兎の女神のヒーローアカデミア 作:眼球舐めは通常性癖
死穢八斎會本拠地。古き良き任侠の男だった組長が倒れ、しかし死穢八斎會の屋敷は整備されて大きく庭も美しい。寧ろ今の治崎が若頭として活躍し始めてからの方が明らかに死穢八斎會の金庫は潤っているのが一目で分かった。
マーシャルレディー改め本名
此処で変に怪しまれたりすれば商談の話がパーになる。大人しく従って30分近い歩行の末ようやく辿り着いた個室にはお目当ての相手が椅子にかけて待っていた。周囲には複数のマスクを身につけたボディガード達が油断なくこちらを窺っている。
「まぁかけてくれ。紅茶とコーヒーならどっちが良い?」
「すまないが喉は渇いていなくてね。商談の話に移りたいのだが」
「……随分せっかちだな。何か急ぐ理由でもあるのか」
空気が張り詰める。指一本でも不用意に動かせば周囲のボディガードが攻撃するのが確信できる緊迫感の中、声を震わせるでも汗をかくでもなく隼子の唇から意味のある音が紡がれる。
「既にヒーロー集団がこの屋敷への侵攻を計画している。一応私も表ではヒーローで通している以上情報は掴んでいてね。上手い商談と前もって情報を伝えに来た客人にこの態度とはたかが知れるな?」
「なんだとぉ!? 落ちぶれた衷降組の娘がウチの美味い汁啜らせてやろうってこの場に立たせてやったんだ!! それだけでてめぇは地に頭をつけて感謝するべきだろうがクソアマがッ!!!!!」
今やボディガードの1人と一触即発の状況で手を上げて黙らせたのは治崎だった。
「先ずは事実確認が先だ。今の話本当か?」
「本当だ」
突如自分の口が勝手に開き出した事に驚いたように手を当てる隼子。
「それで商談含めて俺たちを裏切る気はあるのか?」
「そんなつもりは無い。衷降組復興の資金にするつもりだ」
またもや勝手に喋り出す口。それを見て満足したように治崎が薄ら微笑む。
「ならば商談は成立だ。話は早い方が良い、早速その
「へぇ」
ボディガードの1人が隼子のボストンバッグを開けて確認する。ジッパーを開けると中には簀巻きになった全身真っ白の異形な少女、大筒木カグヤがいた。どうやらクスリか何かで眠らせているようで反応は無い。
「オーバーホール、確かに例のブツです」
「……そうか、アレを寄越せ」
重厚なケースに入れられたハンドガンとカプセルのような形状の銃弾。治崎が弾を込め始めた所で嫌な予感がした隼子は直ぐに静止する。
「何をするつもりだ?」
「ああ、完成品の試し撃ちさ」
無情にも止めるまでもなく何の躊躇いも見せずにハンドガンをカグヤの腹部に撃ち込む。ビシュッと肉を銃弾が裂く音が確かに隼子にも聞こえた。眠らせていたカグヤもその痛みで目が覚めたのだろう。ゆっくりと痛みに呻きながら動き始めた。
「話が違うぞ! カグヤは複数個性持ちの素体として研究するとの話だった筈だ!」
「ああ、だから個性は必要ないだろ? 取引相手も望んでいたのは大筒木カグヤの身体だ。個性までは問われていない。それにこれからの商売にこいつのような厄介な病気持ちは邪魔になる」
「な、何を言って……」
動揺する隼子を無視して治崎は部下に命令してカグヤを起こして立たせる。目覚めたばかりのカグヤは状況を読めていないようで戸惑い、絶望した表情で隼子を見つめている。
「な、何なんじゃこの状況は!? ──マーシャルレディー!? う、嘘じゃよな……?」
直ぐに個性を使おうとしたのだろう。しかし額の第三の目は閉じて、骨を出そうにも出せないのか、
「何故じゃ!? 『個性』がつ、使えん!??」
悲鳴のような裏返った声が隼子の耳に飛び込んでくる。聞いているだけで悲痛な気分にさせてくるような悲しい声だ。
「教えてやろう大筒木カグヤ。今お前が撃ち込まれたのは個性を消失させるクスリの完成品だ」
「え、ち治崎!?」
「栄えある病気解放者の1人になれた事を誇りに思え」
床に項垂れて落ち込むカグヤを前に隼子は何も言わない。
複数個性の強さで挫折を知らなかった女の子に訪れた絶望。ヒーローとして活動していた隼子にとってもあのようにいきなり生涯付き合って来た個性を奪われたならば彼女のように嘆かないとは分からない。
「へっへっへ、泣いてますぜこいつ。所詮学生ってことだな」
「ガッツが足りんな! 殴って良いか?」
「ダメだ。こいつにはまだ利用価値がある。引き渡す前にAFOの情報をなるべく細かく引き出す」
それまで様子を見守っていたマスクを着けた人物の1人が不意に若頭である治崎に声をかけた。オーバーホールの腹心の1人だ。
「すいやせんオーバーホール。ちょいとあの娘おかしくないですか?」
「? 何がだ? 時間が無いんだ。どうでもいい事なら後にしろ」
「……あの娘、たしか異形型の個性持ちでもあるんでしたよね。個性破壊弾を撃ち込んだなら異形の角や額の目玉が消えねぇのは不自然じゃねぇかと」
(確かに……。壊理の個性を考えれば異形型も等しく影響を受けて普通の人間に戻るのが自然。個性は使えていないようだが何故この娘は個性が完全に消えていない?)
「個性因子の破壊……いや巻き戻しが追い付いていないのか。興味深い」
「どうしやすか? もう一発撃っときやす?」
「流石にまだ製造ラインが安定してない。……研究する価値はあるな商談相手に取引が遅れると伝えておけ」
「へえ」
それまで居ない者扱いされていた隼子はようやく口を挟める機会を得て実行した。
「それで……約束の金は?」
「既に用意してある。確認してくれ」
取り出されたアタッシュケースを慎重に開けて、束を数える。懸念していた偽札も数の誤魔化しも無い。正直拍子抜けしたぐらいだ。
「確かに……約束の金額受け取った」
「……今の時代に必要なのは資金と確かな情報だ。これからの大事な取引先を裏切るメリットなぞ存在しない」
「それは賢い。正に次代の極道の器だよ」
隼子の皮肉めいた言い方に一歩出ようとしたボディガードは治崎のひと睨みで黙りこんだ。それだけで荒くれ者どもをまとめ上げて統率するだけのカリスマがある事を暗に証明しているかのようだった。
用事を済ませて帰ろうとした所で大きな地響きが地上のほうから聞こえて来た。続けて喧騒が遠くの方で僅かに聞こえる。ヤクザの事務所に正面から突っ込んでくるような者などいない。であるならば警察かヒーローか、或いはどこぞの鉄砲玉か。どちらにしろ厄介ごとであるのは間違いないだろう。
「襲撃か!?」
「音本……こいつをもう一度問いただせ」
「はい。『この襲撃はお前と組んだ奴等のものか?』」
「『いや、違う。私はこの襲撃について知らない』」
「……どうしやす?」
「今こいつがヒーローに捕まったらパイプが少なくなる。裏口からこっそり出て貰うとしよう。案内してやれ」
死穢八斎會本部前。既にヒーローや警察官達は当初の襲撃予告よりも前の時間に集合し、突入の準備を始めていた。インターン先のヒーローや他の地域のプロヒーローが出張る中で緑谷達のインターン生は知り合いの姿が見当たらない事に気づく。
「あれ大筒木さんは? マーシャルレディーの姿もないし……」
「急に時間が変更になった所為か?」
「いや、うちもそう思って寮の個室見に行ったんやけど中にはおらんかったで。てっきり先に行ったとばかり……」
話し合っても事情を知る者はいない。それはビッグ3や他のプロヒーローたちも同様で唯一サー・ナイトアイのみが『そうか……』とだけ答えにならない返答を返すのみ。彼女達の行方が気になるが、先ずは目の前の大仕事に集中。指定敵団体の死穢八斎會の摘発。
プロヒーローでも生涯に一度あるかないかの大仕事だ。ましてやインターンの身である自分たちが別の事に気を取られる余裕は無い。警察の捜査令状を無視して出迎えた組員達の間を駆け抜けて走る。あの時救えなかった子を今度こそ助ける為に。
(何やら暗い部屋に閉じ込められてしまった……)
個性は使えなくなるし、気分はかなり落ち込んでる。あれほどまで頼り甲斐のあったこの体が雪のような白さの肌も相まって余計にひ弱に見えてしまう。撃たれた腹部の痛みはもうないけど妙に痒いし怠い。
(まさかマーシャルレディーに裏切られるとは思って……無かった訳でもないけど……やっぱりショックだな)
『あの糸目女にマスク男め。ワラワに斯様な思いをさせたこと後悔させてやる』
(ん?)
『それにしてもこの弾……厄介じゃな。力が出ぬ』
(ん〜〜?)
なにか頭の中から声がする。すごく聞き覚えのある声だ。それもごく最近に聞いたような……。
(……もしもし)
『黙れ。先ほどから煩わしいわ』
(……えぇ)
間違いない。この理不尽な感じ、あの時AFOを前にして私の体を操った奴だ。どういう仕組みか分からないがどうやら個性消失弾を受けて尚対抗しているらしい。普通なら個性が完全に無くなるところを防いでいるのだから十分スゴイのだけど、やはり弾自体の効果は凄まじいようでずっと唸っている。
いったいこの御仁が自身の体の何処にいるのか定かではない。だから適当に自分の体に向かって意識を飛ばすイメージで話しかけてみる。前は勝手に操られて良い印象は無いけどあの時助かったのは確かにこの人のおかげだ。だから今回の危機もこの人と協力すればなんとかなるはず。……てか個性が使えない現状、彼女に頼るしかない。
今の私だと縛られてる紐すら千切ることも出来ない有様。こうなるのならばもっと地力を鍛えておけばよかった……。
「あ、あのぅワラワたち……協力出来ぬか? ほら、よく分からんがオヌシワラワの中におるみたいじゃし……このまま此処にいたらきっとヤバいぞ」
『……端末の分際で生意気な』
「た、端末ぅ?」
何のことだかさっぱり分からない私を放っておいて『うむ……しかし』『ネズミの手も借りたいとはこの事』と脳内で呟く。さんざん迷った結果本当に渋々といった感じで、
『ワラワはこの弾の対処に忙しい。その間に貴様は此処から抜け出して、あの糸目女とマスク男を探し出せ』
「いや、抜け出そうにも縛られとるんじゃが……。それに個性が無い状態で暴れようにも……」
『チッ、使えんやつめ』
とだけ言うと私の袖の中から黒い裂け目が。いつもよりかなり小さくて弱々しい裂け目は確かに黄泉比良坂のそれだ。
『今はこれが限界か……忌々しい。弾の分解が済むまでキサマは精々逃げ回っておくんだな』
その小さな隙間からニュルっと出てきたのは黒い軟体生物。丸々お目目にギザっ歯の可愛いあんちくしょうが私の袖から覗いて目が合う。
「おおぅ黒ゼツか」
『母さん? 此処は現世かな?』
それ以降はどんなに話しかけても中の人は答えを返す事が無かった。きっと集中しているのだろう。とりあえず縄は黒ゼツがなんとか解いてくれた。白ゼツと違って何かに寄生して本領を発揮する黒ゼツの戦闘力自体はあまり無い。その代わりに土遁のような地面や床を介して移動する能力がある。存在からして危ないからこっちに連れ出すのはもう少し後にしようと思ってたけど緊急事態だ。仕方ない。
「よしっ先ずはバレないように2人の捜索を頼むぞ。容姿は先ほど伝えた通りじゃ」
『分かったよ任せて母さん!』
落ち込んでたけど思い返せば上の方で大きな騒ぎを感じた。ヒーローの皆の襲撃がもう始まっているのだろうか? そして頭の声の正体と狙いとは?
暗い地下通路を今はただ駆け抜ける。