肉塊の魔女   作:なな

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な?


1 呪子の誕生

 わが子の顔を見ることなく母親の命は果てたが、むしろ彼女は幸運だったろう。

 

 呪子(のろいご)が産まれた。

 誰の目にもそれは明らかだった。

 

 母胎を食い破るように生まれた赤子は、文字通り血の赤に塗れていた。

 肉体にはいくつか足りない部分があり、また余計な部分があった。真っ赤な肉が蠢いて、ぐちゃぐちゃと気持ち悪い音を立てる。腕や脚の末端は裂け、捩れ、愉快な振り付けを踊っている。

 頭と四肢があるから人に見えるだけの、蠕動する肉塊。

 

 生きるだけで呪いを振りまき、また殺した者を呪う災厄、それが呪子だ。

 だから呪子は捨てなければならない。それも、可能な限り早く死ぬように。

 

 長老は父親がその役目を果たすべきだと判断した。

 愛する妻を殺した肉塊を背負い、彼は「澱みの森」に踏み込んだ。

 

 木こりも狩人も引き返す境目を超え、さらに森の深く。

 一歩進むごとに霧は濃くなり、もはや目の前すら定かではない。

 呼吸をするごとに気が遠くなり、肺は千の針で突き刺されたように痛む。

 

 そこまで来てようやく彼は足を止めた。

 枯葉に覆われた地面に、そっとわが子を横たえる。

 

 肉塊は泣き声一つ上げず、じっと彼を見つめ返してきた。まるで彼が実父であることも、今まさに獣の餌にされようとしていることも、何もかもを見通しているように。

 

 おぞましい。

 

 その不気味な姿を見て、わずかに感じていた親子の情も消え失せた。

 父親は踵を返し、そして、

 

 濃霧から現れた牙に胴体を食い破られた。

 

 鮮血が噴き出し、赤子にふりかかる。

 胎内にいたころの温もりを思い出し、赤子は安堵の感情を覚える。

 

 霧の中から現れたそれは、狩人が見れば鎧を纏った狼と言っただろうし、神父が見れば悪魔の使いと言っただろう。

 ばりばりと骨を噛み砕き、内臓を啜っている獣には、まだ名がついていない。

 澱みの森の深く。人間の立ち入らない領域に棲む獣。出会うものはおらず、出会ったときには死んでいる。そんな禽獣がここにはごまんといる。

 

 男の血液で喉をうるおした獣は、地面にうごめく小さな命に気づいた。すでに腹は膨れていたが、せっかくのおやつを我慢することもない。

 軽く一呑みにしてやろうと開いた口は、しかし閉じることはなかった。

 

 獣は困惑する。

 

 その時には獣の下顎は削り取られていたのだが、気づくことはできない。

 ただ原因不明の痛みと、この森で何よりも必要な直感が、異常な危機を訴えていた――逃げろ

 

 もちろん手遅れだった。

 肉塊は一瞬大きく震えると、ぐちゃぐちゃと触手のように形を変え、獣の脚に絡みついた。

 獣は悲鳴をあげて振り払おうとして、望み通り逃れることはできた。己の四肢と引き換えに。

 

 獣の脚を捻じり切った触手の先端が開き、さっそく食餌を呑み込んでいく。母乳を吸うこともできず、空腹に苦しんでいた肉塊は喜んだ。

 

 地面に転がる芋虫となった獣は、己の体が細断され、肉塊に取り込まれていく様をじっと眺めていた。

 肉塊は獣を食うほどに膨れ上がり、かと思うと縮み、絶えず全身の形を変えていく。

 人型に戻ろうとして、けれど肉体に収まりきらず、形が崩れるのを繰り返している。

 

 やがて獣が意識を失いかけたその時。

 肉塊は気まぐれなのか、違う形になろうとした。

 それが産まれてから今まで見た中で最も強い形だった。

 

「――――――!」

 

 獣は、肉塊の腕から自分と同じ頭が生えるのを見た。

 肉でできた獣の頭は遠吠えをあげ、結局その形を保てずにどろりと溶けていく。

 しかし遠吠えは樹々のあいだを抜け、霧に染み入るように長い残響を残していった。

 

 ……それが肉塊の魔女の始まり。

 

 魔女の産声が消えるころ、もう獣の目に光はなかった。

 

 

 

 

 

 

 はい、つーわけでね、転生したんだけども。

 まあ赤ん坊のころとか、小さいころの記憶は全くない。物心つくのに合わせて、前世の記憶もぼやぼや思い出してきたっていう感じだ。前世は単なる一般人だったんでノーコメント。男だったのが女になってるが、まあ今さら気にならない。

 転生のお約束のチート能力だが、よくわからない。自分以外の人間に会ったことがないからだ。気づいたときにはこの森で一人だった。それでも生き抜けるサバイバル能力がチートとかか? 魔法とか使いたいんだけどなあ。

 ときどき人影っぽいのを見かけるんだが、寄ってったころにはもう消えている。一人は寂しいよ。

 

 あとチート能力ではなく隠し芸的なところで言うと、体中に気持ち悪い生肉みたいのが付いていて、好きな形に変えたり、うにょーんと伸ばしたりできる。

 これは結構便利で、樹になっている果物を取ってそのまま吸収したり、森の動物に襲われたとき勝手に防御してくれたりするし、勢い余って殺しちゃうこともある。殺すと他の動物が寄ってくるから、あんまりやりたくないけど。丸呑みすると胃にもたれるんだよ。

 

 この世界の動物たちは、なんか炎を吐いたり、ビーム打ったり、そういうのがなくても単純にでかくて硬くて強かったりと、前世よりはるかに恐い。たぶんだが、人間が進化の過程で身につけたのがこの生肉なんだろう。こんなんでもなけりゃとても生きていけない。

 まあ普段は邪魔だから洋服代わりで体に巻き付けてるんだけど。

 

 今は日課の散歩中だった。散歩といっても、家の近くを小さく一周するだけだ。

 とにかくこの森は霧が濃い。日によって濃さは変わるが、一メートル先見えないのが五メートル先まで見えるようになるとかその程度で、目印をつけずに遠出した日には遭難間違いなしである。

 

 この霧のせいで一日の区切りも曖昧だ。森はいつも薄暗く、今が昼なのか夜なのか、この世界に昼や夜があるのかもわからない。

 ふと思い立って毎日線を引いて数えるのをやってみたこともあったが、百日くらい数えてやめてしまった。別に数えたところでどうしようもないしな。そういえばあの時使った石はどこにやったっけ……。

 

 とかどうでもいいことを考えていると、散歩コースを一回りして、家に戻ってきていた。

 

 この家はなかなかの自信作だ。建てたのはいつだったか……覚えてないが、前の家より良くなってるはずだ。灰色の石造りで色味はないが、少なくともまだ崩れていない。帰ってきたら家が壊れてるの、けっこうがっくりくるんだよな。

 

「ただいま~っと」

 

 もちろん誰も応えてくれない。出迎えは冷たい空気だけだ。

 

「はあ……」

 

 ……暇だ。

 

 そりゃ当たり前の話なんだが、自分以外に誰もいない、見通しもきかない森だ。娯楽というものが一切ない。なら自分で創り出すべきなのだろうけど、なんかこう、面倒なんだよなあ。

 前世で過労死ぎみに働いてた影響か、気力とか活力というものが体のどこにも残っていないのだ。まあ生きるのには困ってないし、とりあえずいいか、と思ってしまう。あれかね、新型鬱ってやつ? まさか死んでも治らないとは。

 

 木と動物の皮で作ったソファに腰を下ろし、ぼんやりと向かいの壁を見つめた。

 なんか彫るか、と生肉を動かして、壁に思い付きの線を彫っていく。しばらく熱中したが、なんだか歪んだ絵になってしまってやる気が失せた。こういう繊細な作業とか向いてないんよ、俺。

 

 飯でも食うか、と腰を上げかけたが、よく考えなくても腹は全然減ってない。なんせ起きて、散歩して、帰ってきただけだ。腹が減るわけがない。

 しかもこの間備蓄を食べ尽くしたところだった。また外に出て狩りをするってのも面倒だ。次に外出したときついでに頑張ればいいだろう。

 

 あれ、でも備蓄が切れたのって何日前だっけ? 昨日……ではないな。五日前くらいか? 人間って何日くらい飲まず食わずでいられるんだっけ……。生活サイクルがめちゃくちゃなせいでよくわからない。

 

 ま、でもこうして生きて動けてるんだから問題ないわな。うん。 

 

 で、結局。

 

 大して眠くないけど寝るかと、ごろんと横になる。

 状況を変えようと思ったら森の外に出るしかねーよなー、と天井を眺めながら考える。森の動物はどいつも目が合うなり襲ってくるやべー奴らばっかだし、下手に出歩くのは危ないんだけど、こんな生活をしてても何も変わらない。

 うん、そうだよ。ちゃんと備えをして、少しずつ行動範囲を広げていけば、いつかは外に出られるはずだ。

 えーっと、そしたら何が必要になるんだ? えーっと……。

 

 まあ、起きてから考えればいいか。明日やれることは明日やるべきだ。

 なんか横になってたらほんとに眠くなってきたし、頭がすっきりした状態で考えることにしよう。それがいい。

 

 なんか……昨日も、その前も、その前の前も、ずっと同じことを考えて寝入った気がするな。

 でも今日はいいや、時間はいくらでもあるんだし。

 

 一秒考えて、俺は目を閉じることにした。

 

 

 

 

 

 

 少々時をさかのぼる。

 呪子が産まれ、森へ捨てに行った父親が帰らず、それが話題になることもなくなったころだ。

 村は珍しい客を迎えていた。

 

 馬に乗り、鈍色の鎧に身を包んだ五人の騎士たち。そしてその供回り。彼らはこの村が属する領主の旗を掲げており、さらに先頭の男は王室の徽章を付けていた。

 恐る恐る距離をとった村人を前に、男は兜を脱いだ。

 齢は三十半ばほどか。くしゃくしゃの黒髪とだらしないひげ面で、とても騎士には見えない。

 彼は人好きのする笑顔を浮かべ、村人にむかって手を振ってみせた。

 

「いやあ、突然大勢で申し訳ない。こんな物騒なもんを持ち込んじゃったら怖いよな? えっと、村長さんは?」

 

「儂です」

 

 長老が前に進み出る。真っ白な髭を蓄えた老人で、その顔には厳しい皺が刻まれていた。

 

「ああ、どうもどうも。俺はカルメウス。これでも王室直属の騎士で……へへ、見えないだろ?」

 

「そのようなことは」

 

「で、付いてきてる彼らは領主さんとこの騎士。今回の仕事の手伝いに借りたっつうか、まあ気にしないでいいんで」

 

 カルメウスはひらひらと手を振るが、長老は気が気でない。

 しかし騎士たちは不満そうに顔をしかめるだけで、不満を口にすることはなかった。それくらいの立場というものは彼らも弁えている。

 

「しかし仕事、ですか? カルメウス殿、こんな何もない村に何の用があると?」

 

「そうなんだよぉ。しかも国王じきじきの勅令だぜ? まったく参っちゃうよなあ。ま、お互いちゃっちゃと終わらせましょうや」

 

「勅令とは……」

 

 村人たちの間に動揺が広がっていく。

 この村に対して国王がなにか望むとしたら、一つしかないと誰もが知っていた。そしてその望みを阻むためにこそこの村は存在するのだ。

 

 長老は近くの女を呼び寄せ、二言三言耳打ちする。女はすぐ村の奥へ走っていった。

 騎士たちの方に向き直り、長老は腕を開いた。

 

「そういった事情であれば、集会所でお伺いしましょう。何もない村なりに、歓迎させていただきます」

 

「そりゃありがたい。お言葉に甘えるとするかね」

 

 カルメウスは軽い足取りで後に続いた。

 

 集会所に入ってきたのは、カルメウスと、彼の連れらしい外套の人物だけだった。頭まですっぽりと黒いフードを被り、一言も口をきいていない。

 まあコイツのことは気にしないでくれや、とカルメウスが笑う。

 

「それで村長さん、俺たちが来た理由なんですがね」

 

「澱みの森に入る、と言うのでしょう。森を抜け、清河国(ムイラ)へ攻め込むために」

 

「さっすが、話が早い。で、村長さんはそれを止めたいんでしょう?」

 

「…………」

 

 長老は鋭い視線で相手を睨みつけたが、カルメウスは変わらず浮薄な笑みを浮かべている。

 その余裕がかえって不気味だった。

 

 東の銀峰(メーシル)王国、西の清河国(ムイラ)――両国がなぜこれほど争いを続けているのか、正しく理解している者は一人もいない。

 

 銀峰(メーシル)は人間種の国家で、清河国(ムイラ)は獣人種の国家だった。それが理由。

 銀峰(メーシル)の教えは獣人を否定し、清河国(ムイラ)の教えは霊長を否定した。それが理由。

 銀峰(メーシル)は相手の穀倉地帯が必要で、清河国(ムイラ)は相手の鉱床が必要だった。それが理由。

 

 いずれにせよ両国は長く争い続け、しかし決着がつく気配はなかった。

 それというのも、両国の間には大きな壁が横たわっているからだ。

 

 国境の中央には巨大な運河が流れ、どちらから攻めるにしても困難を伴う。

 南に目を向ければ竜の棲み処である蒼白山脈が聳え、踏み入ることすらできない。

 

「そこで北ってわけだな。呪い渦巻く霧の森林、澱みの森。ここを抜ければ、あっさりと敵の後背を衝ける」

 

 カルメウスはにやりと笑った。

 それを見て長老は眉根を寄せる。

 

「どうも、理解されていないようですな、あの森がどのような場所かを。澱みの森は呪いの地です。森に満ちる霧は、触れるだけで人間には苦痛です。半日も過ごせば意識を失い、二度と帰れぬでしょう。とても人間の踏み入る場所ではありませぬ」

 

「そりゃあ理解してねえよ。何しろこの森はずっとあんたたち――守護の村が隠してたからな。呪いに近づくなと言って、王室の要請をすべて撥ね退けてきた」

 

「それだけ恐ろしい場所だ、ということです。何も知らぬ市民に呪いが降りかかることになります。それでもなお近づくというのであれば……」

 

 長老が壁にかかった槍に視線を向ける。白い柄に紋様が刻まれた、古くから村に伝わる長槍だ。

 とつぜん膨れ上がった殺気を前にして、カルメウスは苦笑した。

 

「ああ、聞いてるよ。澱みの森にほど近いこの村で育った連中は、どいつも常人を超える力を持ってるんだろ? だからこれまで誰も手を出せなかった」

 

「これも呪いの力です。そんな力を騎士殿に向けたくはない」

 

「……だってさ。どう思う、博士?」

 

 肩をすくめたカルメウスが話しかけたのは、これまでずっと黙っていた外套の人物だった。

 

「呪い、ですか」

 

 そう言ってフードを脱いだ下にあったのは無表情な女の顔だった。

 あまりに場違いな姿に、長老は言葉を失う。

 氷を削り出したような水色の髪と目は、その身動ぎしない様子も相まって、よくできた人形のように見えた。夜会で男どもをあしらう令嬢といった風体で、胡散臭い騎士と一緒にいるような人物ではない。

 彼女は淡々と言葉をつづけた。

 

「呪いと呼ぶことでしか理解できない時代もあったのでしょうが、今となっては非文明的な語彙と言わざるを得ません」

 

「それは我らの村を侮辱しているのですかな? そもそもあなたは誰です?」

 

「侮辱の意図はありません。申し遅れましたが、私はミルネ=ハイン。王都で研究者をしております。国王から澱みの森の研究責任者を仰せつかりました」

 

 ハインはわずかに頷いて挨拶した。

 

「澱みの森に満ちる霧の成分を分析し、人間が耐えられる装備を開発する。それが私の仕事です」

 

「ま、というわけだ。このハイン博士が『あんなの呪いじゃない』とか言っちまったせいで俺が仕事に駆り出されたわけ。まったく余計なことを――おっと」

 

「――!」

 

 完全に虚を衝いたはずだった一撃は、空を貫いた。

 

 カルメウスが今まで座っていた場所に、長老が放った槍の穂先が突き刺さっている。

 あぶねーな、と呟きながらカルメウスが軽く蹴りを放ち、それで家宝の槍は二つに折れてしまった。

 

 信じられない思いで長老は唇を震わせる。

 

「馬鹿な、こんなことが……」

 

「ま、ま、村長さん。そう興奮すんなって。呪いの力最強だーって思ってたらあっさり負けちゃったのが悲しいのはわかるけどさ」

 

「お、お前たちは何も分かっておらん。この世には人知の及ばぬものがある」

 

「分かってないのはそっちじゃないか? 人間の文明ってものは案外嘗めたもんじゃない。万能には程遠くとも、天才たちの積み重ねってやつはそれなりに強力だ」

 

 そう言ってカルメウスはハインに微笑みかけたが、またも返事は無視だった。やれやれ、と首を振る。

 

「そもそも儂一人封じたところで、村の皆が黙っては……」

 

「あー、それも終わったころじゃないかな?」

 

 長老を背にして、集会所の扉を開ける。

 ……そこには。

 

 苦々しい顔で村の子供たちに武器を突き付ける騎士たちと、

 青ざめた顔で武器を捨てる村の男たちが立っていた。

 

 長老は泡を食って彼らの前に這い出た。

 

「な、何をしている!? 我らの使命を思い出せ! 子供を殺される程度で――!」

 

 目を血走らせて叫ぶ彼の言葉に、しかし答える者はいない。

 代わりに返ってきたのは、カルメウスがゆっくりと拍手する音だった。

 

「よーしよし、死人が出なかったのは上等だ。これから研究基地を作るってのに、人手を減らしてる場合じゃねえからな。ですよね、博士?」

 

「それは私の判断する領域ではありません」

 

「そーですかい。じゃ、差し当たりこの集会所でも使わせてもらいますかね。見たところ、この建物が一番広そうだ」

 

 指示を受け、騎士や供回りたちが早速作業を始めていく。

 自らの村が壊されてゆく様を、長老は信じられない表情で眺めるしかない。

 その呆然とした肩に手を置き、カルメウスはへらりと笑いかけて言った。

 

「ま、百年以上前の使命ってやつに命かけられるほど人間強くねえってことですよ、結局」

 

 リューケル=カルメウス――王室騎士団でも、素行の悪さと()()()()()()()()()において右に出る者はいないと言われる男だった。

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