正月明けです。仕事も学業も、色々と始まる時期です。そんなお話です。
みんなは山盛りのパスタを見たことがある?
山盛りと言っても、普通のサイズの皿にこんもりと盛り付けられた状況を指すものじゃないよ。
今、わたしの目の前にあるのは、直径およそ五十センチは下らない大皿で、そこから高さ三十センチ程にうず高く盛り付けられた、ミートボールスパゲッティの山。ヒマラヤ。チョモランマ。モンブラン。
フォークとスプーンを片手に持ちながら、わたしは半ば絶望する。
既に、フォークとスプーンは汚れていた。もちろん、わたしの口元も。
ちらりと視線を上に逃がすと、デカデカと掲げられたテロップが見える。
『世界の歌姫、フードファイトに参戦!?』
どうしてこうなった?
頭を抱えてみても、記憶が混濁しているようで答えは出ない。
ただわかるのは、わたしのおなかの辺りを苛む重い満腹感のみ。
そんなわたしを見て、隣でパスタを頬張る、恐らく対戦相手だろうミス・マンデーが、勝利を確信したようににやりと笑った。
「おォーっと!! プリンセス・ウタ、大会開始前の勢いはどこへ!? ビッグマウスは口先だけか!?」
司会者であろう、何故か剣闘士風の格好をした男が、マイクに向かってがなり立てる。
うるさいなァ、その時のわたしが何を言ったのか教えてよ。
そもそもなんでわたしがこんな番組に出ているのかを教えてよ。
匙もフォークも投げ出してしまいたいような気分になった時だった。
観客の中から、見覚えのある顔が首をのばしているのが見えた。
「おーい、ウタァ!! そんなヤツに負けるな!!」
観戦するよりも出場する方が似合ってそうな幼馴染が、わたしの名前を呼んで応援してくれている。
しかし、無理なものはムリなのだ。
なにせ、お腹がもうパンパンだし。
観客の誰かが、ルフィに向かって言う。
「あんな小娘が、ミス・マンデー様にかなう訳がないでしょう!!?」
その言葉にカチンときたように、ルフィが大声で言い返した。
「ウタは世界の歌姫だ!!! つまり食欲に限界なんてねェ!!!」
何をムチャクチャな。
「ねえルフィ、わたし夜通し食べてて……」
そうか、わたしは夜通しパスタを食べていたのか。
自分の言葉で新たな事実に気が付き、勝手に一人驚いていると、ルフィが呆れ顔でアドバイスをしてきた。
「歌って腹ごなしすればいいじゃねェか」
「あ、そっか」
わたしはすくりと立ち上がって、スプーンをマイクに見立てて息を吸い込む。
歌唄えば、腹こなれるってね!
大丈夫、わたしは最強、わたしは最凶。
そう、世界に名を馳せるフードファイター“歌姫”爆誕の瞬間で──
ピリピピピ、ピーリピー
ピリピーピーピー
────
ピリピピピ、ピーリピー
ピリピーピーピー
「…………んァ──」
耳元で鳴る、ちょっと高く耳に着く、ハイテンションな音楽。
目覚まし時計のアラームだ。
わたしはもぞもぞと手を動かして、そのアラームを停止させた。
十秒ほど布団の中で丸くなってから、ガバリと起き上がる。
(…………へんな夢見たなァ)
目を擦り、欠伸をしながら、思い返す。
まったく、誰がフードファイターだ。
確かに同年代の女の子と比べると、わたしはたくさん食べるほうかもしれないけれど、それは歌とダンスでカロリーを消費するからであって、別にフードファイターを目指しているからじゃない。
そもそもわたしは歌手として、ようやく露出が増え始めたところなのだ。“世界の歌姫”を名乗るにはまだまだ実力も経験も足りない。
──なんか、嫌な予感がするなァ……。
布団を体から跳ねのけながら、わたしは思う。
大体、自分の願望が叶うような夢を見た時には、現実で良くないことが起こっていたりするものだ。
もちろん、願望はフードファイターの方ではない。
グゥ……
お腹の虫が鳴って、わたしはそれを宥めるように、自分のお腹に手をやった。
ふに
嫌な予感がした。
指先にある感触は、冬で着こんでいるからとか、そういった柔らかさでは決してないだろう。
ふにふに
それくらいは、わかる。
とても嫌な、予感がした。
わたしは急いで、脱衣所にある体重計のもとへと向かった。
年末までの忙しさにかまけて、ここ数日食っちゃ寝の生活をしていたのがいけなかったのだろうか。
──うん、思い辺りは有り余るほどにあり過ぎる。
パジャマを脱いで下着になって、恐る恐る体重計に乗る。
体重がかかる度に数値はみるみる増え、そして──
(…………三、増えてる──)
絶望と衝撃に、わたしは頭が真っ白になる。
三というのは、グラムではない。
そもそも体重計に反映されるのは、十グラム単位が最小だ。
もちろん、三十グラム増えようが、三百グラム増えようが、それは誤差でしかない。
キログラムだ。
三キログラム。
たった六日間で。
一日あたり〇・五キログラムの増量。
有り得ない。
人前に出る歌手としてあるまじき失態だ。
ふに。
気のせいではないし、筋肉が増えたから体重も増えたわけではないことは、つまんだ指先にかかる抵抗の少なさが雄弁に物語っていた。
────
「──っていうことがあったんだよー」
始業式の終わった放課後、誰もいなくなった教室で、ウタはルフィに愚痴を言っていた。
机に突っ伏してつらつらとそれを語っていたウタとは対照的に、ルフィは特に興味なさそうに総菜パンを頬張りながら話を聞いていた。
「そっか、だからお前、朝からなんか元気なかったのか」
ヘンなヤツ、とルフィが言う。
ヘンなヤツって何、とウタが口をへの字に曲げた。
「あんたね、女の子にとって体重は死活問題なんだよ?」
苦々し気に、ウタが言う。
しかしやはりルフィはあっけらかんとしている。
「正月太りなんて、ウタならすぐ痩せるだろ。気にすんな!」
シシシ、と笑うルフィにさすがにウタは我慢できなかった。
バン!
机を叩いて立ち上がり、ルフィに顔をずいと近づける。
「気にする!! ほら、わたし歌手として露出もあるんだよ!! それにさ、ルフィだって太ったわたしは嫌でしょ!!?」
声を荒らげるウタに、ルフィは心底何を言っているのかわからない、という顔をして首を傾げた。
「?? おれはウタが太っていても気にしないぞ?」
「でも痩せてる方がいいでしょ!!?」
「痩せてても太ってても、ウタはウタじゃねェか」
むすっとした怒り顔のウタとは裏腹に、ルフィはきょとんとしたまま言葉を繋げる。
「友達の体型が変わったくらいで、嫌だどうだって気にするヤツがいるのか? 変なヤツだなァー」
そう言ってから、ルフィは残った総菜パンを口に放り込んだ。
ウタは毒気を抜かれてしまったように、怒りの抜け落ちた、間抜けにも見える表情でルフィの顔を見つめていた。
──それはそうだ。
友達が太ったところで、痩せたところで、その人間関係が変わるなんて考えられないだろう。
人間関係に影響の出る程体型が変わるというのは、もはや病気を疑った方が早い。
じゃあ、とウタは考える。
なんでわたしは、ルフィにこの話をしたんだろう、と。
共感してほしかったから? 慰めてもらいたかったから?
有り得ない。
だとしたら、完全に人選を誤っている。
ルフィが体重だの体型だのを気にするような男ではないことは、なによりウタが一番よく分かっている。
なら──。
一つの可能性に思い当ってしまい、ウタは自分の血液が沸騰するのを感じた。
──無意識に意識してしまっていた、とか?
顔が、熱い。
「ん? どうしたウタ?」
ルフィが首を傾げ、ウタは慌てて首を振った。
「な、なんでもない!!」
まさか。
そんな。
だってルフィだよ?
あの、幼馴染の。
──わたし、今、顔赤くなったりしてないよね??
そんなウタの様子に、ルフィは一度口をへの字にしてから、すぐにしししと笑った。
「ヘンなヤツ!」
「ちょっと! ルフィにだけは言われたくない!!」
それを皮切りに、二人の周りに、いつも通りの空気が帰ってくる。
下らない言い争いと、冗談の応酬。
そのまま教室を後にして、二人、帰路につく。
ふと、少しだけ前を歩いていたルフィが思い出したように振り返って言った。
「なーウタ、この後ラーメン食いに行こう!」
飛び切りの笑顔で、ルフィが言う。
あんたねェ、とウタは額に手を当てて、呆れた顔をする。
太ったことを気にしている女の子を、普通ラーメンに誘う?
──でも、よかった。いつものルフィだ。だからわたしもきっと、いつも通り。
さっきのは──、そう、きっと気の迷い。
「わたしのダイエットのためにも競争ね! よーい、三、二、一!」
いつもの掛け声を勝手に駆けて、ウタは走り出した。
「あっ、おい!!」
「負け惜しみィ! 負けた方のおごりだから!」
「ずりィぞウタ!!」
笑って駆けながら、ウタは思う。
もし、仮に、億分の一の確率で、あれが気のせいじゃなかったとしても。
今は、やっぱりこうしていたい。
一緒にはしゃいで、一緒に笑って。
それで、いい。
深く考えるのは、この体重が落ちてからでも問題はないでしょ?
お読みいただきありがとうございました。