今は昔、時は五代将軍徳川綱吉公の御代。人を襲う鬼を追って諸国を駆ける侍たちがいたという。
自らを男と言い張る、小柄でめんこい少女がいたという。

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何年か前に合同誌に寄稿した短編小説です。
テーマが「TS」だったんですが、まぁセンスがない。
ご笑覧ください。


鬼斬少女犯科帳

 血の海に寝る男がいた。腹を裂かれ、はみ出した腸が絡みつくようにあふれている。死にゆく男であるが、繰り返し吐き出される呼気には一寸の諦念も混ざらない熱がこもっていた。

 かたわらには男を見下ろす巨大な影。見事な高さの一本高下駄を履いた尋常ならざる赤ら顔の大男である。熊の毛皮を肩からまとい、しんしんと降り始める穏やかな雪をそっと肩に乗せながら、死にゆく男に嬉しそうに話しかける。

「死にそうじゃなぁ」

 ゲホ、と血を吐きながら男は答えの代わりにする。意味するところは『クソッタレ』であろう。

 小山のような男は愉快愉快と繰り返しながら、体に似合わぬ優しい声で語りかけた。

「死ぬるがよいか、生きるがよいか?」

 男は今度はグウウと唸り、口元から血のあぶくを吹き出した。意味は『聞くまでもない』である。

「良かろう。貴様を生かすは陰陽反転の秘術より他にない……死は裏返り生となる。死に行く貴様の体は再生に向かうだろう。望むか?」

 血のあぶくを吹き続けながら男は白目を剥いた。もう残された時間が少ないことを意味しているが、逆に言えばこのような有様でも敵意と殺意で唸りを上げるなど、尋常の意気ではない。

「フフフ。それでは成してやろう! 貴様の全てを裏返し、二度目の生を授けてくれよう! ただし対価はもちろん頂く。ゆめゆめ忘れるでないぞ!」

 

 

 

 

 

 

 さて、岡山城下町の扇屋という米問屋に楓という少女がいた。十の頃から勤めに出ており四年が経ったが、誰よりも熱心に働くともっぱら評判であった。

 しかしある日のこと楓の元に急ぎの知らせが届いた。文の中身は父の訃報であり、生まれた村まで急ぎ戻れと書かれてあった。まだ死ぬには早い歳だろうが、まぁ酒の飲みすぎが祟ったのだろうと楓は当たりをつける。感冒だろうか、卒中だろうか。いずれにしろ過度の飲酒が命を縮めたには違いないと決めつけた。

 楓の父は無頼に憧れるもなりきれず、博打を好むも勝てない男で、元は家柄もそこそこの商家の跡取りだったが全て博打にすってしまい、ほとんど文無しのまま家業を畳んだ男である。酒を飲んでもへっぴり腰で格好もつかず、部屋の隅でくだを巻いていた姿だけが記憶にある。情は薄いが見送りを無碍にするわけにもいかない。

 村まではのんびり歩けば半日だが、そうも行かぬと主人の厚意で手配してもらった駕籠に乗り、エッホエッホと出発した。

 故郷の村に近づくにつれ、楓は悲しいとも惜しいともつかないぼやぼやした感情に苛まれて落ち込む予感を覚えた。今は平気であっても、どうせ父の顔を見れば泣き出してしまうんだろうなぁと思う。そして万事滞りなく葬儀が済めば、母と弟と一緒にやれやれとなけなしの涙の痕を拭ってさっぱりできるだろうと。

 ところが村までもう間もなくという所で駕籠かきが急に足を止めた。何事と思って顔を出しててみると、同心を何人も従えた奉行と思しき男が立ちはだかっているではないか。

「中の者、出て参れ」

 駕籠かきの真似をするまま、楓はハハァと這いずり出ると頭を下げた。

 チラリと盗み見ると兜に羽織、十手を手にしている。芸人が演じた捕物劇そのまんまだぁ、と楓は素っ頓狂なことを思う。

「何用で参った」

「お奉行さま、わ、私はあっちの村の出でして……おっとうが死んだいうて手紙もろうたもんで……奉公先から参りましたです」

 途端、奉行の顔に同情の色がよぎった。

「……名はなんという」

「へぇ、父は三郎太、母は絹、弟は弥助、私は楓です」

 奉行はいっそう哀れな顔をして、少女に告げた。

「扇屋に使いを出したのはわしじゃ」

「……えっ? お奉行様が?」

「父ではない……皆じゃ。村の者全員が死んだのじゃ。お前が村のただ一人の生き残り。それを知らせるためにな」

 楓の頭に奉行の言葉は真っ直ぐ入らなかった。父ではなく、村人全員が死んだ……それはつまり、自分の家族もみんな死んだということ? おっ父だけじゃなくておっ母も、まだ六歳の弥助も? あの坊やまで?

 奉行は呆然とする楓に、奉行はさらに追い打つように言った。

 ――殺されだけではない、喰われたのだ、と。

「いま、その、なんて」

 聞き間違えたのかとあえぐ楓に、橋田はうめくように繰り返した。

「喰われたのだ……心の臓ばかりをな。下手人は、おそらく人ではなかろう」

 思わず口走った橋田。無縁の者には口外ならぬとお達しがあったにも関わらず……いや、と思い直すと橋田は自責をやめた。この娘は当事者である。無縁の者などとどうして言えよう。

「そう、これは化生の仕業よ。村は尋常ならざる者に襲われたのじゃ!」

 

 

 

 

 

 

 岡山藩盗賊改の頭目――橋田甚五郎の勧めにも関わらず、楓は村に立ち入り惨状を確かめた。一軒一軒全ての家に争いの痕跡がある。蹴破られた扉、逃げ惑う足跡、染み込んだ血。

 遺体は順に村の中央の広場に運ばれ、寺の坊主が絶え間なく経を読む間、一人また一人と荼毘に付されていく。

 まさかこんなことになるなんて、と楓は燃え盛る炎に当てられながらどこか他人事のように思う。少しばかり湿っぽくなりながらも愚痴混じりの思い出話をしては火の番を務め、供養が済めば奉公先に戻る……そんなことを考えて朝は駕籠に乗っていたのに今はもうまるっきり違う。

 四十九日にまた来るけんね、法要は村のお寺さんじゃけん――やはりさっぱりと諸々を取り仕切る母の強さまで想像し、ああ自分はやっぱりこの人の子だなと思う秋の夕暮れ――そんな光景まで思い浮かべていたというのに、その母もいない。弟も死んだ。

 焚き上げられる遺体はその量のあまり業火となり、十里離れても見えるであろう。奉行の情けで楓の親族はいの一番に弔ってもらったが、楓は最後までその場を離れられずにいた。村長も、むかし世話になった向かいの八重婆さんも、幼馴染のしげちゃんもいた。最後の一人までもが弔われた時、楓はようやく火の側から離れた。

 無残な有様にも気丈に歯を食いしばる楓に、橋田に限らず憐憫を覚える改方の同心達。

 一家皆殺しに留まらず、村がまるごと殺しの憂き目に遭うなどと、そのような境遇に陥る者が世にどれほどいるだろうか。しかもそれだけではない。亡骸は一つ残らず損なわれ無残な有り様。そう、一人残らず心の臓を食われていたのだ。

 狼や虎、または熊の仕業かと疑うこともできたであろうが、きれいに肝だけを裂いて食う手際は知恵ある者の手によるもの。しかし同時に人になし得る仕業とも思えない。人であったとしても、それは間違いなく人でなしである。

 故に化生……化物。

「橋田様……このようなことは、よく……あるのでしょうか」

 我らは盗賊改、このような事件は畑違いだ――橋田はそう答えようとしたが、目を真っ赤にしながらも気丈に前を向いている楓に重ねて哀れみを抱いた。ただでさえ胸が痛むこの事件、憂き目に遭ったのが身内であればその苦しみは言葉にもならないだろう。

「そうさな……化生改が来れば聞いてみるがよかろう」

「……化生改?」

「このような事は多いとは言えぬが時にある。その沙汰を任されるが、化生改よ」

「……その方が、仇を討ってくれるのでしょうか」

 楓の瞳には強い敵意がみなぎっていた。話しすぎたか、と橋田はやや悔いる。

「妙な期待はするでない。さぁもう戻れ。今宵は麓の家に逗留すると決めているが、お前も来るのだ。化生はまだ近くの山にいるだろう」

「この、近くに!」

「急くでない。山狩りするにも人が足らぬ。我らはただ待つしかないのだ」

「……化生改方をお待ちなのですね」

「うむ。行くぞ」

 橋田に促され、楓は隣村に向かった。村には混乱を招かないために惨事は秘められているが、何事かが起こったのだと察する者もいた。伏せることができても二日だろう。

 楓も離れで横になったが当然寝られるわけもない。囲炉裏のそばで横になったものの、目をつむれば家族の姿が思い浮かんで仕方ない。やがて楓は布団から早々に這い出てしまうと、同心らの見張りをかいくぐって村の裏手の山にむかった。橋田からは出歩くなと言われていたが、どうでもいいやけっぱちな気持ちになっていた。

 この村で一番気に入っていたのが山裾の滝と泉である。華厳や那智ほどではあるまいが、楓にとっては日の本イチバンで間違いはない。

 ここでなら、どれほど泣いても誰にも聞こえまい。そう思ったのだ。

 

 ――想像とは異なり、父は母をかばい、母は父にしがみついて事切れていた。さらに二人に抱き抱えられるように弟はうずくまっていた。その姿がまぶたの裏に焼き付いて離れない。こんなにも辛いことが世にあるのだろうか。苦しかったろう、痛かったろうと思うだけで楓は立っていられず、ぺたんと座り込んで泣いた。自分が生きている意味さえ見失ってしまうほどだった。

 

 一体どれほど泣いただろう――そしてこれからどれほど泣き続けられるだろうという時、楓に話しかける人影があった。

「こら、娘」

 ハッと振り向き身構える楓。すわ化物か、と思い護身用にと持ち出した薪割りのナタを構える。

「……そんなもんでどうするつもりじゃ娘。バカ。しまえしまえ」

 早くせいさっさとせい、と楓を急かしながら相手はよっこいしょ、と楓の隣に座り込んだ。

 楓はポカンとしたまま、振り下ろし先を見失ったナタをぶらりと戻す。

 少女であった。それも十二かそこらと思しき少女。村の者でないことだけは確かである。

「それがし、名を矢田門左衛門、仮名をニノ助と言う」

 ニノ助でよいぞ、と。

 男の名を名乗って笑う少女に、楓は手を握りながら言った。

「……どちらのお嬢ちゃん? 早くお家に帰らないと」

「こら! だぁれがお嬢ちゃんじゃ! ニノ助殿であろうが!」

 声を荒げて立ち上がった少女に向かうと、楓は少し視線を落として目を合わせた。長い髪を後ろで一本の総髪に結び、なぜか立派な男物の裃を着て大小二本を差している。しかし声音も体つきも少女としか言いようがない。

「えーと、ニノちゃんはお侍様ごっこがしたくてこんなところまで?」

「ニノちゃんはやめい! 子ども扱いすな! だから! わしは矢田門左衛門! この通り侍じゃ!」

「この通りってどこの通りさ……可愛いお顔、綺麗な御髪、ちんまい背丈。どこからどう見ても女の子だよ」

「そ、それは事情があって……本当は道場でも『力矢田』と言われてたのじゃ……」

「可愛いのに。力とかじゃなくて『えくぼ矢田』とかの方がいい」

 楓が言葉を重ねるたびにズーンと表情を暗くしていくニノ助と名乗る少女。やがて肩をブルブルと震わせると、胸元から懐刀を取り出して額に当てた。

「……ええい、やはりこの格好が悪い! なぁにがえくぼじゃ! こうなれば月代だけでも剃り上げて……」

 まるで切腹するかのような勢いで腕を振り上げようとするニノ助を、楓は慌てて食い止める。

「あ、危ないって! 月代はいいから、わかったから」

「……しかし! しかしじゃ! やはりおなごに見えるのじゃろ? しかも可愛いのじゃろ? これでは、これでは立つ瀬がないわい!」

 一体何をそんなに悲しみ憤るのか全くわからない楓であったが、とりあえず思い付く限りの言葉を並べて慰めた。かっこいい。凛々しい。堂々としている。憧れる――やがてニノ助はすっかり調子を取り戻したように丸めた猫背をまっすぐに戻した。

 しかしどうやら昔は偉丈夫、今は少女の姿らしいということだけは伝わった。妖に化かされでもしたのだろうか。それともやっぱりお侍に憧れている変わった少女でしかないのだろうか?

 楓が悶々とし始めた時、ニノ助は言った。

「娘、貴様、村の生き残りか?」

 不意にかけられた言葉に楓は身を固くした。あらためてニノ助に向き合う。あどけなく可愛らしい顔立ちのまま、口の端を歪めて鼻息荒く、讃えるようにニノ助は言う。

「見事な泣き声じゃった。立派な弔いじゃった」

 褒められたのだろうか。なぜかその言葉が楓の胸に刺さった。出す尽くしたと思った涙がまたポロポロとこぼれてくる。

「ニノちゃん……」

「こら、だぁれがニノちゃんじゃ!」

「ニノちゃん!」

「……くぅ!」

 涙を流してしがみついた楓を力任せに引き剥がすことができず、呼び名に文句も言えずニノ助は変な姿勢で固まる。それが楓には面白く、泣きながら笑うという妙なことになった。

 見目可愛らしいだけに「くぅ」と悔しがる素振りもいちいち愛らしい。可愛らしい少女のナリのまま、妙に伊達っ気に富んだ男気取りの仕草をぶつものだからなおさら可愛い。まぁ奉公先の女将さんに見せれば目を逆立ちさせて叩き直されるであろうが。

 しばらく間そうして甘え、楓はすっかり泣きつくすとようやくニノ助から体を離した。

「元気でたか?」

 つぶらな瞳でこちらを見上げるものだから、楓は思わずよしよしと撫でてしまった。

「よしよし」

「やっ! やめ、やめぇい! やめんか! 武士の頭を撫でるなどと!」

「ごめんごめん。でもあんまりにも可愛いかったから」

 ほっぺをプニプニとつまみながら意見を強調する楓。

「プニプニするでない! うう、くそ……」

 はぁあ、とため息をこぼしながらニノ助は立ち上がった。確かにその仕草は男子のものように思えるが。

「まぁ安心せい。仇はわしが討ってやる」

「仇? 討つって……」

 ニノ助はフフンと笑うと楓の肩を叩きながら言った。

「おう、言ってなかったな。岡山藩の奉行から聞いてはおらぬか? 化生改、矢田門左衛門とはそれがしのことよ」

 ギョッとして楓はニノ助を見る。細い腕、白い肌。脇に手を差し込んで持ち上げてみたものの、目方も年相応の子供らと変わらない。よしよし、と頭を撫でて楓は言った。

「よしよし。ニノちゃん、慰めてくれてありがとう」

「だぁから! ニノちゃんはやめいと言うに!」

 信じとらんなぁ、くそぉ、とブツブツとぼやきながらニノ助は腕を組む。信じていないわけではない。化生改などという言葉が何も知らぬ者から出るはずもない。楓は抗っていたのだ。この少女が仇を討ってくれるのではないかという期待と、それが無残に打ち砕かれる失望の両方から。

 だがそれさえも見抜いていたように、ニノ助はニヤリと笑うと楓に言った。

「楓、山には明るいか?」

「え、そりゃ生まれはここだし、山菜取りも獣追いもやってたけど……」

「やつは味をしめた。これからも一人一人襲っては喰う。やつはここで斬る。そのためには道を案内してもらう必要がある」

 ニノ助が何を言いたいのか、楓にもようやく理解ができた。

「もう一度聞く。山道は詳しいか?」

 楓はぐっと息を呑んで答えた――庭だよ、と。

 

 

 

 

 

 

 その後、楓はニノ助を連れて村まで戻った。

 楓を寝床まで送ると野宿すると再び出ていこうとするのだから、無理に引き止めて一晩泊めた。ニノ助はフンと無愛想にゴロリと床に転がるとすぐに寝息を立て始めてしまった。寒かろうと楓は布団をずらして形としては同衾した次第である。子ども特有の高い体温で楓もすっかり気持ちよく寝られたが、起きるとニノ助が顔を真っ赤にして怒るのだから面白かった。曰く、年頃の娘が云々、恥じらいというものが云々。女の子同士であるのに。

 そして翌朝、楓はニノ助を橋田に引き合わせていた。

 初めは怪訝そうな橋田も、留田新右衛門平蔵、そして化生改の名を出して書状を渡すと態度は一変した。

 楓は知る由もないが、それは岡山藩三十一万五千石を統べる藩主・池田伊予守綱政、直々の免状であった。橋田は驚きに息を止め、やがて姿勢を正してうやうやしく書状を返した。

「矢田様。それではご指示の通りに」

「うむ。帰ってよし」

 え、という楓にも取り合わずに橋田は手下に指示を出し始めた。藩主の命がある以上、行動が曲がることは絶対にない。盗賊改方の同心一同はあっという間に去っていってしまった。

 楓のニノ助に対する疑心も、そのときになるとすっかり消えてしまっていた。

「ニノちゃん……やっぱりお偉いお侍様なの?」

「ニノちゃんと呼ぶなっつーに……まぁもうよい。そうじゃ。どうじゃ! 楓、これでわしが化生改の矢田門左衛門であるとしっかりわかったであろう?」

「う、うん」

 とはいえしゃちほこばって胸を反らせる可愛い少女にであることも確かだけれど――という言葉は楓は飲み込んだ。

「喉に刺さった骨が抜けた所で、さて行くか」

 ためらいなく歩き出すニノ助と慌ててそれを追う楓。ニノ助が指を指し、そこに至る道案内を楓がする。仇を見ればニノ助が討つ。作戦はこの三つしかなく、現実味も成算も楓からは全く見えなかったが、ニノ助の堂々たる自信に押し流されるように山道に踏み入れた。

 昨日の滝壺までまず向かい、そこから一気に山道に入った。歩きにくいのか、大小二本の刀を腰から背中に担ぎ直してニノ助は山道を進む。少女には見合わぬ健脚で、山育ちに楓に遅れることなくついてくる。楓はニノ助の指示に従いながら、水辺や山頂、見晴らしのよいところなどグルグルと歩き通した。どうやらニノ助は化生本人ではなく、何かの痕跡を探しているようだった。

 道中、楓は様々なことを聞いた。

「ニノちゃんはなんで化生改なんてところでお勤めしてるの?」

「男に戻るためじゃ……本当に男だったんじゃぞ!? それに戻りたい一心で今はこのお勤めをしておる」

「ふうん」

「ふうん、て……」

「化生改方は全部で何人いるの?」

「七人」

「お頭様は?」

「さっき名の出た留田新右衛門。わしは平蔵と言うが……優男よ。喧嘩はからっきしじゃな」

「お、お武家様なのに?」

「腕力はな。しかしまぁ……やつに勝てるやつはおらんじゃろうなぁ。詳しくは言えんが」

「ニノちゃんは強いの? 流派とかあるの?」

「鹿島新當流剣術。あとはまぁ……飯縄流、とでも言おうか」

「聞いたことないや……ねぇねぇ、他は?」

「会津与太郎、寺田徳之進、三宅藤次郎、その娘のおみつ、犬のテン」

「……犬?」

「テン」

 別に公方様に気を使ったわけではないぞ、とニノ助。時のお江戸の五代将軍・徳川綱吉公を揶揄するような言葉に楓はびっくりしながらも、化生改の御役を仰せつかる犬とはどんなだろう、と想いを巡らせた。

 その時であった。

「待て! 見つけたぞ」

 突然地に伏せて匂いを嗅ぐように頭を下げるニノ助。比喩や例えではなく本当に匂いを感じ取っていたようで、ニノ助は鼻をひくつかせて立ち上がった。

「くさいくさい。くせぇ妖気の匂いがしやがる……きたねぇ鬼の匂いだ」

「……鬼」

 楓は繰り返し呟いた。鬼、鬼――村のみんなを、家族を殺して喰ったの仇の正体は、鬼。

「よし、道案内はここまででいい。後は任せて村に戻れ」

「いや」

 ニノ助が先程までとは打って変わった厳しい表情で振り返った。

「足手まといだ、と言ったらどうだ?」

「知らないよ! そんなの……仇討ちは、お武家様だけのもんじゃないんだ。あたしの家族は喰われた! だったら、あたしが仇討ちしなきゃ、みんな浮かばれないよ……」

「言ったろう、鬼だと。昔話よりおっかない連中だ。それでも来るってのか」

「鬼だろうが天狗だろうが……構うもんか。あたしは絶対に許さない!」

 しばし見合う二人。やがて諦めたようにフッと笑って、ニノ助はしきりにうなずいた。

「そうよな、町民が仇討ちをしないって道理はない。逆に頼もしいや」

 一生懸命に背伸びしながら、ニノ助は楓の肩を叩き、その勇気を褒めた。

「……ところで一つ頼みがある。特に大きな理由はないのだが、天狗の名は出すな。縁起でもない。特に理由はないのだがな?」

 楓は理由を聞いたが答えてはくれなかった。ただニノ助はうんざりしたような、気分の悪そうな顔をして首を振るにとどめたまでである。何やら事情があるのだろう。

「でも、どんな匂いなの? あたしは全然わからないけど」

「普通はわからん。匂いというても普通の匂いではない。やつらは妖力を貯めようとする。人の心や肝を喰うとそれが貯まるらしいが、その妖力の匂いを嗅いだ」

「心の臓で妖力を……」

「奴らはそれを信じ、人を襲い、力をため、そして……」

「そして?」

「……さて、その先はまた今度じゃ」

 どうやら言えない話のようだ、と楓はニノ助の様子から悟った。奉公先で鍛えられた知らぬ方がよい話だと判断する気配を読む術、その程度のことは楓とて修得している。

 それから一層、慎重に進み始めたニノ助だったが、半刻もせぬうちに足を止めた。

 辿り着いた先は、山の腹に空いた小さな穴蔵であった。

 

 

 

 

 

 

 人が掘ったのか、自然にできたのか。山には時に由来が不明な横穴があるものだが、この時ばかりは鬼の住処になっているらしい。ニノ助は足を止めると少し離れた茂みから様子をうかがい始めた。半歩後ろで楓も見様見真似で同じ動きをする。

 なにか罠を張り待ち伏せるのだろうか、それとも夜まで待って寝首をかく? はたまた昔話のように酒を仕込んで酔わせるとか?

 楓がそのような想像をした次の瞬間だった。

「やぁやぁやぁ! 我こそは矢田門左衛門なり! 地に迷い出た餓鬼めが、そこにおるのはわかっておる! 姿を現し、尋常に勝負せい!」

 まさか名乗りを上げるとは思わなかった楓は驚いた。バカなのかと一瞬疑うも、信じると決めた御仁に対する失礼を内心にて改める。ニノ助はゆらりと本差を抜いて身構える。その横顔は真剣そのもの、ふざけた様子はどこにもない。ニノ助は敵が逃げも隠れもしないということを確信しているのだ。

 穴蔵に声が染み渡るのを待っていたかのように、しばらくの後にぼんやりと人の姿が浮かび上がってきた。ニノ助が大上段から正眼に構えをあらためる。楓は怒りと恐怖で全身に力を込めた。

 姿を現したのは、女であった。着古した茶色の小袖を来た町民の格好をしている。気だるげな表情で乱れ髪を整えながら小幅な足取りでやってくる。楓は現実感を急速に失い頭の中からグワングワンと音が鳴るのを感じた。ニノ助の緊張感、鬼の町民姿、しかし隠すことのできない死臭、腐臭! その全てが調和せず、楓の意識を乱すのだ。

「先程から……追ってきていることは承知している……必死に妖気の跡を追ってきたようだな、犬のように」

「おかげさまで鼻がひん曲がりそうだ」

「……なんだ、小娘が二人ばかしかい?」

「だぁれが小娘じゃ! 矢田門左衛門というとろうが!」

 ニノ助の必死な訴えにも鬼は鼻を鳴らすだけ。寝起きとでもいうのか、あくびを噛み殺しながら気だるげな様子をあらためようともしない。

 ニノ助は構えを変えずに聞いた。 

「ふもとの村を襲ったのは貴様だな?」

「だったらどうしたってのさ」

「仇討ちに参った。尋常に勝負せい」

 鬼はプッ、と吹き出すと大声で笑い始めた――アラヤダ、チョット、冗談オヨシヨ! アハハハハ!

 その様子があまりに奇怪で楓は怖気を止められない。

「ああ、やだ。おかしいったらありゃしないわ。仇討ちねぇ。いいじゃないのさ! やってご覧よ。すっかりお腹いっぱいだったけれど、腹ごなしにはちょうどいいかもね」

「……は、腹ごなし、ですって?」

 楓の言葉に鬼が笑う。

「美味しかったわよぉ。まだ少し残りがあるけれど、お嬢ちゃん、試してみる?」

 ククク、と笑い続ける鬼。楓はその言葉に、一気に正気を失った。視界が真っ赤になり考えが沸騰する。やはり持ち歩いていたナタを振りかざし、気づいた時には飛び出していた。

「お前ぇ! お前がぁ!」

 このナタに毘沙門天様の神通力が宿ればいいのに、と楓は絶叫しながらぼんやりと考える。そうすれば首をはねてやれるのに、少なくともおびやかすことができたろうに。余裕綽々、食事を待つような鬼の顔が……本当に悔しい。きっとキズひとつ付けられないんだぁ、と。

 楓の叫びとナタは、仇に到達することはなかった。一陣の風が吹いたと思うと、楓はすっかり離れたところに浮いていた。突然景色が変わったことに驚きハッとすると、目の前にはニノ助の顔。楓は抱きかかえられているのだった。

 ニノ助は誇らしげに笑っている。

「いやぁ、ようやった。見事だ。立派じゃ。尊敬する」

「に、ニノちゃん」

「まさか飛びかかるとは。えらい。もうこれはお前が仇を討ったようなもんじゃ」

「で、でも……あたし、なんにも!」

「うむうむ。後は任せよ。楓の仇討はこの矢田門左衛門が……いや、楓の友、ニノが預かる。きっちり果たすぞ、見るがよい」

 そういってニノ助は楓を下ろすと、再び鬼に向き直った。鬼もまたゆらりとした仕草でこちらを見ている。

「……貴様、どうやった。どう動いた」

「なんじゃ。見えなんだといってイライラするな。まぁ素早いのはちょっとばかり自慢ではあるがな」

「不愉快な娘だねぇ……だが只者ではないな。あの運足、貴様まさか……」

「まぁ待て。わしも斬る前に一つ聞きたいことがある」

 ニノ助は突如、それまで一切漏らしてなかった殺気を溢れさせた。楓からもわかるほど、空気がひび割れたかのように緊張する。小柄な少女のニノ助がいきなり見上げるほどの大男になったかのような錯覚を覚えた。

「――大嶽丸はいずこじゃ」

 次に激高するのは鬼の番だった。ニノ助の問いかけに、鬼はせっかく整えようとしていた髪を振り乱しながら牙を剥き出しにする。

「貴様ごときがぁ! あの御方の名を口にするなぁ!」

「やはりアレの眷属か。しかし残念、下の下の下下下の下のウスラトンカチのようで残念だが」

「ふざけおって、貴様! 貴様は腕から足からゆっくり千切ってくれるぞ!」

 鬼の女は声にならない叫びを上げると、その形を変え始めた。内側から盛り上がるように膨れ上がった筋肉が、人の皮を破りはみ出ていく。赤い筋肉のすじがむき出しになり、見る間に身の丈八尺あまりの巨躯に変貌した。楓は腰を抜かす。まさに鬼だった。角はないまでも、むき出しの牙は楓の指から肘くらいはあろうかというもの。

 全身に力をみなぎらせながら、今にも飛びかかってきそうな鬼。そこから目をそらしてニノ助は申し訳なさそうに楓にペコリと頭を下げた。

「詫びねばならん」

「……ニノちゃん?」

 てへへ、とニノ助は笑う。怒り狂う鬼との対比が楓の混乱を助長する。

「すまんが仇討ちに見合ういい勝負をする気はないのだ。こんなちびこい娘のナリでもな、我は化生改の矢田門左衛門。化生如きに遅れを取るわけにはいかんのだ。故に、せっかくの仇討ちではあるが、さぱっと終わらせる――見逃すでないぞ」

 楓が何を答える前に、鬼が叫びを上げた。

「化生改だと……!? 貴様、犬公方が手下かッ!」

 鬼の叫びに風が吹く。翻った羽織の裏地が鮮やかに楓の目に映った。そこに縫い込まれていたのは、見間違えることなどありえるはずもない、三つ葉葵の御紋である。

 ニノ助は指を突き出し声を張った。

「応とも! 再び名乗ろう。我は幕府化生改方、矢田門左衛門なり――生類憐れみの令に則り、貴様を打ち首に処す」

 ニノ助が構える。鬼が不気味な地鳴りの如き足音を立てて走り出す。次の瞬間、ニノ助の姿が消えていた。目で追えないなどとそのような生易しいものではない。まさに姿が消えたとしか言いようがなく、気づいた時にはニノ助は鬼の背後にいた。大上段に構えていたはずが、既に斬り下げた後の身構えになっている。

 一拍、直後に血しぶきが舞う――何が起こったのか訳もわからないのか、両手を見ながら鬼はフラフラとあたりを見回した。離れている楓には全てが見えていた。鬼の体は血を吹き出しながら胴体と四肢の五つに分かたれ始めようとしている。刹那の間に、ニノ助は四度も鬼の体に刃を通したのである。

 敗北を、そして死を察した鬼が引き千切れて行く腕を惜しむようにかがみながら、天を仰ぐようにうめいた。

「大嶽丸様……! 申し訳もありませぬ! 田村丸めの剣はいずれ必ず抜き放ちます、必ず、必ずやいずれ……!」

 それが断末魔だった。ニノ助が再び剣を振るうと――見えないように動けるはずなのに、まるで楓に見せるように――鬼はそれきり口を開くことはなくなった。地に倒れ込み、そして最後に首を転がし六つの部位として地に伏したのである。

 楓は呆然と腰を抜かしたまま地に座り込み、やがて鬼を斬った少女が小走りでやってくるまで身じろぎできずにいた。

 

 

 

 

 

 

 鬼の亡骸はいずこから現れた忍装束の男たちによって素早く片付けられ、鬼がいたという痕跡はすっかり消え去り元の静かな山に戻った。麓にあった寒村が元に戻ることはないが、これ以上増えることもないと思うと少しは救われた気持ちになる。

 旅支度を整えたニノ助に向かって、楓はペコリと頭を下げた。

「大変お世話になりました、矢田門左衛門様」

 あらためて声に出したその一言がおかしくて、楓とニノ助は同時に吹き出した。

「ええい、しまらんな。もう良い、ニノちゃんで」

「うん。本当にありがとう、ニノちゃん……これで皆も、安心して……」

「良い良い。これもお役目」

「またどこかで会えるかな」

「その時が来てもわかるまい。筋骨隆々の益荒男に戻っているはずじゃからな」

「えぇ……」

「えぇ……ではないわ! フン!」

「あはは」

 じゃあ、と小柄な侍は手を振り歩き出した。たかが一両日の付き合いだからと至極あっさりとした別れ方。しかし楓は心から救われた思いで、いつまでもその背中を見送っていた。

 後日のこと。斬った鬼の名は赤骨の夕霧と良い、幕府より賞金三十両付きの手配書が回っていた者であったことが調べにより明らかになる。橋田甚五郎が下賜された小判を抱えて米問屋の扇屋に出向き、一同を大いに驚かせることになるのは、また別の話である。

 

 

 

 

 ――数年後、紀の国で鬼と人との一大決戦があったという。山は裂け地は揺れ、津波が大いに荒れ狂った。その空前絶後の戦地に、ひときわ小柄な少女の活躍があったとされるが、後世の記録には宝永地震があったとしか記されておらぬ。


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