八月十七日、変化は起きました。
13577号が持たされている携帯には研究所への連絡先しかなく、知らない番号から電話が来るなんてことある訳がないのに、確かにあの日の夜に携帯に電話が来たんです。
『こんにちわ…いや、今はこんばんわ…か』
電話に出て最初は渋い男性の声で、少々荒々しい呼吸の音が聞こえました。
『先生、本当にこれでよろしいんですか?』
『あぁ』
その次に女性らしき高い声が、”先生”と渋い男性の声の主を呼びました。
『13577号、君はこれから窓のないビルに来てもらう。申し訳ないが拒否権はない。君が抵抗すれば、ある程度攻撃して構わないと迎えの人間に言っているので、抵抗する際は多少の苦痛を覚悟するように』
一方的に通話が切られ、13577号は状況が読み込めないまま、その場で立ち止まりました。13577号の存在を知っているということは、絶対能力進化計画の内容も知っている可能性が高いです。ですが、研究者の大半は13577号を快く思っていないことが多かったです。
しかし、13577号のことを13577号で呼んだことから、相手は研究者で確定です。そして絶対能力進化計画を発案した研究者の名前は木原幻生、あの木原の一人でした。
…絶対とは言えませんが、木原姓を持っている人間であれば13577号のことを知識欲を満たす為に呼び出すくらいしそうですからね。
そんなことを考えていると、背後から数人の足音が聞こえました。…もしかして迎えとやらが来たのでしょうか。そう思って振り向きました。
「よぉ、お前さんが13577号ってヤツか?」
話しかけてきたのはオールバックにした金髪と、顔によく分からない模様がある男です。
「こんばんわ、確かに製造番号は13577号と認識していますと、自分は迎えと呼ばれていた人物と思われる男性に答えます」
「あぁ、そーゆー堅苦しいのいらねぇから」
迎えと呼ばれた男は自分自身のことを木原数多と名乗り、13577号の方へ歩いて来たと思えば、いきなり13577号の顎を片手で自身の方へ向けました。
「さっすが突然変異、御坂美琴と髪色・骨格・声帯・眼球色素…あとは身長がまるっきり違ってるなぁおい」
木原数多から13577号へ向かう目線は、確実にいいものではありませんでした。
言い表すのであれば軽蔑に近しいものであったことは確かです。個人的には少々不快な視線であったことを記憶しています。
しばらくジロジロと観察をされた後、電話越しの指示通りに窓のないビルに13577号を連れて行きました。しかし、木原数多とはほとんど初対面でしたが、あまり会いたくない人間として記憶しました。
「君の目的はなんだ」
窓のないビルに入る直前に目隠しをされ、その状態で移動すること数十分後で13577号に投げかけられた質問でした。問題は質問ではありません。問題は、その質問をゴールデンレトリバーという人間と同じ声帯を持っている筈のない犬が話したことです。それも聞き覚えのある渋い声でした。
「目的、というのは具体的に何のことを言っているのですかと、自分は目の前の喋っている犬科動物に驚きながら返答します」
「そのままの意味さ。君は今、何の為に行動していて、その最終地点がどういうものなのか聞いているんだ」
視界の端で先程迎えと呼ばれていた木原数多の他に、見覚えのない老人と黒髪の女性に車椅子を押して貰っている茶髪の女性が映る中、13577号はあまりにも当たり前のことを聞かれて、首を傾げました。
「絶対能力進化計画で一方通行に削除されることです」
「いや…表向きの理由ではなくて」
「いえ、表向きでなくとも行動の最終地点は絶対能力進化計画で13577号の削除であり、突然変異として生まれてしまった13577号の唯一役立てることだと認識していますと、自分は質問に答えます」
それは13577号という突然変異が布束砥信の足を引っ張らずにいられる手段です。
「妹達はその為に製造された存在であるが故に、突然変異として生まれたからという理論で実験から逃れることは製造された意味を否定します。確かに削除は恐ろしいことだと認識していますが、それでは突然変異である13577号を残しておいた布束砥信という研究者に申し訳が立ちませんと、自分は言葉を続けます」
そんな中、静かに黒髪の女性に車椅子を押して貰っている茶髪の女性が、会話に割って入りました。
「貴女が突然変異として生まれて来たことで、無駄になったものがあることを知っていますか?」
「それは」
「そのいち、培養費諸々。そのに、人員費諸々。そのさん、貴女にかけた時間が該当しまーす」
茶髪の女性が言葉を言い切ると、ずっと閉じていた自身の両目を開きました。
その両目は幼い子供が黒いクレヨンで塗り潰してしまったかのように光がない目で、焦点が酷く分かりにくい目でした。
「なーのーでー…正直、布束砥信という方々ごと諦めて死んでくれませんか?」
視界の端でパチパチと、聞き覚えのある音が聞こえましたが、13577号はそれどころではありませんでした。下っ腹の辺りが燃えるように熱く、逆に頭は硬く凍て付いていました。なるほど、これが”怒り”というものなのですね。
「彼女、貴女に感化されてしまったみたいでー…この間から絶対能力進化計画の邪魔をされているんですよ」
ガツンと、頭を殴られたかのような精神的衝撃が13577号を襲いました。布束砥信が、いなくなったと思っていたあの人が、13577号に感化されたと言うのですか…?そんな訳ありません…あの人は他が思っているよりも
「それに彼女が御坂美琴と接触してしまったことで、御坂美琴も絶対能力進化計画を邪魔しに来ているんですよ。諦めの悪い人達ですよねー」
御坂美琴、その単語が目の前の女性の口から出て行き、”諦めの悪い人達”と言われた途端、全身の水分が沸騰しているかのような強い熱を帯ました。学習装置から入力が行われていた理性は、必死に荒ぶる”感情”というものを押さえつけていました。それも長くは続きませんでしたが。
抑え切れなかった”感情”が茶髪の女性目掛けて、欠陥電気による一時的な移動速度の加速を行いました。練習したことのない方法で、人に向けて欠陥電気を使用したことなどありませんし、トランス状態になる可能性がありました。
素早く茶髪の女性の元へ移動し、胸ぐらを掴んだ状態で床に叩きつけました。
茶髪の女性からの抵抗はありません。何故なら移動中の13577号を観測できる存在はいないからです。本当ならば勢いを付けて踏み付けたいところですが、今回は初対面であったことも考慮し、内臓周りの生物電気の流れに異常をきたすだけにしました。
欠陥電気の使用を停止すると、当然のように車椅子に座っていた茶髪の女性は13577号が叩き付けた床に転がり、次に内臓の生物電気に異常を起こさせたことで苦しみだし、数秒後に鼻血が出ました。茶髪の女性はその真っ黒な両目で13577号を見ましたので、13577号はにっこり笑って見せました。これが”皮肉”というものなんでしょうか。
「諦めが悪いのは一体どちらなんでしょうか」
「貴女…、今…何を」
「初めて人に欠陥電気を使用し、内臓の生物電気に異常を発生させましたと、自分は木原病理の質問に返答します」
そう…”内臓”と一纏めに表現はしたが、明確に言うならば”筋組織以外の組織全体”に異常をきたすようにしたのです。当然脳は筋組織で出来ているものではありませんので、脳が発している電気的信号から、目の前の女性が持っている名前や記憶といった情報を読み取ることも可能です。
「13577号は最初こそ他の妹達と大差ない存在でしたよ。ただ、学習装置から入力が行われていなかった”悪意”を研究者から向けられたことで、自らの意思を形作ったんです。特に木原病理、貴女のように突然変異であることを批判してくる研究者のおかげです」
「私は…、諦めを司っている木原…だから貴女如きの意志を折るくらい、簡単に」
「…何を言っているんですか?13577号が突然変異としてなりうるまでに、様々な可能性を潜り抜けていることぐらい、木原ならば理解していますよね?」
「な、に…を」
「……ふむ、木原といえど理解力自体はそれぞれで疎らなんですね…。つまりですよ、突然変異として製造された13577号は、存在している可能性の塊に近しいんです。そんな13577号に、諦めが通用する訳があるとお思いですか?自分自身が、諦めという言葉を否定するような存在なのにですか?」
そう一方的に突き放して、先程まで会話していた犬科動物らしき相手に向き直って口を動かしました。
「それで、何の御用でしょうかと、自分は犬科動物らしき相手に話しかけます」