「ヒ、ヒヒ──クヒ、ふへ」
悲願の成就に狂信者が震える。
歓喜の雨霰が、羨望の渦が、狂気の坩堝が漆黒の瞳に希望の光を宿らせた。
──ひとりさんひとりさんひとりさんひとりさん。ああっ、生きてて良かった。もう死んでもいい!!嬉しい嬉しい嬉しい!!
──こ、怖い……なんでずっとこっち見てるのこの人!?
端的に言えば宵宮黒羽は気色悪い笑みを浮かべながら後藤ひとりに熱い眼差しを送っていた。通報ものである。
宵宮黒羽は愛用のレスポール・カスタムを抱き寄せながら、瞳に映る憧憬へと並々ならぬ感情を抱く。
路上ライブ。一期一会の舞台にて準備が整う。
「あ、そうだひとりちゃん」
微かに弦を鳴らし最終確認を終えた廣井きくりが、眼を見開きひとりを見つめた。
「一応言っとくけど目の前の人たちは君の闘う相手じゃないからね──敵を見誤るなよ」
「てき……?」
「──あぁ、
「そんじゃ始めますねー。曲はこの子のバンドのオリジナル曲で〜す」
一瞬の唖然の後に、演奏が始まる。
ベースの重い音の壁とギターの音色。
譜面をなぞるように辿々しく奏でられる後藤ひとりの音に続くようにして、二人の怪物がそれに続く。
──すごい。
二人の演奏に対して、礼賛がひとりの胸に充ち満ちる。
即興である筈なのに譜面を覚えひとりの演奏を支える自信に満ちた迷いのない演奏。
廣井きくりと宵宮黒羽──両者の技巧の卓越さを一瞬で理解する。
──それに、この人って……。
チラリと横を見れば、自身と同じ
深く被ったフードの隙間から垣間見える眼光と、往来で目立つペストマスクにひとりは既視感を覚えた。
──や、やっぱりカラスさん……だよね!?
Crow、カラス。ギターヒーローとしての自分を礼賛してくれたギタリストの存在に浮き足立つ。
──私のこと、気づいてない。当たり前か……今の私、全然
ちくりと胸に感じた心の痛み。
ギターヒーローとは縁遠い稚拙な演奏が、弱々しく奏でられた。
──……そうか。
後藤ひとりが自分を支える演奏に感嘆を描く最中、微かな口惜しさと共に宵宮黒羽は悲哀を想う。
──ヒーローの音には、まるで程遠い。
先ほど廣井が述べた忠告に感じた不安の的中。
今のひとりの演奏は、甘く見積もっても中の下が精々。
黒羽は察していた。後藤ひとりの弱さを、欠点を。
人との関わりに怯え竦んだ中学時代の後藤ひとりの姿を見知っていた黒羽にとって、彼女が“本気”を出すことのできない致命的な要因についての心当たりはあったのだ。
──
しかし、それに対して失望など微塵もありはしない。
失敗、不得意。欠点、悪癖。
人は、誰しも完璧ではない。
しかし完璧ではないからこそ人は“成長”できるのだと人生における
むしろ羨望を更に深めより傾倒していた。
──あぁ、それでも……
失望などするものか。
落胆も同情も憧れを貶める悪感情でしかないと理解するが故に、天に描いた星への憧憬が堕ちるわけがない──しかし。
──貴女が報われない世界なんて、間違ってる。
“怒り”が、迸る。
巫山戯るな。巫山戯るな。巫山戯るな。
後藤ひとりの努力、勇気、切望に報いることのないこの理不尽な世界へと抱く赫怒の焔が胸中を渦巻く。
「
「……ぇ?」
「くーちゃん?」
あっけらかんと芝居じみた様子で、問いを投げかける。
──だからお願いだ後藤ひとり。そんな所で足踏みしないでくれ。私は、貴女のような人こそが報われて欲しいのだからッ!
思い出すのは、数ヶ月前に感じた覚醒の前兆。
今も真横でベースを奏でる魔性が、越えるべき“限界”として立ちはだかった濃密な夜。
貴女が真の実力を引き出すために己も覚悟を決めたと言わんばかりに、宵宮黒羽は吐息と共に“怒り”の感情を吐き出す。
「
「ひっ」
黒鴉の眼光が、英雄未満の少女を歪に穿つ。
棘のある言葉の裏に隠されたその本心は、
鴉が哭く。叡智を備えた瞳を煌びかせながら。
「有象無象の観客など敵のうちに入るかよ。お前の敵は──私だけだ、ヒーロー」
「あっ、え、うぇっ!?」
「っ、待ってくーちゃん。
牙より垂れた猛毒が、英雄の音を殺した。
先ほどまで形だけのリードギターを演じていたひとりの背を追い越し、自分こそが唯一無二の絶対であると言わんばかりに弦を掻き鳴らす。
空気が変わる。
されどもその音楽が雑音に陥ることはなく、むしろ観客たちは宵宮黒羽の奏でる独善的な音楽に目を奪われた。
「……くーちゃん」
「
止まらない。止まらない。止まらない。
この場の主導権を握り潰し音の殺戮を繰り広げる悪鬼の演奏。
調和を捨て、馴れ合いを唾棄し、希望をせせら嗤う悪の華。
──今の私は、貴女の“敵”だ。
光なくして闇は生まれず、その逆もまた然り。
即ち、逆説的な英雄譚の存在証明。
英雄の誕生を切に願う愚者の三文芝居。
ラインの黄金を獨占する悪竜の如く。
世界樹の根を貪り喰らう吼竜の如く。
奇稲田姫を娶り八頚唸る大蛇の如く。
一寸先は闇の其方。
後藤ひとりの振り絞った微かな勇気が、無に帰す。
──あっ、え……ど、どうしたら……っ。
困惑と焦燥感が身を包み込む。
続く想定外に指の動きが鈍り心が折れかける。
今にも崩れそうな薄氷の足元で、後藤ひとりは揺れ動く瞳を側にて佇む“敵”へと向けた。
──お、怒ってる。そうだよね……せっかく褒めてたヒーローがこんなのじゃ……私なんかじゃ……っ。
黒羽の瞳から滲みいる“怒り”の感情を悟り、ひとりは自分の不甲斐なさに絶望すら感じる。
──お姉さんも、カラスさんも、あんなに堂々と演奏してるのに……それに比べて私は……。
挫折と自己嫌悪の堂々巡りに拙く弦を掻き鳴らす指が止まりそうになる程の諦観が芽生え始めた、その時。
「──が、頑張れ!」
「っ」
己を激励する、声がした。
まるで悪者に苦戦するヒーローを応援する子どものような純粋無垢の激励。
名も知らぬ女性が不甲斐ない自分の背中を後押ししようとする姿を目にし、後藤ひとりは歯軋りを鳴らした。
──くやしい。
ヒーローの胸に、ちっぽけな
──悔しいっ、くやしい、くやしいッ!
観客は決して敵ではない。
開演の直前廣井から告げられた言葉の意味を今ようやく理解すると同時に、後藤ひとりは殺戮の音階を奏でる怪物へと睨みを返す。
「さぁ、ヒーロー。
諦観を拭い去るほどに強固な競争心。
挫折を乗り越え、敗北に涙し、奮起を誓う主人公の気概。
──諦めたくないっ。負けたくない!だって私は……!
ギターの弦が、堂々と掻き鳴らされた。
英雄の視線が、漆黒へと強く注がれる。
──
宵宮黒羽が侵食し尽くした世界を、刹那の音色が破壊した。
「あぁ……あぁ。アァ、私の
巣穴に轟く断末魔。
光に堕ちた獣が狂気を胸に破顔しながら涙を呑む。
──ああ、ああぁ、嗚呼……ッ! 私の憧れは、間違いじゃなかった!
心が、震えた。
──もはや微塵も疑うものか! やっぱり貴女は不滅の
涙が、頬を伝う。
──私の
期待とは、無責任な願望に他ならない。
斯くやあらん。斯くあれかし。そうあれかしと願う恥知らずな無慙無愧の慟哭。
しかし、その慟哭に応える傑物の存在こそ不朽不滅の英雄に他ならない。
そう、後藤ひとりは宵宮黒羽の期待に応えたのだ。
今此処に、
「……ひとりちゃん」
演奏の間隙にて、廣井きくりがか細く呟く。
──これがひとりちゃんの本気……やっぱ凄い子じゃん、キミ。
自分の目に狂いはなかったと才能の翼が羽撃く音を聞きながら、狂気とも見紛うほどに感情の濁流を垂れ流す使徒を見つめる。
──くーちゃん。キミはどうして……。
終わりよければ全て良し──ではない。
むしろ廣井は今、このような強硬策に躍り出た黒羽を咎める心境ですらあった。
どうして、このような無理難題を少女に突きつけたのか。
どうして、それ程までに後藤ひとりに懸想するのか。
前者に関しては一応の理解はできる。
かつての新宿の夜で己が黒羽に強要した挫折の経験。
それに歪んだ感銘を受けてひとりにも同じ試練を課したのだろう。
問題は後者。
努力の信奉者である宵宮黒羽が、ここまで他者に思いを馳せる現象についてその理由を模索する。
──ん、んんん?待って、ヒーロー……ヒーローって確か……あっ。
『貴女の言う通りこの曲は、私からヒーローへの讃歌だ』
初対面のあの時に垣間見た、恋煩う少女のような蕩けた表情。
今日この日この時に、廣井きくりの薫陶を受けた少女が、その試練を憧れに教授する。
そしてその“憧れ”と“狂信者”を邂逅させた立役者こそ──。
「やっべ。原因わたしじゃん」
酒で壊れかけた記憶の宮殿から、ようやくその元凶を思い出した。
──でも、そっかぁ。そうだよなぁ。こんなキラキラしたもん見せられたら
逡巡、その後に納得。
宵宮黒羽の狂気的な努力への真信と、病的なまでに本気へのめり込むその姿勢に対して、あろうことか廣井は“共感”してしまった。
──ひとりちゃん。
覚醒を果たした英雄を、じっと見つめる。
我慢ができない。これ程までに若人たちが本気で音楽を奏でる渦中にて、廣井きくりのバンドマンとしての魂もまた震えていた。
なけなしの理性が、吹き飛ぶ。
──あァ、クソっ。楽しいなぁ!これが若さかよ!
刹那限りの覚醒を遂げた英雄と、それに呼応するようにして成長し続ける悪竜の演奏。
これに当てられるなと言う方が無理がある。
激動の刹那が、酒で痺れた思考回路を刺激してやまない。
調和など、もはやどうでも良い。ただ君たちと徹底的に
あちらが若さと情熱に身を任せ絶えず掟破りの覚醒を成すのなら、此方は経験と狡猾さで更にその先を行こう。
己の成長曲線が停滞にあるが故の闘争方法。
要所要所に織り交ぜた
廣井きくりは、紛れもなく今この瞬間を切に
──竜に、成りたかった。
貴女に憧れたあの日から、地を這うだけの蛇から少しでも
さあ、
強欲な
私は幾星霜であろうとも
本気の果てで貴女に討ち滅ぼされることこそが、悪役の花道に他ならないのだから。
然らば己も、全霊を以てして貴女を喰らうのみ。
憧れが、宿敵と成る。
──今までと、全然違う。
不可能を可能にするほどに煌めく、爆発的な成長。
進化。成長、覚醒──それは、強者との鬩ぎ合いで成される
それは、独善的な先走った演奏。
これがもし、彼女の愛する結束バンドとの協奏であれば、崩れた調和とそこからまろび出る不和によって彼女たちの音楽は雑音と成り下がり瓦解することであろう。
──
絶対的な強さは人を孤独にする。
才能とは、埋め難い孤独の証左。
異端は剪定され、己と
しかし。
「クヒっ──良いなァ、
「あんま
孤高の神域に踏み入る
そして、この場で誰よりも顕著な変貌を遂げた天才が、此処に一人。
「あ、あの!」
青い
歪んだ笑みにより剥き出す犬歯
殺気にも似た全身から漂う狂気。
「きょ、曲のテンポを上げたいので……その、えっと」
後藤ひとりは、二人の
「──ついてこれますか?」
臆病な天才が、一人の
「クハっ、クハハハハハアアッ!!」
「あはっ、アハハハハハハッ!」
笑う。微笑う。嗤う。
狂信なる求道者が
痴れた魔性が若人の可能性に艶かしい媚笑を溢す。
「最高だ、ヒーロー」
「最高だね、ひとりちゃん。」
三者三様の“音”が自分以外の音の滅尽を願う調和も調律も協調もかなぐり捨てた怪物の領域。
かつて新宿の夜にて幕開けた漆黒と逸脱者のセッションをなぞるようにして、彼女らは弦を鳴らす。
白痴が爛れた音色で
魔王が暴力的な轟音で覚醒を促す。
そして英雄は、ただ只管に
音と音の殴り合い。
傑出した“個”が紡ぐ本能に訴えかけるほどの暴力的な音楽が──やがて終曲を迎えた。
一瞬の、静寂。
『──────!!』
返礼は、天へ轟くほどの祝福礼賛。
呼吸をようやく思い出したと言わんばかりに、聴衆が感動を言葉に変換する。
「あ、あばばばばばばば!?」
押し寄せる人波にコミュ症のキャパオーバーを起こし、身体を崩しかける後藤ひとり──そんな彼女を支える細腕が、優しく肩に置かれた。
「──目を見開け。前を見ろヒーロー」
「ゥ゛ェ!?」
宵宮黒羽は、未だ鋭い眼光の中に慈しみの感情を宿らせながら優しく寿ぐ。
「これは貴女への喝采だ。何処までも直向きに音楽と向き合い続けた──貴女に
「い、いえいえいえいえ。私なんて全然……!」
受け入れられる容量をとっくに超えた褒め言葉の嵐にひとりは困惑と喜びをごちゃ混ぜに謙遜する。
「──ひとりちゃん」
「あっ、お姉さん」
その最中、廣井きくりは熱の籠った視線を向けて先ほどまでのヒーローの演奏を回顧すると同時に、欲が溢れる。
今はまだ何者にも成れていない、無垢なる天才。
この未成熟な果実を齧り、澄んだ透明を己の
「ひとりちゃん」
「お、お姉さん……?」
再び名を呼びながら、手を伸ばす。
私の
「──ダメですよ、廣井さん」
「っ」
柔い頬を撫でる寸前、伸び切った腕は虚しく空を切った。
「この
「うぇ!?」
まるで塒を巻く蛇の如き仕草で独占欲を滲ませねっとりと、ひとりの肩に手を回し抱き寄せながら妖美に微笑う。
煌びやかな輝き以外、もはや瞳に映るものか。
誰にも渡さぬ己のものだと強欲竜の威嚇が巣穴に轟く。
「……嗚呼、憎いねぇ。
共感、納得。嫉妬──あれ程までに黒羽の狂った生観念を是正しようとしたはずの彼女はむしろ、逆にその在り方に呑まれていた。
「──ひとりさん」
「え、あっ。はい」
そんな廣井の姿に親近感を覚えながら、未だ
──あぁ、綺麗だ。
間近で感じる息遣い、恋焦がれたこの尊顔を決して忘れるものかとこの情景を記憶し、慈しみと敬意を胸に頬を優しく撫でた。
「私は、貴女を
「!?!?!?!?!?」
──あっ、待ってヤバ。今のなし──!
2号さん→ぼっち←廣井きくり
↑
カラスちゃん
闇のぼっちハーレム。
・後藤ひとり
作中最強格の酒クズと強火ストーカーとのセッションとかいう強化素材でレベル上限が上がったギターヒーロー。
なお
・廣井きくり
覚醒ぼっちちゃんに脳を焼かれてイカれカラスちゃんに共感しちゃったある意味被害者兼無意識に自分で仕掛けた地雷を踏んだ戦犯。ミイラ取りがミイラ。禁酒しろ。
・宵宮黒羽
※通常運行
破滅願望持ち努力信奉の狂信者。異常者。ストーカー。光と闇が合わさり最強に見える勇者系魔王。病院行け