「怖いってあるでしょう」
怖い?
「そう、怖い。ナイフが怖い。水が怖い。はたまた野菜が怖い。洒落ているもので言えば……そう、まんじゅう怖い」
あぁ、落語の。
「そうです。……昔、絵本で読んだことがあるんです、当時は5歳ぐらいだったですわ。えぇ、とても面白くて脳裏に焼き付いたのです。……幼い私は絵本を読んで、何とも恐ろしいことを思いつきました「好きなものを怖いものにすれば、みんな私にくれるんじゃないか」ってね」
それは……それはとて恐ろしいことを考えますね。
「そうでしょう、そうでしょう。幼いながら私は恐ろしいことを考えましたわ。……えぇ、本当に恐ろしいことを」
…………。
「あら、コウ先生は保護者のくだらない雑談を大人しく聞いてくださるの?」
くだらなくはないですよ、僕はとても––––失礼ですが、少しだけ面白くも感じています。
「うふふふふ。随分と変な先生だこと。保護者の昔話、それも個人のトラウマの冒頭を聞いて面白いだなんて。私って落語家の才能でもありますか?」
話術に関してか、話の選択のセンスについてか答えかねますが、僕は、ないなんて断言できるほど不躾じゃないです。
「とても穏便に済ませたい返答ですわね。きりちゃんがあれだけ気に入ってるのもわかりますわ」
「……お話を続けてもよろしくて?」
えぇ、どうぞ。時間ならたっぷりあります。
「そんなに畏《かしこ》まらなくても。そうですわね……幼い頃に、大好きなお菓子がありましたわ。ずんだ餅って言いまして。今でも家で出るんですわ。それで……あの絵本を読んだ後に、両親にこう言ったんです」
「私、ずんだ餅怖い」
「って。両親は私がまたおかしな事を言ってると思ったんでしょう。幼い頃からは多感でしたから」
「ですけど、すぐに母親は私が何がしたいか気づいたんです。なんせ私は絵本を持っていたんですから。優しかった両親は幼い私のごっこ遊びに乗ってくれましてね。そんなに怖いならずんだ餅責めをしてやる〜、なんて言って。私は「美味い、美味い」と食べたのです」
「嫌な成功体験でしたわ。それから私は好きなものがだんだんと恐ろしくなってきて。本当に。当時は「ジュース怖い!チョコレート怖い!」なんて言いふらして、」
「けれど、両親は冗談だって受け取って。イタコは面白いことを言うなぁ。そんなに怖いなら、そぉれって。子供に甘い人たちだったからたくさんくれて……」
「悪化の一途をたどりました」
……今は治ったんですか。
「いいえ、治っていませんわ。だから、コウ先生にきりちゃんが相談したんでしょう」
「私はあの子をすごく怖がっていますから」
まぁ、はい。そうですね。東北さんが「イタコ姉様は私のこと嫌いなんですか。姉が妹の頭を撫でるときに、手が震えるのは当たり前なんですか」なんて泣きついてくるもんですから、何事かと伺うと、ね。
「まぁ、えらく懐いていますこと。……いい先生ですわね」
いえいえ、全くと言っていい先生じゃありませんよ。いつも生徒に舐められ、威厳っていうものはありません。……ただ、あの子たちの相談を聞いてあげているだけです。
「……十分すぎますわ。本当に。きりちゃんが相談できる相手がいてよかったです。私は……あの子を怖がっていますので」
僕はまぁ、家庭のそれも、さらに深い個人の話に入っていけるほど偉くはありませんし、何かを言える立場でもありません。えぇ、ただあなたのお子さんの元担任、というだけで。
「…………」
東北さんはイタコさんに怖がらないで欲しいんでしょう。……今の貴方にはとても難しいことかもしれませんが。
「……長年の癖は、抜けませんわ」
恐ろしいほどに僕は知っていますよ。似たような人が近くにいるので。……難しい、ほんとに、恐ろしいほどに難しいですが。僕から言えることは、一教師として言えることは––––そうですね。一回、面と向かって話してみてはいかがでしょうか。