―異質― 日本国の有事防衛組織、その異世界を巡る叙事詩《邂逅の編》   作:えぴっくにごつ

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6-3:「潰える旅路/その夜の兄妹」

 月読湖の国、月流州。隣国紅の国との国境付近。

 人々の往来によってできた轍の上を、一台の馬車が進んでいる。

 

「暗くなってきたな……」

 

 その馬車の御者席で言葉を零したのは、水戸美達と短い間であるが旅路を共にした、商隊一行のリーダー格の男性、エルコーだ。

 水戸美達と別れて風精の町を出発した彼等商隊一行は、およそ半日程前に国境を越え、今も目的地を目指して行程を進めている最中であった。

 

「近くの町には寄らなくてもよかったの?」

 

 エルコーにそんな尋ねる言葉を掛けたのは、狼の娘、チナーチだ。

 そんなチナーチの問いかけに、エルコーはまだ食糧や物資には余裕があるから町に寄る心配は無い事。そして何より今現在、月詠湖の国の国境付近の町は部外者の出入り時の検閲を厳しくしており、それにより時間を取られたくない事を説明した。

 

「なんでまた?」

「紅の国に、不穏な気配が漂っているという話はしただろう。その事に月詠湖の国側も気づいていて、警戒を強めているんだろう」

 

 再びのチナーチの問いかけに、説明を言葉を重ねるエルコー。

 

「別に私達にやましい事など無いが、時間を取られて商談に間に合わなくなったら事だ。今回は、割とギリギリの行程だからな」

 

 それに続けて商隊の女商人――名をニナムという彼女が続けて発した。

 

「けど、あんまり長いこと夜道を走るのも難だぜ?」

 

 そこへ商隊の護衛剣士――名をセートと言う青年が、意義の声を挟む。

 

「分かってる。もう少し走ったらどこか適当な所で野営を――ん?」

 

 それに対して承知している旨を発しかけたエルコー。しかし彼はその言葉を途中で切り、そして何かに気付き、訝しむような声を上げた。

 

「どうしたの?」

「前を見てくれ」

 

 チナーチから上がる疑問の声。それに対して、エルコーは進行方向の先を指し示す。

 商隊一行の進行方向には森が見え、森と平原の境目付近に、複数の灯りが漂っている様子が見えた。

 

「松明……?他の商隊が、野営でも張っているのか?」

「それにしては半端な場所じゃないか……?」

 

 エルコーの推測の言葉に、しかしニナムが不可解そうな言葉で返す。

 訝しみながらも、その正体を確認すべく、一行は馬車を進める。

 

「……違う、あれは……」

 

 そしてある程度その場へと接近した所で、馬車の上で目を凝らしていたチナーチが言葉を零した。

 露わになった視線の先の光景。

 その場には一台の馬車が停まっていたが、肝心のそれを引いていたであろう馬は、その体を地面に横たえている。

 そして灯りの正体は、松明を手にした複数の人影だ。

 人影は馬車に群がり、積み荷や、亡骸の成り果てた馬車の持ち主であろう人間を、引きずり降ろしていた。

 

「襲われてる!」

「何!?」

 

 チナーチが叫び、エルコーは手綱を操り馬車を急停止させる。

 

「ッ、野盗か!なんてこった……」

 

 そして思わぬ障害との遭遇に、表情を険しくして発するエルコー。

 

「どうする!?」

 

 どう対応すべきか、エルコーに問うニナム。

 

「決まってるじゃん!」

「だよな!」

 

 しかしそんな問いかけに活気ある声で答えたのは、狼娘チナーチと、護衛剣士のセートだ。

 そして言うが早いか、二人は馬車から飛び降りると、それぞれの得物である剣を鞘から抜き、そして襲われている馬車に向かって走り出した。

 

「お、おい!」

「二人はここから援護お願い!」

 

 制止の声を掛けるエルコーに、しかしチナーチは振り向き援護を託す言葉を発する。

 

「ッ……まったくあいつらは!」

 

 それを受けたエルコーは、吐き出しながらも御者席の後ろに置いておいた弓矢へと手を伸ばした。

 

「チナーチ、俺は右側をやる!」

「ならあたしは左だね!」

 

 飛び出して行ったセートとチナーチは、馬車を襲う複数の男――野盗達をはっきりと視認。そして左右に割れ、走る速度を上げる。

 一方、野盗の男達は戦利品に夢中であり、接近する二人には気付いてなかった。

 

「へへ、大量だぜ!」

「しっかし、乗ってるのは男ばっかだったな」

「あぁ――ここん所、女が掴まらねーよなぁ」

 

 戦利品を漁りながら、下卑た会話を交わす野盗達。

 

「くっそぉ、今度は女が乗ってそうな奴等を襲おう――」

 

 瞬間、ヒュンと空気を切るような音が、彼等の耳に届く。

 

「――ぜ?」

「……は?」

 

 そして次の瞬間、一人の男の半身に大きな裂け目ができ、その体から血が盛大に噴き出した。

 

「あ?あ……」

 

 その身を裂かれ、血を噴き出した野盗は、悲鳴を上げることも無くその場に崩れ落ちる。

 

「う、うわぁ!?なんだぁ!?」

 

 そして仲間の死を前に、野盗達は狼狽する声を上げた。

 

「まず一人!」

 

 そんな野盗達の耳に、快活な声が届く。

 見れば野盗達の目の前に、剣を構えて相対するチナーチの姿があった。

 彼女は駆け抜け様に野盗を一人切り倒し、そして野盗達の前へと躍り出たのだ。

 

「て、てめぇがやりやがったのか!?」

「見ての通り!」

 

 野盗の狼狽しながらの問いかけに、チナーチは何を隠そうと言わんばかりに言ってのける。

 

「て、てめぇぇぇッ!」

 

 それを受けた野盗の一人は剣を振り上げ、怒りと勢いに任せてチナーチへと飛び掛かって来た。

 

「せっ!」

 

 しかし振り上げられた野盗の剣の先がチナーチへと届くよりも前に、チナーチは身を

屈め、そして自身の剣を払った。

 

「ぎゃはッ!?」

 

 振るわれたチナーチの剣は野盗の首を裂き、野盗の口から悲鳴を零させ、首からは鮮血を噴き出させた。

 

「大振り過ぎ、隙だらけだよっと!」

 

 そして崩れ落ちた野盗に、最早その耳には届いていないであろう忠告を、あえて発するチナーチ。

 

「畜生ォ!ふざけんじゃねぇ!」

 

 仲間を立て続けに屠られ、残った一人の野盗が、その手に握った斧を振りかざして掛かって来た。

 

「おおっとぉ!」

 

 しかしチナーチは、野盗の振り下ろした斧の一撃をひらりとかわして見せる。

 

「甘い甘い!」

 

 そしてチナーチは、その尻尾を右から左へ一度ゆらりと揺らして見せ、野盗を挑発する。

 

「馬鹿にしやがってぇ!」

 

 その挑発行為に頭に血を登らせ、野盗は再びチナーチ目がけて襲い掛かる。

 

「グゲッ!?」

 

 しかし野盗がチナーチの間合いに踏み込む直前。野盗は側面から突き出されて来た剣の先に首を突かれ、悲鳴を上げて崩れ落ちた。

 

「おろ?」

「よっし三人目!」

 

 その剣の主は、反対側に周っていたはずのセートであった。

 

「ああ、ずるい!」

「遊びすぎなんだよ。お前が二人で俺が三人、俺の勝ちだな」

 

 笑みを浮かべながら発するセート。彼は自分の担当した側の無力化を早急に終え、チナーチの側へ応援として駆け付けたのだ。

 

「もー」

 

 セートの誇らしげな言葉に、頬を若干膨らませて不服の声を零すチナーチ。

 そして二人は軽口を交わし合いながら、馬車の元へと戻る。

 

「二人とも大丈夫か?」

 

 戻って来たチナーチとセートに、エルコーは開口一番に安否確認の言葉を掛けた。

 

「へーきへーき」

 

 そんなエルコーに、チナーチは軽い調子で返す。

 

「まったく、いきなり飛び出して行って……」

「こういう時は、先手必勝だろ」

 

 呆れた声を零したニナムには、セートがそんな言葉を返す。

 

「それで……誰か生きていた人はいたか?」

「いや、皆殺されてた……かわいそうにな……」

 

 しかし続けてのエルコーの、襲われていた馬車の持ち主の無事を尋ねる質問に、セートは表情を曇らせて否定の言葉を発する。そしてセートは襲われていた馬車へと振り返り、憐れむ声を発した。

 

「……ん?」

 

 チナーチがその狼の耳をピクリと揺らし、何かに気付いたように声を上げ、振り向いたのはその時だった。

 

「どうしたチナーチ?」

「いや、何か――伏せて!」

「うわ!」

 

 瞬間、チナーチはセートの腕を引っ張り、自分達の馬車の影へと引き込む。

 直後、直前まで彼女達が立っていた場所に、いくつもの矢が飛び込み突き立てられた。

 

「ッ!」

「矢!?どこから……!?」

「あれ見て!」

 

 狼狽し、困惑の声を上げるエルコーやセート。それに対してチナーチが回答し、森の方向を指し示す。

 いつの間にか、森と平原の境目には、多数の野盗と思われる者達が姿を現していた。それぞれの手には剣や斧といった得物が握られ、中には弓を持つ者の姿もある。

 

「仲間か?クソ!」

 

 野盗の仲間の出現に、悪態を吐くセート。

 

「多すぎる……二人とも乗るんだ!ここから引く!」

 

 エルコーは逃げることを決断。チナーチとセートに馬車へ乗るよう促し、そして馬の手綱を握る。

 しかし直後――彼等の馬車を引く馬の体に、複数の矢が突き立てられた。

 その身を襲った矢に、馬は苦悶の叫び声を上げて半身を跳ね上げ、そして重々しい音を立てて地面へと崩れ落ちてしまった。

 

「レニー!?クソッ!」

 

 旅を共にしてきた愛馬の死に、エルコーは悲観の叫び声を上げる。

 

「馬を真っ先に狙って来た……あいつら、商隊を襲う事に慣れてやがる!」

「これはやるしかないよ!ニナム、強化魔法を!」

 

 セートは野盗側の手際に悪態を吐き、チナーチは戦うしかない旨を皆に説き、そしてニナムに要求の言葉を発する。

 

「ッ――分かった」

 

 要求を受けたニナムは呼吸を整えると、その身を抱くような姿勢を取って詠唱を開始。

 

「駆ける力を、羽のような身軽さを、彼の者達の身に――!」

 

 ニナムの行う強化魔法は、掛けた対象者の速度、瞬発力を一時的に上昇させる効果を持つ。

 

「――よし、行くよセート!」

「おう!」

 

 強化魔法の加護により、チナーチとセートの二人は身が軽くなる感覚を覚える。そして二人はそれぞれの剣を握り直し、迫る野盗の群れへ目がけて駆け出した。

 強化魔法のその効力を持って、相手を撹乱するため、あえて的中へ飛び込むのだ。

 

「おい、あいつ等こっちに向かってくるぞ?」

 

 一方、野盗の集団の先陣に位置する男達は、立った二人で突貫して来るチナーチ達の姿に、訝しむ声を上げていた。

 

「へへ、この数を見てヤケでも起こしちまったか?」

 

 そして一人の野盗が、そんな推測をして笑い声を上げる。

 しかしその直後、野盗達の視界から二人の姿が消える。

 

「は?」

「あ?」

 

 そして響く風が吹き抜けるような音と、何かを切り裂くような音。直後、先陣に位置していた二人の山賊は、その首から同時に鮮血を噴き出して、崩れ落ちた。

 

「うわぁぁ!?なんだ!?」

 

 突然血を噴き出して倒れた先陣の傭兵達を目の当りにし、周囲や後方に位置していた野盗達が、驚き狼狽える声を上げる。

 そんな野盗達の渦中に、チナーチとセートは足を着く。

 屠られた先陣の野盗達は、二人の手によるものだ。

 強化魔法により比類なき脚力を得た二人は、目にも止まらぬ速さで野盗達の元へと肉薄。それ違いざまに野盗の首を切り裂き、そして野盗の群れの真ん中へと着地したのだ。

 

「こ、こいつ等の仕業か!」

「糞!やれ、やっちまえッ!」

 

 野盗達は飛び込んで来た二人を取り囲み、そして一斉に得物を手に襲い掛かる。

 しかし直後、野盗達の包囲の中心から、二人の姿が再び消えた。

 

「な――ぐぁ!?」

「うぎゃぁ!?」

 

 そして包囲を敷いていた野盗達から、次々と悲鳴が上がり、そして彼等はその身を裂かれて、血を噴き出して倒れてゆく。

 全ては、チナーチとセートの二人の手による物だった。

 二人は強化魔法の恩恵により得られた速力を持って、野盗達の合間を縫って駆けまわり、そして彼等の切り裂いて行ったのだ。

 

「こ、こいつ等、早すぎ――ぐぇッ!」

 

 狼狽する一人の野盗の口から、また悲鳴が上がる。

 しかしその野盗はチナーチ達により切り裂かれた訳ではなく、その証拠にその野盗の男の背中には、一本の矢が突き刺さっていた。

 

 

 

「よし、当たった……!」

 

 矢の主は、馬車の上で弓を構えていたエルコーであった。彼は敵中に突貫した二人を援護すべく、あまり慣れない弓矢を苦労しつつも扱っていた。

 

「二人とも、なんとかやってるみたいだな……」

 

 敵中に突っ込み、野盗を翻弄するチナーチとセート。そして翻弄される野盗達の姿を見て、言葉を零すエルコー。

 

「あぁ、でも数が多すぎる……あまり長くは戦えないぞ……!」

 

 しかしニナムは懸念の言葉を上げる。

 

「分かっている……仕方がない、馬車を放棄してここから引こう!」

「だね。二人にも頃合いを見て――」

 

 状況が長くは持たない事を察し、エルコーは決断の言葉を発する。ニナムもそれに賛同して、言葉を発しかける。

 

「――ぐッ!?」

 

 しかしそんな彼女の口から、悲鳴が上がったのはその時だった。

 

「ニナム!?」

 

 エルコーが馬車上の彼女へと振り向き、そして飛び込んで来た光景に目を見開く。

 ニナムの胸元には、一本の矢が深々と突き刺さっていた。

 

「く……そ……」

「ニナムッ!」

 

 そしてニナムは、掠れた声を零すと共に、馬車上で崩れ落ちる。エルコーは慌てて彼女の身体に駆けずり寄るが、彼女はすでに息絶えていた。

 

「そんな……――ッ!」

 

 旅の仲間の突然の死に、悲観に沈みかけるエルコー。しかしその直後に感じた気配が、それすらも許さなかった。

 エルコーが馬車内から外部へ視線を移せば、彼等を大巻きに囲い始めている、多数の野盗達の姿が見える。エルコー達は前方の敵に気を取られている内に、その両脇を抜かれ、包囲されつつあった。

 

 

 

 チナーチとセートは、二人合わせて十を越える数の野盗を屠っていた。敵中である程度暴れた二人は、一度合流し、背中合わせとなり互いを守る体勢を取り、会話を交わす。

 

「ふぅ……だいぶやったかな?」

「あぁ、だが次々沸いて来るな……」

 

 それなりの数を倒して尚、衰える気配の無い野盗達の勢力に、少し苦々し気な声を零すセート。

 

「そろそろ引き際かもしれない」

「だね……隙を見て脱出しよう!」

 

 セートの退却を促す言葉に賛同し、チナーチは野盗達の中に隙を見出すべく、視線を動かす。そして野盗達の包囲が薄い箇所を見つけ、そこ目がけて突貫すべく、地面を踏み切った。

 

「――え?」

 

 が、彼女がそれまでのような、常人離れした速度を出すことは、叶わなかった。

 

「ッ――!」

 

 異常に気が付いたチナーチは、慌てて足を前に踏み出してその体を止め、折り返し動作で後方へ跳躍。セートと合流し直し、警戒体制を取る。

 

「加護が消えてる――」

 

 異変を察し、声を零すチナーチ。彼女等の体に掛けられていたはずの、強化魔法の効果が消え去っていた。

 

「これってまさか……!?」

「ニナム……!?」

 

 そして強化魔法の効果が途絶えた事は、すなわちその強化魔法の主であるニナムに何かあった事を示していた。

 それを察した瞬間、チナーチとセートは同時に自分達の馬車へと視線を向ける。そして飛び込んで来たのは、多数の野盗達に群がられている、馬車とエルコーの姿だった。

 

「嘘……!」

 

 馬車上で、必死に剣を振るい野盗達を相手取る、エルコーの姿が見える。

 

「がぁ!?」

 

 しかし次の瞬間、群がる野盗達の中から突き出された一本の剣の先が、エルコーの体を貫く光景が、二人の目に映った。そしてエルコーの微かな断末魔が聞こえ来る。

 

「そんな……エルコー……ニナム……」

 

 驚愕の光景に、チナーチは目を見開き、二人の名を零す。

 

「――ッ!チナーチ、こっちもまずいッ!」

 

 一方、セートは自分達も危機的な状況下にある事に気付き、チナーチに向けて声を張り上げる。見れば、二人は増えた野盗達により、より厚く囲まれ出していた。

 

「糞、なんとかして突破を……」

 

 汗をその頬に一筋垂らしながら、なんとか包囲の突破を試みようと、思考を巡らせるセート。

 

「う……うぁぁぁぁッ!」

 

 だが、チナーチが叫び声と共に飛び出したのは、その時であった。

 

「な、チナーチ!?」

 

 彼女のその行為に目を剥くセート。

 チナーチはその人狼特有の犬歯を剥き出しにし、同様に人狼特有の体の各所に生える体毛を逆立たせ、剣を手に野盗達へと切りかかってゆく。

 エルコーとニナム。二人の仲間を殺害された事による、怒りの突貫。

 しかし加護を失った今、その行為は大変な危険を伴う物であった。

 

「落ち着けチナーチッ!」

「あぁぁぁぁッ!」

 

 セートの制止の声は耳に入らず、チナーチは野盗達の懐に踏み込み、剣を振るい出す。

 

「こいつ――ぎゃッ!」

「糞!大人しく――ぐぁッ!?」

 

 怒りと狼の本能がない交ぜになったチナーチの太刀は凶暴であり、次々に野盗達を切り裂いてゆく。

 

「よくも二人をッ!皆切り殺してやるッ!」

 

 獰猛な獣のように叫び暴れまわるチナーチ。しかしその激しい怒りが、彼女を狙う死角からの一太刀に、気付くのを遅らせた。

 

「ッ!しま――」

 

 一瞬遅れて、自らに襲い来る大斧の存在に気が付くチナーチ。回避は到底間に合わない。チナーチは、ただ振り下ろされるその大斧を瞳に映し続ける――

 

「――え?」

 

 ドン、とチナーチの身が何者かに押しのけられたのは、その時だった。

 そして同時に、ドスッと刃物が何かに突き刺さるような音が聞こえ来る。

 

「……ぁ……」

「……え……?」

 

 押しのけられ、尻もちをついた先で、チナーチはそれを見る。

 視線の先にあったのはセートの身体。その背には大きな斧が深々と刺さり、彼の口からは声にならぬ声が零れ聞こえてくる。

 

「……セート……?」

 

 呆然とした様子でそれを眺め、彼の言葉を零すチナーチ。

 

「おお?なんだ野郎が庇いやがったかぁ?」

 

 そんなチナーチの耳に、野太い声が聞こえ来る。

 セートの背に刺さった大斧を追い、その向こうへ視線を向けると、そのにあったのは斧の主らしき大男の姿。

 

「コイツにいいトコでも見せたかったのかぁ?」

 

 言いながら大男は、フンと大斧を振るう。

 その勢いで大斧の刃はセートから抜け、彼の体は地面へと叩き付けられ、背中に出来た大きな切り口から、鮮血を噴き出した。

 

「ま、結果は無駄死にに終わったようだがな!」

 

 そして、およそ堅気とはかけ離れたその無骨な顔面で、ガハハと下卑た笑いを上げる大男。同時に、その大男を取り巻いていた周りの野盗達も、同時に喝采や笑い声を上げる。

 

「あ……あぁぁぁぁッ!?」

 

 一方、起こった出来事を理解したチナーチは、絶叫にも近い雄たけびを上げた。

 そして剣を握り直して立ち上がり、大斧を構える大男目がけて、踏み切り切りかかった。

 

「おおっとぉ」

 

 しかし怒り任せの大振りな彼女の攻撃は、大男に容易に回避されてしまう。

 

「うぁぁぁぁッ!」

「ははは、元気なワンちゃんだ!」

 

 がむしゃらに剣を振り回すチナーチだが、大男はその全てを回避し、あるいは大斧で受け止め、悠々とあしらってゆく。

 

「よっ」

「あッ――!?」

 

 そして大男がタイミングを狙って大斧を一振りすると、チナーチの持つ剣は容易く弾き飛ばされた。

 

「ごぅッ――!?」

 

 そして直後、チナーチの腹部に鈍く、しかし重い衝撃が走る。

 見れば、大男の空いたもう片腕の拳が、彼女の腹部へと打ち込まれていた。

 チナーチは少量の胃液をその口から「カハッ」と吐き出し、そして宙を軽く舞い、地面へと崩れ落ちた。

 

「お頭、流石ぁ!」

 

 苦戦した相手がようやく倒された事に、周りを取り囲んでいた野盗の男達は、囃し立てる声を上げる。そして数人の野盗が、崩れ落ちたチナーチを囲い出した。

 

「この犬っころが!手間かけさせやがって!」

「畜生!コイツ等に何人やられたんだ!?」

 

 一人の野盗がチナーチの髪を掴んで顔を上げさせ、周りの野盗達は彼女に向けて罵声を浴びせ掛ける。そして仲間を多数殺された事による怒りか、野盗達は害意をチナーチへと集中させる。

 

「まぁ落ち着け、お前等」

 

 しかしそれを察した頭と呼ばれた大男が、野盗達に制止する声を掛けた。

 

「よく見て見ろ、ソイツは犬っころではあるが、なかなか上玉みてぇだ」

 

 頭の大男はチナーチの整った顔立ちを指し示して発する。

 

「連れて帰れば楽しめるだろう。その体を持って、謝罪の姿勢を示してもらうとしようぜ」

 

 そして下品な笑みと共に発せられた頭の男の言葉。その言葉に、野盗の男達もその目の色を変え、そして沸き立った。

 

「確かに……お頭の言う通りだぜ!」

「この犬っころには、じっくり礼をしねぇとなぁ!」

「久々の女だぜ!」

 

 騒ぎ立てる野盗達。その声を遠くに聞きながら、チナーチの意識は遠のいてゆく。

 

「く……そぉ……」

 

 そして零したその言葉を最後に、チナーチは意識を失った。

 

 

 

 月読湖の国、月流州。スティルエイト・フォートスティート。

 

「……ふッ!」

 

 太陽も完全に落ちて暗くなり、ランタンの灯りだけが頼りのスティルエイト邸の庭先に、斧を振り回すディコシアの姿があった。

 

「ハッ!」

 

 重たい斧を両手でうまく支え、一振り一振りを最小限の動作でこなしてゆくディコシア。

 

「だぁぁッ!」

 

 そして最後の一振りを大きく振るうと、ディコシアは動作を停止し、斧の先を地面へと着いた。

 

「……こんな物ではな……」

 

 一連の動作を終えたディコシアは、呟くと斧を持ち直し、自宅の玄関へと向かった。

 

 

 

「はぁ……」

 

 小さなため息と共に、扉を開いて玄関を潜るディコシア。

 

「あれぇ?兄貴、まだ起きてたの?」

 

 そんなディコシアの、眠たそうな声で出迎えたのは、妹のティだ。

 格好は就寝時の軽い服装であり、言葉の後に「ふぁぁ」と小さな欠伸をして見せる。

 

「あぁ、ちょっと体を動かしてた」

 

 妹の問いかけに、どこか浮かない口調でディコシアは答える。

 

「なんでまたこんな時間に?毎朝やってるのにさ?」

「あんな物を見ちゃったからな……」

 

 ティの重ねての問いかけに、ディコシアは近くの椅子に腰掛けながら、そんな言葉を返す。

 〝あんな物〟とはすなわち、昼間に行動を共にした自由等、そしてその装備や戦いの様子の事であった。

 

「あんな力がこの世に存在するとは……」

「ホント色々とんでもなかったよね~。魔物を倒した事や、使う道具や魔法――なのかな?も凄かったけど、何よりあの人達自身も規格外な感じだし。……タケズミは嫌な感じのヤツだけど」

 

 浮かないディコシアの一方で、ティはどこか呑気な様子でそんな感想を口にする。

 

「非力だった……」

 

 しかしそこでディコシアは零す。

 

「兄貴?」

「俺も、それなりに心得はあるつもりでいた……だけど今日、彼等の前で俺はお荷物も同然だった……!」

 

 そしてディコシアは微かに震える声で、絞り出すように己の感情を吐露して見せた。

 

「そりゃぁ……しょうがないって。あんな訳分かんない人たちと比較してもさ。それに、人によって力なんて違ってくるんだから……」

「お前には魔法があるからいいかもしれない……!だが、俺にはこの身以外、何もないんだ……!」

 

 慰めるように言葉を掛けたティに、しかしディコシアは悔しさを堪えるように発した。

 

「兄貴……」

「……ごめん、お前に当たるなんて、どうかしてるな」

 

 その直後、ディコシアは自己嫌悪に襲われ、頭を項垂れた。

 

「真面目に考えすぎだって。あたしだって、結局今日はあの人達をちょっと運んだだけで、ずっとお荷物だったし――兄貴、あの人達にずっと余裕で突いて行けてたじゃん?十分強いと思うよ?」

 

 そんなディコシアに、再びフォローの言葉を紡ぐティ。

 

「すまない……」

 

 そんな妹の献身に、ディコシアは申し訳なさそうな一言を返した。

 

「今日は疲れてるんだよ。もう寝たほうがいいよ」

 

 ティはディコシアにそう促すと、その場を立って隣室へと姿を消す。

 

「あー!父ちゃんまた薬飲んでなーい!?」

 

 隣室から、ティの叫び声が聞こえ届いたのは、その直後だった。

 

「……はぁ」

 

 ディコシアはそんな声を聞きながら、最早何が理由かも分からぬ小さなため息を吐いた。


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