肉塊の魔女 作:なな
え、帰り道がわからなくなって半泣きで夜の森をさ迷ってたらケモ耳少女拾ったんだけど。どうすんのこれ。
どこから見ても痩せほそった子供の見た目だが、ピンと立った耳に、毛並みは悪いが毛量の多い金色の尻尾はまぎれもない本物だ。引っ張って確認したから間違いない。狐ちゃんなんか?
しかも野生児ってわけじゃなく、洋服をちゃんと着ている。ぼろぼろの作業着って風情だが、やっぱり森の外には人の集落があり、文明があるんだろう。
にしてもケモ耳種族には付いてないんだな、生肉。やっぱり動物パワーで素の身体能力が高いから不要なんだろうか。
とりあえず鳥につつかれて困ってたみたいなので、生肉を伸ばしてはたいておく。鳥は「ぴー」と一言鳴いて絶命した。この鳥、一度目が合うとどこまでも追ってくるから面倒なんだよな。殺しても骨ばっかりで食いでがないし。
ごりごり音を立てながら触手で鳥を呑み込みつつ、ケモ耳少女を観察する。
彼女は全身を擦りむき、血がにじんでいた。顔には包帯を巻いて片目が隠れているし、左腕は途中からないらしく、服の袖がぷらぷらと揺れている。俺が手を伸ばすと、ぼんやりした表情で気を失ってしまった。まさに満身創痍って感じ。いたそう。
しかしマジでどうしよう。傷の手当をしようにも、俺には道具も知識もない。この森に薬草的なのがあるかすらわからん。
いや待て。
ぴーんと思い出した。昔なんかで見たぞ。なんでも、どこぞの古代文明では傷に生肉をあてがって治療したという。
生肉、生肉ね。ちょうどここにいっぱいあるじゃないか。主に俺の体にうねうねと。
にしてもこのタイミングで思い出すとは……やっぱ天才かもしれん俺。
さっそく生肉を伸ばし、荒い呼吸を繰り返す少女の肌に這わせてみる。
頬の傷に触れると、少女の身体がぴくりと震えた。どう? 冷たくて気持ちよくない?
返事がないので、さらに何本かの生肉を集めて傷を覆っていく。見た目が気持ち悪すぎること以外はいい感じだ。
少しすると、少女の呼吸が安定してきた。やっぱ効果あるじゃん、生肉。傷口の止血とかになってんのかな。
で、どうしようか。
怪我人なだけに安静に過ごせる場所に連れていきたいが、この森にそんなセーフゾーンはない。すぐ血の臭いにつられた動物が殺到してくるだろう。
この子がやって来た方向がわかればそっちへ連れて行くんだが、残念なことに足跡は途中で途切れていた。飛んだり跳ねたりして来たようだ。やはり身体能力が凄いんだろう。
となると、あとは俺の家くらいか。
理由はわからないが、俺が住み始めてから、あの辺りで動物って見かけなくなったんだよな。そのせいで狩りのために遠出する必要があるんだけど。
幸い、さんざん迷ってたおかげで家の近くまで戻ってこれたわけだし。
よし、そうしよう。
拾った女の子を家に連れ込むのは事案だろうが、さすがにこれはセーフだろ。セーフだよね?
それにあれだ。ケモ耳少女も俺に助けられたことに感謝して、集落の人たちに紹介してくれるかもしれない。この子のお父さんやお母さんから夕飯ぐらいご馳走してもらえるだろう。
そう考えたらテンション上がってきたぞ。善は急げで家に連れていこう。
だが、んー、この状態で抱えるとけっこう揺れるよなあ。生肉って繊細な作業には向いてないんだよ。
もっとこう……、寝袋的な形にして、と。
粘着質の音を立てて生肉が思う形に変わっていく。
よしよし、これで全身をくるんだあと、梱包材のプチプチよろしく細かい隙間は内側から生やした凸凹生肉で埋めればいい感じだろう。
そんなこんなで少女を生肉の中、というか俺の体内に格納した。気分はカンガルー。
時折ケモ耳少女が呻いてもぞもぞ動くが、身体にぴったりフィットするよう調整したので中はめちゃくちゃ快適のはず。何だったら俺も入りたい。やっぱ今日の俺は冴えてるな。天才と呼んでくれ。
よーし、帰るぞー。
やべ、空気穴付けるの忘れてた。
これは一体どういう状況なのか、とクロンは思わずにいられない。
基地を脱走し、獣に襲われて死にかけ、実際に死んだと思ったあの日から数日後。
片目片腕の元
部屋には窓があったが、ガラスはなく、薄明りとともに森の冷たい空気が流れ込んでくる。寝台や椅子のような形をした、家具らしきものもあった。壁に刻まれた呪術的な紋様を見逃せば、猟師小屋と思えないこともない。ここが澱みの森でなければ、の話だが。
あの状況から生還し、風雨をしのげる場所にいる。それだけで感謝するべきなのだろう。
それでも震えているのは、寝台の上でクロンと向き合う存在――朱い異形のせいだ。
それは一度揺らめくと、ぬちゃぬちゃと身体を変形させ、彼女へ触手を伸ばしてくる。触手というか、身体の構造からいえば腕だろう。
「おいっ、ま、またやるのか?」
「譁?ュ怜喧縺醍峩縺励◆縺ョ?」
こちらの言葉に答えるように、相手は首をかしげてこちらを見つめた。
その頭には眼と口にあたる器官が付いていた。音はそこから発せられている。
何かを伝えようとしている。少なくとも知性のない存在ではない。……彼女の真似をしているのでなければ、だが。
しかし今のところ意思の疎通はほとんど図れていない。その証拠に、相手はクロンの制止を振り切って触手を身体に伸ばしてくる。
二本、三本と、冷たく弾力のある物体が肌を這いまわる。何とも言いようのないぞわぞわとした感覚。
「菴輔b縺ェ縺?¢縺ゥ縺ュ?」
「あっ、んっ、んぅぅ……、ちょっ、うううう……」
「陷り惧繧ュ繝ウ繧ォ繝ウ縺ョ縺ゥ鬟エ」
「わ、わかったから……んんぅ」
ひたすら無心になって謎の時間をやり過ごす。
数日かけてクロンが理解したのは、どうやら
ただ、どこからも吸っている様子がないので妙だ。触手に付いた血を葉っぱで拭っている姿も見たことがある。だったらこの時間は何なんだ、と言いたくもなる。
たっぷり時間をかけて撫でられた後、クロンは解放された。
「はあ……」
乱れた服を直している間に、相手は寝台を降りていた。こちらの顔を見ながら、触手をゆっくりともたげ、扉の外を指している。出かけよう、の合図だ。
「縺翫>縺励>迚帑ケウ」
「分かったよ、魔女さま」
クロンが頷くと、それはまた変形して身体に袋状のものを作った。
「だ――だから、それには入らないって!」
「縺s縺?」
「もう歩けるから。大丈夫」
自分も立ち上がり、歩く素振りをしてみせた。
さしあたって『魔女』と呼ぶことにしたこの存在が何を求めているのか分からないが、全身を呑み込まれた状態でぶにゅぶにゅした突起を押し当てられるのは、一度経験すれば十分である。
「…………」
澱みの森を歩く。普通に立った状態で、いつもと同じ歩幅で。それがどれほど異常な行為であることか。クロンはまだ慣れなかった。
どこかで物音がするたび、心臓が縮み上がり、その場で動きを止めてしまう。
「ク縺?⊇」
魔女が立ち止まり、足を止めてしまったクロンを振り返る。何をやっているんだ、とばかりに戻ってくると、彼女の腕を取ってまた歩き始めた。
と同時に、魔女の姿も変わり始める。
どのような仕組みなのか、こうしているときの魔女の姿はかなり人間に近くなる。全身から触手状のものが飛び出しているのは変わらないが、朱いドレスをまとった女性――に見えなくもない。ところどころ白い地肌がのぞいている箇所もあった。
しばらく歩いていくと、ふいに魔女は立ち止まった。蠢いている触手の一本が、するすると霧の中に伸びていく。
やがて霧の向こうから戻ってきた触手は、先端に角のついた獣を捕まえていた。獣の首は赤く染まり、もう目に光はない。
重い音がして死体を地面に落とすと、魔女はこちらの顔を見つめた。
「あ、ありがとう。魔女さま」
向けられる視線を気にしつつ、クロンは慎重な仕草で獣の腹に牙を立てた。生温かい血が口元を濡らした。肉だ! 脳が焼けるような快感とともに、夢中でかぶりつく。肉だけの食事なんて、ここに来るまで味わったことがない。
やがて魔女も触手を伸ばすと、クロンが口を付けなかった部分を丸呑みにしていった。
しかし、どうして魔女は自分を食わないのか?
この状況について疑問はいくらでもあるが、最大の謎はこれだった。
ここ数日見ていて、魔女の行動原理は睡眠と食事しかないようである。クロンにかかわることを除き、それ以外の行動を見たことがない。澱みの森の獣をあっさりと殺し、丸呑みにする姿は、御伽噺の魔女より恐ろしい。
だが魔女はいっこうに襲うそぶりを見せないし(触手で傷に触れるあれを除けばだが)、それどころか自分の安否を気遣っているようでもある。気に入られた――のだろうか、食欲以外の目的で。
そして、もう一つの可能性。
食事を終えた魔女は、いつもの動作を見せた。
腕でクロンを指し、次に別方向を指して、肩をすくめる。日によって少しずつ動きは違うが、やろうとしていることは分かる。
魔女は、クロンが元居た場所を訊ねている。
それが森に迷い込んだ少女を帰してやろう、という常識的な親切心であれば良い。いや、基地には戻れないので良くないのだが、理解はできる。
問題は、餌場を探している可能性だ。
クロンを食べやすい獲物だと考え、同じ種族が暮らしている巣を訊ねている可能性がある。
別にあの基地になんの思い入れがあるわけでもない。けれど、あそこには
結局、クロンは「何が言いたいのか分からないな」と言いつつ首を振る。
その意味が通じたのか、魔女は触手を戻し、肩を落とした。
その仕草はやはりとても人間らしく――言葉が通じないだけの優しい相手なのか、とも思うのだが。
ふたたび肉塊が変形し、魔女の姿は人間から離れていく。
腕が増え、脚が増え、ずるずると身長が伸びていった。
途中で三本に分かれた腕がクロンを持ち上げると、魔女は森を疾走しはじめた。血の臭いに集まってくる獣の存在を感じ取ったのだろう。
「……やっぱり違うかもしれない」
とはいえ、しばらくは一緒に過ごしてみよう、と思うクロンだった。
霧の向こうに黒い影を認め、鎧をまとった騎士たちの動きが止まる。先頭の三人が横並びになり、大盾を構えた。
「
呟き、カルメウスは背後に構える騎士たちに合図を送った。
何股にも分かれた角を持つ大鹿は、鼻息荒く盾に向かって突進してきた。
まるで鉄と鉄がぶつかったかのような耳障りな音が響く。
ぐぁ、と呻いて一人が盾を落としかけたが、なんとか堪えたようだ。大鹿の方も無事では済まず、予想外の衝撃に動きを止めている。
その隙に他の者たちは相手の横に回り、長槍で胸を突き刺した。
「――――!」
獣は絶叫し、のたうち回る。その力に耐えきれず、槍を持った一人が地面に投げ出された。
だが心臓を突かれていつまでも暴れることはできない。徐々に力は弱まり、大鹿は大地に倒れ伏した。
ほう、と騎士たちは安堵の息を漏らす。
「腕の骨にヒビ入ったのが一人、足首の捻挫が一人ってとこか。今日のところは撤退だな」
カルメウスは周囲を見回し、ため息をついた。
大鹿を担いだ騎士たちが東の村に戻ると、村人たちは仕事の手を止めて彼らの周りに集まってきた。
特に子供たちは興奮した様子で、獲物について早口で訊ねている。
その輪から外れつつ、カルメウスは苦笑した。
村にやってきたばかりのときはあれほど警戒されていたのが、森でとれた資材や獲物を分けてやるだけで、あの歓迎ぶり。自分が得をすると分かれば人は変わる。まったく現金なものだ。
もちろん、そんな人間の習性を利用することを決めたのも彼である。村人が協力的になったおかげで、研究所作りは順調に進んだ。
村の通りを歩いていくと、研究所の外に椅子を出して座っている女性がいた。傍らの机には灰色の粉が入った小瓶が乗っている。
「よお、博士。また難しいことを考えてるんですかい?」
「休憩中です」
ミルネ=ハインは眉一つ動かさず答えた。
言外に一人にしてくれ、と伝える言葉だったが、カルメウスは無視して隣に腰を下ろす。
視線を前に向けたままハインが言った。
「先ほど、女性の方が来ていましたよ」
「女? ……ああ、ミリアか」
「あの方と結婚しているんですか?」
「はあ? ミリアがそう言ったんですか?」
「いえ、ただそのような口ぶりでしたので」
「はは、こんな田舎の娘と結婚するなんてぞっとしませんね。たまに相手してるだけですよ。この村じゃ一番器量がいい。なに、ちゃんと金もやってます」
「そうですか」
「おっと、それよりも早く記録しとかないとな」
カルメウスは懐から帳面を取り出し、ぱらぱらと頁をたぐった。
そこには今のところ彼が得た最大の成果――森で出遭った獣について、特徴や姿が仔細に記録されていた。
「今日は何が出ました?」
それを横目に見ながらハインが訊ねる。
「
「発情期なのかもしれません」
「やれやれ、俺は生物学者じゃないんですが」
「名乗っても構わないと思いますよ。短期間でこれほどの新種を発見し、名前を付けたのはカルメウスさんくらいです。王都の生物学者は羨んでいるでしょう。実際、何件か申請が出されたと聞きます」
「誉め言葉と受け取っておきましょうかね」
「単なる評価です。誉めても貶してもいません」
そうですかい、と皮肉げに口元をまげて、カルメウスは鎧を緩めた。
鎧の下には薄手の黄色い衣服を付けている。これが今のところハインが得た最大の成果だった。
澱みの森に満ちる霧から人体を守り、長時間の行動を可能にする。カルメウスには見当もつかないすべすべした素材で、ハイン曰く「まだ完璧ではない」ということだったが、それでも十分な効果だった。
「ところで、その小瓶は? 秘密の薬ですか?」
カルメウスが机に乗った瓶を指すと、ハインは人形のような仕草でそれを持ち上げた。
曇った瓶のなかで、灰色の粉がさらさら動く。
彼女は顔の前に瓶を持ち上げ、小さな口を開いた。
「これは、霧です」
「はい?」
「以前、霧を集める装置を作ってもらったでしょう。それで集めた水を分離機にかけた結果、集まったものです」
「えーっと、話が見えないんですが。俺みたいなもんにもわかるように言ってくれます?」
「ようするに、澱みの森に満ちる霧が特別なのは、霧のなかにこの物質が混ざっていることが原因です」
「なるほど。その粉のせいで森の獣どもが生まれたってわけですね?」
「現在王都で分析中ですが、おそらくは……」
カルメウスは続きの言葉を待ったが、彼女はそこで口を閉じてしまった。学者先生によくあるこだわりか、と納得しておく。自分に関係のあることなら、どうしたっていずれ知ることになるのだ。
「そういえば聞いてませんでしたが、博士は何学者なんですか?」
「どうしたんです、急に」
「いえね、博士ってこういう服も作るし、装置の設計もするし、動植物にも詳しいでしょう? 一体なにを専門にしてんのかなーと」
それを聞くと、ハインは口元に手を当てて俯いた。
なにか不味いことをきいたのか、とカルメウスが不安になり始めたころ、彼女は小さくつぶやいた。
「……
「え?」
「ご存じですか?」
「そりゃまあ。でも呪子って差別発言ですよ、博士。あれは確か――発生過程における多臓器不全のせいで生まれる未熟児のことでしょう? 母体に負担をかけるし、周囲に有害な魔力を垂れ流すこともありますけど、適切な処置があれば普通に生きられます」
「案外、お詳しいのですね」
「騎士ですからね。勉強できなきゃ出世できないんで。で、それがどうしました?」
「強いて言えば、それが私の専門です。呪子の研究者」
「はあ……?」
カルメウスは不思議そうに首をひねる。なぜそんな人物がこの森の調査に駆り出されたのか、いまいち理解できなかった。
特に理解してもらおうとも思っていないのか、ハインは淡々と言葉を続ける。
「カルメウスさん、先ほど、適切な処置があれば呪子も普通に生きられる、と言いましたが、そうでない場合はご存じですか?」
「そうでないって、処置されない場合ですか? まあ、苦しんで死ぬんでしょうね」
「基本的にはそのとおり。ですがごくまれに、処置を受けずに生き残る事例が報告されています」
「へええ、そりゃ初耳です」
「私は、そのためにここへやって来ました」
「えーと……? 澱みの森って意味すよね、それ」
困惑するカルメウスを前に、ハインは森の方角に顔を向け――微かに、笑みを浮かべた。