舗装されていない地面が続く中、
地面の小石を踏んでも、目の前をカラスが飛ぼうと、住民と擦れ違おうと一切反応を変えない。
何事も無かったかのように緩やかな足取りで先へ先へと進む。
やがて遠くに神社らしき建物が見えてからもそれは変わらなかった。
(どうにも、意識してみると変な場所だここは)
ザッザッと足音を立てているのに足跡が付かない、小石を蹴っ飛ばしても気づけば元の位置に戻っている。
以前自分の記憶を再現させられた時はうろ覚えの物にノイズが走ったりしたのだが、この場所ではそれがない。
だとしたらこの記憶の持ち主は数百年前の記憶を寸分違わず保持しているということだろうか?
それはあまりに非現実的だ。しかしあり得ないと言うには不明点が多い。
針谷はそう思い、目の前の
「───」
人型ではある。だがその中身が人間と同じでないことを、長い
しかし以前相まみえた時もそうだが、この個体からは敵意や害意というものが感じられない。
生命の危機に瀕したのは事実だが、直接攻撃をされたわけでもない。
恐怖を煽りエネルギーを得る訳でもなく、かといって手を取り合えるほど友好的でもない。
とどのつまり、この個体の目的が分からない。針谷の心中はそれに尽きた。
結論は出ないまま推測ばかりが積もっていき、神社へと続く長い階段の前へとやってきた。
これを登るのか……とげんなりしつつも、
現実とは勝手が違うのか、思っていたよりもすいすいと階段を登れる。針谷は小さくも奇妙な体験をしていた。
(あの時とは服装が違うな。まるでこの時代に合わせたような……)
例えるなら袖と裾の長い、光沢のある肌襦袢。長い黒髪と相まって物理的にやや眩しい。
瞳の赤、漆のように黒い髪、真っ白な和装。それだけ見ればまるで古い歴史に現れる姫君の様であった。
しかしそれは人類の敵だ。たとえどれ程人に近くても、存在する過程で人を傷つける。
ただ存在するだけで危険な存在、それが
だがその服装は針谷に不思議な予感を感じさせた。
神を祀る社に向けて歩くにしては随分様になりすぎている。
まるでこの時代の事を知っているかのような姿に、針谷にとって一番当たっていて欲しくない推測が少しずつ固まっていくのが分かる。
なるべく考えない様、しかし頭の片隅に置きながら長い階段を登り切る。
鍛えた脚に夢特有の補正も相まって然程苦労せずに登り切った針谷の視界に映ったのは、なんとも小綺麗な境内であった。
手水場に狛犬、左手に見えるのは神楽殿だろう。正面には本殿が見える。
過去の時代ともなれば、神社というものの有難みも一層違うのだろう。周囲は心なしか神聖な雰囲気を感じられる。
カルトのような異様な崇拝の仕方をしているといった異常も無い。
今のところはまだ、普通の神社だ。
「あれは……神主に、巫女さん?」
厳かな気配を感じ視線をやると、神職を務める人が静かに屋内から現れた。
二人共静かな微笑みを浮かべていて、人当たりの良さそうな気配をひしひしと感じる。
しかし針谷はその顔を見た時、憶測はほとんど確信へと変わっていた。
「あなたに……よく似ていますね」
「───」
「あなたのその姿は『大窪 蛍』の模倣。なら偶然……?」
そのことを問いただそうとすると、背後から足音が聞こえてくる。
そこにはあの長い階段を生身で登りきり、一汗かいたと手拭いで汗を拭く男達がいた。
「あれま、今日は俺達が一番乗りけ?珍し日もあんねぇ」
「祭が近ぇかんね。皆準備で忙しんだ、しばらくはこんなだよ。おっ、神主様!
「───!」
「柴さん、ようこそおいでくださった。日々の御参りですな?」
「へへぇ。かみ様にはいつもお見守りくださってますんで、せめてお祈りの一つでもせんとバチが当たるってもんでね」
「───?」
「ふふ、彼女もこう言ってます。無理はなさらないでくださいね。お腰の方もまだ……」
あまりに気さくなやり取りであり、不穏な気配など僅かにも感じられない。
しかしこれまでの会話の中だけでも、針谷の脳には洪水のような情報量が駆け巡っていた。
(ねぎ、禰宜かな?まさか葱のことではないよな。となると宮司と禰宜の二人で運営しているのか)
(いつも見守ってる……比喩表現にしては気になるな。時代のせいかもしれないが、まるで実在するかのような言い方をする)
(極めつけは禰宜の少女。彼女はこの
(それにさっきから
ならばと
人間を学習しているのか、しかしそれ以上に姿を変えることはなく佇んでいる。
この
ひょっとしたら自分は的外れなところに来てしまったかもしれない。村に引き返してまた違う手がかりを探すべきか。
悩んでいると、
慌てて後を追うが大した距離も移動せず、すぐ立ち止まった。
階段の少し手前、村を一望できる眺めだ。針谷はその風景に僅かな既視感を感じた。
(初めて来た場所なのに、どこか懐かしいような。ノスタルジーを感じている余裕なんか無い筈なのに)
(……本当に?本当に僕はここに来たことが無いのか?俯瞰して見ろ、僕は……っ!)
(違う、僕は
針谷の中でいくつかの情報が光となって、脳内で線を結んでしまった。
もしそうだとしたら、それはあまりにも残酷なことで。
可能ならば、そうであって欲しくはない。そんな苦痛が針谷の表情を曇らせた。
慌てて隣に佇む
「───……」
色の無い、感情の無い存在が、何の変哲もないのどかな風景を見て、その村の人々が暮らす世界を見て泣いていた。
針谷は踵を返し、談笑する彼らの横を通り抜けて足早に奥へと向かう。
しかし本殿へ向かおうにも進めない。眼には映らない何かが針谷を阻んでいる。
「この先に答えはある筈なのに……どうしてッ!」
「───」
「なぜ止めるんですかッ!あなたは、いや
それだけではない。
針谷は叫んだ。どうしようもない現実に、この世界に希望など無いのか。
この世界から希望は失われたのかと。その現実に立った一人気づいてしまったことへの怨嗟を込めて。
苦虫を噛み潰した様な顔になりながらも、針谷は俯いてぽつりぽつりと言葉を溢した。
「……僕の推測を、聞いてください。
針谷は今まで考え抜いて生きてきた。
どうすれば被害を最小に抑えらえるか、最大のリターンを得られるか。
その思考を繰り返してきた針谷は、結論に至るまでの思考速度が限りなく速くなっていた。
それが今、針谷が見ている世界を侵襲していた。
「『大窪 蛍』と禰宜の巫女、彼女の容姿が似ているのは偶然かもしれません。ですがこの村は過去の、
「───」
「でも実際は順序が逆。君が『大窪 蛍』に似せたんじゃない。『大窪 蛍』が禰宜の彼女に、つまり君に似た容姿で生まれた」
辻褄は合う、だがまだだ。
何故、彼女は針谷をここに導いたのか。
針谷の声に震えが混じる。
「村の人達が言う神様。まるで願いを叶えてくれる夢のような存在ですね。そしてその大元の存在がこの先にある」
「……」
「
「……」
「この時代の人々はそれを神と崇め、真摯に祈っていた。見ていれば分かる。隣人が飢えない様、節度を守って。……けれど、いたんでしょう?」
拳に力が入り、深く食い込んだ爪が皮膚に突き刺さり血が流れる。
穏やかな風が煩わしい。鳥のさえずりが喧しい。
まるで怒りに身を任せた自分を宥めるように、その世界は温もりに満ちていた。
「平穏を願う人の対、破滅を願う人が」
「───」
それでも針谷は叫ばずにはいられなかった。この理不尽な世界はここから生まれたのだと。
「誰かが願ってしまったんでしょうッ!?恐怖を、破滅をッ!この世界へ破滅願望を叫んだ人間がこの時代にいた!!」
世界が色を失った。
自分達だけに色が残り、まるでモノクロ映画のように世界が色を失くす。
雑談していた人々はいなくなり、代わりに一人の男が本殿の前に倒れ伏していた。
その男は喉から血が出る程の大きな声で叫んでいた。
この世界の不条理を。故郷は戦火に焼かれ、家族は皆殺され、愛する人は財として奪われた。
帰るべき場所を失い、行くべき場所も見失い、やがて男は
───その人間が最も恐ろしいと思うものとなって人を襲え
───安穏と生きる人間全て絶望しろ
───俺達の死の上に胡坐をかく連中など皆死んでしまえ!
───ははっ、ははははははっ!!
神はそれを聞き届け、受け入れ、世界を造り変えた。
彼女はそれを陰で震えながら見て、聞いていた。
どうしようもなくやるせない、この世界が狂い始めた原因を責めることは出来ない。
その願いが今尚沢山の人を傷つけているとしても、始まりもまた傷つけられた人間だったのだ。
「声が聞き取れなかったのは……ひょっとして、君はもう自分の声さえ覚えていないんじゃないか」
「……」
「それで尚、あの人達の声は覚えている。真摯な祈りの声を聴き続けた君にとってあの願いがどれ程怖かったのか、僕には到底推し量れない」
「……」
「
話し終え、少しずつ世界に色が戻る。
風は吹き、鳥が戻り、先程談笑していた人達も元通りだ。
しかしそれは難尾気休めにもならない、どうしようもない。。
今話したことは全て確たる証拠などなく、全ては妄想が繋いだ与太話に過ぎないのだ。
当事者である筈の彼女は肯定も否定もしない。
そんな彼女へかつて、針谷は感謝を告げた。大切なことを思い出させてくれてありがとう、と。
人間から殺意を、害意を向け続けられた
けれどそれは、もはや誰にも分からないことだ。
「今ならば言える。君は初めから誰かを傷つける為に現れたわけじゃなかった。過去現れた人型
「けれどもし、君がこの記憶を見せてくれたことに何か意味があるなら、僕はやります」
「人を想う気持ちは同じ、ならきっと僕達の目指す場所は同じですから」
どうか、手を。
そんな想いで差し伸べた手には、未だかつてないほどに真摯な願いと祈り込めた。
人間が初めて、脅威に祈ったのだ。
人の味方であれと。自らの意思を持ち、共に往こうと。
その結果、意思を持った
「さぁ、戻りましょう。アレを仕留めたら忙しくなります。手伝ってもらいますからね」
「───」
返事は無かった。だがその手は確かに意志を持っていた。
次回 最終話「モードチェンジ」