笑顔の絶えない世界~道楽の道化師の軌跡~ 作:マーキ・ヘイト
「うんっ……あぁ……はぁ……」
真緒は、未だかつてない程、心臓が速く鼓動する。そのあまりの速さによって、胸に痛みを感じてしまう。必死に両手で抑え込もうとするが、どうしても押し返されてしまい、収まる気配すら無い。
「はぁ……はぁ……」
息苦しくも無いのに、何故か呼吸が荒くなってしまう。額から流れた汗が頬を流れ、顎から雫となって落下する。そしてそのまま、足下の“湯船”に着水してそこから外側に向かって波紋が広がる。
実は真緒が今いる場所は、源泉掛け流しの露天風呂である。そしてこの場にいるのは真緒一人だけでは無い。
「はぁ~、体をピカピカにしましょう。泡がモコモコモコ~」
露天風呂中に漂う湯気のせいで、姿こそよく見えないが、時々漏れて来る声は“エジタス”で間違い無い。つまり真緒とエジタスは、お互い裸で同じ空間に滞在しているという事だ。
幸いにも、中央にそびえ立つ岩影を背にして湯船に浸かっていた為、向こうにこちらの存在は気付かれてはいない。しかし、万が一という事もある。今は体を洗っているが、終われば間違いなく湯船に浸かって来るだろう。そうなれば、見つかるのは時間の問題。
「いったいどうしてこんな事に……」
全ての始まりは二時間前。フォーグに頼まれ、ヘルマウンテンの調査を引き受けた直後の事だった……。
***
「“温泉”ですか?」
「うむ、この里の目玉での。ヘルマウンテン付近の地中から涌き出た天然の温泉水を引いているのだ」
思い返せば、この終わりの大地に足を踏み入れてから、異様な地面の熱さや間欠泉など、温泉があっても可笑しくない要素は多々あった。
「ワシから貴殿達に出来る事は少ない。その内の一つである温泉を、どうかマオ殿達に浸かって貰い、ヘルマウンテンへ行く前に心と体を休んで貰いたい」
「でも、本当に良いんですか? 里の公共施設を私達が利用しても?」
「構わんよ。ここだけの話、ワシら鳥人族はあまり風呂というのに興味が無い。カラスの行水というのだろうか、体を洗った後、湯船には二秒しか浸からない。それではせっかくの温泉なのに、意味が無いだろう?」
「た、確かに勿体無いとは思います……」
「だからという訳では無いが、マオ殿達に里の自慢である温泉を味わって欲しいのだ。きっと気に入って貰えると思う」
真緒はどうするべきか、仲間達の方に顔を向けるが正直な話、もう既に答えは決まっていた。例え、正反対の意見が出たとしても、自身の意見を押し通すつもりだ。
しかし、どうやら杞憂だったらしい。エジタスは仮面越しで表情が分からないが、ハナコとリーマの二人はこれでもかという位、力強く目で訴えてくる。
最後に湯船に浸かったのが、人魚の町を出る日の事。それから実に数週間。海賊船にお風呂が付いている訳も無く、運良く雨が降るのを祈るしか無かった。だが、結局雨は降らず真緒達は終わりの大地に辿り着いていた。最早、限界に近かった。
「そ、そういう事なら是非!!」
真緒は今までに無い程、強く返事した。
「うんうん、それじゃあ早速泊まる場所と一緒に案内させよう。ビント、頼んだぞ」
「お任せ下さい。ほら、付いて来い。案内してやる」
そう言うとビントは立ち上がり、真緒達に付いて来る様に促す。真緒達も素直に従い、ビントの背中を追い掛ける。
「それでは族長、これで失礼します」
「フォーグ族長、今日はありがとうございました」
「ありがどうごぜいまじだぁ」
「ありがとうございました」
「フォーグさん、今度は一緒に踊りましょうね~」
各々、一言ずつ添えて部屋を後にしていく。最後のエジタスが、両手をヒラヒラさせながら出て行く姿を見届け、一人残ったフォーグはポツリと呟く。
「どうか、頼みましたぞ……」
***
族長の屋敷を後にした真緒達は、ビントに連れられて鳥人の里を歩いている。人通りを避けて真っ直ぐ族長の屋敷に向かった時とは異なり、そこそこ人が行き交う通りを歩いている為、すれ違う鳥人族に目で追われる。
「な、何だか見られていますね?」
「当然だ。この里に他所からの旅人が来るなんて初めての事だからな」
「そうなんですか?」
「お世辞にも、ここは生物が生きるのに適した場所とは言えない。寧ろ正反対の場所と言ってもいい」
「まぁ、“終わりの大地”なんて呼ばれている位ですしね……」
「こんな所に住めるのは余程の物好きか。はたまた、俺達みたいに先祖代々から暮らす事で環境に適応した者だけだろうな」
「成る程……だからその例外である私達を物珍しさで見ているって事ですね」
「そういう事だ。最も、里の殆どの者が外部との交流が無いから、お前達を得体の知れない生物と認識して、出来る限り近付こうとはしないがな」
「え、得体の知れない生物ですか……」
ビントの言葉に引きつった笑みを浮かべる真緒。リーマは出来るだけ目立たない様にフードを被り、顔を隠そうとする。一方でハナコとエジタスの二人は目で追ってくる鳥人達に対して、笑顔と手を振り撒いていた。
「まぁ、気にする必要は無い。堂々としていれば良い。お前達は族長の許可を得て、ここにいるんだからな」
「そ、そうですよね」
「さてと……着いたぞ。ここが里の名物……“龍浴場”だ」
ビントに案内され、辿り着いた先には、族長の屋敷に負けず劣らずの大きさを持った建物だった。茶色い看板に金色の文字で“龍浴場”と書かれており、入口にはのれんが垂れ下がっており、そこには“ゆ”と書かれていた。
「“龍浴場”ですか?」
「その昔、勇者と呼ばれる男がヘルマウンテンを寝床にしていた狂暴な龍を退治した功績を称え、建設されたらしい」
「勇者……」
自分と同じ異世界から転移して来た前の勇者。いったいどんな人物だったのか。真緒は自身を勇者とは思っていないが、何故だか不思議な縁を感じていた。
「おい、何してる?」
「え?」
しばらく感傷に浸っていると、ビントに呼び掛けられる。気が付くと周りにいた筈のハナコ、リーマ、エジタスの姿が見えなくなっていた。
「あ、あれ? 他の皆は?」
真緒はキョロキョロと辺りを見回しながら問い掛ける。それに対してビントは、呆れた様子で答える。
「何を言っているんだ。もうとっくに中に入って行ったぞ」
「そ、そんな!?」
余程、温泉に入りたかったのだろう。真緒の事を置いて先に行ってしまった。
「お前もさっさと入れ。俺は近くで時間を潰して来る」
「あっ、はい!!」
それだけ言うとビントは真緒を置いて、その場を離れていく。真緒も慌てて龍浴場の、のれんを潜った。
「……うわぁ……」
中に入ると、そこは元いた世界の温泉施設と同じ内装であった。靴を入れるロッカー、広々としたロビー、横になれる仮眠スペースに、風呂上がりに飲む為に用意されたよく冷えた牛乳。まるで元の世界に戻って来た様な感覚だった。
「先程のお客様のお連れの方でしょうか?」
「えっ!? あっ、はい!!」
またも真緒が感傷に浸っていると、受付にいた鳥人の女性に声を掛けられ、現実に引き戻される。やはりここは元の世界では無く、異世界なのだと。
「お連れの方々は先に大浴場へと向かわれました。大浴場はこの先の突き当たりを曲がった先にはございます」
「ありがとうございます」
そう言うと真緒は、丁寧に頭を下げる受付の鳥人を尻目に小走りで大浴場の方へと向かう。
大浴場の入口は男女の二手に分かれており、それぞれ赤と青ののれんが掛けられている。
そして、ここで真緒は痛恨のミスを犯してしまう。ここまで元のいた世界の事を思い出していた為、自然と赤いのれんが掛けられている方へと体が動いた。赤いのれんの上に“男湯”と書かれた看板が掛けられている事に気付かず……。
***
「わあぁ、結構広い」
脱衣所で全て脱ぎ、バスタオルを巻いて現れる真緒。龍浴場は露天風呂らしく、広々とした湯船が広がっていた。その脇には龍の顔を象った銅像が置かれており、その口から温泉が止めどなく流れ出ている。
ちゃんと体を洗う為のスペースも用意されているらしく、建物越し一列に鏡と石椅子が一定の感覚で並べられていた。
「はぁああああああ……」
真緒は爪先から肩まで徐々に湯船に浸かると、あまりの気持ちよさから思わず溜め息を漏らした。
「暖かい温泉……そしてこの外気に晒されて少し冷たくなっている岩を背中に当てるとまた……たまりませんな……」
最高のベストポジションを見つけ出した真緒。しばらく温泉を堪能していたが、ふとある事に気が付いた。
「そういえば……ハナちゃんとリーマは何処にいるんだろう?」
先に行った筈の二人の姿が見えない。疑問に思った真緒は二人の名前を呼ぼうとする。
「おーい、ハナちゃ……「いや~、久し振りのお風呂はテンション上がりますね~」……っ!!?」
が、その前に声が聞こえて来た。男湯だと思い込んでいる向こう側では無く、このすぐ近くから。真緒は慌てて両手で口を塞ぐ。声のした方向にゆっくり目を向けると、そこには……。
「さてさて~、さっと湯船に浸かるのも良いですが、まずは体を洗わないといけませんよね~」
湯船から立ち上る湯気のせいで、ハッキリとは分からないが、人影だけでも何となく分かる。あれは……。
「(し、師匠!!?)」
そうして、冒頭の展開に至るのであった。
まるでラブコメの様な展開。
だけど、相手が笑顔の仮面を被った残念男。
次回、二人の距離が急接近!!?
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