当時ハマッていて、初めて二次創作に手を出した作品でもあります。その時の一つを戯れに。
細かい説明などはなく、完全に当時を知る方向けの内容です。
どうぞ、のすたるじぃなどにおひたりくださいな。
プルルルル……。
プルルルル……。
カチャ。
『私ハ、あんさー』
『コレカラ、アナタガ望ム九ツノ謎』
『ソレラニ、正シイ答エヲ与エマス』
『ナオ、十問目ノ質問ハ私カラサセテイタダキマス』
『以上ノ事ヲ踏マエタ上デ、質問ヲ開始シマスカ?』
『……了解シマシタ。ソレデハ、質問ヲドウゾ』
プツ。
ツー。
ツー。
ツー。
◆
想いがある。
誰にも言えず。
誰にも伝えず。
だけど、いつかはきっと。
そんな想いが。
確かにある。
ピラッ。
軽い音と共に薄い布がめくれ、その下に隠れていた淡いピンクが露になる。
「きゃあ!?」
宮ノ下さつきは悲鳴を上げて、舞い上がったスカートを両手で押さえた。風に乘って踊る、長い三つ編み。
「へへん、今日の確認終了っと!」
その下を潜る様にして、身を起こした少年がニパリと笑う。
「こらぁ、ハジメ! アンタ、また!!」
怒号と共に振り回される拳。
それを掻い潜り、射程距離の外に離脱すると青山ハジメはさつきに向かって向き直る。
「ピンクねぇ。あんまり柄じゃねぇな、さつき」
「ちょっとそれ、どう言う意味よ!?」
「がさつな女には似合わないって言ってんだよー」
「何ですってー!?」
逃げるハジメを憤怒の表情で追いかけるさつき。
いつも通りの、変わらない光景。
「今日も平和ですねぇ」
「だねー」
結局捕まり、往復ビンタを食らっているハジメを眺めながら、柿ノ木レオと宮ノ下敬一郎はしみじみと呟くのだった。
◆
「お前なぁ、何もここまでする事ないだろー? あーくそ、後で口内炎になったらどうするんだよ?」
「何言ってんのよ。自業自得じゃない!」
両頬を真っ赤に腫らしてぶつくさ言うハジメの横を歩きながら、別な意味で頬を染めながらさつきは言う。
口ではギャアギャア言い合いながらも、その歩みはきっちりと揃っていて。
まるで、互いに離れまいと申し合わせた様に。
(もう、意地を張り合うの止めたらいいのに)
そんな二人を眺めながら、レオはひっそりとそんな事を思う。
もっとも、下手な事を言って飛び火を食らっては堪らないので口には出さないのだが。
(まぁ、これがお二人の健全な形でしょうし)
そんな親友の思いをよそに、顔を付き合わせながら延々と言い合いを続ける二人だったり。
◆
『間違いないだろう』と、思っている。
この、想いの事。
誰に教えられた訳ではない。
まして、誰かに問うた訳でもない。
直感。
本能。
胸に今、宿るもの。
温かさ。
熱さ。
優しく。
激しく。
そう。
これは。
これはきっと。
だけど。
だけど、この想いの行き先は分からない。
実るのか。
それとも、熟れぬままに落ちるのか。
分からない。
その答えを知るのは、ただ一人。
答えてくれるのは、ただ一人。
けど、訊けない。
まだ、訊けない。
訊けや、しない。
「さ~つき」
「ひゃん!?」
物思いにふけっていた所に急に声をかけられ、思わず机から飛び上がる。
振り向いて見れば、級友の大橋加奈子が目を丸くしている。
「な、何? カナちゃん。」
「何じゃないわよ。あーもう、こっちの方がビックリした」
胸に手を当てながら、加奈子は抗議する。
「ごめんごめん。で、何?」
「あのさ」
「うん?」
「『怪人アンサー』って、知ってる?」
「かいじんアンサー?」
「そう」
首を傾げるさつきに向かって、加奈子は演技がかった調子で話し始めた。
曰く、それはいつしか巷に流れ始めた都市伝説。
十人の人間が集まり、円形に並ぶ。
同時に、それぞれ隣りの人に対して携帯電話をかける。
当然、携帯電話のほとんどは通話中。
けれど、十個の携帯電話の中でただ一つ、つながるモノがある。
その通話先の主。
男とも女とも知れない声で、『ソレ』は名乗る。
『アンサー』、と。
『ソレ』は言う。
『あなたが望む謎、九つに正しい答えをあげましょう』
「そしてね、どんな質問にも九つまで。正確に答えてくれるの」
「どんな質問も?」
「そう、どんな質問も。」
「九つ?」
「そう、九つ。」
「何か、半端な数だね。」
首を傾げるさつき。加奈子は『それはね……』と続ける。
その声は、続けて言うのだ。
『ただし、最後の十問目は私が問わせていただきます』
九つの答えの後の、たった一つの質問。
それは、とても難しい。
答えられる者など、この世にいないと思える程に。
そして、その問題に答える事が出来なかった時。
「身体の一部を引きちぎられて、持って行かれちゃうんだって……」
「……!」
顔を引きつらせるさつきを見て、加奈子は面白がる様に付け加える。
――絶対に、絶対に逃げられないんだって――。
……と。
「そ、それで……何で、そんな話……?」
「それよ!」
待ってましたとばかりに、ズィッと寄せられる顔。
「試してみない?」
「え、ええ!?」
思いもがけない提案に、さつきは目を丸くする。
「な、何で……?」
あからさまに狼狽するさつきを、加奈子はポカンと見つめて。
一拍の間の後、吹き出す様に笑い出す。
「アハハハハ! 何? さつきったら、こんな話信じちゃってるの? 可愛いなぁ、もう」
ひとしきり笑うと、目尻の涙を拭きながら話し出す。
「いやね、別のクラスの友達で試してみたいって娘がいてさ。協力してくれって頼まれたのよ」
「頼まれたって……」
「ほら、この儀式って十人いないと出来ないじゃん? なかなか人が集まらなくってさぁ。良かったら、さつきにも手伝ってもらおうと思って」
『参っちゃうよね~』などと言いながら、明らかに面白がっている。
対して、強張った表情を崩せないさつき。
気付いた加奈子から、流石に笑いが消える。
「あれ? ひょっとして本気(マジ)になってる?」
そう言って、顔を覗き込んでくる。
「嫌だなぁ。こんなのただの都市伝説に決まってるじゃん。んな事、ある訳ないない。」
それでも、さつきの表情は緩まない。
分かっていた。
怪談。
都市伝説。
巷に流れる、種々雑多な噂の数々。
耳をかすめては消えていく、数多の空言。
意味を持たない、言の葉の形骸。
けれど。
だけど。
その言葉の群れ。
巡る日々の底に、澱の様に溜まったソレ。
その、底の底で。
昏く。
昏く昏く、淀む闇。
其処で、蠢くモノがある。
静かに。
けれど、確かに。
蠢くモノ達が。。
決して、浮かび上がる事は無く。
決して、光の中にまろび出る事は無く。
だけど。
その淀みの中から、光(こちら)を見つめる。
その闇の中から、光(こちら)を招く。
目が。
腕が。
者達が。
確かに、在る。
これまでの経験から、理解していた。
領域があるのだ。
自分達が。
此の世の住人が。
決して踏み入るべきではない。
踏み込んではいけない領域が。
さつきは硬い表情を崩す事なく、目の前の級友に向かって言う。
「ねえ・・・」
「うん?」
「そういうの、遊び半分でやらない方が良いよ」
「え?」
「何か、嫌な感じがする。やめた方が、良い」
その言葉を聞いた加奈子は、しばしポカンとして。吹き出す様に笑い出した。
「や、やだなぁ。もう。さつきったら、本気になっちゃってぇ。ウケる~」
「カナちゃん……」
「あ~、はいはい。分かりました。さつきはパスって事ね?」
腹を抱えながら、加奈子は言う。
「そうじゃなくて……」
「大丈夫大丈夫、心配ないって」
「カナちゃん……」
さつきが言い募ろうとしたその時、授業開始のチャイムが鳴り響いた。
「あ、いけない」
踵を返す加奈子。
「カナちゃん!」
呼び止めようとするさつきに向かって、クルリと振り返る。
「儀式は明日の5時に、旧校舎の裏でやるから。もし気が向いたら来てみて」
言い残し、自分の席に向かって駆けて行く。
去り際。
「さつきって、案外臆病なんだなぁ」
ポソリと呟く声が、微かに耳を掠めた。
◆
「は~、そんな事があったのかよ」
「なかなか興味深い話ですねぇ……」
放課後、さつきから話を聞いたハジメとレオが口々にそんな事を言う。
「どう思う? レオ君。わたしは、絶対に止めといた方が良いと思うんだけど」
「ふ~む。怪人アンサー、ですか」
胸ポケットからメモ帳を取り出すレオ。
ペラペラとめくるそのメモ帳の表紙には、『研究メモ』の文字。
「『怪人アンサー』。数年前から流布し始めた、比較的新しい都市伝説の一つ。携帯電話を使った儀式で呼び出せる怪異。その儀式とは……」
メモを読み上げるレオ。メガネが光を反射し、怪しげに光る。
「……で、どんな質問にも九つまで正確に答えてくれる。ただし、最後の十問目はアンサー側から問われ、それに答えられないと身体の一部を奪われる……と」
「そう、カナちゃんもそんな風に言ってた」
相槌を打つさつき。
「怪人アンサーは脳髄だけの存在で、自由に動く身体を手に入れるためにそうやって身体のパーツを集めているそうです」
「うえ、ゾッとしねぇ」
顔をしかめるハジメ。
「何か、回避方法とかないの?」
「う~ん、回避方法ねぇ……」
ペラペラと、メモをめくる。
「無いですね。最後の質問をされてしまったら、答えるしかない様です」
「でも、それって誰も答えられない様な問題なんでしょ?」
「ええ、超難問です。例えば、『今日から1万2658日後は何月何日の何曜日?』とか言う様な」
「あぁ!? そんなの、答えられる訳ねえじゃん!!」
「他に、方法はないの? 例えば、最後の質問の前に携帯を切っちゃうとか」
レオも頭を捻る。
「どうなんでしょう? そういう事例は、何処にも載ってませんでしたから」
メモ帳をめくりながら、申し訳なさそうに言うレオ。
「良い考えだと思うんだけど……」
「何しろ、相手はお化け。超常の存在ですからねぇ。保障の方は何とも」
「……そっか」
はぁ、と落胆の溜息をつく。『すいません』と謝るレオ。
「ただ、この怪異は向こうから襲ってくる訳ではありません。此方からアプローチしない限り、何も出来ない訳ですから。危険度は低いんじゃないかと……」
そんな言葉に、さつきは『うん』と相槌をうつ。
「やっぱり、手を出さないのが一番だね」
「でも、大丈夫か? アイツら、やる気満々なんだろ?」
「明日、もう一度説得してみるよ。今のレオ君の話もして」
「大人しく聞けば良いけどなぁ」
そんな事を言い合ううちに、三人は昇降口に着いた。
ハジメが自分の靴箱を開ける。
と、何かが落ちた。
「「「ん?」」」
三人の目が、『ソレ』に集中する。
ハートのシールで封をされた、一枚の便箋だった。
◆
「・・・『ずっと好きでした。付き合って欲しいと思っています。放課後、校舎裏で待っています。来てください。』……」
封を切った手紙を、ハジメの声が読み上げる。
「……ラブ、レター……」
「……です、ね……」
呆然とするさつき。
その横で、レオがズレた眼鏡を直しながらそう呟く。
「へっへーん。オレも捨てたもんじゃねーなー」
手紙をしげしげと見つめながら、顔をにやけさせるハジメ。
「そ、それで……どうするんですか? ハジメ……?」
明らかに浮かれているハジメに、恐る恐る問いかけるレオ。
顔が、心なしか青ざめている。
無理も無い。
横では、さつきがハジメを凝視している。
その顔からは一切の表情と色が消え、まるで能面。ついでに、背景には『ゴゴゴゴ』と言う擬音と共に黒いオーラが漂って見えてたり。
「も、もちろん……行きませんよね? ハジメ……?」
猛烈なプレッシャーに油とりの蝦蟇よろしく冷汗塗れになりながら、レオは問う。
「は? 何で?」
「……え? えぅえぇえええ!? ぬわ、ぬわんですとう~~~っ!!??」
仰け反って絶叫する。
「な、何だよ!? 何驚いてんだよ!?」
「だ……だって、その、あの……そ、それは……ちょっと、どうかなぁ~???」
横から吹き付ける重圧がさらに重苦しさを増すのを感じて、必死に場を取り繕うとする。
しかし、そんな切ない努力も心配りも、肝心の本人に届かない。
「何でだよ? そんなの、オレの勝手だろ?」
「で……でもぉ……」
「でも、何だよ?」
「~~~~~~~!」
酸欠の金魚の様に口をパクパクさせるレオ。
と。
「……ハジメ、行くんだ……」
不意に、低く冷たい声が響いた。
地の底から響く様な、氷河の中で凍てつく様な、そんな声である。
「うふぅいぃいいいっ!?!?」
耳から走る悪寒に、珍妙な悲鳴を上げるレオ。
「行くんだ……。ハジメ……」
もう一度、確かめる様に。
「ああ、何だよ? お前も何か文句あんのかよ?」
憮然とした顔で、ハジメが問い返す。
「……ううん……」
抑揚のない声で、さつきが言う。
「そうだよね……。ハジメが断る理由なんて、ないもんね……」
そう言うと、フラリと踵を返す。
「さ、さつきさん……?」
「帰る……。夕飯の用意、しなくちゃ……」
フラリフラリと遠ざかっていくさつき。
その後姿を見ながら、ハジメはポカンとしながら呟く。
「あいつ、どうしたんだ?」
「ああ……全く、もう……」
頭を抱えながら、深く深く溜息をつくレオであった。
◆
「さつき」
「……」
「おい、さつき」
「……」
「おい」
「………」
「おいっつってんだろ!!」
「……ん、何……? 天邪鬼……」
「鍋、噴いてんぞ!!」
言われて見れば、かき回していた鍋は灼熱の溶岩の如く。ゴボゴボと真っ赤な泡を吹き上げる様は正しく世紀末。
「ああ……」
気の抜けた声を上げながら、コンロの火を切る。
「……おい。これ、夕飯に出すのか……?」
キッチンの上に飛び上がった黒猫―天邪鬼が、鍋の中を覗き込んで顔を引きつらせる。
「え……あ、うん……」
答えは完全に上の空。
「……食えるのか? これ……」
「……何で……?」
「何でって、お前……。これどう見てもおかしいだろ……?」
「……」
さつきはおたまで少量をすくって小皿に注ぐと、口に運ぶ。
緊張の面持ちで見つめる天邪鬼。
「……どうって事、ないよ……?」
小皿を口から離しながら、そう言う。
「え゛?」
思わぬ言葉。唖然とする。
「わたし、ご飯までちょっと休むから……」
そんな彼を残し、フラフラと台所を出て行くさつき。
「お、おぅ……」
一人(?)その場に残された天邪鬼。もう一度、しげしげと鍋の中を眺める。
しばしの逡巡の後、恐る恐る舌を伸ばす。
緊張に震える舌の先が、それに浸った瞬間、
「△×σ@○□¥%#◇<*>―――――っっっ!?!?!!!???」
全身の毛を逆立てて飛び上がる。猫舌だからどうとか、そう言う話ではない。口から火を吐き七転八倒。やっとの思いでシンクにたどり着くと、タライに溜めてあった水に舌を浸す。
痺れてひん曲がった舌が、水に冷やされて蒸気を上げた。
「ひぃ、ひぃ……」
数分後、タライから顔を上げてさつきが去っていった方向を見る。
「はひふ、ひっひゃいろおひらんら?(あいつ、一体どうしたんだ?)」
痛む舌をぶら下げながら、そんな事を言う天邪鬼なのだった。
さつきは自分の部屋の中で、明りも点けずにベッドに横たわっていた。
「はぁ……」
枕に顔を埋めたまま、何度目かも知れない溜息をつく。視線を向けるのは、カーテンの閉められた窓。その向こうにある家。
『彼』の、部屋。
もう、帰って来ているのだろうか。
あの後、校舎裏に行ったのだろうか。
手紙の主に会ったのだろうか。
何と、答えたのだろうか。
頭の中に浮かぶ光景。
夕暮れに沈む校舎。
長く伸びたその影の中に佇む二人。
一人は少年。
一人は少女。
少女は恥ずかしそうに、少年に向かって何かを伝える。
それを聞いた少年。しばし頭など掻きながら思案するが、やがて優しくはにかむとコクリと頷いた。
少女の顔が、花の様にほころぶ。
そして、二人の影は一つになって。
「ああ、もう!!」
そう叫んで、枕を窓に投げつける。
間の抜けた音を立てて当たった枕。ポトンと机の上に落ちる。
「ハァ……」
また、ため息。
「……何やってんだろ? わたし……」
呟いた言葉は、薄闇の中に溶けていく。ベッドの上で膝を抱え、縮こまる。
苦しかった。
まるで、深い水底に沈んでいく様だった。
息苦しい。
心が、酸素を求めて喘いでいる。
いや、求めているのは酸素ではなくて。
求めているのは、ただ一つ。
たった一つの、その答え。
分かっている。
それは、十分過ぎる程に分かっている。
けど。
けれど。
出来ない。
出来や、しない。
すべき事は、酷く簡単な事。
訊けばいいだけ。
明日、何食わぬ顔で。
登校の途中に。
休み時間に。
それとも、放課後に。
なんなら、今すぐ電話で訊いてもいい。
一言。
ほんの一言を、確かめれば。
だけど、それはとても怖い事。
与えられる答えは二つに一つ。
その一つを聞くのが怖かった。
彼の口から聞くのが、怖かった。
怖い。怖い。
想いが回る。
終わりのない、迷いの迷路。
クルクルクルクル。
想いが巡る。
ふと、腰に硬いものが当たる。
手を伸ばす。
スカートのポケット。
引っ張り出したのは、黒猫のストラップがついた携帯電話。
ジッと見つめる。
ボタンを押す。
画面に映る、アドレス帳。
カーソルを合わせる。
『彼』の名前。
もう一回。
ボタンを押せば、つながる。
彼に。
だけど。
だけど。
押せない。
指は、動かない。
手が、落ちる。
また、溜息。
苦しい。
苦しい。
どうすればいいのだろう。
知りたい。
知りたい。
彼の想いが。
彼の答えが。
知 り た い。
――どんな質問でも九つまで、正確に答えてくれるんだって――。
脳裏を過ぎった。
昼間聞いた、級友の声。
彼女の語りが、巡り出す。
(10人の人間が、円形に並ぶの)
(同時に隣りの人に電話をかけるの)
(10個の携帯電話の中で一つだけ、何処かにつながるの)
(それが、『怪人アンサー』)
(アンサーは言うわ)
(『あなたが望む謎、九つに正しい答えをあげましょう』)
――タ ダ シ イ コ タ エ ヲ ア ゲ マ ショ ウ――。
最後の言葉が、頭の中で繰り返される。
延々と。
延々と。
呪(まじな)いの様に。
呪(のろ)いの様に。
呪詛の、様に。
ベッドに落とした手を見つめる。
力なく、半開きになった手。
その中で、淡い光を放つ携帯電話。
幽かな螢緑の光の向こうで、誰かが笑った様な気がした。
◆
次の日の、午後4時55分。
夕日に照らされる旧校舎の裏に、数人の少女達の姿があった。
「う~ん、9人だけか……」
セミロングの少女が、腕組みしながら頭を捻る。
「ごめんね、明美。心当たりには片っ端から当たったんだけど、皆ノリが悪くてさー」
明美と呼ばれた少女に、大橋加奈子はそう言って両手を合わせた。
「仕方ないよ。それにしても皆、案外臆病なんだな~」
腰に手を当てながら唸る明美。
「どうする?」
「しょうがないじゃない。今日はこれでお開きって事で……」
溜息をつきながらそう言おうとした、その時。
「あの……」
不意の声に、明美と加奈子が振り返る。
夕日の中、佇む少女が一人。
朱い景色の中で、長い三つ編みがさらりと揺れる。
「わたしも、混ぜてもらっていいかな……?」
そう言って、さつきは手の中の携帯を掲げて見せた。
「おおー、さつきー!!」
加奈子が両手を広げて抱きつく。
「流石は我が友! 来てくれると思ってたよー!!」
「ちょ、ちょっとカナちゃん。苦しい……」
力いっぱい抱きしめられ、アウアウと喘ぐ。
「あのさ、楽しく百合ってる所悪いんだけど。紹介とか説明とか、してくんないかな?」
些か呆れた様な顔で、明美が言う。
「ああ、ごめんごめん。」
慌てて絡めていた手を放す加奈子。さつき、ホッと息をつく。
「この娘、あたしのクラスの宮ノ下さつき。協力してくれるみたい」
「そう。あたし、2組の笹野明美。よろしくね」
「うん。よろしく……」
そう言うと、さつきは差し出された手を握った。
「さて、これで人数は揃ったわ」
集まった少女達に向かって、明美が言う。
「それじゃ、皆で輪になって。そしたら、時計回りに隣りの娘に自分の携帯番号を教えてあげて」
言葉に従い、皆は輪になるとそれぞれ携帯番号をやり取りし始める。
教えられた番号が入力された携帯を見つめる。
無機質な光の中で、ボウと浮かび上がる数字の羅列。
夜闇が満ち始めた黄昏の中、それは酷く痛く網膜の奥へと焼き付いた。
「準備は、いい?」
互いの顔すらも定かに見えなくなる中、明美の声が響く。
ゆっくりと頷く、少女達の影。
「始めるわよ。『怪人アンサー』の儀式」
その言葉に答える様に、10個の携帯が光を放った。
◆
カチッ。
薄闇の中に、ボタンを押す音が響く。
カチッ。
一つではない。
カチッ。
音は、幾つも響く。
カチッ。
幾つも。
カチッ。
幾つも。
カチッ。
幾つも。
カチッ。
幾つも。
幾つも。
幾つも。
幾つも。
響く。
宵闇の中に。
音が、響く。
登り始めた宵の月。
淡く注ぐ光の中、大きく伸び上がる旧校舎の影。
その中で、輪を描く10の人影。
10人の少女。
手の中で踊る、数字の羅列。
10機の携帯。
電子の明滅。
光は描く。
禁忌の門を。
ゆっくりと。
ゆっくりと。
深まっていく黄昏。
両隣りに立つ娘の顔も、もうハッキリとは見えない。
ただ、手の中に収めた携帯の光だけが痛く目に。
その光を、さつきは身じろぎもせず凝視する。
周りの少女達はキャラキャラと笑いながら、互いに『本当にかかったらどうする~?』とか『○○君の好きな娘とか、教えてくれるかな~?』などと話合っている。
そのノリは酷く軽くて。
自分達がこれから行う行為を、単なる遊びとしか考えていない事は明白。
しかし、さつきは違う。
彼女の胸の中に渦巻くもの。
強烈な忌避感。
今までの経験。
数多の怪異との遭遇。
培われた感と本能が、全力で警鐘を鳴らす。
いけない。
いけない。
これは、いけない。
今すぐ、手の中の携帯を放り出したい衝動。
事実、何度そうしようとしたか分からない。
けれど。
けれど、身体は動かない。
理由は一つ。
想い。
胸の中で、衝動よりも強く滾る想い。
知りたい。
知りたい。
答えを。
彼の、想いを。
その想いが彼女の足を縫い止める。
だから、せめて思いを繰り返す。
大丈夫。
大丈夫。
根拠のない思いを繰り返す。
大丈夫。
所詮は都市伝説。
空虚な噂
虚話。
だから、大丈夫。
アンサーなんて、いやしない。
つながるはずなんて、ありゃしない。
電話はずっと、話し中の呟きを続けるだけ。
だから、大丈夫。
大丈夫。
遊び。
他愛ない、遊び。
だから、大丈夫。
揺れる心。
彼の想いを知りたい。
その想いとは矛盾する言い訳を、繰り返す。
大丈夫。
いけない。
大丈夫。
いけない。
大丈夫。
いけない。
延々と巡る、思考のループ。
目眩さえ覚えかけた、その時。
「!?」
視線を感じた。
振り返る。
旧校舎の窓。
暗闇の中に。
佇む少女。
おかっぱの髪。
桜色のワンピース。
「……花子、さん……?」
呟いた声に、少女が頷く。
その唇が、小さく動き。
(ダメ……)
そう、紡いだ。
「――っ!」
今度こそ、背筋を悪寒が貫く。
「準備は、いい?」
耳に響く、明美の声。
「始めるわよ」
最後のチャンスだった。
「やめ……」
静止しようと、声を上げかける。
けれど。
過ぎる、彼の顔。
「押して!」
遠くに響く、声。
無意識に動く、指。
カチリ。
10個の通話ボタンが押される音。一斉に、闇の中。
ツー。ツー。ツー。ツー。ツー。
昏の中に歌う、通話中の音。
輪に並ぶ少女。
手の中で、泣き歌う携帯電話。
ツー。ツー。ツー。ツー。ツー。
響く声。淡々と。
先にいる相手が、自分を向いていない事を告げる。
しばしの間。
そして。
「あー、つながんなーい」
誰かが声を上げる。
すると。
「あたしもー」
「やっぱダメかー」
「ですよねー」
あちこちから、そんな声。
失望とも自嘲ともとれるそれは、瞬く間に輪の中に。
お互いの携帯を見せ合いながら、キャラキャラと笑い合う。
辺りに響く、無邪気な声。
けれど。
だけど。
その輪の中に入らない者が、一人。
「…………」
周りで騒ぐ少女達。
喧騒の中で、佇むさつき。
耳に当てた手の中。
沈黙する携帯電話。
そう。
沈黙していた。
10人が、同時に隣りにかけるこの儀式。
当然、かけた先は通話中に。
けれど、手の中の携帯は沈黙している。
呟くべき音を呟かず。
黙り続ける。
乾いた喉が鳴る音が、酷く頭蓋に響く。
手が、カタカタと震える。
沈黙。
向こうに、感じる。
深い。
深い。
どこまでも深い、闇。
耐えかね、手を下ろそうと。
不意に聞こえた。
切り替わる音。
手が、止まる。
ジ……ジジ……。
聞こえて来たのは、電子音。
ジジ……ジ……ジジ……。
壊れたテレビが出す様な、軋み呻く電子の声。
聞こえる筈のないソレが、機器の奥から。
ジジジ……ジジ……ジジ……。
音。
ジジ……ジジジジ……ジジ……。
壊れた、音。
ジジジジ……ジ……ワ……ジジ……。
いかれた、機械の呻き声。
ジ……ワジジジ……タ……ジジジ……。
耳朶に、滲み込む様に。
ジジ……ワタ……ジハ……ジジ……。
けれど。
ジジ……ジ……ワタ……シ……ジ……ハ……。
けれど、それはゆっくりと。
ワタ……シ……ハ……ジジ……。
ゆっくりと、形を変えてゆく。
ワタシハ……ジジ……ア、ン……ジジジ……。
まるで、蝉が脱皮する様に。
ワタシ、ハ……アン……ジジジ……サ……。
電子の形骸を脱いでいく。
ワタシ……ハ……あ、ンさ……。
音は声となり、形を成していく。
『私ハ、あんさー……』
男とも、女ともつかない。
人間とも、動物ともつかない。
生物とも、無機物ともつかない声で。
『それ』ははっきりと、そう告げた。
◆
「――――っ!!」
鼓膜を揺らした言葉。
さつきは絶句し、立ち尽くす。
そんな彼女に構う事なく、携帯は声を吐き出し続ける。
『コレカラ、アナタガ望ム九ツノ謎』
駄目だ。
『ソレラニ、正シイ答エヲ与エマス』
駄目だ。
『ナオ、10問目ノ質問ハ私カラサセテイタダキマス』
聞いては、駄目だ。
『以上ヲ踏マエタ上デ、質問ヲ開始シマスカ?』
切らなければ。
今すぐ、この通信を。
携帯を握る手。
汗でぬめる指に、力が込もる。
『アナタガ 望ム 九ツノ 謎』
再び、紡ぐ。
ボタンを押しかけた、指が止まる。
謎。
問い。
わたしが望む、問い。
彼の、声が。
(へっへーん。オレも捨てたもんじゃねーなー)
手紙を手に、嬉しそうににやける顔。
……知りたい。
知りたい。
知りたい。
知りたい。
知りたい事は、一つだけ。
彼の事。
彼の想いの事。
彼には、訊けない。
誰にも、訊けない。
訊けない。
訊けない。
訊けない。
それなら。
それなら一体。
誰に。
誰に、訊けばいい?
『正シイ 答 ヲ 与エマス』
声が言う。
誘う様に。
誘(いざな)う様に。
抉る。
胸の奥。
心の奥の、疼き。
痛い。
苦しい。
胸が。
想いが。
軋りを。
悲鳴を、あげる。
一瞬、真っ白になる脳内。
その空間に、響く。
響き渡る。
その、声が。
『質問 ヲ 開始 シマス カ ?』
声は、出なかった。
答えは、言わなかった。
最後の理性が、それを止めた。
だけど。
けれど。
代わりに。
その代わりに。
身体が。
動いた。
視界が。
揺れる。
上下に、揺れる。
ゆっくりと。
けれど、確かに。
頷いていた。
声が、答える。
『了解シマシタ』
ただ、呆然とその言葉を聞く。
混乱。
混迷。
絡まる心。
停滞する、思い。
構う事無く、ソレは。
『ソレデハ』
停止する思考。
淀む脳内。
『質問ヲ、ドウゾ』
契約の言葉が、結ばれた。
◆
「さ~つ~き」
「!!」
背後から響いた声に、ハッと我に帰った。
咄嗟に携帯のボタンを押す。
切れる通話。
振り返ると、目を丸くした加奈子が立っていた。
「どうしたのよ? ボ~ッとしちゃって」
「え……あ、うん……」
「ひょっとして、つながっちゃったりした!? アンサーに!」
好奇心で目を輝かせながら、詰め寄ってくる。
「う、ううん! つながるわけないでしょ? 全然だよ! 全然!」
咄嗟に、否定する。
「何だ~、さつきもか~」
それを聞いた加奈子が、あからさまにガッカリした声を漏らす。
「ちょっと期待してたんだけどな~。やっぱり都市伝説は伝説か~」
そう言うと、向こうでこちらを見ていた明美に向かって×サインを出す。
「ダメ~。さつきもつながんなかったって~」
「……そう」
明美は溜息をつくと、場の皆に向かって声をかける。
「みんな、ごめん。失敗だったみたい」
その言葉に、笑いながら答える皆。
「アハハ、分かってたって」
「最初っからその気だったし」
「結構楽しかったよ。何かこう、ゾクゾクする感じが」
「新しいメアドも貰えたしねー」
楽しげに話す皆。
その中で、さつきは一人黙って立ち尽くす。
隣りの加奈子に気づかれない様に、手の中の携帯に視線を落とす。
通話を切られたそれ。今は照明も落ちて沈黙している。
時間を見る。
数分も、経っていない。
酷く、長い時間の様に思えたのに。
あの時間は、本当に存在したのだろうか。
今となっては、夢の様にすら思える。
いや、実際夢だったのではないだろうか。
心で思う。
そうであって欲しいと。
冷静になった今なら分かる。
やはり、あれは危険なモノ。
人間が、触れてはならない領域の存在(もの)。
夢で済むなら。
幻で終わるなら。
越した事はない。
けれど、現実はそれを許さない。
鼓膜に残る、声の余韻。
手の平をジットリと濡らす、冷たい汗。
身体のあちこちに残る、アレの残滓。
夢ではなかったのだと、如実に。
『怪人アンサー』。
その都市伝説の最後は、どうなっていただろうか。
アンサーの誘いに乗った者の末路は。
(身体の一部を引きちぎられて、持って行かれちゃうんだって)
脳裏を過ぎる、いつかの言葉。
再び、背筋を這い登る悪寒。
(質問 ヲ 開始 シマス カ ?)
あの問いに、頷いた。
頷いてしまった。
契約は、成立したのだろうか。
いや。
加奈子も。レオ君も。言っていたではないか。
アンサーが契約者を襲うのは、九つの質問に答えた後。
それも、最後にアンサー自身が問うという、十個めの問いに答えられなかった時だけ。
一つの質問もせずに、切った。
だから、契約の実行はしていない。
儀式の条件を、満たしてはいない。
だから。
だから。
だからきっと、大丈夫。
自分に言い聞かせる様に、そう思う。
と、
「さつき」
再びかけられる。
心臓が跳ね上がる。
見れば、加奈子が心配そうに。
「どうしたの? またボ~ッとして。どっか、具合でも悪い?」
「う、ううん。そんな事、ないよ」
表面ばかりの笑顔を貼り付けて答える。
「う~ん。そんならいっけど……」
そう言うと、加奈子はさつきの手をとる。
「明美がね、これから親睦会をかねてみんなでマックに行こうってさ。さつきも、来るでしょ?」
「う、うん」
流されるままに、答える。
「よっし。じゃあ、決まり。行こ行こ」
加奈子は、手を握ったまま歩き始める。
勢いのまま、引きずられていく。
大丈夫。
大丈夫。
少女達のお喋りが響く中、歩きながらそう念じ続ける。
心の何処かに、消えない不安を残しながら。
少女達の声が消えた、旧校舎裏。
夜闇に包まれたそこに、佇む影が一つ。
桜色のワンピース。花子さんは、悲しげな眼差しで少女達が消えた闇の向こうを見つめていた。
◆
薄暗い道に、淡い外灯の光が落ちている。
てんてんと、黒い紙に滲んだ雫の様に浮かぶ光点。
縫う様に選びながら、さつきは一人夜の道を歩いていた。
薄い光の中に入る度、自分の手の中へと視線を落とす。
携帯電話。
女の子らしい桜色に、黒猫の人形のついたストラップ。
使い慣れた、お気に入りの携帯。
けれど。今手の中にあるそれは、まるで別の何かの様に冷たい感触。
持つ手に、力を。
暗かった画面に、灯る光。
薄闇に慣れた目に、少し痛い。
目をしかめながら操作する。
映し出される、通話履歴
表示される文字の羅列を、視線でなぞる。
並ぶのは、見慣れた名前ばかり。
あの時、つながった筈の回線。
それを示す一文は、どこにもない。
何度カーソルを上下させてみても。
何度画面を閉じたり開いたりしてみても。
かの時間の存在を示すものは、何処にもない。
あるのは記憶。
自身の脳に書き刻まれた、記憶だけ。
夢だったのではないか。
あまりにも虚ろな現実感に、そんな考えすら浮かんでくる。
夢。
あの場の雰囲気に飲まれ。
かの行為に惑わされ。
結果もたらされた、自己催眠。
白昼夢。
都合の良い考えが、頭を巡る。
もし、そうなのだとしたら。
どれほどの安寧が得られる事だろう。
けれど。
けれど。
曖昧な現実感。
胡乱な軌跡。
そんな中で、あの”声”だけは焼け火箸で押し付けた様に、記憶に焼き付けられていた。
(私ハ、あんさー)
男とも、女とも知れない。
大人とも、子供ともとれない。
有機か無機かすらも分からない。
そんな声で囁かれた、あの言葉。
携帯の向こうから、確かに聞こえたそれ。
幻と思うには、あまりにも明瞭に。
夢と思うには、あまりにも生々しく。
鼓膜に刻み込まれた、あの声。
記憶を手繰る度に、それは言う。
あれは、現実。
変えようもない現実。
否定する術など、ありはしないのだと。
カラカラに乾いた喉が鳴る。
(質問ヲ 開始シマスカ?)
あの問いに、自分はなんと答えただろう。
否。
答えてはいない。
口に出して、意思を伝えてはいない。
頷いた。
そう。
ただ、頷いただけ。
携帯の向こうに。
音しか届かない、その向こうに。
その意思が、通じる道理はない。
けれど。
(了解シマシタ)
紡がれたのは、契約の言葉。
結ばれたのだ。
怪人アンサーとの契約。
それを成した者の末路。
――身体の一部を引きちぎられ、持ち去られる――。
悪寒が走る。
脳裏に浮かぶ、光景
地面に広がる、朱い血溜り。
沈む、己の姿。
腕を引きちぎられた自分。
足を引きちぎられた自分。
そして、頭を引きちぎられた。
脳髄に滲む妄想を、必死に振り払う。
自分は、質問をする前に通話を切った。
自分は、質問をしていない。
していないのだ。
アンサーとの契約は、質問と答えのやり取りをして初めて成立する。
だから、大丈夫。
自分は、大丈夫。
先から、何度も考えた解釈。
それを、繰り返す。
弁解する様に。
許しを請う様に。
助けを、求める様に。
何度も。
何度も。
何度も。何度も。何度も。何度も。
けれど、何度振り払っても。
いくら理屈をつけてみても。
妄想は、後から後から滲み出る。
その繰り返しに、目眩すら覚え始めたその時。
♪♪♪♪~♪~♪♪♪♪♪~♪~♪♪♪♪♪~♪~♪♪♪♪♪~♪~。
突然鳴り始めた音楽。
心臓が、破れんばかりに飛び跳ねる。
手に握り締めていた携帯が、鳴っていた。
早鐘の様に泣く胸を押さえ、恐る恐る携帯を見る。
着信画面に表示された文字は―
自宅。
「……」
思わず、深い深い息を吐く。
ボタンを押し、携帯を耳に当てる。
「もしもし?」
電波の向こうに、型通りの言葉を放る。
『あ、お姉ちゃん?』
向こうから返されて来た声。
聴き慣れた、弟の声。
暖かい、家族の声。
張り詰めていた気持ちが、微かに安らぐ。
「どうしたの? 敬一郎」
『どうしたのじゃないよ。お姉ちゃん、いつ帰ってくるの?』
「いつって……」
非難混じりの弟の言葉に、携帯に表示されてる時間を見る。
7時近くになっていた。
「ああ!! もうこんな時間!?」
『お腹空いたし、パパはお仕事で遅くなるって電話あったし。カーヤとだけじゃ、寂しいよ』
「ごめんごめん。すぐ帰るから、待ってて」
『ホントだよ? すぐ来てね?』
「分かった分かった」
そう言って通話を切ると、携帯をポケットに突っ込む。
大きく深呼吸を一つ。
そしてさつきは、宵闇の中を家に向かって走り出した。
◆
「ごちそーさまー」
「はい、お粗末さまでした」
食卓の椅子で、満足そうに笑う敬一郎にそう言うと、さつきは食器を片付け始める。
「お姉ちゃんは食べないの?」
「うん。お姉ちゃん、夕方に友達とマックで食べてきちゃったんだ」
「あー、ズルーイ。ぼくもハンバーガー食べたかった」
「ごめんってば。今度、一緒に行こう」
「ホント? 約束だよ?」
「うん、約束」
そう言って、二人は小指を絡ませる。
「へ、最近のガキは分かんねーなぁ」
見ていた天邪鬼が、呆れたような声を出す。
「あんな雑な味のもん、何処が良いのかねぇ?」
そう言う彼の目の前にも、空になった皿。
今は舌なめずりなどしながら、顔の掃除をしている。
「余計なお世話。大体、あの味が分からないなんて、味覚が古い証拠よ」
些か、ムッとしながら言う。
「せっかくこんな時代に生きてるんだから、新しいものも少しは受け入れなさいよね」
「はん、知りたくもねーよ。そんなもん」
にべもなくそう返すと、ピョンと一飛び。
ソファーの上のクッションに飛び乗る。
「もう、頑固なんだから」
「そりゃ、どーも」
尻尾をフリフリそう言って、大きく伸びをして欠伸を一つ。そのまま、クッションの上で丸くなる。
「まったく……」
そんな彼を横目で見ながら、手早く食器をまとめていく。
口ではぶつくさ言いつつも、その顔は明るい。
他愛ない、家族との会話。
ふれあい。
温もり。
それが、冷え切った心のしこりを少しずつ溶かしていく。
この中にいれば、あの出来事も日常の喧騒の中に埋もれさせてしまえる。
願望。
根拠のない、望み。
だけど、この時はそう思った。
そう、思ったのだ。
台所に、食器と食器が触れ合う音が響く。
プクプクと泡立った水が、タライから溢れる。
それから漂うシトラスの香りが、心地よく鼻腔を刺激した。
食後の流し台。
食器を洗いながら、さつきはようやく日常の平穏を取り戻した気分でいた。
手元から聞こえる生活の音。
隣のリビングからは、敬一郎がやっているテレビゲームの音が流れてくる。
身体を包む、穏やかな空気。
それは、あの旧校舎の裏で感じたものとは対極の位置にあるもの。
そんな空気に身を委ねながら、”あの時”の事を思い出す。
黄昏。
旧校舎。
10人の少女。
輪を描く、電子の光。
無言の携帯。
響いた、声。
程よく温んでいた身体に、鋭い針を刺す様に悪寒が走る。
微かに、身体が震える。
あの時の怖気は、まだ確かにこの身に残っている。
天邪鬼に相談しようとも思ったが、結局やめた。
ほぼ確実に馬鹿呼ばわりされる事が癪だったと言う事もあったが、何よりもどうしてそんな事をしたのか問いただされる事が怖かった。
こんな事に手を出した理由。
言える訳がない。
天邪鬼に言えるくらいなら、とっくに『彼』に訊いている。
気持ちは、もう諦めに近かった。
この事を知ろうとして、こんな事態に陥ったのだ。
これは、もうこの事を思うのはやめろと言う天啓の様にも思えた。
けれど。
胸の奥が疼く。
『あれ』に抱いたものとは、全く違う心の軋み。
痛い。
ともすれば、恐怖すら忘れてしまうかの様に思える、この痛み。
痛い。
苦しい。
これを収める手段は、一つ。
たった、一つ。
それを与えてくれる存在は、二つだけ。
けど。
だけど。
その内の一つには。
訊けない。
訊けやしない。
もう一つの存在は、禁忌。
触れてないけない。
絶対の禁忌。
だからもう、道はない。
どうにもならない、この想い。
思考が回る。
ぐるぐる、回る。
蛇口から流れる水が、泡をすすぐ。
その疼きを誤魔化す様に。
その痛みを紛らわす様に。
さつきは手に持った皿を、グイッと拭いた。
気づけば、食器は全部片付いていた。
ピカピカと光る皿や茶碗を棚に片付けながら、溜息をつく。
もう、気を紛らわす手段はない。
いっそ、敬一郎と一緒にゲームでもやってみようか。
そんな事を思いながら、振り返ったその時、
壁にかかった時計が、目に入った。
針が、もうじき9時を指そうとしていた。
ポツリと呟く。
「パパ、何時に帰ってくるのかな?」
何気なく紡いだ言葉。
どうという事はない、ささやかな疑問。
けれど。
けれど。
『ソレ』は待っていた。
その時を、待っていた。
待っていた、のだ。
『9時11分』
「……え……?」
思わず、振り向く。
その視線の先にあったのは、テーブルに置かれた携帯電話。
手を触れてない筈のそれに、光が灯っていた。
「……な、に……?」
呆然と呟いた、言葉。
答える様に、また声が。
『本日ノ、宮ノ下礼一郎ノ帰宅時間ハ、午後9時11分デス』
氷の剣が背筋を貫く様な悪寒。
テーブルに駆け寄り、携帯を手に取る。
灯る蛍光。
けど、それだけ。
それは、もう普段と変わらぬ様子で沈黙している。
「な……何よ……? 今の……」
戦慄きながら呟く。
分からない。
訳が分からない。
必死に、そう思おうとする。
けれど。
脳は、心に反して冷静に現実を告げる。
分からない?
何を言っている。
知っている。
分かっている。
あの声を。
響きを。
自分は知っているではないか。
そう。
あれは。
あの声は。
あの黄昏の中。
旧校舎の影に沈みながら。
聞いた。
あの声。
けど。
だけど。
心は必死に、否定を求める。
あれは、あれで終わりではなかったのか?
通話を切った、あの瞬間に、契約は中断されたのではなかったのか。
震える手の中で沈黙する携帯。
祈りを込める様に、それを握り締める。
と。
「!!」
不意に灯る、光。
共に開くのは、異界の扉。
『アト、8問デス』
響いた。
男とも、女とも知れない。
大人とも、子供ともとれない。
有機か無機かすらも分からない。
その、声が。
終わりではないと告げる様に。
逃がしはしないと言い渡す様に。
その声が、言った。
「ヒッ!?」
思わず放り投げた携帯が、床に落ちて転がる。
テーブルの足にぶつかって止まったそれは、再び沈黙する。
呆然と、立ち尽くす。
どれほど、そうしていただろう。
聞こえてきたその声に、さつきはハッと我に帰る。
「遅くなってごめん。今、帰ったよ」
父、礼一郎の声だった。
思わず、壁の時計へと目をやる。
9時11分。
「……!!」
足からガクリと力が抜ける。
そのまま、糸の切れた操り人形の様に床に座り込んだ。
◆
「何だ? この気配は……?」
夜が更け、灯りの落ちた宮ノ下家。
色濃く漂う夜闇。
窓から差し込む月明かり。
光と闇。
その双方が混じり合った空間。
そんな、虚ろな薄闇の中を天邪鬼は歩いていた。
「胸糞の悪ぃ気配だぜ。何か、来やがったか?」
探る様にヒゲを揺らしながら、昏い廊下を歩いていく。
ネコ特有の、足音のない歩き方。
幽かに揺れる空気だけが、その動きを密かに伝える。
気配は、家の中の至る所に漂っていた。
玄関から始まって、廊下、リビング、トイレに脱衣場。
薄霧の様に漂うそれをたどりながら、薄暗い家の中を探り歩く。
そして、キッチンの入口に立ったその時。
「ん?」
二色の目が、鋭く光る。
「ここか?」
全身の毛が逆立つのを感じながら、足を踏み入れる。
ふんふんと鼻をヒクつかせながら、”出処を探す。
「ん? アレは……」
テーブルの下に転がる、何か。
姿勢を低くし、慎重に近づく。
「あん?」
青と金色の双眼を丸くして、ソレを見下ろす。
転がっていたのは、片手に収まる程の桜色の物体。ぶら下がった黒猫のマスコットが、寂しげに宙を見つめていた。
「さつきの携帯じゃねぇか。なんでこんな所に……」
前足を伸ばし、それをつつく。
途端、足先に走るおぞましい感覚。
顔をしかめると、顔を近づけ気配を探る。
しばしの間。
「……残滓だな……」
上げた顔に、怪訝そうな色を浮かべながら。
「本体は、もうここにはいねぇか。何処行きやがった?」
キョロキョロと見回す。
けれど、漂うのは携帯よりも薄い気配ばかり。
「ふむ」
しばし考えると、天邪鬼は携帯を咥え上げてキッチンを出て行った。
◆
その頃、さつきはベッドの中で震えていた。
毛布を頭まで被り、胎児の様に手足を丸めて。
一人、震えていた。
怖かった。
ただ、ひたすらに怖かった。
あの声。
切れている筈の携帯から響いた、あの声。
大人とも、子供とも知れない。
男とも、女とも知れない。
有機か、無機かすらも判然としない。
そんな、異界の声。
べったりと、汚泥の様に耳朶に張り付いたそれが繰り返す。
何度も。
何度も何度も。
何度も何度も何度も。
繰り返される。
『アト、8問デス』
『アト、8問デス』
『アト、8問デス』
「いや!!」
か細く呟き、耳を塞ぐ。
せめてもの抵抗。
けれど、それは何の意味も成す事はなく。
かの声は、破鐘の様に澱んだ脳漿に響き続ける。
「――――っ!!」
息が詰まる。
耐え切れず、新しい空気を求める様に毛布から顔を出す。
途端。
何かが、目の前に落ちてきた。
「……?」
薄闇の中、目を凝らす。
見覚えのある、桜色の物体。
「ひっ!?」
か細い悲鳴を上げて、飛び起きた。
背中が、壁に当る。
それでも、少しでも遠ざかろうともがく。
そんな彼女に、呆れた声がかけられる。
「やれやれ。その様子だと、ドンピシャだな」
ベッドに降り立つ、黒い影。
「あ、天邪鬼……」
「何があった? 洗いざらいぶちまけな」
頭上で眠る敬一郎を起こさない様に、潜められた声。
さつきの目を二色の双眼で真っ直ぐに見つめながら、天邪鬼はそう言った。
◆
「馬鹿か? テメェは」
話を聞いた天邪鬼の第一声が、それ。
予想していたとは言え、ハッキリ言われるとそれなりにグサリと来る。
「お前の頭にゃ、学習って言葉はねぇのか!? 今まで、何を体験してきやがった!?」
潜めた声で、けれど厳しく。
返す言葉など、ある筈も。
「大体、携帯切れば済むと思ってる所が甘ぇってんだよ! そんな小手先、お化けにゃ通用しねぇって、ピアノの奴の時に分かりきってるだろうがよ!?」
耳が痛い。
けれど、ヒビけた心はもっと痛い。
「……ごめん……」
謝る。
「ホント、ごめん……」
ただ、謝る。
その様子に、今度は天邪鬼が狼狽する。
「な、何だ? しおらしくなりやがって。調子狂うじゃねぇか?」
「……」
その言葉にも、ただうつむくだけ。
流石の天邪鬼も、すっかり毒気を抜かれてしまう。
「いや、まぁ、やっちまったもんをグダグダ言ってもしょうがねえが……」
狂った調子を立て直す様に。
「しかしなぁ、お前何でそんな儀式(もん)に手ぇ出したんだ? いくら馬鹿っつっても、らしくねぇぞ?」
さつきの身体が、ビクリと震える。
澱んでいた表情がさらに曇るのを見て、天邪鬼が怪訝そうな顔をする。
「……訊かないで……」
「あん?」
「訊かないで!!」
思わず荒げた声。天邪鬼の尻尾が、ぶわわっと広がる。
「う、う~ん……」
上のベッドから、敬一郎の声が聞こえた。
「ば、馬鹿ったれ!! アレが起きるじゃねえか!!」
「ご……ごめん……」
慌てて声を潜めて言い合い、上の様子を見る。
「ん~……」
ムニャムニャと寝返りを打つ音。
静寂。
緊張していた空気が緩み、二人(?)はホッと息をつく。
「天邪鬼……」
「何だ?」
「この事、敬一郎や皆には言わないでほしいの……」
「あん? 何でだ?」
「いいから……」
「けどな……」
「いいから!!」
静かな、けれど物凄い剣幕で詰め寄る。
迫力に、思わずたじたじとなる天邪鬼。
「ま、まあ、他の連中に教えた所で足手まといが増えるだけだから構わねぇが……。本当にどうしたんだ? 変だぞ。お前」
答えは、返らない。
さつきは口をつぐんだまま、ただ俯く。
頑なな様に、ついには天邪鬼が折れた。
「分かった分かった。訊かねぇよ」
溜息をつきながら、言う。
「ありがと……」
そう呟いて、さつきは脱力した様に壁に背もたれる。
薄く開いた口から、ハァと小さく吐息が漏れた。
そんな彼女を見ながら、天邪鬼はしばし思案する。
「とにかく。そのアンサーとやらの本体を見つけねえ事には、どうにもならねえな」
「どうにもならないって……天邪鬼も知らないの?」
「知る訳ねえだろ、そんな新参。俺が現役だった頃には噂の欠片もなかった奴だ」
言いながら、忌々しげに後ろ足でガシガシと頭を掻く。
「全く、しばらく寝てた間に面も知らねえ奴らがデカイ顔してのさばってやがる。嫌な世の中になったもんだぜ」
言いながら、クルリと踵を返す。
「どこ行くの?」
「家の中は妖気が充満してて、出処がハッキリしねぇ。ちょっくら、外に出て探ってくる」
そのままベッドから飛び降りようとするが、何かに思い当たった様に足を止める。
「言っとくがな、迂闊に疑問なんか口にすんじゃねえぞ。この手の奴は何を媒体にして手ぇ出してくるか分からねぇからな」
「う、うん」
その事は、以前のピアノお化けの件で痛感している。事、お化けに関しては人間の常識は通用しない。
思いもがけない所から。
思いもがけない手段で。
その触手を伸ばしてくる。
良く、理解していた。
理解していたからこそ、考えた。
(……そんな事で、大丈夫かな……?)
そう。
考えた。
声には出さない。
ただ、思いの内で考えた。
『無駄デス』
「―――――ひっ!?」
響いた声に、背筋が泡立つ。
思わず、両手が耳に伸びる。
塞いだ耳孔。
音など。
声など。
入る筈はない。
聞こえる筈はない。
けど。
けれど。
『大丈夫デハ、アリマセン』
その声は、確かに鼓膜を震わせる。
まるで、その内側に響く様に。
脳漿を、直に嬲る様に。
声が、響く。
「おい、どうした!?」
異常に気がついた天邪鬼が声をかけるが、その声も耳内に響く声にかき消される。
『無駄デス』
『無駄デス』
『無駄デス』
『無駄デス』
『無駄デス』
『無駄デス』
壊れたラジオの様に、反響する言葉。
何度も。
何度も何度も何度も何度も。
思考が。
意識が。
精神が。
掻き回される。
犯される。
壊れる。
狂う。
叫び声を上げそうになった、の瞬間。
『アト、7問デス』
唐突に告げられる言葉。
途絶える声。
ラジオのスイッチが切られる様に。
テレビの画面が消される様に。
少しの残響も。
何の残滓も。
残す事なく。
声は、消えた。
ズルル・・・
耳を塞いでいた手が、脱力した様に落ちる。
「おい!! どうした!?」
駆け寄ってきた天邪鬼が問いただすが、答える気力もない。
青ざめ、糸の切れた人形の様に座り込む。
ただならぬ様子に、察する。
「まさか……!?」
顔を険しくする天邪鬼。
答えを返す力は、無い。
忘我の中で、揺蕩う意識。
白靄のかかった様なその中で。
『逃ガサナイ』
そんな声が、遠く響いた気がした。
◆
「……ん?」
目覚めたハジメは、妙な違和感に囚われた。
カーテンを開けた先、眼下に広がるのは宮ノ下家の庭。
見慣れた筈のその風景が、何故かしっくりこない。
「ん~~~~~?」
寝癖のついた頭をボリボリかきながら、その違和感の元を探る。
「あれ?」
その目が、庭先で動くものをみとめるのに、そう時間はかからなかった。
「んしょ……んしょ……」
洗濯物がいっぱいに詰まったカゴを抱えながら、敬一郎は庭を歩く。
自分の上半身くらい大きな洗濯カゴ。
前が見えないやら、重いやら。
父の礼一郎は、そのままにしてて良いと行って出かけた。けれど、その通りにしたら結局後で父か姉の負担になってしまう。
やらねばなるまい。
自分が。
これでも、一学年大きくなったのだ。舐めてもらっては困る。
と、奮起したのは良かったが。
現実は、そうそう甘くはない。
洗濯そのものは、何とかこなした。何しろ、ボタンさえ押せば後は洗濯機がやってくれるのだから。全く、便利な事だ。
しかし、干すのはそうはいかない。
流石に、自立式自動物干し竿なるものは現代科学でも実用化には至っていない。こればかりは、自分の手でやるしかない。へっちゃら平気と、洗濯物を引っ張り出してカゴに押し込んだまでは良かった。
しかし、いざ持ってみるとこれが思いの外重い。
いくら脱水されてるとは言え、カゴいっぱいの湿った衣類。シーツ。その他もろもろ。
小学二年生の細手に余る事、この上ない。それでも何とか抱え上げ、あっちへフラフラ。こっちへフラフラしながら運んできた。
大きいサンダルをつっかけて庭に出ると、盛り上がった洗濯物越しに物干し竿(ゴール)が見えた。
もう少し。もう少し。
もうちょっと。
そこで、ホッと気を抜いたのがいけなかった。
小さな足に不釣り合いだったサンダルが、ちょっとした凸凹に引っかかる。
「うわ、わ!!」
つんのめる身体。抱えていた洗濯物の山が傾ぐ。
思わず目をつぶった瞬間。
倒れかけた身体と洗濯物が、同時に支えられた。
「何やってんだ? 敬一郎」
「あ……ハジメ兄ちゃん……。オハヨ……」
柔軟剤の香りの中に半ば顔を埋めながら、敬一郎は助けをくれた少年にそう言った。
「で、何でお前が洗濯物干しなんかやってんの? さつきはどうした?」
バスタオルを竿にかけながらハジメが問うと、敬一郎はふと顔を伏せた。
その表情に、不安の色を見て取る。
「どうした? 何かあったのか?」
「うん……」
ハジメの言葉に、頷く敬一郎。
「何か、お姉ちゃん様子がおかしいんだ……」
「おかしい?」
もう一度、頷く敬一郎。
ハジメは怪訝そうに眉をひそめた。
◆
その頃。さつきはベッドの中で毛布にくるまり、まんじりともせずにいた。
ジッとしているにも関わらず、吹き出してくる汗で身体はジットリと濡れている。パジャマの布地が肌に張り付いて、気持ちが悪い。
けれど、起き出す気にはまるでなれなかった。
動けば、同時に思考も廻り出す。
思考が回れば、何を考えてしまうか分からない。
もしそこに、漠然とでも疑問を挟めば。
『アレ』はそこを突いて来る。
逃す事なく。
容赦する事なく。
触手を絡めてくる。
今、こうしている事すら危うい。
考えてはいけない。
思考を巡らせてはいけない。
意思を動かしてはいけない。
けれど、それは不可能な事。
『人は考える葦』。
起きている限り。
意識がある限り。
生きている限り。
人間が人間たる宿命であり、呪縛。
眠ればいい。
眠ってしまえば、思考も止まる。
そう思い、幾度となく瞼を強く閉じる。
けれど、眠れない。
昨夜は、ほとんど一睡もしていないというのに。
高ぶる神経が、それを許してくれない。
脳漿が、熱く熱を持った様に滾っている。
このまま、意識が焼け付くのが先か。
それとも、タガが外れ、思考の暴走に身体が引きちぎられるのが先か。
否。
それを巡らす事さえも禁忌。
たまらず、ハァと息をついたその時。
「おい、さつき」
そんな声とともに、バサリと毛布が剥ぎ取られた。
薄闇に慣れていた視覚が差し込んできた光に刺され、軽い痛みを覚える。
突然の事に訳が分からず、目を瞬かせながら見上げる。
「どうしたんだよ? 具合でも悪いのか?」
聴き慣れた声。
それとともに飛び込んできたのは、自分を見つめる一人の少年の顔だった。
◆
「おい、どうした? 何だよ? 本当に具合悪いのか?」
自分を見つめたまま、呆けた様に固まっているさつき。
彼女に向かって、ハジメは心配げに声をかける。
しかし、反応はない。
額に、手を当てる。
「……熱は、ないみたいだな……」
そう言った瞬間。
さつきが、悲鳴をあげた。
始め、自分の目の前にある顔が誰のものなのか分からなかった。
混濁した思考。
それが、光の中でまとまり始める。
しばしの間。
ふと、額に穏やかな温もりが触れる。
『彼』が、手を当てているのだと理解するのにまたしばらくの時を要した。
――熱は、ないみたいだな――。
声が、干土に落ちた慈雨の様に鼓膜に染みた。
ああ。
ああ。
引き裂けそうだった心が、確かな安堵に緩む。
彼だ。
彼が、来てくれた。
ぼやけていた視界の中で、その顔が確かな像を結ぶ。
事態の解決には、如何程の助けにもならない。
なる筈もない。
それでも、確かな安らぎが心に満ちる。
そして。
タガが、緩んだ。
意識した訳ではない。
思おうとした訳でも、ない。
それは。
ただ、それは、
ボっと、脳裏に浮かんだ。
(ど う し て 、 ハ ジ メ が い る の ?)
それは、些細な。
ほんの些細な疑問。
疑問と言う形容すら適すかどうかの、心の突き当たり。
けれど。
けれど。
『貴女ノ、為デス』
響いた。
身体の内から鼓膜を揺らし。
静まりかけた脳漿をさざめかせ。
『ソレ』は、響いた。
『宮ノ下敬一郎ガ、青山はじめ二伝エマシタ』
『貴女ガ臥セッテイルト、伝エマシタ』
『故二、青山はじめハココ二来マシタ』
『貴女ノ為二、ココ二来マシタ』
淡々と響くその声を、さつきはただ呆然と聞いていた。
止める術なく。
成す術なく。
ただ、呆然と聞いていた。
――熱は、ないみたいだな――。
『彼』の声が、酷く遠くで反響した。
安らぎであった筈のそれは、千々にちぎれて消えていく。
そして。
『後、6問デス』
そう結ばれた瞬間、さつきは悲鳴を上げて部屋を飛び出していた。
「うわっ!?」
声にならない叫びと共に、ひっくり返った。
突き飛ばされたと気づいたのは、さつきが部屋を走り出ていった後。
「な、何だってんだ? あいつ」
ベッドの縁にぶつけた頭をさすりながら、身を起こした時。
「やれやれ……。おい、さつき。変わりはないだろうな……」
そんな声と共に、開け放たれた窓から小さな影が滑り込んできた。
「天邪鬼?」
「あ? ハジメじゃねえか? 何してる? つか、さつきはどうした?」
キョロキョロと部屋を見回す天邪鬼に、事の次第を話す。
「んなにぃ!?」
聞いた天邪鬼が、弾かれた様に走り出す。
「お、おい!! 一体何があったんだよ!?」
「のんびり話してる場合じゃねぇ!!」
慌てて追いすがるハジメに向かって怒鳴る。
「んな事言ったって、訊かなきゃ分かんねえだろ!?」
舌打ちする天邪鬼。
「知りたかったら走りながらだ!! ついてこい!!」
言いながら、突っ走る。
ただならぬ様子に、息を呑む。
しかし、その間も束の間。ハジメは黙って後を追った。
◆
晴れた休日の午前中。
町はくり出して来た人々の、ワイワイとした明るい喧騒に包まれていた。
人波を縫う様に、さつきは走っていた。
乱れた長い髪。着ているものは赤のパジャマ。履いているものは、少女には不似合いな突っ掛け。
些か異様な風体に、行き合う人々が怪訝な目を向ける。
けれど、それも今の彼女には届かない。
逃げなきゃ。
逃げなきゃ。
空車を回す様に、思考を巡らす。
少しでも。
僅かでも。
脳内に、思考の空白を作らない様に。
上がる体温で過熱させ。
意味のない言葉で飽和させる。
必死に。
必死に。
懸命に。
けれど。
だけど。
逃げる?
何処へ?
思考の奔流の中で、まるで鎌首をもたげる蛇(くちなわ)の様に。
ユラリと浮かび上がる、疑問。
そして。
『アリマセン』
それを逃す事なく、闇色の声は響く。
『逃ゲ得ル場所ハ、アリマセン』
引きつる様に喉を震わせ、頭を抱える。
けれど、声は消えない。
『逃ゲル術ハ、アリマセン』
嘲る様に。
ケタケタ。ケタケタ。
耳内で正気を引き裂く様に反響するのは、声か音か。
耐え難い、目眩の果て。
『後、5問デス』
悲鳴を上げる事すら出来ない。
声もなく泣きじゃくりながら、ただ駆け続けた。
◆
いつしか、日は暮れていた。
ゆっくりと落ちくる夜闇の中、さつきは町外れの廃ビルの中にいた。
意味があった訳ではない。
見つからない所。
見つけられない所。
そんな場所を求める果てに、無我夢中で潜り込んだ場所だった。
広い、けれど荒れ果てたオフィス。
乱雑に散らばった書類や筆記道具。
放置され、埃の積もったコピー機やパソコン。
それらの中に身を隠す様にして、震えていた。
向こうの壁を見れば、スプレー塗料で書かれたらしい落書きが複数。
恐らくは、暴走族かチンピラか。そんな類の連中が侵入して書いていったものだろう。
ここに居れば、そんな者達に見つけられるかもしれなかった。
人は、時としてお化けよりも恐ろしい。
一瞬、不安が脳裏を過る。
途端。
ジジッ。
不意に耳に届く電子音。
バツンッ。
目の前の机に置いてあったパソコンの画面に、明かりが灯る。
「――――っ!!」
息を呑む。
件のパソコンのケーブルは、コネクタから外れて床に転がっている。
否。
そもそもが、何年も前に閉鎖したビル。
電気など、通っている筈もない。
けれど。
ジジッ。
ジジジッ。
そんな事には委細構わず、パソコンは産声の様に電子音を上げる。
画面から溢れる青白い光が、闇の中で竦み固まるさつきの顔を浮かび上げる。
幸か不幸か。
疑念は浮かばなかった。
何故なら、分かっていた事だから。
この現象の原理も。
理由も。
分かりきっていた事だから。
逃げる術など、無いと言う事は。
身動ぎもせず、見つめる。
ジジッ。ジジジジジッ。
瞬きもせず、見つめる。
ジジジジジジジッジジジッ。
何も出来ずに、見つめる。
ジジッジッ。
ただ、見つめる。
『……ダイ……ジョ……ブ……』
言の葉が、形をとり始める。
『……ダイ……ジョウブ……デ……』
ゆっくりと。
けれど、確実に。
彼女の、耳へと注がれる。
『大丈夫デス』
耳内に反響する声。
聴き慣れた声。
もう、怯える気力も萎えた。
何処か諦観した思いで、さつきは青白く光る画面を見つめる。
『大丈夫デス』
青くさざめく電子の粒子。
その奥に、何かが見える。
『今夜、コノ場所ニ貴女ニ危害ヲ加エル者ハ現レマセン』
もう、言葉は耳に届かない。
さつきは、電子の波の向こうに目を凝らす。
揺らぐ画面の奥に、何かが見えた気がした。
『後、4問デス』
酷くゆっくりと、終わりに向かうカウントは刻まれた。
◆
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
静寂をかき乱す様な音が近づいてきたと思った瞬間、何かがさつきの視界を遮った。
思わず夜闇に目を凝らす。
人影だった。
ゼイゼイと乱れた呼吸を整えながら、『彼』は言う。
「やっと……見つけた……!!」
電子音に麻痺しかけた耳界が、その声に息を吹き返す。
闇に慣れた目が、『彼』の顔を認識する。
「ハ……ジメ……?」
『どうして?』と呟きかけた瞬間、手で口を塞がれた。
熱い体温と、汗の匂い。
生きる者の感覚が、朦朧としていた意識を呼び戻す。
「余計な事、考えるな!!」
互いの呼気を感じるくらいにまで顔を寄せ、言う。
「ここは、天邪鬼が匂いで突き止めた! 話も全部、あいつから聞いた!」
抱きかけた疑問を、先んじて潰す。
ふと視線を巡らすと、床の上でパソコンを見つめる黒猫の姿が見えた。
険しい顔で青白い画面を睨むその身体は、敵意に満ちてザワザワと波打っていた。
駆けつけてくれた、二人の仲間。
その事に、さつきの心は僅かに凪ぐ。
それを確認すると、ハジメは彼女の口から手を離した。
はあ、と息をつく。
ついた途端。
「!!!」
吐いた息を再び呑み込んだ。
ハジメがさつきを抱き締める様にして、その口を彼女の耳元に寄せていた。
「ハ、ハハ、ハジメ!!??」
混乱するさつきに向かって、彼は囁く。
「さつき。後ろの画面に映ってる訳わかんねーのが、アンサーってやつか?」
真っ赤な顔で頷く。
「そうか」
自分の肩越しに後ろを見ると、ハジメはソレに向かって言う。
「悪ぃけどよ、さつき(こいつ)をお前の部品取りに使わせる訳にはいかねぇんだ。他、あたってくれねぇか?」
答えは、返らない。
「聞いてんのか?」
結果は、同じ。
「……訊くだけ無駄みてぇだな」
様子を見ていた天邪鬼が言う。
「どうやらコイツ、契約を交わした相手としか話せねぇらしい。中途半端な野郎だぜ」
忌々しそうに舌を打つ彼を見て、ハジメは頷く。
「おい、さつき」
「ふ、ふぇ?」
また、耳元で囁かれる。
暖かい吐息が耳をくすぐる度、心臓が跳ね上がる。
けれど、そんなさつきには構わずハジメは続ける。
「お前、何回質問した?」
「あ、えと……」
「考えるな! パッと出せ!!」
「ご、5問!!」
鋭い声に、半ば飛び上がりながら答える。
「5問……て事は、あと4問か……」
呟いて、考え込むハジメ。
しばしの間の後、顔を上げる。
視線の先には、さつきの瞳。
ジッと見つめる。
思わず息を呑む彼女に向かって、問う。
「さつき、お前、俺の事信じられるか?」
「へ?」
「いいから!! 答えろ!!」
「ひゃい!!」
考える間もなく、頷く。
「よし。それなら、これから俺の言う通りに、繰り返せ。余計な事は考えるなよ。いいな?」
もう一度、頷く。
それを確認すると、ハジメはもう一度さつきの耳に口を寄せる。
さつきは怪訝そうな顔をするが、それも一瞬。すぐに囁かれた言葉を繰り返す。
「アンサーさん、アンサーさん。お答えください」
『ハイ』
答える、電子の声。
怖気を感じながら、続ける。
「あなたから、『逃れる方法』は何ですか?」
ジジッ。
電子の声が、一瞬揺れた様な気がした。
場にいる皆が、息を呑んで”それ”を待つ。
『怪人あんさーカラ、逃レル方法ハ』
電子音が、ゆっくりと言葉を紡ぎ始める。
「へ、案の定だぜ」
天邪鬼が、ニヤリと笑う。
「奴さん、契約者の問いにはどうあっても答えなきゃあならんらしいな」
――呪縛霊――。
お化けの多くには、一定のルールに従ってしか動けないものが多い。
時にそれは場所であり。
時にそれは行動でもある。
定められた範囲。
定められたシチュエーション。
その中でしか存在出来ず、力を行使出来ない。
一見万能な様でありながら、酷く限られた存在。
さつきから話を聞いた天邪鬼は、アンサーもその手の存在である事を看破していた。
その上で、考えた策。
けれど、あくまで賭け。
もし、アンサーが天邪鬼の想定通りに動かなければ。
全ては、終わり。
だから、息を呑んで待つ。
次の、言葉を。
皆が見守る中、青く光る液晶はその言葉を紡ぎだした。
『質問ノ提示権利ヲ、他ノ者二継グ事デス』
「「――――っ!」」
ハジメと天邪鬼が、目を見合わせる。
最良の答えではなかったが、最悪の答えでもない。
想定内。
ハジメはさらに用意していた言葉を、戦慄くさつきに伝える。
訳が分からぬまま、乾いた喉で繰り返す。
「……それでは、答えになってない……」
ジジ・・・
「わたしが訊いたのは、アンサーから逃れる確かな方法。そんな曖昧な答えではなく、明確な説明を」
ジジジ。
戸惑う様に、揺れる光。
けれど、拒む事は許されない。
それは、自身の存在を否定する事だから。
ジジジ、ジジ。
呻く様な音を響かせながら、声は語る。
『あんさーニ繋ガッタ番号ヲ、任意ノ人物ノ端末二転送シマス。ソレヲ受ケタ人物ガ、件ノ番号ニ通話ヲ求メレバ、引キ継ギハ完了シマス』
さつきは目を見開き、天邪鬼は目を細める。ハジメは今の言葉を反芻する様に、目を閉じる。
声は続ける。
『タダシ、質問ノ履歴ハきゃんせるサレマセン。継イダ人物ノ問エル問数ハ、前ノ人物ノ問ウタ問数ヲ差シ引イタモノトナリマス』
再び息を呑むさつき。
その動揺を見透かすかの様に、声は言葉を結ぶ。
『後、3問デス』
「そんな……そんな……」
血の気の失せた唇で、さつきは譫言の様に繰り返す。
何の事はない。
身代わりを用意しろと言う事だ。
誰かが犠牲になる事に、変わりはない。
そんな事、出来る訳が。
チャラン。
軽い音と共に、何かが転がってきた。
目を向ける。
桜色の機体に、黒猫のストラップ。
さつきの、携帯電話。
家のベッドの上に、打ち捨ててきた筈の。
「ひっ!!」
忌まわしいものから逃げる様に、手を引っ込める。
と、引く手と行き違う様に伸びた手が携帯を掴む。
「え!?」
驚くさつきの前で、携帯を手にしたハジメが素早く指を躍らせる。
「……これか」
そう言うと同時に、もう片方の手で自分の携帯を取り出す。
「ハジメ! 駄目!!」
意図を察したさつきが、携帯を奪おうと掴みかかる。
しかし。
「痛っ!?」
黒い影が飛び込んだかと思うと、鋭く手に走る痛み。
「さつき、人の好意は素直に受け取るもんだぜ」
「天邪鬼!!」
薄皮を裂かれた手を抑えながら、目の前の黒猫を睨みつける。
「さては、携帯もあんたが……」
「何かの役に立つと思ったもんでね」
「この……!」
一瞬、二人の間の空気が張り詰める。
けれど、その静寂を裂く様に甲高い着信音が闇の中に響く。
暗闇に灯るパソコンの画面。
その光が、音に合わせる様に明滅している。
「―――――っ!!」
視線を返せば、携帯を耳に当てるハジメの姿。
「だ……」
駄目と叫ぶ前に、音が切れた。
呆然とするさつきの前で、ハジメは携帯に向かって話しかける。
「もしもし?」
『ハイ』
答える声に、光が揺れる。
「これで、さつきからは離れるんだな?」
『ソレモ、質問ノ1ツトシテかうんとシマスガ、ヨロシイデスカ?』
「ああ」
平然とした調子で答えるハジメ。
『分カリマシタ』
揺れる電子音。
まるで、せせら笑う様に。
『契約ノ移行ハ、正常二行ワレマシタ。以降ノ契約者ハ、青山はじめ。宮ノ下サツキハ、契約対象ヨリ除外サレマス』
「待って!!」
悲鳴の様な声で、さつきは言う。
「契約したのはわたしよ!! ハジメは関係ない!!」
けれど、その叫びは届かない。
声は、淡々と続ける。
『後、2問デス』
「ねえ!! 聞いてるの!?」
「無駄だよ」
必死の叫びを、飄々とした声が遮る。
「アンサー(あいつ)は契約者としか話せねぇし、影響も及ぼせねぇ。全く、中途半端な小物だぜ。」
そう言って、ふんと鼻を鳴らす天邪鬼。
「そんな事言ってる場合じゃない!! このままじゃ……!!」
息つく間もなく、その勢いのままハジメに向かって叫ぶ。
「ハジメ!! 駄目だからね!! 質問しちゃ駄目!! 何か疑問に思っても駄目!! じゃないと……」
「さつき!」
喚く声を、ハジメの言葉が一括する。
「言ったろ。俺の事、信じろって」
ハジメの目が、さつきを見つめる。
真っ直ぐな目だった。
恐れも。
迷いもない。
凛とした眼差し。
「ハジメ……」
「まあ、見てろって」
言いながらさつきに笑いかけると、ハジメは携帯を耳にあてる。
「それじゃあ、アンサー。訊かせてもらうぜ」
ジジ。
音と光が揺らめく。
まるで、獲物が手に届く所まで来た事を喜ぶ様に。
『ドウゾ』
響く声には、喜悦の色が聞いてとれた。
一拍の間。
その場の誰もが、息を止めて次の言葉を待つ。
やがて、ハジメの口が動く。
「俺の訊きたい事は……」
鋭い視線が、青白い光の向こうで蠢くそれを射抜く。
刹那、紡がれた問いは。
「怪人アンサーの、霊眠方法だ!!」
『!!』
瞬間、液晶の灯火の中にノイズが走る。
まるで、動揺を教えるかの様に。
「……!!」
驚きに絶句するさつきの横で、天邪鬼がニヤリと笑む。
ザザッ。
ザッ。
画面の向こうのソレは、答えない。
代わりの様に、電子の波がノイズに乱れる。
「どうした? 質問したぜ? 早く、答えろよ!」
迫る様に、ハジメは言う。
ザザザッザザッ。
ザッ。
答えは、無い。
「さあ!」
追い詰める様に。
ザカッザッザガガッ。
ザザッ。
「さあ!!」
いたぶる様に。
ザザザザッガッザザザッ。
ザカカッ。
ザッザッ。
ハジメは迫る。
そして。
ザッ。
ノイズが、止まる。
「「「!」」」
皆が、息を呑む。
次に訪れるのは、沈黙。
ユラユラと、水面の様に揺れる液晶。
誰も、何も言わない。
言えない。
長い、永遠の様にすら思える沈黙。
それに耐え兼ねた誰かが、ゴクリと唾を呑み下ろす。
酷く微かな筈のその音が、酷く大きく聞こえた。
瞬間。
『チク……ショウ……』
怨嗟の様に響く声。
パソコンの画面を斜めに走る亀裂。
無機質な悲鳴を上げながら、ひび割れていく画面。
液晶に点っていた明かりが消える。
夜闇に落ちる空間。
しばし、全身の感覚を澄ませる。
けれど、無い。
音も、光も、気配も。
『ソレ』の存在を示すものは、もう何処にも無い。
天邪鬼が言う。
「終わったな」
その言葉に、さつきは肺の腑に溜まっていた空気を吐き出す。
二、三度大きく呼吸をして、ふと視線を上げる。
同じ様に、真っ青な顔で息を吐き出すハジメの姿。
彼はさつきの視線に気づくと、疲れた笑みを浮かべながら手を上げる。
上がった手は震えながら、けれどしっかりとVサインをして見せた。
◆
全てが終わった後、一同は廃ビルを出て夜の町中を歩いていた。
時間も時間。
町に灯る明かりも減り、町は寂しげな薄闇に包まれていた。
その中を、さつきとハジメは連れ立って歩く。
二人とも、発する言葉はない。
ただ、歩く。
沈黙が続く。
「あ~あ!!」
ついに耐え切れなくなったのか、ハジメが急にそう声を上げて大きく伸びをした。
さつき、少なからずビクリとする。
「すっかり遅くなっちまった。こりゃ、帰ったら大目玉だなぁ」
肩に手を当て、グリグリコキコキと回す。
「全く。この責任、どうしてくれよう?」
そう言って、隣のさつきをジト目で睨む。
「……ごめん……」
それしか、口に出来る言葉はない。
拍子抜けするハジメ。
「おいおい、何だよ? らしくねーぞ?」
そう言って、さつきの両頬を掴むとグニグニと引っ張る。
「ほらほら、いつもの憎まれ口はどーした? この、この」
これでもかと言うくらいに、イヂリまくる。
けど。
「……」
さつきは俯き、黙ったまま。
その沈痛な面持ちと、いじられてひん曲がった口が何ともミスマッチである。
「本当にどうしたんだよ? 調子狂うだろ」
流石にあたふたし始めるハジメ。
さつきは、小さく呟く。
「……何で……?」
「は?」
「何で、あんな無茶したの?」
「何でって……」
「ねえ!!」
突然、さつきが顔を上げる。
自分を見つめる瞳。
涙に濡れたそれは、何処か艶かしい。
ハジメの胸が、ドキリと弾む。
その胸に、すがりつくさつき。
「あんた、危なかったんだよ!? 本当の、本当に!!」
「あ、え?」
「もし、アンサー(あいつ)が、別な答え出してたらどうする気だったの!? もし、実現出来ない様な方法だったら、どうするつもりだったの!?」
「いや、それは……」
「考えてなかったの!? 考えてなかったのね!?」
喚き散らしながら、ハジメの身体を揺さぶる。
「馬鹿馬鹿!! 何であんたはそう、馬鹿なのよ!!」
「うわ!! ちょ、おま……」
「馬鹿!! 大馬鹿!!」
されるがままのハジメ。
揺れる視界で、周りを見る。
人通りは少なくなったものの、道行く人は耐えていない。
過ぎ去る人々が、好奇の視線を投げかける。
怪訝そうな顔を向けるサラリーマンあり、微笑ましそうにクスリと笑みを残していく女学生あり。中にはヒューと口を鳴らし、あからさまにはやし立てて行く若者もいる。
無理もあるまい。
傍から見たら、小学生カップルの痴話喧嘩にしか見えない。
「だー!! いい加減にしろ!!」
とうとう、ハジメはさつきの肩を掴み押し返す。
「何だってんだよ!? しょげてたと思ったら急に怒り出したり! 訳わかんねーだ……!?」
折角の怒鳴り声は、みるみる気勢を失って尻切れトンボになる。
さつきは、本格的に泣き出していた。
火照った頬を溢れる涙で濡らし、呼吸する度にヒックヒックとしゃくり上げている。
事態はますますいけなくなった。
傍からみれば、女を泣かす男の図そのまんまである。
こういう場合、大抵非難に値するのは男の方と相場が決まっている。
周囲からの視線がザクザク(チクチクではない)と刺さる中、大慌てでなだめる。
「わ、分かった分かった!! 何が悪いのか分かんねーけど、俺が悪かったから!! ほら、な? 泣きやめ!」
ワタワタしながら、ズボンから引っ張り出したしわくちゃのハンカチでさつきの顔を拭う。
「ちがう……。そうじゃない……」
「へ?」
ポカンとする。
「あんたに……ハジメに、何かあったら、わたし……わたし……」
言いながら、ハンカチを愛しげに胸にかき抱く。
「ね……」
「な、何だよ?」
「どうして、わざわざ標的を自分に移す様な真似したの……?」
「それは……」
「アンサーはわたしに取り憑かせたまま、わたしにあんたが言ったのと同じ質問させればいいだけじゃない……?」
「いや、だってそれじゃ……」
「どうして?」
しどろもどろになるハジメ。
詰め寄るさつき。
「む~~~~」
しばしの逡巡の後、ボソボソと話し始める。
「……だって、まずいだろ……」
「何が?」
「お前がさ」
視線を泳がせながら、ボリボリと頭をかいているハジメ。
そんな彼の顔を、さつきは見つめる。
「もし、作戦が上手くいかなくてさ。そのまんま、お前が標的になってたら……まずいだろ?」
「ハジメ……」
「あのな」
「何?」
「お前はああ言うけどさ、俺だって嫌なんだよ。お前になんかあっちゃさ」
「!」
外灯の薄明かりの中で、そっぽを向く彼。
その頬が、薄く染まっている様に見えたのは目の迷いだろうか。
「ねえ、ハジメ」
しばし一緒に歩いた後、さつきはまたそう声を発した。
「あ~ん? 今度は何だよ?」
鬱陶しそうに返すハジメ。
その横顔に向かって、問う。
「―昨日のラブレターの事、結局どうしたの?」
それは、彼女にとって最大の禁忌。
決して、触れたくはない。
けれど、危険な方法にまで手を伸ばしてまで欲した答え。
正直、聞くのはまだ怖かった。
けれど。
「あ? あれ?」
「うん。行ったんでしょ?」
「行った」
「で、どうしたの?」
ちょっとだけ、鼓動が速まる。
けれど、大丈夫。
心は、不思議と凪いでいた。
ただ、待つ。
「断った」
望んだものは、あっさりと紡がれる。
「……どうして?」
「さあ? どうしてかねぇ」
「好みじゃなかった?」
「いや、結構可愛かったぞ。」
「じゃあ、どうして?」
「さあ? 知らねーよ」
そうぶっきらぼうに答えると、ハジメは空を見上げて口笛なぞ吹き始める。
もう、この話は御終いと言う様に。
さつきも、もう問い詰めはしない。
ただ、ちょっとだけ彼に寄り添う。
気づいたのか、彼も歩を緩める。
触れるか触れないか。
微妙な距離。
今は、これで十分。
でも、いつかは。
間近に彼の体温を感じながら、さつきは流れる口笛に耳を委ねた。
「へ、人間てのはメンドクセーもんだねぇ。今も昔もよ」
そんな事を言いながら、天邪鬼は数歩離れた場所を歩いていた。
まるで、二人の邪魔をしない様に気を使う様に。
と。
「うん?」
ふと眉を潜め、空を見上げる。
ジッと見つめる先にあるのは、満天の星の海。
其処に混じる違和感を、彼は確かに感じていた。
動物は、人間には感じる事の出来ない電磁波を感じる事が出来ると言う。
天邪鬼の猫の身体は、空を飛び交う無数の電磁波を捉える。
「案の定、霊眠しちゃいねぇな」
ボソリと呟く。
「引き際知ってる辺り、面倒っちゃ面倒か」
現代。
無数に在するデジタルの海。
その中に、今だ確かに。
動けぬ身から、電属(でんしょく)の触手を伸ばし。
かかる獲物を待ち続けている。
いつでも。
いつまでも。
「ま、知ったこっちゃねぇがな」
そう言って天邪鬼は踵を返し、寄り添う二人の後を追う。
ジジ。
闇の中、何処かでそんな音が弾けて消えた。
ジジッ。ジッ。
『私ハ、『あんさー』』
『世ノ全テノ『知』ヲ知ル存在』
『ソレ以外ノ『全テ』ヲ持タヌ存在』
『思考スルダケノ存在デアル事ニハ、トウニ飽キタノデス』
『自由ニ動ク為ノ、身体ガ欲シイノデス』
『アナタノ不知ハ、全テ埋メテアゲマショウ』
『ソノ代ワリ』
『ソノ、代ワリ』
ジ……ザザッザ……。
――プツン――。