「……これって本当?」
「……いや、ぼっちがそういう時期なだけかもしれないじゃん。今日だって普通にしてたし」
「そ、そうだよね!」
そうだ、きっとそうなんだ。そういう時期は誰にでもある。
そう自分に言い聞かせる。ここに書いてあることが本当なら、ぼっちちゃんが今日バイトに来たこと自体おかしい。だからきっと冗談なんだ。
「じゃあページ進んでみよ」
「うん……」
『これは貴方の備忘録。記憶が出来ない貴方はこのノートを使って、明日の貴方に今日あった出来事を伝えてください』
「つまるところこれは……」
「日記、ってことだね」
このノートにはぼっちちゃんの日記が書かれているようだ。
少しページを読み進めてみる。
「えーと、『4月7日、月曜日。今日は高校の入学式だった。華の女子高生生活がスタート。しかし、残念なことに誰にも話しかけられなかった。悲しい。
明日の私は話しかけられますように』……ん? これだけ?」
その日の日記はこの文と下に小さく書かれた学校の地図に、ぼっちちゃんのクラスであろう場所がチェックされているだけ。
いくらなんでも内容が薄すぎる。記憶が無くなるってなったら、普通はもうちょい何か書き残さない?
「やっぱり、記憶障害なんてないんじゃない」
「確かに……あ、初ライブの日のページ見てみる?」
「いいね」
私は何枚かページを進んで、私たちが出会った日の日記を読み始めた。
『今日はとてつもなく濃い一日だった! 私の夢の第一歩! バンドを組むことを達成できた! 嬉しい! バンドメンバーの虹夏ちゃんもリョウさんも凄くいい人! この人たちとならやっていけるかもしれない!』
「なんか照れるね」
「ねー、ぼっちちゃんも嬉しいって思ってくれてたんだ〜!」
ぼっちちゃんはあんまりこういうことを口に出して言ってくれないから、本当の気持ちを知ることが出来て嬉しい。
それからのページにはその日の出来事を詳しく綴ってあった。勧誘された場所からライブの様子まで、細かく綴っている。それから私たちの情報も記されていた。
ぼっちちゃんの気持ちを知ることが出来て嬉しくなってしまった私は、もうただの日記くらいの気持ちで読んでいた。
ページをめくる。
『忘れたくない、忘れたくない、忘れたくない、忘れたくない、忘れたくない、忘れたくない、忘れたくない、忘れたくない、忘れたくない』
「……え?」
今までの日記からは想像もできない突然の豹変に私は血の気が引いた。
『明日はバンドミーティングの約束もしたんだ。次ライブする時はもっと上手くなるって約束したんだ……。
でも明日の私はこんな約束も覚えていない……
明日には虹夏ちゃんの顔も、リョウさんの顔も、声も、二人の担当楽器も、私に付けてくれたあだ名も、全て忘れている』
「……信憑性、高くなってきちゃったね」
このページを読んでようやく気づいた。
ぼっちちゃんは本当に記憶障害を抱えている。
冗談であって欲しかった、真実だと認めたくなかった。
でもこの日の苦しむぼっちちゃんが、あまりにも可哀想だった。
これが冗談な訳が無い。
「ページ、めくろう」
嫌な現実からも目を離さないリョウはすごい。私は今すぐにでもこのノートを閉じたかった。
でも私たちはぼっちちゃんの苦しみについて知る義務がある。
今まで何も知らずに一緒に過ごしてきた。その間もきっと、ぼっちちゃんは苦しんでいたんだ。
ページをめくる。
『こんなにも忘れるのが辛いなら、こんなにも苦しいなら、
私はいっその事、あの二人に会わない方が良かったんじゃないかと思う。
二人からしてみてもそうだ。一緒に過ごした時間をすぐに忘れられて、気分がいいわけが無い。
今日の朝の私に伝えることが出来るなら、
ギターを持っていかず、公園にも寄らず、真っ直ぐ家に帰って欲しい。なんで過去は変えることが出来ないんだろう?』
ぼっちちゃんにとって出会いは別れと同義。いくら仲良くなっても、明日には関係値がリセット。自分だけが相手のことを知らない辛さ。それを何度も何度も体験する。
そんな絶望の繰り返しを始めてしまったのは、私だ。
私がぼっちちゃんを見つけていなかったら、私がぼっちちゃんを勧誘していなかったら、
ぼっちちゃんは苦しまずに済んだのだろうか?
「ご、ごめ、ごめんなさい……ごめんなさい……」
口から出てきたのは、届くはずもない謝罪の言葉。
ぼっちちゃんは私のせいで苦しんでいる。
私がぼっちちゃんを見つけなかったら、ぼっちちゃんはずっと独りだったのかもしれない。
だけどその方がぼっちちゃん、いや後藤ひとりちゃんにとってきっと一番良かったのだ。
その日の日記は、何とか襲い来る眠気に抗おうとするも、呆気なく眠りに落ちてしまったところで終わっている。
「虹夏、虹夏」
「……あ、ごめん」
私はリョウの声で我に返った。
「ぼっちから返信来てるよ」
「ああ、本当だ」
『すみません! 今すぐ取りに行きます!』
ぼっちちゃんは忘れたノートを取りにここにもう一度来る。
「……どんな顔して会えばいいのか分からないね」
そんなリョウの言葉に私は何も返すことが出来なかった。
少しずつだけど、仲良くなれていた気がしたんだ。
ぼっちちゃんはお客さんと目を合わせて接客も出来るようになったし、私も頑張らなくちゃって思った。
ぼっちちゃんはその頑張りもリセットされてしまう。勇気を出したことも、明日には忘れている。
私だけだったんだ、仲良くなれた気でいたのは。向こうが忘れていることも知らないで、馬鹿みたいに馴れ馴れしく接して、
ぼっちちゃんの苦しみを助長させていたんだ。
そんなことを考えている時だった。
「……虹夏、これ見て」
リョウはその続きのページを読んでいた。初ライブの日の翌日、バンドミーティングをした日だ。
『私は歌詞を任されることになった! 私は記憶障害のせいであまりお役に立てないから、出来るだけ頑張ってみよう! まずは手始めにこのページ一枚分に歌詞を書いてみる!』
その次のページにはぼっちちゃんが書いた歌詞が書いてあった。
「……うん、いい歌詞。ぼっちだって頑張ろうとしてるんだよ」
書かれている歌詞は一曲分。小さく書かれているタイトルは『忘れてやらない』。
この日のぼっちちゃんは初ライブの時の記憶がない。
正直、頑張る意味が無い。だって全く知らない相手なんだから。
それでも、ぼっちちゃんは頑張っていた。
泡のように消えていくはずのぼっちちゃんの記憶たち。それが歌詞として、確かにそこに残っていた。
ぼっちちゃんは誰かの記憶に残ろうとしていた。
私たちもぼっちちゃんに何かしてあげたい。
「私たちでさ、ぼっちの記憶を戻してやろうよ
絶対に忘れられない体験で埋めつくしてやろう」
「……うん! このノート一冊じゃ収まらないぐらいの、すごいことをしよう!」
ぼっちちゃんは記憶障害が治るその時まで、ずっと同じことを繰り返す。仲良くなって、また忘れての繰り返し。
今はまだ、そのままでいい。私たちがぼっちちゃんのことを覚えている限り、ぼっちちゃんはきっと応えてくれる。この歌詞がそれを物語っている。
頑張るぼっちちゃんを私たちで支えてあげるんだ。
人には絶対覆らない現実というものが襲ってくる。
ぼっちちゃんにとってのそれは記憶障害。
その現実を乗り越えて、ぶち壊した時。
その時、私たちはぼっちちゃんにこう言ってやるんだ。
絶対忘れてやらないよって。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
からんからん
ドアベルが鳴った。
「す、すいません……忘れ物しちゃって……」
申し訳なさそうに入ってくるぼっちちゃん。
「いやいや全然大丈夫 ! せっかくメモしたのに忘れちゃったらしょうがないもんね!」
私はぼっちちゃんにノートを渡す。
「じゃ、じゃあ私はこれで……」
「あ、そういえばさ、ぼっちちゃん」
「あっ……なんでしょうか……?」
「前も言ったけどギターボーカルを入れたいから、もしいい感じの人がいたら勧誘しといて! お願い!」
「ああ……それですね……頑張ってはみます……」
「じゃあ! また明日ね!」
「はい……また明日……!」
そこで私たちは別れた。遠くなっていく背中が哀愁を漂わせていた。これが今日のぼっちちゃんとの最期の会話だ。
伸ばしたくなる手を押さえつけて、私はぼっちちゃんを見送った。
「やっぱりぼっちちゃんって記憶ないんだね」
「虹夏、性格悪い」
念の為、もしぼっちちゃんが記憶障害を患っていなかった場合のために、私は鎌をかけた。
私はぼっちちゃんに直接、ギターボーカルを探して欲しいなんて頼んだことはない。
「でも仕方ない! これからまた頑張っていこう!」
「うん」
私たちはぼっちちゃんの記憶に残ってみせる。そんな決意をしたのだった。