風邪になった鹿目まどかが悪魔ほむらに看病されるだけ(完結)   作:曇天紫苑

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その気持ちは何よりも尊いもので

 行ってくれた様ね。

 

 お風呂場へ向かっていったまどかの背中が見えなくなるのを確認して、心の中だけで安堵の息を吐く。

 流石に、今のまどかと一緒の入浴は気が引けた。それは色々な理由が有ったが、私自身の羞恥心というのも、勿論有る。

 

 それにしても、弱気になる演技は疲れる物だった。

 

 だが、その成果は有った。

 ダイエットの話で忘れる所だったけれど、まどかは私に恋をしているかもしれないのだ。一緒にお風呂なんて、とんでもない事だろう。

 

 まどかはとても優しい子だから、私の事を好きでいてくれる。今まではそう思っていたけど、それが恋愛感情となると合わせるのは大変だし、複雑な気持ちにもなってしまう。

 それでも一緒の入浴は止められた。まどかも安心している風だったので、この選択は最善だったと信じたい。

 

「はい、どうぞ」

 

 私の前にコーヒーが置かれた。ミルクとシロップはもう入れられていて、美味しそうだ。

 

「ありがとうございます」

 

 受け取って、少しだけ飲む。苦味は弱めで、飲みやすい味だった。私の好きな甘味をしっかり保っていて、好きになれそう。

 まどかのお父様はコーヒーを容れるのが上手いんだ。私も見習いたい。

 

「暁美さん」

「あ、はい。何ですか?」

 

 声をかけられて、私は顔を上げる。まどかのお父様は朗らかな笑顔の中に、少しだけ悲しそうな感情を混ぜていた。

 やっぱり、まどかのご家族だ。その目の動きや表情は、まさしくまどかが受け継いだ物だったんだろう。そんな瞳で見られると、私は言葉を詰まらせてしまう。

 まどかのお父様は私を見つめたまま、暫く固まっていた。何を考えているのかは読み取れない。でも、何かが有る。

 

「あの……」

「まどかを、頼むよ」

 

 たった一言だけ、それが深い重みの有る言葉として私の胸に響く。

 驚愕と衝撃を抑える為に、コーヒーを飲んだ。それでも隠し切れなかった感情が、私の口元を歪ませる。

 

「……覚えているんですね。まどかの居ない世界を」

「覚えてるよ」

 

 誇らしげな顔付きで、まどかのお父様は胸を張って答えた。

 詢子さんへ顔を向けると、あの人は小さくウインクをして見せる。ご夫婦なんだから当然なのかもしれないけど、知っていたみたいだ。

 

「まあ、やっぱり覚えてるよな、知久も」

「僕だってまどかの親だからね。そんな大切な事を完璧に忘れるなんて、まして母親が覚えてるのに、父親が忘れてるなんて、ね」

 

 まどかのお父様の声は微かに震えている様な気がする。

 細かい感情の機敏は分からないけど、まどかが悲しんだりする時の、あの悲しみを押し殺した様な声にそっくりだった。

 勿論、詢子さんだってそれは分かっている筈だ。けど、場の空気を軽くしたいと思ったのか、詢子さんは楽しそうに笑っている。

 

「思い出すのは私の方が早かったけどな」

「そ、それは……あはは」

「私の勝ちだな。まあ、タツヤが一番早かったんだろうけど」

 

 詢子さんは本当に楽しそうだった。

 本当に、まどかの居る世界を歓迎してくれるのが分かって、嬉しい気持ちにさせられる。

 

「この通り。僕は覚えてるよ。まどかが居なくなった事を、ね」

 

 まどかのお父様が私に向かって微笑みかけた。

 

「……私の事情は、聞いているんですか?」

「ああ。聞いた。ありがとう、暁美さん。君が居なかったら、僕達は大切な娘を失った事すら、忘れてしまう所だった」

 

 詢子さんに言われた時程ではないけれど、その言葉は私の胸に届く。

 流石にまどかのご家族というべきなのか、この人達の言葉は一つ一つが私の動揺を煽り、心を揺らせた。今回は涙こそ流さずに済んだけど、詢子さんやタツヤ君の時と内心は似たような物だ。

 

 口元を隠したくて、またコーヒーを口にする。この甘味からは優しさと好意が詰まっている気がする。まどかのお父様からの気持ちを受け取れた、そんな喜びを感じた。

 

「まあ、人生相談担当は私だけどな」

「はは……僕もまどかの悩みとか聞きたいのになぁ」

「残念、この立場は譲ってやらないよ。知久は大人しく、まどかの優しいお父さんでいれば良いさ」

 

 ちょっと不満だったのか、まどかのお父様は乾いた笑い顔になる。

 やっぱり、まどかも詢子さんを頼るんだろうな、と思った。まどかのお父様は素敵な人だけれど、私も、何か相談をする時は、詢子さんの方が頼りになる気がする。

 

「僕ってそんなに頼りがい無いかなぁ」

「はははっ、知久は父親だもんな、しょうがないさ。タツヤが相談してくれる歳まで成長するのを待ってろよ。その時は私が知久に同じ事を言ってやるよ」

「そうだね……でも少しくらいまどかに頼られたいよ」

 

 くすくすと、私の口から笑い声が漏れていた。

 冷笑や嘲笑ではなく、もっと穏やかで、落ち着いた声になった。

 そんな私をじっと見つめて、詢子さんは目を細める。僅かに赤い頬と溶けた様な瞳は、何かに酔っている様な表情を見せていた。

 

「でも、まどかとしては、やっぱりほむらちゃんが一番頼れるんじゃないかな」

「そんな事は無いと思います。ご家族の方がまどかにとっては色々と話しやすいんじゃないかと」

「いや、もしかすると。あの子の中に有る何か、何か私や知久には関知出来ない物が、ほむらちゃんに惹かれてるんじゃないかって、そう思う時は有るよ」

 

 詢子さんに言われた事を頭の中で反芻してみる。

 本当にそうなのだろうか。まどかの中に今も残る円環の理が、どこかで彼女の意志決定に影響を与えている。そんな可能性は、否定できない。

 

「……そうかもしれません。でも、安心してください。例え彼女の中の何が動こうとも、まどかは維持してみせます」

「そう言ってくれると、私も安心してまどかを任せられるよ。そういう不思議な物が絡むと、私達じゃどうしようも無いからね」

「うん。暁美さん、よろしく頼むよ」

 

 詢子さんが私の手を握る。まどかのお父様は途中で手を引っ込めた様だった。気遣って貰わなくても、私は平気なのに。

 それも優しさかな、と思いながら、私は羽の様に軽くなった心を浮かせる。まどかとの恋愛の問題に悩む気持ちは有ったけど、やっぱりまどかのご両親からの激励は、気持ちを楽にさせてくれる。

 

「もしかしたら、お二人の記憶が残っているのは、私の願望だったのかもしれませんね」

 

 思いつきで言ってみたが、存外間違っていないかもしれない。

 私の中の無意識が、理解者を求めて世界に影響を及ぼした。そういう可能性は十分に有った。

 

「そうだ、世界で一人だけまどかを覚えてるってのは、きつい事だろうなぁ。想像したくないくらいだよ」

 

 詢子さんが真顔で身震いをしていた。

 だけど、次の瞬間には冗談めかした楽しそうな表情となって、私へと向かって首を傾げる。

 

「で、どうしてまどかと一緒に入らなかったんだ? そういうスキンシップ、結構喜ぶタイプだと思ってたんだけど……」

 

 尋ねられてしまい、私は何と答えるべきか数秒だけ迷う。

 詢子さんは何もかも分かっていて聞いているのではないかと疑ったけど、下手に尋ね返す訳にもいかない。無難な答えの為に、私は意識的に表情を弱々しい物に変える。

 

「いえ、その……身体を見られるのが、恥ずかしくて」

「恥ずかしがる事無いじゃん。ほむらちゃんは凄く綺麗なんだから、自信を持って行けば良いのに。なータツヤ」

「あい!」

「ほら、タツヤもそう言ってる」

「タツヤ君は分かってないと思うんですが……」

 

 タツヤ君は手を挙げていたけど、今までの会話が分かっていたとは思えない。

 

「はは……」

 

 また、まどかのお父様が話に入り難そうな様子を見せていた。女同士の会話という物に入るのが大変なのは、当然かもしれないが。

 

「そうだ、まどかも美人にしてやってよ」

「まどかは、今のままが一番可愛い子ですよ」

 

 詢子さんのからかう言葉に返事をしながらも、私は意識を浴室へ向かわせる。

 今、まどかは何をしているのだろう。気になる、見たい、という誘惑に耐えて、私はただ考えた。思いを馳せた。

 

 

 

 

+----

 

 

 

 

 

 ほむらちゃんは今頃、ママとどんなお話をしてるのかな。

 

 聞きたいな、でも、聞きたくないな。反対の気持ちの筈だけど、同じくらい大きな物として、心の中で解け合っている。

 お湯に浸かりながら考えていると、頭がぼんやりした。のぼせている訳じゃない。ただ、これからの事を考えると、頭が一杯になってしまって、パンクした様にふわふわと揺れるだけなんだ。

 

「……」

 

 怖い。

 ちゃぷ、と口をお湯に漬ける。暖かい。けど、寒い。想像は嫌な方向へ膨らんで、考えはどんどん悪い物へ到着していく。こんなわたしでも、ほむらちゃんは好きだって言ってくれるのかな。

 言葉に出来ない様な恐怖と、胸の痛みが押し寄せてくる。どんな風にほむらちゃんと話せば良いのかが分からなくて、ほむらちゃんを怒らせるんじゃないか、嫌われるんじゃないかと思うと、もっと辛い気持ちになってしまう。

 でもきっと、ほむらちゃんはわたしを嫌わないし、怒らない。後で一人になった時に泣くだけ、なんだ。

 

 その方が、つらい。

 

 結んでいない髪が、わたしの顔にかかる。

 わたしの髪からは、ほむらちゃんの香りがした。

 香りの元は貰い物のシャンプーだった。ほむらちゃんが愛用していた物で、何となく髪が綺麗になるから、わたしもお気に入りで使っている。

 でも、今日は使わない方が良かったんじゃないかと思った。匂いがする度に、ほむらちゃんの姿を思い出してしまう。

 

「はう」

 

 白の入浴剤は、入り心地が良かった。リラックスして、落ち着いてしまうんだ。そうなると、また色々と考えてしまう。

 今日のほむらちゃんは、楽しそうだった。映画の後やタツヤの前で泣いた時は別として、それ以外の時は大体朗らかな顔をしていたし、学校では滅多に見れない優しい笑顔も、沢山見る事が出来た。

 それに、いつも以上にわたしの事を真剣に考えてくれて、機嫌が良いのは明らかだった。

 

 服も選んでくれた。そういうのはあんまり得意そうじゃないほむらちゃんだけど、わたしが喜ぶなら、と頑張ってくれたんだ。

 映画だって、本当は見たくなかったと思う。それでもわたしに合わせてくれた。

 ほむらちゃんは一日ずっとわたしの事を気にしてくれたし、ずっと見ていてくれたんだ。

 

 わたしは、一日中ほむらちゃんを振り回していた気がする。

 

 そして、そんなわたしに振り回されてくれたほむらちゃんは、本当に良い人なんだ。わたしにはもったいないくらいに。

 わたしは、どうするべきなんだろう。どんな道を選んでも不正解で、正解の様な気がする。

 

「そろそろ、決めないと」

 

 小さな声で、決意を出す。それで何が変わるんだろうと嘆く自分の姿が心の中で映し出された。けど、気持ちを切り替えるのは決して間違った選択じゃない。

 お風呂の中で考えてると、頭がふわふわとしてくる。のぼせちゃいそうだし、次はほむらちゃんなんだから、早く出よう。

 

 お風呂場から出て、身体を拭いた。パジャマは籠の中に入ってる。その下にはほむらちゃんに使って貰おうと準備しておいたパジャマが有った。

 少し、子供っぽいデザインだったかな。ほむらちゃんに着て貰う服としては、あまり似合っていない物を選んでしまった様な気がする。

 でも、わたしの手持ちにはこういうのしか無いから、一番ほむらちゃんに向いている色合いの物を選んだつもりだった。

 

 パジャマを着込んだわたしは、タオルを頭に被ったまま脱衣所から出る。

 リビングのほむらちゃんは、パパやママと一緒に座ってコーヒーを飲んでいた。

 

「ほむらちゃん、次、どうぞ」

 

 声をかけると、ほむらちゃんがゆっくりこちらを見る。

 機嫌の良さそうな顔をしていたから、少し安心した。

 

「ええ。今行くわ」

 

 ほむらちゃんは席を立って、パパとママに向かって一礼した。姿勢が綺麗で、凛々しい。

 

「すみません。お風呂、使わせて貰います」

「ああ、ゆっくり入ってきな」

 

 ママの返事を聞くと、ほむらちゃんはわたしの方へ向かってくる。心なしか楽しそうな顔をしていて、その表情がわたしを安心させてくれる。

 通り過ぎる前に、声をかけた。

 

「ドライヤーをかけたら、お部屋で待ってるね」

「分かったわ」

 

 ほむらちゃんは頷き、わたしに向かって仄かな微笑みを向けてくれた。

 やっぱり、機嫌の良い雰囲気が漂っている。パパやママと一緒に話していたみたいだけど、どんな会話だったんだろう。

 わたしの昔の話とか、恥ずかしい話とかだったら困るなぁ。そんな風に思いながらも、ほむらちゃんならいいや、と思っている自分が居るのが分かる。

 

 ほむらちゃんはゆったりとした足取りで歩いていき、お風呂のある方向へ消えた。

 無意識に緊張していたんだろう、わたしは大きく息を吐いて、隠しきれない安堵を漏らす。

 

「まどか、どうしたんだ?」

 

 わたしの様子がおかしい事に気づいて、ママが尋ねかけてきた。

 いつものわたしなら、此処で相談する所だった。ママはわたしの質問に沢山答えてくれるし、恋の悩みにだって対応してくれると思うけど、今回だけは聞くのはまずい。

 悟られない様に、気づかれない様に。頑張って作った笑顔で、わたしは誤魔化そうとする。

 

「ううん、何でもないよ、ママ。ただちょっと、勇気が欲しいと思っただけ」

「……そうか」

 

 ママは何か疑っているみたいだけど、細かい部分までは分かる筈が無い。

 それでも見透かされるのは怖かったので、急いで洗面台の有る所へ歩いていく。ほむらちゃんがしてくれた様なやり方を頭の中でイメージしながら、ドライヤーをかけよう。

 髪を綺麗にして、出来るだけ外見に気を使って、ほむらちゃんを待つ事にする。

 

 その方が、きっと良い結果になると信じられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 お風呂から出て、ドライヤーをかけ、私はまどかの部屋へ向かった。

 いい気分だ。詢子さんとまどかのお父様が私の事を応援してくれると知ったからか、身体がとても軽い。今なら何でも出来そうだ。

 

 右手で、髪をかき上げる。

 お風呂場には私があげたシャンプーが有ったので、使わせて貰った。やっぱり、いつも自分が使っている物の方が使い心地が良い。

 まどかの部屋の前に来た。一度、自分の身だしなみを確認する。着ている服はまどかの物だから、落ち着かないけれど、後の部分に問題は無さそうだ。

 問題無い。確認を終えて、まどかの部屋の扉を軽くノックする。

 

「どうぞー」

 

 まどかの声が帰ってきた。そんなちょっとした事に幸福を覚えながら、扉を開ける。

 

「まどか、良いお風呂だった。わ……?」

「……」

 

 扉を開けた先を見て、私は僅かに戸惑った。

 まどかが、妙に真剣そうな面持ちでベッドの上に正座をして、私の顔をじっと見つめていた。

 お風呂上がりの温かそうな肌と、整えたばかりの可愛らしい髪。髪は結っていないので、少し長めのストレートヘアーになっている。

 そんなまどかが目を真剣な色で一杯にして、じっと見つめてくる。

 

 これは、何か来るか。心の中で、奇妙な感触に陥った。

 

 こういう顔をするまどかを見るのは、久しぶりだった。具体的には、円環の理になった時の、まどかの目だ。

 瞳は金色ではないし、神々しさも神聖さも慈悲深さも感じられない。

 が、そこに含まれているのは、まどかの決意と勇気を現す物で間違い無い。

 

「あ……あのさ」

 

 まどかは私の顔を見つめて、口を閉じた。

 そこで私が頷くと、彼女はほんの少しだけ気を抜いた様子で、話してくれる。

 

「ほむらちゃんってわたしより細いから、それ、ちょっとだけぶかぶかだね」

「それは、そうかもしれないわ」

 

 服の裾を摘み上げると、それは確かに大きめに感じられる。

 これを認めるとまどかが自分より太いと証明する事になってしまうのだが、確かにこの服はちょっと緩い気がする。特に、ズボンの方が緩い。

 とはいってもずり落ちる程の物ではない。人の服を着るのは落ち着かないが、それほど言う程気にはならなかった。

 

「まあ、少しだけよ。平気、悪くないと思うわ」

 

 そう言うと、まどかは少し安心した風に肩の力を抜いた。

 

「ほむらちゃんが着ると、私のパジャマがカッコいい気がするなぁ」

「でもこれは、やっぱりまどかの服よね。似合ってるわよ、まどか」

「えへへ、ありがとう」

 

 私達のパジャマはよく似ていた。まどかの好きなデザインであろうそれは、殆どお揃いの服だと見て良い程だ。

 普段なら嬉しいけど、今は必要以上に意識してしまう。

 

 ベッドの上で正座するまどかは、緊張感を漂わせている。私が入浴している間、ずっとそうしていたのだろうか、よく見ると、時折座り心地が悪そうに足を左右へ揺らせている。

 私が見ている前で崩すのは嫌なのだろうか。思わず、声をかけてしまう。

 

「正座」

「え?」

「正座、辛くない? 足が痺れてしまうわ」

 

 そう告げると、まどかは少し躊躇した後、正座を崩して女の子座りをした。

 これで少しは楽になっただろう。まどかの足に負担をかけるくらいなら、無理をして正座なんかする事は無いのだ。

 

「ほむらちゃん。こっち、来て」

 

 安心していると、まどかが手招きをする。ベッドの傍へ私を連れ込むと、彼女は私の手を取った。

 腕を引かれる感触。少し慌てているのか、それは半ば強引な物に感じられたが、特に嫌ではない。むしろ、良い気分と表現しても差し支えないだろう。

 

「そこに寝てくれないかな」

「いいわ。でも、一体何が……」

「いいから、お願い」

 

 まどかの強い言葉を受けて、言われた通りにベッドへと身体を乗せる。まどかはその傍へ座り込んで、小さな息を吐いた。

 決意を秘めた瞳が私を貫き、捕まえて離さない。これが彼女だ。彼女なのだ。思考と理性の両面を握られている気がして、私は気づけば手を握り締めていた。

 何をするつもりなのだろう。まどかは私の姿をじっと見つめている。

 

「ほ、ほむらちゃん。その、あの、ね」

 

 まどかが私の上に乗り、覆う様に迫ってきた。

 顔が近づけられて分かったが、彼女の目は潤んでいる。それは涙の様だったけど、そうじゃない。

 

「ま、まどか?」

「わたし、ずっと考えてたんだ。ほむらちゃんの事、自分の事……沢山考えたから、それを、言っておきたいと思って……」

 

 まどかの目に宿る力が、強まっていく。それは円環の理としての物ではない。彼女が、彼女の中に最初から存在していた意志の力だ。

 今までに無いくらいまどかの顔は赤くなっていて、私を押さえつける腕の力は、強い様で弱々しい。

 少し抵抗して腕を上げようとすれば、すぐにまどかを弾き飛ばせるだろう。が、そんな事をする気はまるで起きない。

 まどかは私へ更に顔を近づけて、「ごめんね」と告げた。深呼吸をした彼女は、一気に言葉を向けてくる。

 

「あのね。わたし、ほむらちゃんの事が好きだよ。大好きで、大切な友達だと思ってる」

「まどか……」

「今日もね、ずっと、ほむらちゃんと恋人になれるのかなって、そうなろうって、思ってた。楽しくて、幸せで……ほむらちゃんの気持ちに応えたいって、そう思う様になった」

 

 私は、頭が真っ白になるという言葉を直に体験した。

 僅かな違和感があれど、それは確かに、愛の告白だった。まどかの優しい気持ちと心の詰まった、気持ちの吐露だ。

 

「だから、今とは違う関係になるのは怖いけど、それでも、ほむらちゃんと一緒なら頑張れるって、そう信じられるの」

 

 私が止める間も無く、彼女はずっと言葉を続けた。

 何がどうなっているのかも分からないまま、その声は私の耳へ次々と届けられる。

 告げられるであろう言葉は想像が出来た。考えたくないけど、恐らくは致命的な一言だろう。その気持ちに答える覚悟を瞬時に決めて、身構えた。

 

「あ、あのね。だから、まずは……最高のお友達から、じゃ、駄目かな」

「え?」

 

 想像していたのとは異なる発言に、私は思わず声をあげてしまった。

 私の反応をどういう物だと受け取ったのか、まどかは悲しげに目を伏せて、私の頬を撫でた。

 

「臆病で……ごめんね。でも、今日のデートで分かったの。わたしは、ほむらちゃんとなら、恋人でも良いって、そう思う事が出来るんだ、って」

「ま、待って、まどか」

「でも、後一歩だけ、一歩だけ進む勇気を……持たせて欲しいの。だから信じて。すぐに、ほむらちゃんの気持ちを受け入れて、お返しが出来る様になるから」

 

 まどかが何を言っているのかが分からず、私は混乱した。

 最高の友達だと、そんな風に言って貰えるのは本当に嬉しい。幸せな事だ。その一言だけで、私の心は天の果てにだって飛んでいく事が出来る。

 けれど、それは想像していた言葉とはまるで異なっていた。愛の告白、あるいはもっと深い何かがまどかの口から発せられると、そう考えていたけれど、彼女はあくまで私を友達と言った。そう呼んだのだ。

 まどかは私が何を考えていると思っているのだろう。また私の顔色を窺う様に見つめてくると、すぐに何かを言おうとしていた。

 

「本当に、待って。まどか、何、言ってるの?」

「だから、今はもう少しだけ……え?」

「え?」

 

 まどかは一転して目を見開き、状況がまるで分かっていない様な声を出した。

 でも、状況が分からないのは私も同じだ。心に決めてきた覚悟が、何やら砕けてしまった様な気がする。

 まどかは私の上に乗ったまま、おろおろと迷っている。どうした事だろう。

 

「ほ、ほむらちゃん。わたしの事、好きなんだよね?」

「え、ええ。好きよ、たった一人の特別な友達だと思ってるわ」

 

 素直に答えると、まどかは戸惑いがちに「ありがとう」と返してくれて、それから、首を傾げた。

 

「でも、わたしと恋人になりたいって、そう言ってくれたんだよね?」

「……え?」

 

 まどかは何を言っているんだろう。

 そんなつもりは無いのに、何か勘違いをされている気がする。

 

「まどかこそ、私の事、恋人にしたいって思ってたんじゃ……」

「ち、違うよ。それは、ほむらちゃんが思ってた事じゃないの?」

 

 まどかが私と同じようなリアクションを見せた。首を傾げて、よく分からないと言いたげな顔をしていて、余計に混乱を煽る。

 そこで、私はお互いが何か妙な勘違いをしている事に気づいた。

 

「私は、まどかが恋をしているんだと思って……」

「わたしも、ほむらちゃんがわたしに恋をしてるんじゃないかって……」

 

 私達は顔を見合わせて、疑問符を頭に浮かべた。

 二人で揃って、よく分からないと言う気持ちを交換しあう。言葉が無くても、意志が通じた。

 

「それって」

「つまり?」

 

 勘違い?

 

 まどかも、きっとそれを悟ったのだろう。大きく目を見開いて、私の姿を何度も見た。

 勘違い。そう、全ては勘違いだったのだ。そこでやっと理解出来たのか、まどかは私に乗ったまま、安心した様子で笑い出す。

 

「あ、あははっ。なーんだ、二人で勘違いしてただけなんだ」

「良かった……私に悲しい恋をしたまどかは居なかったのね」

 

 本当に安心した。私は、まどかに対して偽りの気持ちで答えなくて良いんだ。その事実だけで、私にとっては十分過ぎる喜びだった。

 私の言葉を捉えたまどかは、悪戯っぽく笑った。

 

「あれ、もしそうだったらわたし、失恋しちゃってたんだ」

「そういう意味じゃないの。私の答えは勿論イエスだけど、途中で無理が出たかもしれない、というだけ……ああ、そう。もし私が貴女に恋をしたら、成就してたのね」

 

 それはまどかの優しさじゃないかと思ったけど、さっきの『返事』は本気を感じたし、確かな心が有った。

 でも、今のまどかの方が自然だし、あんな風に重い決意をした顔よりは、安心出来る。

 

「今のは事実上の承諾、だったのでしょう?」

「それは……そうだよ、うん。わたしは、ほむらちゃんとなら結婚しても良いって思っちゃったから」

「なら、今はどう?」

「えへへ。今もほむらちゃんはわたしの大切な友達だよ。多分、こんなに人を好きになる事は、無いんじゃないかなって思うくらい」

 

 腕を広げて気持ちの大きさを表現するまどかが、微笑ましい程に愛らしく見える。

 

「何なら、本当に恋人になりましょうか? 私は良いわよ、まどかが望んでくれるなら」

「うーん……これからもずっと、ほむらちゃんがそういう感じで居てくれたらっ! なんて、どう?」

「それ、面白い考えだと思うわ」

 

 冗談めかした答えに、私は半分ほど冗談で答えた。

 私はずっとこういう感じで居るつもりだ。私が変わったらまどかに影響が及ぶと思うと、生き方や考え方を変える訳にはいかない。

 となると、本当に恋人になってしまう日が来てしまうのか。安心したからか、そんな考えまで浮かんでくる。

 

「もう、一晩中悩んじゃったよー……」

「私も、まどかがちゃんと告白してきた時の返事を考えるのに必死で眠れなかったわ」

「あははっ、お揃いだね。でもでも、ほむらちゃんとなら、カップルでも良いかなぁ、なーんてね」

 

 まどかは笑顔でそう言った。

 そんな風に想われている自分が誇らしく、そんな風に扱われている事がとても心を温めてくれる。

 自然に、笑みが漏れた。

 

「ふふ、それにしても。素敵なお返事だったわ、いつかきっと受け入れるから、後少しの間はお友達で、なんて」

「わ、わわっ。ほむらちゃん言わないでよぉ!」

 

 まどかは慌てふためき、私から下りた。

 ちょっとした重さが無くなったのが残念でならない。まどかはとても軽いから、負担には全く感じなかった。

 

「ほむらちゃんだって勘違いしてたくせにぃー」

「良いじゃない、一日カップルごっこは楽しかったし、まどかの意外に積極的な一面が見れて、嬉しかったわ」

 

 思い返すと、ああやってまどかとカップルの真似をしたり、デートをするのは本当に楽しかった。

 

「むー。ほむらちゃんだって凄く意外な所を一杯見せてくれたのに、全然慌ててくれないよぉ……」

 

 余裕を取り戻した私の事を不満に思ったのか、まどかは頬を膨らませている。

 自分の勘違いを恥ずかしがっているのか、顔はとても赤い。

 

「私は別に恥ずかしくないもの。空回りして変な間違いをやったのは事実だけれど、別に、全部が嘘だった訳でもないわ。確かに誇張はしたけれど、今日の私の言動は、全部本心から来るものよ」

「わたしだって、ほむらちゃんが好きだって言うのは嘘なんかじゃないよ」

「そう、お世辞でも嬉しいわ」

「……」

「まどか?」

 

 私の返事を聞いたまどかが一気に下を向いて、拳を握り締めた様に見えた。その背中から妙に怖い気配が漂っていて、まるで怒っている様だ。

 何か下手な事を言ってしまったのだろうか。冷静に考えていると、まどかは、まるで喉の奥底から吐き出す様な声で喋りだした。

 

「おっ……お世辞なんかじゃないよっ……わたし、ほむらちゃんとなら恋人同士になれるって、本気で思ってたんだよ……」

「っ……!?」

 

 地響きが鳴る様な声に、私は息を飲んだ。こんなに怒るまどかを見るのは、生まれて初めてだった。

 人生で最大の悪寒が背筋を凍らせる。ここまで焦る気持ちにさせられるのは、まどかが円環の理に覚醒しかけた時でも味わう事が無かった。

 殺されるんじゃないかという程の重み、美樹さやかが、まどかに殺される、と言っていた事を思い出す。

 しかし、まどかの全身から漏れ出していた異様な気配は、すぐに感じられなくなった。代わりに、自分がどうして怒ったのかも理解できない、という顔をするまどかが残される。

 

「あ……あれ? ほ、ほむらちゃん」

 

 戸惑いがちな声は、いつものまどかの物だった。

 どうやら戻って来てくれた様だ。程良い安心感に包まれて、肩の力が抜ける。

 でも、怒らせてしまった事はしっかりと謝っておく。

 

「……ごめんなさい。真剣に考えてくれたのに、失礼な態度を取ってしまったわ」

「こ、こっちこそ。怒る様な感じになっちゃって、ごめんね。なんだか、ほむらちゃんに気持ちが伝わってないって思ったら、我慢出来なくなって……」

「それは貴女のせいじゃないわ、きっと」

 

 多分、彼女の中の誰かさん……円環の理が、自分への無理解に怒りを覚えたのだろう。未だに残るその意志が、記憶が、まどかの精神に若干の干渉を行った様だ。

 しかし、その言葉にはまどかの本音が含まれていたのだろう。彼女は安心していたけど、真剣そうだった。

 

「でも、本当なんだよ。本当に一晩中悩んで、決めたの。ほむらちゃんがどんな風にわたしを好きでいてくれてるのであっても、わたしはそれを受け入れられる自分になろう、って」

 

 まどかは相当の覚悟を決めて、この場に臨んだのだろう、勘違いで終わったのは本当に良い事だったのか、少し疑わしく思う。

 でも、そうやってまどかが真剣に私の事を考えてくれた事自体が、とても嬉しかった。彼女の優しさと慈悲深さ、その新しい一面に触れた気がして、とても幸せだ。

 

 ただ、少し。少しだけ、私は考えてしまった。今の、今の私を、まどかは、本当に……

 

「……受け入れてくれる日なんて、本当に来るのかしらね」

「来るよ、きっと。ううん、絶対。だって、貴女はほむらちゃんなんだもん」

 

 思わず漏れた言葉を捉えて、まどかは素早く返事をしてくれる。

 私の事情は何も解っていないだろう。解る筈が無い。だけど、それでも彼女の言葉が、私に染み込んでくる。

 

「それは、良いわね……本当に……」

 

 抑え込んでいるけど、泣きそうになってしまう。

 今日の私はペースを崩されてばかりだ。

 詢子さんには優しくされ、まどかのお父様には感謝されて、タツヤ君は私を撫でてくれて、まどかは、私を受け入れると言ってくれた。

 鹿目家の人達は、みんな優しかった。わたしなんかに、沢山優しくしてくれた。

 

「えーぃ!」

「わっ!?」

 

 涙が溢れそうになった瞬間、まどかが私に抱きついた。

 勢い良くベッドに落ちそうになり、その場の判断でまどかの身体を抱き寄せ、衝撃が出来るだけまどかへは伝わらない様に転がりこんだ。

 顔を上げたまどかは、今までの重い雰囲気を払拭していて、いつもの優しい女の子へ戻っていた。

 

「えへへ。そんな泣きそうな顔をしちゃダメ。折角誤解も解けたんだもん。寝るまでいっぱいお話したり、遊んだりしようよ」

「……っふ、やったわね、まどか。お返しよ」

 

 昔の私なら此処で黙ってまどかに押されていただろうが今は違う。

 身体を僅かに持ち上げて、まどかの腋へ手を伸ばす。丁度良い位置に有るので、触りやすい。

 

「ひゃ!?」

 

 腋へ触れた途端、まどかは飛び上がって驚きを表現した。

 しかし、まだ止めるつもりはない。そこから一気に畳みかける。

 

「わ、わきはだめだって! く、くすぐったいよぉ」

「悔しかったら反撃してみなさい」

「む、わ、わかった。行くよ!」

 

 反撃のつもりか、まどかはくすぐったそうに身をよじりつつも、私の腋をくすぐりだした。

 

「っ……っふ、ふふ。まどか、甘いわね」

「ひゅっ……む、ほむらちゃんは我慢強いね……でも負けないよ!」

 

 まどかが私の弱い場所を見つける様にくすぐる。

 弱めの力で腋の周りを撫でられると、余りのくすぐったさに思わず逃げ出しそうになる。

 が、ここで大きく反応してしまえばまどかの思うがままだ。鍛えた鉄面皮とかつてより強固になった精神を、表情と身体の動きに回す。

 私が限界を迎えるより早く、まどかを降参させなければ。

 

「ひぅっ」

「ここがっ、ほむらちゃんの、弱い所、なんだね……」

「そう、かしら? まどかこそ、随分と……限界の様に見えるわよ?」

「そ、そんな事ないもん。まだいけるよ」

 

 まどかは強がっていた。だが、私も同じくらい強がっていた。

 

「っ、っ……!」

「ひ、ゃ……!」

 

 私達は二人揃って、口を噤んで弱い声が漏れない様に我慢する。

 どう出る。どうすれば勝てる。

 そう考えている内に、私の口からは楽しさの余り笑みが漏れだしてきた。恋愛の悩みなんていう重苦しい気持ちが無くなったお陰で、随分と身体が軽い。

 

「ほむらちゃん、こういうのに付き合ってくれるのは、意外だけど、嬉しいな」

「そこまで真面目な人間に見えていたの?」

「うん、ちょっとだっ……ひぅ! は、反則! い、今はくすぐり無しだよ!」

 

 隙を狙って脇腹を撫でると、まどかは驚きで飛び上がった。

 中々良い反応だった。こうして優位に立っていると、美樹さやかがまどかをからかいたい気持ちが解る。

 

「あら? まどか、そんな事は一言も聞かなかったけど」

「えー」

 

 まどかは不満げな顔をしていたけれど、一呼吸を置いた後には、にっこり笑ってくれた。

 

「わたしの負けだね、ほむらちゃん」

「私の反則負けでもあるわ」

「あ、反則だって、本気にしてたんだ」

「冗談だったの?」

「えへへ。うん、冗談だよ」

 

 まどかの笑みが眩しい。私には輝きが強過ぎて、こうして認識するだけでも十分に心が揺れている。

 だが、私はあえて自分の感情を無視して、目の前のまどかをつついた。

 

「んっ、あはは」

 

 まどかも、お返しだと言わんばかりに頬をつついてくる。悪い気分ではない。

 そうやってお互いに顔をつつき合っていると、段々と楽しくなってきた。まどかは愉快そうになり、私へ抱きついて来た。

 私達はベッドの上で布団を被って転げ回りながら、笑い声をあげた。まどかに怪我をさせない様に細心の注意を払いつつも、真横に居る彼女の存在を、目一杯に感じる。

 

 互いの目を見つめ合い、何が楽しいのか解らずとも、笑う。

 

 今にして思うと、気持ちのすれ違いと勘違いのお陰で、私とまどかの会話には微かな遠慮が有った。でも、今は。私とまどかが改めて顔を合わせた時には、そういうぎこちなさはまるで無くなっていた。

 

「まどか、一緒に外へ出てみない?」

「え?」 

「お勧めの場所が有るの。見滝原の町並みが見られる、素敵な丘よ」

 

 ちょっとした思いつきを提案してみると、まどかは目を程良く輝かせた。

 まどかと夜景が眺めてみたい気分だった。

 

「へえぇ……いいなあ、見てみたいかも。見滝原の夜景かぁ」

「夜空の星と町の明かりが程良く組み合わさっていて、とても綺麗よ。私も、丘の上に椅子を置いてね、暇な時にはそこへ行って、色々な物を眺めているの」

「ほむらちゃんの秘密の場所……っていう感じ?」

「そうかもしれないわね。でも、まどかになら良いわ」

 

 私のお気に入りの場所だが、まどかには教えても構わないだろう。あそこに居ると、月を眺めながら風を感じるだけで清々しい気分になれるから、まどかも気に入ってくれる筈。

 今の時間からなら、景色は十分に良いだろう。残念ながら夕食は終えているのでピクニックとは行かないが、夜景を楽しむには良い選択肢だと思える。

 

 だが、まどかは時計を確認して、うきうきとした弾んだ表情から、少し残念そうな面持ちに変わる。

 

「あ……でも。もう良い時間だし、明日にしよっか」

 

 釣られて時間を見ると、後一時間と少しでまどかが就寝する時間帯、という所まで来ていた。この時間に外を出歩くのは、多分、詢子さんが許してくれない。

 

「……そうね、流石に外へ出るのは厳しい時間かもしれないわ」

「ごめん」

「謝る事じゃないわ、明日にすれば良いだけ」

 

 今日行けないのは残念だけど、明日の夜に向けての準備が出来るのは良い事だと思えた。

 まどかは私の誘いを断った事に若干の後ろめたさを覚えている様で、謝る言葉には重さが有る。

 

 それでもまどかは場を暗くする気は無いらしく、手を大きく叩いて私の視線を自分の手元へ集めた。

 そうして好意を見せて貰えるのも、これで何度目だろう。いつ見ても、歓喜で心が震える。

 今までの悲しさは何処へ消えたのか、機嫌の良さげなまどかが寝たまま私の肩を抱いた。

 

「よしっ、今日は一緒に寝ようねー?」

「あ、いえ。まどか、ごめんなさい。今日は先約が有るの」

 

 寝たままでは頭が下げ難かった。

 私がまどかからの誘いを断った事なんてまず無いので、まどかが怪訝そうに目を見開いている。

 

「ぇ? お泊まりなのに?」

「そうなの、ごめんなさい。つまりその……」

 

 その名前を口にする前に、僅かな一瞬だけ思考を回し動かす。

 お誘いは本当に嬉しかったし、もし先約があの人じゃなったら、まどかを優先していただろう。しかし、やはりあの人が言ってくれたから、私はまどかの家でお泊まりが出来ているのだ。

 

「詢子さんと、約束しているの」

 

 

 

 

 

 

 

 

+-----

 

 

 

 三人揃って同じベッドに入ると、少し狭かった。

 一番右に私が、真ん中にはほむらちゃんが、その左には私の娘が居る。三人で寝転がると、それだけで布団が要らないくらいの温かさを感じた。

 

「むぅー……」

「おーい、まどか。そろそろ機嫌直せって」

「でも……二人で寝たかったのに」

 

 まどかはちょっとだけ不満そうだった。大好きな友達との初お泊まりを親に邪魔されたんだから、当然かもしれないけど。

 でも、しょうがない。私もこうやって三人で寝てみたかったんだ。一回くらい許して欲しい。久しぶりに親子で寝たかったし、ほむらちゃんとも一緒に寝てみたかったんだ。

 それを聞いた知久が「え」とか漏らして微妙な顔をしていたけど、それはそれだ。

 私のそんな気持ちを知ってか知らでか、まどかは未だに怒っている。

 

「ママがほむらちゃんと一緒に寝る約束してたなんて、聞いてないよ」

「言ってなかったか?」

「言ってないもん」

 

 まどかは怒っている雰囲気をアピールしていたが、いつもの様にまるで怖くない。

 こんな子供らしいのが宇宙の概念になるんだから、世の中は解らない物だった。そして、忌々しい物だった。

 

「まどか、そんなに詢子さんを怒らないで。私は平気だから」

 

 私と気持ちを共有してくれるであろうほむらちゃん。ただ、今は怒っているまどかを宥めるのに精一杯の様だ。

 喋り方も態度も余り変わっていないけれど、纏う空気がさっきまでより緩んでいる。まどかの部屋で何かが有ったのかもしれない。

 僅かに開いていた溝が、ぎくしゃくした感じが殆ど消えていて、お互いに心を有る程度まで開いている様だ。ほむらちゃんは肝心な部分を閉ざしたままだけど、それでもさっきまでより距離感が狭まっていた。

 

「怒ってないよ。怒ってないけど、ほら、ほむらちゃんだって凄く暑苦しそうだし」

「いいえ、むしろ良い気分よ。まどかと、詢子さんの二人に囲まれて眠れるなんて」

 

 薄く儚い笑みをしたほむらちゃんが、私とまどかを見比べた。

 ほむらちゃんは嬉しそうだった。私達に囲まれるのが幸せで仕方が無い。その顔がそんな風に言っている。

 

「そっか、ほむらちゃんが良いなら、わたしも良いや。でも今度は二人で寝ようね」

「ええ、約束よ」

 

 まどかとほむらちゃんは手を繋ぎ、指を絡めて微笑み合った。

 私にとっても、幸せな光景だった。こうして歳を取ると、一度失った物を見つめるというのは心が痛くて、同じくらい清々しい。

 ほっとした。二人の仲は十分に良好で、何の問題も抱いていない様子だったから。

 

「二人ともぎこちない感じだったけど、仲直り出来たみたいだね、良かった良かった」

「あ、あの。別に私は、まどかと喧嘩をしていた訳じゃ……」

 

 私が相手だからか、ほむらちゃんは謙虚さを滲ませた。

 喧嘩をしていたのではない事は知っている。だから、私は大きく頷いて返した。

 

「分かってるって。何か有ったんだろ?」

「あ、あはは。ママ、お願いだから深くは聞かないで」

 

 詳しく聞いても良いのかと考えた所で、丁度良いタイミングでまどかが乾いた笑い声を漏らす。

 相当変な事があったんだな、と。その声だけで読み取れた。もう解決した様だし、下手に聞くのも悪いので、深入りは止めておく。

 

「まあ、それは良いさ。それよりほむらちゃん、パジャマ似合ってるね。まどかのだけど、結構合うもんだなぁ」

「そうでしょうか……私なんかには、少し不釣り合いな気がして」

「冗談じゃない。服の方が釣り合わないんじゃないかってくらいさ、なあまどか?」

「だよねー、ほむらちゃん、自分の評価低いんだもん。こんなに美人さんなのに」

 

 まどかがほむらちゃんの頬を揉んだ。

 私も味わったあの弾みの良さを楽しんでいるらしい。ほむらちゃんはまるでまどかの玩具にされている様だけど、嫌そうな顔はせず、ただ嬉しそうに受け入れていた。

「ほんと、柔らかいよねー」

「んっ……楽しい?」

「うん、楽しいよ。ほら、わたしのほっぺも揉んで良いよ」

「それじゃあ……」

 

 ほむらちゃんは遠慮がちに、ゆっくりとまどかのほっぺたを揉みだした。

 

「若いなぁ」

 

 若い二人の楽しそうな触れ合いを見ていると、自分も中学生の頃へ戻った様に感じる。

 いや、私はもうちょっと『やんちゃ』だったから、この二人みたいに見てて尊さを感じる付き合いっていうのは無かった様な。

 

 運命の出会いという奴が、この二人には有るのかもしれない。

 

「まどかの頬も程良い弾力よ」

「えへへ、そうかな……そうだっ、ほむらちゃん、ママのほっぺも触ってみて!」

「え、ええっ?」

 

 唐突な思いつきの提案に、ほむらちゃんが目を丸くする。そして多分、私も目を丸くした。

 一応親子くらいの年齢差で、そういう付き合いはハードルが高いんじゃないかと感じたけど、まどかはそんな事を一つも気にしない様子で、名案だとばかりに笑っている。

 

「ま、まどか。流石に、詢子さんと、それは」

「駄目かな……? うーん、ママは駄目?」

「あ、あ、いや。ほむらちゃんになら構わないけど」

 

 触られるのも触るのもまるで問題は無いけど、ほむらちゃん的には厳しい様な。

 

「……分かりました」

 

 しかし、ほむらちゃんは決断する様子を見せて、深呼吸をする。深々と息を吸う所は、何かの儀式に臨むつもりかと思わせる程だ。

 私の顔を見たほむらちゃんは、僅かに緊張している。けど、躊躇う所は見せない。

 

「じゃあ、触りますね」

「おう、いつでも良いよ」

 

 変に神妙な心地で、ほむらちゃんの手が頬へ迫ってくるのを認識する。

 身体を少しだけ持ち上げたまどかが、何だか目を輝かせてこちらを見ていた。私とほむらちゃんが仲良くするのが嬉しいのか。

 

「……」

 

 むに、と。ほむらちゃんの手が私の頬を揉む。

 決して、悪くない気分だった。

 

「……」

 

 ほむらちゃんは無言になって、揉み続ける。

 何も考えていない様にしか見えなかった。早く止めないと、このままじゃ何時間でも続けてしまいそうだ。

 少しずつ頬が痛くなってきたので、その辺りで止めておく事を決めた。

 

「あー、ほむらちゃん?」

「……何ですか?」

「感想、どうだ? 私の肌はどういう感じだった? お世辞は良いからさ、正直に言って良いんだよ」

 

 手を止めたほむらちゃんは、目に意志の光を取り戻して、私の顔を見つめた。

 その瞳が、『本気で言っても良いんですか?』と言っている気がする。構わないから言ってくれ、と頷いて答えた。

 

「その、まどかよりは少し硬めかと思います」

「そっか……やっぱ歳かな。まどか程肌が柔らかくないのさ」

「いいえ、それでも十分に柔らかかったです。流石にまどかのお母様だと思いましたから」

 

 正直な感想を受けて、私は苦笑いをした。

 私を褒めているのに、途中からまどかの賛美に変わっている。その辺りがほむらちゃんらしい。

 

「だってよ、まどか」

 

 まどかはニッコリと笑っている。

 

「ママの肌って、綺麗だもんねー」

「何だ、若さの自慢か?」

「違うよ。ママがちゃんとお肌の手入れをしてるの、知ってるもん。毎日夜に」

「ちょっと待った」

 

 ほむらちゃんの前で私の習慣を暴露されかけて、慌てて止めた。

 まどかが悪戯っぽく舌を出した。何だか、親子というより姉妹にでもなった様な気分だ。

 

「……ほむらちゃんの前でくらい、カッコつけさせて欲しいんだけどな。美人でカッコいいお母さん、って感じで」

「気合い入れなくたって、ママは今で十分だと思う」

「私も、そう思います」

「はは、その褒め言葉、ありがたく貰っとくよ」

 

 こういう時は二人一緒か。二人の息の合う姿を、私は微笑ましく思った。そして、二人の仲を目の前で見る事の出来ない、知久やタツヤに自慢してやりたくなった。

 

「さ、そろそろまどかは寝る時間だ。ほむらちゃんも寝るか?」

「はい。まどかが寝るなら、私も」

 

 まどかの就寝時間はもうすぐそこまで来ている。私の普段の時間よりは早いけど、二人が寝るなら、私もそれに合わせよう。

 ちょっと狭いけど、娘と娘を愛する子の三人で寝るのは、自分の心を癒してくれる。特に、ほむらちゃんはこれで凄くかわいい子なので、素敵な癒しだ。

 

「ほむらちゃん、ママと一緒で寝られる?」

「ええ、大丈夫。まどかこそ、私や詢子さんと三人で寝るのは平気なの?」

「平気だよ」

「そう、良かった。まどかとも一緒に寝たかったから」

 

 二人の会話に決着がついたのか、まどかはベッドの上で小さく伸びをして、ほむらちゃんの横顔を見ながら肩まで布団を被った。

 

 ふう、とほむらちゃんが息を吐き出した。今までは落ち着きが足りなかったのか、やっと完全にリラックスしてくえたんだ。

 天井を見上げるほむらちゃんは、極力どちらか片方へ偏らない様に努力している。その辺りが非常に誠実な態度に見えた。

 

「……結構、幸せな物なんですね」

「どうしちゃったの? ほむらちゃん」

「ええ……年上の人と一緒に寝るなんて久しぶりなの。だから、凄く懐かしい気分になるのよね……」

「わたしだってママと一緒に寝たのは結構前だよ」

「でも、何かしら。本当に、胸が温かいわ」

 

 両手を胸の前で合わせたほむらちゃんが、そっと目を瞑る。僅かに上下する胸が、この子の命を表現していた。

 

「はは、こんなおばさんで良かったら、いつでも一緒に寝て上げるよー」

「おばさんだなんて。詢子さんは凛々しい大人の女性です」

「そういうのを世間じゃおばさんって言うのさー」

「じゃあ、世間の人は見る目が無いんですね」

 

 少しだけ体を上げて、ほむらちゃんが私の瞳を捉えた。

 ほむらちゃんは真顔だったけど、目元だけは笑っている様にも見えない事は無い。冗談なのか、それとも本気なのか。両方かもしれない。

 

「……寝ます」

 

 自分で言っていて恥ずかしくなったのか、ほむらちゃんは大人しくベッドへ頭を乗せた。

 

 こうして一緒に寝てみると、女の子らしさが沢山見える。想像以上に、ほむらちゃんは女の子だった。

 それでも、この子は例えまどかの敵になってでも、宇宙が滅ぶとしても、他の何を犠牲にしてでも、まどかを大切にしてくれる。

 もし、この子が男だったら。もう色々と大歓迎なのにな。勿体無い様な気がするけど、ほむらちゃんが女の子で良かった様にも思う。

 

 ちょっとだけ、感傷的になってしまった。誤魔化すつもりで、私はほむらちゃんの腰へ脇から手を回す。

 もぎゅ、と撫でてみると、とても細かった。やっぱり色々とストレスを溜めていて、身体が弱って細くなっているのかと思ったけど、違う。素で細身だった。

 

「んむー、それにしてもほむらちゃんは細いなぁ。ちゃんと食べないと駄目だぞー?」

「ちょ、あの、詢子さん」

 

 ちょっとだけ不健康な細さに感じたけど、十分な許容範囲で、肋骨とか、割と見えてしまう体型をしているのかも。出来れば、もう少し食べて欲しい。

 もっと健康そうで居てくれないと、不安になってしまう。この子がどうにかなってしまおう物なら、まどかにも影響が出るし、純粋にほむらちゃんを心配する気持ちが有った。

 

「まどか、ちょっとほむらちゃんに触ってみてくれ」

「良いの、ほむらちゃん?」

「それは、構わないけど……あまり乱暴にはしないでね」

 

 ほむらちゃんの許可を受けたまどかが、私が触っている腰回りの脇へ腕を回す。

 

「まどか、そっちからほむらちゃんを抱き締めてな。私はこっちからほむらちゃんを抱き締めるから」

「分かった。やるね」

 

 私とまどかがほむらちゃんを囲んで腕を回す。

 二人で包囲して抱きつくと、少しだけベッドが広くなった様な気がする。いや、単純に距離を詰めただけなんだけど。

 

「うん、ほむらちゃんはやっぱり細いよ」

「だよな」

 

 頷き合って、親子で揃ってほむらちゃんへ身体を寄せる。みんなで揃ってお布団を被り、その温かみを楽しんだ。

 ほむらちゃんは身を軽く揺らせたが、すぐに動かなくなった。諦めたのか、私達へ身体を任せている。

 

「ほむらちゃん」

「ほむらちゃーん」

 

 まどかと私はほむらちゃんの耳元で囁いた。

 すると、ほむらちゃんは左右へ顔を動かして、いつもとは違う弱々しさを秘めた表情で、言葉を紡いだ。

 

「よ……よろしくお願いします」

 

 大人しくて、可愛い声だ。この声が素のほむらちゃんが溢れ出すという事なんだろう。

 こうして弱さを見て、強さを見て。私はすっかりほむらちゃんという存在を受け入れていた。こうして娘と一緒に、その間に娘の友達を入れて眠るなんて、初めての経験だけど、良い物だ。

 

「ふぁ……そろそろ寝よ……」

 

 まどかが睡眠欲を露わにする。

 そろそろ、まどかは寝るだろう。寝息を聞いていたら、私も睡魔に襲われる筈だ。

 それまでは、ほむらちゃんと……いや、ほむらちゃんも寝るのは早いかな。

 

 私も、昔はもっと早かったのかな。

 

 二人の子供と一緒に居て、自分が大人である事を思い知らされた気がした。

 

 




彼女達の姿を想う度、なんて素敵な人達なんだろうと思います。
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