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「――!」
バッ、と勢い良く体を起こす。
既に日は落ち、星々が空に浮かび、澄み渡った青い空は暗闇の如き黒い空へと変わっている。
どうやら、彼女―――塔城小猫に、この公園のベンチに運ばれ、彼女が帰った後に眠ってしまっていたようだ。
やけに、体が軽い。
朝のようなズキズキとした頭痛も無く、体調は万全と言える程に回復している。
ベンチから地面に降り立ち、まだ冬の寒さが残った冷たい風が頬を撫でる。
あぁ、良かった。これなら、何とかなりそうだ。
そんな安堵と共に、ふぅ…と、小さく息を吐いた。
「なんだ、随分と珍しい“神滅具”を持ってるな。」
時間が止まった。
そんな、そんな酷い感覚に、陥った。
体が動かない。指一本すら、動かす事が出来ない。
息が喉の中で固まっているかのように、呼吸をする事が出来ない。
冷や汗が流れ、地面に落ちる。
どくん、どくん、と、ゆっくりだった筈の鼓動が次第に早くなっていく。
時限爆弾を抱えているかのような、そんな緊張が体を強張らせている。
「――――――ぁ、っ―――」
「お? 理解が早いな。俺の言葉を聞くだけで、自分が死ぬ事が分かるとは。楽で助かるぜ。」
足音が、近付く。
死が、歩いてくる。
―――自分が死んでしまう姿が、脳裏に浮かぶ。
はぁ、はぁ、と呼吸が荒れる。理性の糸が、少しずつ千切れていく。
死ぬのか?
何の答えを得られないまま、此処で無様に死んでしまうのか?
折角、剣に成らずに生きる事が出来たのに。
せっかく――――――彼女に、助けてもらったのに、それを仇で返すように、死ぬのか?
「―――――――――だ」
「あ?」
「嫌だ――――――まだ、こんな所で。
お前みたいな、何処の誰かも分からない奴なんかに―――
―――殺されて、たまるかっ!」
感情を込めて、声を荒げる。
停止した時間が動き出す。
動かなかった体が、自分の意志によって素早く前へと動き出す。
走れ、走れ…! 兎に角、距離を取るんだっ!
前を踏み出した足に、込められる力の全てを込めて駆け始める。
逃げられるとは思うな。相手はきっと、この程度の距離なら一瞬で詰めてくる。
「逃げれると思ってんのか?」
ソレは、既に眼前に回っていた。
ほら、この通りだ。相手は一瞬にして、僅かな時間をも無視して、逃げ出した餌である自分に追い付く。
ブンッ!
鋭い爪を持った、黒い腕が我が身の心臓へと疾走する。
「がっ…―――」
直視し、しかし直感で体を投げ捨てる。
爪が空を裂き、向かってきた寸の所で体を横に投げ捨てる事で、何とか心臓への直撃を回避する。
だが、その代わりとして左腕が裂かれた。
痛みが走る。流血が地に落ちる。しかし、形振り構っていられない。
痛みに苛まれながらも、しかし必死に体に力を込めて倒れるのを耐え、相手の腹に蹴りを入れ込まんと足を上げる。
「当たるかよ。」
ザクッ――果物を切った時のような音が、嫌でも耳に入る。
「ぐぁっっ………!!!」
相手に、足を切られた。
痛い。だが、動ける。血は流れているが、力は入る。
別に腱を切り裂かれた訳じゃない。なら、まだ何とか出来る筈だ。
死なない為に、必死に足掻け…!
「くっ…!」
よろけながらも、地に倒れぬように何とか踏ん張る。
意識が飛んでしまいそうな激痛が、腕と足を中心に駆け回る。
だが、あの時の頭痛に比べれば、大したものじゃない。
飛んでしまいそうな意識を力強く保ち、眼の前の敵を捕捉し、鋭く睨み付ける。
意思を殺すな。まだ、死んじゃいない。
生きなければならないんだ。諦めるような心を、決して持つな。
「へぇ? イイ目じゃねぇか。痛め付け甲斐があるなぁ…」
「っ…趣味の悪い、野郎だ…尚更、」
お前みたいな奴に、殺されて堪るか。
「―――――――――ぇ」
どくんっ…と、心臓が大きく鼓動を発した瞬間。
ぱきん―――
意識を繋ぎ止めていた鎖が、砕け散った。
何が、起こった。
いったい、なぜ、
――――――嵐が吹いた。
踏ん張っていた体を隅々まで切り刻もうとする、鋭い暴風が。
思考が真っ白になり、視界が澄んでいく。
何が起こったのか、という重要な事を考える事すら出来ない程に、意識が収束されていた。
警戒、必死、抗動―――様々な事に向けていた意識が、ある一つの事に収束される。
「―――――――――――――――――――――」
頭に一つのイメージが思い浮かぶ。
銃に、弾倉を込めるイメージだ。
予め決められた数、性能の弾丸が込められた弾倉を銃に入れ込み、弾を銃身へと込めるような。
そして、ある言葉が。
「――……投影、開始」
ぱきっ、と、何かが割れる。
頭に、体に、また繰り返されるように、あの鋭い激痛が雷の如く迸る。
だが、気にならない。気に留めようとも、意識がそれを許さない。
「あぁ? 何を」
言っている。と、続けようとした。
ザクッ、グサッ―――
「…………は?」
ポタポタと、胸元から何かが溢れて地面に落ちていく。
自然と、目線が地面の方に、音の鳴る方に向いていく。
見えたのは、胸から突き出た三本の白鉄と、真っ赤に染まった自分の体だった。
「て…め…な…を…」
ぐしゃ、と、悪魔の体が地面に倒れ伏す。
流血が地面を赤く染め上げる。
敵は消えた。だが、それと同時に、
「―――」
青年は、意識を失った。
□ □
無限の剣製。アンリミテッド・ブレイドワークス。
英霊エミヤに連なる者、即ち衛宮士郎が扱う事の出来る、魔術の最奥『固有結界』。その一つ。
衛宮士郎が見た剣、槍のカテゴリーに当てはまる武器をその世界に投影し、ストックする事が出来る…というよりは、剣や槍だけではなく、盾や弓、キビシスの袋といった様々なものを投影し、内包している。
よく勘違いされるのだが、無限の剣製は剣や刀といった武器のみしか投影出来ない訳ではない。あくまでも、白兵戦武器の投影が主というだけなのだ。
『無限の剣製』は実際の使い所が多かった訳ではないが、彼らが見る以前に使われていたシーンは多くある。剣を呼び出す、剣を射出する、剣を改造するなど幅広く。
英霊エミヤのストックは、千を越えていたとされている。
英霊エミヤが扱う投影には剣や槍のみならず、盾や弓といったものまで様々で、衛宮士郎と違って制限がない。いや、衛宮士郎に制限があるという訳ではないのだ。ただ、どのルートにおいても、衛宮士郎という少年は英霊エミヤよりも投影魔術の腕が優れていなかったというだけで、彼もまたトロイア戦争の英雄の盾を投影していた。
投影魔術という、衛宮士郎が扱う魔術の一つが至った極致であるとも言えるそれは、しかし使い勝手が良いか悪いかと問われれば悪いものだ。
そも、投影魔術自体も使い勝手が悪い。何せ、衛宮士郎や英霊エミヤが扱わなければ、投影魔術など効率が悪いだけの魔術なのだから。
聖剣を投影出来ても、ランクが高い物であれば自滅の可能性すら有るデメリットが大きい魔術。
使用者である英霊エミヤですら、聖剣を完全に模倣する事は出来ずにいた。
それを力を借りただけの他人に扱いこなせるのかなぞ、分かりきった事なのだが。
しかし、青年も少しずつ歩み始めていた。
もしかすれば、彼が贋作の贋作から脱却する未来が有るのかもしれない。
妄言程の信頼しか、ない未来ではあるけれど。
「………」
夜のような暗闇の中で、夢を見ていた。
ある青年の夢を。正義の味方の夢を。
他者の為に身を投げ打つ青年。
そんな自分に嫌気が差す青年。
自分の力で自分を殺した青年。
力が完成し大人になった青年。
夢を捨て、自らを腐らせた青年。
自ら名前を捨てた、無名の青年。
年老い、答えへと至った青年。
自分が手に入れた力、“英霊エミヤに連なる全ての力”が及ぼす影響だ。
サーヴァントと契約したマスターは、そのサーヴァントの生前の夢を見る事があると言う。
英霊エミヤと契約した遠坂凛は、英霊エミヤの報われず、救われずの哀しい夢を見た。
では、英霊エミヤに連なる全ての力を持った彼が見る夢とは何か。
それ即ち―――英霊エミヤに連なる英霊達の、その人物達の、果てしない凄惨なる生前の夢である。
「―――」
背負うものが違う? あぁ、全く以てその通りである。
何せ、無責任に、そして身勝手に、『英霊エミヤ』という全ての存在の力を一身に背負っているのだから。
無謀かつ蛮勇、蛮行かつ愚行。それが、どれほど無茶苦茶な事であるかなど、明白だった。
一人の人間の魂に、何十人もの他人の英雄の力が籠もるなど、魂が保たれる訳が無いのだから。
「あぁ…? ったく、何してやがんだ…」
景色が変わる。夢が変わる。
羽織を持った一人の青年が、呆れ顔でこちらの頭に拳を置いた。
痛くは、なかった。
「憧憬を否定するつもりは無ぇがな、それで
だが、言葉は痛かった。
その優しい言葉が、何よりも心を抉った。
「自分から背負ったんなら、それを途中で捨てるなんざ許されねぇんだぞ。目ぇ向けて生きる覚悟の一つくらい決めとけ。」
「……」
「まぁ、なんだ。儂はただの刀鍛冶、そんで年寄りだからな。出来る事なんざ少ねぇだろうが、テメェの志の為に、力添えくらいはしてやるよ。」
笑いながら、青年は言う。
「鉄を打つのは、鍛治師の仕事だからな。テメェも疲れはするだろうが、刀握るんだ。そんくらいは我慢しろよな。」
過分を捨て、重さを捨て。疾さを捨ててテメェを知った。
真髄解明。完成理念、収束。鍛造技法、臨界。
其処に至るは数多の研鑽。
此処に至るは汎ゆるの収斂。
築きに築いた刀塚。
縁を切り、定めを切り、業を切り。我をも断たん都牟刈村正。
縁起を以て宿業を断つ。
八重垣造るは千子の刃。即ち、宿業からの解放也。
この一振りで以て仕事を納め、いざ刮目せよ。
剣の鼓動、此処に有り。
此れこそ―――都牟刈村正だ。