ヒヨリミコロシアム投稿作品。テーマは「時間」。

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君の音

 目的の病室に辿り着く。腕時計を見て時間が間違っていないことを確認してノックをした。「はーい」と返事が帰ってきて僕は引き戸を開けた。晴れた日の光が入って明るい四人部屋のベッドで埋まっているのは今一つだけだった。

 

「体調はどう? 未来(みらい)

 

 微笑んで恋人に顔を向ける。彼女も柔らかい笑顔で「問題ないよー」と返した。手元にはカバーのかかった文庫本が閉じられている。

 

「いいところだった?」

 

「全然。これからかな?」

 

 そう言って未来は文庫本をベッドの脇へ移し、着ている寝間着のボタンに手を掛けた。毎日の検診だからお互いにすっかり一連の流れが板についてしまった。僕もいつものようにベッドの側にある椅子に腰を下ろし、聴診器を両耳に差し込んだ。

 

「ゆっくり深呼吸して」

 

「分かってますよー」

 

 外したボタンの隙間から除く彼女の双丘を意識しないように努めて、僕は彼女の心臓がある場所へ聴診器を当てる。

 

 トクン……トクン……トクン……。

 

 僕の大好きな音が聞こえる。未来の時間を刻む音。未来は目を閉じて静かに深呼吸を繰り返し、それに合わせて彼女の心臓は少しだけ鼓動の速度を変えた。

 しかし、その音に僅かな雑音が混じった。つい顔を顰めてしまう。未来の心臓に難病が見つかって既に一ヶ月が経過していたが、未だ状況は悪いままだった。もうしばらくすれば彼女の手術があるが、成功率は正直高いとは言えなかった。

 

「……ねぇ、拓人(たくと)

 

 未来に呼ばれて思考から現実に引き戻された。彼女の顔に目を移すと、明るく微笑む彼女がこちらを見つめていた。

 

「何?」

 

「昨晩ね、自分が死んじゃう夢を見たんだ」

 

「……縁起でもない」

 

 彼女を元気付けるためか、自分のためか、そんな言葉が自然と出てきた。すると何故か、彼女はにっこりと表現するしかないくらい満面の笑みを見せた。

 

「拓人知らないの? 夢はね、他人に話すと正夢にならないものなんだよ。だから私はもう絶対大丈夫!」

 

 すると未来はベッドの側にある台へ手を伸ばし、手帳サイズの小さな本とボールペンを持ってきた。僕も彼女もよく見なれたエメラルドグリーンの表紙には、「やることリスト」と大きく書かれ、その左斜め上に小さく「二人で」と書かれている。それを見せながら未来は言葉を続けた。

 

「それでね、手術が終わってから退院の時期を考えてさ、やりたいことが一個増えたんだ!」

 

 そう言って未来は手帳を開き、ぱらぱらとページを捲った。余白全てにやりたい事を箇条書きしているページをいくつか過ぎた後、まだ半分くらいしか埋められていないページに辿り着いた。そこに未来が新しく項目を書き加えていく。丸く可愛い字で既に書かれた内容を見てみると、「オーロラが見たい!」とか、「ヨーロッパの国全部行きたい!」とか、結構思い切らないと出来ないことが書かれている。

 

「……よし!」

 

 未来は書いた内容を僕に示すようにリストを見せてきた。僕はそれを声に出して読んだ。

 

「初日の出が見たい! 高尾山で」

 

「うん、本当は富士山とかがいいなぁとも思ったんだけど、ほら冬の富士山は結構危ないし、何より私の体力が持たない」

 

 照れたように笑う未来は、他のリスト項目と同じように、新しく加えた項目の隣に綺麗な四角を書いた。実行できた時にチェックを付ける場所だ。

 

「他のに比べると、随分と普通のやりたい事だね」

 

 僕がそう言うと、未来は少し眉を顰めて答えた。

 

「リストの最初の方は普通の事ばっかりだよ。もう大体の事は書き終わってるの。で、初日の出は今思い出しただけ。いくら拓人でも海外旅行に何回も行けるほど甲斐性無いでしょ?」

 

 グサリと未来の言葉が刺さる。貯金が無いわけではないが、確かにそこまで贅沢できるほどではない。

 

「だから、お金が掛かるのは後回しで、こういう普通の事をたくさんやっていくの。分かってる? 改めて言うけどちゃんと拓人も付き合うんだよ?」

 

「分かってるよ」

 

 ふと窓に目を向ける。夏もようやく通り過ぎて少しずつ涼しくなってきた。恨めしかった太陽も最近は暖かくて歓迎している。その太陽の来光が特別になるまであと数ヶ月。その時隣に未来がいるかどうかはまだ分からない。それでも僕は未来に言った。

 

「年末年始が楽しみだな」

 

 努めて明るく言った言葉に、未来も「うん!」と笑って返してくれた。

 

 

 

 

 

 病室に辿り着く。ノックをしたが返事は帰ってこない。険しい顔で僕は病室の引き戸を開けた。

 

 ピッピッと僕の嫌いな音がなる。僕の大好きな音の代わりをする電子音だ。発生源である心電図モニターの側で未来は寝ていた。手術が間近に迫った頃に容体が悪くなり、もう一週間も意識を失っていた。

 

 いつも通り椅子に腰かけた。それから僕は口を開いた。今日朝起きてから起きたことを眠る彼女に語った。彼女が意識を失ってから、電子音が支配する部屋に黙って居続けるのが耐えられなくてできた日課だった。

 

「朝ご飯に作った目玉焼きを珍しく焦がしちゃってさ」

 

 返事はない。

 

「出勤する時に自転車を倒したおばあさんがいて助けたんだ」

 

 返事はない。

 

「……未来の手術、失敗する確率の方が高くなったよ」

 

 返事はない。何を語っても響くのは僕の口から洩れる音だけだった。

 

「……じゃあ、明日もいつもの時間に来るから」

 

 一通り語り終え、僕は逃げるように部屋を出ようとした。その時、彼女の側にあった「やることリスト」が目に入った。それに手を伸ばして、目的のページを探して開く。高尾山に初日の出を見に行くことが書かれたページ。あれからいくつも書き込み最新の項目ではなくなったそれは、おそらく未来が元気になった時、最初に実行されるだろう項目だった。

 

 空欄の四角が嫌な想像を引き立たせ、僕はリストを閉じ、今度こそ病室を後にした。

 

 

 

 

 

 周りがバタバタと慌ただしく動く。僕は微動だも出来ずに立っていた。同僚が僕に何か叫んだ様子だったが何を言われたのか分からない。僕がいるのは手術室で、室内は様々な音が乱雑に絡まり合っている。だが、なぜか透明な壁を間に挟んでいるみたいにどこか遠くに聞こえた。

 

 ピー。

 

 ただ、平たく冷たい電子音だけが甲高く響いていた。気が付くと目の前に手術台があって、そこで未来が寝ていた。うるさい心電図モニターは、彼女に繋がっている。

 

「未来?」

 

 よろよろと数歩近づいて、未来の手を取った。彼女の手首に僕は自分の指を当てて脈を取ってみた。

 

 未来の鼓動は、無くなっていた――。

 

「うわあぁぁぁぁ!」

 

 飛び起きる。視界に広がったのは真っ暗な自室だった。何度か荒く呼吸した後、側にあるデジタル時計を確認する。時間は深夜、未来の手術日まで二日前の日付だった。

 

 今見たのが夢だと気付き、僕は胸を撫で下ろした。だがあの最悪の音は耳にこびりついたままだった。

 

 僕は今日当直をしている同僚に連絡して許可を取り、軽く身支度をして病院へ向かった。最初は走り、運動不足が祟ってすぐに歩き、回復したらまた走り出した。夜の町を支配する虫の鳴き声に僕のドタバタとした足音が混ざる。息が切れて空を見上げると、星々は僕の気も知らず綺麗に輝いていた。

 

 病院に辿り着くと、同僚に顔を見せてから僕は未来の病室へ向かった。ノックせずに引き戸を開ける。嫌いな電子音がいつものペースで鳴っていて、未来は穏やかな表情で眠っていた。

 

 椅子に腰を下ろして、僕は未来の手を取り手首に親指を当てる。彼女の鼓動はまだ残っていて、彼女の時間を刻んでいた。けれどそれはとても弱弱しく感じた。今にも消えてしまうのではないかと思うほどに。

 

 しばらく僕は沈黙した。目を閉じて、指から伝わる彼女の音に集中する。部屋の電子音と、夢の中の電子音が僕の中で霞んできたところで、僕は笑みを浮かべ、眠る未来に言葉を投げた。

 

「未来。さっき、君が死んでしまう夢を見たんだ。だから大丈夫。君は生きて、僕と初日の出を見に行くんだ。絶対に」

 

 非科学的と言われればそれまでだ。けれど祈るように、僕は彼女の手を握りしめた。彼女が生きられるのならば、迷信だって信じよう。それが彼女の言葉ならなおさらだった。

 

 その夜、僕は彼女の手を握ったまま、ひたすら大丈夫、大丈夫と呟いていた。

 

 

 

 

 

 白んできた空から眩しい光が零れた。高尾山にある初日の出スポットに集まった周囲の人々が歓喜する声を上げる中、一際大きな声が僕の隣から聞こえてきた。

 

「うわぁきた、きた! すっごい綺麗! 拓人ちゃんと見てる?」

 

 見てるよ、とため息交じりに、けれど微笑んで隣の未来に返した。彼女はそれを聞いて嬉しそうに微笑むと、それからしばらく初日の出に集中していた。

 

 初日の出がある程度高くなった頃、二人でベンチに座っていると、未来はポケットから「やることリスト」を取り出してページを捲った。目的の項目を見つけた彼女はそれを僕に見せる。

 

「よし、じゃあ最初のチェック、入れます!」

 

「どうぞ」

 

 そして未来は「初日の出が見たい! 高尾山で」と書かれた項目の隣にある四角の中にチェックを入れた。

 

「いやー、入りましたね初チェック! それにしても、これ全部チェックできるかな?」

 

 ページを捲りながら、まだまだたくさんある項目を見た未来がそう聞いてきた。

 

「分からないけど、お互い長生きすればいいよ」

 

「そりゃそうだね」

 

 僕の返答に笑顔を見せた未来はポケットにリストをしまう。それから初詣へ向かっていく人達に目を移した。僕も彼女と同じように彼らを見る。今だけ僕らが彼らの視界から外れていた。  

 

「未来」

 

「ん?」

 

 呼びかけに答えた彼女の呼吸が一瞬止まる。構わず僕は彼女の背中に回した腕に力を込め、自身の体を聴診器替わりに彼女へと押し付ける。

 

トクン……トクン……ドクン、ドクン。

 

僕の大好きな、未来の時間を刻む音が、全身から力強く聞こえてきた。それは少しずつ早くそして強く響いた。固まっていた未来は息を吐くと、僕の背中に手を回してくれた。それから照れたような声で言った。

 

「もう、心臓止まっちゃうかと思ったよ」

 

 

  


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