肉塊の魔女 作:なな
ケモ耳少女とのコミュニケーション難しすぎ!
いや、俺なりに努力はしてんのよ。
何しろこっちの世界で初めて会えた意思疎通できる相手だ。見た目も人間みたいなもんだし、ケモ耳少女マジで癒し。死ぬほどお話がしたい。
でも当然日本語は通じないし、発音はともかく英語も通じない。それ以外の言語は……無理なので、ボディランゲージを試みている。
これが当たりで、身体の構造が同じだからジェスチャーの意味も大きくは変わらない。特定の場面に限ってはわりと意思の疎通ができるようになった。
でも、君どこから来たの? って質問には全然答えてくれない。いや、俺が上手く質問できてないのか。
色々バリエーションを付けて訊いているんだが、毎回すっごい嫌そうな顔して首を振るばかりだ。嫌われてんのかな、俺。
いやいや、別に好感度は悪くないと思うんだけどな。
毎日の治療も、最初は嫌がってたけど、最近はけっこう受け入れてくれてるし、むしろ気持ちよさそうにしてる感じもあるし。生肉マッサージの腕が上がったか。
あとはそうだなあ、生肉を変形させて遊んだり、一緒にお散歩したり、ご飯もちゃんとあげてるし。美味しそうに食べてるのを見るとこっちまで嬉しくなるね。……なんかペットの世話みたいになってない?
まあ、それは置いといて。
真面目な話、そろそろケモ耳少女を家に帰さないとマズい気がしている。出会ってからもう一週間以上……あれ二週間か? とにかく一緒にいる期間が延びつつある。
この子の保護者知り合いはどれほど心配していることか。行方不明で捜索されてるだろうし、いくら危機を救ったとはいえ俺も誘拐罪に問われかねない。
だから何とかしなくちゃ、という問題があるんだが、ここでもう一個別の問題が発生していた。
なんか、森の様子がおかしい。
おかしいっつうか一目瞭然なんだけど、あれほど濃かった霧がどんどん薄くなっている。気のせいかと思ってたが全然気のせいじゃなかった。最近変だなーってぼんやりしてたらこれだよ。
ここ数日の間に、俺の家の周りの霧はすっかり晴れていた。うっすら白んでいる程度で、もう普通の森と変わらないレベルである。
そのうえ、どうなってるんだと思って森を見歩いてみたところ、動物たちがまったく姿を見せなかった。あいつらどこに消えたんだ。
いや、本当は見当がついている。家の周りの霧が晴れたと言ったが、まだ霧が漂っている場所がある。例の蛹がある方角だ。
そっち方面は、もはや霧と言うより白い壁みたいになっている。たぶん動物たちはあの霧の中に集まっているんだろう。
しかし同じ森の中でなんでこれまでハッキリと濃さが分かれているのか。
この霧は単なる自然現象ではなく、あの蛹が自分を守るために出ているものだ。とすると、蛹に何かあったのか、あるいはこれから何かが起きるのか。例えば、羽化とか。
うん、めっちゃ気になる。
あの美しい純白の蛹からどんな成体が誕生するのか、正直めちゃくちゃ見てみたい。転生してからこっち、見通しの悪い森と危ない動物だらけの生活には辟易している。そろそろ異世界ならではの美しいものを目にしたいところだ。
つーわけでね、一人森の中心へ向かってるわけですけども。
ここ最近はどこへ行くにも一緒だったケモ耳少女は、今日はお留守番だ。
霧が薄くなったおかげで、俺の家で動物に襲われる危険はほとんどなくなったし、俺の考えが正しければ、範囲の狭まった霧には動物がうじゃうじゃいるはずだ。いくら生肉が優秀とはいえ、怪我させてしまうかもしれん。
と、思ったんだけど。
全然そんなことなかったわ。むしろ霧の中は、霧の外以上に静穏だった。
というのも、一体どうなってるのか、霧の中で出遭った動物は、みんな地面に伏せて眠っていたのである。
でっかい狼も、しつこい鳥も、その他あいつもこいつも、安らかに目をつむり、まるで祈るように、呼吸に合わせてゆっくりと腹を上下させている。
動物が霧の中に集まっているのは確かなようで、これまで見たことのない数が集まっている。場所によっては足の踏み場もなく、踏まないように気を遣わなければならない。気持ちよく寝てるときに踏まれんの、マジでムカつくからな。
生肉を脚にして、地面が見えている場所を踏んで大股で歩いていく。
ちなみにそんな霧の中に入って俺は眠くないのかって話だが、普通に眠い。
けど我慢できる範囲の眠気だ。飯食った後のぽやぽやした感覚に近い。良さそうな布団があったら昼寝したいが、用事があれば我慢できる程度ね。
そうして辿り着いた森の広場で。
蛹は、ゆっくりと揺れていた。
木の枝にぶら下がった白くて柔らかい寝床は、今は左右に震え、そのたびに霧を強く噴き出していた。
静かに眠っていた生命が、目を覚まそうとしている。
間違いなく羽化の前兆だ。
俺はしばしその光景に心を奪われ、その後こうしちゃいられないと元来た道を戻り始めた。
まあ蛹の期間がこれだけ長かったんだから、羽化にもそれなりの時間がかかるはずで、そこまで急ぐ必要はないと思うけど。
こんなレアそうなイベントを独りで見るなんてもったいない。
ケモ耳少女、一緒に羽化の観察をしようじゃないか。
俺に誘拐の疑いがかかったら、自由研究をしてたってことで一つお父さんとお母さんに言い訳してくれ!
澱みの森の霧が薄くなっている。
無論、東の村からも、西の基地からも、その様子は確認されていた。
彼らは日々命がけで森と対峙している。些細な変化も見逃すことはない。
変化にどう対応するか、に差はあったが。
森の西側、
澱みの森の探索というのは、成果を出さないことを目的に行っている事業であって、どういった形であれ進展があることを想定していなかった。
考えていたのは、せいぜい
しかし、この事態は何だ?
森の霧が晴れ、獣たちが姿を消す?
つまり、森は進軍可能な領域となり、逆に侵攻される空隙となり、曖昧だった国境線を明確に引かなければいけない土地となる。なってしまった。
そんなことは誰も考えていない。森で日々命を散らす
こうなった場合の指示など誰も受けていなかったし、何かをした際の責任を負いたくもなかった。
よって、獣人たちは停止する。
あらゆる行動を中止し、
とつぜん澱みの森の脅威が遠ざかり、これといった仕事もなく、弛緩した空気が流れる基地で。
――監視の目が緩んでいることに、いずれ賢い
森の東側、
霧を抜けるための装備を作り、森の獣たちを観察していた彼らだが、それらは手段に過ぎない。
この仕事の最終目標は「澱みの森の突破」であって、森が無害化するのなら全く構わない。
彼らはすぐさま王都へ報告を送ると同時に、探索班を小編成に分けることにした。
カルメウスが今は研究所となった元集会所へ入ると、ハインは机の上に並んだ覆面を眺めていた。
ちょうど数日前に届いたばかりの、防霧の装備である。これが完成すれば、進軍を阻むものは森の獣だけになる、と彼女は語っていた。
そのうちの一つを拾い上げ、顔に被ってみる。視界の大部分が制限され、呼吸もしづらい。これで獣と戦う必要がなくなって幸運だな、と素直に思った。
「残念でしたね、博士。俺らの努力、ムダになっちまいました」
カルメウスが覆面越しにくぐもった口調で語りかけると、無表情の学者は「酒臭いですね」と冷静に指摘した。
「ああ、こりゃ失礼。久しぶりに昼から呑めるのが嬉しくって。こんな不味い蒸留酒でも進んじまう」
「貴方は森の探索に加わらないのですか?」
「本来俺は現場で体張る人間じゃないんですよ。下に働かせて楽するのが俺のやり方でしてね。さすがに呪いの森では前に立つ必要があったが、ただの森なら話は別です」
「しかし、霧はまだ残っている」
違いますか、と視線を向けられたカルメウスは、おどけた様子で肩をすくめてみせる。
しかし彼が覆面を脱ぐと、その下からハインを睨む鋭い目つきが現れた。
「やっぱりこの森に何かあるんですね、博士? この覆面作りは軍のためじゃなく、自分のため。あんた自身が森に入りたいんだろう?」
「突然どうされました?」
「ミルネ=ハイン――生まれは分からなかったが、これまで大した功績もない
何の実績もないあんたの論文に注目し、この計画を立ち上げたのは誰だったか? 好色で知られるあの内務大臣の爺さんだ。あんたほどの美人なら犬みたいに飛びついたろうよ。俺だって仕事仲間じゃなきゃ口説いてる……にしても、あの爺さんもう七十過ぎだろ? あんたよく相手できたな。いや、むしろ爺さんがよく頑張ったな、と言うべきか」
カルメウスはそこまで言って、相手の顔を観察した。
しかしハインの横顔に動揺の色は浮かんでいない。ここまで調べられることも、当然予想の範疇だったということか。
彼女は表情を変えず、淡々と答えた。
「大臣は賢明な方ですよ。論文の内容を吟味し、他の学者の意見を聞き、この研究の価値を見極めてから、ようやく私と関係を持たれました」
「博士の論文がでっち上げじゃないことは分かってますよ。実際、霧を防ぐ装備には効果があった。今探索に出てる連中にも、念のため着せている」
「それが良いでしょうね」
「個人的にも博士のことは嫌いじゃない。なにか目的があるなら多少の便宜を図ってやってもいい。だから、そこまでして何がしたいのか教えてくれませんかね。以前話してた
しばらくの間、ハインはかすかに俯いて黙っていた。
やがて彼女は机の覆面を手に取り、これです、と言った。
「えっと、どういう意味ですかね、博士。その覆面が何か?」
「霧が薄れたといっても、まだ霧が出ている場所があるでしょう。この覆面を使う可能性はあります。ですから、私自身の手で性能を確かめたいのです。森に入って構わないでしょうか?」
「……当然、俺も一緒に行きますよ。博士は重要人物だ。護衛が必要でしょう」
「おや。下に働かせて楽をするのがカルメウスさんのやり方だったのでは?」
「そのはずなんですがね……」
カルメウスの判断によって
霧が晴れたという報告が王都に届けば、すぐに本格的な軍隊が派遣されるはずであり、彼らの仕事はその下準備。先遣隊といった役割だった。
いまだ森の中央に残る霧は無視して、西に抜ける道筋の確保が急務である。
皮鎧を纏った一人と、鉄鎧を纏った騎士からなる三人組が、森の中を進んでいた。
つい先日まで恐る恐る、それも牛の歩みで進んでいた森を、普通の歩調で進む。それだけで奇妙な感覚を覚えてしまう。
鉄鎧の一人は、先頭を歩く皮鎧の男に声をかけた。
「ドルマンさん、なんで皮鎧に替えちゃったんですか? 獣が確認できないって言っても、どこかに隠れてたりしたら……」
「三人しかいないのだ。鉄だろうと皮だろうと獣に遇えば食い殺される」
ドルマン、と呼ばれた男は低い声で答えた。顎鬚を蓄えた壮年の偉丈夫で、三人の中では最も年長にあたる。領主の騎士団の中でも古株で、研究の進展にあわせて後から送り込まれてきた男だった。
ドルマンの返答を聞き、若い騎士は顔をしかめる。
「そりゃ、そうかもしれませんが」
「今はわずかでも探索範囲を広げることが先決だ。分かっておるかね? 霧が晴れたということは、獣人どもも森を進んでくるということ。間もなくこの森は戦場になろう。時間との勝負だぞ。そんな鈍重な鎧でどうする」
「しかしですねえ」
若い二人の騎士とドルマンは微妙にすれ違う会話を交わしながらも、着実に森の調べを進めていく。
恐れていた獣との邂逅はない。それは喜ぶべきことではあるのだが、しかしこれだけ歩き回って一匹の獣も見つからないのは、それはそれで気味悪かった。
緊張感と退屈の混ざった探索を進め、そろそろ引き返すか、とドルマンが二人を振り返ったときだった。
鉄鎧の一人が、呆然とした様子で樹々の向こうを指していた。
「何だ。獣か?」
「ち、違いますよ。ほら、あれ――」
彼の指す方を見て、ドルマンも唖然とする。
「あれは、小屋か?」
間違いなくそれは人家だった。
石を積み上げただけの簡素な造りで、森の猟師小屋か杣小屋かという、平々凡々な建築物。どこの森にもあるような、何の注目にも値しない小屋。
ただ、それがこの森にあることだけはおかしかった。
澱みの森、人跡未踏の呪いの地。そこにこんな物があるなど考えられない。
騎士たちは背中を流れる冷たい汗を感じながら、小屋を外から観察する。
若い騎士がひきつった声を出した。
「じゅ、獣人どもの基地でしょうか?」
「いや。この小屋、建ててからそれなりに時間が経っておる。霧が晴れる前からここにあったのだろう」
「誰が建てたっていうんです? この森に人が住んでいるとでも?」
「それは確認すれば分かること」
そう言うと、ドルマンは躊躇なく小屋の戸を叩いた。
こんこん、と控えめな音を立て、領主の名と己の立場を明かす、どこまでも真っ当な名乗り。少なくともこれを非礼と感じる人間はいないだろう。
しかし返答はない。
「やむを得ない。家主には申し訳ないが、入らせてもらう」
ドルマンは丁寧な仕草で戸を開き――中にいる相手と目が合った。
カルメウスが騎士たちに指示していたのは、「とりあえず撤退しろ」ということだった。
霧が晴れたとはいえ、何があるか分からない澱みの森。そこで何と出会い、何が起きたとしても、最優先事項は逃げることである。未知の鳥、未知の獣、あるいは
それはドルマンも若い騎士も重々理解している。
しかしその上で、この事態にどう対処すべきか分からないままでいた。
小屋の中は、これまた人間の住居と変わらない。家具が少なく、煮炊きの道具もないが、やはり単なる小屋に過ぎなかった。
そしてそこにいた人物も、ある意味で平凡なもの――獣人の子供だった。
そこにいたのが獣人の兵士だったら話は違っていただろう。戦うか逃げるか、彼らは即座に判断できたはずだ。しかしいくら敵国の人種とはいえ、片目と片腕のない、しかも少女を襲うことはできず、無論逃げる必要も感じられない。
ちなみに
そうして結局。
「あー、私は
こくり、と。
獣人の少女は頷いた。
話すことができないのではなく、恐怖で口が利けない様子である。いきなり武装した大の男が三人も踏み入ってきたのだから、当然の反応ではあった。
「住んでいるというのは、君一人でかね?」
ふるふる、と今度は首を横に振る。
「ふむ、今はお出かけ中か。その同居人も獣人なのだね? 軍人か?」
当然縦に振られると思っていた首は、しかし横に振られた。
「獣人ではない? 人間と住んでいるのか?」
「違う」
少女は震える声で返答した。
「ま、魔女さま……と、住んでいる」
「魔女?」
何だそれは、とドルマンと鉄鎧は顔を見合わせた。その語彙は彼らにもあったが、意味するところが分からない。獣人の国には御伽噺の存在以外に単語の意味があるのだろうか。
とはいえ、目の前のおびえた少女の姿は痛々しく、問い詰めるのも憚られた。
「で、その魔女はいつ頃帰ってくるのだ?」
「分からない」
「ふむ……。君、私たちの村に来られないか? もっと聞きたい話があるが、ここは場所が悪い。魔女には書置きなりを残して――」
「駄目だ! 魔女さまが心配してしまう」
一体何が癇に触れたのか、毛を逆立て、少女は二人の騎士を睨みつけた。
二人からじりじりと離れ、いつでも逃げられる体勢を取っているようだ。
さてどうしたものか、とドルマンが思案を巡らせた時だった。
見張りの男による、恐ろしい悲鳴が響き渡ったのは。
えっ、最速のタコ足走りで帰ってきたらかっこいい鎧付けた人が家の前に立ってるんだけど。
全身鎧のせいでケモ耳種族か人間種族かそれ以外かわからん。でも順当にいけばケモ耳少女の保護者か?
……やばいな。誘拐犯扱いされるぞ。
えーっと、すみません。我が家に何か用でも。
えっ、ちょっ、何?
何何何何何何何何何何?
恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い!
何でいきなり切りかかってくるんだよ! 剣? それ剣!? 危ないって!
あぶねー、生肉をちくちくされるだけで済んだ。誘拐犯扱いするにしても、問答無用で攻撃ってひどくないですかね。それともこっちの世界では割とメジャーな挨拶なのか? 確かに生肉があれば簡単に防げるしな。
ともかく仲直りの握手でもしましょうよ。えーっと、それともハイタッチ? E.T.? 文化が分かんないんだけど……。
あ、家からまた他の鎧さん出てきた。なんだケモ耳少女もいるじゃん。やっぱり保護者か?
あれ、でもこっちの軽装の人、別にケモ耳とか付いてないよな。普通に人間?
え、人間?
……生肉、付いてないんだけど。