結束バンドとして活動し始めた後藤ひとりに対して一方的にクソデカ感情を抱えている模様。
アニメ1期/原作1~2巻あたりの話。
――後藤ひとり。
色んな意味で、すごい奴がいたもんだなと思った。
ピンクのロングヘア。机の横に置かれたギターケース。制服をガン無視して常時着用しているジャージ。授業中にも関わらず睡眠を決め込んで、休み時間は机に突っ伏して寝ているか姿を消している彼女。
部活動に所属しているわけでもないし、普段の言動からして一匹狼のヤンキーなのだろう。
そう思っていた。
「えっあっ、すっすみません……」
しかし、よく観察してみるとヤンキーのように荒れた子ではなさそうで、むしろ小動物のように頼りなさげな言動が多く見られた。
俺が見つめるとガンを飛ばすどころか視線をガン逸らしされたし、クラスメイトが会話しているのを羨ましそう(?)に眺めていたり……どちらかというと、引っ込み思案だけど優しい子なのかな――なんて思ったり。
「……うぅ、バイトやめたい……」
彼女のことを一旦考え出すと、どこか放っておけない。視線の端で追ってしまう。そんな不思議な子で。
いつしか俺は、話しかける勇気もないくせに、後藤さんのことを目で追うようになっていた。
後藤さんの生態は謎に包まれている。
何故ギターケースを持ってくるのか? 放課後はどこへ向かっているのか? たまに独り言として呟く『バイト』と何か関係があるのか? たまに持ってくるギターの腕はどのくらいなのか? もしかしてバンドをやっているのか?
などなど、机に突っ伏す後藤さんを眺める時間が増える度に疑問が増えていく日々。そこで俺は
それに気付いたのは、授業中のこと。
後藤さんに視線をふと向けた時。さらりとした桃色の髪の間から、俺が今までに出会ったことがないほどの端正な顔が覗いていたのだ。
――かわいい。いや、きれいだ。
これまで後藤さんに向けていたのは、珍しい動物に対するような感情だった。しかし、切れ長で美しい瞳や、幼さが残りつつも精悍さの芯を窺わせる美しい横顔、丸くて柔らかそうな白い頬を見ていると――俺の心はたちまちにして奪われてしまった。
今までは休み時間に彼女のことを盗み見るばかりで、授業中は板書に集中していたのに――なんたる偶然の発見だろうか。
一度発見すると、後藤さんの見え方がぐんと変わった。普段は猫背で二重顎ぎみになっているものの、黒板を見るために顔を上げる時などは、彼女の整った顔が見えるのだ。板書をする時以外、俺はずっと彼女のことを見つめるようになってしまった。
他人の顔をまじまじと見つめるなど、無礼で気持ちの悪い行為だとは思う。でも、彼女を見ていると、どこか淡い期待――いや、胸の高鳴りを覚えてしまう自分がいて、彼女から目を離すことはできなかった。
――クラスの男子は気にもかけない後藤さんの顔。その可憐さを、
観察すればするほど、言動が奇怪なだけで
むしろ、どうしてあんなに可愛い子がスクールカーストの上の方にいないのか不思議なくらいだ。液体のように溶けてしまったり、バグったPCが吐き出すエラー音のような声を漏らすからだろうか。
それとも、クラスメイトのひとりが、後藤さんに向けて手を振っていないのに、「あ、私に手を振りましたか?」みたいなオドオドした表情で手を振り返してくるのをクラスのみんなが気味悪く思っているからだろうか。
何故彼女が孤立気味になっているのかは知る由もない。先に挙げた行動の積み重ねが壁を作っている気もする。
しかし彼女が
思春期真っ盛りの俺。気になる女子がいれば、自分に都合の良すぎる妄想のひとつやふたつをしてしまうもの。
俺と同じ
……素顔はあんなに可愛いんだから、実はネットでは有名なオーチューバーかもしれないよな。ギター
彼女の後ろ姿を見ながら深々と妄想を繰り広げて、時々板書をして。
けれど、彼女に話しかけるという決定的な一歩は踏み出せない。
そんな淡い色に満ちた学校生活が、俺の日常になっていた。
ある日、後藤さんがド陽キャで有名な喜多さんと話しているのを目撃した。
「ねぇ後藤さん、今日もギター教えて!」
「えっあっ、わかりました」
さすがにストーカーじみた追跡行為の類は一切してこなかったが、偶然見かけて会話を聞いてしまった以上、俺は喜多さんと仲良さげな後藤さんに興味を抱き始めた。
喜多さんは確か歌が上手くてギターもできるんだよな。そんな喜多さんが「今日もギター教えて」という発言をしたことから、喜多さんは後藤さんとバンドを組んでいる可能性があるぞ……。
既に2人は学校内のどこかへと消えていたので、俺は喜多さんのイソスタを見ることにする。
すると喜多さんと後藤さんの関係がすぐに分かった。
どうやら後藤さんと喜多さんは『結束バンド』――このバンド名本気か?――というバンドの一員らしい。
下北沢の『スターリー』というライブハウスを拠点に活動しているとかしないとか……。断片的で詳しくは分からないが、とにかく後藤さんがバンドに入っている。その事実は、俺の胸を詰まらせるような衝撃を与えた。
後藤さんは本当の本当に孤立した人間ではなかったんだ。ギター上手の喜多さんにギターを教えられるくらいデキるギタリストだったんだ。
やっぱり後藤さんは凄い。そう思うと同時に、俺だけが知っていたはずの彼女に踏み込んでいた喜多さんと『結束バンド』に対してどうしようもなく胸がざわめいた。
……野暮だ。分かっている。ロクに会話したことのないクラスメイトが、彼女の私生活を偉そうに妨げるべきではない。当然のことだ。
頭では理解していたが、彼女が俺と同じ
それからしばらくは、後藤さんの横顔を眺めるのが少しだけ苦しくなった。
――結束バンドが本格的に『スターリー』というライブハウスでライブを行い始めたらしい。廊下で声の大きな喜多さんがライブチケットを友人に渡しているのを見て、俺は狸寝入りを決め込む後藤さんに目を向ける。
いつも以上にいつも通りの彼女。でも、後藤さんは俺の知らないところで結束バンドとして積極的に活動している――
――……俺とは違う?
やっぱり後藤さんは
きみも、世界へと羽ばたいていく『スター』のひとりに過ぎなかったのか?
陰キャで、オタクで、孤立して浮いている、俺と同類の女の子じゃなかったのか?
勝手に積み上げた彼女の虚像が大きくなりすぎて、現実の後藤さんを見る度にこめかみが痛む。
近づきたいのに近づけない。知りたいのに知りたくない。
結束バンドとして
……そんな勇気もないくせに。
「喜多ちゃん、後藤さん以外のバンドメンバーってどんな人?」
「下北の高校の伊地知虹夏先輩と山田リョウ先輩! 伊地知先輩はドラムで〜、リョウ先輩はベースなの! ちなみにリョウ先輩は作曲も担当してくれてて――」
結束バンド、喜多郁代、後藤ひとり。関係する言葉を耳にするだけで背中の真ん中から汗が湧いてくる。
俺が勝手に拗らせている間に、後藤さんがバンドを組んで活動していた。ただそれだけ。盲目な馬鹿が勝手に不愉快になっているだけで、彼女達に何ら罪はない。
……少し前、俺は結束バンドと知り合い(?)の『世界のYAMADA』という人物からライブチケットを購入したこともある。
ただ、その時は台風のせいで『スターリー』には行けなかった。台風という偶然に阻まれてからは、結束バンドのライブに行く気力がなくなってしまった。
拗れて、練り上げて、どんどん歪んでいく。
自覚はあったが、どうにも止められる気がしなかった。
そして時は流れ――
――文化祭のプログラムに、最も見たいのに、最も見たくない名前――『結束バンド』の文字が刻まれているのを目撃して、俺は唖然とした。
……どうして結束バンドがウチの高校に?
後藤さんと喜多さん以外の2人のメンバーは別の高校にいるはずなのに。
――『スポットライトを当てられる後藤ひとりを見届けろ』。天にそう囁かれているような気がした。
俺達のクラスの出し物は『メイド喫茶』。本来であれば後藤さんのメイド服姿を見られるこれ以上ない幸福な機会だったのに……。
俺の視界が真っ暗になっていく。身体が現実に取り残されて、意識が遠のいていくような感覚があった。
後藤さん……結局きみも、青春を謳歌するんだね。
俺の時間は止まったまま、遂に文化祭本番を迎えた。
『続いては――結束バンドです!』
「喜多ちゃ〜ん!」
「頑張って〜!」
「おねーちゃん!」
舞台の幕が上がる。『結束バンド』というロゴTを着た後藤さんが、ステージの上でスポットライトを当てられていた。
ギターボーカルの喜多さん。リードギターの後藤さん。ベースの山田リョウさん。ドラムの伊地知虹夏さん。全員が輝いていて、とてもじゃないが俺と同類の人間はいないように見えた。
4人は顔を見合わせた後、オリジナル曲を澱みなく奏でていく。楽曲の完成度を底上げする完成されたリズム隊と、存在感を放つギラついたギター。そして真っ直ぐな歌声とパフォーマンスで心をつかむ喜多さん。
脳天を直接ぶん殴られたかのような、凄まじい衝撃が鼓膜を揺らした。
『――ぜんぶ天気のせいでいいよ この気まずさも倦怠感も』
――やっぱり、後藤さんは俺と決定的に違っていた。
彼女は、俺と同じ
しかし、俺の気付きに今までのような後ろめたさは無い。
『――「作者の気持ちを答えなさい」 いったいなにが正解なんだい?』
後藤さんは、結束バンドというかけがえのない仲間を得て、世界に羽ばたこうとしているのだ。奏でる者、聴く者、音楽はそれら全てに平等に降り注ぐ。
俺には無縁だと思っていた『バンド』という青春の塊は、俺の心をガツンと強く打って、これまでに溜め込んでいたぐしゃぐしゃの激情を解放するようにワッと広がって。
陽キャとか、陰キャとか、そんな細かいこと、どうでも良かった。俺のような孤独な人間さえ巻き込んで、結束バンドの音楽は体育館のボルテージを底なしに上げていく。
『――青い春なんてもんは 僕には似合わないんだ
それでも知ってるから 一度しかない瞬間は
儚さを孕んでる――』
鈍く輝く後藤さんのギター。所々に浅いキズがある。華麗なピックのさばき方。左手を滑らせるように動かし、旋律を奏でるその
素人の俺でも分かった。
『――絶対忘れてやらないよ
いつか死ぬまで何回だって
こんなこともあったって 笑ってやんのさ――』
俺は、どうして……どうして後藤さんの背中を押してやれなかったんだ。
あんなに楽しそうに。あんなにうれしそうにギターを弾く後藤さんは見たことがなかった。
――それにしても。
青春全開のメロディラインで、青春を真っ向から否定するなんて……
それこそ『青春』じゃないか。
『一曲目っ、『忘れてやらない』でした!』
湧き上がる観客。高校生バンドのオリジナル曲でここまでの完成度を誇り、しかも初見の曲で学生達を盛り上げるなんて只事じゃない。
少しのMCの後、2曲目の『星座になれたら』が始まる。
『――どんなに探してみても 一つしかない星
何億光年 離れたところからあんなに輝く――』
よりベースとドラムが輝くメロディの2曲目。完成度は想像の遥か上を行く。
彼女の日常は、結束バンドを中心に完成していたのだ。俺がつけ入る隙などなかったのだ。
観察者として影に根ざした俺とは違う。後藤さんはきっと、バンドの仲間を得るために努力を続けていたんだ。
磁石の同極同士は惹かれ合わない。
結果的に俺と後藤さんがそうであったように。
『何者かになりたい』と思う時、それは同極ではなく異極に向けて向けられる感情であることが多い。
結束バンドのみんなは、後藤さんにとって異極そのものだったんだ。
いや――後藤さんだけにとってじゃない。
きっと、バンドの4人全員が、支え合って、励まし合って、深いところで結束しているから。
だから――俺みたいな人間にも、結束バンドの曲はこんなにも深々と突き刺さるのだ。
「結束バンドの曲、全部ご……ギターの人が作詞したんだって!」
「何かすごい良くない!? ウチめっちゃ刺さるかも!」
「――あれ? ギターの人、弦切れてない?」
「トラブル?」
突如、後藤さんがステージ上で膝をつく。煌めく糸が宙に待っていた。弦が切れるって相当まずいんじゃないか? 後藤さんがまごついているところを見るに、他のトラブルも併発しているように見える。
これまで素晴らしいパフォーマンスをしていただけに、すっと現実に引き戻されるような寒気がした。
喜多さんはもちろん、伊地知さんや山田さんも異変に気づいたようで、楽しげな表情が一変して緊張した面持ちになっている。
観客の一部も後藤さんのトラブルに気づいており、盛り上がりとは違ったざわめきが生まれつつあった。後藤さんの顔はいつも以上に蒼白で、深刻なトラブルのように見える。
――嫌だ。
後藤さんや結束バンドが失敗するところを見たくない。
――がんばれ、後藤さん。
――がんばれ、結束バンド。
トラブルなんか吹き飛ばせ。
結束バンドだろ、結束力で乗り切れよ。
思わず、目を閉じる。
――奇跡は起きなかった。
奇跡の代わりに、積み重ねてきた努力が身を結んだ。
「――あのギター何やってんだ?」
「よく分かんねーけどすげー!」
――ボトルネック奏法!?
ぬるりとしたサウンドで違和感なく紡がれるメロディ。弦が切れているはずなのに、後藤さんのギターは完璧にメロディを維持していた。
ラスサビへの溜めパートが訪れ、後藤さんが無造作に天上を見上げる。
――乗り切った。致命的なトラブルを機転で乗り切ってしまった。
後藤さんと会話できた時のために、ギターを少し齧っておいた甲斐があった。そのお陰で、後藤さんのギターがどれだけの努力に裏打ちされたものかがまざまざと分かる。
『だから集まって星座になりたい』
あぁ――
俺という存在は、彼女の青春には必要なかったのだ。
『色とりどりの光 放つような』
大好きなきみよ、高く飛んでゆけ。
どんなに時間が経っても色褪せないような、永遠の輝きを放つようなバンドになってくれ。
無責任な俺の願いを背負って――いや、背負わなくていい。
『つないだ線 解かないよ』
蹴っ飛ばして、踏み抜いて、ちっぽけな男の想いなど捨て置いて、犠牲にして、飛んでゆけ。飛んでくれ。
『君がどんなに眩しくても――』
――喜多さんの透き通った歌声が遠のき、『星座になれたら』が終わっていく。
消えゆく最後のメロディを聞き遂げた後、俺は盛り上がる学生の中でひとり涙していた。
……あぁ……――
――こうして見つめるだけの青春も、悪くはないのかな――
作詞・後藤ひとり。清々しいメロディラインに似合わぬ後ろめたい歌詞が、俺の仄暗い青春すら肯定してくれるような気がして。
どうしようもなく、情けないくらい、涙が止まらなかった。
――えっ、お前『結束バンド』の後藤ひとりと同じクラスだったのかよ!?
――すげぇ! やっぱりギター上手かったのか!?
――可愛かった!?
――文化祭すごかった!?
……後藤さんは――とてもすてきな女の子だったよ
俺みたいにジメジメした人間にすら希望を与えてしまうくらい、一生懸命で――キラキラしてて――
……眩しかったよ――