(なんだか久しぶりに出社したような気がするな……)
立派なビルの前にスーツ姿で立ち、僅かな感傷をもって見上げる。
ここを開けたのはほんの一週間もないというのに、随分久しぶりな気がしていた。
針谷は本社勤務という訳ではないのだが、ここ最近は社長の意向もあって本社出勤が多かった。
大塚、木山の二人を伴わないこともあり始めは来るたびにそわそわとしていたが、今では堂々と出社している。
癇癪気味な剣埼も、何度か顔を合わせれば普段は割とまともな方だと思えるようになり、今の生活も中々悪くないと思えていた。
しかしフロンティアスクールの食事に慣れてしまった今、ML社の社食が少々侘しく感じる。
マズくはない、マズくはないのだ。ただどうにも値段重視で業務用っぽさが抜けない。
昼食時になると外に行く社員も多い。コストとの兼ね合いもあるが、品質の向上は必要だ。
針谷は真剣に、社員食堂の改善提案を視野に入れていた。
(コシのないうどんというのも趣はありますが……っと、急がなくては)
気を抜き過ぎている自分に喝を入れ、受付へと向かう。
本来は社員証もあるので受付を通す必要は無いのだが、社長から直々に一度受付を通すよう命じられている。
ここ一か月の事情を鑑みての物だろう。
入ってすぐ左、二人のスタッフが並んで座るカウンターへと足を運ぶ。
「すみません、社長に呼ばれてます針谷大和と申します」
「針谷様ですね。確かに……」
「おや、針谷さん。奇遇ですね」
受付スタッフの応対を最後まで待たず、背後から声をかけられる。
そこにいたのは、いつも剣崎の傍に控えている秘書であった。
ぴしっとスーツを着こなした女性だ。背は針谷程ではないが高く、女性の中では高身長な方。
眼鏡で覆われた強い釣り目が印象的だが、これが社長の前だと比較的和らぐのだから不思議だ。
どうやら針谷が建物に入ったのとほぼ同時に戻ってきたらしく、手元には鞄が握られている。
「これはどうも、ご無沙汰してます」
「それにしてもいいタイミングですね。報告ですよね?私も一緒に向かいます」
受付に一言二言残し、針谷と秘書は奥にあるエレベーターへと歩き出す。
エレベーター脇には案内図が張られており、そこには数多くの部署の名前とその所在が書かれている。
もっぱら針谷隊が行くのは防衛企画課、装備開発課、広報課の三か所。
それぞれ隊に所属する三人が懇意にしている部署でもある。
逆にほとんど赴くことが無いのが事務、研究課、コールセンター、その他諸々といったところ。
あくまで一兵士、一社員に過ぎない針谷にとって、本社の人間の多くが何をしているかなど気に留めたことも無かった。
しかし彼等もまた、デスクやラボという戦場で日夜国の為に戦っているのだ。
そんな事をぼんやりと考えているとエレベーターが到着する。
乗り込むとそこには誰もいない。針谷と秘書の二人だけが最上階の社長室へと運ばれていく。
「あの」
「はい?」
「三日間のフロンティア出張、ご苦労様でした。どうでしたか?」
特に仲のいい関係でもない二人は静かに移動し続ける。そんな中秘書から針谷へと唐突に切り出された出張への感想。
どうだったか。その言葉に含められた意図までは察せなかった針谷は、なるべく相手を刺激しない言葉を選ぶ。
実に慣れ親しんだ仕草であった。
「やはり餅は餅屋というべきか、悔しいことに魔法への研究はあちらが遥か上を行っている、という感想です」
「貴方が出張している間、剣崎社長はずっと気に掛けておりました。あちらは女所帯だから苦労してないか、と」
「ははは、それは光栄です。と言っても悠君の所に厄介になりましたし、思ったほど大変ではありませんでした」
出張の三日間、針谷は全て悠と過ごしていた。
これは針谷が提案する前に悠から切り出されたことだ。
もし寝泊まりでホテルを使ったりするなら今住んでる寮に来てはどうか、と。
流石に学生達が使う量に社会人の自分が行く訳には……と考えていたのだが、琴森の許可と悠のお願いの二つで断り切れなかった。
実際過ごしてみれば、布団の用意だけすれば非常に過ごしやすい部屋だった。
冷暖房は完備しているし、悠が男子であることから部屋には風呂シャワー室もある。
掃除は少々手間だろうが悠はその辺り抜かりない。ピカピカな浴室を維持している。
寮には共用のキッチンもあり自炊にも困らない。朝、夕は早めに起きた針谷が作って二人で済ませることも多かった。
ある日の夕飯では針谷が悠と夕飯を作っているところを他の生徒が写真に撮ったり、夜食欲しさにキッチンに来た生徒と夜食作りを手伝ったりもしていた。
針谷本人も気づかない内に、悠の保護者兼、料理をしてくれる優しい巨人(女子生徒基準)として密かに人気を得ていた。
寝る時川の字ならぬリの字になり横になっているときの悠は、本当に幸せそうだった。
針谷も悠と一緒に寝ることは少なかった。互いに勤務地が違うし、週に一回は会ってると言っても泊まりまでは滅多に出来ない。
この三日間、針谷にとっても悠にとっても幸せな三日間だった。
今にして思えば、そういう目論見も社長にはあったのかもしれない。
針谷はそう思うと、やはり憎めない人だと認識を改めた。
「実を言うと、ここに勤務する前はフロンティアで働いていたんですよ。もう随分前の話になりますが」
「そうなんですか!?えっ、ということは社長秘書になられる前の……?」
「はい。ですので、貴方の報告書を見てたらなんだか懐かしくなってしまいました。今もあの洋食屋さんあるんだ、って」
いつも冷静沈着で、社長以外には滅多に感情を見せない秘書である。
しかし彼女もまた針谷の報告書の密かなファンであった。
特に今回の出張先には思い入れもあり、一通り目を通すとその街の情景が浮かぶようで。
貴重なお休みに食べた、当時の自分にしてはお高めのランチを思い出して笑顔が零れてしまい、仕事中に剣崎に見られるといった一幕があった。
余談だが、その日の剣崎は少しだけご機嫌でもあった。剣崎は金と、人の幸せそうな笑顔が好きな男だった。
「魔法少女への憧れはありませんが、あの街は好きです。誰もが優しくて、助け合いの精神がある素敵なところでした。ご飯も美味しいですしね」
「正直に言えば、そこからML社の社長秘書になるまでの経緯がまったく予想できません。一体何があったらそうなるんですか?」
「それはですね……おっともうすぐ到着しますね。話はまたいずれ」
「なんて話の切り方をするんだ」
ふふ、と笑う姿を見て針谷は、この人そういう話し方するんだ……と失礼にも程があることを考えていた。
同時にエレベーターが最上階への到着を報せ、二人は足早に降りる。
そう長くない通路を経て社長室まで到着、秘書がドアをノックして声を掛ける。
「なんだ?」
「ただいま戻りました。下で合流しました針谷隊員も一緒です」
「そうか、入ってくれ」
扉を開けばそこには老眼鏡をかけた剣崎がデスクに控えている。
その目はデスクに向かっており、手は動かし続けている。今もいくつかの書類処理中であり、暇そうには見えない。
老人と言う程ではないが中年は過ぎようとしているプライドの高い剣崎にとって、遠慮なく老眼鏡を掛けられるのは執務を行う社長室くらいだった。
そしてその姿を見せてもいい程度には、針谷を信用していた。
「即応部隊所属、針谷隊隊長針谷大和。ただいま戻りました」
「ご苦労だったな。出張直後に呼び出してすまんとは思ってる。できればもう少し日数を増やしてやりたかったが、中々そうも言ってられん」
「いえ、今回の出張は自分にとって非常に意味のあるものでした」
「そうでなくては困るからな。……あー帰って来て早々済まないが、これらの書類を各部署に頼んでいいかね」
剣崎はおもむろに秘書に向け、書類の挟まった青いファイルを手渡す。
それを受け取った秘書は受け取り、社長に確認を行う。
「承知致しました。
「そうだな、
「かしこまりました。では行って参ります」
今到着したばかりだと言うのに、社長の命令に嫌な顔一つせず秘書は退室していった。
針谷が怪訝に思っているのが顔に出たのか、剣崎はため息を一つ吐き、手元の書類を一度収めてから老眼鏡を外して答えた。
「ここからは内密な話になるからな、二時間程席を外してもらった。とりあえず座れ、厄介な話になるぞ」
「え、あぁ、そういうことですか。では、失礼します」
「おう。それから私達二人の時はそこまで立場を考えなくていい。個人として話してくれると話が早くて助かる」
先の社長秘書とのやり取りはある種の暗号になっているようだ。
長く務めた二人だけに通じる、重要あるいは機密情報を話すときにのみ渡す白紙の詰まったファイルのやりとり。
今頃秘書はピックアップしておいた部署の抜き打ち視察に行っている頃だろう。
そして針谷と剣埼、互いに社の重要機密の最奥である『人型
彼らは既に一蓮托生だ。世界を混乱へと突き落すスキャンダルを握っているのだから。
本来ならこれらの情報も『小部屋』*1でやり取りをするべきなのだが、社長室とて生半可な機密性ではない。
この部屋で使える通信設備は社長のPCのみ。魔力による念話や望遠防止の為、窓は全て魔力流動式強化ガラスで構成されている。
ビルの最上部である為高所であること以外、欠点は無いと言えるだろう。
「さて……データは確認した。とんでもないことになってきたな」
「お恥ずかしい限りです……」
「そんなことはない。2級討伐官相手に15戦11勝4敗。勝ち越せば上々と思っていたが、想定以上だ。鼻が高いよ」
勝ち越せば上々。つまり剣崎は針谷が全敗するなど欠片も考えていなかった。
どれほど強力な魔法を扱っても所詮少女。戦術を用いる我らがML社の兵士が、同条件で負け続ける等起き得ない。
ましてや隊長を務める針谷だ。その実力は言うまでもない。
惜しむらくは、力という土俵で勝てない者がいることだ。不動カイナを含め、身体能力の向上に魔力を費やす者達に上を行かれている。
ML社は弱い兵士達で強大な
剣崎は得られたデータからそう結論付けた。もっとも針谷が恥を覚えたのは、全力で少女達相手に戦いを挑む自分の好き勝手さについてだが。
「強くなったな、お前は」
「……それは」
「察しがいいのも困りものだ。端的に言って、今のお前では誰が付いても足手まといになるだろうな」
剣崎は随時送られてきた戦闘中の録画を何度も見返した。
特に『宗形 蓮』との戦い、槍捌きを体を逸らして何度も躱す光景。
彼女の連撃はあまりに早く、ML社開発の既存のどのセンサーでも捉えきれない。
避けているのは針谷自身の反射神経と、魔力による身体能力向上で補っているのだ。
アーマーもそうだ。腕部はまだいい、攻撃に使う部位であり針谷も魔力による強化を行っていて破損は見られない。
だが魔力循環の意識が疎かになりがちな膝や脛、背中の装備は耐久限界を超えて悲鳴を上げている。
どんな難敵であっても、新品の装備がたった3日の戦闘で壊れる程ML社の装備は脆くない。
最新鋭の装備でも、今の針谷の身体について来れないのだ。
となれば次は人間もそうだ。今の針谷の身体能力について来れるのは、それこそ魔法少女しかいないだろう。
部隊長である針谷は、選択を強いられることになる。
「お前には我が社の重要戦力として、この国を守る為存分に力を振るってほしいと思っている。だが、その為には隊を解散する必要があるだろう」
「それ、は……」
「更に言うなら、その力の事もある程度公表する必要がある。お前達のチームワークが出してきた戦果も知っている。そして目立つことが嫌いなのも。難しい選択だが針谷、お前は選ばなくてはならない。……選べ」
沈痛な面持ちで、剣崎は針谷に突きつける。
「隊を解散するか、沈黙し続けるか。前者ならば隊は解散後再編、今後はお前一人のポストを設け独自に動いてもらうことになるだろう。後者なら、いつも通りに戻るだけだ」
「……」
「まだ秘書が戻ってくるまでしばらくかかる、十分以上に考えろ。……私もこのような境遇と直面するのは初めてだ。だからこそ、まずはお前の選択を尊重したい」
そう言うと剣崎は席を立ってその場を離れる。
社長手ずからお茶を淹れにいったようだ。
それを目にしながら針谷は、出来る限り冷静に考える。
既に精神のキャパシティは限界が近いが、それでも考え続けなくてはならない。
(僕が一人で動く、それは効率的かもしれない。けれど大塚さんと木山さん、彼らはどうなる?)
(二人は優秀だ。
(懸念はある。僕の中にあるこれは何時まで保つ?次の日使える保証はどこにもない、ならば今まで通りの運用をするのがベターだ)
(けれど個人で持つには、これはあまりに過剰な力だ。
(社長は諸々のリスクを鑑みて僕に選択肢をくれたんだろう、僕の感情を優先しろと……いっそ命令してくれればどれだけ楽か)
命令ならば自分が責任を負うことはない、指示に従えばいい。
いつも通りだ。訓練の命令、出撃の命令、書類提出の命令に従い続ける日々は楽だった。
出撃後は現場判断が求められるが、それでも最善を選び続ければいい。
じゃあ今目の前の問題の最善は?分からない。正真正銘、全人類の内誰も挑んだことのない状況だ。
(……俺達の隊長はあんたしかいない、か)
(僕は二人にとって、相応しい隊長になれてるのかな)
静かに熟考を重ね続け、お茶も冷めた頃。ようやく針谷は顔を上げた。
「決まったのか?」
「いいえ。社長、このお返事は後日でも構いませんか?」
「なるべく早いと助かる。2、3日中に答えは出そうか?」
「はい、必ず」
「ならいい。この件についてはお前の裁量に任せる。笹島君にも影響するかもしれん、相談するのもいいだろう。午後からは部隊に復帰しろ、以上だ」
「了解しました」
そう言うと剣崎はお茶を飲み干し、針谷は席を立つ。
退室しようとするその背中は迷いを多く背負っている。
万能にも器用貧乏にもなれない人間が力を手にしたところで、何をすればいいのか分からない。
もっと短絡的であれたら。もっと聡明であれたら。もっと俯瞰的であれたら。
中途半端に悩まずに済んでいたら、もっと快活に生きられただろうか。
そんな苦悩が重しとなって、針谷の胸中を苦しめていた。
剣崎はそれを知っていながら、何も言わず退室を見送った。
誰もいなくなった部屋で一人、剣崎は自責の念に駆られながらも未来を想い呟いた。
「いつか大きな転機が来る。その時お前が選択したという事実が、必ず助けになるだろう。だから……耐えてくれ、針谷」
「───針谷大和、本日より復帰します。伊崎隊長、本日までありがとうございました」
「こちらこそ、いい経験になった。……どうやら
「ははは……大人として悩まされることばかりです」
針谷は所属支部に到着し、まず伊崎への挨拶に向かった。
隊の二人を預かってもらった感謝を示す為に行ったのだが、どうにも伊崎の目は胡乱げだ。
自分に対する目が怖い。何かを探るような、値踏みとまではいかないがそんな目だ。
「まぁいい。二人も外で待機している。午後訓練には参加するのか?」
「はい。どれだけ腕を上げてるか確認しなくては」
「……まったく、お手柔らかにな」
伊崎は会話の中で鋭く針谷を見ていた。この男は何かが変わった、そして取り返しのつかない何かを抱えている。
それが自分には解決が到底見込めなさそうだとアタリを付け、なるべく早く二人に会わせることにした。
散々針谷が戻ってこない愚痴を聞かされたのだ、さっさと会わせた方が面倒は無いのだ。
そうして促されて出ていった先にいたのはやはり、大塚と木山だった。
「おっ、おぉ!隊長ォ!やっと戻ってきたんだなァ!いやぁ出張お疲れさんだったなっ!」
「お疲れ様。……大丈夫?大分疲れが残ってるみたいだけど」
「お疲れ様です。お二人ともお元気そうで何よりです。疲れたくらいで訓練はやめませんよ、木山さん」
「別にそういうんじゃ……あぁもう!お帰り!」
「お帰り隊長ォ!」
あぁ、ダメだ。
この隊から離れたくない。
「……はい、ただいまです」
たった数回の会話は、針谷の心を強く揺さぶった。
誰かに笑顔で受け入れてもらえることの嬉しさを知ってしまっている。
彼らは特別な関係でなくとも温かく、何度も命を預けてきた戦友達だ。
この二人と共に築いてきたものがあまりに多すぎる。そんな二人と離れたくはない。
針谷は改めて、二人と向き直った。
「お二人共、実は───」
『緊急事態発生。市街地にてM型
彼は強くなり過ぎた。
次回 第二十話「絆」