しかし、そのシェアハウスは奇妙な住人ばかりが住みついていたようで……?
ほんのり暗く、ほんのり明るい。ハートフル日常コメディ(予定)
一応の区切りがついたので投稿しました。
人気だったら続けるかもですが、多分次は違うお話をあげると思います。
誤字脱字のコメントもお待ちしております。
「あぁ~、アパートが見つかんない!」
「ふぅ~ん」
椅子にもたれかかり、深いため息をつく母を横目に、わたしはぽちぽちとスマホでテトリスをつづける。
「ふーん、ってあんたねぇ。瑠維が住む場所なんだからもうちょっと本気にならないの?」
「えぇ~。ないならないで、通学でいいじゃん」
スマホから顔をあげずに答える。
「大学生になったら自炊するって約束してたじゃない」
「してたっけ」
「はぁ~」
よくもまぁ白々しく、という文句が聞こえてきそうな溜息であるが、無視が安牌である。料理なんてしたくないし、洗濯もしたくない。掃除などもってのほかである。女子力だの生活力だの結婚の予定のないわたしには無縁だ。
「はぁ」
また母がため息をついた。これはおそらく、『なんで前期で受からなかったんだ』という溜息だろう。
国立大学の前期試験に落ちたわたしは、後期で地元の国立大学に入ることになったのだが、わたしが前期でうかるうかると言っていたためか、母は後期でうける大学近くの部屋を探していなかったようである。
たしかに自信満々な風で試験に向かったが、それは半ば自分自身への暗示だったので、真に受けないでほしかったと思わなくもない。
「……ねぇ」
母が頬杖をついて、パソコンの画面をみつめながら声をかけてきた。
「なに?」
「ルームシェアとか、どう?」
「……え?」
「だれかと部屋を共有することよ」
「いや、意味は分かるんだけどさ。え……。はじめての一人暮らしにはハードルが高くない?」
「海外じゃ、家賃が高いから同級生とすむことが多いって聞いたわよ」
どこからそんな情報を仕入れてきたのか。母は意外に顔が広いので、もしかしたら海外住まいの人と知り合っているのかもしれない。
「海外の話じゃん。なに、学生が同居人を募ってるのを見つけたの?」
「……そういう訳じゃないんだけど」
「ならどういうこと?」
「シェアハウスの入居募集があと一人になってるのよねぇ」
「は?」
期間限定じゃないんだから。
セールス終了まで後3時間って言われて、広告をポチるやつやん。そういうときは検索し直すか翌日まで待つのが大切なのに。あ、そんな話ではない。
「いやだよ。第一、シェアハウスとかいろいろ面倒そうじゃん」
「でもねぇ、婿入りならともかく、嫁入りしないといけなかったら、先方の家族に気を使わなくちゃならないでしょ?それなら、他所の人と一緒に同じ家で過ごして、遠慮とか気づかいを学んでおくのもいいんじゃない?」
うわ、でた。古くさい説教だ。
「いい。結婚しないし」
「あ、またそんなこと言って。孫の顔見られないなんて、お母さん哀しい!」
母が目元に袖をあてがい、大げさに泣きまねをする。
「お兄ちゃんが再来月当たり子供生まれそうだってよ」
「え。あぁ、そうだったわね」
母はそれを聞いてぱっと顔をあげたが、してやられたのを理解したのか、バツが悪そうに目を逸らした。
「……」
わたしはジト目で母を見つめる。
「……お母さん、瑠維の子供の顔も見たいなぁ」
面倒な……。
しばし考えた後、わたしはゆっくりと口を開いた。
「クローンでいいなら」
「え?」
「二人目のわたし」
「……?」
時代は進歩したものである。体細胞由来のiPS細胞から精子なんかも作れるそうだ。当然自分の体の細胞も使えるので、体外受精ができれば、自分のクローンをつくることができる。
十年後とかでもそんなことができるかは怪しいが(倫理的に)、とりあえず母には近い将来、それができるかのように語っておいた。
「はぁ~~」
母は、とても深くため息をついた。
なんと。この進歩的で実に若者らしい考えに賛同できないらしい。
共感できないだろうと思ってこの話をしたわけだが。
「でも、子供の顔見せてほしいんでしょ?」
「そういうことじゃ……はぁ」
「……ふん」
なおも深いため息をつく母に、わたしは不機嫌に鼻を鳴らした。
手元に視線を落としてしばらくテトリスを続けていると、母が再度シェアハウスのことを話し始めた。
「結局、シェアハウスはダメなの?」
「そこ以外で空いてる部屋が何もなくて、絶対実家から離れろ、って言うんなら、別にいいけど」
「空いてる部屋はなさそう。……絶対ではないけれど、独り立ちしてほしいとは思うわねぇ」
「独り立ちは大学生からじゃないとだめなの?」
「でも、社会人になったら一気に大変になりそうじゃない?」
「あー」
言わんとしていることは分かる。
社会人になったら会社に慣れるのに精いっぱいなのに、私生活でも初めてのことだらけだったらなお大変で……。
む?
「なら、社会に出た後でもこの家に住み続ければいいじゃん」
「えぇ?……ずっと住み続けるつもり?」
母はあからさまに顔をしかめた。
「むしろ、ずっと住み続けた方がいいんじゃない?住みもしない実家相続したって、維持費にしろ解体費にしろ面倒でしょ」
「……えぇ」
「むしろ、未来のことを見通すなら、実家に住み続けるべきっている結論になると思うな、わたしは」
「……都会で就職したいとは思わないの?」
「いや、まったく」
「……」
隙を生じさせぬ完璧な論理。
もし、転勤したらどうするのよと言われれば、出世する気なんてないと言っておけばいいだろう。ふっ、なんでもかんでも昔の理屈が通用するとは思わないことだ。
「……?」
ふと、母が肩を震わせていることに気づいた。
「あ」
母が机をバンと叩き、顔を赤くして叫ぶ。
「いいからとっとと自立しなさい!一生あんたの面倒みつづけるなんて、まっぴらごめんだわ!」
「えぇ……」
そういう本音は、心の中にしまっておくべきことなのでは。
わたしが言えたことでもないだろうけれど。
「はぁ……シェアハウスねぇ。面倒な感じしかしないなぁ」
母の、家から追い出さんばかりの剣幕に負けわたしは、結局大学近くにある『シェアハウス
管理人に入居希望の連絡をしたところ、今日の昼に来てくださいと言われた。今日は平日だが折よく春休みだったので会いに来れたわけだ。母は仕事だったので、ここに来るまでの道のりは専ら電車とバスだ。
大学があるこの地域はかなり田舎だったので、受験に来た時には驚いた。お椀の底のように広がる盆地に町と田んぼが並んでいる。近くの都会に行くためには山一つ越えないといけないのだが、これは少々しんどい。
駅から歩くこと15分程度。一面に広がる田んぼに向き合うようにしてシェアハウスが建っていた。
家はシェアハウスとして貸し出すくらいだから、結構大きい。
なんでも、管理人さんはここら一体の名家だったそうで、この家は数十年前に建て替えたものらしい。豪邸と言って差し支えない広さと絢爛さを誇っている。
わたしはその威圧感に多少のされながら、チャイムの音を鳴らした。
ピンポーンという音が鳴る。鐘か何かがなるものだと思っていたが、建物のいかつさには似合わない軽い音だ。
「はーい」
ドタバタとドアに駆け寄ってくる音が聞こえる。
そこまで焦らなくていいのにと思って待っていると、ガチャンとドアを開ける音がした。
そこに立っていたのは、わたしより目線一つ分小さい女性であった。
サンダルを履いて、白いワンピースに身を包んだ女性は清楚然としている。
淡く健康的な唇に、ぱっちりと開いた目、ショートボブの黒髪。
素朴な可愛らしさを感じさせる方であった。田舎で見かけるタイプの、ちょっとかわいい娘みたいな。
ただ、田舎でも、いや都会でも、なかなか見かけないであろうものが頭に乗っかっていたのである。
「……河童の方でしたか」
皿だ。皿が、取ってつけたように頭に乗っかっていたのである。ファッションでもそんなことはしまい。
「はい。私は河伯咲。由緒正しい、犬亦町の河童です」
「……なるほど」
わたしは目の前の状況を飲み込むので精いっぱいであった。
リベラルで寛容な心を持つ読者諸賢にも、改めて亜人については説明した方がいいだろう。
亜人とはその名の通り、人に似てはいるが、“若干”異なった形質を備えた人のことを言う。
古くは人々に差別される運命にあったためか人の目から姿を隠し、妖怪やバケモノ扱いを受けてきた彼らは、最近になって公に姿を現すようになった。亜人全体でそういう取り決めがあったのかはわからないが、ある時を境に街の中に出没するようになったという。映像の普及によって隠れきれなくなったからだとも、昨今の多様性尊重の運動を敏感に感じ取ったともいわれるが、はっきりしない。
河童は、古くはすっぽんの見間違えから、亀のような姿をした人間として描かれてきたのだと言われていたが、実際に人間社会に河童が受け容れられるようになってからは、そのような説は姿を消した。
亜人は、咲さんのような河童から獣人、鬼にいたるまで幅が広い。
さきほど、亜人は隠れて生きてきたといったが、中には人間社会に紛れ込み、隠然たる権力をふるってきたものもいるそうで、河伯家は河童が代々実質的な当主を務めてきたそうだ。これが犬亦町において公然の秘密だったのか、それとも本当に名家のうらに身をひそめ、世間に認知されていなかったのかはわからない。
以上、Google先生の受け売りである。
家に上がらせてもらったあとすぐに『トイレを借ります』といっていろいろ検索を掛けた結果である。
仕方ない。知らなかったんだもの。
一通りの情報を調べて予備知識をつけたわたしは、よしと気合を入れてトイレから出る。
咲さんに案内されて応接間に入り、シェアハウスの詳しい説明を受けるためにソファに腰を下ろす。
む。これはすごくいいソファだ。ふかふかで柔らかい。さすが名家、物が違う。
「すみません、驚かせてしまって。見せるならはじめからがいいと思ったんですけど、普段見かけないですもんね」
頬をかいて苦笑いを浮かべた咲さんは、申し訳なさそうに謝る。
「あ、いえ。そんなことは。慣れの問題ですし」
「そうですか、そう言っていただけるとありがたいです」
咲さんはぺこりと頭をさげる。
「あ、いえ。そんな。感謝されることでも……」
「いいえ。私にとっては大切なことなんです。……それで、ちなみに」
「……なんですか?」
口ごもった咲さんは、少しして言葉をつづけた。
「このシェアハウス、瑠維さん以外のみんなが亜人だっていっても、大丈夫ですか?」
「ぇ……ゑ?」
「あはは……。実はですね……」
それに続けて咲さんが語ったのは、以下の通りである。
このシェアハウスは亜人だけを対象にしているわけではない。しかし、大家の咲さんが亜人で、入居してこようとした一般人の多くはしり込みしてやめてしまうのだそうだ。だから結果的に亜人だけがここの住人になってしまったと。なにも、亜人だけがこの家にいることを隠そうとしたわけではない。その証拠に、家に来た初めの方で亜人関係のことはわたしに話した。ただ、賃貸情報に亜人の住人がいるかどうかは記載不要だったので、わざわざ書こうとしなかっただけ、だそうだ。
……まぁ、わからなくもない。
わたしも子供ではないので、『別にいいですよ』とわたしが答えたのを、とてもうれしそうにしている咲さんを見て、実際のところどう考えていたのかはなんとなくわかる。そして、それを口に出して言うほどわたしは性格が悪くはない。
「どういう方がいらっしゃるんです?」
「えっと、私含めて六人ですね」
「ふむ」
「獣人、狐の兄弟と……」
「ほう」
お、それはいい。場合によってはモフらせてくれるかもしれない。
「鬼と」
「え」
「吸血鬼と」
「!?」
「あの方は何というのか……のっぺらぼうというかなんというか。とにかく、亜人の方です」
「……随分、個性的な方々が揃っていらっしゃるのですね」
「ま、まぁ」
咲さんは少し目を逸らした。
しかし、鬼はともかく、ヴァンパイアまで居るとは。日本には少ないと聞いていたのだが。
彼らは吸血衝動があるそうなので、人の血をいれたパックが出回っているらしい。
ここのシェアハウスでは、冷蔵庫の中に他の人には見えないようにパックを保存していると話してくれた。
ふと、同じ種同士だと寄生虫や菌の感染リスクなどが付きまとうので、一般的に共食いは少ないという話を思い出した。実際、どんな部族でも、日常的に人を食べる、カニバることはないらしいのだ。吸血鬼が人の血を啜るのに抵抗がないのは、種族が違うからなのではないか、とも思いはじめる。
が、そういうことを言い始めると、いろいろと込み入ってくる。
これ以上考えるのはよそう。
形質的に違うのは“若干”だけ。そういうことになっているのだから。
「その方々は、いまは仕事中ですか?」
「あ、はい。凜君……あ、狐の子のことです。彼は小学校で、兄の司君は高校です」
「へぇ……。親御さんは?」
「あ。えっと、その……」
途端に、水が濁ったように咲さんはいい淀む。
「……複雑なんですね」
「はい」
「分かりました」
「ありがとうございます。……あ、紅茶入れましょうか」
「あ、どうも」
個人的な事情には安易に踏み込まない方がいい。
これは親友、夏が言っていたことで、たびたびお節介を発動した彼女は、それで痛い目にあったことがあるそうだ。
まぁ、それでも懲りることなくお節介さを出し続けたから、わたしにも声をかけてくれたのだろうが。
その記憶が呼び水になって、いろいろと思い出した。懐かしい気持ちに浸るように、椅子に深くもたれる。
夏とはいろいろあった。
わたしの誕生日がクリスマスと同じ日だからと言って、パーティーケーキの大きさを二倍にしやがった。二人では食べきれないからと、友人を何人も呼んで。
京都の修学旅行の時にはいろいろ連れて回られて、神社の長い長い階段をのぼらされた。
夏は、割と大きい短距離の大会に出て、それに応援に行ったりもした。わたしの場所がわかるようにとペンライトを振ってみたら、あとで恥ずかしいと叱られたのを思い出す。
受験会場に夏が筆箱一式を忘れて、てんやわんやしたのもいい思い出である。
……おなじ大学を目指していて、彼女はそこに受かった。
もう、引っ越し終わったころだろう。
今頃、どうしているだろうか。
「……」
コップを口元にはこび、すすっと飲み下す。
ぎこちない沈黙を破るようにして、つとめて明るい声で、咲さんはほかの亜人のことについて話し出した。
「あの、さっきの続きですけどね」
「はい」
「鬼の方、大江さんが建設業で、吸血鬼の藤原さんはフリーランス。
「な、なるほど」
「たしか、瑠維さんは学生さんでしたよね」
「はい。この近くの大学です」
「わかりました。あ、契約の話に移る前に。亜人の方々の話を聞いても、瑠維さんはこのシェアハウスに住む意向は変わらない、ということでよろしいですか?」
「はい。大丈夫です」
「ありがとうございます」
咲さんは深々と頭を下げた。
契約書にサインした後、重要書類の説明を受けて、一通りの手続きが終わった。
これだけ長々と説明を聞くだけというのも疲れるものである。
ひと段落したのを見計らって、軽く背伸びをする。
「あはは、お疲れ様です」
「あ、いえ。すみません、あからさまに背伸びしちゃって」
「いえいえ。わかります。契約ごとの手続きとかって面倒ですもんね」
「そうですねぇ……」
しみじみと実感のこもった声を出す。
冬は母が繁忙期だったので、一人で願書やら入学届やらの準備をしたが、大変のなんの。
住民票移すのも苦労する予感がする。
スマホでポチるだけでなんとかならんかな。
最近はそういう改革がはやっているらしいので、もしかしたら五年後とかはそうなっているかもしれない。まぁ、いまそれができないならありがたみは感じられないのだが。
「では、これで」
「はい。あ、お母さまにも一応書類を見せてあげてください。おそらく問題ないでしょうが」
「わかりました」
わたしがすくっと立ち上がると咲さんが応接間の扉を開けてくれた。
「ではまた」
わたしは彼女にあいさつして、シェアハウスを後にした。
さ、五日後に引っ越しである。
大学生活はどういうものになるだろうかと想像を膨らませながら、わたしは家に向かった。
「玲さん。起きてくださぁ~い。晩御飯、じゃなかった、朝ごはんですよぉ~」
「……あと五分」
日が暮れてしばらく。部屋ですやすやと寝息を立てているこの女性は、布団を顔に被せ、なおも眠ろうとする。
「咲さんにもそういったらしいじゃないですか。いい加減起きてくださいよぉ~」
咲さんが配膳を始めたので、かわりにわたしがこの女性、藤原玲さんを起こしに来ているのだ。玲さんは吸血鬼で、夜行性なので、ちょうどこのくらいの時間帯が玲さんにとっての朝ということになろう。
「ほら起き……って、バカぢから!」
「ん~」
吸血鬼というのは力も強いのだろうか。わたしとほぼ同じくらいの身長のはずなのに、まるで壁に縫い付けられたかのように布団がびくともしない。
「はぁ」
「んー」
わたしは布団を引っぺがすのを諦めて彼女の枕元に顔を寄せる。
「玲さ~ん。おきないと悪戯しちゃいますよぉ」
「だめぇ~」
「起きませんか?」
「あとすこしぃ」
ふむ。
母は“悪戯”といった時、文字通り寝耳に水をたらすのだが、さすがにそんなことはしない。わたしは良識人だから。
玲さん、もとい吸血鬼は耳がとがっている。どちらかといえば、エルフに似ている形で、横に細長く伸びている。
んで。エルフとの交流を描いた漫画が一昔前に流行したのだが、そこで主人公はエルフに対し、出合い頭に耳をさわさわしていた。エルフが特異に発達させた細長い耳は聴覚に優れているが、同時にとても敏感なようで、親しい間柄の者にしか触らせないようである。それにためらいなく触ろうとするのだから、あの主人公は変態と言われても仕方あるまい。
吸血鬼の耳も敏感なのかは知らない。だが、形が似ていれば特徴も似通るものではないかと、わたしなんかは素朴に思ってしまう。そう、だから。そおっと耳に手を伸ばして。
「……」
「……ぅ」
さわさわと耳を撫でていると、だんだん玲さんが身体を震わせてきた。
「……」
「……くふ」
もみもみすると、さすがにこらえきれなくなったのか、玲さんがばっと起き上がった。
「んもう、やめなさい!くすぐったいじゃない!」
「あ」
「あ、じゃないわよ!」
「いえ、悪戯していいって言ってたので」
「はぁ?そんなこと、いつ言いました?」
「寝ぼけて忘れたかもしれませんが、こう、『いぃよぉ~』って、愛らしく」
頬に手を添え目をつぶり、舌足らずな感じで言ってみる。
「ぁ……はぁ。もう、なんだっていいわ」
一瞬顔を赤らめた玲さんは額に手を当てて深くため息をついた。
「今日は肉じゃがですって。咲さんのはおいしいので期待ですね」
「そう。着替えるから、さきに降りててくれないかしら」
「わかりました」
わたしは静かにドアを閉め、咲さんに玲さんが起きたことを伝えるのであった。
入居して二カ月。大学にもシェアハウス生活にも慣れた頃だ。
最初のころは決まり事を覚えたり当番をこなしたりするのにいっぱいいっぱいだったが、最近はそつなくこなせるようにもなってきた。
食器洗いも当番で、なるべく一度に洗った方がいいということで、晩御飯の時間はきまっている。必ずしもみんなでそろって食べないといけないというわけではない。咲さんはせっかく同じ家に住んでいるのだからと、なるべく同じ時間に食べるようにお願いしているのだ。
「あの、これってどうすればいいんでしょうか」
声を掛けられたわたしは食事の手を止める。そして司君が持ってきた、放物線が書かれてある紙をのぞき込む。
「ん。あぁ、これね。……ひとつひとつ見ていけばいいよ。ほら、ここで円と放物線の方程式を等式で結んで、整理して……」
塾に通えればいいのだろうが、学校以外に勉強する場がない司君に、こうしてわたしが宿題を見るようにもなった。わたしが来るまでは咲さんが見ていたそうだが、さすがに高校の内容にもなると難しくなってくるので、手に余るようになったのだそうだ。わたしでも社会人になっても数学の解法を覚えている自信はない。
そこで現役学生のわたしが、食事中かその前後で面倒を見ることになった。今日はこのあと自分の分の課題もあるため、食べている途中に質問してとお願いしていた。
一通り手を動かして合点がいったのか、司君はおぉと感嘆の声を漏らし、ぱたぱたと狐耳を動かした。尻尾も横に揺れている。
可愛い。モフりたい。
プリントを解き進めていく様子をぼうっと眺めていると、司君は課題を終わらせたようで、片付けを始めた。
彼はありがとうございますと一礼すると、リビングで本を読んでいた弟の凜君に声をかけ、風呂場に向かった。
凜君が一人で入れないわけではない。しかし、シェアハウスに住む人数が多いので、兄弟は一緒に入って時間を取らないようにしてくれているそうなのだ。
「いい子よねぇ」
玲さんが感心するようにつぶやく。
「しっかりしてますよね」
わたしも少し前までは高校生だったが、彼はまだ高校一年生。逆に、少し前までは中学生であった。まだ甘えたい年ごろでもあるだろうに、そんな素振りは見せず、気丈に振る舞っている。わたしが同じ年の頃は、口だけは達者になっていたので(それは今もそうだろうが)、何かにつけて母と口論していたものだ。
改めて、手のかかる娘だったなと思う。
「どう?ここには慣れた?」
「はい。おかげさまで」
食事が終わった玲さんは食器を台所にはこぶ。
「あした、なにつくる予定?」
明日はわたしが料理当番である。ちなみに今日は、いやないやな掃除当番である。
「そうですね……。生姜焼きと、あとキノコとかでしょうか」
虚根さんがあしたいるかどうかわからないのが、咲さんに七人分で作っておいてくれと言われた。
ちょっとした大家族分の料理をつくるようなものだ。なかなかに食材の量も料理の時間もかかるが、それはみんな同じだから文句を言うところではなかろう。
「へぇ、いいじゃない。あなたの料理、癖がなくて食べやすいからいいわ」
「あ、ありがとうございます」
ネットで出てきたレシピ通りにやっているだけなのだが、口にあったようで良かった。
最近は大さじ小さじ何杯分とかが面倒で、目分量でばしゃばしゃ醤油とかかけているので、そろそろ味がおかしいと怒られるかもしれない。ま、そのときはそのときだ。
「ティーバッグとってくれないかしら」
「どうぞ」
「ありがと」
玲さんはカップにティーバッグをいれ、お湯をゆっくりと注ぐ。
彼女は今から仕事だ。IT関係の仕事だそうで。一般の人と時間が合わないので、フリーランスの形で仕事を進めることにしているそうだ。
ノートパソコンを机の上において開く。
彼女はリビングで作業をすることもあれば、部屋にこもることもある。今日はリビングの気分だったようだ。
「ごちそうさまでした」
食器をキッチンにもっていく。今日の食器洗いは大江さんだ。建設の仕事は夜遅くまで及ぶらしいのでまだ帰ってきていない。
まぁ、それも今日までで、明日は打ち上げだと言っていた。
「さて、と」
今日のわたしの当番は掃除である。
掃除とは言っても、掃除機とかぞうきんがけをするようなことはしない。それは月末に住人総出でやるのが約束だ。
では何をするかといえば、一階から二階までのモップかけだ。大小のモップを使って床や棚の上を掃除する。
それだけかと侮るなかれ。この建物は広いので面倒なのだ。
倉庫からモップを引っ張り出して、さあ掃除しようとリビングに入る。
そのとき、風呂場から走ってくる足音が聞こえた。
タオルを腰に巻いて凜君がリビングに駆け込んできた。
シャツとズボンだけはいた司君が慌てた様子であとに続く。
「こら、まだ拭き終わってないってば」
「やだ!お兄ちゃんらんぼうだもん!」
「やだって、もう一人でもできるでしょ!」
「しらなーい」
「あ、こら、逃げるな!」
しずくをたらしながら、凜君がソファの周りをぐるぐる駆け回る。
それを司君が追いかけて必死に捕まえようとする。
「よっ」
「あ!ずるい!」
司君がソファを飛び越えて凜君の背後に回り、彼を抱き上げた。凜君はショートカットされたことに不満なのか、つんと口を尖らせていた。
「すみません、後でお掃除手伝いますので……」
腰を低くして司君はぺこぺことわたしに頭を下げ、ともすると消え入りそうな声で謝罪した。
「え、えぇ。大丈夫ですよ」
「すみません」
兄弟はそのまま風呂場に戻っていった。
わたしは布巾をもってきて水が落ちたところを拭きまわる。
「子供って元気ですねぇ~」
「そ、そうね」
玲さんは顔を覆っていた手を放して、ふぅと安堵したように溜息をついた。
「あれ、どうしたんですか?」
「いえ……。肩とか首が露出してると、その、ね」
目を伏せて玲さんはこたえる。鋭く発達した白い八重歯がちらりと見えた。
「あぁ……。司君にも言って聞かせた方がいいですかね」
吸血鬼は人の血が入ったパックを常備している。吸血行為が日常的になされる訳ではないで、その代替品というわけではない。唐突に湧き上がってくるらしい吸血衝動をごまかすためのものだそうだ。
衝動の頻度や長さは体質によるらしいが、玲さんは肩や首元がもろに出ているのを見るといけないのだそう。対象は男女に関係がないらしく、その点、わたしも肩紐をつかうような服は着ないようにしている。
「ほんとうなら、こどもがいっしょなんだから、目くじら立てちゃいけないんだろうけどねぇ」
「しかたないですよ。体質なんですよね」
「まぁね……」
昼夜逆転の生活といい、吸血衝動といい、社会に馴染むのはそう容易でもないだろう。わたしの同情する言葉に、玲さんは『いつものことよ』と、何でもないことのように答えた。
買い物からの帰り道。
当番がある日、とくに料理当番は時間がかかるので大学の夕方のコマは取らないようにしている。
15分くらい自転車をこぐと、街の真ん中にある駅と、そこそこおおきいスーパーにつく。
渡された予算のなかなら作るものは何でもいいので、人によっては出前ですませることもある。
ただ、それでは栄養が偏るからと、咲さんは毎回手作りだ。わたしも咲さんに倣って手料理を振る舞うことが多い。
とはいえ、咲さんのように調味料に拘ったり包丁の入れ方を工夫したりと、そこまではしない。
みりんと塩こうじを組み合わせたり、花のように人参の飾り切りをしたり。わたしには真似できない。
自転車をこいでいると、家のちかくの公園で司君が静かに佇んでいるのが見えた。
夕日に照らされて麦色に輝く髪に、風に揺られるふわふわとした狐耳、着こなしたキャメロン色のブレザー。今は公園で遊んでいる弟を見守っているようだ。
弟思いの司君。とてもいい子だと思うが、咲さんはすこし愚痴をこぼしていた。
腰の下から伸びている尻尾が、毛並みはまま整っているものの、狐色がすこしくすんでみえる。成長途中とはいえ、体の線も細く、どこか頼りない。
食が細いのだ。体質的な問題なら仕方がないのだが、咲さんは遠慮しているのではないかと勘繰っていた。自分の小皿によそう量は少なく、かわりに弟の凜君にあげているようにも見える。わたしがそれとなく、もっと食べるように促しても曖昧に笑って流されるだけだった。
「凜君の見守り?」
わたしは自転車を降りて彼に話しかけた。
声を掛けられて気づいたのか、司君はこちらに顔を向けてこんばんはとあいさつする。
「はい。今遊んでるのはクラスの友達だそうです」
「なるほど」
見ると、子供たちは缶蹴りをしていた。
彼らがいまやっている缶蹴りは、隠れていたり缶を蹴りに来たりする子の名前を鬼役の子があて、缶を先に踏んだらその子は脱落する、という遊びだ。しかし、鬼役以外の子が缶を蹴ることができたら、またはじめからになる。
賢い子はそれまで来ていた上着を交換し合って近寄ってみたり、あえて姿をチラ見えさせて、鬼役の子の後ろから缶に近づこうとしてみたり。かなりゲームが巧妙化しているようだ。凜君は尻尾の先をわずかにだして、誘い出そうとしている。狐のぬいぐるみを持ってきた子も同じようにその尻尾を近くで揺らしていた。
それに引かれた鬼役の子が凜君に近づくと、横合いから足の速い子が走り抜けていった。
見ているだけでも結構面白い。
「みんな賢いですねぇ」
「ほんとですね」
わたしがあの年だったら、永遠に鬼役をやらされる自信がある。
「あ、捕まった」
鬼役の子も足が速かったようで、危機一髪缶をさきに踏んだ。凜君と缶を蹴ろうとした子は鬼に捕まったことになるので、一緒に木陰に移動した。
「あ、梳いてもらってますよ」
「そうですね」
わたしが凜君を指さして言う。
「……気持ちよさそうですね」
「そ、そうですね」
凜君はその尻尾を他の子にモフられて、気持ちよさそうに目を細めている。
狐耳を触られるのは嫌なようで、手を伸ばした子から離れようとするが、尻尾をつかまれているので、くねくねと体を捻った。友達と楽しそうにじゃれあっている。
「尻尾、ちゃんと手入れしてます?」
流し目でそう聞いてみると、彼は一歩あとずさる。
「はい。ご心配には及びません」
「そう?でも、自分じゃ根元の方は梳けないでしょ」
「それは、まぁ」
獣人は人間以外の動物の形質が限定的に人の体に発現するタイプの亜人である。
凜君や司君(姓が橘なので橘兄弟と呼んでいるが)は狐人と呼ばれている。
キツネは衣替えともいうべき、体毛の生え変わりの時期があるそうで。
凜君や司君もこれくらいの時期に生え変わる。放置しているとあらぬところで毛が落ちて散乱してしまうので、自分で手入れすることで部屋や身の回りをきれいに保たないといけないのだ。
本物のキツネは、夏にかけてかなり冬毛が落ちるそうで、キツネのふわふわしたイメージが崩れるほどほっそりする。尻尾も細くなる。一方で狐人は個人差があるが、尻尾もそれほど細くはならない。一年を通してあまり変化は大きくない印象だ。
とはいえ、ちゃんと毛は抜けるわけで。凜君は友達や兄の司君に面倒を見てもらえるけれど、家事の当番に弟の世話に勉強に、多忙な司君はその時間もなかなかとれまい。
だから、そう。これは親睦の情を示すとともに、忙しい凜君のためを思ってのことであって。
「ほら、大丈夫。凜君を待つまでの間だから、さ」
手をひらいては閉じて、ワキワキさせながらにじり寄る。
「い、いいですよ。構わないで大丈夫です」
司君が『なんか怪しいです!』とたじろぐ。
「いいでしょ、減るもんじゃな……んん!ちゃんと手入れしないといけないでしょ?」
「い、いえ。咲さんにしてもら……友達にやってもらっているので」
彼の顔が曇る。目を背けて、どこか落ち込んだような声であった。
「そうなの?それにしては」
「あひゃ」
「ほら、全然なってないじゃない」
注意がそれていた隙に尻尾を掴み、服に埋もれていた付け根をまさぐってみると、だぼっとした毛の感触があった。
「ん~」
尻尾を伸ばさせて、根元から梳いてやる。
司君が不満げな声を出すが、それを無視して毛づくろいを続ける。
毛にやさしく触れて指を中に入れ、ゆっくりと毛並みの流れに沿って引いていく。そして抜けた毛や毛玉は服につかないようにわきに落とす。全体的にゆっくり手を動かすのがコツだ。
……すこし、尻尾の先の毛の量が少ない気がする。
「ここ、どうしたの?」
「あ……。……僕、毛が抜けやすい体質なんですよ」
「……そうなんだ」
それからなにか話すこともなくしばらく毛をとかしていると、気を張っていた司君の耳が垂れてきた。
肩ひじ張っていた力が抜けて、心地よさに体をゆだねている。まさにリラックスしている証拠だ。
ふふ、愛い奴よのぉ。
……これが男女逆だったら絶対、セクハラでお縄だった。
わたし、女子に生まれてよかったってはじめて思ってる。
「お兄ちゃん、ぼくがする!」
「え?もう遊び終わったの?」
いつの間にか近くまで戻ってきていた凜君に気づいた司君は、きょとんとした顔で反応する。
「うん」
公園の方を見てみると、子どもたちが散らばり、帰り始めたところのようである。
「そうなんだ。なら帰ろっか」
「うん!あ、それと。るいさん、ぼくが兄のしっぽの面どうを見るので大丈夫です。ご迷わくをかけました」
凜君はこちらに向き直り、ぺこりと頭を下げた。兄と接する時と、雰囲気ががらりと変わっている。
「そ、そう?わたしは全然疲れてないけど」
「いえいえ、るいさんのお手をわずらわせることはございませんので」
凜君はニコニコしながら、わたしと司君に割り込んでくるように体を入れてきた。
わたしから司君を離すことに意識が向きすぎていたためか、凛君は彼の尻尾を無造作に掴んでしまった。
「いっ」
「あ、ごめん」
「う、うん。もう少し優しく、ね」
「わかった」
そう言って司君の尻尾をゆっくり撫で始めた。
しばらくもしないうちに、立ってた耳がまた垂れ下がる。
む……。少し悔しい。
まだしばらく時間がかかるようなので、一足先に家に向かうことにした。
すると、背後から二人の会話が聞こえてきた。
「凜。さっきの言葉とか、どこで覚えたの?」
「動画!」
「ネットの?」
「そう」
「どういうの?」
「えっとね……。友達を丁ねいに馬鹿にしようってやつ」
「……教育に悪いなぁ」
「わたくしをわずらわせていただいてありがとうございます、とか」
「うわっ、面倒くさいやつやん」
「言っても通じなかった」
「だろうねぇ」
「にしし」
司君のしみじみとした声と凛君の屈託のない笑い声が、茜色に染められた街に溶け込んでいった。
「あ、帰っていらしたんですね」
「えぇ。河伯殿に、たまには顔を見せろとせっつかれましてな」
「それはそれは」
シェアハウスの前でばったり出会ったのは
一応、亜人とのこと。このシェアハウスにきて一週間したころ、咲さんから紹介された。なんでも、各地を転々としていて、たまにしかこの家には帰ってこないらしい。その割には毎月賃貸を払っているのだそうだ。
咲さんは『物好きですよねぇ』と話していた。そのときの、他の住人にはしないような遠慮のない口ぶりから、知己なのだろうと推測している。
「今まではどこに?」
「阿蘇に行って参りましたよ」
「おぉ、熊本ですか」
「はい。遠かったのでそれなりに時間がかかりましたが。それはそれは、雄大で秀麗な山でございましたよ」
「へぇ、いつか行ってみたいですね」
「いえ。鏡を見なさればよろしい。五島殿の流麗さの前では、いかなる花も、我が身を恥じらいましょうぞ」
「……え?」
「ほっほっほ」
虚根さんは景気のいい笑い声をあげて、家の中に入っていった。
昔の人ってみんな、あんなのなのか……?
年齢は分からない。黒ずくめの和服の上に、濃紺のモダンな外套を羽織っている。その合間から見える手や首にしわは少なく、健康的な肌をしていた。しかし、声はややしゃがれており、みずみずしい張りはない。ただ、どうにも、話しぶりや物腰からは自然体で古風な雰囲気が出ているようにも思う。
長寿の亜人ということだろうか……?
しばし呆然としていたのを、我に返って家に入る。
老人によくある若者いじりだろう。とりあえず、料理を済ませておこう。
キッチンについて、買い物袋から食材を取り出す。
肉だけは冷蔵庫になおして、料理を始める。まずは、野菜を切るところからだ。
玉ねぎの皮をむいて、目が染みるのを我慢して細く切り、二個目がおわったとき、リビングのキッチンに座っていた虚根さんが声をかけてきた。
「五島殿。料理、代わりましょうか」
「いえ、当番ですので」
「そうですか」
少々気落ちした声のように感じた。
「……自分で作りたいんですか?」
「いえ。わたくしは納金するばかりで、料理や掃除の当番をあまりしておりませんので。帰った日ぐらいはなにか、お手伝いしようかと」
「お気持ちだけでありがたいです」
「そうですか」
「はい」
その後は特に喋ることもなく、黙々と料理を続けた。
生姜焼きが完成し、しめじを切り終え、ピーマンを下ごしらえする段階だ。
と、お茶をすすっていた虚根さんがそういえばと話しかけてきた。
「このしゃあはうすには慣れましたかな?」
……。
虚根さんは横文字に弱いらしい。この前会った時も、横文字を言う時はいつもアクセントが違ったし、言い間違えも多かった。それを気にしているのか、指摘されると見るからに落ち込む。しかし、めげずに何度も使おうとするのだ。
「……はい。おかげさまで」
「それはようございました。このしゃあはうすには亜人しか住んでおりませんでしたので、怖がって引っ越してしまわないか、とても心配でございました」
流石に他の人が後で訂正してくれるだろう。わたしでなくてもいい。そう、スルーだ。
「……いえ。みなさんいい人ばかりなので、怖いと思ったことはありませんよ」
「それはよかった」
「あ、そういえば聞いてみたいことがあったんですけど」
包丁を扱う手を止め、顔をあげて話す。
「亜人の方って……その」
「なんですかな?」
「……ほんとうに人と少ししか違わないんですか?」
「……」
「あ、すみません。やっぱなんでもな――」
「わかりませんな」
わたしの声をさえぎるようにして、虚根さんは言葉を挟んだ。
「え?」
「亜人……わたくしどもが表に姿を現すようになったのは最近でございます。わたくしどもは人と近しい存在であり、人と同じように人権がある……ということになっておりますゆえ、研究も任意で、しかしさほど進んでないのが実情とのこと」
「へぇ」
「なので、いまわたくしどもになされている説明の多くが、一般的な知識による類比なのですよ」
そういえば、亜人が普通の人たちの子供として生まれることもあるそうだ。
亜人は人の突然変異なのか、共通の祖先から枝分かれし、亜人と人が交わったのか、尽きない議論が交わされていると聞いた。これも、一般的な理屈を応用してのことだろう。
「そうだったんですね」
「はい。実のところ、わたくしどもがなにか固有の法則に従って存在しているのか、はたまた人の認識によって生かされているのかは知りません。人との相関を離れてわたくしどもが存在できるかどうかは、わからないのです」
虚根さんはお茶を啜って一息入れた後、『場合によっては本当に妖のように奇異な亜人もいますがそれはともかく』と断りを入れて続ける。
「何ゆえかはわかりませんが、現としてわたくしどもは存在しています。存在してしまっております。そして、あなた方は曲がりなりにもわたくしどもを受け入れておいでです。わたくしはそれで、それだけでも、大変うれしゅうございますのよ」
「……そうなんですね」
「はい」
「……ありがとうございます、いろいろ話してくれて」
「いえいえ。年を取ると口が軽くなりましてな。長々と話し込んでしまう。つまらなくはありませんでしたか」
「いえ、ぜんぜん」
「それはよかった」
虚根さんが安心したように言った。
顔は見えないけれど多分、微笑んだように感じた。
虚根さんが急須にお湯を注ぎなおしていると、ピンポーンとチャイムが鳴った。
普段人が尋ねてくることはないので、チャイムが鳴るのは珍しい。
「わたくしがでましょう」
「お願いします」
虚根さんはすくと立ち上がり、玄関の戸をあけに行く。
「お~、ウロさん、帰ってたのかい」
少年のような声が玄関から響いてくる。
「お久しぶりでございます、大江殿」
「じゃ、俺はこれで」
「えぇ、飲んでいかないのかい」
「言ったろ、俺下戸なんだって」
「ちぇ」
べたんと誰かが寝ころぶ音がした。多分、大江さんであろう。
「……大江殿を介抱していただきありがとうございます」
「いえいえ、いつものことですから」
「しかし、何も返礼がなくては格好がつきませんな。では、これで如何でしょう」
「……ほんと、どっから取り出してるんですか。もらいますけど」
「ほほ、昔取った杵柄というやつでございますよ」
「……ではこれで」
「ご足労ありがとうございました」
ドアがガチャンとしまる音がした。
「大江殿、ここで寝てしまっては風邪をひきますよ」
「ん~。水が欲しい」
「わかりました。広間にいきましょうか」
「ん」
「ほら、肩を貸します」
「すまんねぇ」
丁度配膳をしていたとき、ふらふらとした足取りで、虚根さんに支えてもらいながら、大江さんが入ってきた。
「お水でしたよね」
大江さんをソファにおろす虚根さんに声をかける。
「お願いします」
玄関での話が聞こえていたので、準備してある。
「はい」
ソファに座り込んだ大江さんに水を渡した。
「お、ありがと」
コップを受け取った大江さんはごくごくと喉を鳴らして飲み干した。
「っぷふぅ」
「竣工の打ち上げでございますかな」
「おう、よく知ってるな」
「工程通りに進んでいれば、それくらいの時期かと思いまして」
「そそ。幼稚園の増築とかでな」
彼は大江太郎。鬼の亜人である。
力は強く腕相撲で誰にも負けたことがないと豪語していた。額からはすらりと長い角が伸びている。
しかし、身長はわたしより頭半分分低く、どちらかといえば小鬼のようだ。凜君と司君とならべば、身長的に丁度真ん中の子みたいにうまく収まる。本人は小さいことをかなり気にしているようで、そんなことを言えば怒り心頭になるだろう。
気にしていることといえば、自分の名前も嫌っているようだ。なんでも、桃太郎と字が二つも被っているのが気にくわないとか。太郎なんて、花子と同じくらい昔からありきたりな名前だろうにと思う。もしかしたら今ではそういう捻りのない名前は子供には付けないかもしれないが。
なので、周りの人には苗字の大江呼びを頼んでいるそうだ。酒吞童子がいた大江山が由来なのかどうかは知らない。明治期に先祖が勝手に名乗り始めたのかもしれないし。しかし、本人はその苗字をいたく気に入っているようだ。
料理も並べ終わり、玲さんを起こすために二階に上がろうとしたとき、玄関の戸が開く音がした。
「ただいまですー」
「ただいま帰りました」
「ただいまー」
橘兄弟と河伯咲さんの声が聞こえた。
「ご飯できているのでどうぞ。わたしは玲さんを起こしに行きますので」
玄関と階段は廊下でつながっているので、声が届く。
「あ、ありがとね~」
咲さんの間延びした声が聞こえた。
今日は久しぶりにみんなでそろって食べられそうだ。
「ごちそうさま。なかなかうまかったよ」
「お粗末様でした」
ソファで横になって寝ていた大江さんがむくっと起きて食べ始めたかと思うと、みるみるうちに、大皿に残っていた料理を平らげ、完食した。大江さんがいると残飯が出ないので片付けが楽でいい。
玲さんは部屋で仕事をする気分だそうで、自室に引っ込んだ。橘兄弟も風呂から上がり、部屋で寝る準備に入っている。それと代わるようにして咲さんが風呂に入っている。
「って、大江さん、まだ飲むんですか!?」
日本酒の蓋を開けて、お猪口にちょびちょびと注いでいるのが見えた。
「ん?別にいいだろ?迎え酒ってやつだ」
「えぇ……。今日は食器洗いの当番でしたよね」
「あ~」
思い出したかのように、力の抜けた声を出した。昨日に引き続き、今日もその当番である。
「ま、朝までに洗っておけば」
「お酒飲みはじめたら寝るまで止まんないじゃないですか。先にやってくださいよ」
「やるって」
「そう言ってお酒ばっかり飲んで」
「なんだぁ。人をアル中みたいに言いやがって。おりゃ、酒に呑まれたこたぁ一度もねぇぞ」
「あぁ、もう。そんなのいいですから」
「あ、とるな」
日本酒を取り上げ、冷蔵庫になおす。
「冷えちゃいないが、これでいいか」
「え?」
振り返ってみてみると、大江さんが自分のバッグから缶ビールを取り出したのが見えた。
「備えあればうれしいなー」
「なにバカなこといってるんですか。ほら、自分の仕事やってからにしてください」
ビールを取り上げようと手を伸ばすが、大江さんが頑なに譲らない。わたしの肩を押す力が強く、なかなか届きそうで届かない。もどかしさが募る。
傍から見ると、まるでおもちゃを取り上げようとする姉とぐずる弟にも見えるのではなかろうか。
……もっと大人になろうよ、大江さん。
「へ!オレの仕事はおわったんだ。いいじゃねぇか、すこしくらい」
「はぁ、まだですってば」
「いいや、あんだけの仕事終わらせたんだ、今日くらいいじゃねぇか」
「へぇ、すごいですねぇ、偉いですねぇ~。もう少し頑張ってくださいねぇ~」
「ふん」
子供をあやすように猫なで声で褒める。大江さんは不機嫌に鼻を鳴らすばかりで、効果がないようだ。
面倒くさくなって、わたしは投げやりに言葉を掛ける。
「ほら、子供みたいにぐずってないではやく……」
「は?なんて?」
「だから、そんなんじゃ子供みた……い」
「なんだと?」
今までの人の好く声から落ちて、腹から吐き出される低い声に一転する。眼光も射抜くように鋭くなった。
あ、やば。怒らせた……。
大江さんがわたしをじっと見つめ、蛇に睨まれた蛙のようにわたしは硬直する。
冷汗がでて、鼓動が早くなる。
肩にかかる力がじわじわと強くなっていく。
動けない。
金縛りみたいに動けない。
やばい、はやく、謝らないと――
「自分の役割は果たさねばなりませんよ、大江殿」
「……ウロさんか」
いつの間にか虚根さんが大江さんの背後に回って、缶を手にしていた。
取られた感触すらなかったのだろうか。さっきまで缶を持っていた手を顔の前にもってきて、開いては閉じてを繰り返す。
「はぁ~」
緊張から解放されて、わたしは深く呼吸した。
「さ、大江殿」
「わかったよ」
促されて大江さんはしぶしぶといった感じで立ち上がり、キッチンに向かった。
水を流す音や陶器がぶつかる高い音が聞こえてくる。
「大丈夫でしたかな」
「……えぇ、一応」
「それはよかった」
虚根さんはなにか逡巡したように口をつぐむ。膝を曲げ屈みこんで、小さい声で話しかけてきた。
「ご迷惑を」
「あ、いえ。虚根さんが謝ることでは」
「いいえ。……実のところ、鬼とは付き合いが長くてですな」
「……はい」
「河伯殿も、大江殿をこの家に迎え入れようか、迷っておりました」
「え?」
「大江殿含め彼らは、人は悪くないのですが少々ぷらいどが高い。馬鹿にされたと感じると、放ってはおけないのですよ。力が強いだけに、手が出やすくもあります」
「……なるほど」
「しかし、人の社会ではそれは許されないことでありましょう?」
「それは……そうですね」
「いろいろ溜まっておられるんだと思います」
「……なるほど」
「言って聞かせておきますので」
「あ、はい。……ありがとうございます」
鬼は亜人の中でも同種族でのつながりが強く、鬼としてのアイデンティティを大切にしている。
自分の、自分たちの誇りを大切にする姿勢の裏返しとして、それを傷つけるものへの報復がある。鬼は特に力が強いので、それも相まって人から避けられる傾向にあるのだ。
鬼の暴力沙汰が大きく報道されるたびに悪い印象は醸成され、どんどん肩身が狭くなっている。
もしかしたら、彼らをなだめ、うまく怒りを発散させるようなメンターがいればいいのかもしれないが、今のところ国の福祉支援としても検討されていない。鬼たちがもつ性質を国が認知していないわけではないだろう。彼らに触らないようにしているのか、それとも特別扱いを避けるためか……。現場に丸投げしている状態だ。
この家では玲さんや虚根さんがストッパーになっている。大江さんの職場ではおそらく、今さっき介抱していた方がいつもとりなしているのだろう。
椅子に座り込んで脱力していると、虚根さんがお茶を入れてくれた。
「お疲れ様でした。生姜焼きもおいしゅうございましたよ」
「……あぁ、それはよかったです」
「気苦労が絶えませんな」
「ま、まぁ……」
熱くもなく、冷たくもなく。ちょうどいいお茶をすすりながら、一息ついた。
亜人たちと住むシェアハウス。やっぱり大変です、お母さん。
橘司は橘凜の兄である。
手のかかる弟の面倒を見る、世話好きな兄である。
遊び盛りの弟に振り回され、げっそりしながらも、その寝顔を見てはすべてゆるしてしまうような、気のいい兄であった。
外で凜を遊ばせるときは、かならず司も一緒に行き、目が届くところで遊ばせる。休日の今日みたいな日も例外ではない。過保護だとそしられるかもしれないが、これは司にとって故あってのことだった。
今日はクラスの友達と色鬼をやっているようだ。
色鬼とは、鬼役が特定の色を指定して何秒か数えたのち、他の子を追いかける遊びだ。その色に触れていた子は捕まらず、その色を見つけられなかった子は鬼に捕まる。公園にはなかなかないような色を指定するのがこの遊びのポイントである。
青と指定されれば、滑り台にみんな駆け寄り、赤と指定されればブランコに駆け寄ろうとする。なら黄色はどうかと鬼が言うと、凜の尻尾や耳にめがけて子供たちが駆け寄り、もみくちゃになった。こそばゆさと痛さで目を回している。
司が止めに入ろうかと近づこうとしたとき、気の強そうな女の子が『黄色はなしにしよ!』と皆に声をかけた。それを聞いて子供たちも、凜から離れてまたはじめからやり直した。一息ついた凜も、それに混じって遊び始める。いい友達を持ったものだ。
日が暮れだしてひとしきり遊び終わった彼らは、三々五々帰り始めた。
凜が司のもとへ駆け寄ってくる。
「つかれた!」
「おつかれ。楽しかった?」
「うん!」
「よかったね」
いつものように司が凜に手を差し伸べて、手をつないで帰ろうとする。
凜は司の手をじっとみつめ、動かないでいた。
「どうしたの?」
「……おんぶしてほしい」
凜はゆっくりと顔をあげ、司にねだる。
「おんぶ」
「……」
ふと周りを見てみると、小さい子供たちが親に抱っこされたり背負われたりしているのが見えた。公園には凜よりも小さい子たちも遊びに来ており、同伴した親は自分の子を思い思いに抱いて帰ったりしているようである。
「……」
もうそういうのをせがむ年でもなくなっただろうにとためらっていると、凜が裾を掴む。
「お願い」
「ん~。だって、もう凜重たいもん」
「お願い」
「んー」
凜がもう少し小さい頃は、抱っこすることも多かったが、思えば最近はそういうのはめっきり減った気がする。
しかたがないと司は溜息をついて、しゃがむ。
「ありがと」
「はいはい」
司は凜を背に抱えてよっこらせと立ち上がり、歩き始めた。
二人の尻尾がふれあう。さわさわと毛並みがとけあい、心地いい。
昔よりも結構重くなった気がする。背中にかかるしっかりとした成長を感じながら、帰路を進む。
「でねぇー、明日香ちゃんが、ばななを、ねぇ……」
「へぇ~」
「……スゥ」
どうやら凜は眠ってしまったようである。クラスの子にバナナの皮を投げつけられた女の子の話をしていたので、それまでの流れから察するに、投げ返したのだろう。
大丈夫かな、その子。あだ名がドンキーとかになったりしないよな。
司は益体もないことを考えながら、力が抜けてずり落ちそうになる凜を背負いなおす。
夕日が司の頬を照らして朱く染める。西の空が茜色に燃え、たなびく雲に紫色の帯を着せている。
薄暗くなった並木道を、中学生と思われる子供たちが、はしゃぎながら駆け抜けていった。
帰路についた人々の足が心なしか速くなるように、日が山の向こうへと落ちるのも早く感じる。
「こんばんは、司さん」
ぼんやりと空を眺めていたとき、その声にはたと黄昏れから引き戻された。
「……こんばんは」
逆光になっているため、声をかけてきた女性の顔が見えにくかった。ぱっと見では記憶の誰とも違う女性だったので、知人ではないのだろう。どこで自分の名前を知ったのかと司は不審がる。
シルエットは翼を生やした人のようでもある。天使の羽かといわれると、影になって黒っぽく見えるのでわからない。ただ、亜人として天使とか悪魔とかはいなかったはずなので、おそらく別の亜人であろう。獣人だろうか。
「いい天気ですね」
「そうですね……」
司は訝し気に相手を睨む。
「おや、背負われているのは弟さんですか?」
「……はい」
「それはそれは。可愛らしい弟さんですね」
「……何の御用ですか?」
警戒の色を滲ませて、司は目の前の女性に尋ねる。
「……弟さんを、人から離れたところで過ごさせたいとは思いませんか?」
「え?」
「実は、私たちは自分たちで里を作っているのですが、そこで人の社会からあぶれそうになっている他の亜人の方々も、我が里に迎えようという話になりまして」
「……」
「司さんは、人の怖さを十分身に染みて実感していると思いますので、どうかとお誘いした次第です」
「いえ、僕たちは」
「よろしいのですか?」
「はい」
躊躇いなく司はうなずいた。それを見た女性は、すっと目を細めた。
「では、あなたは」
「……え?」
司は一瞬、思考が止まる。
「私たちの里では、無理に窮屈な空間に詰められることも、その耳と尻尾をもて遊ばれることもありませんよ」
「……」
女性はふふと奥ゆかしく笑い、続ける。
「なんなら親もつくれます」
「親?」
「そうです。里の者が親代わりになります」
「親……」
「ちゃんとした親です。自分の子供が異形に生まれ落ちたからと虐げることも、売ることもない。慈愛に満ちた……普通の、親です」
司は目を伏せる。
女性は一歩足を出し、司に近づく。
「怖かったでしょう。親のものとは思えない眼差しに怯えるのは」
また一歩、近づく。
「おそろしかったでしょう。首輪をつけられ、その身の自由を奪われるのは」
司と視線を絡め、彼の暗い記憶と感情を引きずり出すようなおどろおどろしい声で、女性は話す。
「悔しかったでしょう。学校で、公園で、奇異の目に晒され、苛まれるのは」
女性は空を仰ぎ、悲嘆にくれるかのように声を絞り出した。
「嗚呼、人は恐ろしい。実に実に恐ろしい。私たちを蹂躙し、破壊し、この世から締め出そうと企むのですから!」
「私たちは、針のむしろに押し込められているのです!」
「なんと嘆かわしいことか!」
彼女は手を降ろし向き直る。なだめるように、身を包むような穏やかさで語りかける。
「しかし」
「私たちの里は、あなたを迎えます」
「私たちの里は、あなたを決して縛りません」
「私たちは、あなたと同じ、“人ならざるもの”なのですから」
彼女は手を司の前に差し出した。
「さぁ、私の手を取って」
「さぁ。さぁ。……さぁ」
「え、あ……。て、手……を」
司がゆっくりと手を伸ばす。
「さぁ、この手を取って」
「絶望にまみれたこの場所とは、決別し――」
女性の手を掴もうとした司に手を重ねて制止し、黒装束の男が大きな袖で司の顔を覆う。
「……」
「懸想した者をさらおうとする手癖の悪さ。天狗はみな一様なのでしょうか?」
落胆したように、女性は大きなため息をつく。
「……なんなら、返す刀であなたも我が里に連れて行こうと思っておりましたよ、ウロさん」
「せっかくのお誘いですが、旅の途中でしてね。一つ処に留まりたくはないのですよ」
「あら、ふられちゃいました。残念」
女性はふふと陽気な笑い声をあげる。
「えぇ。ここで会ったのも何かの縁。いずれまた相見えるでしょう。わたくしとも、この子とも」
「……そうですか。そうですね。ウロさんがそういうならそうなんでしょう。……では、その時に期待して」
さようなら
「よく寝てますなぁ」
「……え?」
その言葉で、司はふっと我に返る。
見てみると、コンビニ前の長椅子に座っていたようである。
「凜殿。かなり走り回ったと思われますな」
「……え、あれ、虚根さん?あれ、なんでここに。……え。なぜ凜を抱いて」
凜は虚根に抱かれて、すやすやと寝息を立てていた。
「ほほほ。そう慌てなさるな。北の方に足をのばそうかと家を出ましたらあなた方にばったり会いましてな。重そうだったので少々代わっていたのですよ」
「……あぁ、そうだったんですね。ありがとうございます」
「いえいえ。あ、これは食べますかな」
そう言って虚根はアイスを袖から取り出した。チューブ型の冷えたアイスである。
「あ、どうも」
「どれ、わたくしも」
そういってもう一本袖の下からアイスを取り出す。
覆面のように掛けてある垂れ幕の下からアイスを入れる。
「……虚根さんはそのまま旅に?」
「えぇ」
司は虚根をまじまじと見る。荷物はさほど大きくない手提げカバンだけであり、旅の荷物にしてはとても少ないように思う。いつもシェアハウスから出るときも帰ってくるときも同じ荷物なので、もしかしたら親戚の家を転々とするなど、工夫しているのかもしれないと司は考えた。
「あ、そういえばこの前のお土産を渡すのをわすれておりましたな」
懐をいろいろと探して取り出したのは、ゴム紐の青いブレスレットであった。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
「つけてみてもらえますかな」
「……はい」
腕輪を手首にはめて、司は虚根に見せる。それを確認した虚根はうむと満足げにうなずいた。
「あ、ありがとうございました。いろいろと」
「いえ。感謝されるようなことではありませんよ」
しばらくぼうっと司が座り込んでいると、虚根が『最後に』と声をかけてきた。
「老婆心ながら、司殿。もし、背負っているものが重すぎたり、耐えきれなくなったりしたら、しゃあはうすの人を頼っていただきたい」
「……へ?」
この言い間違い、まだ直ってなかったのかと司は呆れる。
そんな司の様子には全く気付かない虚根は、真面目くさって話を続けた。
「誰しも、一人では抱えきれないほど何かを背負ってしまう時があります」
「……」
「そんなときは、すこし他の人に肩を貸してもらうのです。肩代わりはできませんが、すこしだけなら楽になりますので」
「そう……ですかね」
「はい。河伯殿も、わたくしや藤原殿に頼み込んだことも多いですから」
「へぇ」
「夜回りしてほしいと言われた藤原殿は休日返上で町の中を歩き回りましたし、鬼の少年が暴れるのをどうにかしてほしいと言われればお話しに行きました」
「……そんなことしてたんですね」
「えぇ。お手伝いで。さんざん働かされて無休でしたよ。ほっほっほ」
「あはは」
司は、憑き物がとれたように肩の力を抜いて、柔らかい笑みを浮かべた。
「なので、司殿も頼っていいのですよ。わたくしどもを」
「そうですね。ありがとうございます。では、ぜひ」
「えぇ」
司は虚根を見上げて微笑んでみせた。
実際、亜人が私たちの世界に現れたら、社会はどう受け入れようとするのか、摩擦が起こるのか、気になる所ではあります。
それは、どういう亜人が入ってくるかにもよるのでしょうが。
自分はやはり、狐の子が入ってきてほしいです。
やっぱり、モフりたいですやん。