追放されたら能力の真価が発揮されて俺だけセカンドライフがウハウハになった、の逆で冒険者としては完全無欠だったのに引退後の人生がハチャメチャになって終わろうとしている人たち   作:quiet

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6話 本当に希望は消え去ってしまったのだろうか?

 

 

「レ、」

 

 かつてミハロ・クローバは、荒野の果てで世界を救った。伝説の魔巨鼠ヌゴゴプロヌス・プロクトマギカを打ち倒した。だが、しかし。

 

 その偉業は、ミハロたったひとりの力でなされたものではなく。

 三人の仲間と手に手を合わせ、ともに果たしたものである。

 

 仲間のうち、ひとりは剣士。ディー・ヨド。

 もうひとりは騎士。オルキス・ハートウォーツ。

 

 そして、最後のひとりが。

 

 賢者。

 

「レトリシア・スディ! どうしてここに!?」

「前にミハロが『いつでも頼ってね』って言ってくれたことを思い出して」

「あっ、出だしからダメそう」

 

 二十時十四分。学園一階のさっむいさっむい講義室。

 とうとうミハロは、懐かしき面々の最後のひとりと再会を果たしていた。

 

 いつからいたのか全く気付かなかった……が、それは特筆すべき点ではない。荒野にいたころからそうだったし、その頃からすでにミハロは、そのことを疑問に思いもしなかった。何せ。

 

 レトリシア・スディは。

『ミステリアス』を絵に描いたり文字に書いたりしたような女性であるのだから。

 

 本人曰く年齢不詳。「何年生きてるかなんて、もう忘れちゃった」――そう嘯く彼女は、その怪しげな発言にも何かの真実が含まれているのではないかと思わせる、奇妙な威厳がある。

 

 机の上にやたらに甘い匂いを放つ巨大なカフェオレボウルを(自分の分だけ)用意していた彼女は、品の良い黒手袋でそれを抱えると、わずかに唇を濡らす。そこから結構な量を一気に飲む! そのあと何食わぬ顔で言う。

 

「お金がなくなっちゃってね」

「ああ……完全にダメになっちゃった」

「語れば長くなるんだけど……」

「レトリシア・スディ。ここは結論から行こう。論文のように」

「本稿は、この一年のレトリシア・スディの職業上の主要なトラブルを時系列順に記述することで、彼女の生活上の変化についての整理を行うものである」

「すまん。言葉の綾だ。普通に順に話してくれ」

「嫌」

 

 なにっ、とディー・ヨドは言った。ミハロ・クローバが知る限りで、ディー・ヨドのこの王様めいた仕切りをにべもなく断れるのは三人だけだ。そのうちのひとりは、何を隠そうこのレトリシア・スディ。ちなみに残りのふたりはミハロ・クローバとオルキス・ハートウォーツ。大人しく従うのは焼肉と鍋のときだけ。放っておけば全部やってくれるから。

 

「だって、久しぶりに会えたのに暗い話はしたくないもの。暗い話をしていると人生全体の色調が下がって、走馬燈まで暗くなりそうじゃない? 最期くらい、鮮やかなのものを観たいでしょう」

「流石はレトリシア・スディ。すでに走馬燈のことも視野に入れて日々を生きてるんですね……」

「レトリシア、そんな寂しいこと言わないでよ」

「……そうか。『己でもどれほど長く生きたかわからない』と言うほどだからな」

 

 ええ、とレトリシアは優雅に頷く。豪快にカフェオレを飲む。それから一拍開けて、「あ」と言って顔を上げる。

 

「でも最近、自分の歳は思い出した」

「え、そうなの?」「何歳なんですか?」「三百歳とかか」

「四十七」

「おい」「ちょっと」「ふつ~!」

 

 ミハロたちは口々に言った。四十七でどれだけ長く生きたかわからなくなるわけないでしょ覚えておいて。しっかりしてください。何が走馬燈だよあと五十年はこうして集まるぞ。え、私三十歳まで生きてられる気がしないんですけど。安心しろ三十まで生きられる気がしないやつの九割は無事必要最低限の加齢の努力をこなして半自動的に三十を迎える。レトリシアって前に「昔のことはもう忘れた」って意味深なことを言ってたけどもしかしてあれも?

 

 パン、とレトリシアが手を叩いた。

 

「はい。この話はこれでおしまい」

「自分で責められる材料を提供して、挙句の果てに勝手に打ち切り始めたぞ」

「すごい会話術だ、レトリシア……。一般社会では通じにくいと思うけど……」

「はい。この話はこれでおしまい」

 

 まるで二回言えばそれで全てが通るとでもいうように、全く同じ口調でレトリシアは言った。そんなわけ、とミハロもかつては思ったが、実際に九割方ディーとオルキスはそれで区切りをつけてしまう。レトリシアからは学ぶべきところが多い。ミハロはちょっとだけ、将来はレトリシアのようになってみたいと思っている節がある。

 

「それで、楽しい話の方は? さっき、遊園地を作るのに私がいればと非常にお目が高い意見が出ていたようだけど」

「あ、そうそう! そうなんです! レトリシア、力を貸してくれませんか!」

 

 かくかくしかじか、とミハロは説明した。

 ガキをむせび泣かせてやりたいんです。

 

「それで、設計とか実装は私がいれば問題はないんですけど。どうしても――」

「材料の方、というわけ」

 

 なるほどね、とレトリシアは頷いた。ちょっと待ってね、と言うと本当に若干の時間をかけてカフェオレボウルを空にした。彼女が席を立つ。ちょっと待て、とディー・ヨドが呼び止める。洗ってくるだけか。そう、あと水を張るだけ。なら俺がやろう、冬の水は手荒れする。そう言ってボウルを受け取り、廊下に出ていく。ディー・ヨドは洗い物を積極的にしてくれるので、冬場にいてくれると助かる生き物のひとつだ。残された三人で少しだけハンドクリームの話をした。戻ってきた。

 

 水のなみなみ入ったカフェオレボウルが、机の上に置かれる。

 これから先に行われることは、ミハロにとってはあの荒野で見慣れた光景だ。

 

「とりあえず鉄? 魔鉄の方が使いやすい?」

「使い比べてみたいので、両方出してみてもらっていいですか」

 

 お安い御用、と言ってレトリシアはボウルを手に持つ。それから一言二言、呪文を唱える。

 

 ぼう、と水面が青く光る。

 空間と空間を、繋げる魔法なのだという。

 

 向こう側にある空間は世界の外。生物以外のものなら、大きさや材質に関わらず何もかもを劣化せずに保存しておける。レトリシアは空間操作において非常な卓越を誇る魔法使いである。ミハロにも真似できない……わけではないが。これについては向こうが専門だからと場所を素直に譲る程度には、彼女の魔法の力に敬意を払っている。

 

 それに、何より。

 その空間の向こうに必要としているものがストックされているかどうかというのは、魔法の技量とは全く関係がない。その魔法を使う者の、いわば人生を懸けた『コレクション』の結果というものであり――、

 

「えい」

 レトリシアが、ボウルを逆さにしてぶんと振る。

 

 

 ガシャーン!とすごい音を立てて、自転車が出てきた。

 

 

 

 

 

「お。結局来たんか」

「ピザは?」

「そこ」

 

 二十時五十分。指差された方をクゼ・ピクセルロードは見る。テーブルの上。見たことのない店のパッケージ。大きなサイズが四枚あって、いい感じに食い荒らされつつ残りつつ。もうすっかり食べ終わってしまっている可能性も考えていたから安心した。手に取る。すっかり冷めているから、魔法を使って温める。二か月前の講義で「効率悪いけど、思い出したときに使ってみると魔法の扱いが上手くなるよ」とミハロ・クローバ教授に教えてもらった。実際のところ得られる対価が温まったピザだけではとても釣り合わないほど神経を使う。温まる。口に運ぶ。さっきのは噓だった。全然釣り合う。

 

 誰も見ていなかったので、クゼはそのまま三切れ食べた。四切れ目は後に糾弾される可能性が高そうだったのでやめておいた。

 

 周囲を見渡す。

 布を被せられた大量のケージが収まった、怪しい部屋がある。

 

「これ、全部片付けるのか」

「いや。ケージは残しとく。実際、大半はこの部屋にあったやつだし。むしろ隣の部屋にあるもんを運び込んで物増やすかな。そうしたら目立たなくなるだろ」

 

 学園の中には、学生しか知らないギミックが大量に存在する。

 たとえば、ついさっきクゼが使った校舎と学生寮を繋ぐ糸通話。あれはあそこの一ヶ所だけにあるものではない。システム自体は非常に有名で、いたるところにある。いつから始まったのかは知らないが、使い方が確立されている。他にも学外の友人や恋人を招くために用いられる外壁の隠し扉とか、日常使いできて便利なものが色々。

 

 色々あって。

 この場所も、そのひとつである。

 

「それなら、その運び込みを手伝おう」

「お? マジ?」

「普段から付き合いが悪い上に、ピザまで横から取ったからな。とりあえずカモフラージュになるなら何でもいいんだろう」

「いいよ。マジで何でもいい。センキュな」

 

 手を振られて、クゼは外に出る。廊下。けれどただの廊下ではない。たぶん、多少なりともこの場所に通じている人間ならこの場所を廊下とは呼ばない。代わりにこう呼ぶ。

 

 隠し通路。

 

 ランプの明かりだけが頼りなく灯る暗闇の中、廊下では多数の学生たちが行き交いしていた。知っている顔ばかりなのは、その全てがクラスメイトだから。「おー」と声をかけられる。「手伝いに来た」と言えば「マジ?」と返される。普段の付き合いが悪いからか、こういう場に出てくると少しばかり喜ばれる。いくつか廊下に並ぶ部屋を覗いて、一番雑然とした部屋に入る。石膏像を持って部屋を出る。

 

 元は古城だったというのは、学園の外観を見れば結構誰でも容易く想像がつくことではある。

 

 そして実際に、ここはかつて――共和国が成立するより以前、貴族によって建てられた城であるらしい。名は知らない。生きた年代が古すぎて当時の発音形態が確定できず、同じ人間を指しているはずなのに表記が十も二十もある。だから不便を避けるために、学生たちは(もしその機会があるとすれば)その貴族を異名からこう呼ぶ。奇妙な城の公爵。『奇城公』。

 

 おそらく、と学生たちは推測したり、あるいは何も興味を持たなかったりしている。これは敵に攻め込まれたときに非戦闘員を匿うための空間だったのだろう。いざというときに逃げ出しやすい一階にありながら、非常に特殊な手順を踏まないことにはまず、ここに空間があることにすら気付けない。

 

 不良学生どもがしょうもない悪だくみをするには、最適の空間である。

 

 さっきの部屋に戻る。周りの人間の動きを見ながら、それっぽく空間を作れそうな場所に「よっ」と置く。思ったより腰に負担がかかった。たったの一個で心が萎えた。だからクゼは、友人に雑談を仕掛けることで「自分で手伝うと言い出したのに秒で疲れて結局ピザ食って帰っただけのやつ」の印象を他者に与えるのを避けることに決めた。ミハロ・クローバ教授の講義はたびたび人生の為になるノウハウも提供してくれて、これもその中で学んだひとつだ。

 

「それにしても、結局どういう計画なんだ」

「お前、秒で疲れて帰りたくなってるだろ」

「そんなことはない」

 

 きっぱりと、自信満々でクゼは言った。「もっと自信持て~!」――これも、クローバ教授から賜ったアドバイスである。クゼは自分のことを決して自信が足りない人間だとは思っていないが、結構な回数同じアドバイスをされたので、彼女の求める水準には全く達していないらしい。最近「もしかすると求められている水準が高すぎるのでは」と思い始めたが、何の確証もない。

 

 そういえば詳しく話したことなかったっけ、と。

 学生は、腰を浮かせる。

 

 歩いていく。ケージの方。布に手をかける。

 布を取る。

 

「もうちょい頑張れば、実用まで持っていけそうだったんだけどな」

 

 クゼは口を開けて、唖然としてしまった。

 

「なんだ、これ」

「見てわからんかね」

 

 興が乗ってきたのだろう。学生はばさっと一息に全ての布を取り去る。芝居がかった動作で、両手を大きく広げて、こちらに振り向く。

 

 にっと笑って、こう告げる。

 

 

「ハムスターだ」

 

 

 いや、とクゼは思った。

 どう見ても全部、カピバラくらいでかい。

 

 

 

 

 

 床に打ち捨てられた自転車を見下ろしていた。

 四人で。

 

「鉄……? 鉄か…………?」

「まあ、ギリギリ鉄とは……」

「言えますけど……」

 

 もちろん、自分が進んで取り組もうとしていることだから。

 代表して、ミハロが訊ねる。

 

「前ってもっとこう、ちゃんと素材っぽいもの出してくれてませんでした?」

「語れば長い話になるんだけどね」

「おい言い訳フェイズに入ったぞ」

「さっき自分でやめたのに結局語るの?」

「ちょっとうるさい。黙って。四十七歳未満に発言権はないから」

「そんな恣意的な言論統制があるか?」

「制限選挙制みたいだね」

 

 聞いてね、とレトリシア・スディは言った。自分で「聞いてね」と言った割には特にこちらに目を合わせることもなく、天井の隅のあたりを見ていた。釣られてミハロも同じ方を見たが、何もなかった。彼女はよく何もないところを見ている。溝とかにも結構足を取られるが、取られてなお「取られてませんけど?」という顔で次の一歩を踏み出し始める。おそらく人生における何か大切なことを知っているのだと思う。

 

「薬屋を開いたんだけど、潰れちゃってね」

「いきなり世界の悲劇」

「前も開いてたんじゃなかったのか」

「ノウハウとかなかったの?」

「前も同じように潰れちゃったから、荒野に旅に出たの」

「悲劇転じて世界平和へ」

「賢者の肩書からなんだその学習能力のなさは」

「でも僕たちも人のことは言えない……」

 

 でもちょっと待って、とレトリシアは言う。このときはこちらを見た。かつバーンと平手を掲げたりもした。

 

「全然私は悪くないから。貧しい人には無料で薬を処方して、豊かな人からはしっかり対価をもらって、所得や生活の状況に応じて対応に傾斜をつける形で適切に運営してたの」

「半分行政みたいになってるね」

「歩く再分配機能だな」

「それで、どうして潰れちゃったんですか?」

「もっとたくさんの人にこの薬屋を知ってほしいと思って、宣伝用として庭に遊園地を立てたの」

「努力の方向性間違ってません?」

「それ自分で言って大丈夫か」

「間違ってませんでした」

「大丈夫? ミハロ、いま一瞬我に返ってたけど」

 

 いや大丈夫です、とミハロは言った。レトリシアと自分では全然事情が違う。自分の遊園地作りは「楽しんでもらいたい」という目的と関連性もあるし、何よりここにいる四人で力を合わせればほとんどコストをかけずに製作することができる(レトリシアはそのへんにあるものをぽいぽいストックに放り込んでいくので、こういう希少性の薄いものは腐るほど持っているし出し惜しみせず提供してくれるのだ)。全然状況が違う。早くレトリシアの力を借りたい。先を促す。

 

 それで?

 

「だけど、前に治療した政治家が『金持ちから金を多くせしめようなど無礼千万、不平等千万』『国有化して運営設計をこっちで定めてやる』って遊園地ごと薬屋を接収してこようとしてね」

「遊園地が脅かされすぎじゃないですか? 何この世界」

「目を背けるな」

「それで腹が立ったから全部爆破して、なかったことにしちゃった」

「とうとう能動的な姿勢で遊園地を爆発させた人が来た!」

「流石に数枚上手だな。認めよう。俺の負けだ」

「もうちょっと、あの、根回しとか……。言ってくれれば僕も手伝ったのに……」

「お前はお前で消息不明だっただろ」

「そうだった」

「それでね。問題はそこからなんだけど」

 

 ここからなの?とミハロは思った。人生は苦難の連続だ。

 

「流石に薬屋に陳列してたものまで爆破しちゃうのはもったいないでしょ? 旅の途中で人を助けるときも困っちゃうし」

「ですね。手に入りにくい薬剤もすごく多かったですし」

「だから夜逃げの前に全部一気に水の中に入れちゃうことにしたんだけど」

「はい」

「めんどくさくて途中から適当に放り込んだら、どこに何があるんだかわからなくなっちゃった」

「あるある!」

「お前らふたりは一番『あるある』になっちゃいけない立場だからな」

 

 もうどんどん面倒になってきちゃって、とレトリシアは言う。

 でも、とカフェオレボウルを逆さに持って、彼女は。

 

「入ってることには入ってるから、そのうち出てくるはず」

「あっ」

「うおおおおおっ!?」

「待って待って! 振り回さないで!」

 

 ぶおんぶおん、とボウルを振り回した。

 その結果、希少とも希少でないともわからないものが水面からガンガン出てきた。最初の『ガン』は床の上の自転車にぶつかったりした音であり、後の『ガン』はディーとオルキスのふたりが身を挺してそれを受け止めた音である。

 

「ちょ――落ち着け! 整理をすればいいんだろ!?」

「そうね。でも、ある程度魔法が使えないとそもそも干渉できないから」

「ミハロ・クローバ! 手伝ってやれ! そういうの得意だろ!」

「えっなんで……そういうイメージあります?」

 

 ああ、と落ちてきたものを腕の中に抱えながらディーが頷く。

 

「部屋が汚そうだし、逆にな」

「名誉棄損だろ! 何を根拠に言ってんだ!」

「前にお前が雨の中に放っぽり出した杖をテントに入れたら『いつでも手が届くように効率的に置いてるんだからさ』とぶつくさ言われた」

「任せてくださいレトリシア・スディ。私は特に何の理由もないんですが、散らかったものを片付けるのが得意です」

「助かっちゃう。ありがとう。必要なものは好きに使ってくれていいからね」

 

 特に理由はないが、ミハロはディーとの会話を途中で打ち切りレトリシアと共に水の中の整理に没頭することにした。ミハロは戦闘知能が高く、無益な争いは避ける性質だ。温厚、と言い換えてもいい。自分ではそう思っている。

 

 目録とか本当は作った方がいいんだろうな、とミハロは思う。

 そのあたりは面倒だから、そういうのが得意そうなオルキスにでも任せようと思い立つ。ビーズのアクセサリーを作るのが上手そうだし、多分目録作りも上手いと思う。

 

 思って、オルキス・ハートウォーツを見ると。

 彼は自転車を引き起こして、不安そうな顔で床を見ていた。

 

「あの……」

「はい」

「床、めっちゃ傷付いちゃってるんだけど大丈夫そう……?」

 

 言われてミハロは、オルキスの視線の先を見た。元々あった傷かもしれないという一縷の望みに賭けた。絶たれた。レトリシアを見た。真剣な顔で彼女もその傷を見た。しばらく見つめると、ふう、と溜息を吐いた。どこを見ているとも知れないミステリアスなまなざしのままで歩き出した。

 

 傷の上に立って。

 そっぽを向いたまま、シュッシュッとブーツの裏を擦りつける。

 

「よし」

「何も良くないよ!?」

 

 ちょ、これこのままにしてちゃダメでしょ何かいい感じの補修材とかないの。どこかに入ってると思うけどどこかはわからない。じゃあさっさとまとめちゃおう、ディーも手伝ってよ。ああ、目録作りと物運びくらいならな。

 

 そんな会話を聞きながら、ミハロは「レトリシアの大雑把って別に荒野限定じゃなかったんだ」と発見し、「自分もあれくらい奔放に生きてみたいものだなあ」と思い、そのあと「経営してた薬屋も色々危なっかしかったんだろうな……」と心配し、最終的に「頑張りましょう!」「ええ」と水の中の整理に戻った。

 

 出てきたもの次第ではアトラクションも組み始められそうかな、と計画を立てていた。

 

 二十時二十五分のことである。

 

 

 

 

 

 二十時五十分。ナノ・カッツェは守衛から「クローバ教授? いえ、見てませんね。今日もまだ校舎の中にいるんじゃないかな。熱心ですよねえ、若くてあれだけ功績もあるのに。学園の未来も明るいや」と聴取をしたのち、「ありがとうございましたお疲れ様です」と足早に敷地の中へ戻っていく。今日は歩き通しの上、すっかり遅い時間だ。流石に疲れも出てくる。

 

 クゼ・ピクセルロードから聞いた証言は、ナノ・カッツェにとって大きな衝撃だった。

 

 講義の聞きたさのあまりに留年を志した学生がおり、しかもそれがクローバ教授のクラスの九割九分九厘を占めている。にわかには信じがたいが、クゼ・ピクセルロードにそんなにわかには信じがたい嘘を吐くメリットはない。まず本当のことだろう。

 

 今すぐに、とナノ・カッツェは思った。

 今すぐに、話を聞かねばならない。

 

 寮から出たときは、「昼は悪いことをした」という思いがずっと頭を過っていた。自分が伝えなければ誰も伝えない可能性があったから、教務課に先んじて、できるだけ早く対策が立てられるようにと出張の前に立ち寄ったのだ。

 

 三度の聴講を経たことでナノはクローバ教授に対し、「中間試験の結果が悪いのも織り込み済みだろう」「彼女であれば教授会を納得させられる十分な理由を問題なく用意できるはず」と大いに信頼を寄せていた。しかし、実態はどうだ。自分自身に落ち度のない、不可解な理由での成績低迷。学生のボイコット。それを理由に一方的に解雇をチラつかされて、この夏に二十歳になったばかりの彼女は、一体何を思ったことだろう。

 

 だからナノは、今すぐに彼女に会って、問題について話し合いたいと思っていた。

 たとえ自分の力では完全な解決まで導くことができなかったとしても、少なからず支えになることくらいはできるはずだと思ったから。

 

 すでにクローバ教授は帰宅したと思っていた。けれどクゼ・ピクセルロードは「いつもは二十一時まで校舎にいる」と言っていた。もしかすると、と思う。見逃しただけなのかもしれない。学生寮を出て校舎に向かおうとして、けれどすぐに思い立って踵を返し、足を運んだ学園正門。守衛もまた、彼女が出ていくところは見なかったという。

 

 そうであるなら、と。

 校舎の玄関扉を開けて、一息にナノは階段へと向かった。

 

 一直線に上っていく。流石に足が痛い。太ももと脛が張る。帰ってからよほど徹底的に足のマッサージをしなければ、まず明日は筋肉痛で一日中顰め面をする羽目になる。

 

 それでもナノは、再び七階の廊下に着いて。

 昼にそうしたように、そしてまたついさっきの終業後にそうしたように、再び彼女の教官室の前に立つ。

 

 ノックする。

 返事がなくて、ドアノブを捻る。

 

「…………そう」

 やはり、開かなかった。

 

 ゆっくりと、ナノはそこで深く呼吸をした。先走りすぎていた。そう思う。けれど同時に不思議に思うこともある。では、どこにいるのだろう? 学園の外に出ていないというなら、一体どこに? それとも守衛が見過ごしただけなのか。いつも極端なオーバーサイズのローブを羽織った、あんなにわかりやすい特徴のある彼女を?

 

 どこかにいるのだったら探してみようか、と。

 思ってナノ・カッツェは、瞼を閉じる。踵を返す。もう一度深く呼吸して、息を整える。瞼を開く。

 

 

「は」

 もう一度息が乱れる。

 

 

 校舎の裏に、大きな観覧車が鎮座しているのを見つける。

 

 

 

 

 

「モンスターか、これは」

「いや、魔法獣。魔力から自然発生するヌゴゴプロヌス・プロクトマギカみたいなやつとは違って――って。流石にお前の方が詳しいか?」

 

 学園一階、隠し通路。

 いや、とクゼ・ピクセルロードは答えた。

 

 少なくとも自分は、こんな風に魔法獣をケージの中に安定的に押し込めておくようなことはできない。そう思いながら、目の前の友人が作り上げたそれらの物体を見つめる。

 

 魔法獣とは、その名のとおり魔法で作られた存在だ。しかし『獣』という呼び名にまで『その名のとおり』が適用されることはない。それはモンスターと同様に、実際の性質としては動物どころか植物にすら似ていない。

 

 石とか人形とか、その仲間。

 ただしある程度勝手に動く性質を持っていて、かつとても『制御が難しい』という注釈がついてしまう、そんな存在。

 

 よくぞ、とクゼはケージに顔を近付けた。がしゃん、と勢いよく魔法獣がこちらに向かってくる。これが怖い、とクローバ教授の講義で聞いていたから知っている。

 

 聞けたのは、冬学期の初日講義でのこと。

 

「よくここまで形を取れたな」

 

 本気の感心で、クゼは友人にそう告げた。「勉強したいから留年しまくる」と嘯くだけのことはある。そう思わせてくる完成度だった。学生の身で、しかも元は定期試験の突破すら怪しいような学力で、どれだけの時間と労力をかければここまで持ち込めるのだろうか。想像がつかない。

 

「意図的に動物体を構成するのは、複雑性が高すぎて難しい」

 

 カピバラと視線を通い合わせながら、クゼは呟く。

 

「静物と違って可動域が多すぎるし、柔軟性を与えようとすればするほどジャンク魔法節が膨れ上がって思わぬ挙動を示す。魔法獣を一から作って使役するより、自然の妙であらかじめ出来上がってくれたモンスターに首輪をかける方が、よほど簡単な場合もある……」

「ちゃんと覚えてんなあ。もう何ヶ月前の講義だよ」

「日々復習している。……というか、ハムスター? カピバラの間違いだろう」

「いや、マジでハムスターに似せるつもりだったんだよ。ただちょっと、こっちの技術が追い付かなくてでかくなっちった。ジャンク魔法節もその分な」

 

 ん、とクゼは思うところがあった。

 なるほど、それをネックにしてまだ実用していないのか、と。そして、ん、とさらに思うところができる。

 

「金策」

「ん?」

「百留するのに使うんだろう。どうやってこれで儲けるつもりなんだ」

「ま。そのへんは色々と。銀行をちょちょいとね」

 

 露骨に友人に目を逸らされる。そのことには特に、クゼは思うところはない。結局自分は、ただの友人であって共犯者ではない。重大な秘密は共有されなくて当然だ。それに加えて日頃から「教員に訊ねられたら大抵のことに答えるつもりでいるから、どうしても秘密にしたいことは最初から僕に話さないでくれ」と公言しているのもある。それでも気兼ねなく接してくれる友人は多く、周囲の環境にはひどく恵まれているように感じる。

 

「そうか。犯罪はするなよ。悲しいから」

「……うす」

「それにしてもすごいな。生物図鑑とにらめっこだっただろう」

「まあまあまあ……。実はそっちはそんなに問題なかったんだよ。鼠を飼ってるやつがいたから、ちょっと見せてもらってさ」

「クラスみんなで額を寄せ合って?」

 

 クラスみんなで額を寄せ合って、と頷かれる。ふ、とクゼは笑う。でもさ、とさらに話は続いた。

 

「まー、一番苦労したのはやっぱ『動くかどうか』より『縛れるかどうか』だな。人に迷惑かけたら仕方ねーし」

「結界術か」

「いや、そっちはやる時間なくて――」

 

 おーい、とその途中で、声をかけられる。もう大体証拠隠滅終わったぜ。お、マジかはえーなお疲れさん。

 

「じゃ、後は魔法獣の安全終了だけだな」

 

 よっこら、と友人は立ち上がる。

 それから杖を持って、ケージの中のカピバラたちに向ける。

 

「縛る方さ、」

 魔力を集中させながら、呟いた。

 

「ま。癪っちゃ癪なんだけど。あれ使ったんだよ」

「あれ?」

「ほら、あいつがヌゴゴプロヌス・プロクトマギカを相手に使ったって言ってた、軽い縛りの呪文。あんな馬鹿ムズいやつを『軽い』とか言ってんのも腹立ったけど、色々試行錯誤してたら、難しいところ全部省いてもまあまあ成立するってことがわかってさ」

 

 悔しいけど基本骨格の組み立てが段違いなんだろうな、と友人が言う。

 あれ、とクゼは思った。確かに、難しい魔法の一部を易化して扱う技法は存在する。基本的に学生はずっと「魔法は教科書に書いてあるとおりに扱いなさい」「扱えないなら素直に技量不足を認めて鍛錬を重ねなさい」と教えられるが、ある一点で、しっかりと準備さえすれば簡略化が可能だということを教えてもらえる。そういうことになっている。講義で聞いて知った。

 

 ちなみにそれを教わったのがいつなのかというと。

 今日。

 

 相似体の講義でのこと。

 教科書に載っていたあの単純な練習問題を確認する限り、完全に中等科の範囲から飛び出した、普通の十五歳であれば知る由もない知識。

 

 クゼくんなら大丈夫だと思うから教えちゃうね。

 でも慣れるまではすごく簡単なものから順に、周りに人がいないところでやったり、慣れた人に傍についてもらったりしながら、安全管理に気を遣うようにしてね。

 

「習うより慣れろってやつだよな。機能は落ちるけど、ハムスターくらいのやつを縛るだけなら最低限まで削いでも全然問題ないみてーだし。発見だぜ」

 

 冷や汗が流れた。

 冬の、校舎一階だと言うのに。

 

「ちょっと待て。よく知らない魔法を相似体運用しているのか?」

「……相似体? 何それ」

「五次元軌道の相互復元性チェックは通したか?」

「何それ」

「魔法獣の安全終了を行うのは何回目だ?」

「いや、お前さ、」

 

 こんな手間がかかるやつ、こんなこともなけりゃ消すわけねーじゃん。

 言いながら、しかし魔法は止まらない。止められない。マズい、とクゼは思う。

 

 間に合わない。

 

 だから二十一時、今日の講義で習ったことが、クゼの目の前で起こる。

 

 

 

 低級相似体化に伴う高度魔法の機能変質。

 

 カピバラは消えるどころか、溢れ出した。

 ついでに、制御も失った。

 

 

 

 


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