瀬奈へ 
  
 この場所に時間を持っていける人がいるの。
 困ったことがあったら行ってみて。
 
                    母より

 

1 / 1

                  


今宵も時は刻まれる

 

 

 星の輝きよりもさらに強く光り輝く街を一人の男が行く。黒い中折れ帽に黒いロングコート、黒いスキニー。どこまでも黒い服装の中、首にかかる12時を指す時計だけが街灯に反射して光っている。男が歩むたびに足からは綺麗に磨かれた黒い革靴が覗く。

 男がいるのは大都会、その大きな交差点だった。周囲には多種多様な人間が歩いている。新しいスーツを着て、慣れないワックスを使ったのであろう拙いセットの若い男が希望に目を輝かせて少年の横を通る。カツリカツリと道路を新品の革靴が叩く。そんな後ろを少女が歩く。綺麗に纏められた髪。顔にはメイクが施されている。その腕はとても素人ではない。高校生かどうかなど服装でしか判断できないだろう。そんな彼女のスカートは異常なほどに短く折り込まれ、少し風が吹けば下着が見えてしまいそうな危うさがある。背後から酒を飲んだのであろう顔を赤くした中年のサラリーマン達に指を刺されているがそれに気づく事はないだろう。と言うのも、その顔は手に持ったスマートフォンに夢中になっている。虚な目で画面に目を落とす彼女だが、口だけは傀儡のようにわらっている。

 男は人にぶつからないように器用に歩き、その交差点を抜けて街へと入っていく。左右には飲食店がひしめき合い、道には手にメニューを、腰に魚やマークが印字されたエプロンを纏った男達がカラスのように同じ言葉を上げている。そして道ゆく人を呼び込んでいる。男も例外ではなく声をかけられるが、一切の反応をせず通り過ぎれば男達は深追いせずにカラスに戻り、次の人間へと狙いを移す。だが、ここを少しでも知る人間であればその話を聞くことすらしない。と言うのも多くの人間は彼らは口が達者で、一度捕まれば逃げるのが面倒なことも。このような男達が誘う店は何かしら危険が伴うことを知っているからだ。

 男はそんな喧騒の響く道で曲がり、小道にはいる。小道といっても人が3人は並んで通れる幅はある。しかし、そんな道は座り込んで大声で笑う大学生であろう男達と、そんな彼らが残したゴミによって足場が少ない。

 

「あの女めっちゃ良かったぞ。名器ってのはアレのことを言うんだろうさ」

 

「おいマジかよ。次その女来る時俺呼んでくれよ。俺も具合を知りたいわ」

 

 ゲラゲラと、下品な話題で笑う男たち。その横を男は何も言わずに通り過ぎる。

 

「ずいぶん良い格好だね。実は俺もそう言う格好興味あって、どこで売ってるのか教えてくれません?」

 

 そのうち1人が男の肩を掴む。この距離でも香る酒の匂い。声をかけた男の手には酒の缶が握られている。やんややんやと周囲の男が笑う。しかし男は何も言わずにゆっくりと振り返る。その動きとともに、黒いコートがふわりと浮いた。

 

「あぁ、ありがとう。ただこれはオーダーメイドでね。店名を教えたいが、店主が死ぬほど気難しくてあんまり公表するなと言うんだ。力になれずすまない」

 

 柔らかく笑って男は右手で帽子を押さえて少し頭を下げる。この国ではあまり見ない動きに酔いの回った男は驚いたようだが、残念だと笑いメンバーの位置に戻ろうとする。しかし、その背後から男は声をかけられる。

 

「ただ、その代わりと言ってはなんだが良いことを1つ教えよう。今日はもうここで思う存分飲み明かした方が良い。君らはまだ十分酒を持ってるんだろう?」

 

 黒い男は酒を飲む男達の横に無造作に置かれた袋に指を刺す。恐らくコンビニで貰ったのであろう袋の隙間からは、開けられていないであろう缶がまだ5本以上覗いている。

 

「もちろんそのつもりっすよ!一緒に飲みます?」

 

 とても楽しそうに笑う酔った男からは悪意を感じない。ただ、純粋に一緒に飲もうと思っているのだろう。そして、男たちの連れも笑っている。

 

「いいや、遠慮しておくよ。あまり強くなくてね」

 

 男は丁重にその誘いを断ってその横を通り過ぎる。それを見て男たちもすぐコートの男に絡むのを止めてに談笑に移る。それは聞く人によっては気を悪くする様な内容だろう。ただ、彼らにとってはこの社会の中で、そんな会話をしている時が最も気を楽に、自由に生きれる時間。

 

 コートの男は先の小道を抜けてとある店に入っていた。そこはネズミでも走りそうな裏路地の一画。古臭いネオンでぼんやりとMoiraという店名を掲げる店だった。自然の木を使ったのであろうカウンターの様々な銘柄の酒が淡い光に照らされながら自分の出番を待っている。一般的な少しおしゃれなバーの様相だが、その店内の壁には埋め尽くさんばかりに様々な種類の時計が置かれている。そして各々好きな時間を刻んでいた。

 そんな店内のカウンター席の真ん中の席に、それはいた。

 ぼんやりとした明かりが照らす店内で、その光を避けるような黒いドレス、燐とした端正な横顔、そして腰まで伸びた艶やかな黒髪。

 まるで物語から出てきた人形の様だった。

 

「貴方を待ってました」

 

 くるりと椅子を回し、少女は地面に降り立つ。さまざまな刺繍とフリルのつけられた豪勢な黒いドレスが華のように開き、閉じる。

 そして何も言わない男に少女は歩み寄り、少し伸びをして、その頬をなぞる。

 その瞳は、そのドレスと同じように吸い込まれそうなほどに黒い。

 

「貴方に、私の時間を持って行ってほしいの」

 

「......断る」

 

 男は、中折れ帽を外し、少女の頭にかぶせる。わぷっと声を上げる少女。

 

「ちょっと!」

 

 少女は押し付けられた帽子をかぶったまま不満そうな顔で、男を見上げる。

 

「君もしつこいね。何回言ってもそれだけはダメ」

 

 この少女は最近毎日ここに来ていた。最初は驚いたが、4日目になった今では男がもう驚くことは無かった。

 ただ、今日の服装については気になることがあった。いつもは学校の制服であろうものを見に纏っていた。にも関わらず、今日はわざわざこんな服を着ている。

 まるで喪服だ。

 

「でも、もう遅いのだけどね」

 

 少女の声は暗い。そこには悲惨なまでの喪失感があった。

 この男は、僅かながらに彼女を見てきた。その結果、その目的も知っている。だからこそ、男はその言葉の意味を理解していた。そして、自分の行いのもたらした彼女への影響も。

 

「それは、悪かったね」

 

 少女は目の前に出されたオレンジジュースを少し飲む。カラリと氷が音を立て、一段落ちた。

 少女は視線を上げてしっかりと男を見据える。そこにあるのは一体。どんな感情なのか。

 

「だから今日は聞きに来たの。なんで貴方が私のお願いを聞いてくれなかったのか」

 

 少女の瞳はよく見れば赤く腫れていた。泣き腫らした目で、じっと男を見つめる。それを見た男は、少なからず自責の念に駆られていた。

 

「そうだね。それは......俺の力不足。俺も万能では無いってことさ。ただ、今回俺は自分の無力を痛感したよ。だから、今日以降も、少しここに来てくれない?」

 

 何かを言おうとして、それを押し止めたように。男は言葉を紡ぐ。ただ、その後に述べられた後悔に関しては嘘があるようには感じられない。

 ただ、本当に。救いたかった者を救えなかった者の述べる懺悔に他ならなかった。

 

「いいよ」 

 

 少女は二つ返事で了承。それを見た男は店を閉じ、コートと中折れ帽を再度身につけ夜の街に少女と飛び出す。先の若者達の横を通り過ぎ、街のネオンを抜ける。男に手を引かれた少女は、やがて展望台に到着した。

 

「ここで夜景を見たことはある?」

 

 展望階へ登るエレベーターの中、男は少女に問いかける。

 

「無いよ。私は、ずっと1人だったから」

 

 少女は悲しげに笑う。それを見た男は、少女の髪を愛おしそうに撫でる。

 高度が上がるにつれてエレベーター内の灯りが落とされてゆく。灯が全て消えた後、放送の合図と共に扉が開かれた。そこに広がるのは一面の灯火。それは灯であり、ただの光。ただ、その一つ一つがそこに人々が根付き、作り上げた社会を物語っている。

 まるで宝石箱のような光の群れを眼下に少女は息を呑む。それを男が見守っていた。

 

「今日から、これまでにやったことのないような事。全部やろう」

 

「うん」

 

 眼下に広がる風景に未だに視線を向けながら、少女が惚けた返事をした。

 それを見た男は満足そうに笑う。

 

 それ以降、2人は本当にさまざまな物を見て、やって、聞いた。

 国で一番怖いジェットコースターで男が意識を失いかけたり、最恐と名高いお化け屋敷で少女が恐怖から走ってしまい、壁に頭をぶつけて救急車のお世話になったり。さまざまな国に旅行し、多くの人々と出会い、別れた。多くの物を食べて、それを参考に試行錯誤しながら作った。家族のように日々を過ごし、いつまでも一緒にいた。

 そして、そんなある日。 

 男が倒れた。

 続くと思っていた平和がまた壊されそうになり、少女は頭を抱える。自分は何も出来ないという無力感。それを思うたびに怒りが湧いてくる。母と同じようにこの男も失うのかという恐怖が脳裏を掛ける。

 

「そこにいるかい?」

 

 病室のベットで目覚めた男が口を開く。その隣では少女がその手を握っていた。もうその言葉は弱々しく、未だに若い筈なのにも関わらず息が上がっている。

 

「残りの人生は楽しめそうかい?」

 

「うん。貴方のおかげで、色々知っちゃった。本当はお母さんと一緒に死にたかったのに。まだ生きてても良いのかな」

 

 男には見えているかわからないが、少女は男に手を握り、涙を流しながらも必死に笑う。

 

「アイツもきっと良いっていうさ。だからいろんな物を見て、色んなことを知るのさ。自分に残された時間を楽しんで」

 

 男が目を閉じると、少女の鳴き声が遠ざかっていく。それまでにあった不思議な体の怠さから解き放たれた不思議な感覚と共に目を覚ます。

 目を開くと、先ほどの少女に似た若い女性が手を伸ばしている。

 

「君も、人が悪い。嘘つきの言葉を娘に信じさせるなんて」

 

 男は笑って女性の手を取った。

 


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。