年末に友達同士が旅行に行く話

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時間を忘れる馬鹿な時間

 ──時間を忘れに行こう!

 

 年末のこの時期に友人からそう言われ、「ああ、忘年会に誘われているのか」と判断した事は、そんなにも悪い事だったのだろうか。

 確かに多少の冷静ささえあれば、弩級の馬鹿で鳴らしている友人が真っ当な計画を立てているだなんて、そんな淡い妄想は抱かなかった筈である。ではあるが、流石にこれはあんまりだろう……我が事ながら、そうぼやかずにはいられない。

 

「誰も居らへんやんけぇ!? ただの一人も、人っ子ひとり居らへんやんけぇ!?」

 

 しっとりと湿ったバスタオルだけを纏った友人の隣で、私は一人天を仰ぐ。

 どうして自分は、この友人にのこのこと着いて来てしまったのだろうか。目的地も聞かずに車のハンドルを託す……そんな普段はしない蛮行を、当然のようにしてしまったのだろうか。今となっては、もはや分からない。

 

「ここ、混浴温泉ぞ!? 下心剥き出しのチャンニー(兄ちゃん)やらロマンスグレーの小父様が棲息するべき空間ぞ!? 古き良き同人誌が如き空間ぞ!? どうなってんねんこの温泉!」

 

 うおおー!恥を知れ恥をー!お前は誇り高き混浴温泉だろー!?

 ……そう叫ぶ本物の馬鹿の横で、深く深く反省する。どうして忘れていたのだろうか。この馬鹿が本物の馬鹿である事を。

 温泉の湯気を攫いながら肌を撫でた風……その冷たさ以上に、自分自身の愚かしさで身が震えた。

 

「おお、おお……神はバグった……我が地元がイカレてる……混浴温泉が混浴してないだなんて、最高にイカレてる……」

「……イカレてるのはあんたの頭よ、この万年発情期馬鹿! まともな忘年会を期待した私も馬鹿だけど、確実にあんたよりかは馬鹿じゃない自信だけは持てるわ、この馬鹿!」

 

 我が怒り、天を衝かん──なんて想いを込めて、友人へと声を飛ばした。 

 冷えた風を押し退けた声は湯煙を切り裂き、その向こう側で友人に頭を下げさせた。

 

「いや、ごめんて! でも誰もいないなんて思わないじゃん! まさか我が地元がここまで過疎化してただなんて知らなかったんだって!」

「そっちじゃないわよこの馬鹿、ばーか! 忘年会するのかと思って着いて来たら混浴温泉って、何をどうすれば『あ、年末だし友達誘って混浴温泉行こー』……なんて考えるのよ、この馬鹿!」

 

 本当に理解出来ない。そんな私の視線を受けて、友人は目を丸くする。

 

「え。だって年末だし、一夜限りのラブロマンスとか欲しいかなって」

「要らんわ!」

「嘘ぉ!?」

 

 ちょっ、それ正気で言ってんの!? ……とでも言いたげな表情で固まった友人の横で眉間を揉む。この友人は悪いやつではない。悪いやつではないが、自分の欲望にとにかく素直で、更には皆が皆自分の同類だと考えている節がある。

 何故か本気で落ち込み始めた友人を無視して、温泉へと近付く。ぼんやりしながらここまで着いて来たが為に、既に着衣なんてものは纏っていない。体を洗い流した時の水滴が冷え、空恐ろしい程に寒い。温泉の湯気から感じる熱が、とても恋しい。

 

「寒い、寒い、寒い……くそ、なんで女風呂か混浴かすら確認しなかったかな、私……くそ、くそ、くそ……」

 

 友人を放置して、湯へと体を沈める。体の芯へと響くように、びりびりとした熱さに浸る。大きな柔らかい手に背筋を撫でられるような不思議な心地がして、湯の中は僅かばかりの安心感すらあった。混浴でさえなければ、本当に快適極まりなかっただろう。

 

「えっと、ごめんね? 行き先、伝えたつもりになってた」

 

 苦笑いを浮かべながら、友人がすぐ傍へと浸かった。友人にかき分けられて広がった波紋が私にぶつかり、更に広がる。

 友人は続けて何かを言いたそうな顔をして……けれど、無言のまま温泉に身を委ねる。

 幾許か過ぎて、何となく感じた気まずさに負け、先に口を開く。

 

「……で、なんで急にこんな所に連れて来たのよ。本気で出会いが目的だったらはっ倒すわよ」

「えっ!? あ、いや、あの……じゃあ、本当に出会いが目的だったりしたりしなかったり……?」

「じゃあって何よ、じゃあって」

 

 目線を逸らしながら、友人は湯の中へと逃げた。乳白色の水面の下へと姿を眩ませた友人を、首の後ろに手を引っ掛けて浮上させる。

 水中という別世界から帰って来た友人に、目線だけで問う。きちんと本当の事を話しなさい……と。この友人には何かを企む程の悪辣さはないが、普段からとにかくミスが多くて、些細な事が冗談みたいな大事に繋がりかねないのだ。

 

「……時間を忘れて欲しくて」

「……はい?」

 

 友人の要領を得ない返答に首を傾げる。確かに時間を忘れに行こうと誘われたが、この状況とどう結び付くのだろうか。

 

「いや、よく言うじゃん! マインドフルネスでデトックスが云々かんぬんで!ゆったりとした時間と適度な刺激が癒しに良くてなんちゃらかんちゃらって! だったら時間が経ってても気付かないくらいゆっくり過ごして時間を忘れたら良いのかなって!」

「……あんた。もしかして、私を()()()()()してた訳?」

 

 友人が再び、水中へと逃げた。今度は顔の上半分がこちら側の世界に残されており、顔の前でぶくぶくと泡が何度も弾けている。

 

「呆れた、もう気にしてないって言ってるじゃない!」

 

 溜め息を零しつつ、顔をひくつかせる。

 何の事はない。この友人は、つい先日見事に失恋した私を自分なりに気遣って、慰めようとして混浴温泉に連れて来たらしい。

 息を一つ吐いて整え、嬉しさ半分呆れ半分で改めて口を開く。一つ、どうしても疑問が残った。

 

「いや、でもなんで混浴? それなら普通の温泉で良くない?」

「……男の事で負った傷は、旅先の男で癒せば良いってドラマが」

「いやいやいや。そんなの作り話だし、よしんば都合の良い出会いがあったとして、下心丸出しで混浴温泉に来てる人なんてお互いにお断りでしょ……」

 

 私の返答に酷くショックを受けたらしい友人は、目を大きく見開いて顔を歪ませた。声には出していないが、「そんな馬鹿な!」と目が言っている。

 その姿に、私は頭を抱えた。

 この馬鹿は、馬鹿だ。放っておけば間違いなく悪い人間に引っ掛かる口で、色んな意味で食い物にされてしまう。それこそ、下心だけで近付いて来た男から、友人達と何度も守った程には、世間知らずで善良な馬鹿なのだ。

 

「何度も言ってるけど、ちゃんと相手は選ばなきゃ駄目よ。あんたが思ってるより、人間って下衆ばっかりだから」

「でも、相手選んでたらいつまで経っても恋人なんて出来ねぇんですが!?」

「それでもよ。軽い男が言うような『モテる女』って言うのは、軽い男にとって()()()()()女よ。あんたは自分の為に相手を選びなさい。そうじゃなきゃ後悔するからね。……信じてた彼氏が浮気した私が言っても、説得力ないかもだけど」

「やっぱり気にしてんじゃん……」

 

 友人の乾いた声が、温泉の湿気にまみれて、温泉へと溶けた。

 少しの間が開き、何処かで落ちた水滴がぴちょんと鳴り、何処かの木が葉っぱを擦らせる音が響いて──友人と私は示し合わせたように目を合わせ、吹き出したように笑った。

 

「ふふっ……いやいや、何のコントよ、これ」

「独り身女が年末に二人、傷心旅行で混浴温泉。どうしよう、これこのまま旅館に戻ったら、多分殺人事件とか起きるパターンだ」

「その時はあれね、私達のどっちかが容疑者とかになっちゃって、身の潔白を証明する為にてんやわんやするんだわ、間違いなく」

「そうそう、それで『ですが警部、その時間帯なら私達は混浴温泉に入ってました! 嘘だと思うなら温泉近くの監視カメラとか調べて下さい!』とか言っちゃってね! 警部、これが本当の入浴タイムズです!」

「なるほど、じゃあ凶器は新聞で死因は窒息死ね。有罪!」

「そんなー!」

 

 まるで花火のように戯け合う。こんな馬鹿でも、お互いに気心が知れた友人だ。下らない言葉の応酬が、ひたすらに楽しく……なんとも、馬鹿馬鹿しい。そんな馬鹿馬鹿しい時間が何とも有り難くて、心の中で友人へと感謝を贈る。

 もし彼女が、こんな風に連れ出してくれなければ、私は今も後ろを向いたまま過ごしていた筈だ。まるで辛い時間の出来事を忘れるように──半ば無理矢理であっても──こうやって笑ってはいない筈だ。

 年を越しても、私だけ前に進めずに、過去の時間の中で過ごしていたに違いない。

 

「……ありがとうね」

「え、何が?」

「さあ? 言いたかっただけよ。それより、もうそろそろ出ましょうか」

「えー……誰か来る予感がするし、もう少しここで粘りたいなぁ」

「何言ってんのよ、このむっつりスケベ。本当に人が来たらあんた、恥ずかしがって隠れるだけじゃない。……それに時間を忘れるなら、忘れちゃいけない物があるでしょう?」

 

 緩く閉めた手をくい……と顔の前で傾けさせれば、馬鹿な友人の顔に花が咲く。

 大人はこんな時の為に、時間を忘れる為の特権を持っている。楽しい時も、辛い時も、変わらず常に傍に居るのは……友人と酒だけだ。

 

「よし、じゃんじゃん飲もう! もう飲んだままお正月迎えよう! 新年明けましておめでとうございます! 年を跨ぐから実質アルコールゼロ! 二日酔いなし!」

「言ったわね? じゃあ今回は酔い潰れても介抱しないからね。思い切り……本当に時間を忘れるくらい思い切り、飲んでしまいましょう!」

 

 ざばりと温泉の湯を巻き上げながら、友人と立ち上がる。

 きっと、本当に大切な……それこそ一生忘れない時間とは、こんなしょうもない馬鹿みたいな時間なのだろうなと、何となく思った。

 

 何処からか吹いてきた風は湯気を攫って、温まった私達の体をすり抜けて……ついでに、忘れたかったものを優しく拭った。

 時間を忘れる馬鹿な時間は、まだまだこれからだ。


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