雪はねしてたら小汚い猫が現れた。
「そんなにしんどいなら、やんなきゃいいのに」
スノーダンプを地面と雪の間に差し込んだまま、ハルコはビクンと揺れた。
だって声がしたのは灯油タンクと物置の間の薄暗い空間で、人が入れるような隙間ではない。
硬直するハルコの前にノソリと出てきたのは、猫だった。痩せて薄汚れたサバトラ。
「さっきからしんどいしんどいしんどいって念仏みたいに。朝も昼も同じように唱えながら雪掻きしてたな」
固まった鼻水に砂利を付けたまま動く小さい口から、男の声は発せられている。
「だってあたしが動かなかったら、家が雪に埋まっちゃうじゃない」
ハルコは自分でも驚くほど普通に答えた。
「さっき、お前が除雪したスペースに帰って来た車から、充分に手伝える図体のガキが降りて来たろ。後、お前さんより百倍金かけた身なりのババア連中と、影の薄い男」
「はは、無理無理、あの人らに頼もう物なら百万倍面倒になって返って来る。黙って自分で動いた方が楽」
「クリスマスに家族水入らずで外食楽しかった、って聞こえたぞ」
「そうね」
「お前家族じゃねぇのか?」
「さぁね」
「あの影の薄い男はダンナだろ?」
「まぁね」
猫は背中に積もった雪をブルンと払った。
「っていうか驚けよ」
「今さら?」
「普通に会話しやがって」
「普通の会話に飢えていたのかもしれない」
言っている間にも雪は降り続け、ハルコはスノーダンプをガンガン蹴って強情な雪に突き刺し始めた。
「そんなに口に出てた? しんどいって」
「おぅ」
「そうか」
「お前さ、家の中でも言えよ」
「嫌ぁよ」
「俺は言って欲しかったって思っているよ、女房に」
ハルコは手を止めて振り向いた。
「雪掻きがそんな大変だとは知らなかったんだ」
「あんた、街場の
「んぁ、XX郡」
「隣じゃん、うちら辺より豪雪地帯じゃん。雪ハネやった事ないって?」
「……長男だから」
「あはははははは」
「
「…………」
「女房がいつも疲れてるから、華やかな女の所に入り浸った。そこから帰る途中、交差点がテカテカのアイスバーンで。酒が入ってたからあんまり覚えてないんだけど」
「へぇ」
「気が付いたらこの町で猫になって雪に震えてた」
「ふぅん」
「神サマか仏サマの罰だろこれ。言葉が通じたの、お前が初めてだったんだ」
ハルコは答えないで、スノーダンプを引っ張って門口の雪をどけ始めた。
「それ、いつほど?」
「え」
「いつの話?」
「あぁ、……12月のはじめ、テレビで記録的大雪って言ってた週末……」
「ついこの間?」
「うん」
不意にハルコは玄関に入り、車のキーと雪ハネブラシを持って出て来た。
赤いファミリーカーの、まだそんなに積もっていないフロントの雪だけを払うと、しょぼくれた猫を抱え上げ、ドアを開けて中へ滑り込む。
「おい?」
「やった、エンジン一発で掛かった。まだそんなに冷えてなくて良かったね」
「おい??」
「住所教えて」
「いや待て、そんな事、頼んでねぇ。俺はこの町で朽ち果てるんだ、こんなみっともない姿……」
「あんたの為に行くんじゃない」
「???」
車は除雪途中の門口を、ガッコンガッコン跳ねながら発進する。
玄関に電気が付き人影が慌ただしく動いたが、ハルコは気に止める素振りもせずにアクセルを踏んだ。
少し滑って車は本道に入り、ヘッドライトに降雪を照らしながら走り始めた。
「まさか知りあいだったりするのか? 女房と」
「知らないわよ。でも毎日毎日
「…………」
「あんた、別に会話が通じない奴じゃないもん。アホだっただけで」
「アホって言うな」
「もう一度だけでいいから声を聞きたい、話がしたい。例え相手がクソであろうと畜生に身を堕としていようと。あいたいあいたいあいたいって唱えながら雪ハネしてる。あたしだったらね」
「…………」
夜中辿り着いた家で、出て来た女性が汚い猫を抱き上げる所までを見届けて、ハンドルを切った。
クリスマスなんて自分には無縁だと思っていたけれど、サンタクロース役で参加させてくれるなんて、神サマか仏サマか知らないけれど、粋な計らいをありがとうメリークリスマス! と、ハルコは一人叫んで、照れて笑った。
~了~