クラスの気になる女子、山田リョウに声をかけてみた。
バンドをやろう。
不意にそう思った。
きっかけなんて唐突だ。
別にそれでいいと思う。
というか、世のバンドマンなんてみんなそんなもんだろう。
気負いすぎるとかえってやりずらくなるもんなのだ、適当がいい適当が。
そんなわけで、高校の休み時間に友達に声をかけた。
「なぁ、バンド。やらね?」
前の席の女子……山田さんが振り返る。
「え? なんで私なん?」
「いや、だって山田、前に言ってたじゃん。プログレとか聴くって」
「言ったけど」
「そういうの聴くなら楽器ぐらいできるかなって」
「あほ」
一蹴された。
いや、実のとこ山田さんが楽器できてもできなくてもよかったのだ。
山田さんはわりと可愛かった。
ボブにした髪型が好みだった。
バンドやろうぜってノリになって、一緒になんやかんやしているうちに、なんやかんやできるかと思っただけなのだ。
そう簡単にはいかないらしい。
うーん、なんか悔しかったので、ほかにも適当に声かけた。
全部、撃沈。
楽器できるやつはすでにどっかのバンドに入っているか、別に人前で弾く気のない奴だった。
「ってかさ、藤沢。お前は楽器できんの?」
4人目に誘った井上に問いかけられた。
「実はできる」
「え。まじで?」
意外だ、という顔をされた。
それはあれか。
俺はオタクっぽい顔立ちだから、ロックなんて聞かないと思われていたのか。
「何できるん?」
「ピアノ」
「へぇー」
実はピアノは、小さいときに習っていた。
ブギーだってストライドだって弾ける。
「んじゃ、自分でやりゃいいじゃん」
「一人で?」
「そ。弾き語り。いいじゃん、ピアノマン」
ちょっと想定と違ったが、それはそれで悪くはないか。
頭の中に、レオン・ラッセルが浮かんだ。
一人ぼっちのピアノマン。
まぁまぁクールだな。
そんなわけで、俺は弾き語りを始めた。
※
地元商店街に、つぶれた魚屋を改造したライブハウスがあった。
学校帰りにいつも通るから、気になっていた。
というか、魚屋のおやじは知り合いだった。
「ちぃっす」
防音の扉をぎぎっと開けて、中に入ると、オヤジがいた。
「あれ、ケン坊じゃねーか」
「お久しぶりっす」
「どうした?」
「いやぁ、ちょっと、ピアノ弾けないかなって」
「ピアノぉ?」
オヤジが口元をゆがめる。
「ここライブハウスだぜ。知ってると思うけど」
「知ってるよ。だってロック好きが高じて魚屋つぶしちゃったじゃん」
「じゃ、ここにアップライトピアノなんてないのは知ってるだろ」
「バッハを弾くわけじゃないよ」
「へぇ」
親父が顎髭をなでる。
「ましてや、ヘンデルでもコレッリでもない」
「弾いてみろよ」
俺は、ステージにあったキーボードの前に立つ。
指が自然に動いた。
跳ねるようなリズム!
パイントップ・ブギウギだ!
弾き終えると、肩で息をした。
魂を持っていかれるような感覚があった。
「ひゅーっ」
オヤジが口笛を鳴らす。
「いいね、ソウルフルだ」
「歌も歌うよ」
「やってみな」
今度は、『泣きたいぐらい淋しいんだ』を歌った。
目をつぶって歌っていると、広大な大地と、点在する車のヘッドライトが浮かんだ。
歌いながら、俺は泣いていた。
こういうのが、音楽をやるってことなのか。
「たまに出な」
オヤジが指を鳴らした。
※
以来俺は、オヤジの魚屋でライブをするようになった。
横文字の長ったらしい会場名はなかなか覚えられない。
いつまでたっても、魚屋と呼んでしまう。
観客の評判は、良くはない。
俺が引くのは主に、ブルースとカントリー、ブギーに、ジャズが少々。
要するに合わないのだ、時代に。
ハンク・ウィリアムスの真似をしてウェスタンハットを被りながら、コールド・コールド・ハートを弾いた時のことだ。
酔っぱらいの大学生が、缶チューハイのプルタブを投げつけてきた。
「だせぇんだよ、てめーの歌」
その一言をきっかけに、いくつものプルタブが飛んできた。
観客の多くが、同じ思いだったのだろう。
俺は怒声を聞き流しながら、最後までコールド・コールド・ハートを歌い切った。
あぁ、あんたらの冷え切った心。
溶かしてやれたらいいのに、と思った。
※
ライブが終わって真夜中になると、商店街はいつもしんとしている。
地方都市の商店街。
薄気味が悪いぐらいだ。
右を見ても、左を見てもシャッター。
まるで、死んだ町。
でもまぁ、そんなもんだろう。
これが俺の育った街。
俺はむしろ、好きだった。
しんとした真夜中の、シャッター通りは、俺だけの世界のようだ。
俺は両手を挙げた。
昔映画館で観た古い名画に、無軌道な若者が夜の街で踊り狂う場面があった。
それの真似がしたくなった。
その時に流れていたフランス語の歌は、フランス語なんてわからないから、適当に鼻歌で済ませ、俺は足を上げる。
まるでバレリーナのように回転しようとしたところで。
「よっ」
声をかけられた。
特徴的な青いボブの髪が夜の闇に浮かび上がる。
山田さんだった。
「え、あれ?」
俺は足を下げる。
「何やろうとしてたの?」
「えっと、酔拳」
「あっそ」
そっけない返事。
「帰り道、こっちだっけ?」
「今日はたまたまだよ」
「そう」
山田さんは、背中に、楽器をしょっていた。
「あの、それ」
「あぁ、これ。ベース」
「いや、楽器はやらないって」
「言ってない」
「そうだっけ?」
「あほ、って返しただけ」
そうだった。
彼女は否定してなかった。
「弾くんだ」
「今、弾いてきた帰り」
「あーぁ」
なるほどね。
うん。
俺と組む気はない、と。
いや、別にそうなんだろうけど。
「ちょっと音漏れてたよ」
「え?」
「魚屋のライブハウス。あんたの下手糞なピアノ」
「ははは」
苦笑いする俺。
「ここ、何て名前だっけ?」
「覚えてない」
「出演してるのに?」
「なぜかすぐ忘れるんだ」
「私もそういうこと、あるよ」
「今日、なんてとこ出てたの?」
「私?」
「そう」
「大寅」
「変な名前だね」
「あれだよあれ、店長が酔っ払い。土佐の高知の大寅ってね」
よくわからない。
こういうたわいもない会話を女子とするのは好きだ。
「あのさ、山田さん」
「ん?」
「ほんとにプログレ聴くの?」
「ちょっとだけ」
じゃ、と言って、山田さんは歩いて行った。
まるで、質の良い絹のように軽やかで上品に、あるいは、実体のない幽霊のように、俺の目の前を通り過ぎる。
その姿は、真夜中の人気のない商店街に妙に溶け込んでいて、なんだかすごく悲しかった。
俺は、彼女の後姿を、ずっと見送っていた。
※
その日の深夜。
帰宅してから俺は、曲を一曲書いた。
珍しい、ラブソングだった。
そんなのを書いたのは、初めてだった。
山田さんとしゃべってたせいかもしれない。
※
翌朝になると、なんか恥ずかしくて、全部消してしまった。