月夜に翳る機構人形 作:みすたーどーなった
「はっ、はっ──」
シメリアは砂漠を駆けていた。
なんのために? 逃げるために。
シメリアは奴隷である。極悪な主人の元から隙をついて逃げ出して、今へ至っていた。
買われたのは貴族の令嬢。ただ、悪い噂しか聞かない令嬢だった。
曰く、人を斬って喜ぶ。
曰く、処女の血を好む。
曰く、その正体は『化け物』である。
そんな噂を否定するどころか、買われるときに聞いた会話はそれを裏付けるものであった。
話していたのは腰に剣を付けた1人の護衛と、金色の髪と目のお嬢様──ラスノート侯爵令嬢。よく見かける2人組。
『お嬢様、いくら前回のがもう《使えなくなった》からといって、買いすぎでは……お父上に怒られますよ』
『あら? 貴女、私に文句でもあるのかしら? まさかないわよね?』
『まさか、文句
『含みがあるわね……まあ良いわ。ところでこの娘、良いと思わない?』
『はい、お嬢様の陰湿なご趣味に合っているかと』
『……何か言ったかしら、貴女?』
『いえ、なにも』
目の前でこんな会話繰り広げられて、誰が『わぁ、いいご主人様だ!』なんて思うか。むしろ『逃げよう』という思考回路になることは明白だった。
「は、はっ……」
必死に駆けながらシメリアは頭を回す。どうすれば逃げられるか、どうすれば助かるか。
(きっと直ぐに追っ手がくる……早く、早く遠くに行かないと!)
適切な逃げ道なんて分からない。そういうのが分かるような教育を受けていない。
だから、ただ全力で走るだけがシメリアに出来る『最善』だ。
しばらく走り、体力が尽きてきた辺りでシメリアは倒れるように砂へと飛び込んだ。
「ゲホッ、ゲホッ──はぁ、はぁ……」
口に混じる砂を吐き出しながら、シメリアは仰向けになつた。一息つく。そして、荒い呼吸を繰り返す内に気が付いた。今転がっている砂丘。その向こう側。
(……鉄……いや──血の匂い、がする?)
しかも、大量の。
意味が分からない。そもそもこの砂漠に、ここまで鮮烈な匂いを放つほど多くの血が撒き散らされることが理解出来ない。
そこで、護衛とラスノート侯爵令嬢の会話を思い出す。
『そういえば、フィス。通りかかるリィーシィの砂漠では、最近妙な話があるそうね』
『はい。どうやら潰されたように死ぬ魔物が多く発見されているようで……お嬢様も潰されればいいのに』
『……そろそろ怒るわよ、フィス?』
移動用の乗り物に乗せられるときに聞いた会話。どうやって逃げ出すかだけを考えていたシメリアは完全にスルーしていたが、今思うととんでもない決断をしてしまったのではないだろうか。
魔物の恐ろしさは知っている。いや、一番実感していると言っても過言ではない。だって、シメリアが奴隷に落ちた原因は魔物であるからだ。
そんな魔物を無作為に殺す『なにか』。考えずとも、目に見えた地雷なのは明白だった。
息が荒ぎ、一瞬吐き気に変わろうとするのを押さえる。そして、思考を切り替えると──血の匂いがする方へと体を動かす。
理由は分からない。興味本位か、諦めからか。
ゆっくりと、ゆっくりと動き、砂丘の上から覗き込む。やがて視界に入ったのは──
「……え?」
──月光の下、潰れた肉塊の海に立つ、血まみれのメイド服の少女だった。