ペチュニアに拾われた賢い猫のお話。



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ダーズリー家の飼い猫

 

 

私は限界だった。

私は疲れ切っていた。

私はもう諦めていた。

 

 

傷ついた体をなんとか引き摺りながら裏路地へ向かう。腹から流れる傷が、空から降る霙と混じり地面へと流れた。

 

 

 

私は猫だ。

私は他の猫とは違った。なぜ私がそうなったのか、私には分からなかった。ただ、私は違う。それだけは、分かっていた。

母は死んだ。同じ時に生まれた兄妹も。路地で過ごした仲間も。みんな死んだ。悲しくは無い、仲間の死を見るのは慣れていた。

飢え、病気、暴力、事故。原因はたくさんあるだろう。ただの力のない猫はよく死んだ。

 

しかし、私は死ななかった。

幸運にもあの鉄の大きな動くものに轢かれる事はなく過ごしていた。

家を持たない野良猫が、天寿を真っ当するのは珍しいだろう。長い時を生きた。同じように幸運にも生き延びた仲間たちが死に、そろそろ私の番だと思った。

 

春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来て。

そしてまた同じ季節が回った、何度も何度も、何度も。

おかしい、と思ったのは産まれた時を見た猫が私よりも先に老いて死んだ時だ。

 

唐突に、理解した。

私は、彼らと同じ姿をしているが、同じではないと。

 

 

寒い冬を30回経験したあたりで私は数えるのをやめた。

私は世界を回った。どこかで私と同じネコがいるのではないかと思って。

だが、どこにも私のようなネコはいなかった。

 

私はニンゲンの新聞を読んだ、雑誌を読んだ。時には無数の本がある場所へ潜り込み、たくさんの知識を得た。ネコやネズミと話し、私が何かを知る誰かがいないかと、探した。

 

しかし私は、何なのか分からなかった。

 

だから、私は気にする事をやめた。

分からぬのなら仕方がない。私は少々寿命が長いだけなのだろう。そう考えたくさんの子孫を残し、夜の闇を闊歩した。

 

 

油断していたのだ。

大雪が降り地面が凍っていた。

急に進路を変えた鉄の塊が私に突っ込み、刹那視界が真っ白になった。

 

激痛で目が覚め、なんとか裏路地まで来たものの、どうやら私は死ぬらしい。

 

 

「──……」

 

 

長く生きた結末がこんな情けない事なのか、と思わないでもない。しかし、私はたくさんの子を残す事ができた。それなりに充実した生だっただろう。

 

 

 

「──バーノン!ほら、いたわ!」

「ああ、ペチュニア。もう死にかけている……このまま死なせてやったほうが──」

「駄目よ!あの車は私たちを避けたの。それでこの子が轢かれて──すぐそこに動物病院があるわ」

「だが──ううむ、私のジャケットを使おう。君は触らない方がいい。大事な体なんだから……」

 

 

人の声が聞こえた。

私は目を開きそちらを見る。人が2人、私を服で包み抱き上げた。

 

 

「みゃあ……」

 

 

私は一言鳴いて、目を閉じた。

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

どうやら私はしぶといらしい。それとも豪運なのだろうか。

私は生き延びた。心優しき夫妻が私を病院に連れて行ってくれたのだ。

私は後ろ足を骨折し暫く走れなくなってしまった。歩く事に問題はないが、これでは狩りをするのは難しそうだ──と思っていたら、夫妻は私を家に連れて行った。

 

 

「ここがあなたのお家よ」

「ペチュニアや、本当に良いのかい?あと数ヶ月で坊やが生まれる。あまり良くないんじゃあ……」

「お医者様は、この猫に病気はないって言っていたわ。それに、幼い頃から動物に触れされるのは情緒が育って優しい子になるから良いって本に書いてあったもの!まあ、上に乗らないよう注意は必要だけど」

「みゃあ」

「それに、何だか──とても素敵な猫じゃない?」

「それは──まあ、そうだな。賢そうだ」

「あなたの名前を決めなくちゃね!そうね……クロエ。あなたの名前はクロエよ!」

 

 

クロエ。

それが私の名前か。

私はじっと2人を見つめ、了解の意味を込めて目を細めごろごろと喉を鳴らした。

 

 

それからの日々は、なんとも平和だった。

私は私を拾ったペチュニアとバーノンの良き飼い猫として過ごした。勿論彼らを困らせるつもりはなく、爪とぎや排泄は決められた場所で行い、無駄に鳴くこともない。

 

穏やかな日々が数ヶ月過ぎ、冬が終わり春が夏に向かう頃。変化が訪れた。

 

 

「ほら、クロエ!あなたの弟のダドリーちゃんよ」

「にゃあ」

 

 

それは小さな人だった。たしか、人間の赤子だ。そういえばペチュニアは腹が膨らんでいた。その赤子が出てきたのだろう。

ふくふくとしたダドリーは、ペチュニアの腕の中に抱かれ幸せそうに眠っていた。慈愛に満ちる目をするペチュニアとバーノン。私はソファに座る彼らのそばで、人の飼い猫になるのも悪くはないものだ、と思いながらぐるぐると喉を鳴らした。

 

 

 

「にゃあ」

「どうしたの?クロエ」

「にゃあー」

 

 

その日、ダドリーは囲いのあるベッドで寝かされていた。

私は賢い猫であり、バーノンとペチュニアが心配していたようにダドリーの顔に体を乗せることはない。だが、たまに寄り添いすくすくと成長するダドリーを見ていた。そして気付いたのだ。体温が私と同じほど高いと。

たしかいつもはもう少しひんやりとしていたはずだ。

 

 

「にゃー」

「……?」

 

 

私はダドリーが寝るベッドの上に登り、寝ているダドリーをじっと見つめ、ペチュニアを見た。「にゃあー」と鳴けばペチュニアはこれほど私が鳴くのはおかしいと思ったのか、すぐに近づきダドリーを抱き上げた。

 

 

「まあ!熱があるわ、大変!──バーノン!バーノン!」

 

 

ペチュニアはダドリーの体温の高さにすぐに気づき、リビングで新聞を読んでいたバーノンを大声で呼び、慌ただしく外へ飛び出した。おそらく、病院に行くのだろう。

私は窓の枠に飛び乗り、道路を走る車を見つめ──あの鉄の塊が車だと、私はペチュニアとバーノンの会話で知った──尻尾を揺らした。

 

ペチュニアとバーノンは数時間後に帰ってきた。

 

 

「あなた、クロエが教えてくれたのよ!」

「そんな、まさか!普通じゃない!」

「少し、普通じゃないわ。でも、ほら、テレビで見た事があるわ!犬が飼い主の体調不良に気づいて人を呼ぶ場面。きっと、クロエは普通よりちょっと賢い猫なのね!」

「うぅむ……」

「ありがとう、クロエ。あなたは良いお姉ちゃんだわ」

「にゃあ」

 

 

バーノンは不服そうな、不安げな顔をしていたが、ペチュニアは私の喉を細い指で優しく撫でてくれた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「くろえー!」

「にゃあ」

「くろえ!」

「にゃあ?」

「ははっ!くろえー!」

 

 

ダドリーが生まれて、季節が一周と少しした。

ダドリーはたどたどしく話せるようになり、よたよたと歩きだし私の後を懸命に追った。私が尻尾を揺らすと喜んで手を叩いた。

時々涎まみれの手で尻尾を掴まれ、そのまま口に入れられしゃぶられるのは──少々嫌だったが、私はダドリーの姉である、可愛い弟の悪意ない行為を、私は許した。

 

 

「ダッダーちゃん。クロエに遊んでもらえてよかったわね」

「にゃあ」

「うん!」

 

 

人の成長は猫よりも緩やかだが、しかし、表情がコロコロ変わるのは可愛らしい。

 

 

「ほら、もう寝ないといけないわ。おいで」

「うーん……」

「おやすみ、クロエ」

「にゃあ」

 

 

私はペチュニアの足に体を擦り付け、お休みの挨拶をした後、定位置であるリビングのソファに向かった。

バーノンとペチュニアはダドリーと共に寝室へ向かう。私は暗くなった部屋で、お気に入りの毛布を踏みしめながら窓の外を見た。

 

 

──あの猫、ずっと塀の上にいるな。

 

 

おかしい。何かの直感が訴えかけていた。

私は足音を殺し、前足で窓の鍵を開けそっと開く。そのまま外へと飛び出し、塀の上にいる猫の元へ向かった。

 

トラ猫だった。おそらく野良猫ではない、野良猫は汚れるが、この猫は妙に綺麗だ。

 

 

「こんばんは。きみは新人かな。この一帯は私のテリトリーだ。朝からここにいるだろう。すぐ引いてもらおうか。──去れ」

 

 

私は話しかけたが、答えは期待していない。猫はあまり流暢に話せないのだ、単語単語でしか話せず、おそらく私の言葉を全て理解することはできないだろう。それでも、最後の言葉は理解出来たはずだ。

 

塀の上に座ったまま、髭をぴくりと動かした猫はすっと目を細める。

 

 

「それは失礼しました。今朝ここに着いたばかりで。私はこの辺りのことをよく知りません。後数時間、ここに座る許可をくれませんか?待ち合わせをしているのです」

 

 

私は、私はその言葉を聞き驚き目を見開いた。

初めてだった、これほど言葉が続く猫を見たのは。

 

 

「君。──君。私と同じなのか?」

「……と、言いますと?」

「沢山の同類に出会ってきた。しかし、私のように明確な言葉を話せる猫はいなかった!それほど長い言葉を、話せる猫は──君は、なんだ?そして、私が何なのかも知っているのか?」

「……、……まさか──」

 

 

猫が狼狽え目を細めたとき、近くの曲がり角に奇妙な気配が現れた。

私はすぐさまその場所から引き、暗がりに隠れて現れた人をみる。

 

何か変だ。私はすぐさま家に戻り、門前で警戒するように身を伏せた。

 

 

すると、信じられない事が起こった。

先ほどまで猫だったものが、人に変わったのだ!目の前で、あり得ない。そんなものは見た事がなかった。

2人は長く話していた、その言葉は風に乗って私の耳にも届いた。ハリー・ポッター?その名前、たしかバーノンが言っていた。ダドリーと同じ年頃の子だと。

 

 

突如雷の音が響いた。しかしそれは雷ではなく巨大なバイクのなす音だった。しかし、道路を走ってはいない。それは空から降りて、人よりも明らかに巨大な人がのっそりと不可解な事を話す2人と合流した。

 

 

初老の男がタオルで包まれた何かを持ち、この家に近づいた。

 

 

「シャーーッ!」

「おお、そう警戒するでない。どうかその場をどいてくれんかのう?」

「ダンブルドア、その猫は──おそらく、ただの猫ではありません」

「何?どういう事かね」

 

 

ダンブルドアと呼ばれた男は私を見下ろした。

すぐに女が──また、猫へ変わった。

 

 

「何だ貴様ら!」

「落ち着きなさい」

「この家に何の用だ!この家は、私の家だ!私の大切な家族がいる!ここは私のテリトリーだ!今すぐここから去れ!」

「あなたは猫ですか?それとも、私と同じ──魔女ですか?」

「魔女……?」

 

 

魔女。

その言葉を聞いた途端──。

 

胸がどくりと脈打った。

魔女。魔法。魔法使い。杖。闇の魔法。呪い。

 

 

──ああ、思い出した。そうだ。私は遥か昔、人だった。呪いにより、猫になった。ああ──そうだった。

遥か昔の記憶を思い出した。しかし、しかし私は今は猫だ。ペチュニアとバーノンに命を救われたクロエ。それでいい。

 

 

「──何のことかわからないな」

「……どうします。ダンブルドア」

 

 

猫は人に戻り、不安げにダンブルドアを見上げた。

ダンブルドアは暫し沈黙していたが、そっと玄関にタオルを置いた。

 

 

「賢き猫よ。どうかこの子を傷つけないでおくれ」

「……にゃあ」

 

 

包まれていたものは赤子だった。ダドリーと変わらぬ赤子。この子が、ハリー・ポッターか。

その子の手には手紙が握らされていた。

私は迷った。しかし、そのダンブルドアの瞳がとても辛そうで、私は仕方がなくそのハリーのそばに身を寄せた。

まだ冬ではないとはいえ夜は冷える。赤子がこんなところに置かれていると風邪をひいてしまうだろう。

 

 

「いい子だ」

「いいんですか、ダンブルドア」

「うむ。悪いものではない。むしろ──ハリーの良い友人になってくれるかもしれぬ。幸運を祈るよ、ハリー」

 

 

その人たちは消えた。そうだ、彼らは魔法使いなのだから。

 

 

「にゃあ……にゃあー……」

 

 

私は彼らが消えた後、窓に戻り家の中に入り、ペチュニアに禁じられてた寝室へと向かう。

鳴きながら前足でかりかりと扉を傷つけない程度にひっかけば、扉の向こうから唸り声が聞こえ、暫くして眠そうに目を擦るペチュニアが現れた。

 

 

「まあ……クロエ、どうしたの?」

「にゃあ」

 

 

ペチュニアは困惑しながら私を抱き上げる。私がこうして寝室に向かい、彼女を起こしたのは初めてだったのだ。私はざらりとした舌でペチュニアの頬を撫でながら、するりとその腕の中から飛び乗り玄関へ向かった。

一度振り返り、尻尾を振る。

 

ペチュニアはすぐに着いてきた。そして、玄関の扉を恐る恐る開けて──。

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

新しい家族が増えた。

あのダンブルドアとかいう魔法使いに預けられたハリー・ポッター。彼はダドリーのいとこであり、ペチュニアの妹の子らしい。

彼を預かるか孤児院に届けるかでかなりの間バーノンとペチュニアは揉めていた。その雰囲気に当てられて、ダドリーは不安になり泣いてしまう。私は必死に尻尾を振り、頭を擦り付けあやしたが、そうすると今度はハリーが泣く。

 

 

「しかし!あの連中に関わるなんて、普通じゃないんだぞ!」

「ええ、でもここでこの子を追い出したら──もしそれが近所の人にバレたらどうなるの?もう泣き声が2人分この家からしているのは知られているわ!」

「一時的に預かったといえばいいだろう!」

「駄目よ、だって。この子はここで預からないといけないって──」

「だが、金はどうする?私はダドリーとペチュニアが暮らす分は喜んで働こう!だがこのハリーの分まで──」

「何もないのよ!手紙一枚だけ!でも、仕方がないじゃない!」

 

 

子を育てるには金がいる。

そして、この家には同じ年頃の子がすでにいるのだ。1人と2人では育児の大変さも異なる。ダドリーはまだまだ夜は泣き、自我が出てきた今癇癪を起こす日も多い。

 

 

「ママー!ママ!おかし!おかし!」

「ああ、ダッダーちゃんちょっと待ってね」

「いやだー!うわああっ!」

「にゃあ」

 

 

ダドリーはお菓子をもらえないショックで泣き喚き、私をむんずと抱きながらソファに寝転び、私の腹に顔を埋めわんわんと声を上げて泣いた。

部屋の隅ではハリーが転がって泣いている。

 

2人分の泣き声、バーノンとペチュニアの大声に、私はため息を一つこぼし──ダドリーの涙に濡れる頬をぺろぺろと舐めた。

 

 

「わっ!──ははっ!やー!クロエ、やぁー!」

 

 

私の舌はくすぐったいのか、ダドリーは声をあげて笑い身を捩る。ああ、ダドリー、私の弟。どうか泣かないでおくれ、君が泣くと胸が痛む。

 

 

「──……そうだな、ペチュニア。このハリーはまだ何も知らない。私たちで真っ当に育てよう」

 

 

ダドリーの笑い声を聞き、バーノンは冷静さを取り戻したのか、絞り出すようにそう呟いた。

 

 

「あなた!──ごめんなさい。私の妹のせいで……ありがとう」

 

 

ペチュニアはバーノンに抱きつき、頬にキスをする。バーノンはペチュニアの背を慰めるように優しく撫でた。

 

 

私はダドリーの腕の中からするりと出て、床の上で泣いているハリーの元へ向かう。ハリー、君が来てからこの家は大変だよ。だけど、それは君のせいではない。君はこの家に来た。望まれていなくとも、この家の一員になったからには私の弟であることに変わりはない。

 

ハリーの頬を舐めれば、ハリーはぴたりと泣き止み、丸い目できょとんと私を見つめ、「にゃんにゃん!」と言いながら私の尻尾を強く掴んだ。

 

 

とりあえずギスギスしていた雰囲気は無くなった。

しかし、それもいつまで続くかはわからない。子を育てるには金と精神的安定が必要だが──ハリーをこの家に預けたダンブルドアはその辺りをどうするつもりなのだろうか。

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

ハリーが来て1週間。

ペチュニアとバーノンは訝しむ近所の人に、親戚が亡くなり子を預かることになったことを伝えた。

ハリーはダドリーと比べてやや大人しい子だったが、子供は子供。まだ一歳なのだ、言葉もうまく伝わらず自我が芽生え、泣き喚く。それが2人分となってしまい、ペチュニアは目に見えて疲弊していた。

 

 

「あーん!ああー!」

「──っ!うるさいわね!少しは泣き止んでよ!どうして私が、いきなり2人も……!泣きたいのは、私の方よ!」

 

 

ハリーは親が死んで、いきなり知らぬところへ連れてこられ不安なのだろう。そして、ペチュニアは──交流はあまりなかったのかもしれないが、妹を亡くしたばかりだ。

 

ペチュニアは夜によく眠れないようで、私がリビングでまどろんでいるとバーノンにもいえない不安や弱音を私に吐いた。

私が猫だから、誰にも知られぬ、何もわからぬと思っているのだろう。

 

 

──もし、家族に何かがあったらどうしよう。本当に守りなんてあるのだろうか。人殺し集団がここに気付いたらどうしよう。私に2人も育てられるのか。お金は大丈夫だろうか。ただ、バーノンと普通の幸せな家庭を築きたかった、この幸せを守りたかった。それなのに、なぜ巻き込まれるのか。家族に何かがあったらそれは私のせいだ──。

 

 

そう、ペチュニアは私の腹に顔を埋めながら震える声で呟いていた。

 

 

「ああ、もう、いや!もういやぁ!」

「うぇーん!」

「ママぁ!だっこ、だっこしてぇ!」

 

 

ヒステリックにペチュニアは叫び、その場にしゃがみ込む。今は昼間であり、彼女の支えになれるバーノンは仕事に行って不在だ。

ハリーとダドリーが泣き喚く声が響く。

 

 

「にゃあ」

 

 

私はペチュニアの足に体を擦り付けた。顔色が悪く、涙を流して頭を抱えていたペチュニアは絶望の滲む目で私を見下ろす。

 

 

大丈夫だよペチュニア。私の恩人、大切な家族。

 

 

「にゃあ!にゃにゃー!にゃーあ!」

 

 

私は泣き喚くハリーとダドリーの周りをぐるぐると回った。時々飛びつく真似をして、急に止まり、天井近くまで跳ね上がる。尻尾で2人の頬を撫で、背中に頭を擦り付ける。俊敏に駆け回る私を見たハリーとダドリーはぴたりと泣き声を止め、きゃっきゃと笑いながら私の後を追いかけた。

 

 

「くろえー!まてぇー!」

「きゃあー!くろー!」

「にゃあん!」

 

 

どたどたと走り回る私たちを呆然と見たペチュニアは、ふっと肩の力を抜き微笑むと目元の涙を指で擦った。

 

 

「クロエ、2人と遊んであげて。そのすきにちゃちゃっとお昼ご飯作っちゃうわ!」

 

 

ペチュニアのためにならば、私は喜んで2人のおもちゃになろう。

大丈夫だよペチュニア。私が何とかしてあげる。私は長く生きてきた猫であり──君が忌み嫌う魔女なのだから。

 

 

 

ーーー

 

 

 

私は夜。外へ出ていた。

夜は猫の時間であり、この体を隠すにはちょうどいい。

私は屋根から屋根へ飛び移り、疾走し、夜の街を駆けた。

人の足元をすり抜け電車に乗り、そして寂れた店へ入る。そこはまだ人がいた。

猫1匹入ったことに、店主は少し眉を上げたが気にすることは無かった。

 

 

そこは──魔法界だった。

私は久しぶりの景色と懐かしい匂いに目を細める。懐かしい、だが、この哀愁の情を感じている暇はない。

 

私は本屋に入った。そのまま閉店まで待ち、誰もいなくなったのを見計らい無数の本を見た。

 

私は知らなければならない。この世界に何があったのか。ヴォルデモート、とは誰だろうか、ダンブルドアとあの女の話ではそれがハリーに関係しているようだ。

 

 

私は、何日もかけて沢山の知識を得た。

時々うっかり寝てしまい、昼間に慌てて家に帰ればとても心配したペチュニアに怒られたが、バーノンはむしろ「普通の猫らしくていい」とホッとしたようだった。

 

 

相変わらずハリーは精神的に不安定であり良く泣き、ダドリーは自分だけの世界にハリーという異物がはいり、ペチュニアの目がそちらに向くのが嫌で癇癪を起こした。

 

その度に私は進んで道化になりハリーとダドリーのご機嫌をとる。勿論泣き止まないこともあるが、それでも何もしないよりはマシだろう。ペチュニアも、イライラした時には私の腹に顔を埋め思いっきり匂いを吸って心を落ち着かせているようだった。

 

アニマルセラピーとか、そういえばあったな、と思いつつ私は今日もハリーに耳をしゃぶられ、ダドリーに尻尾を引っ張られていた。

 

 

ペチュニア。バーノン。ダドリー。ハリー。みんな私の大切な家族だ。彼らが幸せに暮らせるのであれば、私は何だってしよう。

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

猫やカラス、その他の動物のネットワークを使い、私はホグワーツはホグズミード村近くにあるということを知った。

それはマグルには知られぬ魔法族のみの村であり、家からはかなり遠い。

猫の足でどれほどかかるのかは、わからない。

その間、家を不在にするのは心苦しいが、しかしこのままではペチュニアが心労で倒れてしまう。

 

 

私は夜、滅多に行かないペチュニアとバーノン、ダドリーが眠る寝室へと向かった。

そのままじっと大切な彼らの顔を見る。

 

 

「にゃー……」

「ん……クロエ……?」

 

 

ペチュニアはハリーが来てからずっと眠りが浅い。起こしてしまったことを申し訳なく思いながら、私は体を起こしたペチュニアの胸元に飛び乗り、ぐるぐると喉を鳴らした。

 

 

「どうしたの?」

「……にー……」

 

 

ペチュニアは不安そうな顔をした。

大丈夫だよ、ペチュニア。私の家族。大切な人。私はペチュニアの頬をざらりとした舌で舐める。

 

私の体を撫でるペチュニアの手が心地よい。

私は、そっと抜け出し窓の柵に乗った。

 

 

「クロエ?」

「にゃあ」

 

 

窓はうっすら開いていた。

最後に私は振り返り、一声鳴いて、夜の街へと駆け出した。

 

 

 

ーーー

 

 

 

私は走った。家族のために。

途中で道がわからなくなれば猫やネズミに向かう方向を聞いた。

 

何度も夜が来て朝が来て、そして厳しい冬が来たが、私は体に雪をつけつつも走った。少しでも早くホグズミード村へ向かうために。

 

 

手足の感覚がなくなり、疲労し目が霞む。

雪に足を取られながら、私は──ようやく、ホグズミード村に辿り着くことが出来た。

よろめきながらとりあえず暖を取らないと凍え死ぬ。そう思い温かな光が漏れている店へ近づいた。

人が出入りする瞬間を見計らい、賑やかな店内に体を滑り込ませる。生き返ったかのような暖かさにホッと胸を撫で下ろし、よろめきながら人に踏み潰されないように端へと移動した。

 

 

「──きったねぇ猫だな!おい、マダム!野良猫が入ってきてるぞ!」

「何ですって?まあ、しっし!ここに餌はないよ」

「にゃあ」

 

 

あまりに泥と、血で汚れていたからか、マダムと呼ばれた女は嫌そうな目で私を見た。どうやらここは飲食店だったようだ、そりゃあ、嫌になるだろう。

 

迷惑をかけるつもりはなく、出て行こうとすると私の前で誰かが立ち止まった。

 

 

「──この猫は、私の猫です」

「ええ?そうだったんですか?」

「はい。──では」

 

 

誰かが私を抱き上げた。私の体は泥と血で汚れていたが、その人が杖を一振りし、私の体は清潔に戻る。顔を上げてみれば──その人は、ダンブルドアと共にいた猫になれる魔女だった。

 

 

「にゃあ」

 

 

魔女は私を抱いたまま寒い外へと向かう。ほうりだされるのかと思ったが、魔女はローブで私を雪から隠すように包み、足早にどこかへ向かった。

 

私は疲れ切っていた。暖かさと、心地よい揺れに、私は意識を飛ばしてしまった。

 

 

 

 

 

ふと、目覚めてみれば温かな毛布に包まれていた。

近くに薄皿に満たされたミルクがあり、ぺろぺろと舐める。ほのかに暖かく、空腹に沁みるとても美味しいミルクだった。

夢中で舐めていると、微かな笑い声がきこえ、顔を上げる。

 

 

「にゃあ」

「こんな遠くまで、どうしたのかね?」

「にー」

「……ミネルバ、わしの代わりに聞いてくれるかのう」

 

 

ダンブルドアと、魔女──ミネルバがすぐそばにいたようだ。ミネルバは硬い表情で頷き、猫になる。

 

 

「何の用でここまで?ハリーに何かがあったのですか?」

「いや。ハリーは元気だ。しかし、私は今日、あなた達に苦言を申しにきた」

「苦言?」

「ああそうだ。ダンブルドアに変わりに伝えてくれないか?」

 

 

ミネルバは器用に片眉をあげ、頷いた。

 

 

「まず、ダンブルドア。あなたは人を育てたことがないのか?一歳程度の子どもを1人育てるだけでも苦労があるのだ、その子どもを2人育てることになったペチュニアの心労を考えなかったのか?ハリーはいきなり知らぬ家に来ることにより不安定になり、夜によく泣いてしまう。ダドリーも、ハリーが現れた事により母が取られたのではないかと嫉妬しストレスを感じ、癇癪を起こすようになった。ペチュニアはまだ若い、初めての子育てである。急に一歳の子供を2人も何の支援もなく育てられると思うのか?

子どもを育てるには金が必要だ。その資金は全てダーズリー家が持つのか?おかしいだろう。育てて欲しいのであれば、資金援助は必要だと思うがね。それに、ペチュニアの心のケアも必要だ。彼女が本来かけるべき愛情はダドリーに向かうものだけであり、彼女はその事について葛藤している。悩みを打ち明けることができるのは猫である私だけなのだ。それとなくカウンセリングの手配が必要ではないか。家族に何かあったら自分のせいだとも思い詰めているのだ。

まさか、ハリーを預けてあとは放置するつもりなのか?すぐに支援に人が来ると思っていたが、一向にその気配がなく、私がこうしてやってきたのだ。ペチュニアの心は疲弊してる。ハリーとダドリーが健やかに育つためにも、あなた方にはハリーを預けた責任をとってもらいたい」

 

 

しゃんと背を伸ばしそういえば、暫くミネルバは黙り込み──人の姿に戻り、困惑しながらダンブルドアに伝えた。

 

ダンブルドアは髭を撫でながら全てを聞き、そして頭に乗せていた帽子をそっと外し頭を下げた。

 

 

「これはこれは……申し訳ない。その通りじゃ。マグルには子を泣き止ませる魔法は使えぬし、服を作り出すこともできないのじゃった」

「にゃ」

 

すぐにまたミネルバが猫の姿に変わる。

 

 

「わかってくれたのなら、一刻も早く改善を要求する。私は私の家族を護りたい。彼らの幸せは私の幸せであり、ハリーが家族の一員になったのであれば、彼は私が護るべき弟なのだ。弟には健やかに成長してもらわねばならない」

「……あなたは、何ですか?魔女で……アニメーガス、ではないのですか?」

「私は──ただの賢い猫のクロエだ」

「……」

「私の願いが届いたのならば、私はもう家に帰らなければならない。きっと心配しているからね。──出来れば、家の近くまで届けてくれないかな?」

「ダンブルドアに、聞いてみます」

 

 

ミネルバはまた人の姿に戻り、ダンブルドアと向き合った。

 

 

「勿論いいとも。明日の朝には向かおう」

「にゃあ」

 

 

ありがとう、そう言えばダンブルドアは眼鏡の奥の目をキラキラと輝かせ、私の体を優しく撫でた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「クロエ!」

「にゃあ」

「ああ、どこに行ってたの?無事でよかったわ!」

 

 

家に帰った途端、ペチュニアに抱きしめられた。

すぐにダドリーとハリーがやってきて、私の名を呼びながらぱしぱしと小さな手で叩く。

 

 

「こんなに痩せて……!もう家から出てはダメよ。また迷子になっちゃうわ」

 

 

ペチュニアは涙ぐみ、私の体に頬擦りをしながら特別な日しか開けない猫缶を開けてくれた。

 

 

「生きていたのか!いやはや、よかった……坊やがクロエがいない、クロエがいないと…大変だったよ。猫は死ぬ前に出ていくというから、てっきり……ああ、良かった」

 

 

バーノンもホッとしたように笑い、私の痩せた体を心配そうに撫でる。

夢中でご飯を食べ、口元をぺろりと舐めたあと、私は「にゃあ」と鳴いた。

 

 

 

ーーー

 

 

クロエを送ったあと、ダンブルドアは校長室でじっと窓の外を見ていた。

ダンブルドアは気付いていた、あの猫は猫ではなく、呪いでその姿を変えてしまった魔女であると。

しかし、彼女がそれを知りながら解呪する方法を探すことなく猫であり続けるのであれば、ダンブルドアは沈黙する事に決めた。

 

そして、今日会ったことを残すために杖先を自分の頭につけ、すっと銀色の記憶を引き抜き保存するのであった。

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

私が家へ戻って数日後、ペチュニアは届いた手紙を見てはっと息を呑んだ。

 

 

「あなた!バーノン!これ、これを読んで」

「なに?──今更、養育費だと?……ふん!かなり遅いが、一応の常識はあったようだな」

「ええ、よかったわ。……オムツ代も馬鹿にならないもの」

 

 

どうやら養育費を払うつもりになったらしい。その金の出所は不明だが、これでペチュニアとバーノンの悩みは一つ解決出来たことだろう。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「クロエ!こっちだ!」

「クロエ!おいで!」

「にゃあ」

 

 

少し離れた場所でダドリーとハリーが私の名を必死に呼び手を叩く。その手には私のおもちゃやお菓子があり、私を誘い出そうと必死だ。

 

ハリーとダドリー。どっちに私が懐いているか。それをはっきりとさせるために2人はこうして必死に私の名を呼んでいるのだ。

 

私は尻尾を一振りし、悠々と歩き近づく。目を輝かせるダドリーとハリーの間をすり抜け、ソファに座っていたペチュニアの膝の上に飛び乗った。

 

 

「にゃあ」

「あら。ふふっ!」

「ちぇ!クロエのばか!」

 

 

ダドリーは一気に機嫌を損ね、手に持っていたおもちゃを放り投げる。私は喉を鳴らしたあと、そのおもちゃを取りに向かい、臍を曲げてしまったダドリーの足元にポトリと落とし尻尾を振った。

 

 

「にゃあ」

「……ほらほらー!」

「にゃにゃん!」

 

 

ダドリーは私のおもちゃである棒を振り、その先にある丸い玉を巧みに動かす。腰を高くあげ、私は一気に飛びついた。

 

 

「釣れた!ははっ!」

「いいなぁ、僕にもさせてよ」

「悔しかったらとってみろー!」

「……クロエ!おいで!」

「にゃにゃー!」

 

 

ハリーはボロボロになったネズミのおもちゃをぽいっと投げる。そちらに飛びつき、足で蹴りつつ床を疾走すれば、ハリーとダドリーは嬉しそうに声を上げて笑った。

 

 

2人は5歳になっていた。

それなりに喧嘩をし、まだまだ癇癪を起こす時はあるが、ハリーとダドリーはそれなりの関係を築いているだろう。

ペチュニアとバーノンはハリーが3歳になった時から彼だけを別室の鍵が閉まる物置で寝かせようとしたが、外から閉じられた扉の前で私がずっと扉をかりかりと引っ掻き鳴き声を上げていれば、3日後にはハリーの扉に鍵はなくなり、ハリーが寝る物置部屋の扉には、私が通り抜けることができるような小さな猫用の扉が付けられた。

その家では、客室以外の部屋には私が通れるように猫用の扉がつけられているのだ。これでハリーは閉じ込められる事は無くなった。

 

汚かったハリーの部屋も、私が入る可能性があるのならとペチュニアは綺麗に掃除してくれた。一度死んだ蜘蛛を咥えてペチュニアに見せにいけば、ペチュニアは顔を引き攣らせすぐに掃除し始めたのだ。バーノンは「猫とはそういうものだ」と、また安心したように頷いていたが。

 

ペチュニアもバーノンも、分け隔てなく──とは言わないが、ハリーの世話をきちんとしていた。毎月送られてくる養育費を使いハリーの服を買い、食事を用意する。ダドリーよりは厳しく接しているが、かといって邪険に扱う事はない。

いや、初めはそうはいかなかったが、時を重ねるに連れ差別的な行動はなくなっていった。

 

 

ダドリーはハリーを子分のように思っているようだが、どうやら精神的に大人びているのはハリーのようだ。ハリーは自分がこの家の子どもではないと5歳になった時に聞いた。両親が死に引き取られたのだと。それからハリーは暫く落ち込み夜に「僕のママとパパは死んじゃったんだ」と涙を流していたが、時間の経過と共に受け入れ、育ててもらっていることを感謝しながら少々嫌味っぽいペチュニアとバーノンの小言にも耐えていた。

 

 

私がダンブルドアに苦言を言ってから変わったのは養育費が届けられることになっただけではない。──少しして道を挟んだ向かい側に新しい家族が引っ越してきたのだ。

彼らは普通にご近所さんとしてペチュニアとコンタクトを取り、そこからゆっくりと交流し、ハリーとダドリーより一歳年上の女の子──名前はアイラという──と、よく庭で遊んでいた。

ハリーとダドリーに遊び友達が出来ただけではなく、アイラの母であるレイチェルはペチュニアの良き友人になっただろう。母としての悩み、子育ての不安、夫の愚痴などなど──2人は週に一度は家でお茶会を開き、何時間も楽しそうに喋っていた。

 

 

レイチェルは一度、私を抱くふりをしながら「ケアに来たわ」と囁いた。つまり──そういう事だ。

 

 

レイチェルに悩みや不安を相談できるようになり、ペチュニアはかなり精神的に落ち着いた。少々ダドリーを甘やかしすぎていたが、レイチェルに「ダメなものはダメと教えないと。我慢ができない子になるわよ」と忠告され──彼女を心から信用し、信頼しているペチュニアはまだまだ甘いところがあったが、多少はしつけをしっかりとするようになったのだ。

 

 

家のベルがなり、弾かれたようにダドリーは玄関へと向かう。その後に遅れてハリーが続き、すぐに扉を開けた。

 

 

「おはよう!アイラ!」

「おはようダドリー、ハリー。遊びましょ!」

「いらっしゃい、アイラ。レイチェルは──」

「ママは今レモンパイを焼いているの。終わったら、すぐに来るって!」

 

 

玄関に現れたアイラはダドリーに手を引かれにっこり笑いながら「あと10分だって言ってた!」と言い家の中に入る。

ペチュニアは嬉しそうに笑い、時計を見つつ「あら、そうなの。じゃあ紅茶の準備をしなきゃね」と言ってすぐキッチンへ向かった。

 

 

「何して遊ぶ?」

「うーん、かくれんぼ!」

「えーそれ、ハリーとアイラが得意じゃん。鬼ごっこにしようぜ」

「えー?──じゃあ、私たちみんなが鬼で、クロエを捕まえる鬼ごっこにしようよ!」

「にゃ?」

 

 

アイラは私の脇に手を通し持ち上げ、悪戯っぽく笑う。ハリーとダドリーは顔を見合わせ一瞬きょとんとしていたが、すぐに同じように悪戯っぽく笑った。

 

 

私が家中を駆け回り、子供達を翻弄しながら逃げているとレイチェルが現れ、お茶会が始まる。

賑やかな足音、明るい笑い声を聞きながら、レイチェルとペチュニアは楽しげに話し合う。

 

 

「それで、レイチェル。今年は大丈夫だった?」

「そうね、夫の異動の話はまだ聞かないわ」

「ああ……ずっといてほしいわ。転勤なんて……」

「こればっかりは仕方がないわ。もし引っ越しても、私たちは友達よ。すぐに手紙を送るし、遊びに来るわ!」

「ええ、約束よ」

 

 

レイチェルは転勤族の夫を持つらしい。

なるほど、それで──ある程度ペチュニアの心が安定し、もう大丈夫だと確信ができればこの場から去るのだろう。

 

仮初の友だと知っているのは私だけだが、わたしは猫でありペチュニアにそれを伝える術はない。

 

 

 

ーーー

 

 

 

ハリーが7歳になった頃から不思議なことが起こるようになった。

散髪屋で切った髪が翌日元通りになる事が度々起こったのだ。バーノンはハリーに散髪屋に行けというのを諦め苛立ちながらハリーを見下ろす。ハリーは気まずそうに身をすくめていた。

 

 

「全く!お前のその髪はどうにかならんのか?」

「うん……いろんなシャンプーを使ったけど、ダメだった」

「これじゃあ私たちがまともなシャンプーを使っていないようじゃないか!」

「にゃーん」

「おお、よしよし。すまないなクロエ。起こしてしまったな」

 

 

バーノンの大声で目を覚まし、「うるさい」と苦言を言えばバーノンはすぐに猫撫で声になり私の体を撫でる。

 

 

「クロエも、あんなボサボサはいやでちゅよねー?」

「にゃあん」

「そうかそうか。ふーむ。トリートメントだったか、それを買ってみるか……」

「にゃん」

「おじさん、ごめんなさい」

「……金は。ちゃんと振り込まれている。その中から引くんだ、お前が気にすることじゃない。好きなトリートメントだかコンディショナーだかを買いに行くんだな」

「……はい」

 

 

項垂れるハリーを見て、私はバーノンの手からするりと抜け出し軽い足取りでハリーの体を駆け上がる。肩に乗り、ふわふわとした黒髪に顎を乗せ「にゃあ」と鳴けば、バーノンは驚いたような目をした。

 

 

「……クロエはボサボサのほうが好きなようだな。ふぅむ……」

「えーと……?」

「まあ、クロエが気に入っているのならそのままでもいいだろう。しかしだ、もし人に聞かれたらちゃんと手入れしていると言うんだぞ!」

「うん!」

 

 

ハリーはパッと顔を輝かせ、頭の上に乗っていた私を抱くとぱたぱたと部屋へ向かった。

狭いがそこそこ片付いた部屋のベッドに寝転び、私の脇に手を入れて持ち上げる。

 

 

「クロエ、ありがとう」

「にゃん」

「僕の髪好きなの?でも、僕もおじさんと同じで、もう少しサラサラになったらいいなぁって思ってるんだけどなぁ」

「にー」

 

 

ハリーは私をぎゅっと抱きしめ、優しく背中を撫でた。

 

 

「この後、ダドリーとアイラと公園に行くんだけど、クロエはここで待っててね」

 

 

ハリーはベッドの上に私を置き、ぽんぽんと撫でた。

私がこの家に来て8年が過ぎた。

ペチュニアたちは私がそろそろ老いてくると思い、外に出さずに家の中でぬくぬくと過ごすことを望んでいる。猫の寿命はだいたい15年ほどだったはず。おそらく、後数年なのだ。私が怪しまれずにその家で過ごすことが出来るのは。

流石に何十年も暮らしていると──怪しまれ、普通の猫ではないとバレてしまう。普通を何よりも愛するペチュニアに、その事を知られたくはない。

 

 

「行ってくるね!」

「にゃあ」

 

 

私は尻尾を振り、ハリーの香りがするベッドで丸まった。

 

この家は心地よい。いろんなことがあったが、この場所は私にとって大切な場所であり彼らは家族だ。

 

人の飼い猫になると──なるほど、こんなにも別れが辛いのか。

 

 

 

後数年は共にいられる。

その後は──自分の身にかかっている呪いを解く旅に出るのもいいかもしれない。

 

 

 

ーーー

 

 

 

ハリーとダドリーが8歳になった頃。レイチェルたちは転勤になり外国へ行ってしまった。

ペチュニアは酷く落ち込み、悲しそうに灯りが消えた家を見てはため息をついていた。

ハリーとダドリーも友達がいなくなり、つまらなさそうな日々を送っていた。

 

 

そして、それから2年後。

 

私は日中のほとんどをソファの上で丸まり寝て過ごした。ダドリーは心配そうに私の体を撫で、そのがっしりとした体で私を抱き上げよく外の景色を見せてくれた。ハリーもまた、夜はこっそりと自分のベッドに連れて行き、私が寝るまで体を撫でてくれた。

 

私は、この家から出て行く準備をしていく。

見た目は出会った時と変わらぬだろう。しかし、老いているのだ、と彼らに知らせるために、私は眠たくもないのに日中は丸まって日当たりのいいソファで1日を過ごした。

時々ペチュニアが病院に連れて行ったが、悪いところは当然だがなく、医者は「もう歳なのでしょう」と気を遣いながら言うだけだ。

 

 

「ママ、クロエは何歳なの?」

「……10歳以上なのは確かね。拾った時は子猫じゃなかったから……12歳くらいかしら……」

「……そっか。クロエ、長生きしろよー」

 

 

私を撫でるダドリーの手は暖かい。私は優しいダドリーの手を、ざらりとした舌で舐めた。

別れの時が近いのだろうと、ペチュニア達は思っているはず。冬が来る前に──ダドリーとハリーが11歳の誕生日を迎えたら、私は姿を消そう。

 

もう大丈夫だ。ペチュニアは神経質だか優しく、バーノンも不器用ながらハリーのことを気にかけている。

ダドリーは乱暴なところもあるが、人を傷つけぬ優しい子に育ち、ハリーもまた、遠慮がちだがすくすくと育っている。

 

ああ、ペチュニア、そんな悲しい顔をしないでおくれ。私はあなたの飼い猫になれて、とても幸せだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

その日は早く来た。

ダドリーの11歳の誕生日。沢山のプレゼントに囲まれ、幸せなダドリー。ハリーも手作りの筆立てを作りプレゼントしていた。

私は、ゆっくりと立ち上がりダドリーの足に擦り寄る。

 

 

「クロエ」

「にゃあ」

「……よしよし、お兄ちゃんが明日、もらったお小遣いでおやつ買ってやるからな!」

 

 

小さな赤ん坊だったダドリーは、いつの間にか私の弟ではなく兄になったようだ。

私はなんだかその言葉が嬉しくて、ぐるぐると喉を鳴らした。

 

 

 

数週間後のハリーの誕生日の1日前、手紙が届いた。

それはホグワーツ魔法学校からの手紙であり、それを見たペチュニアとバーノンは顔を青くしこわばらせた。

 

 

「おじさん、おばさん。それは……?」

「これは──これは……」

「ああ、バーノン……どうしましょう」

「えっと、まずい手紙ならいいよ。読まない」

 

 

ハリーはペチュニアとバーノンの顔を見て首を振り、誤魔化すように私が座るソファに腰掛け、テレビをつけて見始めた。

ペチュニアとバーノンは手紙を持ったまま暫く立ちすくみ、そして寝室へと向かう。きっと、この手紙をどうするべきか相談しているのだろう。

 

 

ハリーをまともな人にするとバーノンは言っていた。もう魔法に関わらせないと。普通の人にしてみせると。

しかし、ハリーは魔法使いであり、その片鱗が見えていることにバーノンとペチュニアは気づいている。──何より、ペチュニアの妹、ハリーの母は魔女だった。

 

 

「あれ、ママとパパは?」

「んー。さあ?」

「ふーん。ま、いっか。ゲームしようぜ」

「そうだね」

 

 

自室から降りてきたダドリーは首を傾げながらも気にせず、私の頭をひとなでして棚の中からテレビゲームを取り出し、ハリーにコントローラーを投げ渡した。

 

 

ハリー宛の手紙は、1時間に一度は届いた。その度にハリーがペチュニアとバーノンに渡していたが、ハリーもかなり気になっているのかそわそわと落ち着きがない。

ペチュニアとバーノンは増えていく手紙を見て、ついに夜遅く、ダドリーが寝てしまってからハリーをリビングに呼び出した。

 

 

「どうしたの?」

「……ハリー。あなた宛の手紙よ、読みなさい」

「えっ、いいの?」

「ああ、読んだ方がわかりやすい」

 

 

ペチュニアとバーノンは、この結論に達するまでに強い葛藤があったのだろう。顔色は悪く、親の仇を見るように手紙を睨んでいる。

ハリーはおずおずと手紙を受け取り、それを開いた。

 

 

「……ホグワーツ、魔法学校──魔法?何これ、悪戯の手紙?」

「……そうならよかったわ。ええ、そうならね」

「え?」

「その手紙に書いているのは、本物よ。リリー──あなたの母親も、同じ手紙を貰っていたもの。そして、その学校に行った。あなたは、魔法が使えるのよ。不思議なことが何度かあったでしょう」

「え──ま、魔女?な、なんの冗談?」

 

 

ハリーは乾いた笑いを浮かべる。

しかし、ペチュニアとバーノンはぴくりとも笑わず、大きくため息をついた。

 

 

「出来ることならば、ハリー。お前にもダドリーと同じように普通に育って欲しかった。それが、私たちがお前を育てると決めた時に、強く願った事だった。しかし──私はその世界を皮肉な事だが、知っている。ああ、知っているとも!」

「にゃあ」

「……ああ、大きな声を出してすまない、クロエ。──とにかくだ。その手紙に書かれたことは本当であり、誠に遺憾だがお前は、魔法使いだ」

「い、意味がわからないんだけど…」

「……全て、話すわ。もうあなたも11歳になるもの。しっかりと理解できる歳でしょう」

 

 

ペチュニアは一度言葉を切り、そして、ハリーを拾った日のこと、なぜそうなったか、ハリーの両親の死因について静かに話した。

 

 

「そんな……自動車事故だって」

「馬鹿ね。殺されたなんて、とても言えないわ」

「それに、私たちは何があったのかを詳しくは知らん。連中は詳しい説明はせなんだからな。その魔法学校とやらに、行けば何かわかるかもしれんが──」

「僕──僕……その学校にいけば、父さんと母さんが過ごしたところを見れるってことだよね…?」

「ええ、……多分ね」

「……僕、このホグワーツに行きたい」

 

 

ハリーの手と声は震えていた。

バーノンとペチュニアは大きくため息をつき、「残念だ」と呟いた。

 

 

「ありがとう、おじさん、おばさん。教えてくれて」

「……いや、私たちは──」

「ハリー。嫌ならすぐ戻ってきて、ダドリーちゃんと同じ学校に行きなさい。手続きくらいするわ」

「うん……ありがとう。えーと。この手紙の返事はどうすればいいんだろう。ふくろう便って?」

 

 

ハリーは首を傾げたが、バーノンとペチュニアはわからない、と首を振った。

 

 

「ハリー、これだけは覚えておけ。私たちは、お前が真っ当になる事を望んでいる」

 

 

ハリーは少し複雑そうな顔で笑い「わかってるよ」と呟いて手紙の文字をそっと撫でた。

 

 

ーーー

 

 

 

翌日、ハリーの誕生日。

 

 

誕生日プレゼントはダドリーと比べて少なかったが、それでもペチュニアはハリーの好物を用意し、小さな誕生日パーティーを開いた。

 

ハリーは嬉しそうに笑い好物を食べる。私はいつもの餌ではなく高級な猫缶をゆっくりと食べていた。

 

美味しいご飯を食べ終わった後、ハリーはダドリーと共にゲームを楽しんでいる。私はやや口調が悪くなった2人の声を聞きながら、幸せな音に耳をすます。

 

 

「くっそー!また負けた!」

「馬鹿だなぁ、あそこで欲張るからだ」

「ちぇっ!おい、もう一度だ!」

「はいはい」

 

 

その時、トントンと扉をノックする音が聞こえた。すぐにペチュニアが向かい扉を開けた途端大きな悲鳴を上げる。

その悲鳴にバーノンが飛び上がり、ハリーとダドリーもコントローラーを投げて振り返った。

私は誰よりも早く、俊敏にペチュニアの元へ走った。

 

 

「シャーーッ!」

「おう、どうどう」

「な、ななっ──なんなの!?」

「シャーッ!ニャア!」

「ク、クロエ!」

 

 

腰を抜かして大男を見上げるペチュニアを庇うように前に立ち、大男を威嚇する。大男は困ったように頬をかき、扉の枠に手をかけた。

 

 

「ペチュニア!な、なんだこの男!」

「ママ!逃げて!」

「お、おばさん!早く!」

「おうおう。落ち着け。俺はホグワーツからの使いで、ハリーから返事を貰いにきただけだ!」

「ほ、ホグワーツ?」

 

 

ふと気づいた。この大男はハリーをここに届けに来た時にいた。ホグワーツの使いというのは間違いないのだろう。

 

 

「さて、入ってもいいか?」

「駄目だ!」

「あ、あなた!こんな人がここにずっといたら、怪しまれるわ!」

「う、ううむ……仕方ない」

 

 

こんな大男が扉の前でじっとしていればご近所さんに変に思われる。それを恐れ、バーノンとペチュニアはしぶしぶ家の中に大男を入れた。

 

 

「俺ぁホグワーツの森番のルビウス・ハグリッドだ。よっこらせっと……うー、ちぃと狭いな」

「…ダドリー、部屋に行きなさい」

「で、でも」

「クロエを連れて行ってあげて、お願いね」

「……わかった」

 

 

ダドリーは私を抱え、渋々部屋へと上がった。

 

 

 

数時間後、ハグリッドが帰ったのかダドリーは下に降りる許可が出た。

そこには不機嫌そうなペチュニアとバーノン、そして居心地悪そうなハリーがいた。

 

 

「なんだったの?」

「……ハリーは、9月からホグワーツという学校に行くことになった」

「えっ?俺と違うとこ?」

「そうなの。ハリーは……魔法使いで、魔法学校に行くわ」

「はぁ?──ははは!ママ、パパ、エイプリルフールはまだまだだよ!」

「……」

「……え。本当に?」

 

 

その後ダドリーに、ペチュニアとバーノンはハリーの事を簡単に説明した。ダドリーはぽかんと口を開き、沈黙していたが居心地悪そうに縮こまっているハリーを見た。

 

 

「魔法か。……ふーん。じゃあさ、魔法のお菓子とか死ぬほど買ってこいよ」

「えっ、う、うん」

「お前がいない間、ゲーム上手くなっておくからな。後で悔しがっても知らねーぞ」

「……負けないから、帰ってきたら腕試しだな」

 

 

ハリーは少し笑い、ダドリーはどこか寂しそうに笑った後ハリーの背中を強めにばしんと叩いた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

8月の半ば、この家を去るにはとてもいい気温だろう。寒さに凍える事はなさそうだ。

 

 

私は夜、テレビを見るペチュニア達の元へゆっくりと歩いた。

 

 

「にゃーん」

「あら、どうしたの?」

 

 

ペチュニア、私の命の恩人。何よりも大切な人。

優しい人だった、厳しいところやヒステリックなところもあるが、それでもダドリーとハリーをまともにさせようと育てた、2人にとって良き母だった。

喉を撫でられ、私はごろごろと喉を鳴らしペチュニアの頬に体を擦り付ける。

 

 

 

「にゃあ」

「おや、私のところにもきてくれるのか」

 

 

隣に座ってワインを飲んでいた少々酒臭いバーノンの元に行き、そのふわふわとした腹を優しく踏む。

バーノン。彼も良い父だった。まだまだ彼はダドリーに甘いが、おおらかな人だった。ペチュニアに隠れてこっそりおやつを与えてくれた。

 

 

「にー」

「んー?今日は元気だなークロエ」

 

 

ダドリー。私の弟。大切な、弟。

あんなに小さな赤子が、もうこんなにも大きくなった。暴れん坊で癇癪持ちだったが、今はかなり落ち着いている。喧嘩っ早いところはあるが、むやみやたらに人を傷つける事はない。

 

 

「にゃー」

「おやつはあげないよ、もうたくさん食べたでしょ?」

 

 

ハリー。私の弟。

君がきてからこの家は変わった。しかし、君がいたからこそ、ダドリーには良い友であり兄弟ができたのかもしれない。ありがとう。

 

 

一人ひとりに挨拶した後、私はその場からジャンプし、窓辺へ向かう。窓は、薄らと開いている。

4人の目が私を見ていた。

 

 

「クロエ──クロエ、駄目!」

 

 

ペチュニアがハッとした顔で立ち上がった。

ペチュニア、ああ、私は本当ならば、ずっとここにいたかった。この暖かな世界で、ペチュニアの膝の上で微睡み、幸せな夢を見たい。

しかし私は猫でなければならない。彼らにとって、普通の猫でなれば。

 

 

「にゃあ!」

 

 

さよなら、愛しき大切な私の家族達よ。

 

 

ペチュニアが私を捕まえるより先に、私は外の世界へ飛び出した。

 

 

「クロエ!」

 

 

ペチュニアの悲痛な叫びが聞こえる。すぐにダドリーとハリーの声も聞こえた。さらば私の大切な弟達よ。どうか健やかに、沢山の友達に恵まれ、幸福に生きてくれ。

 

 

夜の闇をかける。

私は自由な猫だ、夜は私の友達である。

 

 

ああ、だけど。今宵は夜風が目に染みる。

 

 

さようなら、ペチュニア。

さようなら、バーノン。

さようなら、ダドリー。

さようなら、ハリー。

 

 

私のことを愛してくれてありがとう。

 

 






ペチュニアの心労を軽減すればある程度ハリーは幸せに暮らせるのではないか?と思いました。
彼らが穏やかなのはアニマルセラピーによります。猫を吸うとストレスはトびますよね!


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