努力が嫌いだ。
報われるかも分からない悲痛な現実。
そんなものの為に労力を割き、苦しむことが私は嫌いだ。
勉強、運動、その他将来設計の実現を目指す努力の数々。
怠い。憂鬱だ。人間は誰しもそんな楽な道を望んで逃げ出してしまいたい気持ちを堪えながら、仕方なく茨の道を歩んでいく。
勝利とは、苦痛である。
誰であれ、どんな不純な感情を抱こうとも人は“勝利”を目指してひた走る。
この世界の基底に根付いた競争主義を制する為には、勝利こそが不変の絶対原則であるが故に。
一聞すれば輝かしい栄光である
勝ちたい。
一番になりたい。
幸せになりたい。
そんな想いを胸に壁を一つ撃ち破り“勝利”を手にすれば、そこには刹那の充足感と──更なる“勝利”を目指すための苦難が待ち受ける。
ほら、結局は試練と苦悶の堂々巡り。
妥協と怠慢に満ちて、程々に生きて程々に死ぬ。
それで良い。私はそんな倦怠の
だけど敗北や破滅も嫌だ。
都合の良い解釈で生きる“熱”を持たないクズ、それが私だった。
努力? 本気? 勝利への渇望?
報われる保証もない努力を積み重ねるなんて馬鹿馬鹿しい。
真面目に生きず努力せず、ひたすら楽な方へと逃げることが賢い生き方だろう。
社会に出て必死に働いて地位を築いたところで、重い責任とリスクが付き纏い些細なミスで足元が揺らぐ砂上の城でしかない。
人並みの生活水準と悩みや気苦労のない暮らし、そこそこの生き方で適度に堕落するのが私にとっては最良だ。
肩肘張った真面目がバカを見るこの世界では、努力の価値などたかが知れてる。
故に私──
────
その日は、いつもと同じく退屈な日常だった。
気怠げな心中を隠しもせずに机に頬杖をつきながら、教師の話を右から左へと流して忘却する空虚なひととき。
勉強なんて定期試験で赤点を回避できればそれで良いと妥協に
午後の授業に至っては殆ど記憶がない。
気づけば机に突っ伏して惰眠を貪っていたようで、周りのクラスメイトは既に殆どが帰宅していた。
「あ、あの。宵宮さん……」
「……あ゛?」
「ひぃっ!?」
寝起きで喉が掠れてしまい威圧するような声色で返事をすれば、同級生が怯えて涙目になりながら後退る。
余談だが私は目つきが悪い。今こうして全くもって関わりのない同級生に恐れられるくらいには穿った眼差しをしている。
そして、そんな常日頃から睨みを効かせた猛禽類のような目つきで不真面目な態度を取れば私に対する印象もそりゃ悪いものである。
最近では他校の生徒を締め上げてる不良などと言う尾鰭のつきまくった噂まで流れてしまうほどだ。
面倒臭いので別に弁解はしていない。
私が他者からどう見られようとどうでも良い……あぁ、怠い。眠い。
「で、なんの用だ?」
「せ、先生が宵宮さんにって……」
問いを返せば、震えながら女生徒が幾つかのプリントを手渡してくる。
今日の授業で配られたのと全く一緒のものだった。
「今日休みの後藤さんの分のプリントで、近くに住んでる宵宮さんに頼みたいって先生が……っ」
「……あァ、分かったよ。届けてやるから泣くんじゃねえ」
使いパシリをさせられるのもかったるいが、このままコイツに泣かれて胸にしこりを作るよりは幾らかはマシだと思いながらプリントを受け取ると、女生徒はもう一度掠れた悲鳴を上げながら教室を出て行く。
「後藤ひとり、ねぇ」
今度こそ私以外誰も居なくなった教室で、今しがた告げられた名前を反芻する。
後藤ひとり……彼女は私と同じくこのクラスでは浮いた存在ではあるが、別に私のように自分から他者に対して壁を作るような存在ではなかった。
時たま学校にCDやバンドグッズを持ってきて、一日中ソワソワと過ごす変人。
最近ではお昼の給食時間にデスメタルを放送部にリクエストして学校中をお通夜にしてたな……。
しかし、そんな彼女のなによりも度し難い所は──
後ろの席からはいつも、彼女が真面目にノートを取る姿が視界に映った。
教師の話を聞き逃さないように集中し、筆を走らせビッシリと白いノートを文字の葦で埋め尽くすその姿を、私は嘲る。
要領が悪い奴なのだろう。
真面目に授業に取り組んでいながら、試験はいつも不真面目な私よりも低い点数。
もはや努力の仕方を見直す段階であるにも関わらず、自分ではどうしたら良いのか分からず結局は無駄な頑張りを続けてしまい虚無に終わる。
そんな空回りする姿を、私は心の中で嘲笑いながら憐れんでいた。
報われない努力に憐憫を。
無意味に終わる徒労に嘲笑を。
諦めないその姿に苛立ちを抱く。
あぁ、やっぱり──努力は、嫌いだ。
そんな思いを過らせていると、いつの間にか私は目的地に辿り着いていた。
他所からでも家族の団欒を思わせる広々とした造りの一軒家に視線を向ける。
さっさと用事を終わらせて帰ろう。
いつもの様に惰性に満ちた心持ちでチャイムを鳴らした。
『はーい』
母親と思しき人物の声がした。
「後藤さ……ひとりちゃんの同級生の宵宮です。学校のプリントを届けに──」
手早く済まそうと簡潔に自己紹介と要件を話そうとした、瞬間。
バタバタと騒々しい足音が響き渡り力強くドアが開けられた。
14歳の娘がいるとは思えない程に若々しい女性が、何故だか驚愕している様にも見える表情に顔を染めている。
「ひとりちゃんのお友達!?」
いえ、違います。ただの同級生です。
プリントを届けに来ただけの顔見知りです。
「ささ、入って入って!ひとりちゃんも具合が良くなったから会って大丈夫よ〜」
そんな弁解の暇すら与えられず、お見舞いか何かと勘違いされたのか熱烈な歓迎と共に家の中にまで招かれる。
距離の詰め方エグいなこの人。
というか友人一人にここまで感激されるとかお前の家族からの印象はどうなってるんだ後藤ひとり……。
いや、今からでも遅くはない。要件だけ伝えて早く帰らせてもらおう。
私は別に後藤ひとりの友人じゃ──
「ひとりちゃんにお友達が出来たなんて……っ!」
「あっ、はい。マブダチです」
い、言いづれえ……。
どんだけ感動的な出来事だと思われてるんだよ後藤ひとり。
まさか学校にバンドグッズ持って来てたのはそういう事か? 友達欲しくてデスメタル流してたのかよアイツ、不器用すぎんだろ。
「ひとりちゃんのお部屋なら2階よ。後でお菓子とジュース持ってくるわね!」
まるで嵐の様に現れて立ち去る後藤母に、終始唖然としてしまう。
……まぁいいか、タダで菓子が貰えるなら此処は話を合わせておこう。今日から私は後藤ひとりの友人だ。
ご機嫌な様子でリビングへと向かう後藤ひとりの母親を横目に、階段を登る。
「なんだ、この音?」
ふと、耳を撫でる音色に気づく。
階段を一段ずつ踏みしめる度に大きく、そして深く響き渡る“音”が鼓膜を揺らした。
ギターの音……だろうか?
なにか音楽でも聴いてるのかと思ったが、それにしてもさっきからそれ以外の楽器の音色や歌声が聴こえないことに不審感を覚える。
やがて後藤ひとりの部屋と思しき和室の前に立ち、意を決して襖を開ける。
──鳴り響く音が、また鼓膜を強く震わせた。
部屋中に轟く弦楽器の音色。
音楽に対して造詣が浅い私であってもそれが卓越した技能によるものだと理解できるほどに、その“音”は私の魂の奥底を震わせた。
しかし部屋には誰もいない。
十畳一間の和室は簡素な模様であり、必需品も机や棚といった最低限のものしか揃えられていない。
“音”が、それでも鳴り響く。
……なんだ、この気持ちは。
自分の鼓動が早まるのを感じる。
僅かな起伏すらも煩わしいと堕落したはずの私の心が、この音色に興奮を覚え震えているのが実感できた。
棚に置かれている夥しいほどの付箋が貼られたギターに関する教本から、この音色を奏でているのは後藤ひとりであると予想できた。
“音”の発生源に目を向ける。
薄暗く狭い押し入れの隙間から僅かに漏れる光と、延びたコード。
近づく。一歩ずつ。確かな歩みで。
この音色に感じた“熱”の正体を知りたいという好奇心に身を任せ、私は押し入れの襖を開いた。
「─────」
轟轟とした旋律が、この身を震わせる。
荒々しくも澄み渡り、優れた技巧による指捌きながらも感情の荒波を思わせるほどに深く突き刺さる。
後藤ひとりが、そこには居た。
肩ほどまでに伸びた桃色の髪。
青と黄のヘアバンドで束ねられた可愛らしい癖毛。
そして、いつもの不審気な様相からは考えられない凛々しい横顔。
その全てが、網膜を通して脳髄に記憶として焼き付いた。
目が離せない。離してはいけない。
この姿を余さず記録しろと本能が叫んでいる。
素人の私でも“本気”で取り組んでいるのだと分かるほどに卓越した技巧でギターを掻き鳴らすその姿に、もはや尊さすら覚えた。
「気づいて、ない?」
言葉を、発する。
真剣に音階を紡ぐ彼女の前では、それすらも赦されざる大罪なのではないのかと躊躇を抱きながらも、それでも思わず疑問を吐露してしまった。
襖を開けて差し込める光。
私という部外者の存在。
今しがた発した私の
外界の全てを遮断したのかと思ってしまう程に彼女は、こちらの存在に気づかないほど真剣に集中していたのだ。
こんなにも近くにいるのに、あと一歩踏み出せば触れることが出来るほど間近に居るはずなのに──まるで空に浮かぶ星と同じほどの距離を、貴女に感じた。
綺麗だった。
美しかった。
尊い星の様だった。
手を伸ばす。
幼子が傲慢にも星を掴みたいと手を天に掲げるように私は、ゆっくりと後藤ひとりに触れ───
「───はぁ」
「……っ」
我に、返る。
一休みでもしようかと報せる様な、微かな息遣い。
その瞬間にギターを掻き鳴らす指の動きが僅かに緩み、後藤ひとりという存在と外界の繋がりが蘇ろうとしていた。
襖を閉める。
早鐘を打つ鼓動を必死に抑える。
呼吸すらも、今はしてはいけない。
──気づかれたくない。
──気づかれたくない。
──気づかれたくないっ!
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!
私の様な
手に持っていたプリントを畳の上に置き、足音を立てず逃げる様にして私は部屋を出た。
「っ、は……ぁ」
呼吸を、繰り返す。
吸って、吐いて。吸って、吐いて。
酸素を取り込むたびに思考は澄み渡り、失いかけた理性を必死に掻き集める。
「後藤、ひとり……」
名前を呼ぶ。
私の心をぐちゃぐちゃにし尽くした少女の名前を、詩を綴る様に愛を込めて。
朦朧とする意識をなんとか持ち堪えながら、私はこの家を出ようとゆったりと歩みを進めた。
「あら、もう帰っちゃうの?」
「……ええ。少し、急用を思い出したので」
階段を降りると、鉢合わせた後藤ひとりの母親が名残惜しそうに問いかける。
彼女と同じ空間で呼吸をすることさえ罪だとすら思うが故に、私は一刻も早くこの家を出たい気持ちでいっぱいだった。
「あっ、あの!」
「?」
「ひとり
だけど……だけど最後に、これだけはどうしても問い掛けるべきだと思った。
知りたい。知らねばならない。
彼女がどれだけあれ程までに研鑽を積んだのか、どれ程“本気”で生きたのか──その足跡を。
「中学に入ってから毎日6時間以上かしら? 勉強や運動で上手くいかない時はその『悔しいっ!』って気持ちを埋めるみたいにギターに没頭してるわね……本当に、熱中できるものに出逢えて良かったわ」
「そう、ですか。──ありがとうございます」
慈しみを感じさせる瞳と声色で、後藤ひとりの足跡を語る。
私が嘲笑った徒労の裏で、そんなにも時間を懸けて一つの物事に打ち込んでいたなど露ほどにも思わなかった私は、またも面を食らう。
胸にこびりついた汚泥を払う様にして、最後に礼を言って家を出た。
「──ただいま」
返事はない。
私に両親はいない、中学に上がる前に事故で亡くなった。
そしてどうやら私の両親は世間一般で言う“成功者”というものらしく、一生私一人で生きてけるくらいの莫大な遺産と空虚な時間だけが残された。
唯一の家族は形だけの後見人として私を放任する親戚だけ。
だからこんな挨拶をしても言葉を返してくれる人は存在しない。
この家に立ち入るのは私と、親の遺産で雇った昼間だけやって来る家政婦ぐらいのものだ。
玄関に飾られた鏡に、私が映る。
──その瞬間。この胸を穿った感情は、途方もない
恥ずかしい。
耐えられない。
こんな
先程脳髄に焼き付けた憧憬の姿を思い起こしながら、羞恥に咽ぶ。
あぁ、私は一体なにをしている?
俗なことでも、
ああまで美しく
努力が報われる保証はない、本気で生きるなんて馬鹿らしいだと?
巫山戯るなよ、宵宮黒羽。貴様は
彼女の演奏には“熱”があった。
この空虚で汚濁した心を滾らせるほどに煌々とした燃え盛る情熱の焔──血の滲むような努力の果てに煌めく人間讃歌。
「──お前はクズだ」
孤独で空虚な堕落者よ、お前に他者の煌めく努力を嘲笑う資格が何処にある?
「お前はクズだ、お前はクズだッ!何も成し遂げることのできない塵屑がっ!」
鏡に映る
今までこんな醜態を晒して生きていたのが恥ずかしい。堕落した己の思想を、今すぐ頭をかち割って脳漿と共に掻き出したい気分だ。
「──後藤、ひとり」
名前を呼ぶ。もう一度、今度は敬意と礼賛を込めて。
「音楽……ギター。私も、貴女のような“熱”を抱けるでしょうか」
不純な動機だと、貴女様は私の痴態を謗られるだろうか。
これまで怠慢に満ちた生き方をしてきた私が今更心を入れ替えようとも、もしかすれば遅すぎるのかもしれません。
ですが、ですがどうかお願い。赦してください。
もはやこの胸に宿る激情を抑えられぬ程、私は貴女の姿に恋焦がれてしまった。
至高の君。
努力の権化。
音楽にその身を捧げし尊き御方。
「──貴女に焦がれてしまった」
貴女に触れたい。
貴女に認められたい。
貴女と言葉を交わしたい。
堕落の蜜を貪り堕ちた私がこのような願望を抱くなど不遜極まると理解していながらも、この欲望を抑えることができぬ罪をどうか赦してください。
「どうか跪かせてほしい、孤高の花よ」
まずは、そうだな──ギターを見に行こう。
宵宮黒羽14歳。中学2年生。
今日この日、私は天啓を得た。
「ひとりちゃん。お友達ができて良かったわね……(グスグス)」
ひとり(お、お母さんまさか幻覚を!? 不甲斐ない娘でごめんなさい……!)
・
特徴:ダウナー系黒髪ロング美少女。
性格:怠惰な面倒くさがり屋→努力と本気の価値を信じる自己否定者。
好きなもの:惰眠、堕落、妥協→後藤ひとり
嫌いなもの:努力や根性論、青臭い青春的なもの全般→本気で生きる努力を怠った自分自身。
努力なんて無意味だ。どうせ自分には親の遺した金があるのだし、自堕落と謗られようとも人並みに近い生活水準を送れればそれで良いと考える性根の腐ったクズ気質。
なお後藤ひとりの音楽に身を捧げる一面を刮目する事で光堕ちする。
努力の素晴らしさと人間の可能性を信奉し、