エアグルーヴ先輩の背中が揺れるのを目にしながら、私もその後に続く。外から黄色い掛け声が聞こえる。練習が始まってるんだろう。
廊下に響く足音が、私の焦燥を煽ってくる。
「朝は済まなかった、スペシャルウィーク」
思わず私は顔を上げた。エアグルーヴ先輩は顔をこっちに向けないで、
「スズカを取ってしまったからな」
「えあっ、いやそんなこと……」
お見通しだったらしい。
熱い。とにかく全身が熱い。今の私は耳まで赤くなってるに違いない。
……
でも、不思議と落ち着いた気がする。
そのあと、一言も言葉を交わさないで、正面玄関をくぐって傾いた日の下に出て、ようやくエアグルーヴ先輩が足を止めたのは、三女神像が見守ってくれている広場の隅、その木陰のベンチ。
そこに腰掛けたエアグルーヴ先輩は、ぽんぽんと隣を叩いて私を見上げる。
急に息が詰まるような感じがする。
「し、失礼します……」
「そんなに固くなるな」
気を紛らわせるために顔を前に向けると、丁寧に整えられた街路樹、落ち葉がちゃんと掃除された道、三女神像、正面玄関、行き交う人々。その全てが見える。
「スズカはここで、いつも一人で昼飯を食べている」
隣を見ると、エアグルーヴ先輩は、大切な物にそっと触れているような面持ちをしていた。
私の知らないスズカさんを、エアグルーヴ先輩は語り始めた。
「スズカがリギルに入ってきてから、ずっと気になっていた。あいつ、いつも一人で、イヤホンをつけて他人との関わりを持たないようにしていた。だから、私から話しかけたんだ。この場所でな」
語ることひとつひとつを慈しんでいるみたい。
……
「それからは…… あのたわけの世話を色々と焼いてきた。今日とかな」
思わず、私は口を開いた。
「本当に、仲良しなんですね」
でも、その瞬間、エアグルーヴ先輩の耳が少し倒れる。
何か変なこと言った?何か、何かやらかした?
「そうだな……」
前を見据えていたエアグルーヴ先輩が、急に私の方に顔を向ける。思わず尻尾が跳ねる。
「スペシャルウィーク、その、スズカは普段、どんな風に過ごしている……?この短期間接して感じたことは無いか?」
……
固まってしまった。だって、思い返してみたら、……
視線が右往左往する。思い出せ、スズカさんは、私を起こしてくれるし、お話しすると乗ってくれるし、勉強は自分の机で……
あれ?
……
……
……
ベッドの端っこで、体育座りして、スマホを弄ってるか、爪を弄ってるか。
そうして、いつも私が振った話題に相槌を打ってくれる。
何か、釈然としないような。それがスズカさんらしいといえば、そうかもしれない。
「すまない、考え込ませてしまったな」
「あ……」
息を呑んだ。エアグルーヴ先輩は、影を落とした笑みを浮かべたまま。
「いつも笑ってるんだ。そして、必要以上に語らない。何事も遠慮する。それがアイツの処世術なんだろうが……」
……
まだまだスズカさんとの生活が始まって数週間も経ってないのに、妙に納得してしまう自分がいる。
もしそうなら、まるで、スズカさんは……
胸がキュッとする。そんなことを思いつくなんて、あまりにも卑屈すぎるから。
でも、でも。
「じゃあ、スズカさんは私に遠慮して……?」
ハッとして、顔を伏せた。私、今なんて口走った。
あぁ目が回ってきた。酷い気分が込み上げてきた。
「あいつは多分、寮の部屋の中、そして、走っている時にこそ自分を曝け出せたんじゃないかと思うんだ。気を使う必要が無いから。だから、……スズカは今、張り詰めている気がするんだ」
心がいたむ。納得してしまう。したく無いのに。
本気で走っている時のスズカさんは、なりふり構っていない。
いつも私より早起きして、朝から走りに行く。練習が終わった後も、足りないからと走っている。
スズカさんは、私が入ってくるまでは、一人部屋だった。
……
じゃあ、私は、スズカさんの負担になってるのかな。
喉の奥が、ドロドロの鉛でも突っ込まれたみたいに熱い。
「……まるで、責め立てるような言い方になってしまったな、私にそんな資格は無いのに。……すまない」
頭に、小さな重みが乗った。エアグルーヴ先輩の、大きな手。
「だが、あいつは、お前との暮らしを本当に嫌がっているなら、今頃全て投げ出しているよ」
ゆっくりと、エアグルーヴ先輩は私の頭を撫でてくれた。
「スペシャルウィーク、お前に頼みたいことがあるんだ」
……
目元を拭って、顔を上げる。
「スズカのことを知って、理解してやってくれ。時間をかけて、そして、君との生活が彼女の心の平穏になるように」
エアグルーヴ先輩の言葉は、とても重い。
本当のスズカさんを知る。
少し怖い、もし、私のことが嫌いだったら? そんなことは簡単に思いつく。
……
『……ま、ほっとけば、案外気にならなくなるものかもねぇ』
でも、これは足を止めちゃダメだ。ちゃんと見なきゃ。
エアグルーヴ先輩の方を見た。
そして、私はここに誓った。
「はいっ!!」
固かった表情が、たちどころに解けてくれた。
チカレタ