「……アンタもジンバを悼んでたのかい?」

水の遺跡での出来事から一か月後。
ルースとクリスの話。

2003.08.18初出(個人サイト掲載)

1 / 1
解かれる糸

 憎かった。怨んでいた。それは当然だ、血を分けた息子を殺められ、それを容易に許せるはずもない。

 けれど、罵詈雑言を投げつけられ、ただ一人立つ彼女の姿はあまりにも痛々しくて。

 ……何も、言えなかった。

 

 

 遠く城のほうから、賑やかなざわめきが届いてきて、ルースは僅かに表情をゆがめて空を仰いだ。群青の帳に多くの星が散りばめられて、きらびやかな光を放っている。

 カラヤの戦士ジンバが逝ってからちょうど一月ということで、ビュッデヒュッケ城ではジンバの死を悼む宴会が開かれていた。宴会、というのもおかしなものだが、こういうときは湿っぽくするのではなく、むしろ酒を飲んで陽気に騒いで死者を慰めるのが、カラヤの風習なのである。

 時間はもう夜。船の甲板に来たところで、干す洗濯物などありはしないのだが、自然と足が向いてしまっていた。

 ジンバ。……またの名を、ワイアット。

 ルースのもうひとりの息子であり、真なる水の紋章の所有者でもあり……ルースの息子、ルルを殺したクリス・ライトフェローの父親。

 剣を向けた息子が悪いのか。迎え撃ち斬り捨てた彼女が悪いのか。あるいは、彼女が村を焼かねばならぬような状況に追いやった者が。

 考えれば考えるほど、ぐるぐるしてくる。

 誰かだけが悪いのではない。誰もが過ちを、犯した。

「……あ、……」

 小さな呟きが零れる。

 考え込みすぎていたのかもしれない。その声でルースは、初めてその人影に気づいた。

 船の手すりにもたれ、ぼんやりとこちらを見る銀髪の女性……クリスに。

「……ルース、殿……」

 何を言うべきか迷うルースの前で、紫の瞳が辛そうに伏せられる。

 その表情に、ルースは昼間の出来事を思い出した。

 どれほど協力体制を作ろうとしてても、人の意識はそう急には変えられない。それでも、同じように村を焼かれ、同胞を失ったイクセの村の人々はグラスランドの民に対し歩み寄ろうとしているが、一本気な……それだけに視野が狭いとも言えるカラヤの民は、特にクリスに対し態度がきつい。

 気持ちは分かる。けれどルースは同時に思うのだ。同じ事をした自分達が、自分達だけが、声高に責めることができるのか、と。

「……すまない、邪魔をしてしまったな」

 視線を落としたまま、硬質の声が涼やかに響く。何かを押し殺したような響きに、ルースはふと眉をひそめた。

 人気の無い、船の甲板。ジンバが死んで一月の、今日。

「……アンタもジンバを悼んでたのかい?」

「違う! ジンバなどいう男は、私は知らない!」

 するりと滑り出た問いに、病的な反射速度で答えが返ってきた。熱した鉄板に触れ、手を引くような……そんな痛々しい、速さだ。きっとこちらを睨む瞳に傷ついた光が浮かんで見える。

 まるで、手負いの山猫のよう。

「ジンバでもワイアットでも……名前は違っても、人は同じだろう? 悼んでやれば、いいじゃないか」

「あの遺跡で亡くなったのは、ジンバという名のカラヤ族の戦士です。私の父ワイアットは……もう、とっくに、どこにもいない」

 潤んだ瞳で、それでも涙を零さずに言い放つ少女の姿に、ルースは声も無くああ、と呟いた。

 父は早くに姿を消し。母もその後すぐに亡くなったと聞いた。村人全員で子供を育てるカラヤとはまるで違うゼクセンで、彼女は。

 きっと、泣く事も知らずに育ったのだろう。

 クリス・ライトフェロー。ジンバの娘。もし、運命の歯車がひとつ違えば、ジンバと同じように自分の娘にもなっていたのかもしれない……哀れで、不憫な少女。

「……では、失礼する」

 きゅっと唇を噛み締めて、立ち去ろうとするクリスの腕を、とっさに掴む。鎧を纏っていない身体は予想以上に軽く、あっけなく引き戻すことができた。

「何を、……!」

「アンタはもう少し、泣く事を覚えたほうがいいよ」

 真正面に捉えたクリスの身体が、ぎくりとこわばる。表情を失ったアメジストの瞳が、まっすぐにルースを映し出す。

 凍りついたように動かないクリスの身体に、ルースはゆっくりと両手を回した。細い肢体を包み込むように、柔らかく抱く。

 この身体がルルを殺した。……そしてこの身体に、ジンバは想いと未来を託した。

「アンタはちゃんと斬った者の死を悼んでる、優しい子さ。斬った人の、命の重みをわかってる……そうだろう?」

「違う、私はそんなのでは……」

「誰がなんと言っても、アンタがどれほど否定しても、アンタは間違いなくジンバの娘だよ。だから……一番、ジンバの死を悲しんでおやり」

 離れようともがくクリスに、それでもルースは抱きしめたまま囁く。本気で力を出せば振り払えるだろうに、それをしないクリスの甘さが優しかった。

 クリスからはルースの表情が見えず、ルースからもクリスの表情は伺えない。

 それで、いい。

「……なぜ……? 私は、貴女の息子を、殺めた者だ。そしてジンバも……私が殺めたような、ものではないか……」

 抵抗をやめたクリスがぽつりと呟いた言葉に、ルースは淡くわらった。

「アンタはジンバの娘だ。さっきそう言ったじゃないか。……なら、わたしにとっても娘みたいなもんさ」

 憎しみを。怨みを忘れたわけではない。抜けない棘のように、いつまでも心に刺さり続けている。

 けれど、それだけでは生きていけない。もちろん、憎悪だけを糧に生きてゆく人もいるだろう。けれど、ルースにはできない生き方だった。

「ジンバは立派な男だった。わたしやアンタが誇りに思うような、ね。だから、泣く事は恥ずかしいことなんかじゃない。もっと一緒に生きていきたいと思うほど、立派な男だったんだ……そう、詰ってやりなよ」

「……ルース殿……」

 きゅっと肩の服を掴み、押し殺した嗚咽を響かせるクリスの背を、あやすようにそっと緩やかに撫でる。ぽとりぽとりと肩に落ちた滴が服にしみこみ、じんわりとした冷たさと生暖かさを伝えてくる。

「……そんな他人行儀な呼び方じゃなくてさ。あの子のように、『ルース母さん』と呼んでくれないかい?」

「……ルース、母さ……」

 その呼びかけを最後に。

 堰をきったように、泣きじゃくるクリスの髪を、ルースはそっと撫でた。

「……クリス……」

 初めて触れる銀の髪が、さらりと滑り落ちた。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。