サイレンススズカは今日も爪を削る   作:にわとり肉

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新しい風に吹かれるスズカ

 今日、私のたった一つの安息地がなくなる。誰の視線もない、静かな私の部屋が、私一人で占有していた部屋に入寮する人が来る。

 どうすればいいんだろう。

 そんなことを考えているうちにも、青空で呑気にしている雲は流れていく。

 寮長に相談する? いや、もう遅すぎる。だって今日荷物が運ばれてくるというんだから、今頃向かい側のベッドに段ボール箱が積まれてる筈。今段階で何をどうこうできるというのか。

 じゃあ、部屋に来た後に相談する?

 ……

 そんなの、できるわけがない。

 ……

 ……

 ……

 ノートとシャーペンが擦れる音、黒板を叩くチョーク、名前も知らないあの子の聞きたくないヒソヒソ話、おじいちゃん先生のしわがれた声が耳に入る。私のノートはまっさらで、ポロポロ角質が落ちている。

 思わずため息が出る。

 眠たくなる授業時間がもっと長くなれば良いと思ったのは、今日が初めて。

 

 「今日はリギルの部員選抜があるんでしょ!」

 「私受けるんだ〜!受かるかな!?」

 「あはは____」

 

 短縮授業じゃないか、今日。

 私は項垂れて目を瞑った。逃げ出すために。

 

 「サイレンススズカ!そんなに余裕そうなら、この問題は当然わかるな!」

 

 心底うんざり顔を上げてやると、しわくちゃな顔をさらに峭刻とさせた先生が、黒板の汚い文字を叩いている。

 じとっとした視線を周囲から感じる。背中から何かがじわじわと全身に広がる不快感。

 面倒くさい。

 ……

 そんな風に、心の中で悪態を吐きつつけても、誰も気がつかない。だから、私を逃がさない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こつん、こつん、と足音が静けさにリズムを刻む。

 今日から3日間はスカウト週間。学園内の零細チームから有力チームまでが、十人十色なウマ娘たちを見定めて、自分のチームに引き入れる。そのために、授業も半日で終わるようになっている。大抵どこのチームもレースで実力を問うから。

 お陰で練習コースは大盛況。娯楽に飢えた歓声が、少し離れた廊下にも反響している。反面、廊下は寂れて薄暗い。

 と、私がなぜ校内に残っているのかといえば、正式に入部する旨を書類で伝えるから。あの人のトレーナー室にいくため。

 チラチラ光が漏れる扉を何個も通り過ぎて、私は目的の場所にたどり着いた。

 ……

 そっと、ノックを2回。

 ……

 ……

 ……

 返答がない。

 試しに引き戸を引いてみる____

 

 「あっ!」

 

 鍵がかかっていなくて、急に横にスライドした。

 バランスボールが置いてあったり、何やら賑やかな部屋の中はもぬけの殻。

 ホッと息を吐いた。

 

 「鍵……」

 

 もしかしてだらしない人なんじゃないだろうか。沖野さん。いや、そんなことはどうでもいい。あの人どこへ行ったんだ。

 その時、姦しい声が私の耳を揺らす。

 無論、それがなったのは練習コース。

 ……

 どうしよう。

 

____校舎から出て、ちょっと赤みがかった青空の下に騒然とした雰囲気があるのが肌で感じ取れた。結局、私は沖野さんを探すことにした。止まっていると気が沈むから。

 こんこんと水が煌めいて、流れ落ちる瓶を抱える三女神像が見守る広場の脇道に入って、練習コースに続くのどかな林道を歩いていても、残念ながら静けさの“し”の文字もない。そして、こんな時に私は寮にイヤホンを忘れた。やっぱり帰ろうか。

 緩い坂を登って、急に右手がひらけたと思ったら、小人サイズの人々が散らばって集まって、ラチの中を走っているのが見える。手を振って応援する人も、双眼鏡で状況を覗き見てる人もいる。

 なんだか、制服姿の自分が場違いみたい。

 

 「ふぅー……」

 

 跳ねた胸を撫で下ろした。こういう時、人は思ったよりも注目してくれないもの。

 傾いた耳を立てて、重たい足を前に運ぶ。

 ちょうど模擬レースが始まったのか、奥からバ群が____

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 揺れる髪の毛、舞い散る芝の細い葉。まるで時間が延ばされるような感覚。レースの時の感覚。

 ドベ一歩手前の子が、私を見ている?

 

 私を見て、なんで、笑うの?

 

 「……!」

 

 その瞬間、雰囲気が変わった。

 急にスピードがあがる。あがっていく。ガタガタのフォームなのに、精一杯上がっていく。

 一人抜いた。また一人。

 顔はもう見えない。なのに、なんとなくわかる。

 

 「……楽しそう」

 

 向こうの薄く夕焼けの顔を覗かせる空に向かって駆け抜けて行けそうな足取り。音が小さく抜けていく。

 あんな子が強いんだろうな。

 ……

 

 その時、視界の下端に、双眼鏡を携えた黄色いワイシャツの男。

 沖野さん。やっぱり見に来ていた。

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