「うっ……おぇ……!」
ぐちゃぐちゃになった頭の中と、堪え切れない吐き気に膝をつく。
瞳孔は開き、止まない頭痛と眩暈、耳鳴りに狂いそうになる。
「おいおいどうしたんだ。出社前から憂鬱なのか?」
「眠れなかったの?でも気持ちは分かるわよ」
二人の調子はずれの返答に、底知れない恐怖を感じる。
記憶に残る両親と同じ顔なのに、発言には整合性が取れておらず、浮かべている表情はずっと笑顔。
こんなものがまともなわけがない。今自分が置かれている状況は、明らかに異常な空間だ。
(僕の、記憶を元に、構成されて……だったら、これは……)
指先は震え、目の焦点も合わない。だが考えることはやめない。
針谷は考える。いつだってそうだ。思考し、答えを導き出し、実行する。
誰よりも正確に、冷静に、リスクリターンを考えて行動してきた。
他のあらゆる動作が覚束ないまま、思考する。
(恐らく、記憶から認知に干渉してる。昔似た
「しかし大和が俺達と同じ職場とはなぁ。何があるか分からないもんだ」
(……ダメだ。認知是正は二人以上じゃなきゃできない。今の僕では、自分の認識が正しい保証はない)
「何度危ないからって言っても聞かなかったんだもの、根負けもしちゃうわよ」
(甘い認識は捨てろ。僕は
少しずつ、自分の中で荒れ狂っていた感情の波を抑え込む。
冷静になれば見えるものが変わる。見えるものが違えば、突破口だって。
だが、あまり悠長にしているわけにはいかない。
(今の会話、僕がML社に努める経緯を捏造している。何を根拠に会話している?)
(考えるまでもない。この
(これが活動範囲を広げてより多くのサンプルを得ればどうなるか、予想もつかない。一刻も早く脱しなくては───)
そこまでの思考を打ち切り、改めて自分の状態を再確認する。
視界。目の前の光景が異常な状態であることを除き、視力や色彩感覚に恐らく問題はない。
触覚。手の甲に触るが、温度や表面に違和感はない。問題ない。
服装に差し当たって変化はない。連絡用端末、あるが通じない。
ヘルメットが無いが、恐らく先のやり取りで破壊されたと思われる。身に着けていなかったものは反映されていないのか?
魔力結晶製直刀、今も背中にある。いつでも斬れる。
脚は動く。手も、腕も、肩も。
腕が動くなら、武器は振るえる。
針谷の思考はやがて、一つの結末に辿り着く。
「……斬れば、覚める」
これが
今までと変わらない。撃ち、斬り、崩し、進む。人類が今までそうしてきたように。
目の前の
否、これは
優しく声をかけ、自分の苦労を労い、共に生きようと語るこれは、甘言で自分を誑かす悪意だ。
「……社訓、第壱条。我らは人類が持つ刃の切っ先である」
「おっ、もう社訓まで覚えてきたのか。俺なんて半年はかかったのに」
「あなたの物覚えが悪かっただけでしょ……」
ああ、そんな話もしていたな。
あの時は社訓なんて言葉知らなくて、校歌みたいなものかと考えたのをおぼろげに覚えている。
それを謳う自分を見て、二人は笑う。
父さんが小さな忘れ物をする度に、母さんがそれを注意する。
傍から見ても仲のいい夫婦だった。自慢の両親だった。
「第弐条。か弱き人々の為、我らは戦線を構築する」
「そうだな。自分が助かりたいだけなら、戦う必要はないんだ」
「でもそれだけじゃいけないの。私達には、戦う為の勇気がある。誰かの為に戦えるなら、それはきっと意味がある」
あぁ、あの時の両親そのままだ。
いつだって自分の事なんか二の次で、他人と息子の事ばかり。
自分達が寝る間も惜しんで、いろんな人に愛と勇気と希望を振りまいていた。
「第参条。願うなら、諦めるな」
「そうよ、大和。諦めなければ、きっと未来は切り拓ける」
「俺達はいつだってそうしてきた。なら、お前にだって出来る」
柄にかけた手が震える。
優しく針谷を見つめる目が、前に進む勇気を削ぎ落していく。
奮い立たせようとする言葉が、決断した心を鈍らせる。
針谷は三度、心の内で唱える。
(考えるな、考えるな、考えるな───!)
今から自分のやることは、正当な行いだ。
目の前のこれは両親を侮辱している。
ならば躊躇うな。戦え、進め、斬れ。
悲哀を怒りに変え、前へ進む力にしろ
今この瞬間だけは、自分の全ての行いは正当化される。
「対
ほんの数秒だけでいい。
今この瞬間だけ、何も感じなければそれでいい。
手の震えはもう止まっている。ならば問題ない。
抜刀。構え。
振りかぶり、切っ先を両親の頭上から振り下ろす。
「僕の目の前から消えろ───ッ!」
刃が
力を込めた刃は、寸分違わず対象の正中を捉える。
「置いていって、すまなかった」
それ以上先に刃は進まなかった。
「大和、お前は俺や母さんに似て、辛いことを耐えられてしまう子だ。だからお前を置いて逝くのが、どうしようもなく怖かった」
これは幻覚だ。
自分が両親にかけてほしい言葉を、
こんな言葉には何の意味も価値もない。ただの音でしかない。
「ML社の社員として、俺は正しい選択をしたかもしれない。だが……父親としては落第だ。赤点すらつかない」
「私達のお葬式の時、大和には出ないでほしいとすら思ったの。だって、あの人達は私達とあなたに感謝してしまう。美談として
耳を貸すな。
それは僕自身の願望だ。弱い心から生まれたそうであってほしいという願いだ。
これ以上は時間の無駄だ。手に力を込めろ。早く。
「お前を置いていきたくなかった。爺ちゃんはきっとお前をML社に入れたがる。俺はお前にML社に来てほしくなかった。俺達のように、命を削って誰かを助ける人生を送ってほしくなかった」
「誰かの為に命掛けで戦うんじゃなく、愛せる誰かの為に人生を掛けられる、そんな平穏な生き方をしてほしかったの。けどそれももう、届かない願いなのね」
「俺達が言っても説得力なんて無いのは分かってる。それでも……大和が平穏に暮らせることだけを願っていた」
「不甲斐ない父親で、本当に済まない」
「あなたを守ってあげられなくてごめんなさい」
目が、熱い。
前が見えない。手に力が入らない。立っていられない。
カランと音がして、手から刀が滑り落ちる。
涙が止まらない。息が整わない。ただ感情だけが嗚咽と一緒に流れ落ちる。
「ずっと一緒にいたかった。だが……もう俺達にはそれができない。俺達はお前に、重荷だけを背負わせてしまった」
「それでも目の前の、助けを求める誰かを見捨てることが出来なかった。最低よね、私達には何よりも大切なものがあったはずなのに」
「そんな……そんなことを、言わないで下さい……っ!」
必死に紡いだ言葉は、きっと何の意味の無い。
───それでも叫ばずにはいられなかった。
「確かに、置いて行かないでと、僕の事などどうでもよかったんだろと思った日もあったさ……っ」
「あなた達が嫌いだと!泣いて叫びたい時もあった!」
「それでも僕はっ!二人の間に生まれて幸せだったっ!!」
「誰かの為に命懸けで立ち向かえる二人は、ずっとずっと僕の誇りなんだよっ!!だから……っ!そんな悲しいこと言うなよっ!!」
自分以外の人間がいる場所では感情的になれない針谷が、初めて感情を露わにしたのが
皮肉なことに、
ただ人々に恐怖を与え、ただそれを貪り成長する。それだけの存在だからだ。
それでも今だけは。
この慟哭だけは誰にも聞かれたくなかった。
この二人にだけ、聞いてほしかった。
「……子供の成長ってのは早いもんだな」
「私達はもう、それが見れないのよね。本当に、バカなことをしたものね」
「言うなよ。……俺達は揃いも揃ってバカやって、そのバカは息子にまで引き継がれちまった」
ずっと椅子に座ったままだった父と母が立ち上がり、膝をつく針谷の傍まで近寄る。
そして、父は片膝を曲げてしゃがみ込み、真正面から針谷と顔を合わせる。母はそんな父の隣に寄り添う。
二人の顔は記憶の中の二人と同じく、とても優しい顔だった。
「なら、せめて俺達は応援してやらねぇとだ。この愛しいバカをよ」
「そうね。大和はあなたに似て、おバカさんだもの。私の大好きな、ね」
「へっ、そんなバカを追ってきたくせに」
「ふん、わざと私を置いていったバカのくせに」
自分が知らないところで、本当にこういうやり取りがあったんじゃないか?
そう錯覚してしまう程に、二人のやり取りは慣れ親しんだ、しっくりくるものだった。
両親ともっと話したかった。二人の言葉をちゃんと受け取りたかった。
幼いながらに願った夢が、本当に叶ったような気さえした。
他ならぬ、自分達が敵だと定めた
「さて、もうじき時間だ。最後に……あっ、そうだ大和お前!子供引き取ったんだよな!?大丈夫なのか!?結婚もまだだろ、というか結婚できるのか!?いかにも草食ですって面してんぞお前!?」
打って変わって急に真剣な目つきで、やや怒ってるともとれる剣幕で父は捲し立てる。
結婚願望が希薄な自覚はあったが、まさか父がそのような心配をする人間だとは自分でも思っていなかった。
ならこれは自分の願望なんだろうか?分からない、もはや目の前のこれが父であると認識しかけている針谷には判断が付かない。
「私はいいと思うよ?でも、人間一人面倒見るって本当に大変なことなんだからね。それは忘れないように」
「分かってる。あの子を寂しがらせたりはしないよ」
「悠君って言ってたわね、きっと驚くわよ。あっという間に自分の背なんか追い越しちゃうんだから」
「今の二人に言うのもなんだけど、悠君がそうなるとは想像できないな……」
今この瞬間、
それでいい。
たとえ幻影のように触れられなくても、自分には大切な両親を傷つける選択肢など選べない。
「本当に大丈夫か?俺は不安だぞ……っと、もうさようならか」
「そういう場所だもの。仕方ないわ」
会話の終わりと同時に、途端に視界がブレ始める。
二人の輪郭がボケ、次第に家具やカーテン、日差しさえも焦点が定まらない。
全てにノイズのような線が走り始め、形が維持できなくなる。
「あの
「俺達への攻撃をしなかった点は正解かもな。俺達はお前の記憶、思考そのもの。そこに魔力結晶をぶち込むなんて、魔力を脳に直接注ぎ込むようなもんだ。良くて廃人、悪けりゃ即死かもな」
「大和の記憶と合致するまでのラグで変なこと口走ってなかったらいいのだけど」
「……じゃあ、さっきまでのも」
さっきまでの会話も、結局は全て自分の願望でしかないのか?
そう問いかける大和に、父は否と答える。
「いや、それも違う。詳しい説明はできないが、俺達は紛れもなく本人で、今この瞬間だけお前と繋がっているんだ」
「いつか分かるわ。大丈夫、心配いらないわ。だってあなたは」
針谷自身の視界すらグラつき始め、今自分が見ているのが正面なのかすら分からなくなる。
眠りにつく直前、意識がボヤける瞬間に近い感覚の中で、二人の声だけが自然とはっきり聞こえた。
「「
「───針谷さんっ!起きてくださいっ!針谷さんっ!」
身体が、鉛で出来たかのように重い。多分うつぶせだと思うが、確証がない。
頭が二日酔いのようにガンガンと痛む。鈍痛と刺痛のミックスに不快感がいっそう増す。
胃の中が揺れに揺れた気分だ。今にも喉の奥からこみ上げてきそうな嘔吐感も。
「応援は呼びましたが……うぅ、なんでこの
指先が冷たい。確か今は夏じゃなかったか?なのにどうして。
頬に伝わるひんやりと冷たい感触、これは土だろうか。なんとなく覚えがある感触だ。
絶え間なく痛みの走る頭と、吐き戻したくなる喉の違和感には、地面の冷たさすら心地よい。
目を開けたくない。このまま眠っていたい。
けれどそういうわけにはいかない。
「……来るなら、来てください。今度は僕が、針谷さんを守るんですから」
震える声で、助けを求める声が、聞こえる。
針谷は、力を込めて立ち上がる。
「───」
「っ!針谷さん、起きたんで……は、針谷さん?」
笹島悠は目の前の人型
まだ
針谷にとってそれは誰よりも何よりも、憧れたヒーローの背中だった。
「ありがとう。もう、大丈夫」
「かっ、顔色がっ!それにおでこから血が……!」
「大丈夫。……僕が対応しますので」
ならば、自分はそれより前に立たなくては。
父さんも母さんも、最期まで誰かを守るために生きた。
───ならば僕も、それを継ごう。
ただし、悠君を置いて行くのは、無しだ。
「あなたのお陰で、大切なことを思い出せました。感謝します」
「───」
取り落していた直刀を拾い上げ、もう一度構えなおす。
さっきより随分と手に馴染んだような気さえするそれを持ったまま、一歩ずつ
元々銃火器ばかり握っていたからちゃんと振るえるか不安だったのだが、今やそれもない。
やがて、あと一歩踏み込めば間合いという距離まで近づく。
すると、少女の姿をした
薄い空色の双四角推の中に、白く光る光球が埋め込まれている。
「これは……?」
「綺麗……これは、凄い密度の魔力です。恐らくこの個体の『核』です」
それを取り出したかと思うと、
結晶は
(罠……とは考えたくないな)
随分絆されたな。自嘲するが、少なくともそれを武器にして殴りかかってこない分まだ安全な個体だろう。
それに、人型
ゆっくりと結晶に手を伸ばし、それを受け取る。
すると、するするとそれが針谷の胸の中に入り込んでしまう。
「え、うっ、うわっ!?なっ、なんだ!?」
身体に傷一つ付けることなく、身体が抵抗することなくそのまま全て入り込んでしまう。
取り出そうとしようにも、そもそも入った形跡すらない。
魔力を持つ悠が見ても、まるで手の付けようがなかった。
「───……」
ふわり、と振り返り、
それまで過ごしていた家に思う所でもあったのだろうか。
あるいは何も分からず、ただそうしたくなっただけなのか。
言葉を発さない
「───」
やがてその身体が砂のように、魔力の結晶となって崩れ落ちる。
山間の谷間に吹く風がその結晶を浚い、キラキラと雪のように流れていく。
自分の手で斬らねばならないと思っていただけに、針谷と悠は拍子抜けしてしまう。
残ったのは足元の僅かに残る魔力の残滓と、針谷に取り込まれたれそれだけだ。
「えっと……終わった、んですか?」
「……みたいですね」
呆気ない幕切れにぽかんとした表情を浮かべるも、すぐさま標的者となっていた老婆に思い当たり駆け寄る。
大窪キヨははたして、玄関先で静かに泣いていた。
一部始終を見ていたのだろう、そのとき何があったのかを説明してくれた。
針谷が頭部を弾かれてからずっと、
何度声をかけても、針谷も
あまりに目まぐるしく動く中、ふと
「私の、孫娘にそっくりだったんです。確かに笑顔じゃなかった、でも仕草や佇まいが、可愛いけいちゃんに本当にそっくりで……」
『大窪 蛍』。確かに、針谷はその名前を知っている。
大窪キヨの身辺調査を行った際に発見された名前だ。
同時に、なぜあの
「……20年前、
「分かってください等とは言えません。それでも私には通報も、ましてや遠ざけることもできなかった……」
あの
人間の記憶を覗き、学習し、それで何をするつもりだったのだろうか。
亡き父と母に会えたのはなぜなのか?あの
何もかもが分からないままだが、それでも前へと進まなければならない。
「貴方を責めることは出来ません。ですが、今日までの事はどうかご内密に。笹島さんも」
「存じております」
「分かりました」
人型
隣人が人間であるかどうかすら信じることが出来ない世界、そんなものはだれも望んではいない。
もっとも、口に戸を立てるのは自分ではなく、上の人間なのだろうが。
この場では要請という形式になる為、笹島悠をマナ・フロンティアの人間として呼称しているのもその為だ。
「とりあえず、僕は本部に戻ります。このことを社長に報告しなければなりません」
「分かりました。それと、針谷さん」
「はい、なんでしょうか」
「机の上に置いてあった遺書について、後で詳しく聞きますから」
針谷が隣の悠に視線を向けると、明らかに怒っているのが目に見える。
それは針谷の母が怒った時を思わせる、今から説教をくれてやるという宣言に等しい表情だ。
「……すみません。お叱りは必ず。ただ、必要なことだったというのはご理解いただきたく」
「分かりました。……今は泣くのを堪えてるだけなんですからね」
「大変、申し訳ありませんでした……」
大の大人が、自分の胸元ほどしかない子供に頭を下げる光景などめったに見れるものでもないだろう。
人によっては情けない、みっともないと蔑むだろう。
それでも皆、笑顔だった。
「忘れ物無し、周囲に痕跡無し。回収完了ですね」
針谷は装備ケースの回収ために、もう一度山間を縫って歩いてきたところだ。
ヘルメットは破壊されており、直射日光が顔を焼くのがまたしんどさを増やすが、それでもスーツで山登りをするよりかは幾分マシだ。
もっとも、これから山を下りて借りてきた車まで戻らねばならないわけだが。
誰も周りにいないことを確認してから、針谷はケースを立てかけた木に背中を預けて腰掛ける。
二人がいる手前言えなかったが、針谷には感覚的にそれがなんだか分かっていた。
「どうしたものか、これは……」
針谷の掌の上から、渦巻く紫色の魔力が湧きだしては滞留している。
それを針谷は、意図してフッと消した。
「魔法使いになるには、まだ早い歳だったと思うんですが」
自身の体内における魔力の生成。即ち、魔法少女達と同じ能力が発現している。
原因は考えるまでもない、あの
このことも社長に報告すべきか否か。もししたとして、どうなるのか
ML社における立場、悠への影響、マナ・フロンティアへの影響、それらが一斉に針谷の脳を駆け巡り───
「……お腹が、空きました」
難しいことは、この後ごはんを食べてから考えよう。そう結論付けた。
そのまま針谷は立ち上がり、ケースを手に持ち、昼食を求めて歩き去っていった。
以上12話をもって「マシン・マジック・マイメモリー」を完結と致します。
毎週更新・一クール杯を企画してくださった家葉テイク様、参加者の皆様、お疲れ様でした!
並びに読者の皆様、評価感想してくださった皆様、本当にありがとうございました!