「ねー、話聞いてる?」
机に突っ伏した女の子が、ジト目で俺をにらんだ。
「あぁ、聞いてるよ」
俺はカウンターのグラスを布で拭きながら答える。
「絶対ちゃんと聞いてなかったし」
ぶーたれる女の子の名前は、伊地知虹夏。
高校2年生だ。
見ての通り、制服姿。
制服の女の子ってのは、この場所には何とも似つかわしくない。
というのも、ここはバーだから。
ロックバー『Heartland』。
それがこの店の名前だ。
今は、午後18時。
開店にはまだ早すぎる時間。
事実、外の扉にはClosedの板が架けてある。
20時までの開店前の時間、たまにこの子は遊びに来るのだ。
「聞いてたさ。明日、ライブをやるんだろ?」
「あ、うん」
なんだちゃんと聞いてたのかって表情をする。
この子は、表情がころころ変わる。
だからわかりやすい。
と同時に、こんなに無防備な生き方をしていて、大人になったとき大丈夫だろうか?といらぬ心配をしたりもする。
いや、まぁ、この子の人生だ。
俺には関係ないか。
俺は、胸ポケットに入れていた煙草を手に取ろうとして――止めた。
未成年の前で吸うのは、あまりよろしくはないだろう。
「で? 何を困ってるって?」
「あ、やっぱちゃんと聞いてなかった」
「今からちゃんと聞くよ」
「もー。そういうおざなりな態度、女の子にモテないよ?」
「別にモテる気はないよ」
モテを狙うなら、こんなうらぶれたロックバーなんかやってない。
「え~」
虹夏が口をすぼめた。
「おにーちゃん、ちゃんとすればモテそうなのになー」
こいつは俺のことを、おにーちゃんと呼ぶ。
なんだか、少しくすぐったい感じだ。
本当の妹ではない。
俺と似た年齢のおねーちゃん(こっちは本物)がいるらしく、なんとなく俺はおにーちゃんという感じらしい。
「俺のモテはいいから」
ファッションがどうとか、髭をちゃんと剃ればいいのにとかブツブツ言いだしたので、けん制すると。
「あ、そうだった」
てへっと自分の頭をこついた。
「あのね、あのね、明日ライブだっていうのに、ギターの子が逃げちゃったんだよ~」
がばっとカウンターに乗り出してくる。
ってか、わりと重大事だなそれ。
「連絡取れないの?」
「うん、急に全部既読無視になっちゃってさー」
「同じ学校の子? それならクラスに行けば……」
「全然違う学校の子なんだー」
積んだ~って表情でため息をつく。
「友達とかじゃないのか?」
「実は、あまり知らない子」
なぜあまり知らないやつをギターに抜擢したんだよ。
「その子がボーカルも担当する予定だったから」
「マジかよ」
ほぼサウンドが成り立たなくなるな。
「どうしよ~」
「虹夏が代わりに歌うとか」
「えぇぇ、それは無理ムリ! 私歌下手だから!」
ぶんぶんと手を振る。
そういうと、前に一度一緒にカラオケに行ったことがあるが、ドヘタだったな。
あの時も「友達の前で歌うとき笑われたくないから練習付き合って~!」と泣きつかれたんだったか。
思わず思い出して苦笑いしてしまっていたらしい。
「おい、おにーちゃん。いま私の歌声思い出してただろ」
ジト目でにらまれた。
「ま、まぁあれだな。何とかして代わりの人を見つけてくるしかないな」
「い、今から?」
「そっ。今から」
「めちゃくちゃハードル高いよー。ギター弾けて、歌も歌えるなんて」
それはそうだろう。
「うーん、まぁ最悪、ギターだけでも弾ける子を見つけてインストバンドとか」
「インスト、インストかぁ~」
虹夏が頭を抱える。
3ピースのインストバンド。
ないわけじゃないけどな。
「あ! そうだ!」
名案を思い付いた!とばかりに虹夏の目が輝いた。
「おにーちゃん、電撃加入してよ! 昔バンドやってたんでしょ?」
「はぁ!?」
「歌とキーボード担当だったんだよね!?」
俺の脳裏に、女子高生二人に交じって29歳のおっさん(無精ひげ)が歌を歌う様子が浮かび上がる。
ないわ、マジないわ。
どう考えても絵面がおかしい。
援助交際バンド略してエンコーとか呼ばれかねない。
「ダメダメ、ありえないから」
「え~!?」
「その様子、想像してみろよ! お前と、山田さんだっけ?女の子二人に交じって俺が歌ってるところ」
「うーん……」
虹夏が目を閉じて……。
「ぷふっ」
笑いやがった。
想像して、笑いやがった。
「確かに。加入したら捕まっちゃうかもね。おにーちゃんが。ライブ終了後に」
「俺、何も悪いことしてないけどね!?」
誰だよ、ポリスメン呼んだヤツ!?
とまぁ、馬鹿な会話を繰り広げつつ。
俺は、ちょっと真剣な表情に戻して、言った。
「とりあえず、ぎりぎりまで努力してみなよ」
虹夏も、引き締まった表情で俺を見た。
「努力、かぁ」
「そっ。説教臭いことは言いたくないけどさ。一応、虹夏の倍近く生きてる経験で言わせてもらうけどさ、やらずに後悔するよりは、やったほうがいいぜ?」
「……うん」
虹夏が、うなづいた。
「わかった。見つかるかわからないけど、ギター弾ける人、捜してみる!」
「おぅ。頑張れ」
「学校で探してみて、見つかんなかったときは、その辺を歩いてる人にも声かけてみるよ!」
それはさすがにアグレッシブすぎだけどな。
苦笑しつつ、俺は、グラスを一つ出して、オレンジジュースをそこに入れてやった。
「ほら、景気づけ」
「あ、ありがとう!」
虹夏がほほ笑んだ。
こいつの笑顔は、まぶしい。
俺は、それを見るのが好きだったりする。
「んぐっ、んぐっ、んぐっ」
子供っぽい動作で一気に飲み干して。
虹夏が立ち上がった。
「おにーちゃん!」
「お、おぅ」
「なんか、元気出た! 私、今からギター弾ける友達いないか、探しに行ってくる!」
「がんばれ!」
「うんっ!」
おにーちゃん、ありがとー!!と叫んで、手をぶんぶん振ってお店を出ていく虹夏。
騒がしいヤツがいなくなると、急に店内はしんとした。
裏通りのカウンターしかないような小さなバーだ。
照明は薄暗く、設備も古い。
本来は、虹夏みたいな明るい女の子が来る場所じゃないんだ。
俺は、虹夏が飲み干したオレンジジュースのグラスを洗いながら、独り言ちた。
元気出た、か。
元気をもらってるのは、俺のほうだ。
※
細長い、カウンターの奥。
わずかに広がったスペースに、置物のように埃をかぶっている、ピアノに目をやった。
〝おにーちゃん、電撃加入してよ!〟
虹夏の明るい声が、脳裏にこだまする。
「歌、か……」
つぶやいて、ピアノの椅子を引き出した。
腰かけて、鍵盤蓋を開く。
白と黒の鍵盤に、指を添えようとして、
「ダメだ」
俺は、首を振った。
いやな汗が、体中から噴き出していた。
ピアノを弾けなくなった〝あの日〟から、もう7年がたつ。
まだ俺は、鍵盤に触れることすら、できない。
※
これまでの日々、色々なことがあった。
生きていくのが嫌になったこともあった。
音楽を通して、勇気をもらったこともあった。
流れ流れて、ようやくたどり着いた場所が。
この、小さな店だった。
時計を見ると、もう、19時半を少し過ぎていた。
開店の時間まで、あと少しある。
俺は立ち上がり、レコード棚を漁った。
さっき弾こうとして、弾けなかった曲を探すために。
「あった……これだ」
Dobie Grayのヒットシングル、Drift Awayだ。
ターンテーブルに乗せて、針を置くと。
滋味深い歌声が、流れ出した。
俺は、虹夏と話していて、この曲を思い出した。
それはたぶん、この曲が。
さまよう魂を鼓舞するような歌だからだろう。
虹夏、お前のドラムで。
お前のビートで、俺を解放してくれよ。
「って、何言ってんだ、俺は」
俺は苦笑した。
29歳にもなって、子供とおしゃべりして、何を考えてるんだか。
あの子の明るさに、ほだされちまったか?
情けないにも、ほどがあるぜ。
でもなぜだかわからないけれど。
この薄暗い店の中にいて。
あの子がそばにいてくれる間だけは、陽が差すような気持がするんだよな。
「うまく、ギタリスト。出会えるといいな」
独り言ちて、曲の終わったレコードプレイヤーを、止めた。
さて、俺のほうも、仕事頑張らなきゃな。
もうすぐお客が来る時間だ。
大きく伸びをして、気合を入れる。
明日の夜にでも虹夏が。
「ギタリスト、見つかった! ライブもなんとかうまくいったよ!」
そんな報告をしてくれることを、願った。
(完)
ご意見等ございましたら、研鑽してまいります。