入寮した時から、私の相方のベッドには布団が敷かれていなかった。本当にたまたま数が合わなくて、私は一人部屋になった。今思えば、この一人部屋という環境が私の捻くれて拗れた感性を構築してしまったのかもしれないが、そんなことはどうでもいい。
その、空いていたベッドに、人が入ってしまう。私と全く接点がなくて、何もわからない赤の他人が。
umatterのタイムラインに流れてくるしょうもないことで爆笑できなくなる。大笑いしている時の声が気持ち悪いから。
ペン回しの練習ができなくなる。
一人神経衰弱なんてやっているところみられたら。
教科書の落書きをみられちゃう。
寝相、結構酷いのがみられちゃう。
自由がなくなる。
……
なによりも、こんな私と生活して、相手はどう思うんだろう。
嫌われたらどうしよう。
そもそも、嫌な人だったらどうしよう。
せっかく、自分の部屋なら、イヤホンを取ることができるのに。
「すぅっ」
風切音がひっきりなしに鳴り響く。全身にぶつかる塊のような風を突っ切って、私は芝の上を走る。
腕を振って足を前に出して、そんな単純な動作が酸素を奪って頭をぼんやりとさせる。視野が狭まる。まるで、世界に自分しかいないような感覚。しがらみ全てを置き去りにしていくような危険な全能感。
私の好きな景色。
悩んでいても仕方がない。だから、私はこの“景色”に逃げることにした。うねりに飲まれて沖へ流されるのは今日が初めてじゃない。なら、少しでも目を背けるのが私の人生哲学だから。
でも、私は生き物だ。
朱色に染まった空の下、何周走ったんだろう。うまく足を踏み込んでいけない。肋骨が内側にへし折れそうな感じがして苦しい。腕が痺れて重い。顔の皮膚の感覚が鈍い。
景色が、遠のく。それが見えないのなら、もう走ってる意味がない。
「わっ!?」
そう思ったら、視界が芝でいっぱいになって、その瞬間、強い衝撃が加わって目が白黒した。
ざりざりと滑っていって、そよぐ芝を眺めながら、私はうつ伏せになっていた。
「はぁ…… はぁ……」
ごろんと転がって、灰色の雲が列をなす赤い空を視界いっぱいに見る。右から左に、カラスが群れを成して飛んでいく。
あの中の、後ろをついていっているカラスは、多分私だ。
……
やけになって走った後は、感傷的な気分になる。
「……」
蒸れて気持ち悪いメンコの中で、耳がぴくつく。
足音がする。焦っている感じ。駆け寄ってきている?
「おいおいおい!大丈夫か!?」
視界の中に、変な男が生えてきた。変な髪型。咥えているのは棒付きキャンディ?
「あ、……あの、別に、大丈夫です…… ちょっと躓いただけなので」
上体を起こして、背中とか頭についた草を払って、もう一度、黄色いワイシャツの男に目を向けると、安心したようにため息を吐いている。目が合う前に、顔を伏せた。
「その分なら大丈夫そうだが…… いや、それにしても凄い脚だ、サイレンススズカ」
この人、トレーナーのようだ。もしかしてずっといたのだろうか。
……
目線を感じる。
「しかし、なんでこんな暴走機関車みたいに走ってるんだ? ……オハナさんのスパルタトレーニングに耐えられなくなっちゃった?」
「はい」
……あっ
私は今なんて呟いた。
背筋が冷たい。頭が急に冴え渡っていく。
「あっいえ……、なんというか、その」
しどろもどろになって口が動かない。
違う。
……
いや、何が違う。意識せずに呟いてしまったんだから、これが私の本心なんじゃないのか。
「ほーん…… なら、俺のチーム“スピカ”に入んない?」
「えっ」
遠くで聞こえていたカラスの鳴き声が聞こえなくなった。
あぁ、私はやっぱり薄情者だ。
この提案が、心に響いている。