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「大丈夫ですか?」
目を開けば、白い少女が此方を覗き込んでいた。
体に力が入りにくい。体を起こすことは、未だ出来そうにはない。
だが、何とか喋ることは出来そうだ。
「だい…じょうぶ…」
「いえ、大丈夫ではないですよ。」
片言ながら、大丈夫だと言ったが、しかし眼の前の少女は大丈夫ではないと、ばっさり切り捨てる。
確かに。全くもってその通り、ぐうの音も出ない正論だ。
体に力は入らず、立つことはおろか喋ることも満足にすることは出来ず、放つ言葉は片言だ。
誰がどう見ても、これが大丈夫な状態などではないと判断する事が出来る。
改めて自分が重体であると理解させられるには、確かな事だった。
「立てますか?」
「たて…ない…」
「立つことも出来ないんですか…なら、運ばせてもらいます。」
そう言うと、少女は自分の首と膝の後ろに手を回し、軽々と持ち上げた。
所謂、お姫様抱っこ状態だ。
恥ずかしいというよりも、驚いた。これは純粋に、驚いた。
なんという膂力だ。小学生程の体躯であるにも関わらず、高校生である筈の自分を、まるでそこらの石を掴み取るように簡単に持ち上げるとは。
「すごい…な…」
「ありがとうございます。あと、私は小学生ではなく高校生です。」
こちらの心を見透かしたように、少女が答える。
これまた、驚いた。
小学生ではなく、まさか高校生とは。
いや、だとしてもこの膂力は異常だろう。本来、そこらの少女が持つような力では、断じてない。
このような力を一般人は持たない。
それこそ、プロレスラーやボクサーといった格闘家、もしくは拳術を極める武闘家といった者達が持つべき力だろう。
「家の場所は分かりますか?」
少女が、家の場所は分かるかと問い掛ける。
家。自分と家族が住んでいた場所。
あぁ、有る。そして分かる。
この世界に生まれ落ちた時に、自分を懸命に育ててくれた大切な家族が居る場所が。
だが――
「おもい…だせない…」
その場所が何処に有るのか、思い出せない。
家が有るのは分かる。家族が居るのは分かる。
だが、家が何処に有るのかが、それがどうしても思い出せないのだ。
「記憶喪失…という訳では、ないのですよね?」
「あぁ…自分のことも…家が有ることも…わかる…けど、何処に有るか、が…思い、出せない…」
理由は分かっている。
これも、力を行使した代償なのだろう。
かつて衛宮士郎が、使ってはいけない未来の自分の左腕を使ってしまった際に記憶が無くなってしまった時に似たようなものだ。
言うなれば、個別的記憶混乱。
記憶が一気に喪失する記憶喪失とは違い、衝撃やショックによって一部の記憶が混乱している、というものだ。
衛宮士郎のものと比べれば、随分と優しく軽い症状だ。
少し休む事が出来れば、何とかなる程度のものだろう。
「困りましたね…」
少女が顔を顰めながら考え込む。
自分の上司に伝えた方が良いのだろうか? 初対面だが、悪い人には見えない。
しかし、そう簡単に気を許しても良いものだろうか…
「…降ろして、くれないか」
そう言えば、少女は思考を巡らすのを止めたのか、こちらへと顔を向けた。
「もう大丈夫なんですか?」
「あぁ…もう、歩ける。」
少女に降ろしてもらい、足に力を込めて体を支える。
まだ体が痛む。だが、立つことが出来ない程のものじゃない。
少し震える膝を手で抑え、体全体にもっと力を込める。
これ以上、少女に迷惑を掛ける訳にはいかない。これは、自分の自業自得なのだから。
「此処まで、ありがとう。もう、大丈夫だ。」
「でも、家の場所、分からないんですよね? どうするつもりなんですか?」
少女の正論が、胸に突き刺さる。
家の場所が分からないなら、もはやどうする事も出来ない。それはその通りだ。
だが、こっちも考え無しで大丈夫だと言った訳ではない。
「両親に、迎えに来てくれって電話するよ。だから、大丈夫だ。」
ズボンのポケットからスマホを取り出し、未だ残る痛みに耐えながら、無理矢理に笑顔を形作る。
頭が痛い。体も痛い。正直、立つのもやっとの状態だ。
だが、そんな自分の体に鞭を打って、今は立っている。
「…そうですか。分かりました」
少女はそう言って、はぁ…と溜息を吐いた。
そして、踵を返して離れていく―――
訳では、なく。
「え―――」
こちらに近付き、鞭打つ体の肩を持ってくれた。
「せめて近くの公園まで送ります。あそこにはベンチも有りますから。」
このまま倒られては後味が悪いので。
そう言いながら、少女は自分の肩を持ってくれる。
しっかりとした、優しい子だ。
なら、お言葉に甘えさせてもらおう。少しばかり、情けないような気もしなくはないが。
「
「はい?」
「俺の名前だ。出来れば、君の名前も教えて欲しい。命の恩人だからな。」
「命の恩人って言われる程の事はしていませんが…私は、小猫。塔城小猫です。」
「塔城さんか。改めて、助けてくれてありがとう。」
「どういたしまして。」
□ □
『体は剣で出来ている。』
鋭い声の独白が、頭の中で響く。
雪が降り積もり、地面は真っ白で覆われている。
空は暗く、歯車は朽ち果てている。
地面には、既に幾多の剣が突き刺さっている。
『血潮は鉄で、心は硝子。』
前見た世界とは、どこか違う景色の世界。
雪が降っている事、空が暗いという事、そして―――
突き刺さっている剣の全てが、墓標に見える事。
『幾度の戦場を越えて不敗。』
これは別の景色、別の心象。
衛宮士郎でありながら、衛宮士郎の枠から外れた男の固有結界。
『たった一度の敗北もなく、』
別次元―――所謂、パラレルワールド。
衛宮切嗣と共に、ある一人の少女を拾った世界の衛宮士郎の力。
『たった一度の勝利もなし。』
全のために一を殺さんとする者達を妨げ、何度も何度も悪を成すと決意した偽善者。
その身を未来の自分に置き換えた、哀れな男の末路。
『遺子はまた独り』
たった一人の、血の繋がらない一人の妹の為に、正義の味方としての立場を投げ捨てた。
妹にとっての正義の味方、全員にとっての偽善の悪役。
『けれど、この生涯は未だ果てず』
皆にとっての正義の味方としての思想を投げ捨て、妹の為だけに全てを敵に回す事を決意した贋作者。
敵を増やし、そしてその度に自らの肉体を書き換えた。
『偽りの体は、』
すべては、たった一人の妹が為に。
『それでも、』
一人の為に、全てを敵とし悪を成す。
『剣で出来ていた。』
愚かで、しかし実に美しい、男の物語。
「―――」
吹雪が、体を叩き付ける。
寒い。凍える。体が凍ってしまいそうだ。
だが、体を動かす事すらままならない。
「お前は、俺に似てるよ。」
青いパーカーを着た、赤銅の髪に白髪が混じった少年が、此方の方を向いて話しかけてくる。
「その力の在り方は、英霊エミヤよりも、俺の方が近い。俺みたいに、ただ力を貸されてるってだけだ。」
力を貸され、そしてその力に呑み込まれ。
体の在り方を改竄され、ただ英霊の力を使うだけの一般人は、その体を英霊エミヤのものへと置き換えられた。
自分も、それに近いものだった。
英霊エミヤに連なる力、その全てを貰い受け、しかし自分がエミヤでないが故に在り方に耐えられず、力を振るう事すらままならない。
哀れで愚かで、馬鹿げた者だった。
「俺や、そして英霊エミヤも、辿り着く場所は同じだ。お前の在り方も、いつかはそうなってしまう。」
「…」
困ったような顔で、正義の味方は言う。
「選択は迫られる。どうやっても、これは変わらない。」
「…」
「その時は、自分で選ぶんだ。俺や英霊エミヤに縛られる事なく、お前が選ぶべきだと思った選択をするんだ。」
それが、お前の為になる。そして、お前が振るう力になる。