時間をかければかけるほど悪くなっていく気がしますね。
早めに書き上げた方がいい気がする!
オーディションの日から私は、記憶が正常に出来るようになった。完璧に、とはいかないけど以前よりは記憶力が確実に改善している。あまり些細なことは覚えていないが、重要なことは絶対に忘れない。
人と親しくなるのも、当たり前のことをするにも、眠ることでさえ、今までの私は怖かった。
たった数ヶ月でも、私には記憶を失う恐怖が嫌という程染み付いていた。いつかまた、記憶を失う日が来るんじゃないかと、怯えて毎日を過ごしている。
今でも日記を書く癖は抜けていない。
過去を取り戻すために、昨日の私のために、奔走してきた毎日だった。
それで記憶が戻ってきても、また過去に苦しめられている。
あの日に何があったかなんて、私は覚えちゃいない。
虹夏ちゃんたちの様子から考えてみて、私が精神崩壊するような出来事はきっと私の問題なのだ。あの優しい虹夏ちゃんが原因であるとは考えづらい。
解決はまだ先だ。それでも今は毎日が楽しい。
これから先、きっと私は挫折する。真実を知ることになるその日、私が正気でいられるかは分からない。
明日は今日よりも悪い日になるかもしれない。
だからその時までは今を笑って過ごそう。今だけ、その時までは楽しい未来を思い描いて笑おう。
明日はみんなでお祝いをするんだ。これから先も、きっと楽しいことばっかり。私は過去を乗り越えられるはず。
さあ、明日は早起きして準備しよう。ノートを閉じて布団に入る。
ふふふ、楽しみだなぁ……楽しみで寝付けなかったりして……。
明日があるという当たり前、その取り戻した幸せを噛み締めて、私は目を閉じた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
オーディションの日は私にとっての分岐点だった。
その日は朝からずっと緊張していた気がする。
私が足を引っ張れば合格できないかもしれないかもしれない。みんなが積み上げてきたものを台無しにしてしまうかもしれない。そんな不安をずっと抱えていた。
でも私は一歩踏み出すことが出来た。
すごく緊張したけど、それを乗り越えて最高の演奏が出来た時は本当に嬉しかったし、こんな自分でも少しづつは上手くなっているかも、という自信がついた気がした。
緊張状態が深ければ深いほど、それが抜けた時の安心感は段違い。極度の緊張状態が解けた私は張り詰めた糸が切れたかのように眠ってしまった。
本来ならそこで私は記憶を失って、目を覚ませばみんなのことを忘れているはずだった。
しかし私は現実を乗り越えた。記憶を取り戻したのだ。
みんなが私のことを心配してくれるのは嬉しかったし、記憶を持ち越せたことに気づけた時なんか、今すぐ走り出したいほど舞い上がっていた。
そう、思い返すと私はその日になって初めて、
みんなの隣に立てるようになれた気がした。
心のどこかでは『私なんか……』という感情があって、今までは劣等感を感じながらみんなと過ごしていた。
けれどその劣等感が拭えた時、私は結束バンドが本当に意味で始まった気がした。
してしまったんだ。
もし私の記憶の中で何か一つ、また忘却することが出来るなら、
私は迷わず結束バンドを忘れるだろう。
それに気づいてしまったらもう後戻りはできない。
嫌なことは思い出さずにしまっておくべきだ。
私は死ぬまで、結束バンドの後藤ひとりを演じ続ければ良い。
みんなの隣に立てる、理想の私を演じ続けろ。
誰にも気づかれるな。虹夏ちゃんたちにも、後藤ひとりにも。
てっぺんを目指すんだ。足が挫けても、心が折れても。
「ハア……ハア……ハア……あれ……」
体を起こす。まだ外は暗いのに目が覚めてしまった。
呼吸を整える。寝間着が寝汗でびっしょりだ。なんか……夢を見ていた気がするんだけど……。
ふと顔に手をやると頬に涙が伝っていた。
あれ……なんの夢見てたんだっけ……。
あ、エアコン切れてるし。目が覚める訳だ……。
もう一度エアコンをつけようとリモコンを手に取る。
……あれ、つかない。故障かな……。
しょうがない、窓開けて二度寝しよう……。
幸いにも窓を開ければ十分涼しい気温だったので、私はエアコンを諦めてもう一度眠りについた。
何か忘れているような気がしたけど、きっと些細なことだ。何も問題ない。
そう、私は上手くやってる……上手く……。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それから朝になって、私は準備を始めた。
部屋の写真は気に入ってたけど剥がした方が良さそうだし……もっと飾り付けもした方が良いかな……。
なんて考えていたら、もうみんなが来る時間は三十分後。まだリビングしか飾り付けてない……。
「お姉ちゃん、もうすぐお友達来るんでしょー?」
「あ、うん……」
部屋で悩んでいるとふたりが部屋に入ってきた。毎日一緒に過ごしているはずなのに、どうにも新鮮な感覚に陥ってしまう。
記憶を失い続けていた期間、ふたりは私のことを露骨に避けていた気がする。ふたりと話すことが極端に減っていた記憶があるのだ。
最近になって、ふたりはまた話してくれるようになった。
ふたりは成長期だ。たった数ヶ月、たった一日でも、この頃の子供は驚くほど成長すると言う。肉体的にも精神的にも。
何が言いたいのかと言えば、ふたりが私を避けていたのか、私がふたりを避けていたのかは、私は覚えていないということ。
ふたりは聡明な子だ。私なんかよりも世渡り上手だし、この頃の子供にしては賢すぎる。人の視線にも敏感だと思う。
記憶ができない私はどんな表情でふたりを見ていたのだろう。
私には記憶障害の弊害というものは少なかった。生活してる中で、関わるのは理解がある両親や学校の先生くらい。学校には話す友達もいないし、記憶障害が原因で生じる齟齬もほぼなかった。
だからこそ、朝起きる度に記憶と違った姿に成長していくふたりだけが私に現実を見せつける唯一の物になっていた気がするのだ。
果たしてその時の私の目は、妹を見る目だったのだろうか。
……だけど思い出せないものはしょうがない。それに記憶が治ったんだから、これからまたふたりと良い姉妹関係を築けばいい。
「お姉ちゃんの初めての友達、楽しみにしてるね!」
「うん……あ、ちょっとこれ手伝って……」
「え〜しょうがないなぁ〜」
ふたりの手伝いもあって、何とかみんなが来る前に飾りつけは完了した。間に合った……。
とりあえず座ってお茶でも……。
ピンポーン
「ぼっちちゃーん! 来たよ〜!」
……ああ、息つく暇もない……。
「い、今でま〜す……」
二階から聞こえるはずもない声量で一応返事だけは返す。急がなきゃ……。
階段を滑るように下り、私は急いで玄関へ向かった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「それでは! ぼっちちゃんの記憶が治ったお祝いを! はっじめまーす!!」
私たちはぼっちちゃんの家に集まっていた。
目的はぼっちちゃんの快気祝いをするため。先日、記憶障害が治ったぼっちちゃんのためのお祝いパーティーなのだ。
「……と言っても……何すればいいか分かんないんだけどね!」
「伊地知先輩、私映画持ってきましたよ!」
「あ……ゲームとかありますけど……」
「ぼっち、Wi-Fiのパスワード教えて」
結束感……。お姉ちゃんにも言われちゃったんだよなー。
「と、とりあえず……みんな来れて良かったですよね……」
どうにか空気をまとめようと勇気を出したぼっちちゃん。
そう、バンドメンバー全員で遊びに集まるのなんて簡単かのように思われるが、実は奇跡に近いのだ……。
その原因はリョウ! こいつは休日とかは一人で過ごすのが好きで、休日の為ならどんな嘘をついてでも死守する。
「そう! リョウなんか適当に理由つけて来ないかと思ったのに!」
みんなの視線がリョウに集まる。肝心の当人はさっきから無言。机に両肘をついて顎の前で指を組み合わせて、目を瞑っている。
一体どんな言葉を発するか、全員がリョウの動向を伺っている。
パチリと開かれた眼光。目が輝いている……リョウのこんな目……見た事ないかも……!
そしてとうとうリョウが口を開く……!
「タダ飯が食えるんじゃないかと思って」
「ああ……まだ金欠なんですね……」
「リョウ先輩……」
リョウらしい……とみんなは思っているかもしれないけど、多分これは嘘。付き合いが長いからなんとなく分かる。
リョウにとっての休日とは何よりも大切なもの。ご飯と休日、天秤にかければ休日の方が重い。その休日を削ってまでぼっちちゃんの家に来るなんてありえない。
それに今のリョウはそこまでお金に困ってないはず。バイトも結構入れてるし、喜多ちゃんのベースを買い取ってから三ヶ月くらい経ってる。
素直じゃないな〜こいつ〜。ぼっちちゃんの記憶が治ったのが嬉しいから来たんでしょ〜。
案外、一番喜んでるのはリョウだったりしてね。
「ふふふ……」
「……なに?」
「いーや、なんでもない……ふふ……」
そんなリョウの可愛い本心に気づいているのは私だけだと思うと、笑いが込み上げてしまう。
「うちの親……みんな来るって言ったらすごい張り切っちゃって料理の仕込みしちゃってて……消費してもらうと助かります……」
「あれ? そういえばぼっちちゃんの家の人は?」
「あっ、今買い出しに行ってて……」
なるほど……ぼっちちゃんが家に友達を連れてくるのは相当珍しいみたい。目に見えるだけでもかなりの量の料理がキッチンに見えたけど、それでもまだ買い出しに行くぐらい気合いを入れているようだ。
ぼっちちゃんの両親が帰ってきたらすぐに挨拶しに行こう。それまでは……何しよう。
「あの、今日ってライブで着るTシャツのデザインも決めるんですよね? ならそれを先に終わらせませんか?」
「……そうだよ! それ先に終わらせてから思いっきり遊ぼうよ!」
喜多ちゃんナイスアイデア!!
こうして私たちはTシャツのデザイン作りから取り掛かることにした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
Tシャツは紆余曲折ありながらも、なんとか一つのアイデアにまとまった。
デザイン作りでは驚く程、私以外の3人が役に立たない。
ぼっちちゃんのセンスは男子中学生レベルだし、喜多ちゃんはバンドTシャツを体育祭のクラスTかなんかだと思ってるし……リョウに至っては何一つアイデア出さなかったし!
結局、私が書いたシンプルなデザインのTシャツに決まったのだが、予想以上に時間がかかってしまった。
デザイン作りが停滞している間に、ぼっちちゃんの両親は帰宅。ご挨拶はすぐに終わらせた。
めちゃくちゃいい人だった……ぼっちちゃんがいい子に育ったのも頷ける。
それからお祝いパーティーが本格的に始まった。
たくさんの料理が並ぶテーブルを囲む私たち。そこにはただ、幸せな時間が流れ続けた。
色んな話をした。これまでの思い出、これからの目標。
たくさん笑った。たくさん話した。たくさん遊んだ。
これからもきっとこんな話たくさん出来るのに、今生の別れの前みたいに色んな話をした。
それはまるで今までの時間を取り戻すかのように、一秒一秒を噛み締めるかのように。
気づけばかなりの時間が経っていた。もう少ししたら帰らなきゃいけないと考えると悲しいけど、私たちはまた集まれる。これから先、いつでも。
今日で終わりじゃない。
「虹夏ちゃん、また遊びに来る?」
なんて感傷に浸っていたらぼっちちゃんの妹、ふたりちゃんに話しかけられた。
「うん! 絶対また来る! 今度は泊まらせてもらおっかな!」
「本当に!?」
「うん、約束する!」
「わーい!」
元気だなぁ……やっぱりふたりちゃんもぼっちちゃんの記憶が治ったことが嬉しいんだろうなあ……。
「ふたりちゃん、お姉ちゃんのことは好き?」
「うん!」
姉妹でこんな仲良いのも羨ましいね。うちも仲が悪い訳じゃないけど。
「あのね、お姉ちゃんって最近ずっと怖かったんだけどね、多分みんなのおかげでちょっと明るくなった!」
「へえ〜どんな風に怖かったの?」
「えっとね、昔のお姉ちゃんは暗くて元気がないだけだったから怖くなかったんだけど」
「ほうほう」
「お姉ちゃん、お家を飛び出しちゃった日からなんだかお顔が怖くなったんだよ! 最近はちょっと昔のお姉ちゃんに戻ってるけど」
「ほー……え? ぼっちちゃん家出したの?」
これは家族にしか分からない貴重な話だ。ちょっと聞いてみたい。
「いや、家出ってほどじゃなくてね! 夜ご飯食べた後に何も言わずに飛び出しちゃって! 海まで行ってたらしいんだけど。
帰ってきた時のお姉ちゃん、今にも死んじゃいそうな顔だった! 今までお姉ちゃん、お化けに取り憑かれたこととかあったんだけど、その時は本当のお化けみたいだったんだよ!」
おー……ちょっと毒舌……。
あれ……? それっていつの出来事なんだ……?
「ちなみにそれいつだったか覚えてる?」
「えっとね……ちょっと待って……」
そう言ってふたりちゃんはトコトコと歩いてカレンダーを持ってきた。
「えっと、確か五月の……この日!」
ふたりちゃんが指をさしたのは私にとって、とても大切な日。忘れる訳が無い。だってその日は…
私たちが初めてぼっちちゃんに出会ってライブをした日だから。
「はは……なんだそれ……」
乾いた笑いが口から漏れ出た。目眩がする。
ぼっちちゃんは私たちに出会った日からおかしくなった? なんで? どうして?
ダンボール被ってたのが恥ずかしかった? いい演奏が出来なかったから?
私たちに出会ったから?
ダメだ、考えるな。今結束バンドは上手くいってるんだ。
ネガティブな感情を持ち込むな……みんなをまとめるのは私なんだ……。
「虹夏ちゃん、これからもお姉ちゃんと仲良くしてね!」
「……うん!」
変に思われないだろうか。ちゃんと明るく返事出来ただろうか。
ごめんね、もしかしたら……私は君のお姉ちゃんのこと、全然知らないのかも。
日記が全てという訳でもなかった。日記だけでぼっちちゃんを知った気になってたんだ。
ぼっちちゃんはぼっちちゃんにしか知り得ない何かを抱えている。
解決が答えじゃないことだってある。ぼっちちゃんが打ち明けてくれるのを待ってもいいかもしれない。このまま有耶無耶にしながら活動を続けていって、靴に石が入ったまま歩き続けてもいいのかもしれない……。
なんて、そんなのは今までと一緒じゃないか。
何度も後悔してきた。あんな思いはもうしたくない。
方法はなんでもいい。その石を取らないと結束バンドは始まらないんだ。
もう何度目か分からない決意。ただ君のためにもう一度だけ、私は決意する。
これで最後にしたいよ……私も……。
あと二話で完結だと思います。ちなみににじみ文字の中身は特に物語に関係ないです。