プランBでモルモット君がどのような役割を果たしたのか気にならないか? マンハッタンカフェのストーリーでモルモット君は一切出てこない。気になるでしょ? 俺は気になります。
これが俺の答えだ。
狂ってない人間は読んで狂ってくれ。
pixivにも挙げています。
「そうだ! 俺はモルモットになるためにトレーナーになったのだ! その逆ではありえない! 俺はタキオンの脚に眠る可能性の果てを見るのだ!!!」
私--アグネスタキオン--は、かつてトレーナー兼モルモット君だった男が目を爛々と輝かせながら叫ぶのを唖然として聞いた。こんなに狂ったやつだったかな、そう思いながら。
まあ、彼が狂っているとして、その原因は私にこそあるのだろうけれど。
元モルモット君の叫びを聞いた私は、一年以上前のことを、皐月賞を勝った直後のことを思い出す。勝者インタビューで『無期限休止』を宣言したことを。そういえば、元モルモット君には相談せずにレースを止めたんだった。狂うのもむべなるかな。
皐月賞以降、私はカフェ--マンハッタンカフェ--のサポーターとして活動してきた。つまり、私はカフェに夢を託したのだ。『ウマ娘の脚に眠る可能性の果てを見る』という私の夢を。これは私が定義するところのプランBだ。
私の身体は脆かった。走る才能に肉体がついてこない。
だから自らの脚で夢を掴むことは諦めたのだ。
そして切り捨てたのだった。元モルモット君を。
カフェのサポーターになってから、もう14ヶ月経っている。
つまり、私が元モルモット君に会うのも14ヶ月ぶりということになる。
彼と再会するに至った理由についてだが--、現実は複合的だ。
元モルモット君に久しぶりに会いに来た経緯の説明には、少々時を遡る必要がある。私が不愉快な現実に気がついた日である、宝塚記念にまで遡る必要が。私がみっともなく絶叫した、その時にまで遡る必要が。
■□■□■
「あああああああああぁぁぁああああああああああああああああああああああッ!!」
カフェとトレーナーの目の前で、私は叫んでいた。シニア級1年目の宝塚記念で、カフェが異次元の逃亡者たるサイレンススズカを下して勝利した、その直後のことだった。
何故叫んでいるんだろう。自分でも良くわからなかった。しかし、表現しがたい感情が私の中で暴れていることだけは確かだった。私の夢は、すべてカフェに託した筈だった。『ウマ娘の脚に眠る可能性の果てを見る』という夢を。私でなくとも良い。そう思っていた。そのつもりでいたとも。
カフェが勝利し、こう言うまでは。
「ウマ娘として生まれた意味……。それすら、わかりそうな……」
いつもどおりの落ち着いた声音だったが、興奮しているのもよく分かった。私はカフェに詳しいのでね。
もちろん私は喜んだ。私のサポートによりその領域に達したカフェが誇らしかった。理論と計画は正しかったのだと証明されたのだ! プランBの成功は近い!!
しかし--、
しかしだ。私は急に許せなくなった。
我慢できなくなった。本当に『可能性の果て』が実在するならば。
何故私ではダメだったのだ? 何故?
私は速かった。私がレースを止めた皐月賞のその時まで、一番速いウマ娘は間違いなくこの私だった。もちろん走るのを辞めた理由は分かっている。私の才能に、私の身体がついてこれないからだ。だが……、この身体がもう少しだけ、ほんの少しだけ頑丈だったならば?
「タキオンさん、あの……」
喚き続ける私を心配し、カフェが声を掛けてきた。
彼女はまったくの不思議ちゃんだ。彼女が『お友だち』とか呼んでいるウマ娘の幽霊を追いかけるために走っている変わり者だし、私の善意に基づく実験を拒否する不届き者でもあるが--、
優しい人格の持ち主であることだけはよく分かっている。
でなければ、私とコミュニケーションを取り続けられないからね。
自慢じゃないが、私に進んで声をかける人物は会長とファイン君とスカーレット君とカフェだけだ。ごく少数。自覚はあるとも。で、その極小数の例外についてだが--、
会長は責任感で思考回路が壊れているだけだし、ファイン君は王族だから価値観が違う。スカーレット君は、スカーレット君はよく分からないが--、何なんだ彼女は。ふぅン? 興味深い……。
まあいい。ともかく、例外を除けば私に向き合ってくれるのはカフェだけだ。
トレセン学園にはたくさんのウマ娘がいるというのに。やれやれだよ。
途方も無いお人好しであるカフェのトレーナーは黙って私の叫びを聞いていた。気を遣ってくれているのだろう。カフェのトレーナーに相応しい人材だよ、まったく。誠実さと優しさを高い水準で兼ね備えていなければ、『お友だち』とかいう幽霊を信じる彼女のトレーナーを務められはしないだろうからね。
彼女らの優しさはともかく--、
差し伸べられた救いの手に応える余裕は、私にはまったく存在しなかった。「ウマ娘として生まれた意味」だと? それを知りたいのは、誰よりも知りたいのは私だ。絶対に他の誰かではないと、この瞬間に気づいたのだった。余裕などある筈がない。
すべてを無視して、よろめきながら阪神競技場を去る。
「こんな予定はなかった……。なかったんだ……」
私は気付いてしまったのだ。心の奥底でずーっとくすぶっていた”感情”に。
選ぶべきはプランAだった。
私は、私の目で限界を見たかったのだ。
しかし、今更どれだけ後悔したところで--、
プランAを放棄したのは、間違いなくこの私なのだった。
■□■□■
プランAは、私の脚で限界へ到達することを目標とした実験だった。
私の脚の補強を主眼としたものである。これは、脆い足が限界を迎えたことで諦めざるを得なかった。クラシック序盤の3月、弥生賞を走った時に無理だと悟ったのだった。
プランBは、私の脚での到達を諦め、他のウマ娘を代わりに到達させる実験である。
これはカフェに託した。私は彼女のサポーターになった。カフェならばできると思ったし、その考えは正しかった。彼女は勝ち続け、勝ち続けた末に、宝塚記念で夢の背中を捉えた。
どちらが正しかったか、誰の目にも分かるだろう。
しかし--、
宝塚記念でカフェが勝利してからの数日間、私は悩み続けていた。
もちろん、サポーターとしての仕事は続けていた。プランBの成功は依然として私の夢なのだ。彼女の次のレースはジャパンカップ。権威ある国際招待レースだ。渡仏する夢を諦めた彼女にとって、大事なレースだった。彼女の『お友だち』に追いつくための大事な大事なレースというわけだ。今まで以上に、私のサポートが重要になる。化け物じみたカフェのスタミナも、私のサポートなくしては十分に発揮されないのだから。
だが、私は上の空だった。
宝塚記念でカフェが言ったことが引っかかっていた。
夏合宿へと向かう大型バスの車内でも、私はずーっと考え込んでいた。
私が諦めたプランAは、本当に放棄してよかったのだろうか?
バスに揺られながら考え込んでいると、カフェのトレーナーが私になにか尋ねてきた。レッカーマウルとか魔女とかなんとか。たしかこの前、オペラオー君にカフェが言われた何かだったな。カフェは随分気にしていた。
やれやれ、私はオカルトに興味は--、なくはない。いや、ある。かなりね。切って捨てるつもりはない。 が、オペラオー君は劇場型の人材だ。戯言を真実にしてのける才覚は認めるが、まともに取り合う余裕は今の私にはない。
そう思いながら私はカフェのトレーナーの方を向いて--、
彼の真剣な目を覗き込む羽目になった。その目を見た瞬間に分かった。大仰な物言いを好むオペラオー君の戯言を真に受けたカフェを、彼が本気で心配しているのが。お似合いのペアだと思った。底抜けに優しいカフェと天井知らずに優しいそのトレーナーの組み合わせを、そう評価しなくてどうする。
ともかく、トレーナーの澄んだ目を見た瞬間だ。
プランBへの未練を捨てた。このトレーナーが、カフェのことを真正面から受け止める彼がいれば、私のサポートがなくても問題ないと確信した。私は不要だ。そして決心した。言った。
「この夏、私は君たちと--、一切の関わりを断つ」
プランBの遂行に私は必要ない。
カフェとトレーナーが私にあれこれと話し掛けてくるが、私はてきとうな返事を返し続けた。決心したならばやることは一つだけだ。他のことは些事に過ぎない。私はレースの『無期限休止』を解く。プランAを再始動するのだ。
そしてそのためには、トレーナーが必要だった
私は合宿施設を抜け出した。乗ってきたバスにそのまま忍び込んでトンボ返りした。元モルモット君の住所を覚えていた。レースに出るにはトレーナーがいる。それがトゥインクルシリーズの鉄則だ。
プランAとともに切り捨てた元モルモット君の住処を訪れたのは、このような経緯に基づくのだった。
■□■□■
元モルモット君の家は、東京競技場にほど近い住宅街の奥地にある。
古びたアパートの二階、狭い部屋だった。几帳面な男だった筈だが、扉に鍵はかかっていなかった。部屋の中は書籍と実験機材で埋まっている。私がカフェとともに半分ずつ占拠している理科室の一角--もちろん私の支配領域の方さ--に似ていた。生活に適した空間ではないことは確かだった。
元モルモット君は、突如現れた私に驚く様子もなくゆっくりと椅子を回転させて私に顔を向けた。
「そうだろうね。あれだけ世間を賑わせた君が、今更トレーナーを見つけられるわけがない」
14か月ぶりに現れた私にそう言った。私が何かを言う間も与えてくれなかった。記憶にあるより随分と痩せこけていた。端的にやつれていた。おやおや、あの無邪気な青年の姿はどこへ?
「モルモットく」
「何のようだ」
元モルモット君は私の呼びかけを遮った。
強い、とても強い口調だった。そして彼は返事を待たずに続ける。
「いい。当ててみせよう」
こんな人だったかな、私は思った。会話を遮るのはいつも私からの筈だったけれど。少なくとも、私が皐月賞を走るまでの短い付き合いではそうだった。
「君はプランBに我慢ができなくなった。自分で夢を掴みたくなった。そして、俺にトレーナーを頼みに来た。しょうこりもなく、再び、自分だけの都合で捨てた男のところに戻ってきた」
「ふぅン?」
まあ、当たりだ。随分察しがよくなったなぁ。昔は簡単に言いくるめられて、私の薬をごくごく飲んでいたものだが。可愛げがなくなった。それに、プランBのことを話したことはなかった筈だが……。
「ともかく、君は『無期限休止』を解くためにここに来た。それ以外に捨てた被験体の元に現れる理屈はない。トレセン学園に君のトレーナーになりたがる奴は存在しない。俺が捨てられたことは皆知ってるからね。もしかしたら、担当を見つけられなかった不幸な新人を騙せるかも知れないが--、低い可能性の追求で時間を無駄にする余裕は君にはない。君の好みでもない」
彼はひとつため息をついて続ける。
「で、一度トレーナーになったことのある俺に一番最初に声をかけることにした。そうだな?」
おやおや。本当に賢くなったようだ。私がここに来た理由をすべて言い当てた。驚いたよ。
が、どうでもいい。彼が言ったように私には時間がない。私の夢のためには、元モルモット君がどれだけやつれていようと関係はなかった。例えその原因が私だとしても。
夢をこの脚で掴むためならば、何だってやってのける。
だから私は駄々をこねる。
「はーやーくー! 結論を言っておくれよー!! 君がダメなら次の候補に頼むからさーーー!!」
元モルモット君の顔から表情が消えて--、
次いで笑い出した。
「ハハッ! そうだったな! 君はそういうやつだった!! 人でなしにも程がある!! ハハハハ!!!」
「はーやーくー!」
私は元モルモット君を揺さぶる。
「ハハハ!! ハ! はぁ……、少し、待ってくれ。言うから。頼むからウマ娘の力で乱暴するのは止めてくれ」
「よし、いいだろう。10秒以内に言いたまえ」
■□■□■
「では言うが--、」
元モルモット君は私のせいで乱れた服を正して続けた。
「14ヶ月もレースを走っていないし練習もしていない君が今更努力したところで、日々鍛錬を積んできた有力なウマ娘たちに勝てると? 望む結果を得られると?」
彼の言葉は辛辣なものだった。そんなことはよく分かっているよ。
全部理解しているとも。分かった上で、その上で--、
それでも私はここに来た。何の説明もなくカフェを捨てて。
その昔、元モルモット君にしたのと同じように。
よく分かっているとも。
「ちッ、期待された答えではないな……、いいか。私は掴んだのさ。限界を超える”鍵”を。”感情”の力だ」
「ハハッ! 君も舌打ちするんだな! それに何だ!? ”感情”だと!? わけが分からない!!!」
「……続きを言いたまえよ。珍しく君の発言に興味が出てきた。そこまで私をからかうからには、続きがあるんだろう?」
私は元モルモット君を睨んだ。
そして彼はふいに立ち上がり、私の手を強引に掴んで--、
こう宣言した。
「”俺達”のプランAは必ず成功する」
「は?」
「タキオン、よく戻った。また二人で研究を続けよう」
タキオン。この部屋を訪れて、元モルモット君は初めて私の名前を読んだ。彼は笑っていた。その顔は、昔のように無邪気で無知な元モルモット君のままだった。望むとおりの展開の筈だったが、はっきり言って不気味だった。
「クク! ハハハハ!!」
だが、私は奇妙なものに惹かれる質だったので、大変愉快な気持ちになった。
元モルモット君が私好みに狂ってしまった原因が私だと思うと、余計にそう感じた。
「そうだったそうだった。君はモルモットになるためにトレーナーになったんだったね」
冗談を言ってみせた。酷いことを言っている自覚はあった。なに、私にも常識を理解する頭脳はある。だが、不思議と気分は爽快だった。何故だろう。そういえば、最近私は自由気ままに振る舞っていなかった気がする。
そうそう、私はもともとこういうウマ娘なのだった。研究のためなら他人のことなど気にしない。それが私だ。サポーターとして、カフェに気を遣っていたのかな。ハハハハ!! 今はじめて気がついた。この私が気を遣っていた!? 実に滑稽だ!!
自分で言った冗談に笑い出しそうになったところで、元モルモット君は機先を制して哄笑する。目は煌々と輝いていた。
「そうだ! 俺はモルモットになるためにトレーナーになったのだ! その逆ではありえない! 可能性の果てはタキオンの脚にこそあるのだから!!!」
おやおや……。
「……昔はモルモットと呼ばれるのを嫌がっていたと、記憶しているんだけれどねぇ」
「モルモット以上に幸せなことはない。俺は君に捨てられて、悩んで、やっとそれに気づいた。遅ればせながらな。済まない」
モルモット君は謝った。もちろん謝罪するべきは私の方だった。
プランAとともに彼を切り捨てたのは私なのだから。
しかし、モルモット君が前向きになってくれるなら文句はなかった。
ふたりとも狂っているのは面白そうだと思った。
「ふぅン」
私は満足してそう呟いた。
プランA、再始動だ。目標は有馬記念。数多くのウマ娘から、国民の人気投票で選ばれた強者のみが出場できる夢の舞台。そこに決めた。
■□■□■
我々は即座に行動を起こした。
モルモット君はパソコンと部屋中の書籍と書類を抱えて駐車場の大型車に積み始めた。彼の自家用車らしい。夏合宿に向けた荷造りだ。私は近所のスーパーに走り、モルモット君のメモどおりに食料を買い込んだ。合宿所での食事はすべて彼が作ってくれる。モルモット君の作る食事は美味しいからねぇ。楽しみだねぇ。
十数分後には合流し、彼の運転する車でトレセン学園に急行。
トレーナー契約を結んだ旨を届けて即座に合宿所へ。
ちなみに宿泊場所は離れにした。レース施設も一番寂れた場所だ。
カフェと顔を合わせるのは気まずいからね。
で、夕方にはトレーニングを行っていた。
14ヶ月ぶりのトレーニングを。
年末の有馬記念を焦点にしたトレーニングを。
結論。思ったより現実は厳しそうだ。
「想定どおりだ。ブランクが長すぎたな。タキオンも分かっていたろう」
「あ、ああ……。分かっていたが、げ、現実として向き合うと結構、きついものだね……」
私は息を切らしながら答えた。モルモット君の言うとおりだった。あらゆるシチュエーションのあらゆるタイムが、デビュー戦前よりも酷い状況だった。
ちょっと走っただけで、あっさりと私の肉体は限界を迎えてしまった。
地面に仰向けに--無様だねぇ--寝転がった。立っているのも辛かった。
「プランA、は……」
「机上の空論に過ぎない。今更昔と同じように頑張っても間に合わないよ。だから、君はプランBに舵を切ったのだろうが」
「しかし、他に術がないからねぇ……。んん? 待て。そう言うからには代案があるのかい?」
「そうだな。情報交換は早めに済ませておくべきだな。ああ、一応言っておこう。タキオンの研究は素晴らしかった! よくぞその年であれ程まで!! 君が言う研究の残滓がなければ、どうしようもなかったさ!!」
フォローのつもりだろうが……、そこまで狂信的な目をされると若干引いてしまうねぇ。
「モルモット君、私を崇拝してくれるのは嬉しいが、速く説明して欲しい」
「俺はタキオンの研究をさらに深堀りした! 世界中のウマ娘研究を取り寄せて分析し、ウマ娘以外のアスリートのことも調査した。もちろん栄養学も修めた。その結果がこの--」
彼は脇に抱えたノートPCを軽く叩いた。
「中にすべて収まっている。プランAは進化した。いわばプランA.ver2だ! よって君はトレーニングに集中できる」
「ふぅン?」
「プランAが失敗した要因のひとつは、タキオンの生活習慣が壊れていたことにある。異論があるか?」
一理ある。同意せざるを得ない。
あの頃の私はトレセン学園随一の生活習慣不良者だった。規則正しい生活がパフォーマンスの向上に繋がることはよく分かっているさ。大変不愉快な真実だがねぇ……。
だが、私も無能ではない。モルモット君に言われっぱなしでは済まさない。
トレーニング効率を向上させる策はある。
「プランAのアップデートについては、私にもアイデアがあってねぇ。カフェのサポート中も研究は怠っていない。筋肉回復と骨密度強化を促進する栄養剤を考案したんだ。動物実験も済んでいないが、間違いなく成功する」
「それでこそタキオンだ! やはり君は天才だ!! 先ずは俺で試させてくれ!! 効果を検証する間に、君はトレーニング続行だ!!」
おやおや、信頼が厚くて怖くなるねぇ。
私の作った薬品と聞けば、昔は頬を引きつらせていたものだけれど。
■□■□■
トレーニングのクールダウンに、私達は夕暮れの浜辺を歩いていた。合宿所は海辺にあるのだ。ちなみに元モルモット君は虹色に輝いている。彼は躊躇なく私の新薬を飲み、副作用で光り始めたのだった。風情のある海辺が台無しだ。まあ、そんなことを面白がる余裕は私にないのだが。
足にまとわりつくような重い砂の感触を味わいながら私は問いかける。
「ねぇ、モルモット君……」
「なんだ」
「私は信じているが、私は本当にウマ娘の限界を見れると思うかい? 私は信じているが」
「君はたった4戦で伝説になった。君に不可能があるか? なぁ、タキオン」
モルモット君は世界の理を説教する導師のような口調で続ける。
台詞自体は大分ぶっきらぼうだったけれど。
「君の同期、何人がシニアのG1を勝ったか知っているな?」
「4人だ。なかなか大した世代だと評価できる。もちろんカフェもそのうちの1人だ。だからこそプランBを託した」
「『無期限休止』を宣言する前の4戦で、彼女ら全員に勝ったのが君だ」
「そうだね。しかし、昔の私が諦めたこともまた事実なんだ。現実は複合的と言ってもね」
「”タキオン”とは、光より速い最速の粒子。理論上の存在だが--、俺にとっちゃ理論でも仮想でもなかった。必ず実現するだろう未来だった。君ならばできると、信じていた」
「……嬉しいことを言ってくれるねぇ」
「デビューから4戦すべて2,000m。すべて完勝。長距離適性はある、筈。だが、有馬記念の2,500mを実際走るとなれば話は別」
「そうだろうねぇ。走る前の評価が当てにならないことはよくある。しかも私の最後のレースは皐月賞だ。有馬記念までのブランクは21ヶ月になる」
「トウカイテイオーの奇跡、あの伝説の有馬記念。ブランクは12か月だった」
「私はそれを越えようとしている。テイオー君のように怪我はしていないが、練習もしていない。そもそも身体がトレーニングについていけない。そんな私に、できると思うかい?」
「弱気になるなよタキオン。似合わない。君のことだ。策があるのだろうが」
「……”感情”の力があれば、覆せる。と、思う」
「よく分からない。俺は君を、科学的で合理的な手法で勝たせるつもりだ。プランAを進化させて、な。動機が何であれ、再び走る気分になってくれたのはありがたいが」
「……分かって欲しいと言わないさ。検証中だからねぇ。ま、この話はよそう。代わりに今後の作戦を聞かせておくれよ」
「未来は過去の積み重ねだ。だから、まずは俺の14か月について一日毎に詳細に」
「興味がない。今から寝るよ。寝室まで連れてっておくれ」
「……はいはい」
モルモット君は私をおぶった。
いつの間にか私は眠っていた。
揺れが心地よかった。
■□■□■
「君は今日この日から、限界ぎりぎりのトレーニングと並行して脳を酷使してもらう」
「ふぅン? 脳の酷使、ねぇ。この玩具が関係しているのかい?」
夏合宿二日目だ。まっとうなウマ娘のようにしっかり朝に起こされてしまった。久々に朝日を見たよ。カフェのサポーターとしての私は、体力の限界まで起きて、限界を超えたら寝るだけだったからねぇ。
ともかく、ここは離れにある寂れたレース場だ。私の目の前には15台のラジコンカーが並んでいた。随分と大きい。専有面積は一台あたりウマ娘一人分、といったところか。ラジコンの群れは、ご丁寧にウマ娘のハリボテを載せている。
「タキオンの強みは脚だけではない。その頭脳もだ。そうだろうが」
「まあ、私は頭が大変良いけれどねぇ……」
「正直、トレーニングだけでなんとかなるとは思ってない。ほら、これをつけろ」
「スポーツ仕様のイヤホン。察するに私は、このラジコン達と走りながら君の指示を聞くことになるんだね?」
「そうだ。我が愛機達は、有馬記念で想定されるレース展開どおりに動く。早急にレース勘を取り戻せるし、もっとも経済的なルートを身体に叩き込める、というわけだ」
私は耳を疑った。
「なーにが、『というわけだ』、だよ。レース展開どおり? ハハ! 未だ出走ウマ娘も決まっていないんだよ?」
「出走の可能性があるウマ娘すべての組み合わせを試してもらう。馬場状態と天候もデータに入れてある。もちろん、ウマ娘の体調での場合分けもしてある」
無限と表現したほうがいいレベルの組み合わせがあるねぇ。
やはりこのモルモット君、完全に頭がおかしくなってしまったのかな?
だが、私のトレーナーはこれくらいでなくては。
「まぁねぇ、できないとは言わないけどねぇ」
「できる。俺のタキオンならばこれくらいはやってのける!」
「ハハ! モルモット君は随分と私好みになったな!!」
いいだろう。やってみるさ。私の想像を超える提案を、あの純朴そのものだったモルモット君がしてくれたのだ。文句はない。
「努力したからな。タキオンにも俺の努力に見合うだけの努力を期待する。ほら、一回目行くぞ」
モルモット君の携帯電話から『ガコン』というゲート開閉音が鳴った。私は走り出す。甲高いモーター音を響かせながら車輪を回す、ラジンコンカー達とともに。
■□■□■
夏合宿はウマ娘が駆けるような速度で過ぎ去っていった。
トレーニング、ラジコンカーとの模擬レース、モルモット君のマッサージ、モルモット君の食事、モルモット君の淹れた紅茶、モルモット君に作らせた新薬(栄養剤)での回復、モルモット君が購入した最新ベッドでの睡眠。
その繰り返しだった。他のことは一切しなかった。カフェのサポーターをやっていたときも欠かさなかった研究活動は、すべてモルモット君に任せたのだった。
序盤はブランクの長い私に合わせて楽だった。が、直ぐに過酷なものとなった。
完全な夜型生物だった私が、夜10時に寝て、朝7時に起きるようになるくらいだ。
これがどれだけありえないかは、そうだな、カフェにでも聞いてくれたまえよ。
冗談はさておき、トレーニングがきつかったのは確かだ。肉体の話だけではない。モルモット君は常に私に脳を使わせてきた。筋力トレの最中に有馬記念出走候補たちのレース映像を全て見させられ、終わったかと思えば展開を諳んじさせられた。
私のタイムは日に日に改善していった。
モルモット君が用意したトレーニングは、当初のプランAよりはるかに効率が良いものだった。
■□■□■
あっという間に夏合宿の最終日がやって来た。トレセン学園行きのバスを待つウマ娘たちを遠くから眺めつつ、私達は夏合宿を振り返る。
「やはり私は才能があるねぇ。この短期間でなんとかならなくもなさそうな気配を匂わせるようになった気もする」
「イマイチな現状の要約としては上出来な表現だ……。ここらで一度精密検査休暇を取るぞ。君の身体に想定外の負荷が掛かっていたら大変だし、俺で試した新薬のデータも取りたい」
モルモット君に視線を向けると、その全身はやはり虹色に発光していた。
最初は面白かったけれど、見慣れると眩しいだけだね。遠くに行って欲しい。
「それが済んだら有馬まで、この合宿所でマジの追い込みだ」
「そろそろ文明がある土地に帰りたいんだけれど。ここは寂れているからね」
「任せろ。老朽化した設備の更新は手配済みだ」
モルモット君が金持ちだとは知らなかった。
あんな狭い部屋に住んでいるからには、気ままに使える金などないだろう。
「……金の出処に心当たりがあるよ」
私の実家が資産家で良かった。たまには役に立つものだね。
「バレたか……。おい、さっきからずっと君の視線は一点に釘付けだ。『合理的合理的』という癖に、君はかなり衝動的だよな。さっさと済ませてこい」
モルモット君の言うとおりだった。私にはやっておくべきことがある。
だから、わざわざバスの群れを遠くから眺めているのだ。
彼に軽く手を振って、私は歩き出した。
■□■□■
「タキオンさん。あの……」
宿泊施設前に辿り着いてすぐ、案の定カフェは話しかけてきた。
やれやれ、行動が読みやすくて助かる。
もちろん彼女のトレーナーもいた。『お友だち』についての意見をあれこれ話すので、私は見解を述べた。結果が大事なんじゃないのかい、と。『お友だち』を追いかけることで、望む到達点に行けるのならば何の不都合がある、と。
自分の脚へのこだわりを捨てられなかった私が言うと皮肉に聞こえるかも知れないが、これは本心だった。私は私だし--、
「そして『君たち二人の到達点』は--、『私の到達点』ではない、けっして。若かったんだ。やったから気づいた」
プランBはそもそも破綻していたんだ。私は自分の脚でこそ辿り着きたかったのだ。
今となっては何故それを選んだのかまったくわからない。ほかの手段ではありえない。
「きみたちとは--、別の道を行くよ」
私なりの宣戦布告さ。
今更だとは分かっているけれど、どうしてもやっておきたかった。永遠の別れとかなんとか言って私はカフェ達から遠ざかる。カッコつけすぎたねぇ。まあ、いいか。私は衝動的らしいから、これくらいはやって当然だよ。
■□■□■
更に月日が経った。
11月下旬になっていた。
私とモルモット君はトレーニングを重ねてきた。本来は今日もトレーニングの予定だったが、今日に限っては休暇を要求した。私は東京競技場に来ている。レースのためではない。もちろん、観戦に来たわけでもない。踏むべき手続きがあった。
モルモット君は嫌がった--「プランAが狂う」とかなんとか--が、どうしても必要だった。私が『夢の果て』を掴むためには。
東京競技場の本日のメインレースはジャパンカップだ。
カフェがこのところ目標としていたビッグレース。彼女は勝った。
2,000m以上の距離で彼女に勝てるウマ娘が、今この世界にいるとは思えない。
当然の勝利だったが、それ故に大勢の記者が集まる。
前人未到の記録を打ち立て続けるカフェは、日本中に注目されているからねぇ。
で、私はその記者たちを利用する必要があるのだった。
記者会見場に勝手に踏み込んで堂々とマイクを持ったところで、目当ての人物が現れる。
彼女らが記者会見場に来るまでの時間くらい、お見通しなのさ。
「やあ、カフェ。そしてトレーナー。永遠の別れ--、ククク、当てにならない決まり文句だね」
そう声を掛けた。
ひと呼吸おき、本題に入る。
「私アグネスタキオンは来たるべき『有馬記念』で、レース活動を再開する!」
驚いた記者たちがあれこれと質問を浴びせかけてくる。が、本当にどうでも良かった。カフェとそのトレーナーの表情のほうが大事だった。驚いてくれているようだった。よしよし。
「『有馬記念』で、私は--、そこにいるマンハッタンカフェとグランプリ覇者の座を競う! ”私達”の力、全てを賭けてね」
カフェたちは顔を見合わせて、決心するかのようにお互いに頷きあっていた。
大変結構。私の思いは伝わったようだ。
そうとも。私は改めて宣戦布告に来たのだ。
私の実験にカフェが付き合ってくれないならば、まったく意味がないからねぇ。
言うべきことは言った。私は直ぐに会場を後にした。
■□■□■
駐車場の隅に停まっているモルモット君の大型車に乗り込んですぐ、彼は尋ねてきた。
「何故強敵を増やす。彼女が有馬に出てこない可能性もあった。そしてその方が良かった。勝利のためにはな」
車載テレビで私の会見を見ていたらしい。そして、なぜわざわざカフェの前で復帰を宣言したのか、その意図もバレている。しかし、その理由は理解できないようだ。
「やれやれ」
「やれやれ?」
「モルモット君は勘違いしているねぇ。私達の夢が何か、言ってみたまえよ」
「俺達の夢は、君の脚で可能性の果てを見ることだ」
「そのとおり! 確かに勝利は大前提だ。しかし、重要なことを忘れているよ」
「”感情”の力とやらか? 正直俺には……」
「必要なんだ。カフェが」
モルモット君は黙った。この件に関して議論の余地がないことは、彼もこの数ヶ月でよく理解している。
「……まあいい。プランA.ver2は完璧だ。マンハッタンカフェの出走も織り込んである。問題はない」
本当にやれやれだ。そういうことじゃないんだけれどねぇ。
「ともかく、私達のやることに変わりないさ」
「やる気があるなら不満はない。残り1か月、全力でいくぞ。タキオン」
「もちろんだよ。さ、早くトレーニングに戻ろうじゃないか。エンジンを掛けて車を動かしたまえ。私達に時間の余裕はないんだよ!」
「ここに来たのはタキオンの……、はいはい。わかりましたよ」
車が動き出した。私は座席に置いてあるレース資料を手に取って眺める。が、目が滑って中身がまったく頭に入ってこない。集中しようとしても、どうも気が散ってしまう。頭によぎるのは決意と闘志に満ちたカフェの顔。あの表情の矛先が私に向いていると考えると--、
「どうした?」
モルモット君が尋ねてきた。私としたことが、思わず笑ってしまったらしい。
有馬記念が本当に楽しみだった。
私は一ヶ月後、遂に『可能性の果て』を見るのだ。
■□■□■
心臓は全力で稼働していた。息遣いは荒い。私は全身で風を浴びていた。周囲はウマ娘の脚による間断ない轟音で支配されている。無数の観客が作り出している筈の大歓声は微かに聞こえるのみだった。
年末のグランプリ、有馬記念。G1芝の2,500m。この一年のトゥインクルシリーズを彩った数多くのウマ娘たち。その中から選び抜かれた16人による頂上決戦は--、
既に佳境にあった。
バ群は第3コーナー手前を駆けている。
この時点で私は先頭から4人目に位置している。
私はここまで、徹底して内ラチ側を走ってきた。もっとも走行距離が短くなる経済コースだ。長距離戦であれば誰もがこの位置を獲りたがるが、私には難しいことではなかった。
ありがたいことに内枠を引いたし、スタートは才能が物を言う。私には才能がある。
そして、どんな展開になろうとも対応できるだけの準備を私達はしてきたのだ。
馬場状態は良い。含水率だけの話ではない。昨日の全12レースと本日行われた10レースを見て確信したとおり、脚は取られなかった。完全に私向きだった。
おっと。
目の前のウマ娘が限界を迎えたのか失速した。これまで風除けとして随分活躍してくれたが、巻き込まれてペースを乱されてはかなわない。
半歩左にステップを刻み、自然体の速度で追い越した。
次の風除けを探しすかさず後ろにつく。
体力消費は最低限に抑えねばならない。
私の前にはわずか2人だけ。
バ群は第4コーナーに差し掛る。
ここを超えたら最後の直線だ。あの坂の向こうにゴールがある。やるべきことはシンプルだ。逃げのウマ娘達の体力に陰りが見えた瞬間、残してきた脚で勝負を決め--、
と、背後からのプレッシャーが一気に増大した。
末脚自慢達のスパートが始まったのだ。
このレース、バ群は固まって推移していた。
若干ハイペースでもあった。
差し戦術を採ったウマ娘達の方が有利な展開だった。
だが、問題はない。完全に想定どおりだった。
私は強く踏み込みながら、夏合宿2日目のことを思い出している。
ラジコンカー諸君との模擬レースを10本こなした後で、このトレーニングの意図についてモルモット君から説明を受けた時のことを。
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「君の二つ名の由来は、先行策を採ってなお他と隔絶した末脚にあるが--、最後にスタミナが残っていなければ発揮しない」
「当然の理屈だねぇ。で、このラジコンカーが何の役に立つんだい? レース展開のシミュレーションするにはなかなか良さそうとは思うけれどねぇ」
「ふっ」
「ふっ? 何が面白いんだい?」
「あえて俺に説明させたいんだな? 大天才タキオンの信頼に答えるためには、完璧が求められるのも当然だ」
本当によくわからないんだけれど、まあいいか。
「このトレーニングにより、経験のない長距離戦でも最大限にスタミナを温存するコースを身体に叩き込む。ああ、マンハッタンカフェの場合--、」
「スタミナお化けだからねぇ。最後以外はあまり位置取りを気にしなくていい。私のサポートも彼女の強み--つまりスタミナ--の向上と、爪のケアに主軸を置いていたよ」
「もちろんスタミナも強化するが、コース取りでそれを補う。理論上最大限に経済的なコースを完全に走り切れば--、」
「私だけ中距離を走っているようなもの、とでも言いたいのかい? レースはそんなに単純では--、」
「君の頭脳ならば問題ない」
モルモット君は断言した。
「その末脚の力を真に発揮したならば、後ろからじゃ絶対に追いつけない。君は必ず勝つだろう」
「理屈は分かるけどねぇ……、最短距離を走りたくても、レースには相手がいるんだ。その展開を予め予想しておけと?」
「君の頭脳ならば!! 問題ない!!」
モルモット君は再び断言した。
目は血走っている。少し怖いねぇ。そう思った。
「君は最短距離を走り抜き、温存したスタミナで最後の直線を光速を超えて駆け抜ける。これが君の必殺技だ。『U=ma2』と名付けた」
なんて言った? 『U=ma2』だって?
「ハハハハハ!!!」
私は大声で笑った。
「なんだいそれは! 相対性理論のもじりかい? アインシュタイン並の頭脳と評価されるのは光栄だが、あまりかっこよくないねぇ! クク! ハハハ!! 位置エネルギーの公式を教えてあげようか!」
「……別にいいだろ。相対性理論のことはよく知らないが、速度と時間間隔についての理論なんだろ? それをウマ娘的にアレンジしてみせた。君に相応しいと思ったんだよ。勝負服にも似合ってるし」
モルモット君は照れくさそうに頭を掻いていた。
それが余計におかしくて私はまた笑った。
「気に入ったよ」
モルモット君は本当に私好みになりすぎていた。
彼のことを心の底から認めたのが、この瞬間だったのかも知れないねぇ。
■□■□■
そして私は--、
強く、強く脚を踏み出す。
残ったスタミナを全て燃やし尽くし、私は『可能性の果て』を見るのだ。
最後の直線に入った直後、私は先頭に立った。
モルモット君のトレーニングは正しく機能した。私は彼の期待に完全に答えきった。脚は十分に残っている。加速は止まらない。ゴールまでの距離を、速く速く、誰よりも速く、駆け抜けられる。
更に速く! 更に速く! 更に速く!
私の二つ名は『超光速のプリンセス』。
その由来は、最後の直線での超スパートにこそあった。
末脚自慢は差しウマ娘の専売特許じゃあ、ない。
ここからが『U=ma2』の本領発揮だ。
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----待て。
突如、嫌な予感がした。
カフェは何をしている?
私がわざわざ挑発し、この実験場に招待した彼女は一体?
私は全力で駆けながらも、少しだけ振り返った。
見つけた。かつて夢を託した漆黒のウマ娘、カフェが目に入った。
そして、彼女の意識に私が存在しないことも分かった。
進路上に群れなすウマ娘達も、ゴールも認識の外。
カフェは彼女の『お友だち』しか見ていない。
カフェの速度がみるみる上昇する。
バ群をかき分けて突出する。
稼いだリードが消滅する。
私の背後に迫ら--、ない。
横に並ばれた。それでもカフェは私を意識していない。初めて彼女を恐ろしいと思った。その速度はなんだ。自分の世界に入り込んだようなその走りはなんだ。そこには狂気だけがあった。
ハハハ!
恐怖で笑うのは初めてだった。久しぶりに一緒に走ってよく分かったよ。
君は怖い! 私レベルまで仲の良いウマ娘がいないのも納得だよ!!
私の速度が落ちていく。脚が限界を訴えていた。
カフェの背中がはっきりと見えるようになってしまった。
ゴールまで後--、何秒、何m?
分からない。どうすればいい。そもそも、私に今更何かができるのか?
クク……。
これまで完璧に計算できていたのに、カフェが目に入った瞬間にこれだ。
モルモット君が言うとおり、私は合理的な性格ではないんだろうねぇ。
トレーニングでは何度もこの距離を走ったが、実戦の緊張感は想定以上に私を蝕んでいたらしい。
逆転の目はない。モルモット君の作り上げたプランA.ver2に、この状況から勝利する方策はなかった。用意した戦術は、最後の直線でカフェに追い越されないためのものだった。
たった半年の付け焼き刃ではこれが限界だ。やはり無理だったのだ。
もう何も分からない。どう走ればいいのか、いや、走るべきなのかすら分からない。
モルモット君は悪くない。プランAを捨てた私が悪い。
すまないね……。
■□■□■
諦めかけたその時、モルモット君の喚く声が微かに聞こえた気がした。
タキオン、と。
この騒音の中で、聞こえるはずもないのに。
私は顔を上げた。モルモット君の顔が見えた。遠いのによく分かった。彼は吠えていた。観客席の最前列で。何を叫んでいるのか分かった。口の動きだけで。
「タキオン! 君ならば! タキオン!! タキオン!! まだだ! タキオン!! 勝利だ! タキオン!! 最強は!」
彼は私の名を叫んでいた。
私の勝利を心の底から待ち望んでいた。
願っていた。私を信じていた。
タキオン、タキオン。
そうだった。君はそういうやつだった。
モルモットになった初日、怪しげな薬品を3本飲んだその日から、ずっとそうだったのだ。
何故そこまで私を信じられるのだろう。
まったく理解できなかった。
が、私はモルモット君のそういうところが。
クク、ハッハッハ! ここから先は野暮だねぇ!
気づけば--、
この瞬間、残る距離は105.32m。カフェとの差は半バ身。遠くもあり、短くもある。どう捉えるかは自分次第。膝を高く上げる。ストロークを意識する。ゴールまでの芝はほとんど荒れている。追いつくには、やはり内ラチ沿いしかありえない。
--私の意識はクリアになっていた。
カフェはどんどん速くなる。
彼女は今日、『お友だち』を追い越すに違いない。
そして彼女は掴むだろう。ウマ娘の限界を超えたその先にある何かを……。
もちろん、
許せるわけがなかった。激情が私を支配する。
そこは私の席だ。他の誰のものでもない。
ならば私は走る。それだけだ。
緊張が何だ。久々の実戦が何だ。理論上、脚は残っている。
ならば!!!
『U=ma2』は伊達じゃない。
足が軽く感じた。心は浮き立つようだ。
モルモット君の狂った顔が、脳裏を駆け巡っている。
走る。
カフェの背中が徐々に近づく。
走る、走る。
スタミナ全てを燃やし尽くし、光速のその先へ。
走る、走る、走る!
今日、私は『可能性の果て』を見るのだ!!
さあ! 可能性を導き出そう!!
実験結果はすぐに出た。
結論。私は負けた。『可能性の果て』は彼方。
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「モルモットを辞める気はないぞ」
レースが終わって直ぐ私は控室に戻った。モルモット君がそこで待っていた。扉が閉まる前に彼は言った。その顔は強張っている。私は力なく答えた。
「負けたのだから、軌道修正は必要だろう」
「黙れ。プランAは続行だ。もう数ヶ月、トレーニングの時間があれば……」
「やれやれだねぇ」
「……また、俺を捨てるのか」
圧倒的成長を遂げた察しの良さも、自身については発揮されないらしい。
「ハハハハ!!!」
「何故笑う。面白くないぞ。これはマジだ」
「君の用意したプランA.ver2はなかなかのものだ。滑稽な必殺技も気に入っている。だが--」
「俺は認めないぞ。ver2は……、かん、かんぺ……。くそっ。そうだ。完璧ではなかったかもしれないが、タキオン、君を」
「落ちつきたまえよ。私はただ、プランAを放棄すると言っただけだ」
「……その結果、21か月前に俺は捨てられたんだが」
まったく。些細なことにこだわるねぇ、このモルモット君は。
その件についてはもう謝罪をしたじゃ……。いや、してなかったかな?
まぁいいさ。私の中では既に済んだことだからね。
「本日プランAの限界は明らかとなった。いいところまで行ったが--、カフェに勝てないようでは話にならない。しかし、プランBに今更戻るというもね」
「何が言いたい。何を考えている」
「自分の肉体で夢の果てを見たくなったのだ! 当然私は走り続けるとも。それには君が必要だ。当然だろう。私は君に管理してもらわなければ食事すらままならないからねぇ」
モルモット君の顔がわかりやすく輝いて--、
「当然だ! 君にはモルモットが必要だ!! ……うん? 待て。じゃあプランAと何が違うんだ? おい、説明しろ」
直ぐに我に返った。尋ねてくる。クク。確かにそうだね。説明不足だねぇ。モルモット君をからかうのは本当に楽しいねぇ。ま、いいか。飽きてきた。早く説明してやるか。
「決まっているだろう! プランCの始まりさ!!」
「……は?」
モルモット君はぽかんとした。
本物のモルモットのようなつぶらな瞳をしていた。
まったく、かわいい男だねぇ。
「プランC? 何だそれは。初めて聞いた」
「馬鹿なことを言わないでおくれよ。さっき思いついたんだから、当然初めて聞くに決まっている」
「君は本当に……、衝動的だ。くそっ、俺が君と一緒にやれるならば文句はない。ないが、ビジョンを共有したい。プランAと何が違うんだ」
「決まっている。カフェだ。私のライバ……」
私は言いよどんだ。何かが引っかかる。
「あの娘がなんだというのだ。確かに今日君に勝ったし、理解不能なレベルで強いのも認めるが……」
「……違うな。ライバルは違う」
「そうとも。君が最強だ。ライバルなどいない」
「黙ってくれ。カフェとはねぇ--、競ったり、組んだり、生活の面倒を見てもらったり……」
「プランBなんてものがなければ、面倒はずっと俺が見たぞ」
「ええい。茶々を入れないでくれたまえ」
「はい」
「彼女は言うなれば、そう」
カフェとのこれまでを振り返った。クラシック戦線が本格化する前の競い合いや、サポーターとしての付き合いを。心地よいものだった。もちろん、さっき見た鬼気迫る走りも忘れていない。そして、彼女に勝つために私がどのように走ったかも。
振り返っての結論。そうだねぇ。現実は複合的だが、一言で表現するならば彼女は--、
「『お友だち』だ」
カフェは好きに走り、いつの日か必ず追いつくだろう。彼女の『お友だち』に。
私はカフェと同じ道を行く気はない。
しかし、私は私で追いついてみせる。私の『お友だち』にね。
私とカフェは決して交わらない。よく分かった。
同時にカフェが必要だ。それもよく分かった。
確かに私は負けた。確かに私は『可能性の果て』を見れなかった。
だが、非常に実りの多いレースだった。
私はこの有馬記念で--、
「タキオン、君が一番速い。他人に入れ込む必要はない」
「ハッハッハ! 負けた直後にそう言ってくれるのは嬉しい。……まぁ、距離や競技場次第では勝てると思う。多分。それに、2500はちょっと長かったねぇ」
「……確率論を超えた速さを目指したい。そういうことか」
「そうだよ。私が目指す場所は驚くほど遠いのだから。だが、『可能性の果て』に至るのはこのプランCしかないんだよ」
「マンハッタンカフェはそれほど--」
私は遮って尋ねる。
「モルモット君は今日、私の走りを見てどう思った?」
「伝説の『超光速のプリンセス』は実在した。そう思った。最後のマンハッタンカフェとの競り合いは歴史に残る。間違いない。特に最後の--」
本当ならば私には、無様な敗北が私を待っているはずだった。
根拠のない大言壮語を吹き散らかした者にふさわしい結末が。
最後の直線で起きた出来事を私は思い出す。
失速し、カフェの背中が遠ざかり、絶望に囚われた。
何もわからなくなった。そして、モルモット君の叫びが--、
私は顔を上げた。駆けて駆けて駆けた。後続を引き離した。カフェの背中が近づいた。
まぁ結局、負けたんだがね。ハナ差の2着。
『可能性の果て』には届かなかった。だが、だが--、
私はこの有馬記念で確信を得た。
なにか別の領域に踏み込んだという確信を。
鍵は”感情”だった。私は可能性を見てしまったんだ! もう他のことは考えられない。
ずっと私の目の前にあったのに、私は気がつかなかった。
気がつけなかった。
だが、気がついてしまった。
もう止まることはできない。
プランAを捨てた時と同じように。
プランBを捨てた時と同じように。
私はため息をついてから言う。
「あの全力疾走はね、私の”感情”が爆発したからこそ実現したんだよ。怒り、嫉妬、恨み、喜び、後悔、ありとあらゆる感情が私を加速させたのさ」
「……」
「私は確信している。『ウマ娘の可能性の果て』は、カフェと競う先にこそあるのだと」
「……分からないな」
「そうだろうねぇ。私もついさっき思いついたのだし」
「……レースは鍛錬と数字だ。”感情”など意味はない」
モルモット君は随分擦れてしまったねぇ。
まあいい。彼の意思はどうでも良い。
「分かる必要はない。ただ私をサポートしてくれれば良い! まさか辞めるとか言い出しはしないだろうね!? 許すつもりもないが!」
しばらく黙った後で、モルモット君は唸るように言った。
「馬鹿にするな……」
「ふぅン?」
「俺はモルモットだ。研究に尽くすのは当然だろう。今君を理解できなくとも、いずれ理解してみせる。必要ならば1,680万色に光ってみせよう」
そんなに光りたかったのか。
光るのは副作用なんだけれどねぇ。
「ハハハハ!」
そういえば、彼に聞きたいことがあったんだった。
いや、今思いついたんだけれどね。
モルモット君は何故、ここまで私に尽くすのだろうか。
忘れていたが、私がトレセン学園から除籍されずに済んだのは、彼のおかげなのだった。
選抜レースに出ようともしていなかった私は、間違いなく退学していただろう。
ウマ娘への奉仕で頭が壊れた会長の努力虚しく、ね。
当時は別にそれでも良いと思っていたが--、
彼がいなければプランAを試すことも、プランBに興じることもできなかった。
もちろん馬鹿みたいなブランクの末に、有馬記念で可能性の欠片を目にすることもなかった。
すべては、モルモット君との出会いから始まったのだった。
「疑問に思っていたんだが……」
「なんだ」
「私は随分と酷いことをした自覚がある。君を捨てて、14か月放置し、その挙げ句勝手にモルモットに戻した。モルモット君は何故、私を信じてくれるのかな? 大変に興味深い」
モルモット君はあっさりと断言した。
「簡単なことだ」
「回答が楽しみだよ」
「君より速いウマ娘は存在しない。これまでも。これから先も」
モルモット君の瞳は狂った色をしていた。狂い切っていた。
「だから俺は他の担当を持たなかったんだ。君が俺を拾うのを待ち続けた。君が悪いんだぞ。君と比べりゃ他のウマ娘はーー」
その先は言わないでもいい、モルモット君。
十分に伝わったよ。まるで理想の彼女に振られた男そのものの行動だねぇ。
私は笑った。お腹を抱えて笑った。
こんなに笑ったのは生まれてはじめてなのかも知れなかった。
係員がライブの開始を告げに来てもまだ面白かった。
君は、私以上に私の脚に魅せられているのだね。
■□■□■
”感情”の力が分からない、と君は言うが。
出会ったその日も、選抜レースの日も、デビューの日も、短いプランAの日々も、「無期限休止」を宣言した皐月賞の日も、私に捨てられた日々も、私が舞い戻ってからの日々も……。
ずっと君は私のことだけを考えていた。
だからは私は走れた。プランCを見いだせた。
今の私があるのはすべて、君のおかげだ。モルモット君。
純朴なだけが取り柄だと思っていた君が、私をここまで引き上げたんだ。
それが、”感情”の力によるものじゃなくて何なのだ。
自分の力に無自覚なのが、一層私の心を掻き立てたる。
私は奇妙なものに惹かれる質なので、大変愉快な気分になった。
アグネスタキオンは幸せ者だ。
君が私のトレーナーで良かったと、心底思うよ。
モルモット君と別れてからも私はずっと笑っていた。
自覚できるほど頬が緩んでいたから当然だが、ライブの控室で顔を合わせたカフェに心底引かれてしまった。
私はまた笑った。
さあ、来年はどんな年になるだろうか。
心の底から楽しみだった。
ウマ娘の可能性のその先--、さらなる未知の領域へ。
さあ、可能性を導き出そう。