その老人の身に何かあったら、僕たちは…。
急いで探さねば!!
これは、しがない老人ホームで起きた、老人ホームにあるまじき事件の記録である。
・・・・・・・
その日の僕の怒りは、この平静を装ったこいつらが原因で起こされていた。ウチの問題児の佐藤愛莉と山田市右衛門。大体の問題は、こいつらが起こす。中間管理職の僕は、その問題を解決しなければならない。
僕はある老人をおんぶしながら職場に戻ってきていた。そして勢いよく事務室の引き戸を開ける。僕は二人に向かって、ところどころ声を裏返しながら叫んだ。
「キクコさん、連れ帰ってきたよ! 誰かさん二人が担当してる、キクコさん!」
二人以外の職員は、僕の方を見ている。
愛莉は勤務中だというのにスマートフォンを手放さない。
市右衛門は勤務中だというのに帯刀している。
「うおおい! 君たちに怒ってんだから、こっちを見てくれよぉ!」
スマートフォンは(本当はやめて欲しいけど)まだ許そう。けど市右衛門が帯刀しているのはマジで意味がわからない。何故ならば、ここは現代の日本における平凡な施設だから。もっといえばここがそんな先進的な文明だとか物騒な武器とはかけ離れた老人ホームだから。
「あのさ、君たちがヘルパーとして担当している老人が目を離してる間に、どっかに徘徊しちゃったの! で、それを僕が連れて帰ってきたの! 人に迷惑かけたりしたなら謝罪の一つぐらいあってもいいんじゃないかなあ!」
「アタシちゃんとLINEで謝りましたけど」
「拙者も矢文で謝ったでござる」
ああもう、素直に他人に謝れない現代っ子どもめ! (矢文使うヤツを現代っ子の括りに入れていいのかはわからないんだけれども!)
こういう問題が世の中にバレて、悪評が広がってしまわないか心配だ。ただでさえギリギリなのに、これ以上評判が落ちると潰れてしまうぞ。
全部が全部平均点を微妙に下回っているこの老人ホーム。微妙に暗い照明、微妙に汚い壁、微妙にボロい送迎車…。こんな設備で人気が出る筈は無く、このピンチも当然だ。何か一つちゃんとした弱点があればそれを改善して解決できる。しかしウチの場合、悪い箇所が多いし改善するにも金がかかるので、簡単に手をつけられもしない。三億円ぐらい利益があれば全部何もかも改善してやるんだけども、世の中そう簡単にはいかないよなぁ。
そんなウチがこの二人をクビにできないのは、新しい人材確保できないとか日本の解雇に関する制度があるから…ではない。単純に、問題は起こすけれども、必要な人材だからだ。
こいつらの何がタチ悪いって、普段温厚な僕がこんだけ怒ってしまうような程の自分勝手な若者なのに、老人たちからは微妙に人気があるんだ。そういう人を惹きつける人気は僕に無い要素だし負けを認めざるを得ないし尊敬せざるを得ない。人気のヘルパーをクビにすれば今の利用者さえいなくなる可能性もある。だから、必要なのだ。
愛莉を見ていると、彼女がいかに爺さん達から好かれているかわかる。
彼女の見た目は、ギャルだ。いかにもなギャル。メイクは濃いし、髪色も派手。人間誰しも共通項が多い人どうしが仲良くなれると聞く。性別をはじめ年齢、出身地、趣味、仕事、他にも見た目という要素も影響している。となれば、彼女にはとても年寄りたちと共通項を見出せるような人間とは思えないし、なので仲良くなれるとは思えない。
けれど実際は違う。共同リビングでの様子を見ているとすぐわかる。
「も〜、ダイスケさんその話二六回目だよ〜」
「あれ、これアタシが編んだニットじゃん。着てくれてんの嬉しいねぇ」
「将棋のルールわかんなすぎぃ!教えて!」
あいつめ、年下女性のポジションを使って老人を手玉に取っていやがる。しかも最近はスマホの画面を一緒に覗き混んだりもしている。
一体何を見ているのか気になったので、覗き込んでみた。
画面には、TikTokで女が下手くそなダンスをしているだけの動画が流れていた。
………イヤイヤイヤ。何を見せてるんだよ。
「おい、そんなジジイどもにTikTokで若い女テキトーに踊ってオッパイが揺れてるだけのエロさで再生回数稼ぐ動画を見せないでくれ」
「はぁ? いいじゃない別に。タイヘイさんも喜んでるし、ねぇ?」
側頭部に僅かな白毛を残しているタイヘイさんは、頷いたのか頷いていないのかわからないぐらい首を動かして、出ているのか出ていないのかわからないぐらいの声で、愛莉の話に合意した。
「ぐっ…いや、そんなセクシーな動画をやめてくれって言ってるんだよ。なんかこう…そういうの見る年頃じゃないだろう」
主張が弱い。サービスを受ける側が意に介していなければ大した問題じゃないからだ。僕は彼女に言いまかされそうになったのでつい視線を落としてしまった。そして視界に入ったの、はタイヘイさんの股間だった。
タイヘイさんの股間は、見るからにもっこりしていた。
「………おい、ほら見ろ、タイヘイさんのチ◯コがたってるじゃないか、やめてやれよ!」
「ハァ? 何言ってんの? 別に年寄りがチ◯コがたってもいいじゃない! チ◯コが立ってるってことはチ◯コが元気な証拠でしょうが!」
ああもう、いや、それはごもっともなんだよ。別にそれ自体はいいんだけど、なんか、年寄りがTikTokをガン見してるのって…なんか嫌じゃないか!? この感覚は僕だけなのか!?
言語化できない程度の嫌悪感しか抱えていなかった僕は、ロクな反論もできず、的外れな発言しか絞り出せなかった。
「そもそも、女の子がチ◯コチ◯コ言うな!」
「あんたがチ◯コチ◯コ言わせてるんでしょうが!」
彼女の働きぶりは、いつもこんな感じだ。
市右衛門を見ていると、彼がいかに婆さん達から好かれているかわかる。
彼は通勤の際、何故かいつも着物をきているような、マジで変なやつだ。ギャグ漫画に出てくる武人キャラみたいな、そんな感じ。しかも口調は変だし愛想も悪い。人間誰しも会話を楽しめる相手と一緒にいたいはずだ。となれば、おしゃべりなバァさんなんかは特に、仲良くやっていけるとは思えない。
けれど実際は違う。共同リビングでの様子を見ているとすぐわかる。
「市右衛門くん、これ食べてみぃ」
「市右衛門くん、今度孫娘に紹介さしてくれ」
「市右衛門くん、あんた俳優とかやったらよかったのに」
そう、あいつはシンプルにイケメンなのだ。それも目元なんかが凛々しい、いかにもひと昔前のイケメンって感じ。テレビで「大御所俳優の若い頃」みたいな写真が映されていたのだが、雰囲気がそっくりだった。
あいつめ見た目という大して努力もせず得られるステータスだけでチヤホヤされやがって。しかも最近はなんか婆さん達との体の距離が近すぎる気がする。
突然、市右衛門が服を脱がされていた。
…何やってんだあいつ?
「うわ〜、すごい筋肉ねぇ。息子がすんごいだらしない体してんのに、ほんと羨ましいわ」
「こんな筋肉初めてみたわぁ。イケメンボディーってやつね」
ババアどもが、市右衛門の体をサワサワしていた。
おいおいおい。この老人ホームはお触り禁止ってルールの追加が必要になるのか?
「市右衛門くん、ちょっと来てくれるかな!」
僕は市右衛門を廊下に呼び出した。
「どうしたでござるか」
「あのな、あんな歳のいった婆さんどもにベタベタ体触らせるのやめてくれるかな? なんか嫌なんだよ!」
「何を言っているのだ、あのご老体たちは体も弱り娯楽も少ない身。せめての後生を楽しませるぐらい構わないでござろう」
気持ち悪いとか思わんのかよ、あんな事されてさぁ。なんで君は、そんなに寛大なの?
「…だからって、お婆さんたちを発情させないでくれ!」
彼の働きぶりは、いつもこんな感じだ。
この問題児達と付き合うのは本当に大変だ。何をどんなふうに注意しても改善が見られない。やりたい放題だ。なんであんなギャルと武人を雇ったんだ。てゆーかそもそも武人ってなんだよ、「ござる」ってなんだよ。現代日本にあんなやついるのおかしいだろ…。
疲れ切った顔で事務室に戻ると、数少ない『マトモ』な女性の相村香澄ちゃんがいた。僕の唯一の癒し。この老人ホーム唯一の安らぎ。彼女は何も問題を起こさない。
「遠藤さん、お疲れ様です。今日もぐったりしてますね」
「そうなんだよ、またあの二人が問題起こしてさ」
「いつも大変ですねぇ」
彼女は、旦那を労う素晴らしい妻のように優しく笑った。
「本当、困ったもんだよ。誰かに僕のポジションを譲りたくて仕方がない」
「でも遠藤さんがいるからオーナーもここを任しておいてくれるし、あの二人も安心して働いてるわけですし、そんな事言わないでくださいよ」
「え、はは、そうかなぁ?」
「きっとあの二人も、遠藤さんに感謝してますって」
「あはは、本当かなぁ」
鼻の下は伸びていないだろうか。可愛くて優しい彼女に褒められると、喜びが露骨に顔面に出そうになる。
「あ、そうだ。コーヒーでも飲みますか? 私給湯室行っていますよ」
「ありがとう。頼むよ」
彼女は席を外した。
彼女がいなければ僕は今頃この仕事を辞めていただろう。僕はすでに仕事へのやりがいとかそういう領域を超えた働き方をしているので、彼女の存在は僕をこの職場に来させる唯一のモチベーションだ。
そんな事を考えていると、事務室のドアが開いた。愛莉と市右衛門が戻ってきたのだ。
「鼻の下伸びてますよ。キモすぎます」
「キモすぎるでござる」
こいつら、本当に僕に感謝してんのか?
・・・・・
さて、この辺りの部分はあくまで物語の導入的な部分であり、語りたい内容そのものとはそこまで関係がない。つまり事件はこの日の翌々日に起こるのだが、わかりやすいように一日づつ順を追って説明しよう。
・・・・・
朝、玄関で外泊や旅行に出かける老人達を見送ったあと、僕はわざとゆっくり事務所に戻っていた。考え事があるといつもそうする。
……今日、新しい入居希望者がこの施設について説明を聞きにくるらしい。僕がこんなふうに思うのはおかしいが、物好きな人間もいたもんだ、こんなところを利用したいだなんて。
午後に入居者本人とそのご家族が一緒に来るとの事。そこでウチの施設を案内する予定だ。サービス内容や施設について大まかに話をして、特に異論や問題がなければ利用開始の契約を交わす。これが基本的な流れ。
正直なところ、新しい利用者が来るというのは、中々の労力を伴う。新しい人がウチに慣れるまでの期間は苦労が絶えないからだ。何が得意で何が苦手で何に腹が立って、とか何も情報がない人に寄り添うのだから大変に決まっている。なので新しい利用者への対応は、ウチでは誰もやりたがらないのが現実。しかしだからこそ、僕の中で誰にそれを担当させるかは、すでに決まっている。佐藤愛莉と山田市右衛門、この二人にやってもらう。当然だ。いつも僕に面倒をかけているのだから、当然彼らには苦労をかけてやる。
それにしても、ご家族の方が入所希望の電話をかけてきたらしいのだが、電話の先にいたのが全員男だったらしい。こういうのは大体息子がその奥さんと一緒に電話をかけてきたり、それとは逆に娘がその旦那さんと電話をかけてきたり、とにかく電話先で男ばかりで固まっているのはめずらしかった。希望者の子供が男兄弟ばかりだったとか、そんなところだろうか。まぁ、希望者や希望者の家族がどんな人かなんて僕にとってはどうでもいい情報なのだが。
お昼過ぎに事務室でデスクワークをしていると、職員の一人が僕を呼びに来た。
「例の入居希望の方がお見えです」
職員はその人達を談話室へ案内しておいてくれたらしいので、僕は二人を呼び出してそこへ向かった。
「はぁ? なんで私が担当なのよ」
「何故拙者が担当なのでござろうか…」
二人は案の定、文句を垂れていた。
「いや新しい入居者がいる以上仕方ないことだし、順番を回してるだけなんだから文句言わないでくれよ」
嘘だ。順番なんて関係ない。単に、いつもの仕返しでしかない。
さて、最初の慣れるまでは気難しくて、馴染んだあとは気前も機嫌も良くお捻りをくれたりする老人だといいな。そんなクソみたいな願望を抱えつつ、談話室の扉を開けた。
そこには、黒のスーツにグラサンをかけている男、黒のスーツの中にド派手なワイシャツを着ている男、黒いダブルのスーツを着て照り輝く先の尖りまくった革靴を履く男、黒いスーツの中に黒いシャツと黒いネクタイに銀色のギラギラした色合いのネクタイピンとギラギラした時計をつけた男が、……とにかくいかつい男四人がソファーの後ろに立っていた。そしてそのソファーの真ん中には、とてもとても普通で平凡で平均的でありきたりなおじいさんがいた。茶色い帽子を乗せて、ベージュの上着に、紺色のズボン。街中で何度も何人も見た事があるおじいさんだ。
…なんだこの状況は。なんだこのおじいさんは。なんだこのいかつい男達は。僕ら三人が入り口で立ち尽くしていると、平凡なおじいさんの横にいた黒いダブルのスーツ男が口を開いた。
「ここでオヤジを守ってくれると聞いてよぉ」
低く、しゃがれた声だった。多分だけれども、この人たち怖い人だ。多分だけれども、極道とかヤクザとかそういう人だ。
「色々と、教えてくんねぇか」
僕は電車で降りる駅を寝過ごしそうになった時のように、ハッとした。そうだ、説明をしないと。この怖い人たちにたじろいでいる場合じゃない。僕らは急いで対面に座り、いくつかの資料を渡した。
「あ、えっと、それではご案内をはじめますね」
「おう、よろしく頼む」
相変わらずしゃがれた声だ。どのように喉を酷使したらこんな声を発する喉になるのだろうか。
「えーっと、まず当施設ではこのような設備が揃っておりまして」
パンフレットを広げながら説明を始めた。
「ただ介護して終わりではなく、レクリエーションルームや共同のリビングスペースもあり、交流に重きをおいております」
怖い人たちは、黙って僕の話を聞いていた。
「加えて、基本的なバリアフリー設計がなされています」
この部屋には僕を抜いて、怖い人が四人、おじいさんが一人、ウチの職員が二人いる。僕以外、誰も何も言葉を発しようとしない。あの、黙って聞いてくれているのはいいのだけども、少しぐらい相槌を打ってくれないと気まずいのだが。
「利用者どうしがすれ違いやすいように廊下の幅を広げたり、床はコンクリートやフローリングではなく、カーペット地にすることで転倒の可能性をさげつつ、さらに転倒時の怪我を減らす安全性を追求しております」
「それなのよ」
黒いダブルのスーツ男が急に口を開いた。
「その安全って言葉に、俺たちは惹かれたんだよな。オヤジは仕事柄人に恨まれることも多くてよ。そんで実際に仕返しに来るやつもいる。でもここなら安全だ。よかったなぁ、オヤジ」
えっと、多分ですが、貴方達の考えている安全とは違うと思うんですけども…。
そのあとは料金がうんぬんとか外出がどうこうとか面会があーだこーだとか、事務的な部分を説明した。
「分かった、もう大丈夫だ。金なら充分ある。オヤジをよろしく頼む」
「ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします」
嫌だなぁこんな怖い家族がいる人、入ってこないでほしいなぁ。
「それと、先ほどもちらっと紹介したのですが、横のこの二人がお父様を担当させていただく職員になります」
二人の方を見ると、愛莉も市右衛門も普段では絶対に見られないような怪訝な顔をしていた。
「そうか、オヤジをよろしく頼む。ただし気をつけてくれよ。オヤジの身に何かあろうもんなら、俺たちはどんなことをするかわからねぇモンだらな。それだけは忘れんじゃねぇぞ」
後ろのグラサンをかけた男が、グラサンをずらして鋭い眼光を二人に向けていた。磨かれたナイフが光ったかのような眼差し。二人の方を見ると、普段では絶対に見られないような青ざめた顔をしていた。
「それと、あんたも。上司なんだろ、頼むぞ」
眼光が僕にも飛んできた。僕も多分、青ざめてたと思う。
「はい、承知いたしました」
うん、お断りしたいなぁ…。
翌日から早速、そのおじいさんが諸々の荷物を揃えて入所してきた。僕たちは当然ながら玄関で出迎える。取り巻きの男達は、相変わらず怖かった。しかし一旦おじいさんを預かりさえすれば、取り巻きと会う機会はそうそう無いはず………と思っていたのだが、明後日あたりにもう一度会いに来るらしい。一日二日と過ごしてみて本当に怪我してないかを確認するのだと。そんなに心配なら預けなければいいのに。そしたら、相手は心配せずに済むし、僕はビビらずに済む。
しかしそれにしても、あの怖い人たちを束ねているのがこのおじいさんとはとても想像がつかない。なにせ昨日は相槌を打つ程度でほとんど言葉を発していないし、生気も感じない。昔はもっと厳格な男だったのだろうか。もしそうだとしたら、老いとは怖いものだ。
あの二人も同じような疑問を持っていた。
「あのおじいさん大丈夫? 挙動遅くてなんか心配になるんだけど」
昼食・夕食の面倒を見た際、咀嚼一つとっても弱々しさを感じてしまい、愛莉はそう思ったらしい。
「あのご老体、かなり覇気を感じないでござる。もし昔の姿が強者だったのであれば少しぐらい面影を感じても良いのだが」
共同リビングで将棋や囲碁に誘ってみたのだが反応が薄かったらしく、市右衛門はそう思ったらしい。
僕らはこのおじいさんに対し、同じような印象を抱いていた。
そしてシャワーの時間。この時に体を触られるのを嫌る人が拒否反応を起こして暴力的になってしまう場合もあるので、僕も念の為同席した。
脱衣所にて愛莉と市右衛門二人がかりで脱がす。服に手をかけても何もない。問題は特になさそうだし、何よりこのおじいさんの周りの人が怖いだけで本人はそうでもないのかもしれない。
おじいさんの肌が露わになった。腰から胸の高さぐらいまで、腹側も背中側も、肌色がなかった。強烈な極彩色の刺青がそこにはあった。
僕らは、その裸体を見てつぶやいてしまった。
「oh…」
このおじいさん、現役時代はもっと怖い人だったのだろうと全員が察した。
前には虎、後ろには龍、肩は桜。とにかく強烈な見た目だ。
よく見るとその刺青は、若干歪んでいるように見える。歪んでいるというかズレているというか。しばらくそのズレた継ぎ目を見て、それが何か分かった。刀傷だ。刀傷を縫った際にこうなってしまったんだ。
「wow…」
また、三箇所ほど穴が空いている。刺青の絵が無い部分があるのだ。なんというかそこだけ消しゴムで皮膚上から消してしまったみたいな。しばらくその穴を見て、それが何か分かった。銃創だ。一発は貫通して前後ろについて、一発は貫通せずに体に残った、そんな感じだろうか。
「hmmm…」
このおじいさん、現役時代はどんぱちとかいうやつをやりまくっていたのだろうか…。
・・・・・
そして事件当日。やっとだ。やっと本題の説明が始まる。ここに来るまでの前置きが長くなってしまい本当に申し訳ない。ここからが本題だ。
・・・・・
朝食の時間。食堂で食事を終えると、各々は部屋でゆっくりしたり体を動かしたり、入居者それぞれの時間を過ごしていく。僕らもこの時間は特に予定が入らない限りは事務処理をして過ごす。別に老人ホームだからって、全員が全員入居者につきっきりというわけでは無いのだ。
特段何も起こることはなく、昼ご飯の時間が来る。ある程度のデスクワークを進めると、昼食の準備に差し掛かった。
そこで気づいたのだが、あのおじいさんが見当たらない。どこにもいないのだ。昼食の準備ができたと部屋に呼びに行っても居なかったし、だからといって行き違いで食堂に入っていた訳ではない。愛莉と市右衛門にも聞いてみたのだが、わからないらしい。
まったく、担当なのだからしっかり動向を把握していてほしい。どうせまた、目を離している間に外に出て徘徊してるとか、そんなところだろう。
……
…………
……………………
僕は、あの怖い人たちの言葉を思い出した。
『そうか、オヤジをよろしく頼む。ただし気をつけてくれよ。オヤジの身に何かあろうもんなら、俺たちはどんなことをするかわからねぇモンだらな。それだけは忘れんじゃねぇぞ』
やばい。僕たち、何をされてしまうのだろうか…。
色々な危険を察知したので、僕は急いで二人を呼びに行った。
「はぁ、また誰かどっか行ったの? もうメンドイから探してきてくださいよ。あぁ、あの新しい入居者ですか。……え、それヤバくないですか」
「不覚ですな、入居者に脱走を図られるとは。まぁそう遠くには逃れられないであろう、最悪後回しにでも……、あ、あの新入りのご老体が? いやそれはマズいな」
よかった、ちゃんと頭の回る二人だった。ここで他人事と考えるほど先が読めない人間ではなかったらしい。
息も絶え絶えの状態で二人に言った。
「すぐに探しに行こう!」
僕たちは施設の出入り口で慌てふためいた。なんか落ち着こうと深呼吸して一旦状況を把握するとか、冷静になって何をするべきか考えるとか、そういうのすらできていない。
「どうする? どうやって探す?」
「いや徘徊老人は遠藤さんがいっつも探してんだから、教えてよ!」
「拙者には考えが至らんでござる!」
テンパるって、こういうことなんだろうなぁ。殺される恐怖とは強力だなぁ。いつも問題児の問題に対応してきてたから、こんな状況慣れてるはずなのに。
「とりあえず警察に連絡するの!?」
「いやそれはマズいでござる! 奴らにこちらの失態がバレればタダでは済むまい!」
「そうだね、僕たちでなんとかしないと…!」
「えっと、じゃあまず外に出て、手分けして探そう! で、手がかりを掴んだら集合!」
「わかったわよ! やれば良いんでしょやれば!」
「やるしかないでござる!」
僕たちは、外に走り出した。
ウチの老人ホームは住宅街の真ん中にある。まずはすれ違う人全員に声をかけよう!
「いや、見てないなぁ」
「知らないです」
「急いでるんで」
「ごめんなさい、わからないです…」
使えないやつばっかりだ! なんでみんな老人が一人トボトボ歩いてたらそれを心配しない! もっとお年寄りを気にかけてやってくれよ! 簡単に見過ごすなよ!
…一人で逆ギレしてしまった。街ゆく人は何も悪くないのに。
そもそも、このあたりには来ていないのかもしれない。ちょうど通りかかっていた男の人がいたので、そこに声をかけたら場所を変えてみよう。
「ああ、見かけましたよ徘徊老人っぽい人。あっちの商店街の方に行きました」
おおう。ガッツリ手がかりを掴んだ。あまりにも急に重要な情報を手にしたので、すぐに言葉が出なかった。
「あ、え、そ、ああ、そうなんですね! ありがとうございます!」
二人を呼び出し、商店街の入り口で集合した。
「ここを通ったてわけ?」
「いや、なんならまだ商店街にいる可能性もあるでござる」
「もう、店一件一件に聞いて回るしかないな…僕は右側の店を担当するから、二人は左側の店を頼む!」
順番に入店しては話を聞いて出てを繰り返した。
駄菓子屋、茶碗の専門店、クリーニング店、本屋。入るたびに「いらっしゃい」と声をかけられるのが辛かった。買い物なんてサラサラするつもりはないので、事情をすぐに説明して店を出た。
次はこの海苔の専門店。一人のおばさんが店に構えていた。
「あの、すいません人をさが…」
「いらっしゃいませ〜、初めての方ですよね〜! 実はウチ海苔だけを専門でやってまして。今日はどのようなものをお探しですか? おにぎりで使う乾燥海苔? ご飯に乗せる生海苔? オカズの一つとして採用する韓国海苔?」
海苔ひとつで渋谷のアパレルショップばりの接客を受けた。ええい、急いでいるのというのにうっとおしい!
その時、市右衛門から着信が来た。助かった、これで接客を止めてくれるはずだ。
「手がかりを掴んだでござる!」
「おお、本当か!」
電話で人と話しているのに、おばさんは止まらなかった。
「で、この生海苔は実は栄養がたっぷりで、海苔の栄養と言えばなんだと思います? なんだと思われます?」
うるさいなもう!
「どこ? 僕もそっちに行く!」
「やっぱり海藻なので鉄分とかカルシウムとかミネラルのイメージあると思うんですけど、実はビタミンも豊富なんですよね〜」
「百均、お茶っ葉の店、古着屋の順で並んだ隣の、中華料理の店に来たれ!」
「わかった!」
僕は電話を切って、おばさんに言った。
「ビタミンも豊富なんですね! 知らなかったです! 僕ビタミンも豊富な食べ物嫌いなんでまた来ます!」
当然だが、早く店から出ていくための嘘だ。
あいにくあだが、買い物をしている暇なんてない! 僕は店を出た。
百均、お茶っ葉の店、古着屋…あそこか。うん? あいつらだいぶペースが遅いな。こっちはもう十件見て回ったのに、あいつらまだ五件目じゃないか。
「市右衛門、来たぞ!」
中に入ると、百均のビニール袋と古着屋の紙袋を携えた愛莉と、お茶っ葉の店の袋を携えた市右衛門がいた。こいつら、状況わかってんのか…。
「ああ、見つけたでござるよ! 頑張って聞き回ったおかげでござる!」
え、本当に頑張ってた?
「このばあちゃんが徘徊老人を見たってさ! ただ…」
「ただ?」
店の奥に座っていたお婆さんが立ち上がってこちらに来た。
「こっちも、タダで全部教えるってのもねぇ」
なるほど、そういう面倒くさい状態になってるのか。
「わかりました、五千円置いて行きます。そしたら三人分の飲み食いの金額になりますよね? 教えてください、お願いします」
交渉がまどろっこしかったので、いきなりお金を出した。
「いや、そういうんじゃなくてね。アタシもそんな金にガメつくないよ。どうせアンタらのお願いを聞くなら、アタシからのお願いも聞いてほしいってだけよ」
「お願い…それはなんでござろうか?」
お婆さんは市右衛門の問いに対し、少しタメてから応えた。
「それはね、…新メニューの試食をしてほしいの」
なんだ、それだけか。もっと変なお願いを言われるのかと思った。まぁ、時間は若干かかってしまうけど、少し食べて適当に感想を伝えれば、それで大丈夫だろう。
僕達は、四人掛けのテーブルに座った。一体どんな新メニューが来るのだろうか。急いでいる状況ではあったものの、中華であれば何でもある程度美味しいので、料理を心待ちにしていた。
「はい、お待たせしました〜」
白米とスープと、新メニューとやらが乗った大皿が真ん中に置かれた。
大皿には、どこか見たことのあるフォルムのものが五匹ほどのっていた。
「はい、塩揚げイナゴです〜」
…おおおおう。おう…。うう…。
「じゃあ、食べ終わったら言ってね〜」
お婆さんは、奥の厨房に戻っていった。
大皿をあらためて覗き込むと、軽く吐き気を催した。今まで何度も老人達の色々なモノの後処理もしてきたし、神経が図太い人間だと思っていたのだが…。全くもって、食欲はそそられなかった。
「待って待って待って待って! 無理無理無理無理!」
「俄には信じがたい光景でござるな…」
二人も相当キテいるらしい。
「遠藤さん。私、ほんんとあなたのことが頼りになるなと思っているの。いつもありがとうって。貴方がいなければあの場所はいつ崩れてもおかしくなかったわ」
「いや、褒められても食べないぞ」
「しかし誰かは食べねば」
「待て待て、なんで誰か一人で食べる前提なんだ」
「まぁ、我々が困った時に頼りにしているのは…」
「だから待てって! 僕に食わせる流れにするなよ!」
「よかった〜、私意外と好き嫌い多いからね〜」
「これ好き嫌いとかじゃないよ? みんなキツいよ!」
「拙者も流石に虫は…」
「てゆーか君は武人キャラなんだからこれぐらい平らげてよ! 『昔は虫も食べるものだった』とかそういう流れで食べてよ!」
「そういうんじゃ無いんで…」
「なんだ君たち!」
いやいやいや、なんで僕一人で食べる流れになってるんだ? いやこれほんとに一人で食べるの? 正直、めちゃくちゃ嫌なんだけど! 早く反論しなければ、完全に僕が食べ切るのが決定してしまう!
「…待って! 待て待て待って! そんなこと言えば、僕だって食べたくないよ。でも誰も食べなかったら、全員がどんな目に合うか! あの契約の場には三人でいたんだ、この状況で全員がノーと言ったら共倒れじゃないか?」
「クソっ…」
「ちぃっ…」
こいつら、わかった上で言ってたのかよ。恐ろしいやつらだ。
「よし、分かった、こうしよう。ジャンケンだ。ジャンケンして決めよう」
「わかったわよ」
「致し方がない」
「行くぞ、じゃーんけーん!」
……
僕はグー、愛莉がチョキ、市右衛門がグー。
っっしゃああ! イナゴ回避! よかった! 本当によかった!
「最悪! マジしんじらんない! なんで私がこんなん食わなきゃいけないの!」
「いや〜僕も食べたいし、手伝ってあげたいんだけど、ねぇ。約束が約束だから」
愛莉は、明らかに食べるのを渋っていた。橋でイナゴを掴んでは戻す、掴んでは戻すを繰り返している。時折水を飲んで、目の前まで運んで、また大皿に戻す。非常に申し訳無いのだが、いつも僕に面倒を持ってきている彼女だったので、「ざまぁみろ」と思ってしまった。
匂いを嗅いだりジロジロ見たりもしていた。大皿に載っている時はイナゴの背中だけが見えていたのだが、腹側は足が何本も生えている。愛莉はそれを見て「うえぇ」と心の声を漏らしていた。
彼女が大きく息を吸い、心の準備をして、口の中へほうりこんだ。
そして数回の咀嚼の後、飲み込んでしまった。
「ぶぇえええぇええ」
彼女は飲み込んでから、なんか変な声を出していた。
「味は、どうなの?」
「いや味どころじゃ無いわよ! そんなの感じ取る暇なんてないし!」
「しかし、感想を伝えねばならぬしなぁ」
「そんなに気になるなら自分で食べれば!?」
「いや〜、そうしたいのは山々なんだけど…」
「うむ」
「ムカつく!」
なんだかんだ食べ切った。彼女は焦燥し切っていた。
「もうお嫁に行けない…。キスした時イナゴの匂いするって言われたらどうしよう…」
途中から可哀想に思ってきたけど、結局手助け無くともなんとかしてしまった。感想は僕らが適当に考えて伝え、そしてお婆さんに情報を教えてもらった。
「感想ありがとう。で、そのおじいさんなんだけども、実はちょっとだけ話したのよ。そしたら、次はキャバクラ行くって。昼からやってるところ探すんだって」
…なんだあのおじいさん。アグレッシブすぎるだろ。中華料理食べてその後女遊びしに行くなんて。
僕たちは近辺で昼間から開いているキャバクラを探し始めた。
条件が当てはまるそういう店は、この近くで一件しかなかった。
店の前に着くと、全員入るのを躊躇った。出入り口は綺麗なのだが、いかにも自分たちの世界の人間以外は受け付けませんみたいな雰囲気が出ていたのだ。それにビル一階の奥にエレベーターと階段があり、そこから入るみたいな構造なのだが、その横にガタイの良いスーツ姿のグラサン男が二人いた。
中に入ろうと、勇気を振り絞っている最中のことだった。階段の方から上半身裸の男が逃げるように降りてきたのだが、待ち構えていたグラサンの男たちがそいつをひっとらえて、店の方へ連れ戻していった。
これもしかして、店の中で何かしら因縁つけられて、中に入ったら電波とかすごい悪くて助けも呼べなくて、逃げようとしてもあの二人に阻まれるとか…そういう店なのだろうか。そう思うと途端に怖くなった。
「アタシ女だし、こういうお店に入るのって変よね」
「拙者、入りたくないので遠藤殿にお願いしても良かろうか?」
「いやいや、僕だって相村香澄ちゃんという存在がいるんだから入るわけにもいかないよ」
要するに全員が全員、怪しい雰囲気を感じて中に入りたがらなかった。しかし誰も中に入らないわけにもいかない。
「ま、まぁ女の子がこういう店入るのは変だもんね」
「確かにそうね」
「でも僕が入っても相手にされないんじゃないかな」
「拙者も入るのイヤでござるよ!」
「案外そのお侍キャラウケるかもよ」
「じゃあ侍キャラとかいいわ!」
「お前普通に喋れんのかよ」
「そりゃそうだろ! 無理矢理キャラつけてただけ!」
結局市右衛門を説得し、携帯の通話を繋いだまま中に入ってもらった。その際、近場の古着屋とコンビニで服装をさっぱりさせておいた。わかっていたことだが、身だしなみを整えるともっとイケメンになった。
「市右衛門、大丈夫かな」
「心配だったらアンタも入ればよかったじゃん」
「いや…怖いじゃん」
頼むぞ市右衛門。こんなことは君にしか頼めない。
電話口から、中での会話が聞こえてきた。
「お一人で。ご指名はありますか?」
「い、いえ、特に何も、その、暇つぶしできただけで…」
「では、こちらの席へどうぞ。少々お待ちください」
「は、はい」
市右衛門めっちゃ緊張してる。あいつこういう店行ったことないんだろうな。でも頑張って情報を引き出してくれ。
「初めまして〜、レイカって言います〜。お仕事って何されてるんですか〜?」
「あ、えっと老人ホームで働いてて…」
「へ〜、そうなんですね〜! あれ、よく見たら結構筋肉質ですよね。やっぱ力仕事だから自然と筋肉つくんですかね〜」
「ちょ、あの、あんまりベタベタ触られると…」
おいおい、ババアに触られてた時とは全然反応が違うじゃないか。
「えー、そんないいじゃないですか、減るもんじゃないし」
「いや、その、あの」
この間「残り少ない人生の娯楽として〜」とかなんとか言ってたやつとは同じとは思えんぞ。
「普段の休みは、何されてるんです〜?」
「えっと、あの、ロッククライミング…」
「へ〜! そうなんですね。じゃあやっぱりそこで筋肉つくんだ〜」
急にどうした。お前そんな趣味あったっけ。というか、早くあのおじいさんの動向を聞いてくれ。
しばらく本題に入れないままの会話が続いていた。時々市右衛門が言葉に詰まりまくったり、喘ぎ声みたいなのが聞こえて面白かったのだが、ついにタイミングが来た。
「それで、今日はどうしてお一人で〜?」
「あ、ああ! その、実は人を探してて、今日この店に来たっぽいんですよね。自分より前に、お年の召した人はきませんでした?」
「あー、おじいさんが一人来ましたよ。源さんですよね、久々に来てくれたな〜。え、お知り合いなんですか?」
「いや知り合いも何も、ウチの老人ホームに入所してるんです!」
「え、ウソ! あんなに元気そうだったのに!」
「あの、この店を出たあとどこかに行くなんて話してましたか?」
「あー、それだったら、隣町の港まで行って海を見にいくなんて言ってましたよ」
「え、本当ですか! ありがとうございます!」
市右衛門が席を立ち上がった。店を出るらしい。
会計を済ませ、エレベーターから出てきた。
「お待たせしたでござる! あのご老体、海に行かれたらしい!」
「お前店の中とだいぶキャラ違うな」
「うるさい!」
会計の金額は、普通だった。それと僕たちが店に入らせたようなものだったので、さすがに料金は割り勘にしておいた。
それにしても、隣町の港か。おじいさんがどうやって向かったのかは分からないが、最速で向かうには車が一番だが…。
「ねぇ遠藤さん、車使いましょう」
「…ゼッタイやだ!」
僕の人生の唯一の楽しみ、可愛らしい軽自動車でのドライブ。それだけが僕の人生の楽しみなんだ、それ意外のために車を出すなんてありえない!
「いやダメでしょ、アタシあのおじいさん探すためにイナゴ食べたのよ!?」
「拙者は艶かしい場所で痴態を晒した!」
「「車ぐらい出してくれたっていいでしょ!」」
くっ……。この言い合い、全く勝てる気がしない。
僕たちは、三人で僕の家へ向かった。僕はとても車を大切にしている。大切にしているからこそ、車は自宅に大切に保管し、ふと遠出したくなったら助けてもらう。車とはそんな感じで付き合っている。職場へは車で通勤しないのかと言われることが多々あるのだが、そんなマネはしない。そもそも車で通うほどの距離ではないし、もし家が遠くてもそんなふうに車を駆り出したせいで傷でもついたらどうする。よくよく考えてみろ、みんなペットを溺愛しているかもしれないがそれを職場に連れてきたりはしない。けれども、休みの日には一緒に散歩して連れ出したりもする。それと同じだ。
賃貸マンションの駐車場に着いてしまった。もう僕は僕の車を走らせるしか道はないようだ。三人とも車に入り、僕は運転席でエンジンを起動させる。
「ねぇ、ちょっと運転させてよ」
「いやだね! 絶対にそんなことさせない!」
「拙者も運転してみたいでござる」
「お断りだ! 冗談でもそんなこと言うな!」
僕の愛車を誰かに運転させてたまるか! そもそも仕事がらみで車を使わなきゃいけないだけで嫌なのに、他人に操作させるなんてありえない! 待ってろ、今日を無傷で乗り切って、また週末お前と旅に出よう。
僕はついに、車という鉄の猛獣が住まう道路というジャングルに、乗り出して行った。最初の角を曲がったその時だった。
「遠藤殿、右、右!」
「え?」
黒塗りのいかつい車が窓のすぐそこにあった。
ごしゃあああん!!
人生で初めて、車と車がぶつかった時の音を聞いた。
「うおおおおおお!!」
横からぶつけられた勢いで、車体がスライドするように押されて行った。
幸い転倒したり、壁やガードレールに挟まったりはしなかった。
「ぼ、僕の愛車が…」
窓は閉めた覚えがないのにガラスがなくなっていて、オープンカーばりの通気性になっていた。
「あ、二人とも、大丈夫か…?」
「あんた先に車の心配してたでしょ…」
「そ、そんなことはないよ。それより誰だ? こんなに急いでる時に大事故を起こしてきたのは!」
車から降りると、またまた怖い男たちがいた。ここ数日怖い男に振り回されてばっかりだ。
「よう、お前らだな、龍虎組のジジイを探し回ってる舎弟は! 俺たちと一緒に来てもらおうか!」
怖い男たちの中に、一人みた顔がいた。あいつだ、最初に「商店街の方に行った」と教えてくれた人だ。
「ジジイを助けたかったんだろうが、アテが外れたな! まぁ舎弟が組長を助けるのは当たり前だが、お前らの活躍もここまでだ!」
え? は? 舎弟? 何、ドユコト?
後ろで腕を結ばれ、口にガムテープを貼られ、目隠しをされて、黒塗りのいかつい車に放り込まれた。
僕は察した。ああ、僕は今日死ぬんだろうな…。
目隠しされたまま車を降りて、そしてパイプ椅子らしきものに縛られた。
次に視界が開けた時は、街中ではない場所にいた。当然だ。拉致して移動してきているのだから、場所を移しているに決まっている。磯の香りと角波状の鉄板。多分だけど、港のコンテナがたくさんおいてあるところ。奇しくも、港に来ているらしい、隣町かどうかは分からんが。
左を見ると市右衛門が、右を見ると愛莉が同じように座らされていた。
「ようよう。お前らが何故ここに連れてこられたかわかるよな?」
リーダーっぽい男が質問してきた。
ガムテープを剥がしてもらっていないので、僕らは首を横に振るしかできなかった。
「何も答えられない? 心当たりがないのか?」
心当たりはないが察してはいる、そんな感じだ。しかし口にガムテープがあるから答えられない。
「おいおい、何か喋ったらどうなんだ?」
この人、アホなのか? なんてベタなボケ方なんだ、口を塞いでる相手に「何か喋ったらどうなんだ」って。
「あ、ごめん、剥がすの忘れてた」
どうやら、アホらしい。僕たちのガムテープは雑に剥がされた。
「で、どうなんだ、ここに連れてこられた理由、わかるのか?」
僕らを拉致る直前に話していた内容でなんとなく理解してしまった。とりあえずあのおじいさんがピンチで、僕たちがあのおじいさんの舎弟と勘違いされて、助けに走り回っていると思われている、とかそんなところだろう。
しかしこの状況…、開放されたら負けだ。僕たちが解放されたらおじいさんの本当の舎弟に何されるか分からない。僕らの助かる道はおじいさんを奴らから解放するしかない。話を合わせていこう。
「…拉致られた理由は察するが、この場所である理由は…」
「勝手に喋ってんじゃねぇよおおおお!!」
リーダーっぽい男の怒りの咆哮と共に、銃声が響き渡った。
この人、アホな上に怖い人だった。そっちが質問してきたのに…。
「…ちょっと待ってろ、俺たちも準備する。おい、連れてこい」
リーダーっぽい男がそう告げると、コンテナの死角から一人の男を連れてきた。あのおじいさんだった。
「ご老体!」
「おじいさん!」
「お前らが探し回っている、龍虎組のジジイだ。組長がご存命で、舎弟のお前らもさぞ嬉しいだろう」
「舎弟じゃないぞ」
「舎弟じゃないわよ」
「勝手に喋るなってさっき言っただろう!!!」
だめだ、こいつ本当にイカれている。喋るのを止めたり止めなかったり。怒るタイミングが分からん人が一番怖いわ。
「で、だ。問題はこのジジイが抱える金。俺たちはその金を奪いたくてな。俺が聞いた話じゃあ、死んだあと舎弟全員に分けるって聞いてるぜ?」
「いや、知らないです…」
「ふん、話すつもりは無いってことか。じゃあ、こういうのはどうだ」
リーダーっぽい男は、昔の西部劇に出てくるような銃をを取り出した。そして一発、天空へ放つ。さらにタマを詰めるところを回転させた。
「さ、これで六分の五でタマが入った、逆ロシアンルーレットの完成だ。お前らのうち誰か一人にこれの引き金を引いてもらおう。で、もし球が出なければ三人とも助けてやろう…。やりたくなければ、話すんだな」
なんて恐ろしい提案だ。なんとしても回避したい。
「私はやりたくないよ」
「拙者もやりたくないでござる」
「僕もやりたくないよ」
「なんでよ、私虫食べたのよ?」
「拙者も痴態を晒した」
「僕は車を失った」
「アンタのはちょっと違うくない? アタシらはプライドとか尊厳踏み躙られてんのよ」
「そうでござる。遠藤殿のはお金を払えばなんとかなる」
「いやいやいやいや、平等にじゃんけんとかで決めない?」
「どうやってジャンケンすんのよ」
「三人とも後ろで手を縛られるし、出した手が見えないでござる」
え、何この状況? 何この流れ?
「そうだな、お前がやるべきだな」
リーダーっぽい男が口を挟んできた。なんでお前が決めるんだよ!リーダーっぽい男は拳銃を地面に置いて、こちらに滑らせてきた。
「そこのお前、打ってやれ」
部下の一人がこちらに来て、こめかみで銃を構えた。
もう、この賭けに乗るしかなかった。
六分の五で死ぬ。僕の人生の最後が、まさかこんな運否天賦がらみだったとは。ギャンブルとかもしないタイプだったんだけどなぁ…。
二人が心配してくれている。いやいやいや。先まであんなに僕にこのルーレットを押し付けていたじゃないか! そんな視線の中、僕は引き金を引かれてしまった。
銃声の轟音が鳴り響いた。それと共に弾丸は僕の脳天とは至近距離で放たれそれが貫通すると同時に脳みそがぶちまけれられ…たりはしなかった。代わりに部下のほうが倒れていた。
「ほっほっほ。ワシもナメられたもんだな」
あのおじいさんが、銃口をこちらに向けていたのだ。
「え、あなた、ボケていたはずじゃ…!」
「すまんの、事情は後で話させてもらう」
今度こそ何がなんだかわからない。リーダーっぽい男も呆気に取られている。あいつにも予想外だったらしい…が、さすがリーダーだ、すぐに冷静さを取り戻し周囲に指示を出した。
「おい、何してるジジイを抑えろ!」
「ご老体、危な…!」
横から振りおろされてきた鉄パイプをかわし、手首に思いっきり手刀を叩きこみ、叩き落とした。ナイフ、鈍器、素手様々なものがおじいさんを襲ったのだが、それを全てかわしていた。途中、日本刀を使ってきた輩もいて、着ていたシャツの前面を両断されてしまった。上半身があらわになる。前には虎、後ろには龍、肩は桜、刀傷に銃創。男の戦いの歴史が、その肌には載せられていた。
男たちは次々と倒され、おじいさんだけが残っていた。
「oh…」
「wow…」
「hmmm…」
おじいさんの戦う姿がカッコ良すぎて、三人とも変な声が出た。
汗や返り血を拭きとると僕たちのロープを解いてくれた。
「えっと、これは一体…」
「すまないね、君たちを騙すようなマネをして」
おじいさんが、全てを話してくれた。
「いやね、ワシらの組はもう解体する予定で、全員に組の金を与えてワシは消えようと考えていたんじゃ。しかし、解体間際になってその金を外部の組織と協力して全部奪おうとする裏切りモノがいるのがわかってな。で、表面上ではボケたフリをして単独行動を取っていたらワシのこと狙うやつが全員釣れると思って、ギリギリまで演技しとったんじゃ。ま、お前さんらには迷惑をかけたがな」
ええ…。てことは、別にボケてもなんでもないおじいさんを、僕たちは必死になって追いかけ回していたのか…?
「その、あなたの作戦を知っていたのは…」
「ああ、あの日契約に同席していたものは知ってたぞ」
ええ…。てことは、僕は必死になって何に怯えていたのだろうか…。
「で、お詫びと言っちゃなんだけど、裏切りモノの分の金が浮いてるから、お前たちに譲ろうと思っている」
……え。
「あ、本当ですか!?」
「感服でござる」
「やったあぁぁぁ!!」
「実際、裏切ってきた薄情ものより必死になってワシを探し回ってくれた若者に恵みたいからな」
「ありがとうございますぅぅぅ!!」
こうして受け取ったお金は、一部は三人で分けてしまった。しかし残りは老人ホームの修繕に充て、設備の質を向上させた。
・・・・・
これが、僕たちの老人ホームで起きた老人ホームにあるまじき事件の内容である。まさかボケ老人がヤクザで、その老人がボケてたせいで僕たちが殺されかけると思ってたらその老人はボケてなくて…。とにかく、こんな変な話はフィクションの中だけにしておいてほしい。
・・・・・
あの事件から数ヶ月。また新しい入居希望者が来た。
ソファーに座っている男は、白のスーツに、白のハット、禁煙だというのに談話室で極太の葉巻を吸っている。白のスーツ男の背後には、黒スーツを着た男たちがたくさん立っていた。
「ここの施設が、いい隠れ蓑になると思ってな。入居したんだが」
「そうなんですね、ありがとうございます」
うん、入居して欲しくないなぁ。
なんでこんな人たちばっかくるんだろう………。