【完結】腐血のサルヴァトーレ:TS悪役外道転生 作:WhatSoon
朝起きて、僕は顔を洗い、歯を磨いた。
そうして、リビングに進めば──
「あ……おはよう、和希」
エプロン姿の稚影が、キッチンで何やら料理していた。
「おはよう、稚影」
稚影が帰ってきてから、一週間ほど経過した。
彼女は時折り、七課からの協力要請に応えつつ、それでも必ず家に帰って来た。
家に稚影がいる……その事実は、僕にとって何事にも代え難い喜ぶべき事だった。
「和希、今日はお仕事、無いんだよね?」
「無いよ。稚影は?」
「非番かな……急に呼ばれでもしない限りは」
そう口にしつつ、稚影がフライパンから皿へ、料理を移した。
フレンチトーストだった。
「はい、和希」
「ありがとう……稚影のは?」
「今から作るよ」
その言葉から、もともと稚影が食べようと作っていたものを、僕が起きて来たから渡してくれたのだと理解した。
「待っておこうか?」
「いいよ、先に食べて」
こういう時、遠慮すると逆に気まずくなる。
僕は甘んじて、この気遣いを受け取った。
フレンチトーストを口に運ぶと……卵と砂糖の甘みがした。
美味しい。
半分弱ほど食べた所で、稚影が僕の向かいの席に座った。
そして、フレンチトーストをつつき始めた。
テレビの音が聞こえる。
『都内の水族館特集!可愛らしいメンダコから、絶品グルメまで!?』
呆けて見ていると、稚影が口を開いた。
「水族館かぁ……最後に行ったのはいつ頃だったかなぁ」
「……うーん、僕は思いつかないな。僕の方は10年ぐらい前じゃないかな」
「あ、だったら私と一緒に行ったのが最後ってこと?」
「そうなるかな」
グラス入れた牛乳を飲みつつ、そんな話をする。
「……今日、お互いに暇だよね?」
「そうだな」
「希美ちゃん、今日は来ないんだよね?」
「そうだな」
何が言いたいのだろうか。
首を傾げると、稚影が笑みを浮かべた。
「じゃあさ……どこか、行かない?……水族館とか」
遠慮しながらも、稚影がそんな事を言った。
そこには断られるかも知れないという怯えがあった。
……ああ、デートの誘いか。
それで僕が断ると……いや、断る訳ないけど。
「いいよ、行こっか」
「……うん」
僕が返事をすると、稚影は安堵の息を吐いた。
帰って来てから、稚影はこういった反応をする事が増えた。
自信がなくて、どこか不安そうだ。
それは今まで会えなかった8年の間にあった、僕の知らない時間が原因だろう。
ほんの少しでも、その感情を和らげたい。
そう思うのは、僕の我儘だろうか。
フレンチトーストを口に運ぶ稚影を見て、僕はそう思った。
◇◆◇
大きなガラスを隔てて、魚が横切る。
薄暗いけど、青白い光が反射する。
出来てもう10年弱……真新しさはもうない。
そんな水族館だ。
「久しぶりに来たけど……変わってないね」
そう、稚影は感想を口にした。
「そうか?寂れたんじゃないか?人も居ないし」
周りを見渡しても、客は居ない。
この大型水槽の目玉だった、サメの姿はもうない。
エイはまだ、その姿があったけれど。
「平日の昼前だからだよ。じゃなきゃ、もう少しぐらい客も居るって」
「そうかな?」
「そうだよ。イルカショーとか、ペンギンのイベントだって、平日は午後にしかやってないって」
「それは確かにそうか」
稚影がパンフレットを、ぴらぴらと動かした。
そうして、歩きながら展示物を見る。
「あ、クラゲ」
「……なんかビニール袋みたいだな」
「風情がないね、和希は」
「……ごめん」
ゆらゆらと水槽の中で揺らぐ、白いモヤみたいな生き物。
綺麗だ、なんて感想は僕には湧かない。
「そういえばさ、和希。仕事は順調?」
「ん?順調って、まぁ……順調なのか?」
「何それ……?私が質問してるのになぁ」
「……う、悪い」
稚影が笑みを浮かべた。
「じゃあ、所長さんは元気?」
「元気だよ。未だに、現場まで来る事あるし」
「そうなんだ」
結衣さんの事を思い出す。
異能の“剣”が呼び出せなくなって、数年。
最早、異能力者とも呼べなくなったけれど……それでも、自慢の推理力は健在だ。
今でも、事件の解決に貢献している。
「…………」
「…………」
二人、並んで展示されている生き物を見る。
オレンジと黒の縞模様の魚。
彼等はイソギンチャクと共生している魚だ。
毒性のあるイソギンチャクを棲家にすることで外敵から身を守ってもらう代わりに、イソギンチャクを食べる生き物を追い払うらしい。
毒があって触れるものを傷つける生き物と、毒に耐性があって毒性のある生き物を守る魚か。
互いに利益があって共にいるのだろう。
普通の生き物は、そうだ。
互いに利益がなければ、一緒にはいない。
少し、展示物を眺めていると──
「そういえばさ、和希……」
「どうかしたか?」
「私が居ない間に、誰か他の女の子と付き合うようなこと……あった?」
稚影の言葉に、僕は咽せた。
「っ、そんな訳ないだろ……何で、そんなこと聞くんだ?」
「だってさ……なんていうか、会ってない間に、女の子慣れしてるんだもん。昔はもっと、私と目が合うと逸らしたりして、きょろきょろしてたのにさ」
「いや、そんな事ないだろ……」
「うそ。そんな事あるよ」
稚影の言葉に、僕は頬を掻いた。
「いや、まぁ……色々あったけど。稚影以外の女の子と話す機会も増えたし、職場にも女性は居るし……そりゃ慣れるさ。大人になったんだよ」
「ふぅん、そっか……何だか、内心、複雑だなぁ」
「……ていうか、僕のこと、そんな風に思ってたのか」
僕の小声に稚影は反省する素振りもなく、視線を戻して来た。
「でも、何で女の子と付き合わなかったの?モテるでしょ、和希」
「モテないよ……僕は。それに、浮気なんてする訳ないだろ?」
「恋人が逮捕されたんだから、別れたと思うでしょ?新しく恋人作ったって、浮気とは思わないけど」
唇を尖らせた稚影を見て、何だか可愛いなと思いつつ……その自信なさげな理屈を自信満々に語る稚影に、僕は苦笑した。
「じゃあ、逆に、稚影はどうなんだ?」
「え?私?」
「そう、稚影だ。稚影の方こそ、恋人とか作らなかったのか?」
作らなかった、と答えてくれるだろう。
そう僕の甘えた質問に、稚影は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「作ってた、って言ったらどうする?」
その言葉に頭が真っ白になった。
「そ、そうなのか……?」
稚影は美人だ。
昔は可愛い少女で、今は綺麗な女性だ。
引く手、数多だろう。
僕なんかより、何倍もモテるに違いない。
だとしたら、恋人が居たとしても不自然でもない。
想像する。
僕の知らない男と、抱きしめ合う稚影の姿を──
「なんてね、嘘だよ」
「……あ、嘘か。そうだよな」
安堵の息を吐く。
そんな僕を見て、稚影は笑みを深めた。
「私は和希のことが好きだったよ。ずっと」
「……僕もそうだ。稚影のことがずっと好きだった」
互いに笑みを交換する。
「……ね、少しぐらい、恋人っぽいことしてもいい?」
「いいけど……何するんだ?」
そう問い掛けるてすぐに、手に感触があった。
「手ぐらい、繋ごうよ」
「あ、ああ、うん。そうだな」
握り返すと、指が細いことに気付く。
か細く、力も弱い。
僅かに震えていて、言葉とは裏腹に自信がないのだと分かった。
「…………」
僕は、その弱々しい手を握り返した。
8年前に握った少女の手とは違う。
大人の女性の手だ。
年月は、彼女を少女から女性へと変えたのだ。
なんて事を考えていると、稚影は僕へ微笑みかけた。
「手、大きくなったね。和希」
「……まぁ、大人になったからな」
気恥ずかしくて、照れる。
離れていた時間は長い。
今まで会えなかったのは、彼女に対する罰だ。
そして、今……一緒に居る。
法的には罪は償えている。
だけど、取り返しの付かない罪を贖う事は出来るのだろうか。
悪い事をしたとして、同じ数だけ善い事をすれば、罪は無くなるのか。
無くならないだろう。
それは稚影も分かっている。
幸せになってはならないと、自己嫌悪しているように見える。
帰って来てから、一週間程の短い時間でよく分かった。
稚影は罪を償った、それでも罪は消えない。
それをよく、彼女自身理解していた。
「……どうしたの?和希」
「いや、なんでもない」
それでも、僕は稚影を愛している。
その罪を僕も背負いたい。
稚影が稚影自身を許せないのなら、僕だけでも愛そう。
それぐらいしか、僕には出来ない。
「あ、もしかして……お腹、空いた?」
稚影の言葉に、思考が現実へ戻る。
「まぁ、減ったかな……」
「じゃあ、ご飯食べようよ。ここ、レストランが出来たんでしょ?」
「あー……そうだったな。魚見ながら食べれるレストランだな」
「じゃ、行こうよ。午後に、カワウソとの握手会あるって」
稚影は笑みを浮かべた。
それは弱々しい笑みだったけれど、それでも作り笑いではなかった。
あの頃の明るい笑みじゃない。
少し影のある、弱々しい笑みだった。
それでも、愛おしい恋人の笑みだ。
僕は稚影の手を握った。
少しだけ、力強く。
◇◆◇
水族館から出て、空を見る。
太陽は傾きつつある。
それでもまだ、赤風。
「もう少し、寄り道しようよ」
「ああ、いいよ。何処に行く?」
「……んー、秘密」
悪戯っぽく、稚影が笑みを浮かべた。
何だそれ、と思いながらも稚影の側を歩く。
商店街を通れば……シャッター街になっていた。
数年前、この近くに大きなスーパーマーケットが出来た。
だから、この商店街は……殆ど、開店していない。
「……変わったね、ここも」
「まぁ、確かにな。昔はもっと活気があった」
「だね。あそこの肉屋、コロッケ美味しかったのになぁ」
稚影が名残惜しそうに、そんな事を言う。
寂れた商店街を歩きながら、二人で言葉を交わす。
「本屋は開いてるんだな」
「……アレじゃない?この辺の学校の、教科書の卸屋だった気がする」
「あー、そうだったな。確かに、ここで教科書を買った記憶がある」
「だよね……あーあ、学生だった頃が懐かしいな。私もすっかり、大人になっちゃった」
「……そうだな」
稚影が背伸びをするようなポーズを取った。
……胸が強調されて、僕は目を逸らした。
「和希は高校、ちゃんと卒業出来たんだよね」
「……まぁ、な」
「大学には行ったんだっけ?」
「行ってないな。そのまま、探偵事務所に就職したから」
「ふーん……行こうとは思わなかったの?」
「やりたい事は決まってたからな」
学業よりも、やりたい事があった。
それは結衣さんを手伝う事だった。
そして、稚影の残した『力』を有効活用する事だった。
決して、彼女の献身が無駄ではなかったのだと、人助けで証明したかった。
だから、僕は探偵になった。
異能で人を助ける、探偵に。
「……和希は偉いね」
「偉いか?」
「うん、偉いよ。私はまだ、やりたい事なんて見つかってない。やらなきゃならない事は分かるんだけどね」
稚影は自嘲しながら、苦笑した。
「……別に、もっと適当でいいんじゃないか?」
「え?」
「もっと純粋に、将来性なんて考えず、やりたい事っていうか……こうなりたいとか、そういうのでいいんじゃないか?」
どう言えば良いか、分からない。
それでも、稚影はもう少し我儘になるべきだと思った。
でなければ、彼女は一生、贖罪の為に身も心も捧げるだろう。
それは素晴らしい事だろう。
正しい事だろう。
それでも、そうなって欲しくはない。
僕の我儘だろうけど……嫌だった。
彼女には幸せになって欲しい。
「……はは、困ったな。そう言われると、困っちゃうなぁ。どうしようかな」
「ないのか?もっと単純な、こう、欲望って」
「欲望って……ふふ、言い方が悪いよ。でも、そうだな……あるよ、欲はね」
稚影が笑みを深めた。
少しだけ真剣に、切実な笑みを浮かべた。
「あるのか?」
「うん。でも、引かないでね?」
「引かない。笑う事もしない」
僕の言葉に、稚影は目を細めて……口を開いた。
「私ね……」
「ああ」
「和希のお嫁さんになりたいな」
その言葉に、僕は足を止めた。
急な告白に驚いて、稚影の顔を見た。
一瞬だけ、稚影は不安そうな顔をしていた。
それを見て、何か言わなきゃならないと思った。
揶揄うべきじゃない。
笑うべきじゃない。
稚影の言葉を肯定すべきだと、思って──
「なんてね、冗談だよ。冗談」
稚影は揶揄うような笑みを浮かべた。
「冗談って……」
「驚いた?ごめんね」
冗談だという言葉は、嘘だと思った。
そして、『ごめんね』という言葉は、真実だと思った。
僕が即答出来なかったから、彼女は自分を守ろうと冗談にしたんだ。
それに気付いた瞬間、僕は口を開いた。
「僕は、稚影と結婚したい」
「……え?」
もう、言葉を紡げなくて後悔はしたくない。
自分の感情に素直になりたかった。
8年前の後悔は、繰り返したくない。
稚影を悲しませたくない。
そう思って口にした言葉に、稚影は戸惑っていた。
「あの、和希?自分が何言ってるか分かってる?」
「分かってるよ。冗談な訳、ないだろ?」
「……分かってないよ。私は……なのに?」
稚影は、敢えて、何とは言わなかった。
だけど、その無言には様々な意味が含まれていたのだろう。
彼女の悲しみや苦しみ、懺悔や後悔が含まれていた。
「その上で、だ。僕は稚影が好きだからな」
「……私、8年の間に変わったよ?会えない間に、和希の好きな『稚影』じゃなくなってるかも」
「変わっても、変わらないものだってあるだろ?」
僕は稚影が好きだ。
確かに、彼女は変わった。
罪の意識から自信満々な笑みは薄れた。
身長が伸びて、大人の女性になった。
あの頃の彼女とは、もう違う。
時間が経って、変わったのだろう。
それでも、変わらないものはある。
帰って来て、数日で分かった。
優しさも、思いやりも……心の根底にあるものは変わっていない。
「……変なの、和希って」
「変か?」
「変だよ」
「……まぁ、これが変なら、変でいい」
僕の言葉に稚影は、鼻を鳴らした。
「あーあ、和希もすっかり変わっちゃって。そんな、女をドキドキさせるような事を、恥ずかしげもなく言えるようになって……可愛げがなくなっちゃったな」
「……まぁ、大人になったからな。悪かったな、可愛げがなくて」
「んー、前言撤回。可愛げが『ない』んじゃなくて、『減った』にしようかな?」
「……つまり、可愛げはまだ残ってるって事か?」
「そういうこと」
「……なんだかな」
稚影が悪戯っぽく笑みを浮かべた。
こうして笑っていると、昔と同じ気がした。
僕を揶揄って愛でる、昔の稚影だ。
そんな彼女が、穏やかな笑みを浮かべた。
「ありがとね、和希」
「ん?何で礼を言うんだ?」
「言いたいからだよ」
稚影はきっと、僕の気持ちに気付いている。
言葉にした意味も、きっと分かっている。
ずっと昔から、そうだった。
稚影にはいつも、見透かされていた。
僕は稚影の手を握った。
そうすれば、握り返された。
ほんの少しだけ。
少しだけ、力強く。
肯定するかのように、力強く。
「和希、帰りにちょっと休憩していかない?」
「ああ、いいぞ。この辺に、喫茶店があってな──
「……それ本気で言ってる?」
「ん?」
「……はぁ、やっぱり鈍感だね。大人になっても、女心が分かってないねー」