や出蔵等が、中身が空になった油樽を放り転がしながら、合図を交わし合う。
村長邸の敷地内には、指揮通信車を中心にそして遠巻きに囲うように、油が撒き終えられた所だった。
油の散布作業を終えた各員は、指揮通信車の元へ集まる。
「よし、矢万三曹。バリケードを撃ってくれ」
「了解」
河義は、指揮通信車のターレットで12.7㎜重機関銃に付く矢万に向けて発する。指示を受けた矢万は12.7㎜重機関銃を門を塞いでいるバリケードに向け、そして押し鉄に力を込めて発砲した。
撃ち出された数発の12.7㎜口径弾は、バリケードの各所を損壊させる。そして損壊により強度の弱くなったバリケードは、外側に群がっていたゾンビ達の圧により、音を立てて崩壊。遮る物の無くなった門からは、無数のゾンビ達が溢れ出て来た。
「来ました!」
「待てよ……油に踏み込むまで待て……」
押し入って来たゾンビ達を目にして声を上げた出蔵に、河義は待つよう声を上げながら、ゾンビ達の同行を見守る。指揮通信車に向けて緩慢な動きで迫って来たゾンビ達は、やがて油が撒かれた場所へと足を踏み入れた。
「今だ、着火しろッ!」
次の瞬間、河義の合図と共に、各員がその手に持っていた発炎筒が一斉に撒かれた油へと投げ込まれる。そして発炎筒から上がる炎が油に引火。炎は瞬く間に敷かれた油全域に燃え広がり、指揮通信車の周りに炎の壁が出来上がった。
「「「オ゛オ゛オ゛ーー……」」」
上がった炎は踏み込んで来たゾンビ達を包み込み、炎の壁の中からは鈍い悲鳴が悲鳴のような唸り声が聞こえてくる。
「何体か炎の中から出てきます」
指揮通信車の操縦席から半身を出して警戒に付いていた鬼奈落が発する。何体かのゾンビが炎の壁を抜け、火達磨になった状態でなお、指揮通信車へと向かってきていた。鬼奈落はそんなゾンビ達に向けて65式9mm短機関銃を構える。
「いい、撃つな。もう焼け死ぬ」
しかし河義が発砲を差し止めた。火達磨となったゾンビ達の動きはそれまでに輪をかけて鈍くなっており、そしてゾンビ達は指揮通信車にたどり着くことなく、次々とその場に崩れ落ちて行った。
ゾンビ達の中には何体か、俊敏さに秀でた獣のようなゾンビも含まれていたが、彼等もまた炎に巻かれ火達磨となって行く。そして火達磨となった獣のようなゾンビ達は、明後日の方向に駆けずり周り、転がり回るなど、緩慢な動きのゾンビ達とはまた違った悶え方を見せながら、しかし最終的には同様に崩れ落ちて動かなくなっていった。
数十分が経過し、炎の壁を抜けてくるゾンビはいなくなった。そして油を消費し切った炎の壁も次第にその勢いを減じ、やがて収まった炎の焼け跡からは、とても両手では足りない数のゾンビ達の亡骸が姿を現した。
「かなりの数だな」
「おそらく、ゾンビ化した村の人間の大半が押し寄せてきたんでしょう」
焼け跡の検分を行っていた河義と制刻が言葉を交わす。
「なら、事態の一応の鎮静化は、できたという事かな……」
河義は大量のゾンビ化した村人達の黒焦げになった亡骸に視線を落としながら、複雑そうな表情で呟いた。
偵察隊はおそらくこの村での最後の物になるであろう仕事に取り掛かっていた。
村長邸の家屋内から、三人分の亡骸が運び出されて来る。それは、イロニスの手によってすでに亡き者となっていた、ニニマとイロニスの両親。そしてなによりイロニス自身の物であった。
それら三人の亡骸の弔いが、残された最後の仕事であった。
敷地内の一角に再び油が撒かれ、その上にかき集められた木の枝や木屑が敷き詰められ、そこにイロニスと両親の亡骸が寝かされる。
偵察隊は三人の弔いの方法に荼毘を選択していた。万が一にも彼等の亡骸がゾンビ化する事を防ぐためであった。
準備が整い、偵察隊の各員が見守る中、ニニマが三人の亡骸の傍に傅き、祈りをささげている。そして祈りが終わると、ニニマはそれぞれの亡骸に順番に最後の別れを告げてゆく。
父の亡骸には自らの短剣を握らせてその手を握り、次に同様に母の手を握る。そして最後にニニマは、イロニスの亡骸の前に屈む。そして自身の首から下がる二つのペンダントの内、自身が元から付けていた方を外して、イロニスの亡骸の首に下げた。
「お姉ちゃん……嫌だったなら、辛かったなら、普通に帰って来て欲しかったよ……。そうすれば、私はお姉ちゃんを拒絶しなかったのに、守ったのに……!ううん、私だけじゃなくお父さんやお母さんだって……ッ!」
そしてニニマはイロニスの亡骸に向けて、再び泣き出しそうな声色で発した。
「……家族だもん……」
そして最後に一言零したニニマは、嗚咽を堪えて立ち上がり、亡骸の傍を離れた。
「……すみません、大丈夫です」
「分かりました」
ニニマは待機していた河義に言う。河義は返事を返すと、ニニマと入れ替わりに亡骸へと近寄り、手にしていた発炎筒を発火。亡骸の下に巻かれた油へと発炎筒をくべる。
油に引火した発炎筒の火は炎となって燃え上がり、その炎はニニマの両親とイロニスの亡骸を包み込んだ。
「……よし、撤収準備だ」
上がる炎を横目に見ながら、河義は指示の声を上げる。
「この村は、このままで行くんですか?」
「ここまでの惨事だ、今の私達だけでは手に余る。どこか、この世界の警察機関に持ち込む必要があるだろう」
疑問の言葉を発した矢万に、河義は返す。
「君たちも確か月橋の町に向かっているんだったよね?そこでこの村の事を報告しよう。ここはすでに月詠湖の国の領内だし、事態を知らせれば月詠湖の国の兵団が派遣されるはずだ」
「成程。それが良さそうですね」
ハシアが提案し、河義はそれに賛同する。そして各員は撤収の準備に取り掛かる。その中で、ニニマは両親とイロニスの亡骸が荼毘に付されるのを見つめている。
「嬢ちゃん」
そんなニニマに、新好地が声を掛ける。
「すみません、もう少しだけ……」
「いいさ、最後なんだからな……」
ニニマはその炎が完全に燃え尽きるまで、その光景を見つめ続けていた。